川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

不当な控訴を糾弾する

2012-05-11 05:55:07 | 政治・社会

9日の小沢民主党元代表に対する控訴は民主主義の原理への挑戦で明白な政治弾圧だ。腐りきったマスコミのなかで「東京新聞」が正論を吐いている。読毎朝などの論説委員は熟読吟味して反論してみろ。国民も今何が本筋の問題なのかを考える必要がある。

 僕は森ゆうこ議員らの「新政研」声明を支持する。 不当な弾圧に屈することなく初心を貫いて欲しい。

【社説】

小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を

5月10日(東京新聞)

 一審無罪の小沢一郎民主党元代表を検察官役の指定弁護士が控訴するのは疑問だ。そもそも検察が起訴を断念した事件だ。一審無罪なら、その判断を尊重するよう検察審査会制度の改正を求めたい。

 新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。

 つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。

 とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。

 小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。

 新制度は従来、検察だけが独占していた起訴権限を市民にも広げる意味があり、評価する。だが、新制度ゆえに未整備な部分もある。検察官役の指定弁護士に一任される控訴判断はその典型例だ。検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議する。

 指定弁護士の独断で、小沢元代表をいつまでも刑事被告人の扱いにしてよいのか。「看過できない事実誤認」を理由とするが、検察審に提出された検察の捜査報告書などは虚偽の事実が記載されたものだ。どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか。

 むしろ、「白か黒か」を判定した一審判決を尊重し、それを歯止めとする明文規定を設けるべきだ。最高裁も二月に、控訴審は一審の事実認定によほどの不合理がない限り、一審を尊重すべきだとする判断を示している。むろん被告が一審有罪の場合は、控訴するのは当然の権利だ。

 検察による不起訴、強制起訴による裁判で無罪なのに、「黒」だと際限なく後追いを続ける制度には手直しが急務である。

 

新政研 「 声 明 文 」

  4月26日に東京地裁で決定した「無罪」判決を不服として、昨日、3人の指定弁護士が控訴した。

 いたずらに裁判を長引かせ、我が新政研の会長であり、この国の最も重要な政治リーダーである小沢一郎衆議院議員の政治活動を妨害しようとするものであり、到底許されるものではない。強く抗議するものである。

 検察審査会の起訴議決は、法廷での事実確認を要請するものだ。判決は無罪である。裁判で無罪判決が出た以上、「推定無罪」の原則はより強く尊重されなければならない。従って、小沢一郎衆議院議員は現在、その政治活動に何の制約も受けないことをまず確認しておく。

 そもそも、検察が2年間に渡る執拗な捜査にもかかわらず、証拠が無く起訴できなかった事件であり、この裁判の元となった東京第五検察審査会の起訴議決自体が、検察当局の捜査報告書の捏造という犯罪によって提起されたものである。既にインターネット上で広く国民が知るところとなった「捏造捜査報告書」を、指定弁護士も当初から入手していたのであり、指定弁護士は、検察が何故このような重大な組織的犯罪を犯さなければならなかったのかを、まず検証すべきであった。

 また、指定弁護士に対して控訴権が付与されているかについては、明文規定がない。明文規定の無い手続きによって活動の自由を奪い、刑罰を科すことは、基本的人権を保障する日本国憲法第31条に違反する。

 弁護士法第一条は、「弁護士は基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とする」と高らかに宣言している。指定弁護士であっても弁護士としてこの崇高な使命を負っていることに変わりはない。ましてや、政治主導で「国民の生活が第一。」の政治を実現しようとする主権者の代表、とりわけそのリーダーである小沢会長の活動を更に妨害する権利が無いことは明らかであり、その責任は重い。

 小沢裁判とは一体何であったのか。

 政権交代を目前にして代表の座から小沢会長を引き摺り下ろした西松建設事件は、結局、ダミー団体ではないと検察側証人が法廷で証言し、「訴因変更」という姑息な手段で検察は裁判から撤退。事実上裁判自体が無くなった。

そして、陸山会事件は担当した検事が法廷で「検察の妄想」による壮大な虚構と証言したように、捜査当局による「でっち上げ」である。

 検察のでっち上げだから、証拠が無く、起訴出来なかった。

 だから検察は捜査報告書の捏造という大犯罪を犯してまで、検察審査会を悪用した。

 また秘書裁判において、裁判所は、証拠が無いにもかかわらず、推認に次ぐ推認という到底許されない方法で石川知裕衆議院議員らに有罪を言い渡し、裁判が続いている。

 2009年3月3日からこの3年と2ヶ月余り、前述した検察と司法の暴走に、マスコミはメディアスクラムを組んで協力し、それを、改革を阻む政治勢力が利用してきたことも決して忘れてはならない。

 これは、明らかに政治弾圧である。

 世界の歴史を振り返れば、真の改革者は常に不当な弾圧を受けてきた。インド独立の父であるガンジーは、独立運動を理由としてたびたび投獄されたが、決して屈すること無く粘り強い運動を続け、賢明なる民衆を率いて、祖国を宗主国からの独立へと導いた。

 我々新政研は、不当な政治弾圧に決して屈すること無く、これからも、小沢一郎会長の下に一致結束し、民主党政権が政権交代で国民に約束した「国民の生活が第一。」の政治を実現するために、全力を尽くしていくことをここに宣言する。

 

 

                           平成24年5月10日 

                   新しい政策研究会 (新政研) 一同

 

新政研「声明」●http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/

 
 

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