仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

なでしこジャパン:ロンドン五輪出場決定おめでとう!

2011年09月10日 | 

  ただただありがとう!日本に元気をありがとう!

  

 
だらしない政治屋にくらべてね!まさになでしこ!

 
ムードメーカーの丸山選手は貴重なモノを公開してくれました

 

 

<なでしこジャパン>平均視聴率 後半25.2% 最高29.7% 五輪アジア予選北朝鮮戦

  中国で8日に行われたサッカー女子ロンドン五輪アジア最終予選の第4戦・日本対北朝鮮戦(NHK)の番組平均視聴率は前半が19.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、後半が25.2%だった。最高視聴率は、試合終了直後の午後6時20分の29.7%だった。


 3連勝で首位の日本は、後半38分に相手のオウンゴールで先制したが、ロスタイムで同点ゴールを許し、1対1で引き分けた。出場権の獲得はこの時点で持ち越しとなったが、同日行われた中国対オーストラリア戦で中国が0対1で負けたため、日本は出場権を得られる上位2位以内が確定し、3大会連続4回目の五輪出場が決まった。残り1枠は、北朝鮮、オーストラリア、中国の3チームに絞られた。

 日本は11日、最終第5戦で地元・中国と対戦する。(毎日新聞デジタル)


鉢呂経産相:これでは罷免だ!  莫迦で幼稚な言動!

2011年09月09日 | 軽薄・愚行

 鉢呂氏の言動をみていると前松本復興相を思い出す。これは確信犯だなと!

 「死のまち」発言でも阿呆だと思ったのに、こんどは幼稚園児並みの「放射能くっついた!」発言、これは確信犯ですな!

 

 野田総理がまともなら罷免の判断をすべきだ!愚かすぎる!大馬鹿だ!

 
「ただちに適格性につながるかというと私はそうは思わない」
立場だからそういうだろうが、それが支持率を一気に下げることになるのよ!

 そうか野田氏は支持率を気にしないとか言ってましたね!

でもね、党派性のないまともな人間は、

「適格性に欠ける」と思うと思うよ!

<鉢呂経産相>「放射能つけたぞ」記者に防災服をすりつける 毎日

 鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第1原発の視察を終えた8日夜、東京都内で報道陣の一人に近寄って防災服をすりつける仕草をし、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした。不用意な行動と批判されるのは必至で、原発を所管する担当閣僚としての資質が問われそうだ。

 鉢呂氏は防災服をすりつける仕草をした後、記者団に「除染をしっかりしないといけないと思った」と強調した。報道陣は、鉢呂氏の福島第1原発の視察後の見解を聞くため、取材していた。鉢呂氏は9日、仕草について「厳しい状況だったということを話した」と周囲に釈明している。

 鉢呂氏は9日午前の会見で、福島第1原発の周辺市町村を「死の町」と発言。野田佳彦首相が訂正を求め、鉢呂氏は同日午後の会見で発言を撤回し、陳謝した。鉢呂氏は8日、野田首相に同行して福島第1原発や同原発から半径20キロの警戒区域を視察していた。

 

経産相“放射性物質うつった”発言  NHK

 鉢呂経済産業大臣は、野田総理大臣とともに福島県の被災地などを視察したあと、8日の夜、都内の議員宿舎に戻った際、記者の体に触れるようなしぐさをしながら、「放射性物質がうつった」などという趣旨の発言をしていたことが明らかになりました。鉢呂大臣は、周辺に対し「厳しい原発の現状などを記者団と共有したいという思いだった」と釈明しています。

 鉢呂経済産業大臣は、8日、野田総理大臣とともに、福島県の被災地や福島第一原発の状況などを視察しました。そのあと鉢呂大臣は、都内の議員宿舎に戻った際、記者団に対し、原発の状況や作業員の仕事ぶりについて説明する中で、記者の体に触れるようなしぐさをしながら、「放射性物質がうつった」などという趣旨の発言をしていたことが明らかになりました。これについて鉢呂大臣は、周辺に対し「厳しい福島原発の現状と作業員の懸命な努力の様子を、記者団と共有したいという思いだった。誤解を与えたのであれば、自分の本意ではない」と釈明しています。鉢呂大臣は、9日の記者会見で「東京電力福島第一原子力発電所の周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形だった」と発言し、その後、改めて記者会見して、「被災者の皆さんに誤解を与える表現だった」と述べ、発言を撤回したうえで陳謝しました。

 

 


島田紳助:会見での内容は嘘と判定!

2011年09月09日 | 軽薄・愚行

  もとより誰もその言い訳内容を、すべて信じていたわけではないだろうが、その「写真」が某週刊誌に載り、内容が一部嘘であることが判明した。

 「あるわけない」とは、撮ったけど残っているわけないということを言いたかったのだろうか?

  引退会見以来、様々なメディアが氏の芸能界と実業界での裏の貌を暴いているが、どれも確たるものがあるとは言えないものが多く、憶測の域を超えていない。

  しかし、この写真はねつ造ではないだろう。

  氏は切腹すると言い放ったが、その意味はなんだろうか?武士でもない人間が切腹などと片腹痛いが、軽々しく使う神経は許せない。

  せめて準ずる行為をとは思うが、もはやその勇気もないだろう。

  氏はこのまま早い晩節を汚したままでいくのだろうか?いくんだろうな。


まぁ芸能人はこの程度ということね。

特に紳助の場合はこれからたくさんの浅ましい裏の貌が明るみに出るだろう!

週刊ポストの記事は彼の人格のあまりの貧困さと傲慢さをあますところなく書いているのではないか?

 

 

紳助さん、暴力団幹部との2ショット写真あった!…「FRIDAY」が掲載

スポーツ報知 9月9日(金)8時2分配信

 9日発売の写真週刊誌「FRIDAY」が、暴力団関係者との親密な関係を理由に芸能界を引退した元タレント・島田紳助さん(55)と暴力団幹部とのツーショット写真を掲載している。紳助さんは8月23日の会見で「(暴力団に)手紙を送ったとか、写真があるとか…あるわけない」と話していたが、発言の信ぴょう性を否定しかねない写真が出てきた。

 同誌によると、紳助さんと肩を寄せ合って写真におさまっている人物は、紳助さんが会見で「Bさん」としていた指定暴力団山口組の幹部。同誌は、紳助さんがその幹部と写った写真は「大阪府警が見つけたものだけではなかった」としている。

 紳助さんは会見で「Bさん」との関係について、「Aさん」こと元プロボクシング世界王者・渡辺二郎被告(56、恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)の仲介でトラブル解消を依頼したと明かしたが「直接会ったのは十数年で5回程度。交際とか交流とか認識はなかった」と釈明していた。

 紳助さんが所属していた吉本興業はこの日、所属タレントや従業員が暴力団などによるトラブルを相談できる窓口を新たに設ける方針を決定したが、そのきっかけになった紳助さんと暴力団の濃厚な関係を示す写真について同社の広報担当者は「写真の存在は知らなかった」と説明。さらに「そういう写真があるかないか本人に聞いたことはあるが、『ない』と答えた」と、紳助さんがウソをついていたとの認識を示した。また吉本興業が設定した引退会見で紳助さんが虚偽を述べた可能性が出てきたことに同社の道義的責任については「本人の問題」と否定している。
 
女性タレント 紳助より先にタクシー乗りキレられ土下座謝罪

 突然の引退発表後、数々の過去のエピソードが各所で報じられている島田紳助(55)。1年ほど前には、こんな事件もあった。

ある日、20代前半の女性タレントA子が、マネジャーBと一緒に新幹線で大阪に向かっていたときのこと。東京・品川駅から紳助がマネジャーと乗り込んできた。

「A子とBは、紳助さんにそれとなく気づいていたはずなんです。でも新幹線内では席も離れていたこともあり特に挨拶に行くこともなく、結局新大阪の駅で降りた。そしてタクシー乗り場へ向かったんですが、その後ろから紳助さんがやってきたんです。そこでふたりは紳助さんに会釈をし、紳助さんより先にタクシーに乗って、仕事のためあるテレビ局へ向かった。その仕事が、紳助さんの番組だったことで、その後、大変な騒ぎとなったんです」(芸能関係者)

紳助は楽屋に到着するや、A子のことにふれ、

「アイツ、うちの番組に出るんやろ? アイツ、出さへんで。違うタレントを探せ!」

と怒鳴りまくった。とはいえ収録開始まで30分ほどしか時間は残されていない。A子とBはもちろん、スタッフも一緒になって土下座して謝った。すると紳助はこういった。

「おれもな、困るわけや。30分以内に別なタレントなんて、いるわけあらへんのやから。でもな、絶対許さへんで!」

泣きじゃくって何度も謝るA子に紳助はこういい放った。

「お前は悪くない。マネジャーが悪いんや。でもな、お前はうちには出さへんで」

そんな急な時間で代わりのタレントが見つかるはずもなく、最終的にはA子は番組に出演した。しかしこの一件が原因かどうかはわからないが、その後、A子は芸能界を引退している。

※女性セブン2011年9月22日号


大川小児童遭難死:人災の可能性が高まる

2011年09月08日 | 怒髪衝天

  拙が何度も指摘してきたようになってきたようだ。

  あの大川小の悲劇だ。

  関係者の証言をつなぎ合わせてみれば、大川小がいかに津波に鈍感であったか、つまり安全対策を怠っていたが明白になってきた。校長は私用で不在という管理職の使命の希薄さ、教頭は安全対策もないし、上司たる校長が不在でその職務を代行する気迫もなかった。賢明な判断をした教務主任は何人かの児童を救う結果になったものの、愚か管理職のためにその他の児童を救えなった。

  学校は子供が安全に帰宅させることが当然なのに、それができなかったのは県教委をはじめとする各級教育委員会がまともに機能していなかったからだ。

  それらの犠牲になったのが子供たちや子供を守ろうとした現場の教員たちだ。委員会も含めた管理層は全く無能だった。

  確か近隣の学校は校長の適切な判断で被害を少数に終えることができたのだという。それを聞くにつけ、大川小の悲劇は一層の悲劇として歴史に刻まれるだろう。

 

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                      無能な上司はいらない、ということだ!

 

 

「学校前にバス待機」「全員が避難できた」 石巻・大川小  河北新報

 東日本大震災の津波で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になった石巻市大川小の惨事から、間もなく半年がたつ。河北新報社の取材に応じた児童や住民らの証言で、当時は現場にスクールバスが待機していたことや、高台への避難を相談していた状況が浮かび上がった。学校管理下で児童が犠牲になった事例として戦後最悪とされる今回の被害は、避けられた可能性もあると指摘する関係者もいる。(藤田杏奴、野内貴史)

 保護者らによると、地震が起きた午後2時46分は下校時間の直前で、スクールバスが待機していた。関係者は「バスで避難すれば助かった可能性もある」と指摘する。
 2年生の息子を迎えに来た父親(39)は午後3時10~20分ごろ、学校前の県道に止まっているバスを目撃した。男性運転手に「何してるんですか」と尋ねたところ、落ち着いた様子で「待機だねえ」と応じたという。
 バス会社の関係者は同じころ、無線で運転手に避難を呼び掛けた。ラジオは「(宮城県)女川町で車が流されている」と伝えていた。運転手が「子どもたちが出てこないんだ」と話したのを最後に、交信は途絶えた。
 バスの定員は45人。関係者は「無理にでも詰め込めば、児童全員が避難できた」と言うが、バスが出発することはなく、運転手も津波の犠牲になった。
 証言では、避難をめぐるやりとりも断片的に浮かんできた。
 児童たちがとどまっていた校庭では午後2時52分、防災無線が大津波警報を知らせた。午後3時10分ごろ、子どもを迎えに来た母親によると、「この山に子どもを上がらせても大丈夫か」と裏山を指す教頭に、住民は「ここまで津波は来ない」などと答えた。
 同じころ、学校を訪れた別の保護者は教師から「学校の方が安全だから残った方がいい」と言われた。保護者は「どこかに避難する雰囲気ではなかった」と語る。
 5年生だった只野哲也君も、6年生の男子が担任に「山さ逃げた方がいい」と訴えた姿を覚えている。「どうして山に行かないのかなあ」と思ったという。

◎体育館裏は傾斜緩い山道/「低学年でも登れた」

 石巻市大川小の児童が避難誘導された新北上大橋たもとの堤防道路の先には、津波で水があふれた北上川があり、子どもたちは次々と濁流に巻き込まれた。学校に最も近い高台は裏山だった。「なぜ、山に避難させなかったのか」。遺族の疑問は今も解けない。
 児童らは避難の途中、県道付近で津波に襲われた。迫り来る濁流に追い込まれた裏山の斜面は急な上に滑りやすく、登れた子は少数だった。付近では30人以上の遺体が見つかった。
 同じ裏山でも、学校の体育館に近い所は傾斜がなだらかだ。実際に子どもの足でも大丈夫かどうか。わが子を亡くした父親3人とともに8月末、この斜面を登った。
 児童らが待機していた校庭から、体育館の脇を通って裏山に向かう。登り口の幅は広く、踏み固めた山道もあって歩きやすい。屋根まで冠水した2階建て校舎(約10メートル)を見下ろす場所まで数分でたどり着いた。
 校庭に避難してから津波が襲来するまで、40分以上あったとみられる。「低学年でも十分登れる。5分あれば、全員避難できたはずだ」。父親たちは口をそろえた。
 「子どもたちはここに避難したとばかり思っていた。こんな近くに安全な場所があったのに、なぜ川の方に向かったのか」。5年生だった次女千聖さんを亡くした紫桃(しとう)隆洋さん(47)は悔しさをにじませた。
 宮城県の調査では、海抜約1メートルの大川小付近に残る津波の痕跡は高さ7メートル以上。住民によると、付近にいて助かったのは裏山に登ったり流れ着いたりした約20人と、釜谷診療所屋上の塔屋部分に避難した数人などわずかだったという。
 石巻市教委は2010年2月、津波に備えた危機管理マニュアルを作るよう市内の小中学校に指示。大川小の10年度マニュアルは津波の避難場所を「近隣の空き地・公園等」と定め、高台を想定していなかった。
 学校と市教委は裏山に避難しなかった理由を「現場にいた教師が『山に倒木があったように見えた』と話している」と説明している。
 裏山に逃げて助かった住民の一人は「山裾に津波で流されたり、折れたりした木はあったが、地震で倒れた木は見ていない」と証言している。


検証 大川小の悲劇

2011年09月08日 | 哀悼

 大川小の悲劇は、人災だ。そのことは歴史として遺さねばならない。危機管理のできなかった校長・教頭はできなかったのではない、無能だったのだ。

 現場を熟知していた教務主任は山への避難を主張していたではないか!

 

 

 

検証 石巻・大川小の惨事/証言でたどる51分間/黒い水、級友さらった

津波で壊滅状態となった釜谷地区。残った建物は大川小の校舎(中央左)と、道路を挟んだ釜谷診療所だけだった=4月8日、石巻市釜谷

 3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった石巻市大川小。あの日、あの時、学校と地域で何が起き、人々はどう行動したのか。河北新報社の取材に応じた児童や保護者、住民らのうち5人の証言で、地震発生から津波襲来までの51分間をたどる。

◎午後2時46分~3時37分・5年只野君
震える脚、駆けだす/なぜ裏山に避難しないのだろう

 当時大川小5年生(現6年生)の只野哲也君たちの教室では、帰りの会が開かれていた。午後2時46分。声をそろえて「さようなら」と言いかけた時、揺れは襲ってきた。
 突き上げるような縦揺れに、横揺れが続いた。ガタン、ガタン。物が倒れる音が響く。「机の下に隠れろ。机の脚を持つんだ!」。先生の声に、哲也君は机の脚を自分の脚で押さえようとしたが、「体が回るようだった」。
 長い揺れが収まると、児童たちは校庭に避難し学年ごとに並んだ。靴下のままの子、上着を着ていない子。おびえて泣きだす低学年の女の子もいた。

<無線は1回>
 「大津波警報が発令されました。早く高台へ逃げてください」。午後2時52分、石巻市河北総合支所の職員が防災無線で呼び掛けた。校庭のスピーカーからも聞こえた。哲也君の記憶では、スピーカーが鳴ったのはこの1回だけだ。
 先生や地域の人たちは輪になり、何かを話し合っていた。指示を待つ子どもたちの列は徐々に崩れ、それぞれ小さな輪になって話し始めた。
 哲也君たちの輪の中に、涙を流している男の子がいた。「大丈夫だぞ」「こんな所で死んでたまるか」。みんなで口々に強気な言葉で励ました。
 「山さ逃げた方がいいんじゃね」「早くしないと津波来るよ」。近くにいた6年生の男子は、担任に訴えていた。
 この間に、母しろえさん(41)が哲也君と3年生だった妹の未捺さんを車で迎えに来た。先生は児童と保護者の名前を照合し、引き渡していた。
 忘れ物があったのか、しろえさんはいったん自宅に戻ることになった。「おっかあ、ヘルメット持って行って」。母を案じた哲也君は自分のヘルメットを渡そうとした。しろえさんは「危ないから、自分でかぶっていなさい」と受け取ろうとしなかった。
 「すぐ戻るからね」。2人の最後の会話となった。

<遠回り経路>
 「整列して。これから三角地帯に避難します」。先生の指示で、児童は新北上大橋たもとの堤防道路(通称三角地帯)に歩き始めた。海抜約1メートルの校庭より6、7メートル高い場所だ。直線で約200メートル。なぜか釜谷交流会館の前を通り、住宅地を抜ける遠回りのルートが取られた。「山に登れるのに、何で三角地帯なのかな」と哲也君は思った。
 高学年を先頭に、低学年が続いた。「津波が来ているから急いで」。教頭の声をきっかけに、みんな小走りになった。住宅地を抜けて県道を曲がった時、新北上大橋に波しぶきがかかるのが見えた。黒い水が堤防を越えて来た。
 がくがくと脚が震えて動けない。「授業中に寝ちゃって、夢を見ているのかな。でも、こんな長い夢はないよな」。次の瞬間、右脚が動いた。振り向き、裏山を目指して駆けだした。
 低学年の児童は、哲也君たちが走ってきた理由が分からず、きょとんとしていた。腰を抜かしたり、四つんばいになったりしている友達や先生の姿も目に入った。その中に柔道仲間の6年生の男の子がいた。「行くべ」。襟を何度も引っ張ったが、立ち上がれない。水の塊が近づいてきた。
 懸命に裏山をはい上がった。3メートルぐらい登ったところで「後ろから誰かに押されているような感じがした」。津波だった。頭から水をかぶると同時に、必死で木につかまった。土の中に押し込められるような激しい衝撃とともに、気を失った。

<はって進む>
 「てっちゃん、大丈夫か」。同級生の男の子が土をかき分け、助けてくれた。男の子は左手を骨折していた。津波にのまれたが、浮かんでいた冷蔵庫の中に入って、裏山にたどり着いたという。
 「助けてください。公民館があった場所の後ろの山にいます、助けて」。哲也君は震えながら、声を張り上げた。同じ裏山に避難していた大人たちが声を聞きつけ、来てくれた。雪をしのぐため、竹やぶに移動することになった。
 この時、哲也君は、足に力が入らないことに気付いた。「はってでも歩かいん」。おじさんに励まされ、何とか竹やぶに着いた。その日は山で一夜を明かした。
 避難所で父英昭さん(40)と再会できたのは、3月13日だった。「いつも強いおっとう」の涙を初めて見た。
 大川小にいた児童で、助かったのは4人だけ。津波は友達だけでなく、母と妹、祖父弘さん(67)を奪った。
 哲也君は津波にのまれた時、顔に大けがをして、しばらく物が二重に見えた。でも、しろえさんが「かぶっていなさい」と言ったヘルメットに守られた頭は無事だった。「おっかあが守ってくれた」。そう信じている。

◎3時30分~37分・住民高橋さん
避難の叫び届かず/「大丈夫」顔見知り、笑顔で手振る

 石巻市釜谷地区に住む高橋和夫さん(63)の自宅は北上川沿いを流れる富士川の堤防近くにあった。揺れの直後、外へ出ると、近くの畑からぶくぶく泥水が湧いていた。
 「宮城県沖地震の時と一緒だ」と思ったが、津波が来るという危機感はなかった。家に備え付けの防災無線は鳴らず、大津波警報は知らなかった。
 「おい、堤防から水越えてるぞ。津波じゃないか」。午後3時半ごろ、近所の人の叫び声が聞こえた。北上川からあふれた泥水が約4メートルの堤防を越え、並行する富士川に流れ込んでいた。みんな慌てて車に乗り、避難を始めた。高橋さんも軽乗用車で堤防沿いを飛ばした。「逃げるならあそこしかない」。目指したのは大川小の裏山だった。

<外で世間話>
 県道沿いの住宅地では、まだ多くの住民が外で世間話をしていた。「逃げろ! 津波が来るぞ!」。窓を開けて怒鳴る高橋さんに、顔見知りは「大丈夫」と笑顔で手を振った。「危険と受け止めてくれる人はほとんどいなかった。みんな、津波が来るなんて想像していなかったんだ」
 裏山まであと少しのところで、いとこ夫婦が釜谷交流会館の方から来た。「駄目だ、戻っちゃ駄目だ」と説得したが、「家におばあさんがいるんだ」と応じない。引き留められなかった。

<「何でまだ」>
 裏山に着く寸前、校庭に子どもたち数十人の姿を見た。釜谷交流会館の前にも10人ぐらいいる。「何でまだここに」。裏山のふもとに車を止めて降りた時、背後から「ドーン」と重い響きが聞こえた。振り向くと、家が壊れるバリバリという音と、煙のような黒い壁が迫ってきた。
 「上がれ、上がれー!」。山に向かって走りながら叫んだが、みんな次々と水にさらわれていった。高橋さんも後ろから、津波の気配を何度も感じた。追い付かれまいと、斜面をはい上がった。
 眼下には水にのまれた集落が広がっていた。2階建ての校舎も体育館も濁流にのまれ、辛うじて見えた校舎の屋根にはがれきが乗っていた。
 しばらくして、助けを求める声が聞こえた。声を頼りに山沿いを歩いていくと、がれきだらけの泥水の中、木の枝をつかんで懸命に耐える女性や子どもの姿があった。
 「今助けてやっからな」。まず小学校低学年の女の子に手を伸ばした。水に落ちながらもやっと手をつかみ、周囲のがれきでけがをしないよう、そっと引き寄せた。その後も5、6人は助けただろうか。校舎側の斜面でも、波に運ばれてけがをした中学生を救出した。
 雪は本降りになっていた。みんな唇は紫色で震えていた。「ここにいたら凍死する。竹やぶに移動しよう」。全員が高橋さんに従った。別の場所で助かった只野哲也君や石巻市職員らも合流した。
 救えない命もあった。川から内陸へ流されながら「助けてー」と叫ぶ子どもたちがいた。声の方向に目を凝らした。流れが急な上、がれきや建材に阻まれて姿が見えない。声は次第にか細くなり、遠ざかっていった。
 「自分一人ではどうしようもなかった。でも、助けたかった」。高橋さんは涙を浮かべた。

◎2時57分~3時29分・児童の父親三條さん
校庭の妻から伝言/とんでもないことになっている

 携帯電話のボタンを何度押してもつながらない。北上川下流の石巻市長面に住む三條真一さん(44)は車で自宅方面に向かいながら、妻早苗さん(48)と高校1年の長男友輔君、大川小3年の次男皓聖(こうせい)君の無事を確かめたくて、やきもきしていた。
 「道路はほとんど地割れしているので気をつけてください」。午後2時57分、友輔君が携帯電話のメールで大川小付近の道路の状況を伝えてくれた。早苗さんの車で皓聖君のいる学校を目指していたとみられる。
 「大変だ。とんでもないことになっている」。午後3時11分、早苗さんは災害用伝言サービスにメッセージを残していた。三條さんは「やっとしゃべっているような、震えた声だった。大川小に到着し、校庭の混乱ぶりを伝えようとしたのではないか」と推し量る。
 学校まで5キロに迫った午後3時15~20分ごろ、北上川をさかのぼる流れが見えた。津波の第1波で、「堤防を越えるかと思うくらいの勢いだった」。慌てて近くの山に避難した。
 三條さんは何度か下流に向かおうとしたが、通行止めで近づけなかった。大川小の被害を知ったのは2日後。妻と2人の息子は遺体で見つかった。
 震災から4、5日がたち、ようやくつながるようになった携帯に1通のメールが届いた。「友と皓と小学校にいます」。送り主は早苗さんだった。受信日時は3月11日午後3時29分。津波が襲来する直前に発した最後のメッセージとなった。

◎3時20分~37分・市職員山田さん
まるで滝、堤防越す/濁流、駆け上がるように迫ってきた

 午後3時すぎ、石巻市河北総合支所職員の山田英一さん(56)は広報車に乗り、北上川下流を目指していた。海に面した長面・尾崎地区で水門の見回りや住民の避難誘導に当たるつもりだった。
 北上川の左岸沿いから新北上大橋を渡り、大川小のある釜谷地区を通過。海岸まで2キロ余りに迫った午後3時20~25分ごろ、海に閃光(せんこう)が走った。
 「何だ、あれ」。次の瞬間、海岸沿いの松林を波しぶきが突き抜けた。間髪入れず、高さ20メートルはある松を超えた大波が迫ってきた。「のまれる」。ハンドルを切ってUターンし、アクセルを踏み込んだ。
 釜谷地区ではまだ多くの住民が避難していなかった。助手席の同僚はマイクを持ち、「高台に逃げろー。松林を津波が越えてきたぞー!」と叫び続けていた。
 市教委によると、大川小周辺にこの声が聞こえたのは午後3時25分ごろ。校庭に待機していた児童が新北上大橋の堤防道路に誘導されるきっかけになったとされる。
 家族の身を案じ、上流側から戻ってくる車も相次いでいた。午後3時半ごろ、山田さんは堤防道路で釜谷地区に入ろうとする車を止め、雄勝方面の峠につながる国道398号へと誘導し始めた。
 住民たちは「まだ家に家族がいるんだ!」「通してくれ!」と訴えた。「津波が来る」と説得するのに必死で、小学校の様子や川の水位を確かめる余裕はなかった。
 誘導が一段落し、ふと川を見た。目を疑うような光景が広がっていた。
 川の水位は表面張力で膨らんだように堤防を越え、漁船が堤防より高い位置を逆流してきた。橋桁には下流から運ばれた木やがれきがたまり、流れをせき止めていた。
 北上川からあふれた水が富士川に滝のように流れ込んでいた。堤防道路は富士川より5~6メートル高かったが、「川に流れ込んだ水が駆け上がるように迫ってきた。本当に不気味だった」。
 山田さんはとっさに別の車で避難誘導していた同僚4人とともに、大川小の裏山に駆け上がった。山田さんの助手席で最後まで避難を呼び掛けていた同僚1人は波に巻き込まれた。
 津波は堤防道路をのみ込んだ。水の塊が向かった先には、子どもたちの列と大川小があった。

◎3時10分~20分・児童の母親
教頭、住民に尋ねる/この山に子どもを登らせて大丈夫か

 学校につながる堤防道路は所々に亀裂が入り、その都度、車のスピードを緩めなければならなかった。大川小の児童の母親が、北上川上流にある自宅から学校の校庭に着いたのは午後3時10分ごろ。児童や住民ら100人以上がいた。
 「この山に子どもたちを上がらせるとしたら、大丈夫でしょうか」「崩れる山でしょうか」。教頭が学校の裏山を指さし、4、5人の住民に問い掛けていた。住民たちは「ここまで津波が来るはずがないよ」「大丈夫だから」と答えていたように記憶している。
 わが子を引き取り、車に乗せて学校を出た。午後3時20分ごろ、新北上大橋を通り過ぎた先で警官に止められ、「危ないから、釜谷に戻って」と指示された。バックするにも、後ろには長い車列ができていた。
 「お願いです。家に戻りたいんです」。制止する警官とやりとりが続いたが、結局押し通した。夢中で車を走らせ、自宅に着いた。「あの時は、本当に津波が来るなんて思わなかった」

 


野田内閣:はやくも不協和音、平野氏の「不完全な人」発言の真意!?  

2011年09月08日 | 哀悼

  予想通りとはいえ、なぜかくも不協和音が出るのだろうか、腹に収めておくことができないのは政治家として愚かではないのか、さらに、批判するなら対案を出すべきではないのか?

  民主党の平野国対委員長の話だが、お粗末です。

  3度目の政権になっても学習能力が上がらないのでは稚拙批判は免れない。

  今回は党側の問題であると言い逃れできるかもしれないが、政府内ではすでに増税について異論続出だそうで!

  増税お断りの立場としては別の方法を考えて☆い。

  国会議員を衆参とも半減するほうが先かな?

  Y峯みたいな国会議員に税金は無駄だろう!

 

 

「今の内閣不完全」発言、会期決まらず

TBS系(JNN) 9月7日(水)19時37分配信

 「今の内閣は不完全な状態だ」。民主党の平野国対委員長の発言が波紋を呼んでいます。

 平野氏は野田内閣発足後、当面、予算委員会を開かない理由として述べたものですが、野党側は「不完全な人がいるなら取り替えるべき」「閣僚がテレビにたくさん出演しているが、不完全なら出すべきでない」と反発。引き続き予算委員会の開会を求めていて、臨時国会の会期は決まらないままです。(07日16:07)


野田内閣:臨時国会早期幕引きか?その間に公明と連立か!?

2011年09月07日 | 破廉恥

  民主党は、臨時国会会期を短めにして、間をおいてからまた国会を開く案を考えているようだが、意図的な政治空白をつくろうという神経には驚く。

 その空白の間に、閣僚の瑕疵を隠し、公明党との連立を成し遂げるということか?と思われても仕方がない。

 いくら未曾有の危機の時とはいえ、野田氏も自身の政権の大義の主張をまったくに放棄するものといえる。

 さすが「保守政治家」だけあって、自身の保守に走っていないか?

 ところで、公〇党と組むということは民主党の支持団体との関係であり得る選択なのか?

 ・・・・・・そうか、国会議員の誰もが、そんな高尚な理想論など、とうに捨てていることを忘れていた。困窮する国民を観ることなくまたも国会は踊ることになるのか?

 民主党もすっかり「かつての自民党」だな。

 

 

“どじょう首相”大化け?公明に異常接近で「民公連立」着々

野田佳彦首相(54)は8日、東日本大震災と原発事故で苦しむ福島県を訪問し、佐藤雄平知事(63)と会談する。内閣の最優先課題である被災地復興に向け、現地の生の声を聞くためのものだが、年齢のわりに「老かい」とされる野田首相には別の狙いもあるとみられる。今回の福島訪問は、衆参ねじれを解消するため、公明党との連立・連携を視野に入れた行動ともいえるのだ。

 「なるべく早く入りたいと思います」

 野田首相は6日午前、首相官邸で記者団にこう語った。福島訪問では、東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の警戒区域の視察も検討している。実はこの視察、公明党への極めて巧みな秋波といえそう。

 内閣発足の前日(1日)、野田首相と公明党の山口那津男代表(59)の党首会談が国会内で行われた。終始和やかなムードだったこの席で、野田首相は同日の公明新聞のコラム「直言」が、「野田首相は早く被災地に赴け!」と訴えていたことを取り上げ、「ぜひ、早く行きたい」と語っていたのだ。

 いつも低姿勢を心がけ、年配者の話をよく聞き、アドバイスを受ければ即行動する。「爺殺し」と言われる野田首相の十八番である。公明党側の進言をいち早く受け入れた野田首相は、「当然、公明党の支持母体である創価学会も意識しているはずだ」(官邸周辺)という。

 これが影響したのか、山口氏は組閣直後の記者会見で、「いずれ信を問わざるを得ないが、今は被災地の復旧・復興が優先課題だ。第3次補正予算をつくるだけでなく、執行過程を見極める必要もある」と語り、菅内閣時代は自民党とともに強く求めていた早期解散・衆院選の主張をやや後退させた。

 昨年夏の参院選敗北以来、民主党は衆参ねじれで苦しんでいる。これを克服するため、野田首相は代表選の最中から「救国内閣を作るべきで(具体的には)連立だ。そうでないと政治は前進しない」と発言。就任直後も、子ども手当などに関する民主、自民、公明の3党合意について「最低限でも3党合意を順守する」と明言しているが、数字上は自公両党と大連立する必要はない。

 参院定数は242議席で、過半数は122議席。民主党(105議席)と公明党(19議席)が連立すれば124議席となり、簡単に衆参ねじれを克服できるのである。

 民主党ベテラン議員は「そもそも、民主、公明両党の多くの議員は、新進党時代に行動をともにしている。野田首相も山口氏も『同じ釜のメシを食った仲間』といえる。政策も、天と地ほど違うものはない。外国人参政権も、ともに推進派だ。『被災地の復興』『日本経済の再生』といった大義のために、連立・連携していくことは十分できるはずだ」という。

 現に、政権交代後の一昨年9月、当時の鳩山由紀夫首相と山口氏が会談した際には、「基本的に政策は似ている」という認識で一致。鳩山氏が協力を求めると、山口氏は「党の方向性と合って国民の理解があれば、協力はやぶさかではない」などと応じている。

 「史上最悪の宰相」という障害がなくなった現在、民主党が公明党を誘い込む絶好のテーマがある。定数是正と選挙制度改革である。

 最高裁大法廷は今年3月、1票の格差が最大2・30倍だった2009年の衆院選について、「憲法の要求する投票価値の平等に反する状態に至っていた」とし、選挙は違憲状態だったと判断した。

 次期衆院選までに、定数是正と選挙制度改革の問題を決着させなければならないのだ。

 政治評論家の浅川博忠氏は「公明党としては自民党との選挙協力を約10年続けてきたが、前回選挙で党代表までが落選し、『失うものが多かった』『自民党に利用された』という評価が高まりつつある。次の選挙では、みんなの党に第3党を奪われかねない心配もある。定数是正と選挙制度改革は党利党略が絡み、そう簡単ではないが、民主党が『一緒に検討しよう』というだけで、公明党は乗りやすくなる。次の選挙は自民党が勝ちそうなため、公明党もまだ両にらみだろうが、民主党としては、自民党と公明党にクサビを打ち込むだけでも成果は大きい」という。

 これと符合するのか、公明党の井上義久幹事長(64)は4日、公明新聞のインタビューで「(野田首相の)政権運営を厳しくチェックする」といい、こう続けている。

 「衆参両院の『1票の格差』の是正も喫緊の課題です。選挙制度についても一刻も早く、各党協議の場を設け、議論を始めなければなりません」

 山口氏も6日夜、BSフジの番組で「民意が正しく反映する、そういう選挙制度を目指すという大きな議論を行うべきだと思っている」といい、「テーマによって協議をして合意をつくる。この実績を積み上げることが、次の展開につながることになる」と語った。

 これらは、一種のメッセージではないのか。

 気になる動きも発覚した。民主党最大の支持組織である連合の古賀伸明会長と、公明党の山口代表が5日夜に都内で会談していたのだ。古賀氏は「さまざまな面で支援をお願いしたい」と述べ、野田首相の政権運営に協力を要請した。

 公明党関係者は「野田首相の謙虚な言動は、わが党の支持者、学会の方々も親しみを感じやすい。前首相のような傲慢でペテン師的な態度は絶対にダメだ。そもそも、小沢、鳩山、菅のトロイカは『学会批判』をした過去がある。野田首相はしていない。これは極めて大きい」という。

 「どじょう宰相」は、したたかに“大化け”を狙っている。

 

民主が“国会逃避”…問題閣僚を追及から守るため?

  野田佳彦首相の所信表明演説と、各党の代表質問などを行う臨時国会の会期をめぐり、与野党の駆け引きが激化している。政府・民主党は「13日召集、16日閉会」という4日間の日程を提。対する野党は、被災地復興もあり「会期は12月まで」と長期開催を要求している。政府・民主党が短期にこだわるのは、問題閣僚を国会論戦から守る思惑がありそうだ。

 「初めから大ゲンカだ。与野党協調しながら国会をつくっていくことに真っ向から反する。論外だ」

 自民党の逢沢一郎国対委員長は6日、記者団にこう吐き捨てた。

 政府・民主党側は、13日に野田首相の所信表明演説を行い、14日から16日を衆参両院本会議での各党代表質問に充て、いったん閉会。2011年度第3次補正予算案の国会提出に合わせて、10月に臨時国会を再び召集したい考え。

 これに対し、自民党は臨時国会を年内いっぱい開催して、26日から衆参両院で予算委員会を開くよう主張。公明党も予算委開催を要求している。

 みんなの党の江田憲司幹事長も6日、「国会の職責を放棄する宣言に等しく、憤りを禁じ得ない」と短期開催案に激怒し、通年国会にすべきとの認識を示している。

 会期を4日間とする表向きの理由として、民主党は今月下旬に予定されている野田首相の国連総会出席の準備などを挙げるが、本音は「問題閣僚、素人閣僚を国会での論戦から守りたいだけ」(自民党中堅議員)と見る向きがほとんどだ。

 13日召集の臨時国会で予算委員会を開いた場合、閣僚に対する官僚のレクチャーが完了していない可能性が高いため、「丁々発止のやりとりで醜態をさらす閣僚が続出しかねない」(民主党中堅議員)ためだ。

 野党のターゲットとなりそうな閣僚は多い。

 首相自身、外国人献金問題を抱えているうえ、「安全保障は素人」と発言した一川保夫防衛相には、自民党の石破茂政調会長が「解任に値する」と激怒している。ほかにも、マルチ商法業界団体とのつながりを指摘される山岡賢次国家公安委員長など、追及材料はめじろ押しだ=別表

 強引に会期を短くすれば、野田首相の低姿勢が疑われて、野党が硬化するのは必至。逆に長くすれば問題閣僚が炎上する。野田政権はどう判断するのか。


小宮山厚労相:タバコ増税は健康対策!

2011年09月07日 | 日記

  小宮山氏が健康対策としてのタバコ増税を発表した。さっそく所管は財務省だと反論された財務大臣。ような健康対策でタバコ増税を財務省にはたらきかける、といえばよかっただけのことではないか?

 嫌煙派としてはタバコ増税は大いに結構だ。

 副流煙をまき散らし、他人の迷惑をかえりみない喫煙行為になんらの大義はない、と思っている。

 ところで、放射能がだめならタバコもダメだという論議にはならないのなぜだろう?

 タバコを吸うのは個人だが副流煙を吸わされるのはその他複数の方だ。放射能問題を質的な差異はあるが、たとえば癌の発生率の増加ではタバコの方が影響が大きいという指摘がある。

 

  さて、小宮山氏の根回しのできない政治的手法が稚拙だから閣内不一致と非難されるのだろうが、安住氏も肝っ玉が小さすぎないか?

 すでに縦割り行政に乗ってしまっているわけだから!これでは財務省の利益に立って行動するのだろうとしか思えない、つまり、増税だな。嗜好品には今以上の増税は構わないと貧乏人は思うのだが消費税総勢はごめんだ。

 

 安住氏の「小宮山先生はたばこ嫌いなんですよね」発言、ケツの穴が小さい!

同じ内閣にいてなぁ!

 

 

財務相「小宮山先生はたばこ嫌いなんですよね」

読売新聞 9月7日(水)8時47分配信

 小宮山厚生労働相が5日の記者会見で、たばこ税を増税し、1箱あたり700円程度とすべきだとの考えを表明したことが波紋を広げている。

 藤村官房長官は6日の記者会見で「個人的な思いを述べられたものだ」と述べ、政府方針ではないとの見解を強調。安住財務相も「ご高説は承っておく。(たばこ税の)所管は私だ。小宮山先生はたばこ嫌いなんですよね」とけん制した。

 小宮山氏は6日の記者会見で「(厚労省は)700円に上げると決める省ではない」とトーンダウンしたものの、「個人的意見というよりは厚労省を代表して申し述べた意見だ」とこだわりをにじませた。

 新政権発足早々の「閣内不一致」ぶりに、野党からは「閣僚の言葉が軽い民主党政権の未熟さが早くも露呈した」(自民党幹部)との指摘も出ている。

武田教授:放射能問題は科学的に論じることができるのか?!

2011年09月06日 | 不可思議

  正直なところ福島原発事故に端を発した放射能問題について、特に生物への影響については専門家の意見は分かれている。

 マスコミはその影響について「煽り派」「煽らない派」という色分けになるが、それは商業的話だからどうでもいい。

  実際のところ、放射能自体は科学的なはずなのにそ生物への悪影響について対立するような説が並立している現状はどう考えても科学的ではない。

  人体実験できないか、ということが最大の理由になるのだろうが、ならば危機管理的には最悪の説をとるしかないのか?

 たとえば、米ソの軍拡時代の核実験の放射能の拡散の結果「癌」が統計的に増えたということはいえるのだろうかなどと素人は思ってしまう。

 武田氏は最悪の説にたって警鐘を鳴らしているのだろうが、その妥当性は誰も証明できないということなのか?

  
  勝部市長         武田教授

 

 

<読売テレビ番組>東北の農作物、健康壊す…中部大教授発言

読売テレビ(本社・大阪市)系列で4日放送された番組で、中部大の武田邦彦教授が岩手県一関市の放射線数値を示したうえで「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」などと発言したとして、勝部修市長は6日、武田教授に抗議のメールを送ったことを明らかにした。

 ◇一関市長が抗議

 番組はミヤギテレビが4日午後1時半から放送した「たかじんのそこまで言って委員会」。

 武田教授は子供の質問に専門家が答えるコーナーの中で、放射線量の高い地域として一関市を挙げ「今、東北で農作物を生産するのは間違い」などと発言。他の出演者が疑問を呈したのに対し、「取り消すつもりはない」と語ったという。

 勝部市長は「農家の感情を逆なでする非常識な発言だ」と指摘。武田教授に発言を取り消すつもりはないかを確認したうえで、今後の対応を考えるとしている。

 番組を見た市民から市に連絡があり発覚した。発言は動画サイト「ユーチューブ」にも投稿されている。読売テレビは毎日新聞の取材に対し「武田先生に批判的な意見も入れて(放送して)いる。(番組)全体を見てもらえば、問題のある内容とは思わない」としている。【湯浅聖一】


菅直人:捜査へ

2011年09月06日 | 哀悼

  今朝の朝日新聞で福島第1原発事故は人災だったと、自分は一生懸命やったと相変わらず能天気なことを答えていた菅氏はついに献金問題で東京地検の捜査をうけることになったそうだ。

  これで小沢氏と同じ運命をたどる可能性が出てきたわけだ。小沢氏は静かに抵抗しているが菅氏はどのように抵抗するのだろうか?

 

 

菅前首相を捜査へ 市民の党側献金で規正法違反罪

  菅直人前首相の資金管理団体「草志会」が、日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)の派生団体に6250万円を献金していた問題をめぐり、神奈川県の住民らが政治資金規正法違反罪(虚偽記載)で、菅前首相に対する告発状を東京地検特捜部に提出し、受理されていたことが5日、分かった。特捜部は立件の可否を判断するため捜査に着手する。菅前首相の献金問題が刑事事件に発展する可能性が出てきた。

 告発状によると、草志会は平成19年、市民の党の派生団体「政権交代をめざす市民の会」に対し、計8回に分けて計5千万円を政治献金。その際、収支を時系列で並べると、帳簿上は5月8日の時点で資金残高が「マイナス」となり、寄付が不可能な状態に陥っていた。不足金額はその後も拡大し、5月14日には最大の658万5593円に上った。収支報告書には借入金などの記載はなかった。

 告発状では、収支報告書が「マイナス」になることはありえず、記載すべき収入を記載していなかったとして、規正法に抵触するとしている。

 また菅前首相が国会答弁で寄付について「私が判断をした」と話していることから、収支報告書の記載の責任は事務担当者ではなく菅前首相にあるとしている。

 産経新聞の調べでは、草志会は19~21年にかけてめざす会に計6250万円を献金。さらに鳩山由紀夫元首相側や民主党東京都総支部連合会(東京都連)も献金しており、民主党側からの資金提供総額は判明分だけで計1億5533万円に上っている。

 菅前首相は、草志会が在日韓国人系金融機関の元男性理事から献金を受けていた問題でも、規正法違反罪で告発されている


野田内閣支持率 56~70%:いつもながらこの差は何?

2011年09月04日 | 日記

  恒例の内閣支持率が各報道機関から出てきた支持率は56~70%の間。低いのが毎日新聞の56%高いのはフジテレビ系列の約70%。

  総じてご祝儀相場で高いのは慣例。政党支持率も民主が自民を上回るという傾向は共通しているが誤差の範囲で考えれば拮抗状態にもどったとみるのが正当だろう。

          内閣支持率       民主党支持率        自民党支持率

   読売新聞     65%         28%            23%

   朝日新聞     53%              31%                   17%

   毎日新聞     56%         19%            16%

   共同通信     62%              27.2%                23.6%

     日経・テレビ東京 67%             36%

     FNN         70.2%(新報道2001)

  我々はまっとうな政治教育を受けていないせいで、マスメディアの報道の仕方で、都合のいい回答するのではないか?結局多くのマスメディアは民主党延命のための機関に過ぎない。それは結局、日本の国家解体を目指すという使命に邁進しているということなのだ。

  もっとも、各機関の集計結果の検証はなかなかできないのでその数字の裏はわからない。いつもながらこの手の報道は全体の傾向を見る程度にしたほうがいい。

  もっといえば、こんな数字は関係ないのという覚悟も「カン的政治家」には必要か!


野田内閣:地味なれどいろいろと問題はあるようで

2011年09月03日 | 日記

  国会議員であれば、だれでも身辺を身ぎれいにすることが求められるのはここ半世紀の常識となった。

  まして大臣になれば一層のことだ。政界では、それは「身体検査」と呼ばれるそうだが、今回は内閣発足まで時間がなかったので「検査」は充分であったろうか?

  すでに複数のメディアでは身辺について、事件またはスキャンダルになるようなことが報道されつつあるが、いかなる展開となるだろうか、予言通り、二人は集中砲火を浴びるだろうか?

 野田氏が民団関係者から献金を受けていたことは地元ではきっと有名な話だったのだろう。

 考えてみれば個人献金をすすめる民主党に、反自民の民団関係者が利益誘導を期待して献金する行為はある意味予想できたことだ。

  だから民主党の議員の多くには「半島」関係者の献金があると予想される。特に将来有望と思われた議員へそれなりの献金があることは推定できる。菅や前原、野田、他にもたくさんいるはずだ。

 前原などが大陸批判はするけれど半島批判には腰砕けなのは民主党のもはや抜きがたい体質となっているのだろう。


民主党と“半島”の関係は普通ではない。
亡国政党と揶揄されてもいたしかたない。

 

野田首相も外国人献金 民団関係者らから30万円 2011.9.3

  野田佳彦首相の資金管理団体が、在日本大韓民国民団(民団)関係者ら在日韓国人2人から計約30万円の政治献金を受け取っていたことが2日、産経新聞の調べで分かった。献金者本人が取材に外国籍であることを認めた。外国人献金が野田首相にも発覚したことで新政権への影響は必至だ。

 政治資金収支報告によると、献金を受けていたのは、野田首相の資金管理団体「未来クラブ」(千葉県船橋市)。献金をしていたのは船橋市と同県松戸市に住む在日韓国人で、いずれも会社役員の男性。ともに「通名」である日本名での現金支出となっていた。

 船橋市の男性は平成13~15年にかけ、計15万8000円を献金。男性は当時から現在まで民団地元支部で役員を務めている。男性は「(野田氏が)街頭演説をやっていて、よく頑張っていると感じて応援するようになった。選挙のときには、選挙事務所の立ち上げにも行ってお会いするようになった」と野田首相との面識を認めた。

 野田首相は21年10月、千葉で催された「韓日友好イベント」に出席し、政権交代をもたらした衆院選について、「千葉民団の皆さんの力強いご推挙をいただき、力強いご支援をいただきましたことを、心から御礼申し上げたいと思います」と謝辞を述べている。

 一方、松戸市の男性は10~11年にかけて計16万円を献金。「野田さんとは面識がなく、献金を頼まれたことはない。参加するNPO法人のメンバーの間で、野田さんを応援する機運が高まったため献金した」と話した。

 

 

 政治資金規正法は、外国人や外国人が過半数の株式を保有する会社からの政治献金を禁じている。違反すれば3年以下の禁錮か50万円以下の罰金、罪が確定すれば公民権停止の対象となるが、今回のいずれの献金も公訴時効(3年)を経過している。

 外国人献金をめぐっては3月、前原誠司外相(当時)の政治団体が京都市の在日韓国人女性から計25万円の献金を受けていたことが発覚し、前原氏は外相を辞任。その後、別の外国人からの献金も明らかになっている。

 菅直人前首相の資金管理団体も横浜市内の韓国籍男性から計104万円を受領していたことが分かり、国会で釈明に追われた。

 野田首相の事務所には文書で、2日夕までにコメントを求めたが回答は得られなかった。


野田総理:韓国の朝鮮日報は“極右”と指摘! お笑いです。

2011年09月03日 | 哀悼

 野田総理の本音はともかく、野田氏のどこが極右なのか?

 8月16日付だそうだが、朝鮮日報のリードの様は、我が国のA新聞のようなミスリードをするということか。

 もっとも自国に不利益なことを言えば、すべては極右・右翼・反動と片づけるようなので、まともに取り上げる必要もないか。朝鮮日報も商売だものな。

 野田氏の「A級戦犯」発言は内容的に当然のことを言ったまでである。そしてそれは半島へのメッセージではなく大陸へのメッセージだと考えるのはまともな感覚である。

 なぜなら野田氏は民団から選挙協力をもらっているのだから。

 

 

 

 


野田内閣:それでもサプライズだろう!

2011年09月02日 | 日記

 内閣のたらいまわしを批判していた党が、みずからはそれを平気でやるだけでも十分サプライズだが、毎日新聞の感覚はそうではないらしい。サプライズがあればいいというものでもないので、それはどうでもいいが。

  Y岡氏やR舫氏が入閣したのは笑わせる人事ではないか!

  野田氏のバランス感覚はまるで自民党のバランス人事であって、やはり挙党態勢・一致をするには自民党に学ぶしかないということか?!

  例によって予言してみよう。(まぁ拙は保守再編派なので、時代が政界再編に向かうことを願いつつ予想することになるが)まず、スキャンダルが出てくるのは2人、2カ月以内だな。政権行き詰まりは年内の予算の概算要求あたりからだな。誰でもいえることか!

  

 

 

<野田新内閣>サプライズない手堅い布陣

 閣僚の陣容が2日午前固まり、野田佳彦新首相が率いる内閣が始動する。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の発生からまもなく半年。復興に加え、円高対策や財政再建など課題は山積する。政権交代後、国民の信頼に応えているとは言い難い民主党。同日夕、首相として初めての記者会見に臨む野田新首相は、サプライズのない手堅い布陣で難局に挑む。


午前9時、菅直人首相が約150人の職員の拍手の中、にこやかに首相官邸を出て行ったのと入れ替わるように、午前10時前、官邸に入った野田新首相は、報道陣の問いかけにもほとんど答えず、硬い表情のままだった。

 その後、再任の鹿野道彦農相や環境相も兼務する細野豪志原発事故担当相から、閣僚たちが次々と官邸入り。午前11時に会見した藤村修新官房長官は野田新首相の代表選でのどじょう演説を受けて「泥にまみれて、汗にまみれて政治を前進させていく」と語った。

 厚生労働相として初入閣する小宮山洋子氏は、午前11時すぎ衆院第1議員会館の自室で官邸からの呼び込みの電話を受けた。小宮山氏は薄い藤色のスーツ姿で「昨夜、野田新首相から電話を受けた。『ここでしっかりやらないと、政権はぎりぎりになってしまうので何でもやります』と答えました」と決意を語った。

 新内閣の顔ぶれについて、代表選で前原誠司政調会長を支持した当選1回の稲富修二氏(福岡2区)は「実績や経験から岡田(克也)前幹事長が入閣しなかったのは意外」と驚きながらも、「挙党一致にふさわしく、各グループのバランスが取れた人事。地味かもしれないが、みんなで仕事をしようという気持ちになる」と評価。ただ、「この内閣で実績を残せなければ次はない」と危機感もにじませた。

 一方、自民党の平沢勝栄衆院議員(東京17区)は「政治家は、役人や国民に『この人なら何かやってくれそうだ』という期待感や安心感を抱かせないといけないのに、それを感じさせてくれる人が見当たらない。論功行賞が優先された軽量内閣といえ、つなぎの暫定内閣になるのではないか。これでは、今の国難に対処できないだろう」と話す。

 同党の菅原一秀衆院議員(比例東京)は「パンチがない」と一蹴。「中堅議員を起用して実務派をそろえたように見えるが、大臣経験がない人も多く、荷が重いのではと不安だ。特に財務や外務などの要職の顔ぶれはその道のエキスパートといえるか疑問」と指摘した。



民主:新代表に野田氏 河村・名古屋市長「増税なら戦う」

 野田氏の新代表選出について、名古屋市の河村たかし市長は「野田氏とは旧日本新党時代からのつきあいで仲良しだが、増税はいかん。増税を進めるなら徹底的に戦う」と語った。その上で「税金を払っている庶民の苦しみを解決する庶民革命が必要だ。財源・財政の自立もついた地域主権も打ち出してほしい」と注文を付けた。

 国に円高対策を求め続けている愛知県の大村秀章知事は「2日間の代表選で国民に民主党政権が何を目指すのかが伝わったか疑問だ」と指摘。野田氏には「震災復興と第3次補正、円高・デフレ対策をどうするのか、国民に分かりやすく伝えてもらいたい」と要望した。野田氏自身については「同世代でまじめな方」と好意的で、「300議席の与党がバラバラでは国会運営できない。与党がまとまって国民の期待に応えてほしい」と述べた。【加藤潔】


尖閣列島:自国領への上陸は必須

2011年09月01日 | 

  自国の領土への上陸さえも禁止しているような国があるか!!という素朴な疑問に政治家は誰も答えない。これで領土が守られるなら苦労はしない。

  国家の成立条件の1つを守れない国に未来はあるのか?どこぞの品格のない国々のように領土への思いは厳守されなくてはならない。

 

 

 

尖閣上陸調査 与野党「必要」で一致  産経 8月31日

 衆院決算行政監視委員会(委員長・新藤義孝自民党衆院議員)は31日、理事会を開き、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の上陸視察について「必要性がある」との認識で一致した。出席した民主、自民、公明各党はこの方針を持ち帰り、党内で了承されれば、理事会として政府に対して国会議員による上陸視察を認めるよう求める。

 新藤委員長は理事会で、尖閣諸島がわが国固有の領土であるにもかかわらず、中国が領有権を主張していることから、国会議員による尖閣諸島への上陸視察の必要性を主張した。各党の理事から異論は出なかった。ただ、民主、公明両党から「野田佳彦新首相の外交方針を見極めたい」「党内の手続きが必要だ」との意見が出たため、各党とも持ち帰ることにした。

 新藤氏は理事会後、記者団に対し「上陸調査の必要性は各党とも共有できた」と強調した。理事会は9月中旬にも開催する次回会合までに結論を出す予定。

 尖閣諸島のうち魚釣島など4島は私有地で、政府が平成14年から貸借管理している。政府は「何人も上陸を認めない」との方針で、理事会で国会議員の上陸調査に合意した場合でも、実現は困難とみられる。

 

尖閣上陸調査は「必要」=衆院決算委 時事 8月31日

  衆院決算行政監視委員会は31日の理事会で、沖縄県の尖閣諸島の現状把握に向けて検討していた同委メンバーによる上陸調査について、「必要性がある」との認識で一致した。ただ、民主、公明両党が、持ち帰って党内の意見を集約する必要があると主張したため、改めて協議することになった。
 

 尖閣諸島は中国も領有権を主張しており、日本政府は原則として政府関係者以外の上陸を認めていない。同委による上陸調査は、自民党の下村博文氏が7月に提案していた。