▼=改ページ、□=未解読
※利生(りしょうの)=利益、纜(ともづな)=もやい綱
登場人物========================================================
金比羅毎歳詣(こんぴらとしまいり)の行者 金野伍(きんのご)平(へい)太(た)
長堀橋の船宿金(こん)ひら野(の)屋の女児(むすめ) 阿柁(おかじ)
金比羅毎歳詣の行者 御神酒(おみき)講十郎(こうじゅうろう)
天地開□夫婦権輿(あめつちひらけしときいもせのはじまり)
陽尊神(おのみことかみ) 陰尊神(めのみことかみ) 火神軻遇突智(ひのかみかぐつち)
東方陽徳(とうほうゆうとく)の母神(おものかみ)
西方陰徳(さいほういんとく)の師表(をしえのおや)
神通不測(しんつうふしき) 天石折神(あめのいわさくのかみ)
役行者(えんのぎょうじゃ) 小角(しょうかく)
後鬼(ごき)の変相 山妻高峯(しづのめたかね)
前鬼(ぜんき)の変相 樵夫陀羅介(きこりだらすけ)
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疑わず、差(たが)うことなき、これを信という。
信が至って深きもの、これを深信(しんしん)という。
深信おこたりなき者は、禍(わざわい)をひるがえして福(さいわい)となすことあり。
さればその願いが成就せずということ無し。
あぁ深信の徳偉(とくおおい)なるかな。
賛曰(さんいわく) こころ直(なお)き獣なればや 山の名の象(さき)の頭(こうべ)に神宿るなり▼
千早振る神世の昔、火神迦具土(ひのかみかぐつち)が生まれた時、母の尊(みこと) 伊耶那美(いざなみ)は焼かれて神去(かんさ)りたまいしかば、伊耶那岐尊(いざなぎのかみ)怒って迦具土(かぐつち)を斬りたまう。
今、火を鑽(き)って薪に移し、また婦女子の月経(つきのさわり)を火が悪しというもこれ縁故(ことのもと)なるべし。
賛曰、吾妹子(わきもこ)の月のさわりを火という、始めはかくや 迦具土の母▼
火の神迦具土が斬られた時、凝血(これがちしお)は石となり、その石の中より一箇(ひとはしら)の神が化生(なりいで)たまう。これを石折(いわさく)(岩裂)の神という。仏教でいう金比羅天王また金比羅天童子、本地不動(ほんちふどう)は、この神によく似たり。それ然(しか)らんか。然らんか。
賛曰、百伝う磐石(いわお)の卵生出(なりいで)て、動きなき世を守りこそすれ▼
小角(しょうかく)は加茂役公氏(かもえんのきみうじ)で、大和葛城郡卯原村(うはらむら)の人なり。三十二歳で葛城山に分け入って、松子(まつのみ)を食とし、藤葛(ふじかずら)を衣とす。よく孔雀明王の呪文を持して、飛行自在を得たり。一日(あるとき)山神(やまのかみ)をして金峯山(きんぷせん)に石橋を造らせるが、速(すみやか)ならざるを怒って、一言主(ひとことぬし)の神を呪縛(いましめ)たり。また常に小角に使役する二童鬼(ふたりのおにわらわ)あり。その中の前童鬼(ぜんどうき)は男なり、妙童鬼(みょうどうき)は女なり。またこれらを前鬼、後鬼という。この鬼は大和の生駒嶽(いこまだけ)に住めり。後に小角に捕(とらわ)れて大峯に置(おか)れる。その後に寺を建て、鬼取寺(おにとりじ)と名づけたり。いだし小角はその名なり。世の人は役行者(えんのぎょうじゃ)と唱う。天性至高(てんせいしこう)なれば、その母を鉢に載せて、渡□(とたう)せしといい伝う。これ我が国の大神仙(だいしんせん)、後世(こうせい)には諡(おくりな)を賜って、神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)と称せられる。
賛曰、葛城や高間の山を踏み分けて 入りにし君が後の白雲▼
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昔々、江戸の片ほとりに金野伍平太(きんのごへいた)という知ったかぶりの男あり。
金比羅の信者で暇のある身なれば、たえず大阪へおもむいて長堀橋の金ひら野屋という船宿から船に乗り、讃岐の象頭山(ぞうずさん)へ詣でる回数は既に三十三度に及んだ。
その頃、京都の片ほとりに御神酒講十郎(おみきこうじゅうろう)という者あり。
これも劣らぬ金比羅の信者なれば毎年のように長堀橋の同じ船宿より乗り合いして金比羅へ詣でるので、いつとなく伍平太と心安くうち語らうようになった。
この度の参詣は船中に追い手(おいて/追い風)が稀(まれ)にして、船掛り(ふなかかり/停泊)に日を経ると皆は退屈に耐えざりけり。その時、講十郎がふと言うには、
「さても、金比羅大権現の御利益は世がこぞって知るところで申すもなかなか愚かなり。しかれども、その本地垂迹(ほんじすいじゃく)は如何(いか)なる神で、如何なる仏と定かにこれを言う者はまれなり。まして当山の開闢(かいびゃく)もいずれの年にいずれの聖(ひじり)が開かれたかを定かに言う者は聞いたこともなし。金野氏は物知りで、しかも信心浅からねば、きっと事の事情を詳しく御承知の事なるべし。船中の眠り覚ましに、あの神の本地垂迹、また開山の霊験奇特を物語りして聞かせたまえ。事の始めは如何なるか。お聞かせくだされ」と言う言葉に乗り合いの人は皆こぞって小膝を進めて、
「これは真(まこと)に尊い事なり。我らも聴聞(ちょうもん)つかまつらん、さぁさぁ語りたまわずや」とすすめけり。されば金野伍平太は乗り合いの人々におだてられ、知ったかぶりの癖なれば、いなふねならぬ金比羅船の客の間におし直り、□兜羅綿(とろめん)の紙入れの隅を裏へと折烏帽子(おりえぼし)、さらしの襦袢を引き脱いで、前より着たほやうえのこじつけ、講十郎は心得て船荷を引き出し高座をこしらえ、恐れず臆せず伍平太はゆったりとよじ登り、扇をばちばち咳払い、こりゃ、聞き事じゃと諸人は押し合いへし合い取り巻いて耳をすませて聴聞す。
その時金野伍平太は扇を笏(しゃく)に膝組み直し、
「さても金比羅大権現の縁起、根本、霊験、利生のあらましを凡夫のつたない我の口から申すは恐れ多い事。言わんや、また幾千歳(せんざい)の昔の事、人の嘘は我が嘘にて、伝え誤り聞き違えて神仏(かみほとけ)を□ひなるは要無き業(わざ)でござれども、それも善行、方便で、凡夫のしゃくをまさせん為なれば、しばらく虚実はさて置いて、我が予て伝え聞いたそのあらましを講じましょう。□□」と咳払い、長物語りの序が開き、皆は興をもよおしける。
○そもそも金比羅の神号(しんごう)は、増一阿含経(ぞういちあごんきょう)、宝積経(ほうしゃくきょう)、天台妙文句、金比羅天童子経こうに見え、王舎城(おうしゃじょう)を祀(まつ)りたまう諸天、夜叉の善神(ぜんしん)なり。▼金比羅とはゐによ主と申すに同じ。言う心はこの神の威勢(いせい)通力(つうりき)、例えば世の中の天子、将軍、萬(よろず)に自在を得たまうが如し。よってこれをゐによ王と言う。ゐによ王はすなわち金比羅なり。昔、釈尊が王舎城に居られし時、提婆達多(だいばだった)と言う大悪□□長さ三丈広さ一丈六尺ばかりの大石で打ちひしぎ奉らんとした時に、その山の神の金比羅王がその石を受け止めたことは宝積経のてんじゆ□品、また天台妙文句にも見えたり。
今、この事を例えて言えば、昔、石橋山のほとりで股野五郎景久(またのごろうかげひさ)が頼朝卿を討とうとして、一抱(ひとかか)えにも余る大石を投げ落とした時に真田の与市義定(よしさだ)が受け止めたのにさも似たり。股野の心は大悪(おおあく)で提婆達多に異ならず、真田の忠義と力量は金比羅王の功徳に等しい。これはこれ仏説の趣旨を申すのみ。また和漢三才図絵では金比羅は須佐之男(すさのお)の尊(みこと)だと言い、また三輪大御神だとも言えり。あるいは今、山彦の尊などと申す者もある。□いづれも正(まさ)しき証文は無けれども、象頭山に神職あれば仏説によって、これは我が国の神には非(あら)ずと一向(ひとむ)きには言い難し。かかれば神仏両部の神なり。それがしが予てより伝え聞いた事には、この御神には名号(みょうごう)多く、仏説ではへ□らと言い金比羅と言い、ぐへいらと言い、また宮毘羅神(くびらしん)とも言えり。また神道にて言う時は、天(あめ)の石折(いわさく)の神、すなわちこれなり。例えば牛頭天王(ごずてんのう)と須佐之男の尊のごとくに石折の神と金比羅とその名号は異なれども、祀(まつ)る所は同じかるべし。
さて、これまでは物語の大意なればまじめなり。これより岩裂(いわさき/石折)の神の始めを申すべし。
昔々、神の世で火の神の迦具土の御母は伊耶那美(いざなみ)の尊なり。火の神が生まれた時に御母の尊がその火に焼かれて遂に神去りたまいしかば、御父伊耶那岐の尊は怒って、迦具土を斬りたまう。その血潮は凝り固まりて遂に二つの石となった。伊耶那岐の尊は見そなわして、この石をここらに置くべからずと遙か遠くに投げ捨てたまうと、一つの石は讃岐(さぬき)に落ちて、たちまち一座の山となった。今の象頭山はすなわちこれなり。もう一つの石は西の方(かた)の十万里を飛び行って、無辺無量(むへんむりょう)という国の方便山(ほうべんさん)にとどまりける。この石の高さは三丈六尺、回り(めぐり)は二丈四尺で石の肌に自(おの)ずから黄金のめさの形が現れて金色に輝けば、鳥獣(とりけだもの)も触れ汚さず、雪霜も石の上にはいささかも積もらざりけり。いわゆる無辺無量国の金幣石(きんへいせき)これなるべし。この石は方便山に落ちとどまって、後(のち)に幾万年を経たれば、既にして大山と地神いづれの御時にや、ある日おのずから二つに裂けて石の内より一柱の荒神が化生(なりいで)たまいけり。これを岩裂(いわさく)の神と言い、また天の岩裂の神とも言った。その形は人にして▼面(おもて)の色は朱の如く、その鼻はいと高くて鼻の先が尖って、さながら鳥のくちばしに似たり。かつ手を上げれば羽根となって大空をも飛行し、足を上げれば筏(いかだ)となって大海(たいかい)をも渡るべし。されども生まれたままで、まだ神□(しん□)を得てなければ、羽根あれども高くは飛べず、例えばあひろの溝に遊んで遠く飛び去り難きに似たり。かくて岩裂の荒神は石の内よりなりいでて、谷川で身を濯(そそ)ぎつつ天地四方を拝すると身の内が光り輝いて、例えば黄金の砂(いさご)の浜に朝日が照らすに異ならず、その光りが天地に通って大千世界を照らしけり。
この時、天(あめ)の若宮で天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙かに下界を御覧じて、驚いて思兼の神(おもいかねのかみ)に問われるには、
「ただ今、西の方で怪しい光が世界を照らせり。何にかあらん」と宣(のたま)えば、思兼の神は承って、しばらく眺めてにっこり微笑み、
「さまでの事も候わず。かれはこれ、その昔に迦具土が斬られた時、その血潮が石となって、しかじかの国にあり。その石が自ずから二つに裂けて岩裂の神が出現せり。今、西の方に怪しい光が候うは、かの神の身より出て照り輝かすにて候」と事もなげに申せば、天照大神はうなずいて、
「さもありなん、さもありなん。籠(こも)るものは出(いづ)ることあり。孕(はら)めるものは生まれる事あり。天の精気の地に下ってく形を成さずと言う事なし。▼その精気がことに優れて清い者は神で、濁れる者は鳥獣となる。また歩むに足らず」と再び問わせたまう事なし。さる程に岩裂の神の荒神は水を飲み、木の実を食し、藤葛(ふじかずら)を衣とし、谷に下り峰に上って幾年月を経るままに、身より照らす金色の光は遂に失せにけり。
さればこの山にありとある夜叉天狗(やしゃてんぐ)のみを友として終日(ひねもす)遊び暮らす程に、山の半ばに大滝あり。岩走る音が遠く響いて幾引きの白根を掛け渡したに異ならず。しかもこの滝壺より金色の光が立ち上って中空にひいる事が時として絶えざれば黄金の滝と名付けたり。
かかりし程に天狗共はある日、岩裂の神と共にくだんの滝のほとりで遊んで、立ち上る気を仰ぎ見つつ、
「我々は飛行自在なれども水の底に入ることかなわず。この滝壺の底にこそ得難き宝がありもやせん。滝にもせよ、水底を見極める者があれば我らの主君と仰ぐべし」という言葉が終わる前に岩裂の神が進み出て、「我、この底を見極めん。どれどれ」と言いながら、そのままざぶんと飛び込めば、夜叉天狗らは驚きあきれて、
「哀れ、要(えう)なき我慢なり。滝より先にその身は砕けて再び帰る瀬はあらじ。哀れむべし、哀れむべし」と言わぬ者は無かりける。さる程に岩裂は滝壺に入るといえども思いの外に身は濡れず、底はいと広くしていささかも水なくて、別(べち)に一つの世界に似たり。足に任せて行く程に、果たして一宇の高殿あって、威如天堂(いにょてんどう)という扁額(へんがく)を掲げたり。その高殿の様子は黄金を延べて柱とし、錦を重ねて筵(むしろ)とす。綺麗、壮観、中々に言葉には述べ尽くし難し。しかのみならずこの所には耕さずして五穀あり、年中萎まぬ花もあり、木の実、草の実、様々の物が乏しからねば、岩裂の神は喜んでまた滝壺より躍(おど)り出て、夜叉天狗らにしかじかと事の様子を告げ知らせ、相伴って始めのように水底に入れば、天狗どもはいよいよ呆れて喜ぶ事も大方ならず、これより岩裂を威如大王と尊(とうと)んで、眷属となって仕え、昼は方便山で遊んで、夜は天堂に帰って眠る。されば山彦、山の神、山姫、山姥(やまうば)に至るまで岩裂の神の通力に恐れて、媚び従わぬ者はなく、ある時はしやくをとり、ある時は舞い歌って酒宴の興を添えにけり。
かくてまた幾千歳を経る程に、楽しみ尽きて悲しみ来たる。その日も遊興たけなわなりしが岩裂の神は何をか思いけん、只いさめいさめと泣けば、夜叉天狗どもは驚いて、「こは何事がおわしまして、かくまで楽しき酒宴の席にて嘆きたまうや」と問われて岩裂は、
「さればとよ、我には父も母もなく、この国に成りいでてから幾千歳の月日を経たり。命長きに似たれ共、およそ形のあるものは各々(おのおの)の齢(よわい)に限りあり。一朝にして命終われば▼今の楽しみも皆夢なり。言わんや、またこの国は物乏しきにあらねども、我が輩(ともがら)以外に他に住む人はなし。四方僅かに百余里の此の所のみで天地の広さを知ること無いは、これ井の中の蛙に等し。今は国々にその道開けて天竺(てんじく)には仏の教えあり。また唐土(もろこし)には儒の教えあり、道家の教えもありと聞く。また日本は四大部州(よんだいぶしゅう)かみにあり、例えば人の頭(こうべ)のごとし。ことに目出度き国なれば神の教えのいと尊く、今人王の世になっては儒仏道家の教えも伝えて人多く国富めりとほのかに伝え聞ける事あり。いでや只今門出(かどいで)して、かの国々を経巡って神儒仏の教えは更なり、かの仙術に長けたる者、天地と共に尽きる事なく齢(よわい)を保つ人があれば、我はその師に従って学ぼうと思うのみ。さなくて命終わる時は後悔そこに絶ち難し。我は飛行の術があり、船筏を用いずに海のほかに遊ぶべし。汝らはいよいよ心を合わせて国を守って怠ることなく我が帰る日を待つべし」とて、ねんごろに別れを告げて、早端近(はしちか)く立ち出て、両手を開くと左右の腕(かいな)が羽根となり、雲をしのぎてひらひらと飛ぶ鳥よりも速(すみ)やかに舞い登りてぞ失せにける。
○さる程に、岩裂の神威如王はまず天竺に渡り、また唐土に赴いて国々の教えを見るが未だ心にかなわねば、なおも東に渡って日本国に赴いて、その風俗を見ると、聞きしに勝る上国(じょうこく)で君臣男女(くんしんだんじょ)の礼儀は正しく、天地(あめつち)開け始めし時より百王一姓で、天津日嗣(あまつひつぎ)たまる事なく万民は富み栄え、国に逆賊ある事もなし。その国は東の果てにあって大国にはあらねども、実(げ)に万国の神(かみ)たること、人の頭は小さけれども五体の神にあるが如し。かつ人の心が素直なのは神の教えを守ればなり。未来を恐れて施しを好むのは仏の教えを尊めばなり。かかる目出度き国にこそ天地と共に滅ばない神仙はあると、あちこちの人に問うと
「大和の国の葛城山に役(えん)の君小角と言う仙人あり。常に五色の雲に乗って仙郷(せんきょう)に往来し、よく孔雀明王の呪文を唱えて、神をも戒め鬼をも仕(つか)う。三十二才の時に山に入って仙術を得た後に、その母を鉢の内に乗せて唐土(もろこし)に赴いた事さえありと予て聞けども、その齢は幾百才か幾千歳になるやらん、確かに知る者はなし」とそのあらましを告げれば、岩裂の神は喜んで大和の国に赴いて、既に早くも葛城山のふけこにして日は暮れたり。その時に裾野の茅(ちがや)の中より賊の男(しずのお)、賊の女(しずのめ)が走り出て、その賊の男は鉞(まさかり)を振りひらめかし、その賊の女は利鎌(とがま)を持って挟んで討たんとするのを岩裂は早く身をかわし、両方等しく受けとどめ、「こは狼藉なり、何者ぞ」と問うと二人は言葉を揃えて
「我らの事を問わんより早く汝の名を告げて、この二振りの刃(やいば)を受けよ。汝の衣装、身の回りは旅人に似たれども怪しき曲者(くせもの)なる由は天眼通(てんがんつう)をもて知れり。我々を誰と思う。▼役の小角に仕え奉る木こり陀羅介(だらすけ)、賊の女高峯(たかね)と知らざるや。小角の命を受けて夜な夜な山の麓を守るに、怪しき奴と知りながらいかでかここを通すべき、観念せよ」と罵るを岩裂は聞きつつうなずいて、
「さてはこの頃この国の人の噂に聞き及ぶは、生駒が嶽の山の神、男は前鬼、女は後鬼。陀羅介、高峯と仮初めにその名を変えて小角に仕える者共よな。我も小角仙人の徳を慕い術を慕って、師弟の因み(ちなみ)を結ぶために十万余里の西の果ての無量無辺国より遙々と渡り来た岩裂の威如王と言う者なり。我はいささかも野心なし。願わくばこれらの由を小角仙人に告げたまえ、只見参(けんざん)を願うのみ」と他事もなく頼めば陀羅介、高峯はようやく疑い解けて、そのまま岩裂のために導(しるべ)をしつつ、葛城山によじ登り、小角の岩室に相伴って、しかじかと事の由を申せば、小角は拒む気色なく岩裂の神に対面して、その事の来歴と素性を詳しく尋ねけり。
役の君小角が入門の者を呼び入れて来歴、素性を問えば、岩裂の神は答えて、
「それがしは西牛賀州(さいぎゅうがしゅう)の海の外(ほか)の無量無辺という国の方便山のほとりの者で、父もなく母もなし。金幣石と言う石の内より産まれたれば、自らその名を岩裂と言う。我が国の輩は尊んで岩裂の威如大王と称するなり。萬(よろず)に不足無き身なれども、およそ形あるものは死に失せずという事なし。しかれども世に神仙というものあり、形をねり、せいを養い天地と共にその命限りなしと伝え聞く、もしかかる人があらば我が師として教えを受け、不死の術を学ばんために四大部州(しだいぶしゅう)を遍歴したが、これぞと思う師に会わず。しかるに聖(ひじり)は世に伝え聞く神仙で、その術高く、その徳高しと告げる者あるにより遙々と推参致したり。願わくば不死の術を教えたまえ」と言う程に、小角は袖の内にて占いつつ、うなずいて、
「我は早くも御事(おこと/お前)の素性を知りぬ。いかでか父母が無からんや。御事が父はこれ火なり、御事が母はこれ石なり。御事を育てし者は西の土地、西を五行に象(かたど)る時はすわち金なるを▼知らずや。金石(きんせき)は撃(げき)して火を生ず、これ御事が産まれる由縁、父母なしと言うべからず。しかれども産まれて死なぬ者はなし。我が国神仙の神々ですら命に限りあればこそ根の国へ帰らせたまいぬ。しかれどもその荒御魂(あらみたま)は今もこの国を守りたまえば、死して滅びざる。これを名付けて神と言う。仏もまたこれに等しく、釈尊と申せどもその寿命に限りあり涅槃(ねはん)の室に入りたまえども、その教えは尽きる時なく、一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わせたまう。これもまた死して滅びず術のいたれる由縁なり。しかれどもこれらの事は一朝には諭し難く、また一朝には悟り難し。今より我に従って務め学べば、後遂(のちつい)にその冥応(みょうおう)を知る事あらん。今日より御事の法名を岩裂の迦毘羅(かびら)と呼ばん。学寮に退いて兄弟子たちと諸共によくよく学びたまえ」とそのまま山にとどめられる。
○さる程に、岩裂の迦毘羅は役の行者の教えその□にかなって、さもあるべしと思えばこれより心を傾けて、師に仕えること昼夜をいとわず、下□の□橋に黄石公(こうせきこう)の靴を取った張良もこれにまさらじと見えれば、小角もまた深く愛して神しゅくの妙計をいささかも惜しむ事なく法術、呪文を教えると、一を聞いて十を知る、その才もまた優れたり。かねて飛行、通力あるが、今また形を変じて姿を隠し、雲を呼び風を起こす術を習い得れば、迦毘羅坊は密かに喜び、今は早天地の間に我に及ぶ者なしと思えり。かくてある日、迦毘羅坊は相弟子の山伏五七人と共に岩室を発ち出てあちこちと眺め渡すと、山伏らが皆で言う様、
「和主は行者に従ってまだ十年にも及ばねども、師の心に適(かな)った故か、我らに教えられぬ事をもそこには習い得たりと思う。何なりともおもろ奇術を施して見せたまえ、いざいざ」とそそのかせば、迦毘羅坊は予てより術に誇る心があり、今思わずも山伏らの所望に否む気色なく、「そはいと易き事なり」としばらく呪文を唱えれば、何処(いずこ)ともなく一羽の鶴が忽然と舞い降りて、迦毘羅を乗せて空中へひらめき上ると不思議なるかな迦毘羅の姿はあでやかな遊女となって、内掛け捌(さば)きもしなやかに鶴の背中に座を占めて、手に長文(ながふみ)を繰り返し繰り返しつつ読む様は▼花の顔ばせ月の眉(まゆ)に□ひこぼれる愛嬌に一度(ひとたび)笑めば、国を傾け城を傾けるとうたわれた唐土(もろこし)の李夫人(りふじん)なりともこれにいかでか及ばんやと山伏らは皆我を忘れて見とれるもあり、誉めるもあってしばらくなりは静まらず。この時、役の小角は室の戸の方で人々が笑い興(きゃう)ずるのは何事やらんといぶかって、自ら立ち出て見たまうと岩裂の迦毘羅坊の仙術で遊んで人々笑い興ずるなり。こは浅ましと思いつつ、なおも木陰に立ち隠れ、事の様子をうかがうと迦毘羅坊は師の行者が立ちいでたまうと早知って、たちまち術を収めて元の姿になりにけり。その時ようやく山伏らは行者が垣間見たまうを知って、ついで悪し事とひそめいて、皆学寮へと退けば迦毘羅坊も続いて帰り入らんとするのを小角は急に呼びとどめ、木陰を出て形を改め、
「我は始めより御事の素性が人間の種ならずと言うが故に、抜きん出て教え導いたが、何ぞや術を弄(もてあそ)び相弟子らに誇りたる。既に御事が行うところ、世に麗しき(うるわしき)美女に変じて凡夫の眼(まなこ)をたぶらかすのは外道の幻術にて正ぼう□あえば必ず破られる。もし疑えば試みに姿を変じて見せよかし。我がその術を破り得ずば、我は今より改めて、御事の弟子になるべきなり。再び術を施さずや、さぁさぁ見せよ」と急がすと迦毘羅坊は行者の怒りに上辺ばかりは恐れ入る面持ちはすれども心の内に思う様、
「・・・・・・・昔より弟子としてその師に勝る者が無きにあらず。我が術は既に成就したれば行者というとも何ぞ及ばん。この折りに小角をかえって我が弟子にすれば快(こころよ)き事なるべし」と腹の内に思案をしつつ、
「□まことに逃れる道なし。しからば術を施して御笑いに備えまつらん。いざ御覧ぜよ」と言いながら、たちまち口に呪文を唱えて姿を変ぜんとすれども術を行うこと得ならず、こはいかにと驚き怒り、かつ恥じて憤りに耐えざれば、遂に小角を害せんと思う心あり。
さるにより迦毘羅坊はその夜、小角の臥所に(ふしど)に忍び近づいて、刃を抜いてぐさっと刺すがはや空蝉(うつせみ)のもぬけにして小角は臥所にあらず。こはいかにと驚き慌てて走り去らんとする程に、何処(いづこ)ともなく吹き入る山風さっと下ろし、身を切るごとくに思えしが、不思議なるかな、迦毘羅坊の五体はにわかに発熱して身を焼く如くもんらんしつつ、あっと叫んで倒れけり。
かかりし程に役の行者は行衣(ぎょうえ)の上に玉襷(たまたすき)して、しずしずと現れ出て、
「如何(いか)に迦毘羅坊。我は予てじゆうに入りて御事は火の神迦具土の子なる由をよく知れり。火は風を得て熾(おこ)るものなり。故に今、風かく神尊(ふうかくしんそん)の呪文をもって風を熾しつつ、前世の業因(ごういん)▼しかじかと明らかに悟らせる。早く野心をひるがえし、故郷に帰って時を待ち、只世の為、人の為に悪魔外道を退治して大善神と仰がれよ。さる時はそれがしもいかでか御事に及ぶべき。忘れても今日の如くに術をもてあそび、人に誇ればこれ身を失う仲立ちなり。我が戒めはここにあり。今は早これまでなり。速(すみ)やかに下山して元の国へ帰るべし。さぁさぁ」と急がしたてて再び呪文を唱えれば、迦毘羅坊の身より出る妙火(みょうか)は消えて跡もなくたちまち我に返りけり。
ここに至って迦毘羅坊は行者の威力(いりき)に感服し、初めて夢が覚めたるごとく、身の過ちを懺悔して衆生利益(しゅじょうりやく)の為にして、悪魔退治の折ならずは術を施さずと誓いをたてて詫びれば、小角はしばしば戒めて、
「御事の形術(ぎょうじゅつ)は大千世界に敵無きに似たれども、我には敵し難きがごとくに漫(そぞ)ろに敵を侮(あなど)る者は小敵にも謀(はか)られやすし。されば無辺無量国ではかの夜叉天狗などが皆御事を尊んで、よく仕えると言うといえども、もし一旦、事に触れて背く者がある時は密かに害せんとこそ謀るべけれ。その外心(がいしん)を防がんには風かく(ふうかく)の呪文に増すものなし。彼らが怒らんとする時に早くその術を唱えれば、夜叉天狗らの身の内より妙火がたちまち燃えいでて、その身を焼かれてもんらんせん。かれば、彼らを従えて長く背かざらしむべき。この呪文をもって餞(はなむけ)とせん。よくよく心得たまえ」とねんごろに説き諭して、くだんの呪文を授ければ、迦毘羅はますます喜び、行者を拝して別れを告げ、そのまま雲にうち乗って、西を指してぞ飛び去りける。
されば天狗道の苦しみで、日に三度夜に三度、身より出(いず)る火に焼かれ五体を焦がすと今の世に語り継ぎ言い伝えるのは迦毘羅坊の餞別に役の行者が授けた呪文の故なるべし。
○さる程に、岩裂の迦毘羅坊は神変自在の通力で早くも無辺無量国の方便山に着ければ、やがて雲より下り立って、部類眷属(ぶるいけんぞく)を呼び集めると六万八千の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、或いは喜び、或いは嘆いて、皆諸共に告げる様、
「大王、何故に遅かりし。物学びの為に仮初めに旅立ちたまいしより既に七八年を経たり。しかるに近頃これより遙か北の方に黒暗魔王(こくあんまおう)と言う者あり。彼は我が王が此の所におわしまさぬをうかがい知り、この山を奪い取り、威如天堂を横領せんと数万の悪魔を従えつつ、時となく押し寄せ来て、攻め討つこと大方ならず。我々ずいぶん▼手を尽くして防ぎ戦いしが、大王の身の丈は一丈六尺、しかも三つの頭(こうべ)あり左右の腕(かいな)は六本あり。その二つの手は弓を引き、また二つの手は鉾(ほこ)を回し、一つの手は棒を使う。相従う悪魔どもさえ一人当千の手並みあれば勝ちを取ること叶い難くて、討たれたる者も少なからず、もし重ねて押し寄せ来るを如何にして防ぐべき、枕を並べて討ち死にせんか、また和睦して此の山を譲り渡して大王が帰られるを待って恨みを返さんかと評議まちまちに候」と大息ついて物語るのを迦毘羅坊は聞きながら、
「そは易からぬ事にこそ、□□□□□□□□□□□□□」と問われて皆々頭(こうべ)をかき、「奴らが来る時は霧を起こし、帰る時は雲に乗り、所を指して飛び行くのみ。住みかは知らず候」と言えば迦毘羅はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。我がその大王をうち殺して首取って土産に得させん。しばらく待て」と言いかけて、ひらりと雲にうち乗って、天眼通で所の方を遠く遙かに見渡すと、ここをさること千余里にして黒暗州(こくあんしゅう)という一つの島あり。その地は魔王の住みかにして、山をうがちて城となし、岩をたたみて塀(へい)となし、数多(あまた)の悪魔が籠もり居たり。迦毘羅は早くも見定めて、通力でその所へまたたく間に赴いて、門戸を守る悪魔らに向かい、
「我は無辺無量国の威如天堂の主にして岩裂の迦毘羅神威如大王という者なり。汝らが主と頼む魔王に対面するために自らここに来臨せり。さぁこの由を通達せよ」と言うと外道らは驚き騒いで魔王にかくと告げ知らせれば、魔王は聞いてあざ笑い、
「奴は身に鎧(よろい)も付けず手に弓矢も携(たずさ)えず、身一つにして来たるは自らその死をおくるなり。今、目(ま)の当たりにうち殺して、手並みの程を見せん」と例の打ち物を取り揃え、ゆうゆうとゆるぎで、
「汝は命に掛け替え▼あるのか、我に会わんと一人で来るは身の程知らぬ痴れ者(しれもの)なり。言う事あれば早く言え、望みに任せて素頭(すこうべ)引き千切って得させん」と罵(ののし)る声は木霊(こだま)に響いて、くわっとにらんだ六つの眼(まなこ)は闇の星かと疑われる。迦毘羅はこれを聞きながら、
「憎っくき外道の似非(えせ)広言(こうげん)。汝は我の留守をうかがって、我が眷属を攻め悩ませし報(むく)いが早く来たのを知らずや。観念せよ」と詰め寄せたり。
その時魔王はますます猛(たけ)って、やみやけんがき黒金(くろがね/鉄)の棒を隙間もなくうち振りうち振り、まっしぐらに馳せ向かえば、従う悪魔は数を尽くして、おっとりこめて討たんとす。されども迦毘羅は少しも騒がず一人(いちにん)まんえい分身の呪文を口に唱え、乳脇(ちちわき)の下の小羽根を抜いて、ふんふんと吹きかければ、その羽根は幾百□の迦毘羅坊の姿に変じて、支(ささ)える敵を攻め伏せ攻め伏せ、その手の悪魔を一人も残さず斬り倒して踏み殺せば、黒暗魔王は驚き慌てて逃げんとするのを逃がしもやらず大喝一声(だいかついっせい)、迦毘羅坊があびせかけた刃(やいば)の稲妻、もろくも魔王の三つの首は、只一ト討ちに斬り落とされて、骸(むくろ)も共に倒れけり■
<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
※利生(りしょうの)=利益、纜(ともづな)=もやい綱
登場人物========================================================
金比羅毎歳詣(こんぴらとしまいり)の行者 金野伍(きんのご)平(へい)太(た)
長堀橋の船宿金(こん)ひら野(の)屋の女児(むすめ) 阿柁(おかじ)
金比羅毎歳詣の行者 御神酒(おみき)講十郎(こうじゅうろう)
天地開□夫婦権輿(あめつちひらけしときいもせのはじまり)
陽尊神(おのみことかみ) 陰尊神(めのみことかみ) 火神軻遇突智(ひのかみかぐつち)
東方陽徳(とうほうゆうとく)の母神(おものかみ)
西方陰徳(さいほういんとく)の師表(をしえのおや)
神通不測(しんつうふしき) 天石折神(あめのいわさくのかみ)
役行者(えんのぎょうじゃ) 小角(しょうかく)
後鬼(ごき)の変相 山妻高峯(しづのめたかね)
前鬼(ぜんき)の変相 樵夫陀羅介(きこりだらすけ)
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疑わず、差(たが)うことなき、これを信という。
信が至って深きもの、これを深信(しんしん)という。
深信おこたりなき者は、禍(わざわい)をひるがえして福(さいわい)となすことあり。
さればその願いが成就せずということ無し。
あぁ深信の徳偉(とくおおい)なるかな。
賛曰(さんいわく) こころ直(なお)き獣なればや 山の名の象(さき)の頭(こうべ)に神宿るなり▼
千早振る神世の昔、火神迦具土(ひのかみかぐつち)が生まれた時、母の尊(みこと) 伊耶那美(いざなみ)は焼かれて神去(かんさ)りたまいしかば、伊耶那岐尊(いざなぎのかみ)怒って迦具土(かぐつち)を斬りたまう。
今、火を鑽(き)って薪に移し、また婦女子の月経(つきのさわり)を火が悪しというもこれ縁故(ことのもと)なるべし。
賛曰、吾妹子(わきもこ)の月のさわりを火という、始めはかくや 迦具土の母▼
火の神迦具土が斬られた時、凝血(これがちしお)は石となり、その石の中より一箇(ひとはしら)の神が化生(なりいで)たまう。これを石折(いわさく)(岩裂)の神という。仏教でいう金比羅天王また金比羅天童子、本地不動(ほんちふどう)は、この神によく似たり。それ然(しか)らんか。然らんか。
賛曰、百伝う磐石(いわお)の卵生出(なりいで)て、動きなき世を守りこそすれ▼
小角(しょうかく)は加茂役公氏(かもえんのきみうじ)で、大和葛城郡卯原村(うはらむら)の人なり。三十二歳で葛城山に分け入って、松子(まつのみ)を食とし、藤葛(ふじかずら)を衣とす。よく孔雀明王の呪文を持して、飛行自在を得たり。一日(あるとき)山神(やまのかみ)をして金峯山(きんぷせん)に石橋を造らせるが、速(すみやか)ならざるを怒って、一言主(ひとことぬし)の神を呪縛(いましめ)たり。また常に小角に使役する二童鬼(ふたりのおにわらわ)あり。その中の前童鬼(ぜんどうき)は男なり、妙童鬼(みょうどうき)は女なり。またこれらを前鬼、後鬼という。この鬼は大和の生駒嶽(いこまだけ)に住めり。後に小角に捕(とらわ)れて大峯に置(おか)れる。その後に寺を建て、鬼取寺(おにとりじ)と名づけたり。いだし小角はその名なり。世の人は役行者(えんのぎょうじゃ)と唱う。天性至高(てんせいしこう)なれば、その母を鉢に載せて、渡□(とたう)せしといい伝う。これ我が国の大神仙(だいしんせん)、後世(こうせい)には諡(おくりな)を賜って、神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)と称せられる。
賛曰、葛城や高間の山を踏み分けて 入りにし君が後の白雲▼
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昔々、江戸の片ほとりに金野伍平太(きんのごへいた)という知ったかぶりの男あり。
金比羅の信者で暇のある身なれば、たえず大阪へおもむいて長堀橋の金ひら野屋という船宿から船に乗り、讃岐の象頭山(ぞうずさん)へ詣でる回数は既に三十三度に及んだ。
その頃、京都の片ほとりに御神酒講十郎(おみきこうじゅうろう)という者あり。
これも劣らぬ金比羅の信者なれば毎年のように長堀橋の同じ船宿より乗り合いして金比羅へ詣でるので、いつとなく伍平太と心安くうち語らうようになった。
この度の参詣は船中に追い手(おいて/追い風)が稀(まれ)にして、船掛り(ふなかかり/停泊)に日を経ると皆は退屈に耐えざりけり。その時、講十郎がふと言うには、
「さても、金比羅大権現の御利益は世がこぞって知るところで申すもなかなか愚かなり。しかれども、その本地垂迹(ほんじすいじゃく)は如何(いか)なる神で、如何なる仏と定かにこれを言う者はまれなり。まして当山の開闢(かいびゃく)もいずれの年にいずれの聖(ひじり)が開かれたかを定かに言う者は聞いたこともなし。金野氏は物知りで、しかも信心浅からねば、きっと事の事情を詳しく御承知の事なるべし。船中の眠り覚ましに、あの神の本地垂迹、また開山の霊験奇特を物語りして聞かせたまえ。事の始めは如何なるか。お聞かせくだされ」と言う言葉に乗り合いの人は皆こぞって小膝を進めて、
「これは真(まこと)に尊い事なり。我らも聴聞(ちょうもん)つかまつらん、さぁさぁ語りたまわずや」とすすめけり。されば金野伍平太は乗り合いの人々におだてられ、知ったかぶりの癖なれば、いなふねならぬ金比羅船の客の間におし直り、□兜羅綿(とろめん)の紙入れの隅を裏へと折烏帽子(おりえぼし)、さらしの襦袢を引き脱いで、前より着たほやうえのこじつけ、講十郎は心得て船荷を引き出し高座をこしらえ、恐れず臆せず伍平太はゆったりとよじ登り、扇をばちばち咳払い、こりゃ、聞き事じゃと諸人は押し合いへし合い取り巻いて耳をすませて聴聞す。
その時金野伍平太は扇を笏(しゃく)に膝組み直し、
「さても金比羅大権現の縁起、根本、霊験、利生のあらましを凡夫のつたない我の口から申すは恐れ多い事。言わんや、また幾千歳(せんざい)の昔の事、人の嘘は我が嘘にて、伝え誤り聞き違えて神仏(かみほとけ)を□ひなるは要無き業(わざ)でござれども、それも善行、方便で、凡夫のしゃくをまさせん為なれば、しばらく虚実はさて置いて、我が予て伝え聞いたそのあらましを講じましょう。□□」と咳払い、長物語りの序が開き、皆は興をもよおしける。
○そもそも金比羅の神号(しんごう)は、増一阿含経(ぞういちあごんきょう)、宝積経(ほうしゃくきょう)、天台妙文句、金比羅天童子経こうに見え、王舎城(おうしゃじょう)を祀(まつ)りたまう諸天、夜叉の善神(ぜんしん)なり。▼金比羅とはゐによ主と申すに同じ。言う心はこの神の威勢(いせい)通力(つうりき)、例えば世の中の天子、将軍、萬(よろず)に自在を得たまうが如し。よってこれをゐによ王と言う。ゐによ王はすなわち金比羅なり。昔、釈尊が王舎城に居られし時、提婆達多(だいばだった)と言う大悪□□長さ三丈広さ一丈六尺ばかりの大石で打ちひしぎ奉らんとした時に、その山の神の金比羅王がその石を受け止めたことは宝積経のてんじゆ□品、また天台妙文句にも見えたり。
今、この事を例えて言えば、昔、石橋山のほとりで股野五郎景久(またのごろうかげひさ)が頼朝卿を討とうとして、一抱(ひとかか)えにも余る大石を投げ落とした時に真田の与市義定(よしさだ)が受け止めたのにさも似たり。股野の心は大悪(おおあく)で提婆達多に異ならず、真田の忠義と力量は金比羅王の功徳に等しい。これはこれ仏説の趣旨を申すのみ。また和漢三才図絵では金比羅は須佐之男(すさのお)の尊(みこと)だと言い、また三輪大御神だとも言えり。あるいは今、山彦の尊などと申す者もある。□いづれも正(まさ)しき証文は無けれども、象頭山に神職あれば仏説によって、これは我が国の神には非(あら)ずと一向(ひとむ)きには言い難し。かかれば神仏両部の神なり。それがしが予てより伝え聞いた事には、この御神には名号(みょうごう)多く、仏説ではへ□らと言い金比羅と言い、ぐへいらと言い、また宮毘羅神(くびらしん)とも言えり。また神道にて言う時は、天(あめ)の石折(いわさく)の神、すなわちこれなり。例えば牛頭天王(ごずてんのう)と須佐之男の尊のごとくに石折の神と金比羅とその名号は異なれども、祀(まつ)る所は同じかるべし。
さて、これまでは物語の大意なればまじめなり。これより岩裂(いわさき/石折)の神の始めを申すべし。
昔々、神の世で火の神の迦具土の御母は伊耶那美(いざなみ)の尊なり。火の神が生まれた時に御母の尊がその火に焼かれて遂に神去りたまいしかば、御父伊耶那岐の尊は怒って、迦具土を斬りたまう。その血潮は凝り固まりて遂に二つの石となった。伊耶那岐の尊は見そなわして、この石をここらに置くべからずと遙か遠くに投げ捨てたまうと、一つの石は讃岐(さぬき)に落ちて、たちまち一座の山となった。今の象頭山はすなわちこれなり。もう一つの石は西の方(かた)の十万里を飛び行って、無辺無量(むへんむりょう)という国の方便山(ほうべんさん)にとどまりける。この石の高さは三丈六尺、回り(めぐり)は二丈四尺で石の肌に自(おの)ずから黄金のめさの形が現れて金色に輝けば、鳥獣(とりけだもの)も触れ汚さず、雪霜も石の上にはいささかも積もらざりけり。いわゆる無辺無量国の金幣石(きんへいせき)これなるべし。この石は方便山に落ちとどまって、後(のち)に幾万年を経たれば、既にして大山と地神いづれの御時にや、ある日おのずから二つに裂けて石の内より一柱の荒神が化生(なりいで)たまいけり。これを岩裂(いわさく)の神と言い、また天の岩裂の神とも言った。その形は人にして▼面(おもて)の色は朱の如く、その鼻はいと高くて鼻の先が尖って、さながら鳥のくちばしに似たり。かつ手を上げれば羽根となって大空をも飛行し、足を上げれば筏(いかだ)となって大海(たいかい)をも渡るべし。されども生まれたままで、まだ神□(しん□)を得てなければ、羽根あれども高くは飛べず、例えばあひろの溝に遊んで遠く飛び去り難きに似たり。かくて岩裂の荒神は石の内よりなりいでて、谷川で身を濯(そそ)ぎつつ天地四方を拝すると身の内が光り輝いて、例えば黄金の砂(いさご)の浜に朝日が照らすに異ならず、その光りが天地に通って大千世界を照らしけり。
この時、天(あめ)の若宮で天照大神(あまてらすおおみかみ)が遙かに下界を御覧じて、驚いて思兼の神(おもいかねのかみ)に問われるには、
「ただ今、西の方で怪しい光が世界を照らせり。何にかあらん」と宣(のたま)えば、思兼の神は承って、しばらく眺めてにっこり微笑み、
「さまでの事も候わず。かれはこれ、その昔に迦具土が斬られた時、その血潮が石となって、しかじかの国にあり。その石が自ずから二つに裂けて岩裂の神が出現せり。今、西の方に怪しい光が候うは、かの神の身より出て照り輝かすにて候」と事もなげに申せば、天照大神はうなずいて、
「さもありなん、さもありなん。籠(こも)るものは出(いづ)ることあり。孕(はら)めるものは生まれる事あり。天の精気の地に下ってく形を成さずと言う事なし。▼その精気がことに優れて清い者は神で、濁れる者は鳥獣となる。また歩むに足らず」と再び問わせたまう事なし。さる程に岩裂の神の荒神は水を飲み、木の実を食し、藤葛(ふじかずら)を衣とし、谷に下り峰に上って幾年月を経るままに、身より照らす金色の光は遂に失せにけり。
さればこの山にありとある夜叉天狗(やしゃてんぐ)のみを友として終日(ひねもす)遊び暮らす程に、山の半ばに大滝あり。岩走る音が遠く響いて幾引きの白根を掛け渡したに異ならず。しかもこの滝壺より金色の光が立ち上って中空にひいる事が時として絶えざれば黄金の滝と名付けたり。
かかりし程に天狗共はある日、岩裂の神と共にくだんの滝のほとりで遊んで、立ち上る気を仰ぎ見つつ、
「我々は飛行自在なれども水の底に入ることかなわず。この滝壺の底にこそ得難き宝がありもやせん。滝にもせよ、水底を見極める者があれば我らの主君と仰ぐべし」という言葉が終わる前に岩裂の神が進み出て、「我、この底を見極めん。どれどれ」と言いながら、そのままざぶんと飛び込めば、夜叉天狗らは驚きあきれて、
「哀れ、要(えう)なき我慢なり。滝より先にその身は砕けて再び帰る瀬はあらじ。哀れむべし、哀れむべし」と言わぬ者は無かりける。さる程に岩裂は滝壺に入るといえども思いの外に身は濡れず、底はいと広くしていささかも水なくて、別(べち)に一つの世界に似たり。足に任せて行く程に、果たして一宇の高殿あって、威如天堂(いにょてんどう)という扁額(へんがく)を掲げたり。その高殿の様子は黄金を延べて柱とし、錦を重ねて筵(むしろ)とす。綺麗、壮観、中々に言葉には述べ尽くし難し。しかのみならずこの所には耕さずして五穀あり、年中萎まぬ花もあり、木の実、草の実、様々の物が乏しからねば、岩裂の神は喜んでまた滝壺より躍(おど)り出て、夜叉天狗らにしかじかと事の様子を告げ知らせ、相伴って始めのように水底に入れば、天狗どもはいよいよ呆れて喜ぶ事も大方ならず、これより岩裂を威如大王と尊(とうと)んで、眷属となって仕え、昼は方便山で遊んで、夜は天堂に帰って眠る。されば山彦、山の神、山姫、山姥(やまうば)に至るまで岩裂の神の通力に恐れて、媚び従わぬ者はなく、ある時はしやくをとり、ある時は舞い歌って酒宴の興を添えにけり。
かくてまた幾千歳を経る程に、楽しみ尽きて悲しみ来たる。その日も遊興たけなわなりしが岩裂の神は何をか思いけん、只いさめいさめと泣けば、夜叉天狗どもは驚いて、「こは何事がおわしまして、かくまで楽しき酒宴の席にて嘆きたまうや」と問われて岩裂は、
「さればとよ、我には父も母もなく、この国に成りいでてから幾千歳の月日を経たり。命長きに似たれ共、およそ形のあるものは各々(おのおの)の齢(よわい)に限りあり。一朝にして命終われば▼今の楽しみも皆夢なり。言わんや、またこの国は物乏しきにあらねども、我が輩(ともがら)以外に他に住む人はなし。四方僅かに百余里の此の所のみで天地の広さを知ること無いは、これ井の中の蛙に等し。今は国々にその道開けて天竺(てんじく)には仏の教えあり。また唐土(もろこし)には儒の教えあり、道家の教えもありと聞く。また日本は四大部州(よんだいぶしゅう)かみにあり、例えば人の頭(こうべ)のごとし。ことに目出度き国なれば神の教えのいと尊く、今人王の世になっては儒仏道家の教えも伝えて人多く国富めりとほのかに伝え聞ける事あり。いでや只今門出(かどいで)して、かの国々を経巡って神儒仏の教えは更なり、かの仙術に長けたる者、天地と共に尽きる事なく齢(よわい)を保つ人があれば、我はその師に従って学ぼうと思うのみ。さなくて命終わる時は後悔そこに絶ち難し。我は飛行の術があり、船筏を用いずに海のほかに遊ぶべし。汝らはいよいよ心を合わせて国を守って怠ることなく我が帰る日を待つべし」とて、ねんごろに別れを告げて、早端近(はしちか)く立ち出て、両手を開くと左右の腕(かいな)が羽根となり、雲をしのぎてひらひらと飛ぶ鳥よりも速(すみ)やかに舞い登りてぞ失せにける。
○さる程に、岩裂の神威如王はまず天竺に渡り、また唐土に赴いて国々の教えを見るが未だ心にかなわねば、なおも東に渡って日本国に赴いて、その風俗を見ると、聞きしに勝る上国(じょうこく)で君臣男女(くんしんだんじょ)の礼儀は正しく、天地(あめつち)開け始めし時より百王一姓で、天津日嗣(あまつひつぎ)たまる事なく万民は富み栄え、国に逆賊ある事もなし。その国は東の果てにあって大国にはあらねども、実(げ)に万国の神(かみ)たること、人の頭は小さけれども五体の神にあるが如し。かつ人の心が素直なのは神の教えを守ればなり。未来を恐れて施しを好むのは仏の教えを尊めばなり。かかる目出度き国にこそ天地と共に滅ばない神仙はあると、あちこちの人に問うと
「大和の国の葛城山に役(えん)の君小角と言う仙人あり。常に五色の雲に乗って仙郷(せんきょう)に往来し、よく孔雀明王の呪文を唱えて、神をも戒め鬼をも仕(つか)う。三十二才の時に山に入って仙術を得た後に、その母を鉢の内に乗せて唐土(もろこし)に赴いた事さえありと予て聞けども、その齢は幾百才か幾千歳になるやらん、確かに知る者はなし」とそのあらましを告げれば、岩裂の神は喜んで大和の国に赴いて、既に早くも葛城山のふけこにして日は暮れたり。その時に裾野の茅(ちがや)の中より賊の男(しずのお)、賊の女(しずのめ)が走り出て、その賊の男は鉞(まさかり)を振りひらめかし、その賊の女は利鎌(とがま)を持って挟んで討たんとするのを岩裂は早く身をかわし、両方等しく受けとどめ、「こは狼藉なり、何者ぞ」と問うと二人は言葉を揃えて
「我らの事を問わんより早く汝の名を告げて、この二振りの刃(やいば)を受けよ。汝の衣装、身の回りは旅人に似たれども怪しき曲者(くせもの)なる由は天眼通(てんがんつう)をもて知れり。我々を誰と思う。▼役の小角に仕え奉る木こり陀羅介(だらすけ)、賊の女高峯(たかね)と知らざるや。小角の命を受けて夜な夜な山の麓を守るに、怪しき奴と知りながらいかでかここを通すべき、観念せよ」と罵るを岩裂は聞きつつうなずいて、
「さてはこの頃この国の人の噂に聞き及ぶは、生駒が嶽の山の神、男は前鬼、女は後鬼。陀羅介、高峯と仮初めにその名を変えて小角に仕える者共よな。我も小角仙人の徳を慕い術を慕って、師弟の因み(ちなみ)を結ぶために十万余里の西の果ての無量無辺国より遙々と渡り来た岩裂の威如王と言う者なり。我はいささかも野心なし。願わくばこれらの由を小角仙人に告げたまえ、只見参(けんざん)を願うのみ」と他事もなく頼めば陀羅介、高峯はようやく疑い解けて、そのまま岩裂のために導(しるべ)をしつつ、葛城山によじ登り、小角の岩室に相伴って、しかじかと事の由を申せば、小角は拒む気色なく岩裂の神に対面して、その事の来歴と素性を詳しく尋ねけり。
役の君小角が入門の者を呼び入れて来歴、素性を問えば、岩裂の神は答えて、
「それがしは西牛賀州(さいぎゅうがしゅう)の海の外(ほか)の無量無辺という国の方便山のほとりの者で、父もなく母もなし。金幣石と言う石の内より産まれたれば、自らその名を岩裂と言う。我が国の輩は尊んで岩裂の威如大王と称するなり。萬(よろず)に不足無き身なれども、およそ形あるものは死に失せずという事なし。しかれども世に神仙というものあり、形をねり、せいを養い天地と共にその命限りなしと伝え聞く、もしかかる人があらば我が師として教えを受け、不死の術を学ばんために四大部州(しだいぶしゅう)を遍歴したが、これぞと思う師に会わず。しかるに聖(ひじり)は世に伝え聞く神仙で、その術高く、その徳高しと告げる者あるにより遙々と推参致したり。願わくば不死の術を教えたまえ」と言う程に、小角は袖の内にて占いつつ、うなずいて、
「我は早くも御事(おこと/お前)の素性を知りぬ。いかでか父母が無からんや。御事が父はこれ火なり、御事が母はこれ石なり。御事を育てし者は西の土地、西を五行に象(かたど)る時はすわち金なるを▼知らずや。金石(きんせき)は撃(げき)して火を生ず、これ御事が産まれる由縁、父母なしと言うべからず。しかれども産まれて死なぬ者はなし。我が国神仙の神々ですら命に限りあればこそ根の国へ帰らせたまいぬ。しかれどもその荒御魂(あらみたま)は今もこの国を守りたまえば、死して滅びざる。これを名付けて神と言う。仏もまたこれに等しく、釈尊と申せどもその寿命に限りあり涅槃(ねはん)の室に入りたまえども、その教えは尽きる時なく、一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わせたまう。これもまた死して滅びず術のいたれる由縁なり。しかれどもこれらの事は一朝には諭し難く、また一朝には悟り難し。今より我に従って務め学べば、後遂(のちつい)にその冥応(みょうおう)を知る事あらん。今日より御事の法名を岩裂の迦毘羅(かびら)と呼ばん。学寮に退いて兄弟子たちと諸共によくよく学びたまえ」とそのまま山にとどめられる。
○さる程に、岩裂の迦毘羅は役の行者の教えその□にかなって、さもあるべしと思えばこれより心を傾けて、師に仕えること昼夜をいとわず、下□の□橋に黄石公(こうせきこう)の靴を取った張良もこれにまさらじと見えれば、小角もまた深く愛して神しゅくの妙計をいささかも惜しむ事なく法術、呪文を教えると、一を聞いて十を知る、その才もまた優れたり。かねて飛行、通力あるが、今また形を変じて姿を隠し、雲を呼び風を起こす術を習い得れば、迦毘羅坊は密かに喜び、今は早天地の間に我に及ぶ者なしと思えり。かくてある日、迦毘羅坊は相弟子の山伏五七人と共に岩室を発ち出てあちこちと眺め渡すと、山伏らが皆で言う様、
「和主は行者に従ってまだ十年にも及ばねども、師の心に適(かな)った故か、我らに教えられぬ事をもそこには習い得たりと思う。何なりともおもろ奇術を施して見せたまえ、いざいざ」とそそのかせば、迦毘羅坊は予てより術に誇る心があり、今思わずも山伏らの所望に否む気色なく、「そはいと易き事なり」としばらく呪文を唱えれば、何処(いずこ)ともなく一羽の鶴が忽然と舞い降りて、迦毘羅を乗せて空中へひらめき上ると不思議なるかな迦毘羅の姿はあでやかな遊女となって、内掛け捌(さば)きもしなやかに鶴の背中に座を占めて、手に長文(ながふみ)を繰り返し繰り返しつつ読む様は▼花の顔ばせ月の眉(まゆ)に□ひこぼれる愛嬌に一度(ひとたび)笑めば、国を傾け城を傾けるとうたわれた唐土(もろこし)の李夫人(りふじん)なりともこれにいかでか及ばんやと山伏らは皆我を忘れて見とれるもあり、誉めるもあってしばらくなりは静まらず。この時、役の小角は室の戸の方で人々が笑い興(きゃう)ずるのは何事やらんといぶかって、自ら立ち出て見たまうと岩裂の迦毘羅坊の仙術で遊んで人々笑い興ずるなり。こは浅ましと思いつつ、なおも木陰に立ち隠れ、事の様子をうかがうと迦毘羅坊は師の行者が立ちいでたまうと早知って、たちまち術を収めて元の姿になりにけり。その時ようやく山伏らは行者が垣間見たまうを知って、ついで悪し事とひそめいて、皆学寮へと退けば迦毘羅坊も続いて帰り入らんとするのを小角は急に呼びとどめ、木陰を出て形を改め、
「我は始めより御事の素性が人間の種ならずと言うが故に、抜きん出て教え導いたが、何ぞや術を弄(もてあそ)び相弟子らに誇りたる。既に御事が行うところ、世に麗しき(うるわしき)美女に変じて凡夫の眼(まなこ)をたぶらかすのは外道の幻術にて正ぼう□あえば必ず破られる。もし疑えば試みに姿を変じて見せよかし。我がその術を破り得ずば、我は今より改めて、御事の弟子になるべきなり。再び術を施さずや、さぁさぁ見せよ」と急がすと迦毘羅坊は行者の怒りに上辺ばかりは恐れ入る面持ちはすれども心の内に思う様、
「・・・・・・・昔より弟子としてその師に勝る者が無きにあらず。我が術は既に成就したれば行者というとも何ぞ及ばん。この折りに小角をかえって我が弟子にすれば快(こころよ)き事なるべし」と腹の内に思案をしつつ、
「□まことに逃れる道なし。しからば術を施して御笑いに備えまつらん。いざ御覧ぜよ」と言いながら、たちまち口に呪文を唱えて姿を変ぜんとすれども術を行うこと得ならず、こはいかにと驚き怒り、かつ恥じて憤りに耐えざれば、遂に小角を害せんと思う心あり。
さるにより迦毘羅坊はその夜、小角の臥所に(ふしど)に忍び近づいて、刃を抜いてぐさっと刺すがはや空蝉(うつせみ)のもぬけにして小角は臥所にあらず。こはいかにと驚き慌てて走り去らんとする程に、何処(いづこ)ともなく吹き入る山風さっと下ろし、身を切るごとくに思えしが、不思議なるかな、迦毘羅坊の五体はにわかに発熱して身を焼く如くもんらんしつつ、あっと叫んで倒れけり。
かかりし程に役の行者は行衣(ぎょうえ)の上に玉襷(たまたすき)して、しずしずと現れ出て、
「如何(いか)に迦毘羅坊。我は予てじゆうに入りて御事は火の神迦具土の子なる由をよく知れり。火は風を得て熾(おこ)るものなり。故に今、風かく神尊(ふうかくしんそん)の呪文をもって風を熾しつつ、前世の業因(ごういん)▼しかじかと明らかに悟らせる。早く野心をひるがえし、故郷に帰って時を待ち、只世の為、人の為に悪魔外道を退治して大善神と仰がれよ。さる時はそれがしもいかでか御事に及ぶべき。忘れても今日の如くに術をもてあそび、人に誇ればこれ身を失う仲立ちなり。我が戒めはここにあり。今は早これまでなり。速(すみ)やかに下山して元の国へ帰るべし。さぁさぁ」と急がしたてて再び呪文を唱えれば、迦毘羅坊の身より出る妙火(みょうか)は消えて跡もなくたちまち我に返りけり。
ここに至って迦毘羅坊は行者の威力(いりき)に感服し、初めて夢が覚めたるごとく、身の過ちを懺悔して衆生利益(しゅじょうりやく)の為にして、悪魔退治の折ならずは術を施さずと誓いをたてて詫びれば、小角はしばしば戒めて、
「御事の形術(ぎょうじゅつ)は大千世界に敵無きに似たれども、我には敵し難きがごとくに漫(そぞ)ろに敵を侮(あなど)る者は小敵にも謀(はか)られやすし。されば無辺無量国ではかの夜叉天狗などが皆御事を尊んで、よく仕えると言うといえども、もし一旦、事に触れて背く者がある時は密かに害せんとこそ謀るべけれ。その外心(がいしん)を防がんには風かく(ふうかく)の呪文に増すものなし。彼らが怒らんとする時に早くその術を唱えれば、夜叉天狗らの身の内より妙火がたちまち燃えいでて、その身を焼かれてもんらんせん。かれば、彼らを従えて長く背かざらしむべき。この呪文をもって餞(はなむけ)とせん。よくよく心得たまえ」とねんごろに説き諭して、くだんの呪文を授ければ、迦毘羅はますます喜び、行者を拝して別れを告げ、そのまま雲にうち乗って、西を指してぞ飛び去りける。
されば天狗道の苦しみで、日に三度夜に三度、身より出(いず)る火に焼かれ五体を焦がすと今の世に語り継ぎ言い伝えるのは迦毘羅坊の餞別に役の行者が授けた呪文の故なるべし。
○さる程に、岩裂の迦毘羅坊は神変自在の通力で早くも無辺無量国の方便山に着ければ、やがて雲より下り立って、部類眷属(ぶるいけんぞく)を呼び集めると六万八千の夜叉天狗どもがあちこちより集い来て、或いは喜び、或いは嘆いて、皆諸共に告げる様、
「大王、何故に遅かりし。物学びの為に仮初めに旅立ちたまいしより既に七八年を経たり。しかるに近頃これより遙か北の方に黒暗魔王(こくあんまおう)と言う者あり。彼は我が王が此の所におわしまさぬをうかがい知り、この山を奪い取り、威如天堂を横領せんと数万の悪魔を従えつつ、時となく押し寄せ来て、攻め討つこと大方ならず。我々ずいぶん▼手を尽くして防ぎ戦いしが、大王の身の丈は一丈六尺、しかも三つの頭(こうべ)あり左右の腕(かいな)は六本あり。その二つの手は弓を引き、また二つの手は鉾(ほこ)を回し、一つの手は棒を使う。相従う悪魔どもさえ一人当千の手並みあれば勝ちを取ること叶い難くて、討たれたる者も少なからず、もし重ねて押し寄せ来るを如何にして防ぐべき、枕を並べて討ち死にせんか、また和睦して此の山を譲り渡して大王が帰られるを待って恨みを返さんかと評議まちまちに候」と大息ついて物語るのを迦毘羅坊は聞きながら、
「そは易からぬ事にこそ、□□□□□□□□□□□□□」と問われて皆々頭(こうべ)をかき、「奴らが来る時は霧を起こし、帰る時は雲に乗り、所を指して飛び行くのみ。住みかは知らず候」と言えば迦毘羅はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。我がその大王をうち殺して首取って土産に得させん。しばらく待て」と言いかけて、ひらりと雲にうち乗って、天眼通で所の方を遠く遙かに見渡すと、ここをさること千余里にして黒暗州(こくあんしゅう)という一つの島あり。その地は魔王の住みかにして、山をうがちて城となし、岩をたたみて塀(へい)となし、数多(あまた)の悪魔が籠もり居たり。迦毘羅は早くも見定めて、通力でその所へまたたく間に赴いて、門戸を守る悪魔らに向かい、
「我は無辺無量国の威如天堂の主にして岩裂の迦毘羅神威如大王という者なり。汝らが主と頼む魔王に対面するために自らここに来臨せり。さぁこの由を通達せよ」と言うと外道らは驚き騒いで魔王にかくと告げ知らせれば、魔王は聞いてあざ笑い、
「奴は身に鎧(よろい)も付けず手に弓矢も携(たずさ)えず、身一つにして来たるは自らその死をおくるなり。今、目(ま)の当たりにうち殺して、手並みの程を見せん」と例の打ち物を取り揃え、ゆうゆうとゆるぎで、
「汝は命に掛け替え▼あるのか、我に会わんと一人で来るは身の程知らぬ痴れ者(しれもの)なり。言う事あれば早く言え、望みに任せて素頭(すこうべ)引き千切って得させん」と罵(ののし)る声は木霊(こだま)に響いて、くわっとにらんだ六つの眼(まなこ)は闇の星かと疑われる。迦毘羅はこれを聞きながら、
「憎っくき外道の似非(えせ)広言(こうげん)。汝は我の留守をうかがって、我が眷属を攻め悩ませし報(むく)いが早く来たのを知らずや。観念せよ」と詰め寄せたり。
その時魔王はますます猛(たけ)って、やみやけんがき黒金(くろがね/鉄)の棒を隙間もなくうち振りうち振り、まっしぐらに馳せ向かえば、従う悪魔は数を尽くして、おっとりこめて討たんとす。されども迦毘羅は少しも騒がず一人(いちにん)まんえい分身の呪文を口に唱え、乳脇(ちちわき)の下の小羽根を抜いて、ふんふんと吹きかければ、その羽根は幾百□の迦毘羅坊の姿に変じて、支(ささ)える敵を攻め伏せ攻め伏せ、その手の悪魔を一人も残さず斬り倒して踏み殺せば、黒暗魔王は驚き慌てて逃げんとするのを逃がしもやらず大喝一声(だいかついっせい)、迦毘羅坊があびせかけた刃(やいば)の稲妻、もろくも魔王の三つの首は、只一ト討ちに斬り落とされて、骸(むくろ)も共に倒れけり■
<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>