渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

TADつかい

2023年07月18日 | open
 


TADコハラは1963年から名人
ハーベイ・マーティンに影響
されてキュー作りを始めた。



最初は自分のビリヤード場の
「TAD's FAMILY BILIYARDS」
の店の片隅に機械を置いて、
客のキューの修理をした事から
始まった。
日系二世のコハラタダチの親は
広島県生まれだ。タダチも戦前
家具作りを学ぶ為に米国から
日本の広島県に一時渡り住ん
いた。
原爆投下の時には廿日市に
いて、
広島市の空が爆災大火
で真っ赤
に染まっていたのを
覚えている
と雑誌のインタビュー
で語って
いた。
戦後、コハラタダチは米国に帰
国する。アメリカのカリフォル
ニアに戻って様々な職業を経験
した。
ボウリング場務めの後に開いた
のがビリヤード場だった。
 
タダチ自身は多少玉撞きはでき
ても、トーナメントプレーヤー
のようには撞けない。
店に来る撞球師たちと店の近所
のレストランで朝食を一緒に取
りながら多くのトップランカー
や世界チャンピオンたちにキュー
作りのアドバイスを貰った。
 
TADコハラがキュー作りを開始
した時、既にバラブシュカは名
人としてそのキューの人気は爆
発していた。
だが、TADを選んだ人がいた。
それがジョセフ(ジョー)・バル
シス(1921-1995)だった。
幼い頃からトーナメント・タイ
トルを幾つも取った実力者だ。
バルシスは44才の1965年の時
にチャンピオンになり、そして
翌年の1966年にもチャピオン
に輝いた。世界タイトルは68年
と74年に二度取っている。殿堂
入りの人。
そのJ.バルシスが選んで使った
キューがTADだった。ストレート
のプレーンのTADキュー。
ハーベイ・マーティンの影響を
色濃く受けたTADキュー黎明期
の作品だ。

 
TADはキュー作りをしてからほん
の数後には世界一のタイトル・
キュービルダーになった。
世界のプレーヤーたちにも大
注目となった。特に日系二世の
作ったキューという事もあり、
日本では「至高のアメリカン・
プール・キュー=TAD」という
神話が確立した。
その後1960年代に日本ではポケ
ットのプロ連盟が作られるが、
プロ一期生たちはほぼ全員TAD
を買い求めて使っていた。まだ
アダムというメーカーが誕生す
る何年も前だ。
 
世界チャンピオンと共にあった
TADキュー。
TADキューが選手に選ばれ、そ
れが愛用され、使い抜かれて
力で世界一に輝いのだった。
これほど名誉な事は無い。


だが、TADキューは「難しい
キュー」と言われ続けて来た。
手玉を自由自在に動かせるか
らだ。
手玉が自在という事は、無数の
撞き方があってそれに全て応え
るキューという事になる。
それは、その合わせがずれたり
能力が低い合わせられない者に
は使えないキューという事を意
味する。
TADが「難しいキュー」「いつ
かはTAD」と言われ続けて来た
のは、そうした特質があるから
だろう。
「いつかは」とは、ステイタス
して高級品を持ちたいことで
ない。難易度が高く、シビア
な腕前を要求されるTADキュー
を使いこなせるプレーヤーにい
つかなりたい、という精神性を
言い表したのが「いつかはTAD」
だ。
 
この世には二種類の人間がいる。
オートバイに乗る奴と乗らない
奴だ。
これは横浜の大将の歴史的名言
だが、撞球の世界も同じ事がい
える。
世の中には二種類の人間がいる。
TADを使う奴と使えない奴だ。
 
実際、名うてのA級プレーヤー
にTADで撞いて貰った事がある。
全く玉が入らない。
オートマ的ハイテクシャフトの
みしか使わなくなったので、
ソリッドシャフトのカスタム
キューが使えなくなったのだ。
今、バイク乗りを自称しなが
らも、全く2ストマシンには
乗れない、適正操作も操縦も
できない人がごまんと増えた
が、それと同じ現象だ。
その人が下手なのではない。
ハイテクシャフト限定で使え
ば国内トップクラスのA級だ。
だが、カスタム・キューは使
えなくなってしまっていたの
だ。現象として。
 
二輪の場合、2スト乗りが2スト
マシンに乗れなくなる事はほぼ
無い。
それと同じく、ビリヤードの
プールも、TADが使えれば、
どんなキューでも対応できる。
「合わせ」ができるという一つ
の能力を身につけているからだ。
 
能力が人から捨象されて消滅し
て行くのは、それは人間力が
消滅して行く事とイコールだ。
箸が持てなくなる、歩けなくな
る、というのに等しい。
元々目は見えているのに、見る
べきものが全く見えず、目に鱗
をつけてばかりの人間は世の中
多いが、秀逸である自己能力を
自分から多くの人々が消滅させ
るのは何だかとても勿体ない。
 
TADキューは難しい、とされて
来た。
果たしてそうか。
カチリと合わせる無限大スイッチ
の選択肢が多いだけで、ピタリ
と合わさると突出した高性能を
見せるキューだ。
その特性が「難しい」と思い
込みを惹起させてはいないか。
TADを使うには要諦がある。
それは、「TADはTADなりの
撞き方をする」という事だ。
自分のスタイルのゴリ押しでは
なく、TADの特質を知悉し抜き、
TADのTADらしいところを最大
限に引き出して、TADとして玉
撞く。
道具なんだから道具が俺に合わ
せろ、ではなく、コハラタダチ
によって作られた一品物である
TADキューの持ち味を最大限に
引き出してやるようにして使う。
そして、なおかつ会心の撞球を
る。
それが、TAD遣いだ。
それが、TADキューの使い方だ。
難しそうで、存外そうでもない。
心根を素直に真っ直ぐに持てば
TADは手足のようになる。
かつて幕末の著名な剣聖は言った。
「剣は心なり。心正しからずんば、
剣また正しからず」
真理である。
 


 

この記事についてブログを書く
« アンティーク・チェア | トップ | ロゴマーク »