渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『二人の銀座』(1967)

2023年02月24日 | open









1967年1月。
日比谷公園の電話ボックスで
女の子が落とした楽譜を拾っ
た大学生は、その曲を自分た
ちのバンドの曲として勝手に
使うようになった。
やがて、真心の物語が始まる。

大学生たちが通う大学にはタテ
カンがある。66年再建ブントの
タテカンだ。






本作品の1967年初頭。
まだ日本には希望があった。
それは体制やイデオロギーを超え
て。
吉永小百合が民衆派として高校生
の時から社会問題を胸にとめて
いたような時代だった。

最高に美しい。
身も心も。
それゆえ、サユリストという神話
信奉者が誕生した。小百合ちゃん
はトイレには行かない、とまで。
小百合ちゃんは日共だが、それは
どうでもいい。清く美しい。
本当に人の世の平和を願う人だ。

本作品『二人の銀座』も、ただの
恋物語ではなく、音楽の純粋性と
人としての心の真実とは何かを
問いかける作品となっている。
日本人の心がとても綺麗だった頃
の映画作品だ。
人としての在り方を問う事が映画
のテーマとなった時代。
だが、実際にそうした澄んだ時代
はあったのだ。
この日本に。
本作品、良い映画。

本作品の主題曲は1966年7月に
ベンチャーズがインストゥルメ
ンタルで出した曲を9月に歌謡曲
化したもので、当時としては異
例の大爆発ヒットで100万枚以
上を売り上げた。
それに加えて、映画化された。
1950年代末期から商業音楽と
コラボレーションで映画作品が
撮られる事が新しい手法として
考案された。
その方法を出版社が自社出版の
小説とコラボさせてメディアミッ
クスとして70年代から80年代に
成功させたのが角川春樹だった。
そこにCMの奇才大林宣彦が加わ
った。
1980年代半ば頃までのTVCMの
ほぼ8割以上は大林作品だ。

『二人の銀座』ではネット百科
で説明がなされている。
越路吹雪が和泉雅子に譲った歌
であったり、永六輔が作詞であ
るなど興味深い。



もしもこーちゃんが歌っていた
なら、作詞は岩谷時子だっただ
ろう。
そして、銀座の夜の灯りはいき
なりパリのシャンソンの霧に
まれたネオンの景色となって
ただろう。
銀座はパリーよジュあたしーも
ジュジュジュボワーという感じ
で(笑

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