渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

新選組の羽織の色

2022年11月22日 | open


新選組が大丸にて誂えた隊服の
ダンダラ羽織の色は浅葱色であ
る。それに白いダンダラを染め
抜く。
よく時代劇やドラマでは水色の
色にされているが、それは誤り。
和色の浅葱は、例えるならば、
薄い青緑である。ブルーでも
ライトブルーでもない。
また、隊士には非常に人気が無く、
副長土方などは決して着なかっ
たと伝わる。夏物で薄着であった
のもあろう。安っぽいとの苦情
まで隊内にはあった。
主たる出動服は上下黒ずくめが
多かったと、新選組隊士や八木家
の証言がある。
上下黒も、これもまた当時として
は珍しいが、現在の刀術、抜刀術、
その道の道着の一般的上下と思え
ばイメージしやすいだろう。
いまのいあい道などの黒道着上下
ようないでたちが新選組の真の
姿格好だったのである。
浅葱色の羽織を制服のように着る
のは、それは現代劇で色が際立
て「絵」になるからである。
あくまで映像上の視覚効果の演出。
実際には、ダンダラ羽織は、短期
間しか着られていない。しかも、
着たのは一部の隊員のみ。

なお、新選組は高度経済成長期に
司馬遼太郎の功績で人気が出たが、
それまでは戦後、戦中、戦前と、
新選組は明治新政府に楯突いた
極悪人として宣伝教育されてお
り、映像作品などでも正義の
新の志士を攻撃する悪者として
描かれていた。
鞍馬天狗然り、大菩薩峠然りで
ある。
新選組に光を当てて、汚名を
雪いだのは司馬遼太郎であり、
それゆえ1960年代に入ってから
ようやく新選組が幕末の京都で
天皇守護職の警察部隊として
活動していた事実に光が照ら
された。
それから沖田や土方の人気が
高まった。
私が幼い頃にその変わり目の
時代が来た。

戦前なんてね、新選組や足利尊氏
を褒めたりしたら、特高にしょっ
ぴかれて非国民として殺されかね
なかったんですよ。
いや、これまじで。
子母沢先生の著作も無視された。
戦後の司馬遼太郎の功績は偉大で
す。
徹底した反戦主義者なので、ネト
ウヨとかは司馬遼太郎をこけ下ろ
すけどね。

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