心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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○○ロス

2014年09月17日 | ほんのすこし
世の中には 花ロスとか(花子とアンの収録を終えた 鈴木亮平)○○ロスとつけられて 何かが終わった後の茫然とした 手に着かない状態を言うことがここ最近見えてきました。
へぇ~ そんなことあるんだと 鼻先で笑っていたのがわたしです。

でもねぇ。
あるんですよねぇ。

12日から15日まで 娘が子供を連れてやってきました。以前来たときはまだほんとの赤ちゃんで、動くといっても自分の周りで立つことすらできなかったんですよ。
それが 今回はつかまり立ちでテーブルの周りを自分で移動。娘の姿が見えなくなると後を追って 這って追いかけます。母恋し ですか、いつもの場所とは違うところにいるという不安感ですか とにかくトイレに行く 洗面所に行く どれも容赦なく後を追う。わたしが抱き上げて娘が出てくる(トイレから)まで外で待っていたり、お化粧するそばで抱いて待っているといった感じでした。抱かれていると安心するのか 娘の姿を確認するとあとはあっちを見たりこっちを見たり。

まぁだんだん慣れていったものの やはり母親の存在は大きく最後までそばを離れませんでしたね。空港のガラス越しの窓では 隣の見知らぬおじさんに愛想をふりまいていて こっちは全然見ていませんでしたし(笑)
あれは隣のおじさんが食べ出したおせんべいに反応したのか?見ながら「おいおい そこでそれを出すか?!」とココロの中で叫びながら見ていたわたしです。人が食べる動作に反応する そういう時期なんだろうなと思ってはいましたが。短くも貴重な時間を過ごせた喜びをかみしめていました。

娘は善き母親でしたよ。わたしが言うのもなんですが。離乳食もちゃんと考えて毎回だしを取って 与えていました。一日の食材 どれをどのくらい与えるか どれをやっていないから この時にはそれに代わるものを・・・とか。今度 離乳食関係の本に携わることになったとは話していましたが、それでも仕事だけではない愛情たっぷりの姿を目にして、はたして自分はどうだったのか?とかなり疑問になりました。
疑問にはなったものの こうして娘や息子が無事に成長しているところを見ると なんとなくではあるけれど乗り越えてきたのかなと思ったり。
食べる という行為は 大切なもの。すでに手づかみやスプーンで食べたいオーラがいっぱいの孫を見て、人間の本来の姿を思いました。
手づかみでさつまいもをつぶしながらも食べようとする様子は満足感いっぱいでした。

それにしても ミルクを一気飲みする姿は どんだけ飲みたかったんだ?と思わせるほどの迫力です。
ミルクがなくなって それを見た娘が
「はい、ごちそうさん ○○○ ごちそうさんだよ」
と言うと ギャン泣き。
もうお終いだということがわかるようです。それが儀式のように 少し泣くとなんでもないように収まります。
こんな感じで一日三回 離乳食の時間は楽しくもアリ 大変でもあり。

いないいないばあ、も 楽しみました。バイバイや上手上手の拍手など 見ているだけで楽しいことをやってくれるようになりました。あっというまの時間。わたしのとっておきの時間が過ぎていきました。

これが○○ロスなんだなと さよならしてから思っています。
母が
「きっと 帰ってから三日間は何もできないよ。昔 自分もそうだったから。」
と言いましたが、そのときは笑って聞いていたわたしです。
なるほど、母の言うことは当たってるなぁと。
娘たちが帰った後 昨日は布団やあちこちを片付けなくちゃって思っていましたが、何も手につかず。仕事だけしました。あまり早く片付けると そこにいたという記憶が薄れてしまう気がしてね。
今日 片付けています。洗濯もしました。
これを機会にもっと片付けようと思っていましたが、やっぱりなんにも出来ずにいます。力が入らないんですねぇ。これって ○○ロス?あまロスとか 花ロスとか言われているけど この状態は軽いロス状態か?なんて 思っているところです。