渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

構想下地練り

2022年02月26日 | open


ダンパーを外して撞くと高音の快音
を発するのだが、ダンパー装着では
曇った音になる。
振動が抜けないからかと思う。
また、ダンパーのある無しでは撞き
味がまるで異なる。
ダンパー無しのほうがソリッドで
ダイレクト感が強い。
これも完全密着していない、固定
ではない押し込み式のダンパーが
振動を抜けさせずにそこで滞留さ
せて吸収している為と推測できる。

密着圧閉式のダンパー換装に改造
したいのだが、バットエンドの
構造を見るに、かなり脆弱で空洞
が大きい。
エンドキャップ内部の木部円筒部
も薄い為に経年変化と半世紀の使用
によりクラックが2ヶ所観察できる。
硬木の短いプラグを作って埋め込
み接着して補強かつねじ止め式の
ダンパー換装の方向性で行くか。
現在、思案中。

抜本的なリペアとしては、エンド
キャップを嵌める部分を完全に別
パーツで多重プラグ化する事だが、
キューメイキングと同じ程の手間
がかかる。
ただ、それをやるならば、エンド
キャップは白樹脂に交換したい。
しかし、デルリンだとしたら、
いくら難接着剤による接着が可能
とはいえ、接着剤だけによる固定
は確実にその後トラブルが発生す
る事が予想できる。
これは、従来通り、デルリンなら
ばボルトによる強力固定が必須と
思われるが、当該個体は本体に
二段穴が開いているとはいえ、
ねじ切りが為されておらず、初め
から穴はネジやウエイトの為では
なく重量調整の為に施工されたと
推測できる。
ねじ切り新設によるボルトオンで
の白デルリン新設加工は、ウエイト
増しと現行の良バランスの崩れを
惹起させる為、選択肢の範疇には
入れ難い。
やはり、重量が嵩張らない短プラグ
を埋め混んで、そこにボルトでは
ない木ねじを切って、TADのよう
にボルトオンでは無いネジ止め式
のダンパーゴム密着が正解だろう。

しかし、その場合を選択する上でも
問題は出てくる。
既存エンドキャップは呑み込みが
浅いのだ。ジナのように。
ジナは内部がフルソリッドの為に
重量過多なのだが、この私のオー
ルドはそれを回避するためにエンド
部の空洞を広く取っていると思わ
れる。

TAD式は木ねじ止めの為にデルリン
のキャップのゴム呑み込みは深く
取っている。それは耐久性の為だ。
TADのゴムは頭部分しか露出して
いないタイプが多いのはそれゆえ
だ。
アダムのように浅いゴム飲み込み
式でも耐久性やダンパー機能に支障
が出ないのは、それはボルトでエン
ドキャップを強力に固定してある
からだ。ランボウやバラブシュカ
がその方式を始めた。
デルリンは接着剤が効かない事も
理由の一つだっただろう。
TADがデルリンを使いながらダン
パーは細い木ねじのみでキュー
本体に直ネジ止めしているだけの
構造なのにデルリンが外れないの
は、それはTADはデルリン内部
内壁とキュー本体外周に大ネジを
切ってキャップ自体をナットのよ
うに強固にネジ止めしてあるから
だ。手間がかかっている。
なので、密着度が高い為、TADの
キューはどれもが快音を奏でる。
今回のオールドキューで、ダンパー
ゴムを取り外した時の音と押し込み
装着した時の音質の差異は、そう
した原因による。

多角的に、どういう方向でまとめる
か、思案中。
要件は、
・高音の木琴音のような音質を損な
 わないエンドダンパー新設の為の
 改造
・可能な限り重量増しを抑える
・現行バランスをできるだけ崩さない

要件を満たす為の改造は、総合的に
なかなか難しい。
現行では、ダンパーを外すと快音に
なるが、前バランスになり、また
軽くなり過ぎる。たった10グラムが
一番端のエンドに加わるか無いか
だけで大きくキューバランスが異な
る。

基本的に、物理的には尻側にバラン
スが寄ったほうがキューは切れる。
重量は関係ない。力による振り抜き
の速度ではなく、慣性を如何に効率
良く使うかがキュー切れの原理なの
で、軽いキューで力で振る速度を
速くしたからとキューは切れない。
これは日本刀での試斬でも同じで、
軽い刀が手捌きが楽だからと、軽
過ぎる刀を使うと全く切れない。
刀はカッターのように刃先で物
を切る物ではないので、ある程度
以上の質量が無いと物切れはしな
い。
ビリヤードのキューで「切れる」
というのは刃物の切断力の事とは
異なる概念を指している専門表現
だが、要するに「効率良く慣性を
利用して玉にアグレッシブな動き
を具現化させる」という撞き方の
事を指す。
これ、多分だがロボットでの再現
ができるのはかなり先の事になる
かと思う。
なぜならば、キューを振り抜く際
の人間の腕と掌と指の締め具合が
キュー切れの核にあるからだ。
この核は日本刀での刀法と全く
同じで、日本刀で手際よく試斬が
できる者は、それを可能とする
「手の中(うち)」が出来ているの
だ。
腕と手(掌と五指)の極めて複雑な
動きと使い方。
ただジャンケンのグーのように
握っていたら、日本刀でもビリ
ヤードのキューでも、全く手の中
は利かずに、切れ味などは発揮で
きない。
日本刀の場合、たかだか畳表の
袈裟切りや水平切りができない
人たちは、全員もれなく手の中
が悪い。
ビリヤードのキューさばきでも
そうで、押し引きマッセ、自在
の割れ角度が出せない人は、全員
が手がガチガチに力任せになって
いる。刀と一緒。
キュー切れとは手玉の移動距離の
長短の事でもない。短距離だろう
とキューを利かした撞き方か否か
なのだ。
また、オートバイに乗れない人が
全員上半身に力が入ってガチガチ
になっているのも、全くこの「切れ」
のある無しの原理と同じ現象である
といえる。

ビリヤードのキューは確かにシャ
フトの質性如何によって性能が
大きく色分けできるのだが、そも
そも、その性能を感知したり引き
出したりするのも、キューが切れ
なければ全く叶わない。
日本刀で袈裟横真っ向の試斬一つ
できないのに刀の良し悪しが判断
できる訳ないのと一緒だ。

そして、ビリヤードのキューも、
日本刀での試斬も、出来る人は
最初から「切れ」を発揮できる。
できない人は、なかなかできない
ので、研究して努力して改善する
か、もしくは何年経っても全く
進歩が無い。
それらは、「日本刀が見える、
見えない」と似ている。
日本刀が見える人は最初から見え
る。見えない人は上辺しか見えず、
刀の本当の姿が全く見えない。

ただ、最初から出来ない人でも、
本人の心掛けと努力次第では出来る
ようになる。
非凡な才能を見せている人たちは
それは、その努力を超えた超人的
な技能を持っている地球上でごく
限られた人たちであり、人間誰も
がオリンピック世界記録を出す人
のような技量は持ち得ない。
でも、本人のやる気と努力で、あ
る程度までは達成できる。

そして、一番大切な事は、素直な
心で、きちんと「本当のところ」
を見抜く事だ。
スポーツは特にこれが大事。
慢心や邪(よこしま)な心だと、
絶対に技能さえも発達しない。
深い技術の能力=技能は、心身の
健全さと密接不可分な関係にある
からだ。

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