渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

中世刀鍛冶の地域的相関関係

2020年10月28日 | open

古刀三原。


青江を彷彿とさせるが、出来は異なる。
やはり三原だ。三原もしくは古三原。
末三原ではない。
ただ、地鉄の練りは末物の安芸国大山
鍛冶の作に非常に似ている。地鉄の
中に銀河系宇宙があるような鉄味。

古代山陽道沿いに備中国青江、備後国
国分寺助国、備後国三原(尾道の山中)、
安芸国大山、周防国二王たちは地理的に
線上で繋がるが、刀剣自体の作域も各々
の相関として細部は異なれど総体として
かなり似たものを持っている。
備後三原鍛冶を称して、尾道に寺院多き
ゆえに大和からの影響を多く受けたと
するこれまでの斯界の説は、文献資料等
の根拠を欠くこともあるが、作刀自体
から見るに、もしかすると妥当性に乏し
いということはないだろうか。
備中国青江から続く周防国二王まで、
何らかの技術的交流、人的交流が
あったのではなかろうかと思われる
フシが実見する刀剣からは強く見られる
のだ。
現存する作刀を実際に経眼するに、その
作刀ベルトラインが薄っすらと浮かび
上がってくるのである。
そして、さらに東に進むと鵜飼(宇甘)
派がいた。
現存刀の作域からも、これらを結ぶ
地理的結合ラインと物流と人的流入の
時代的事実も射程に入れての総合的な
研究解析をしないと、この中つ国の
日本刀ベルトライン近似性は説明が
つかない。
当該地域の日本刀の歴史研究解明の為
には、別個に各派のみを抽出して研究
してるところからさらに一歩踏み込ん
で前に足を進める必要があるのではなか
ろうか。

そうした解析視点はこれまで斯界に
おいても不存在だったわけではない。
「北国物」などの鉄味の黒さは派に
関係なく連綿性がある現実を実際の
現存刀から看取していたし、地域的
繋がりや共通性に着目する視点は有し
ていた。
だが、中国地区の中世までの古刀に
関しては、備前という五箇伝の刀剣
大国があるゆえか、「備前とその他
大勢の脇物」という中央史観が強大
な権力を持っていた。
それが日本各地の日本刀の客観的な
歴史解明を阻害してきた事実がある。
日本刀界における中央史観は特定五箇伝
のみを日本刀の代表であるかのように
思い込ませるように「創られた」概念
だ。
元来、日本刀の歴史的変遷と作域の
区分け学習のために設定された五箇伝
という作出概念は、いつの時代からか
「五箇伝以外は日本刀に非ず」という
ような歪んだ視点に乗っ取られてしま
った。
この偏狭な視点こそが日本刀の包括的
な研究の最大阻害要因となっている。
五箇伝はあくまで便宜上の学習の為
の分類にしか過ぎない。
その厳然たる事実をもう一度日本刀
愛好家たちは捉えなおす必要がある
と私は思料する次第だ。

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