私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

こころの日

2006-07-02 21:22:10 | 日々つれづれ
7月1日はこころの日。
今、催事に出展していて、いつもなら自転車で通勤だけど、たまたま雨のためバス通勤。
デパートに向かう地下道の広場でイベントが行われていた。
精神障害者の方々の写真とその写真に合わせた筆文字の言葉。

その笑顔が、純粋で、とても素敵で…
それを見ていて、ふと思い出した。
人を蹴落とすような職場の人間関係の中で、私は傷つきボロボロで、それを癒したいと通った学校でさえも、強欲主義で利己主義で、目先のことばかりで中身のない学校で、でも、中身を見ようともせず、あちこちの公共団体から評価を受けていて、世の中何を信じていいのか判らない状態だった。

そんな時、知り合ったのが、精神障害者の授産施設。
一緒に、花壇の花を種から育てたり、野菜を植えたり、パンの販売に行ったり、内職をしたり。
誰かの上に立つこともせず、誰かを支配しようともせず、他の誰かを思いやって、傷つきやすい心を持っていて、迷惑を掛けないようにと一生懸命生きていて…

私は、そこで感じた。
病んでいるのは、どちらの人間なのかと。
障害者として生きているみんなの方が、人間らしくて温かくて。
自分はおかしくないと思って生きている人間の愚かさを、つくづく思った。

精神障害者だからと、籍を入れることが出来なかったり、親からすら冷たくされ、家を追い出されたり、子供を持つことが出来なかったり、そんなたくさんの悲しみを抱きながら、とても親切に優しくして貰った。

最初は、ボランティアで、その後、実習をさせていただき、そしてボランティアとして通い続けた。
自分が本当にボランティアの立場でいいのか考えたこともあった。
もちろんメンバーの方々は、僅かではあるけれど給料が出ていたので、無賃であった私はボランティアなのだけれど、なんだか対等でいたかった。

通所施設で押し花ではがきを作ったり、編み物を教えたりもさせていただいた。
でも、私にとって、とても居心地のいい場所だった。
いつも誰かの笑顔があった。
それは嘲笑ではなく、純粋な笑顔で、私の心は癒された。

片道一時間以上掛かって、バスも乗り継いで、坂道を登って、途中から妊娠してつわりもあったのに、何故かずっと通った。
きっとそれは、誰かのためにではなく、私のために通い続けたのだと思う。

傷つき疲れた私は、たぶんそこで人間らしい感情を少しずつ取り戻せたのではないかと思う。
今はもう、そんな人を平気で傷つけることの出来るような人たちの中で暮らしたくない。
競争なんてしたくない。
笑顔の中で暮らしていたいと思う。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アコ)
2006-07-02 21:41:29
こんばんわ^^

わかるような気がします・・・。

私はそういうボランティアは、学生の頃に一度やったきりでした。

でも、そのときの感覚は今でも覚えています。

今は、人間不信なので、余計に思い出します。

障害者ってなんだろう。

何を持って、障害なんだろう。

マイノリティーは障害者。

マジョリティーが健常者。

でも、マイノリティーのほうが

正しかったり、暖かかったり、優しかったり

そんなこともありますよね。

そう考えると、常識って、普通ってなんだろうって、深く考えてしまいます。

多数が言えば、それが当たり前になってしまうことは、怖いことです。

私も、笑顔でいたい、そう思います。



アコ***
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精神障害 ()
2006-07-02 21:53:01
知人に心に障害があり、結婚や子供を諦めてるひとも

何人かいます。

心に障害がある人同士が「揉める」と悲惨です。

「お互い同じ病なんだからわかってくれるだろう」と

依存してしまうと。

傷つけあい、自分を責めてしまうのだ。



いい意味での距離感が取れず「思い」が先行してしまい伝えられず。



辛い辛いといってます。

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アコさんへ (ねこ)
2006-07-03 00:57:19
そうなんですよね。

何を基準に、障害というのだろうと考えさせられてしまいます。

目に見えるのも、それだけではないですよね。

本当は、みんな平等で、数値では表せないところで、輝いていたり、他の人より優れていたりするのではないかと思います。



基準値が、多くがそうであるから、そうでない人は、障害だとか、異常だとかいう決め付けっていうのが一番怖いです。

しかも、それを表す言葉を次々と変えていく。

例えば、分裂症から、統合失調症とか、ボケから痴呆になり認知症となり……

そうやって言葉を変えてうやむやにしたり。

そもそも、汚い言葉とか差別的な言葉とされるものは表現が変わります。

厠が、便所に、トイレにと変わっていくように……



言葉を変えることよりも、もっとそのことから逃げないで、

きちんと症状なり、どういうものかということをきちんと言葉で表し、一人一人違うところもあり、それが人間なんだと認め合えることが大切なのではないかなと思っています。

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望さんへ (ねこ)
2006-07-03 01:03:13
>心に障害がある人同士が「揉める」と悲惨です。



これは、障害があるから云々よりも、誰にでも起こることではないかと思うのです。

特に、精神障害は、自分が生き辛さや、症状を自覚して初めて障害と認められるケースも多いのです。

逆に、怖いのは、そういう人を馬鹿にしたり、差別が出来る人じゃないかと思うのです。

自分が気付いていないだけで、自分はまともな人間だと思っているだけで、

一番卑しい、心の貧しい人だと感じます。



>いい意味での距離感が取れず「思い」が先行してしまい伝えられず。



辛い辛いといってます。



自分で、認識しているだけで、すばらしいと思います。

自分だけは、人を傷つけていないと思っている人よりも、よっぽどいいと思います。

でも、大概にしてそういう人が、人の上に立ったり、認められたりしているのですよね。

悲しいです。
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Unknown (とんび)
2006-07-03 08:12:45
ステキな体験です~~。

私も福祉の仕事をさせてもらってたのですが、

今こころを支えてくれるのは、痴呆でも

桜の花をふかぶかとながめる方の視線や

言葉は通じなくても、暖かい交流を持った方との体験です。

普通と普通でない境界線は、人間がひいているもの。

そもそも普通って何だろう。

それぞれが個性に輝いてますよね。私は生きる力をもらいました。

四葉のクローバーだって、人間界からみれば、障害にはいるであろうに、食べ物や植物など貴重なものはハッピーの象徴だったりする。

私のこころをひろく豊かにするものは、

名誉や権力ではない。

きっとそう思います。

そう言葉だけ変えても、うやむやになるだけですよね。

いいですね、あみもの教わりたい(笑)授産施設の方もきっと楽しまれたと思います。
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とんびさんへ (ねこ)
2006-07-05 16:12:38
こんにちは。

コメント遅くなってしまいました。



>言葉は通じなくても、暖かい交流を持った方との体験です。

普通と普通でない境界線は、人間がひいているもの。

そもそも普通って何だろう。



本当にそうですよね。

個性は異質なものではなく、その人の宝物であって欲しいと思うのです。



誰もが、同じであるように形を決めてしまおうとするから、差別が生まれる。



服装や、学歴や、職業や、そんなものに囚われない生き方をしていきたいなと思っています。



編み物、楽しいですよ。

時間はかかるんですけどね、それがまたいいのでしょうね。
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