妹に誘ってもらったライブに行って来ました。
ライブハウスに行くのはもう18年ぶりでした。
立てノリで楽しみながら、高校生・短大の時は、こうやってロックやパンクを聴きながら、何もかも忘れていたことを思い出しました。
でも、ちょっと今までのコンサートでは味わったことのない違和感を覚えました。
誰もが好きなスタイルで、音楽を楽しむというのが私の中の定番だったのに、曲によってみんなが同じ動きをしたりして、ファンにとっては一体感を楽しんでいるのだろうけれど、初めて行く私にとってはちょっと疎外感というか、なんだかそれに捉われて楽しめない印象を受けました。
妹と友達といる時には、
「すごいノリだね~。ファンが団結してるよね。」って褒めていたのですが、妹と二人になった時、
「アイドル歌手みたいに親衛隊って雰囲気があるよね。」って言ってしまいました。
私にとっては、素直な意見のつもりだったのですが、
「そういうのは嫌だね。」と話をしなくなってしまいました。
家に着くなり、留守番していた母に
「お姉ちゃんが、アイドルみだいだって言った。友達の前で言わなくてよかったよ。」と言いました。
そこで母が、
「口は、災いの元。一言多いよ。」と言いました。
私は、黙っていたのですが、とても嫌な気持ちになりました。
一つは、母に言いつけられたと思ったこと。
子どもの時から、妹がなんでも私のことを母に話していました。
私にとっては、言われたくないこともたくさんありました。
そして、母が妹に私のことを聞き出していることもありました。
なんとなくなのですが、妹がスパイのような気がしていました。
妹が同じ職場に入ってきた時に、私は不倫を辞めました。
今も、同じマンションに住んでいます。
別に、妹は何気なく母に言ったのかもしれませんが、たぶん私は過去の出来事から告げ口をしていると感じてしまったのでしょう。
二つめは、私はただ意見を述べただけで、妹の好きなバンドを非難するつもりもありませんでした。
逆に私が、誰かにそう言われたのなら、そういう風にみえるのかなと思うくらいです。
それなのに、私が言ったことを母が咎めているように、怒られているように感じてしまいました。
その後、お風呂に入っている間、ずっと煮え切れない気持ちに包まれていました。
私が、悪かったのか自問自答を繰り返しました。
結局、風呂上りに母にその気持ちを話してみました。
私が言ったのは、非難するつもりでも馬鹿にするつもりでもなかったこと、それに対して、妹が怒るのは間違っているのではないかということ。
そういう考え方もあるんだなと受け止めればいいのではないかということ。
妹が、母に言いつけたという気持ちになったこと。
母が妹の見方をして、私のことを怒ったこと。
私が言ったことは、一言多いとは思わないこと。
そして、コンサートの状況を話しました。
母の考え方はこうでした。
妹が言ったことで、
「友達の前で言わなくてよかったよ」が「友達の前で言わなくてもいいじゃない」と聞こえたこと。
別に、妹が怒っているようには聞こえなかったこと。
咎めたり、怒ったりするつもりではなくて、そういうこともあるからねというつもりで「口は災いの元」と言ったこと。
何か機会がないと、こういうことは教えることが出来ないから・・・・でした。
私「妹が怒って投げ捨てるように言ったから、最後が聞き取りにくかったんだと思う。バスの中でも、その後話をしなかったよ。
私は、それに対して、怒られたと思っていた。」
母「いい子にしようと思って、ことあることに話してきただけで、別に今そういったことに意味はなかったよ。
何もない時には言えないからね。」
私「でも、その時に言われると、怒られたと思ってしまうよ。」
母「それは、伝わっていると思っていた。」
私「伝わらないよ。今までもそう思ってきたよ。
それに今まで、こうやって自分の気持ちを話そうとすると『しつこい』って取り合ってくれなかったじゃない。
それで、ずっと言いたいことも言えずに、誤解も解けずに来たよ。」
母「(感情的に)今までの私の育て方、全部が悪かったと言うの!!」
私「違うよ、違うよ。そうじゃないよ。お母さんの気持ちは分かっていたよ。
でもこうやって、私はそう言われると、もういいよってお母さんの機嫌を取らなくならなくちゃいけなくなる。」
母「機嫌を取るってどういうこと!」
私「そうやってお母さんが怒ってしまうと、もういいよって言いたいことがいえなくなってしまうよ。
そんな気持ちにさせて悪かったって、謝らなくてはいけなくなるよ。
今までもそうやって来たよ。
でも、今こうやって話したことで、今までのコミュニケーションが間違っていたことに気が付けたじゃない。
私が勝手にそういう風に取っていた部分もあるし、第三者が見てどんな風に判断するかは分からないけれど、きちんと伝わっていなかったことは事実でしょ。
でも、これからはお母さんが言ってくれたことを、怒られているとかではなくて、きちんと受け止めることが出来るでしょ。
しつこいって言われて、そういう解ってもらいたい気持ちをいつも我慢するしかなかったよ。」
母「(冷静になって)揉めたりするのがめんどくさかったし、嫌だったからね。」
私「揉めるんではなくて、自分の気持ちを伝えることは大事だと思うよ。」
母「親子だったら伝わると思っていた。」
私「伝わらないよ。親子であっても、夫婦であっても伝わらないよ。
同じ人間じゃないから、言葉にしなくちゃ伝わらない。
そう言えば、妹は、『お姉ちゃんだけ結婚の時、祝福されたとか、お姉ちゃんのことだけ褒めるって言っていたよ。」
母「どういう意味??」
私「たぶんね、お母さんは私の前では妹を、妹の前では私を褒めてきたんじゃないの?
私は、妹にそう言われた時に、それって逆じゃないって思ったけど言い返せなかった。
でも、あとになって、妹の前では私を褒めてたんだって気が付いたから、気にならなくなったけれど、それまでは妹ばっかり褒めてって、ずーっと思っていたよ。
例えば、幼稚園のお遊戯のことなんかもずっと褒めていたじゃない。
妹ばっかり褒めるって悲しかったんだからね。」
母「伝わってると思っていた。」
私「伝わっていないから、妹もそんなこと言うんでしょ。
私がこういったからと説明しなくてもいいから、今度からは、私のことは褒めなくてもいいから、妹の前では妹を褒めてね。」
私が、カウンセリングを受けながら行っている過去の見直しについても話したのですが、これについては過去にこだわることがやはり嫌なようで・・・・・
結構、感情的な母でした。
でも、今の会話でも、私が今までこだわっていたことが解けたこと、そして同じようなことがあった時、もうこだわらなくてもいいことを話しました。
なんとなくしか伝わっていないようでしたが、私にとっては今まで話せずにいた素直な自分の気持ちが話せたこと良かったなと思います。
お正月は、そのままで終わってしまっていたモヤモヤを取ることが出来ました。
話すのが大切なこと、母にも伝わっていればいいけどなと思います。
ライブハウスに行くのはもう18年ぶりでした。
立てノリで楽しみながら、高校生・短大の時は、こうやってロックやパンクを聴きながら、何もかも忘れていたことを思い出しました。
でも、ちょっと今までのコンサートでは味わったことのない違和感を覚えました。
誰もが好きなスタイルで、音楽を楽しむというのが私の中の定番だったのに、曲によってみんなが同じ動きをしたりして、ファンにとっては一体感を楽しんでいるのだろうけれど、初めて行く私にとってはちょっと疎外感というか、なんだかそれに捉われて楽しめない印象を受けました。
妹と友達といる時には、
「すごいノリだね~。ファンが団結してるよね。」って褒めていたのですが、妹と二人になった時、
「アイドル歌手みたいに親衛隊って雰囲気があるよね。」って言ってしまいました。
私にとっては、素直な意見のつもりだったのですが、
「そういうのは嫌だね。」と話をしなくなってしまいました。
家に着くなり、留守番していた母に
「お姉ちゃんが、アイドルみだいだって言った。友達の前で言わなくてよかったよ。」と言いました。
そこで母が、
「口は、災いの元。一言多いよ。」と言いました。
私は、黙っていたのですが、とても嫌な気持ちになりました。
一つは、母に言いつけられたと思ったこと。
子どもの時から、妹がなんでも私のことを母に話していました。
私にとっては、言われたくないこともたくさんありました。
そして、母が妹に私のことを聞き出していることもありました。
なんとなくなのですが、妹がスパイのような気がしていました。
妹が同じ職場に入ってきた時に、私は不倫を辞めました。
今も、同じマンションに住んでいます。
別に、妹は何気なく母に言ったのかもしれませんが、たぶん私は過去の出来事から告げ口をしていると感じてしまったのでしょう。
二つめは、私はただ意見を述べただけで、妹の好きなバンドを非難するつもりもありませんでした。
逆に私が、誰かにそう言われたのなら、そういう風にみえるのかなと思うくらいです。
それなのに、私が言ったことを母が咎めているように、怒られているように感じてしまいました。
その後、お風呂に入っている間、ずっと煮え切れない気持ちに包まれていました。
私が、悪かったのか自問自答を繰り返しました。
結局、風呂上りに母にその気持ちを話してみました。
私が言ったのは、非難するつもりでも馬鹿にするつもりでもなかったこと、それに対して、妹が怒るのは間違っているのではないかということ。
そういう考え方もあるんだなと受け止めればいいのではないかということ。
妹が、母に言いつけたという気持ちになったこと。
母が妹の見方をして、私のことを怒ったこと。
私が言ったことは、一言多いとは思わないこと。
そして、コンサートの状況を話しました。
母の考え方はこうでした。
妹が言ったことで、
「友達の前で言わなくてよかったよ」が「友達の前で言わなくてもいいじゃない」と聞こえたこと。
別に、妹が怒っているようには聞こえなかったこと。
咎めたり、怒ったりするつもりではなくて、そういうこともあるからねというつもりで「口は災いの元」と言ったこと。
何か機会がないと、こういうことは教えることが出来ないから・・・・でした。
私「妹が怒って投げ捨てるように言ったから、最後が聞き取りにくかったんだと思う。バスの中でも、その後話をしなかったよ。
私は、それに対して、怒られたと思っていた。」
母「いい子にしようと思って、ことあることに話してきただけで、別に今そういったことに意味はなかったよ。
何もない時には言えないからね。」
私「でも、その時に言われると、怒られたと思ってしまうよ。」
母「それは、伝わっていると思っていた。」
私「伝わらないよ。今までもそう思ってきたよ。
それに今まで、こうやって自分の気持ちを話そうとすると『しつこい』って取り合ってくれなかったじゃない。
それで、ずっと言いたいことも言えずに、誤解も解けずに来たよ。」
母「(感情的に)今までの私の育て方、全部が悪かったと言うの!!」
私「違うよ、違うよ。そうじゃないよ。お母さんの気持ちは分かっていたよ。
でもこうやって、私はそう言われると、もういいよってお母さんの機嫌を取らなくならなくちゃいけなくなる。」
母「機嫌を取るってどういうこと!」
私「そうやってお母さんが怒ってしまうと、もういいよって言いたいことがいえなくなってしまうよ。
そんな気持ちにさせて悪かったって、謝らなくてはいけなくなるよ。
今までもそうやって来たよ。
でも、今こうやって話したことで、今までのコミュニケーションが間違っていたことに気が付けたじゃない。
私が勝手にそういう風に取っていた部分もあるし、第三者が見てどんな風に判断するかは分からないけれど、きちんと伝わっていなかったことは事実でしょ。
でも、これからはお母さんが言ってくれたことを、怒られているとかではなくて、きちんと受け止めることが出来るでしょ。
しつこいって言われて、そういう解ってもらいたい気持ちをいつも我慢するしかなかったよ。」
母「(冷静になって)揉めたりするのがめんどくさかったし、嫌だったからね。」
私「揉めるんではなくて、自分の気持ちを伝えることは大事だと思うよ。」
母「親子だったら伝わると思っていた。」
私「伝わらないよ。親子であっても、夫婦であっても伝わらないよ。
同じ人間じゃないから、言葉にしなくちゃ伝わらない。
そう言えば、妹は、『お姉ちゃんだけ結婚の時、祝福されたとか、お姉ちゃんのことだけ褒めるって言っていたよ。」
母「どういう意味??」
私「たぶんね、お母さんは私の前では妹を、妹の前では私を褒めてきたんじゃないの?
私は、妹にそう言われた時に、それって逆じゃないって思ったけど言い返せなかった。
でも、あとになって、妹の前では私を褒めてたんだって気が付いたから、気にならなくなったけれど、それまでは妹ばっかり褒めてって、ずーっと思っていたよ。
例えば、幼稚園のお遊戯のことなんかもずっと褒めていたじゃない。
妹ばっかり褒めるって悲しかったんだからね。」
母「伝わってると思っていた。」
私「伝わっていないから、妹もそんなこと言うんでしょ。
私がこういったからと説明しなくてもいいから、今度からは、私のことは褒めなくてもいいから、妹の前では妹を褒めてね。」
私が、カウンセリングを受けながら行っている過去の見直しについても話したのですが、これについては過去にこだわることがやはり嫌なようで・・・・・
結構、感情的な母でした。
でも、今の会話でも、私が今までこだわっていたことが解けたこと、そして同じようなことがあった時、もうこだわらなくてもいいことを話しました。
なんとなくしか伝わっていないようでしたが、私にとっては今まで話せずにいた素直な自分の気持ちが話せたこと良かったなと思います。
お正月は、そのままで終わってしまっていたモヤモヤを取ることが出来ました。
話すのが大切なこと、母にも伝わっていればいいけどなと思います。
昨今の若い母親の掲示板なんてのを
見てると「駄目な母、駄目なママ」と
自分をこき下ろしてる。
もっと自分に優しくしようよ。
「私はあーして欲しかった」
「こうして欲しかった」って
「仕方なかった」
「一生懸命やってた」といつも言い訳ばかりで満たされなかったんですね
それが祖母が亡くなって母も自分の時間ができるようになると
「本当だよね。」と感慨深くため息をつくようになったんです
私にも振り返る時間が必要なように
母にも時間が必要なのかもしれないと思うようになりました
ねこさんも自分を伝えることが出来てよかったですね
受け取った人がどう感じるかはコントロールできないですもんね
伝えることが大切なんですよね。
でも、どうしてもそんな風に考えてしまう。
自分に優しくできなくちゃ、
他人にも、子どもにも優しく出来ませんよね。
そのことに気が付くまで、長い年月を要してしまいました・・・・
安心しました。
言わずに済ますことも出来るのでしょうが、これからの関係を考えると、今、伝えることが大切なのかなと思っています。
まだまだ、親子といえど分かっていない部分がたくさんあったのだろうなと思います。
分かってくれているというお互いの思い込み。
母に、過去の想いを伝えていると、
「そうやって悪いことばかりしかなかったの!!」って怒られました。
「そうじゃないよ。今の仕事をしている事だって、お母さんから受け継いだものだし、いい事もいっぱいあるよ」って言うと、
「いいことはちっとも言ってくれないじゃない・・・」
って言われました。
「それは、お母さんも一緒でしょ。
褒めてもらって育たなかったのに、褒めるのが下手で、いいこと伝えること出来ないのは、仕方ないと思うよ。
でも、今それを話すことで、お互いに気をつけることも出来るし、お互いの気持ちを分かりあえるでしょ。
過去を見直すことで、今からの関係を作れるんじゃないの??」
と言うと、少し、納得していました。
母の場合、両親が亡くなっていて、もう完結と思っているのでしょうが、あと20年くらいは元気でいてくれそうなので、もっといい関係が築けるかなと信じています。
時間が掛かると思うけれど、これまでの関係をもう一度作り直すことが出来たらいいなと思っています。
今まで、伝えることが出来なくて、結局はよりよいコミュニケーション方法を学んできていなかったのだなと改めて思います。
気持ちを飲み込んでしまう、我慢すればいいって思ってたこと、他でも上手く伝えることが出来たらいいなって思います。
それから「橋田寿賀子」シリーズは欠かさずみてます。
母親世代は「我慢」がキーワードのドラマが共感を感じるようです。
今の60代とその母親世代は同じ主婦でも
かなり文化が異なります。
ちょうど60代が10代のころは着物はほとんど着てません。
しかし、祖母の時代は(住んでる土地にもよります)
洋服を着る経験がほとんど無い。
だから70歳以下になると「自分で着物が着れない」
電化製品も都市部が先に導入されるので
昭和30年以前になくなった人は
「冷蔵庫、洗濯機など」を知らずに苦労だけして
しまったと。
生活様式が祖母の時代と母の時代において
全然違うのでとまどいも多かったはず。
おそらく私の祖母は「テレビ」を知らないで
死んでいったと思う。
話がかなりずれましたね、ごめんなさい。
少しでも伝わればいいと・・・
そう思えるのはすごいことだと思います。
私も、一度母に自分の思いをぶつけてみた
ことがありましたが、
「本当の娘だと思って育てたのに!
私の気持ちは伝わってなかったのね!!」と
号泣されてあきらめました。
そんなこと言ってないのに・・・
ただ話を聞いて欲しかっただけなのに・・・
そのときは自分自身でも
何が伝えたかったのかよくわからなかったので
仕方なかったとも思います。
ただ、そのほかにもとても無神経な言葉を
平気で投げかけてくる母に、
私は大分あきらめぎみです。
家事に育児に忙しくしていた頃は、色んなこと考える時間もなかったでしょうね。
私も、事実そうでしたもの。
時代の流れに乗れる人と、乗れない人。
また心も付いていける人といけない人。
それぞれが違った人生を歩むのでしょうね。
何がいいのか、どれがいいのかを選ぶのも決めるのも、結局は自分なのでしょうね。
改めて、感情的だなぁって、母のことを客観的に見てしまいました。
いつも、私には
「感情的になったら負けよ」なんて言ってるのに。
>そんなこと言ってないのに・・・
ただ話を聞いて欲しかっただけなのに・・・
そうなんですよね。
でも、感情的になられると、どうしても飲み込んで諦めてしまう。
私も、ずっとそうでした。
でも、母のことを大事に思うからこそ、母が生きているうちにもっと分かり合いたいなと思うようになりました。
私も、まだまだですが、感情的にならずに、そして相手が感情的になってもそれに反応することのないように務めてみました。
うちの母も、自分の子どもには何を言っても伝わると思っているところがあって、きつい言葉をしょっちゅう投げかけてきます。
まぁ、親心っていうのは分かるんですけど、傷つくんですよね(T_T)
返事は、「そんなことで傷つくあんたがおかしい、どうかしてる」でした。
傷つけておいて、そのせりふってドウよ?!と私は心底から腹立ちを覚えましたが、この人には何を言ってもダメなんだ、この人にとって全ては自分の問題じゃないんだ、とあきらめの感情を感じました。
最近、ACを克服するために必要な「親との対決」は「実在の親」ではなくて「インナーペアレント」だと読んでちょっとホッとしてるのですが・・・それって逃げでしょうか?
私も、今回のやり取りで、
「そんなに気にするようなことではないじゃない。気にし過ぎ、考え過ぎじゃないの?」
と言われました。
「ちょっと自分が勉強したからといって、頭でっかちになって、全てを過去と結びつけるのはどうかと思うし、今更過去のことを、ああだったからこうなったって気にしてどうするの?」
とも言われました。
この点についてはもう、母が実際に気が付くまでは、言っても無理なんだろう、理解してもらえないのだろうなと思っています。
>最近、ACを克服するために必要な「親との対決」は「実在の親」ではなくて「インナーペアレント」だと読んでちょっとホッとしてるのですが・・・それって逃げでしょうか?
前回のカウンセリングで、今の母との関係と、昔の母との関係は別で、そこに線引きが出来ると回復が進むと言われました。
昔の関係によって傷ついた自分を癒すことが大切だそうです。
そういう傷ついた自分を癒すことで、今の母との会話においても、無用な感情は引き出されなくなってくるのかもしれませんね。
でも、うちの母の言わなくても分かる、親子は、一心同体だという思い、子どもの為には何を言っても良いという考え直してもらわないと困りますが(^^ゞ
だいたい、もうすぐ38歳の娘にしつけるつもりがあるっていうのもどうなのかしら。
そんなこと言われなくてもわかってるんだけど、そこを、またかと思いながら「はい、はい」って聞けるようになるといいのかなぁ・・・・・・