渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ヤマハの2スト RZが築いた時代

2018年06月14日 | 公開情報

バイク乗りの読者さんから情報をいただいた
ので紹介したい。
ネットの「くるまのニュース」から。








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記事添付画像を紹介したい。

この画像↑は正確には1981年型RZ350
ではない。
これはいわゆる2型のカラー
バージョンだ。

1981年型はこれ↓(撮影1981年)

フロントが弱く、ハードブレーキングから寝かし
込んで行くとよじれた。だが、それは当時の
設計思想であり、フロントもフレームもガチガチ
に固める設計が登場するのは、タイヤが飛躍
的に進化した82年頃からだ。レースの世界では
すでに81年段階ではアルミフレームが試験運用
されていたが、一般車に普及するのは83年の
スズキガンマからである。
だがガンマは「未完成」の車で、欠点だらけ
だった。雑誌等の広報ではそうした欠点は
一切伏せられていた。
欠点を大っぴらに書く雑誌は無い。ライターも
良い事しか書かない。


(発売された1981年にすぐに購入)

ヤマハRZ350のコンセプトモデルはレーシング
マシンのTZ350だ。RZ350はヤマハのフラッグ
シップモデルとなった。海外ネームはRD。










スズキがRZに対抗して登場させたRG250
ガンマは、フルカウルを認可させた事、世界
初の公道モデルでアルミフレームを採用し
た事、ミシュランタイヤを標準装備した事(前
輪)、自主規制の出力の殻を破って250cc
で45PSのパワーを認可させた事等々、革
命的な車だった。
文字通りの「レーサーレプリカ」はこのモデル
から開始された。
ただし、スズキの250ccレーサーはこのガ
ンマが登場した時点では存在しない。ゆえに、
正しくは「レーサーのイメージ車」ということに
なる。

非常に画期的で革新的な新次元を切り拓い
たスズキの意欲モデルだったが、新規採用
した16インチタイヤのセッティングの未完成
さ、旋回性における定常円旋回固着性という
欠陥からくるハンドリングの悪さと前輪チャタ
ー問題は解決されていなかった。
また、当時「試験的」に流行りだった、フロント
フォークの沈み込みにアグレッシブさを与え
ようとして失敗案となった「アンチノーズダイ
ブ」機構を投入したが、フロントサスの仕事
を殺す役目しか果たしていなかった。
いろんな意味で革命的なモデルだったが、
カワサキのマッハがそうであったように、この
スズキガンマは「完璧なる壮大な未完成車」
であったとことは疑う余地が無い。
ヤマハのRZがいかにパーフェクトに近い
車として仕上げられていたかは、RZとガンマ
を同時に乗り比べればすぐに判明すること
だった。
まあ、気持ちいいバイクであったが、同時に
「気持ち悪い」バイクでもあった。
シビアな「車としての完成度」という視点で
考察するに、「手を加える余地」が多く残され
ている期待できる車ではなく、「これをベース
に次の機種を早く出してほしい」といえるモデル
がスズキガンマ1型だった。
それでも、とんでもないほどの革新モデルだっ
たことは間違いない。高速度からの制動性は
非常によかった。これはヤマハはまるで及ば
なかった。ただ、制御操縦においてはヤマハ
が全メーカーの中で飛び抜けたレベルにあっ
たことも確かな事実だ。ガンマは「ある領域」
においては非常に最低のハンドリングを示し
たモデルだった。また、この時期、ホンダは
話にならない論外の車しか作っていない。



ヤマハRZの牙城を崩すべくスズキが渾身の
RG250ガンマを登場させて、ヤマハが作った
「世界の2ストローク車の奔流」に割って入った。
ホンダはあわててMVX250という3気筒の2スト
モデルを市場投入したが、これはガンマ以上の
本物の欠陥車のようなオートバイだった。
そして、開発を急いだホンダは、ワークスレー
サーと同じネーミングのNSと銘打って、新開発
のエンジンを搭載したNS250を市場に投入した。
ホンダの市販レーサーであるRS250とかなり
構成を似せたモデルだったが、競技車である
肝心のRS250が非常に「超未完成」なマシン
であり、発売直後のFISCOを私は走ったが、
場内アナウンスで「ホンダRSのユーザーの方
は走行に充分に注意してください」と大音声で
放送されていた。
実際コースに出ると、まだカラーリングをして
いない白いカウルのホンダRS250レーサーが
あちこちで転倒しており、まるで白い屍の山を
見るが如しだった。
ヤマハのレーサーTZ250から乗り換えた人は
ヤマハのつもりで寝かしこむと全員がフロント
から足蹴りをくらうようにすっ飛んだようだ。
ホンダは125ccレーサーのMT125とRS125
では非常に素晴らしいハンドリング特性を発揮
していたのに、RS250の初期型はあまりにその
良質性とはかけ離れていた。
私はホンダのレーサーRS250には乗ったことが
ないが、仲間内で聴くかぎりでは、丁度市販車
の83ガンマの欠陥部分と同質のものをRS1型は
有していたようだ。
だが、ホンダのレーサーは各チームがセッティ
ングを煮詰めて手を加え、やがて数年後には、
レースの世界のTZヤマハ王国を木っ端微塵に
粉砕する。
これは市販車にも投影され、1988年時点では、
完璧にレースの世界でも市販車の世界でも
ホンダ天下(総数において)が築かれつつあった。
それまでの1982年からの時期は、ホンダは
レースにおいては「ワークスマシン」のみが熟成
されており、市販レーサーや市販公道バイクは
まったく未完成もよいところだったのが実情で
あったのである。

市販車改造ベース車としてこのSPモデルを
世に出すも、まだNSの段階ではレースの世界
でRZ天下を崩せなかった。NSRの2型=MC
18によって、ホンダは数々の「掟破り」を以て
天下を取るのである。


だが、1980年代の公道モデルのオートバイ、
とりわけ2ストローク車全体を俯瞰するに、
その時代時代を考慮しても、ヤマハRZが
築き上げた世界はとてつもなく大きな世界
だった。


2ストロークエンジンのヤマハ。
世界のモーターサイクルシーンから2スト
ロークエンジンが抹殺されようとしていた
1970年代初頭、ヤマハはレースの世界
で圧倒的なパワーと加速力を持つ2スト
ローク車を投入して圧勝した。
地球上の2ストの確固たる歴史はヤマハ
が作った。


個人的にはヤマハ≒トヨタであるというのが
とても気に入らないのではあるが、ヤマハの
作るオートバイは非常に素晴らしい。
つい先日、根っからのカワサキ乗りの友人
が言っていた。
「バイクはカワサキだ。俺はカワサキしか
乗らない。だが、車として一番飛び抜けて
良い車を作るのはヤマハだ」
と。
私もこれには完全同意だ。
私はヤマハのオートバイが一番優れている
と思うし好きだ(全メーカー好きなのだが)。
だが、カワサキへの思いは一種独特なもの
があるのである。これカワサキ乗りの定番
なのだが。
これはハーレーに似ていて、ハレーのことを
ハーレー乗りは「ハーレーはバイクではない。
ハーレーという別な乗り物なのだ」とよく言う
のだが、それとある部分で似たものがカワ
サキ乗りたちにはある。
ただし、カワサキ乗りたちとて偏狭ではない。
良い物は良いと認める。
私個人は、ヤマハのオートバイが一番丁寧
に作られていて、「人に一番近い乗り物」を
「モノヅクリ」の中で心がけているメーカーが
ヤマハだと感じている。
ヤマハのオートバイは本当に良い。掛け値
なしで良い。
だが・・・、バイクって、結局、異性と一緒なん
だよね。
優秀で優等生で人格者で人のお手本のよう
な人だからと自分の伴侶や相手を選ばない
でしょ?
「すべてを受け容れる」
オートバイ選びって、それと同じように私には
思える。

RZの何が良かったか。
勿論欠点もあった。
だが、すごく良い車だった。
何が良いかというと、「乗り手にきちんと応え
てくれるマシン」だったのだ。
対話ができる車。
こんな面白いオートバイはそうそう無い。
そのことに多くの人が触れて知ってしまったか
ら、ヤマハRZは爆発的な大ヒットしたのだろう
と私は思う。
あのマシンとのやりとりはですね、一度知ると
やめられまへん(≧∀≦)
映画『汚れた英雄』で、夜明け前のベッドから
抜け起きて窓際に立った北野晶夫に、クリス
ティーヌが言ったあの台詞ね(≧∀≦)
それなのよ~。

刀は千年残るけどね。オートバイは人の一生より
命が短い。
ゆえに、オートバイは人と共にある。
それを知る人は、オートバイに乗る。

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