18日に田中勝義さんの出演する朗読劇を見に行きました。田中さんは僕よりも3ヶ月ほど人生の先輩ですが、同じ時代を近いところで生きてきた大切な友だちです。1975年以来は「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」という小さなサークルの活動を共にしてきた数少ない同志です。高校では「国語」の教師であり演劇部の顧問です。『川越だより』にコメントを寄せてくださっているので皆さんもお気づきのように私たちは共に健康不安とつきあっている仲間でもあります。
その田中さんが朗読劇にでるというのですから行かないわけには参りません。一番前の席で100分の朗読劇『流れる星は生きている』をみせてもらいました。藤原ていという人が1949年に書いてベストセラーになった本が原作です。
藤原さんは戦後作家として活躍した新田次郎さんのお連れ合いです。新田さんが1943年満州国中央気象台の高層気象課長として新京(「満州国」の首都・いまの吉林省長春)に赴任したのに伴い、ここに住みます。『流れる星は生きている』(中公文庫)は45年8月9日ソ連軍が「満州」に攻め込んできてからの混乱の中を3人の子どもを連れて日本に引き揚げてくる著者の体験をつづった記録です。ソ連軍占領下の北朝鮮から38度線を歩いて脱出する壮絶な闘いがこのリージングドラマの中心になっています。
見終わってから会場の出口で友人たちと田中さんに会い、その健闘をたたえ握手をして帰ってきました。田中さんの生徒たちの公演はみせてもらったことがあるのですがご本人の舞台ははじめてなのです。かつての生徒たちの立場にたって緊張する100分だったことでしょう。声のかすれは仕方がありませんが、よくその役柄を演じています。
ドラマの感想を書く紙をもらいましたがこちらはなぜか筆が進まず、白紙のままです。この会のパンフレットを読むと(この原作に)「私たちはただこころゆすぶられるばかりです」と書いてありますが、僕はこのドラマを見てこころ揺さぶられたとはいえないからです。それはなぜだろうと考えながら、今に至っています。でも一番大切な友だちにそのなぜを突き止めて伝えることが僕のつとめです。
そのつとめをすこしでも果たすために考えてみようと思います。とっかかりとしてこのブログにコメントを寄せていただいたmatumoto さんの感想の一部を勝手ながら紹介させてください(全文は11月11日の記事のコメントをごらんください)。
小学校のときに、「シュプレッヒ・コール」をやりました。あれを思い出しました。「朗読」といっても、「群読劇」であり、さらに、抽象化されてはいるものの場面場面があって、まずその迫力に圧倒されました。配られたリーフにもどなたかが書いていらっしゃいましたが、私も一緒に、引揚げ行をしている気分でしたし、場面によっては、舞台を正視できませんでした。
はっきりいって、「スキル」「メチエ」を超えています。技術の問題じゃない。演じているみなさんの「思い入れの強さ」に、心を動かされました。カツヨシ先生の声が、おそらく張り切りすぎによって掠れていたのには、逆に心配になってしまいましたが…。
引揚げ団の内部での軋轢の数々、自分がその場に立たされたら、あのような浅ましい・見苦しい人間になってしまわないとも限らない。それだけに、「なぜこんなことが起きてしまったのか。そうならないためにはどうすればよかったのか」を、観た者に考えさせざるをえない劇だったと言えます。
それと、「満人が耕した土地だったから、収穫はよかった」「馭者はいつでも調達できた」というような最初のセリフ、これは大事だったと思いました。Oさんが出演された「海峡」第1回でも、津川雅彦さん演じる進藤海運の社長が、「この恩知らずめが!」と叫ぶセリフがありました。この優越意識の亡霊が、いま現実にさ迷っています。
これとは若干角度が異なりますが、カツヨシ先生に宛てられた「あなたに責任はないから、自分は気の毒だと思うけれど、食べ物をあげると村八分にされる」という朝鮮人のセリフに、考えさせられました。東アジア社会は、何と似ているのだろうと。
いま、北朝鮮の民衆の苦境に手を差し伸べるべきだなどというと、それこそ「村八分にされ」てしまいかねない空気があります。他方で、B級戦犯裁判に見られるように、他者がどうあれ個々人としてどうあるべきなのかを、欧米社会の人間は厳しく問う。これが、もし掛け値なしに本当であるならば、民主主義とは何と重たいものであろうか、と思うのです。
その田中さんが朗読劇にでるというのですから行かないわけには参りません。一番前の席で100分の朗読劇『流れる星は生きている』をみせてもらいました。藤原ていという人が1949年に書いてベストセラーになった本が原作です。
藤原さんは戦後作家として活躍した新田次郎さんのお連れ合いです。新田さんが1943年満州国中央気象台の高層気象課長として新京(「満州国」の首都・いまの吉林省長春)に赴任したのに伴い、ここに住みます。『流れる星は生きている』(中公文庫)は45年8月9日ソ連軍が「満州」に攻め込んできてからの混乱の中を3人の子どもを連れて日本に引き揚げてくる著者の体験をつづった記録です。ソ連軍占領下の北朝鮮から38度線を歩いて脱出する壮絶な闘いがこのリージングドラマの中心になっています。
見終わってから会場の出口で友人たちと田中さんに会い、その健闘をたたえ握手をして帰ってきました。田中さんの生徒たちの公演はみせてもらったことがあるのですがご本人の舞台ははじめてなのです。かつての生徒たちの立場にたって緊張する100分だったことでしょう。声のかすれは仕方がありませんが、よくその役柄を演じています。
ドラマの感想を書く紙をもらいましたがこちらはなぜか筆が進まず、白紙のままです。この会のパンフレットを読むと(この原作に)「私たちはただこころゆすぶられるばかりです」と書いてありますが、僕はこのドラマを見てこころ揺さぶられたとはいえないからです。それはなぜだろうと考えながら、今に至っています。でも一番大切な友だちにそのなぜを突き止めて伝えることが僕のつとめです。
そのつとめをすこしでも果たすために考えてみようと思います。とっかかりとしてこのブログにコメントを寄せていただいたmatumoto さんの感想の一部を勝手ながら紹介させてください(全文は11月11日の記事のコメントをごらんください)。
小学校のときに、「シュプレッヒ・コール」をやりました。あれを思い出しました。「朗読」といっても、「群読劇」であり、さらに、抽象化されてはいるものの場面場面があって、まずその迫力に圧倒されました。配られたリーフにもどなたかが書いていらっしゃいましたが、私も一緒に、引揚げ行をしている気分でしたし、場面によっては、舞台を正視できませんでした。
はっきりいって、「スキル」「メチエ」を超えています。技術の問題じゃない。演じているみなさんの「思い入れの強さ」に、心を動かされました。カツヨシ先生の声が、おそらく張り切りすぎによって掠れていたのには、逆に心配になってしまいましたが…。
引揚げ団の内部での軋轢の数々、自分がその場に立たされたら、あのような浅ましい・見苦しい人間になってしまわないとも限らない。それだけに、「なぜこんなことが起きてしまったのか。そうならないためにはどうすればよかったのか」を、観た者に考えさせざるをえない劇だったと言えます。
それと、「満人が耕した土地だったから、収穫はよかった」「馭者はいつでも調達できた」というような最初のセリフ、これは大事だったと思いました。Oさんが出演された「海峡」第1回でも、津川雅彦さん演じる進藤海運の社長が、「この恩知らずめが!」と叫ぶセリフがありました。この優越意識の亡霊が、いま現実にさ迷っています。
これとは若干角度が異なりますが、カツヨシ先生に宛てられた「あなたに責任はないから、自分は気の毒だと思うけれど、食べ物をあげると村八分にされる」という朝鮮人のセリフに、考えさせられました。東アジア社会は、何と似ているのだろうと。
いま、北朝鮮の民衆の苦境に手を差し伸べるべきだなどというと、それこそ「村八分にされ」てしまいかねない空気があります。他方で、B級戦犯裁判に見られるように、他者がどうあれ個々人としてどうあるべきなのかを、欧米社会の人間は厳しく問う。これが、もし掛け値なしに本当であるならば、民主主義とは何と重たいものであろうか、と思うのです。
この日はぼくにとって、高揚感・充足感・幸福感に包まれ、奇跡と夢と創造が一緒に集まったような、不思議な長い一日でした。演じた役は壮年と老年の朝鮮人、中年の日本人指導者などでしたが、スポットライトを浴びてメッセージを送る「カァイカァ~ン!」と心踊りは少年の日のそれでした。仲間とひとつに、観客とひとつになっている手ごたえも確かにありました。互いの想像力を全開にして、苦難の状況を追体験している感じ。ぼくは咽喉の調整にまたしても失敗し
、かすれ声を気にしながらも、充実感がありました。
(この日の深夜独りになって、ふとある不安が萌してきました。「オレの悪声がみんなの熱演の足を引っ張ってはいなかったか」と。「オレの朗読人生もこれまでかな」と、まんじりともせずに考え込みました。そんな時、けいすけさんのお父上の言葉を思い出しました。「人間は生ある限り、生きなければならない」。
「そうだ!かすれ声も個性だ。往年の美声(?)は無理だとしても、ぼくも走れるところまで走り続けよう!」 もう一度舞台に立つこと、そんな夢がまた膨らんできました)
静かな熱気と温かい拍手のうちに、公演は終わりました。お書きいただいたアンケート用紙も100を超え、熱い思いが伝わってきました。
「出演者の声と象徴的な動き+自分の想像力で観ていました。母親としては、亡くなったわが子を置いていかねばならない場面が一番辛かったです」
「感銘しました。事実の強さ。それを冷静に伝える深さ。演出も節度を守り、より豊穣な、そして真摯な人間の内面に届いたと思いました」
「戦争の中で、人間の生命力の強さ、悲惨な中で生きる力を感じるお話でした」
「女性陣の澄明で力強い声演、素晴らしい。『戦争』
『平和』について、深く考えさせられました。終幕の寺山修司の短歌も訴えるものがありますね」
「とてもひきこまれました。戦争を知らない私でもとてもきんぱく感が伝わってきて、また日本人らしさ(考えやきんぱくしたときに出る団結感や自分さえたすかればいいという思い、たまに出るやさしさ)が表現されていて良かった。朝鮮人のかくれたやさしさも出ていておどろきました」
「魂が揺さぶられるような体験をさせていただきました。声の力、言葉の力…素晴らしいですね。演劇とも異なり、お一人一人の人生の中で身につけられたさまざまな力が『声』というものに込められていることを感じました」
「十二分に眼前に険しい山とか、車内の様子とか、子どもの目玉とかがクローズアップされる見事さに迫力があった。戦争のため9条の改悪が企てられている時代ですが、さらに戦争のない世のため戦争の悲惨さを広めてください」
「今日はありがとうございました。私も引揚者の一人です。この辛い戦争を肌で感じた一人としてただ涙、涙でした。皆さんの熱演を聞いて、今は亡き母のことを思い出します」
「戦争の記憶が風化し、憲法の改定が現実のものとなりそうな恐れをひしひしと感じる現在、人間を極限状況に追い込む戦争の悲惨を描いたこの本を選ばれた意味は大きいと思います。一方で、極限に追い込まれた人間の生きようとするすさまじい意志にも胸打たれました。素晴らしかった!」
「感動! 舞台に引き込まれて、苦難に満ちた逃避行の泥沼の感触や、馬糞にまみれたニオイまで感じられた。言葉の力によるなんとすごい時空の創造! そしてその過去の延長にある現在の行く末を思った」
「重たいテーマに、心新たに戦争のむごさを感じました。私も戦中生まれですが、ここまでは体験ありません。母の強さ、圧倒的な生命力に感動しました」
「私たちはeasyな社会に生きて、生きる力を萎えさせてきたな、と思いました」
以上、体験の一端を綴りました。けいすけさんの指摘に首肯しつつも、matsumotoさんの論により強く共感すると冒頭に書いた意味がお分かりいただけたことと思います。「ぼくは感動しなかったな-」と率直に述べ、その理由を突き詰めようとする、いつもながらの誠実な姿勢にも、感謝です。この連載コメントの何回目かに、「引き揚げを体験している人やよく勉強している人には『こんなもんじゃぁない』と言われる」との予測を書きましたが、実はけいすけさんのことが頭にありました。結果的にその通りになり、けいすけさんの共感を得られなかったことは残念です。
でもぼくは,この劇に出演してよかったと思っているし、「なぜ今この作品を?」の問いにも答えが出来たように思います。端的にはアンケートの回答もひとつの答えです。(引用したものの中の明らかに小学生のものと思われる文章に心打たれました。それは10歳のときに「原爆の図」を見て感動し「おれ、戦争いやです」とアンケートに書いた自分が重なって見えたからです。ぼくにとってあれが歩み始めた場所であったように、この少年(少女?)にとってもこれがひとつの原点になっていくのではと思います。けいすけさんのような認識を広げていく過程では、このような地道な取り組みをシコシコと続け、志を同じくする人のつながりを広げてゆくしかないのではないか。いろいろな面での自分の「思い上がり」に気づかされつつ、ぼくはそんなふうに考えています。
長くなりましたが、これをもって、けいすけvs matsumotoの議論に参入します。
最後のコメントの末尾の部分「原点になっていくのではと思います。けいすけさんのような認識を」を
「原点になっていくのではと思います) けいすけさんのような認識を」
と訂正したいのですが。お手数ですがよろしく。
まず、カツヨシ先生、私の書込み最後の寺山修司さんの短歌の誤解を指摘して下さり、ありがとうございました。あれで、プロローグとエピローグとの意図が、ひじょうに鮮明になりました。
けいすけ先生の「僕は感動しなかったなー」というのは、そういうことだったのですか。両先生の長年のご交友から考えて、もっとも客観的・冷静に、あの公演を観ておられたのですね。
当日の感想文のご紹介、ありがとうございました。終演後のロビーの熱気を考えると、「さもありなん」ということでしょう。
『流れる星は生きている』の中公文庫版を、公演後買って斜め読みしました。Aさんと同じ「この作品は極限状況下の人間を描いて、十分普遍性を持っている。」という感想でした。喩えがけいすけ先生には「古く」感じられるかも知れませんが、マルクスが、自身の政治的立場は典型的な王党派であるバルザックの作品をリアリズムの傑作だと評していたことと、料理の仕方は同じだと思います。作者の客観的な立場と、作品の客観的意義とは、必ずしもリンクしていないということです。
私は、いわゆる「新劇」は結構観ているのですが、「アマチュアがやっている」と片付けられないレベルだったと思いました。全体的な感想は、直後にロビーでカツヨシ先生にお会いしたときに述べたように、「なぜこんなことになってしまったのかを、考えさせられざるをえない素晴らしい公演でした」というものです。ロビーに残って一生懸命に感想を書いている人たちの熱気が、同じ気持ちを醸し出していました。
後から、網膜に残像として浮かんできたのは、崎山さん役・ていさん役を演じられた女性の、子どもを抱き起す動作でした。「あなた、それ自分の子どもよ!」というやり取りがあったと知ると、「やっぱりなー」という感じです。
「観客の想像力をなめてはいけない。むき出しのメッセージ・プロパガンダ・アピールは不要。知識としてでなく、想像力で感じ取らせる舞台にしたい。」Aさんの狙いは、立派にコミュニケーションとして成立したと思います。
私が「感動した」のは、このコミュニケーションによって伝えられたメッセージ(プロローグとエピローグを含んで)の内容と、それを「想像力で」感じ取らせたメチェの高さに対してです。原作者の立場にたいしてではなかったのです。