渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

北海道・東北の旅

2022年07月25日 | open



8日目の夜はちょいと大人らしく、
との事。






いい感じ。
山形県。


しかし、幼馴染、よく走るよなぁ。
バイクで北海道一周してから陸路
で東北から南下してるもの。
私の場合は、昨年一昨年は長距離は
730km/日だった。
学生の頃のように一千キロを1日で
走れない。眠くなっちゃって(笑
学生の時は横浜から大阪まで何度
往復したか分からない。片道510
km程。往復1020km前後。
ツーリング等は大体今の感覚では
1日500kmあたりが適度の境かも。
100kmとかってのは今の居住地か
広島市内行ったらすぐに100km
だ。コ1時間。
これなどはもうちょい乗りもチョイ
乗り、ご近所さんだ。サクッとの口。
なんだかんだで、1日300〜400km
あたりが今の自分には一番適して
いるかと思える。
20代の若い時みたいにドカーンと
弾丸でどこまでも、という具合に
はいかない。
人にはそれぞれ自分のモノサシが
あるだろうが、今の私は400km/日
あたりが適度かも。
神戸の茜屋珈琲店に行って帰ると
これまた横浜時代と同じく丁度
510km。往復でだけど距離はハマ
からの片道と同じ。
このあたりが今の私の適度の境目。
730km/日×4回を昨年一昨年と
やったが、ちょいなげえなぁとは
感じた。ただ身体はどこも何とも
ない。脱力抜重させてるからどこ
も痛くもならない。
これはセパハンのカウルマシンに
長く乗ってもそう。
ロングは脳が果てしなく眠くなる
だけ。


音階と音質

2022年07月25日 | open


例えばの話。
このオクターブ高いAの音は音階
(ピッチとしてはAからややずれて
はいるが)として記憶に刻まれて
を覚えるのではない。
ピッチではなく、音の質として脳
は記憶される。
そして、音階と違い、その音質は、
脳内での再現及び復元音との差異
や近似性は判断できるが、数値化
等による機械での音の同質性の完
全再現は難しい。
これは現代のAI技術を以てしても。

一般的なキューでは出せない音
を発するキュー。
この特異な音の発現の要因は、
これはハードロックメイプル
グラスファイバーで外周シール
ドした特殊構造による。コーティ
ングではなく、厚みがコンマなが
ら1ミリに近い筒状になってシー
ルドされているものだ。
気温・湿度・気圧によるキュー
の曲がりは一切発生しない。
世界チャンピオンのジョニー・
アーチャーが開発に携わった。

人間の耳と脳の識別能力は極め
高い。
美空ひばりさんの歌の再現を機
械などで復元するのは不可能
のである。限りなく本物に寄せ
る事はできても。
機械は吐息を吐かないし。
人の声を聴き分ける判断力、また
記憶という人間の脳のシステムは
まださほど解明されていない。
音の違いは人間には判る。
それは周波数とか声紋とかそよう
なものだけで数値化する事は不可
能だ。
ただ、人間の聴力は、ある特定範
囲の周波数のみ別な音階として誤
認する傾向がある。
周波数合わせで弦の張りを合わせ
たギターやピアノのチューニング
を「狂っている」と人間は感じて
しまうのだ。
では、耳において「合っている」
と感じるにはどうするか。
ピアノの調律師は、人間に合わせる。
機械の周波数頼りの正規音階には
しない。あえてクォーター程を
特定域のみずらすのだ。
だが、ギターのチューニングなど
で、この事実を知らない者は機械
の数値合わせで調弦したギターの
音階でいいのだと思い込む。
しかし、生音としては、人間には
それは音階がずれていると感じる
のである。
ステージなどで生音が拾えない時
に電子チューナーの数値を見て合
わせるの以外では、ギターはピアノ
と同じく耳で合わせるのが鉄則かと
思う。
人間には「ずれている」と感じる
のだから。

イメージ

2022年07月25日 | open


イメージはメモしておく。

2022年07月25日 | open


一本一本すべて音が異なる。
その音の違いは記憶に刻まれ、
忘れる事はない。

音の記憶

2022年07月25日 | open



人は人の声を50年経っても覚えて
いるように、個別特定楽器の個体
の音色を明確に覚えているように、
人は音の記憶が消え
る事はない。
それは、時に視覚的記憶よりも
鮮明である。


真相は公開されない

2022年07月25日 | open



暗殺と殺戮の真相は絶対に公開
されない。

下山事件がそうであったように。
また、ダラスが、9.11ツインタワー
とペンタゴンがそうで
あったよう
に。

真実も真相も絶対に公表されない。
そして、マスコミも操作され、
大衆は「広報」を真実であるか
と思い込むことで事実を時の
流れの中で忘れていく。
単なる怨恨であるとか、「テロ」
であるとかの
世迷言を大衆は信じ
込まされる。信じ込んで終了だ。

すべて「操作」であるのに。
「大本営発表」を大衆はそれが本当

の事であると今でも信じ込む。

暗殺は真実が公開されないから
「暗」殺として成立する。