傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

傾城水滸伝・女水滸伝 序文

2013-11-01 09:09:02 | 解説・楽しみ方
序文を読むと馬琴の狙いや苦労、江戸出版事情がが見えてきます。


傾城水滸伝初編
曲亭馬琴著 乙酉孟春第一版

源氏物語を読まずして漫ろに源語を云ふものあり、漠土俗語は解せねども猶水滸伝を剽□(きりぬき)しもの少なからず何となればこの二書や考抄通俗これ彼と釈解多きによつて也しかれども水滸の如きは一百回のながながしきを皆悉く取るものなれば可惜(あたら)趣向を婦幼の観物にせぬが遺憾さに今戯れにこの書を編りつはさりながら毛唐人の陳奮漢語は模擬に要なし因て天罡地煞星(てんこうちさつせい)なる一百八の草賊を賢妻烈女に綴り易て傾城水滸伝と命るよしは事の初めに室津海なる遊女長(あそびめちょう)がことをものして、且椋橋の亀菊が高俅(こうきゅう)に似たれば也かくて華洛の綾梭を王進に擬するよしあり又浮潜龍衣手を九紋龍史進に擬したり、この他越路の今半額戸隠の女鬼らは陳達楊春に似たるべく又虎尾の桜戸が林冲に相似たる花殻の阿達尼が魯智深に相似たる折瀧の節柴は柴進が儔なる枚挙に遑あらずこは此冊子の初編のみ是よりの後春毎に筆を接條の桜木に鐫出すべきになん        文政八年乙酉春正月新版 曲亭馬琴識


傾城水滸伝第二編

さきに板せし初編四冊は、立木の局が熊野山にて傾城家をあばきし事に始まり、その後あまたの年をへて後鳥羽の院の御時、白拍子亀菊が計らずも成出でて、至尊に咫尺し奉り、これよりして綾梭母子が災ひを避けし事、又婦潜龍衣手が事、戸隠山なる射干玉の黒姫・戸隠の女鬼・越路の今半額らが事、又、花殻のお達が優之介母子の為に、なまよみ屋のかひなを打殺して逐電し、百倉長者の情によりて無二法寺の妙真大禅尼の弟子となりて剃髪得度し、名を妙達と改めし後、いたく酒に酔ふて寺を騒がせし事に至れり、それよりして後の事は、この第二編にゑり出だしつ、初編も処々の小売店に卸しおきぬ、いまだ閲し給はざりし姫殿達は、初めより後々まで見そなはし給はん事を希ふのみ       板元 通油町書肆 鶴屋喜右衛門謹白

(序文)
八百屋の賣物、八百色に限らず、学者の十千屋、きれ物夛し、大を語らんと欲すれば、駱駝・山?もことふりにたり、小を譚らんと欲すれば、漁猟・角觝の下段もものかは、柔らかきことを好る人には、笹の雪も藪ならず、堅いものを悦ぶ客には、棒呑の喉もいまだ足らず、神事舞のまはること、雲雀獨楽より早く、藤八五文の走ること、機関泉も終に及ばず、されば去年の流行より、ことしの不易にますことあらじ、と、是より先に著せし、傾城水滸の初編の評判、よし野と聞ば桜木に、鏤られし甲斐もあり、しからば后をと継三弦の、三すじ四條の燈心諸共、気根を減す夜並しごとも、癖の憑たる、づるけの本店、遅は承知であろけれど、鶴屋が頸を長くして、松に壽く千世萬代、春の仕入に間を合したる、だらだら急々如律令、御覧の通り、女才なく序す                 文政九年丙戌春正月吉日 曲亭馬琴識(印)


傾城水滸伝第三編  曲亭馬琴著 歌川国安画
之一
さてもその後、花と見る虎尾の桜戸が雪より雪に踏み迷ふ、足引の山の落草さざ波や近つ淡海の鎮砦はあから引、日本の梁山泊、そもそもこれは月にかざす青嵐の青柳が峯より峰にわけ登る、そら見つ山の虚栞すくい得たり、山を抜く多力の粉蝶が袖より袖へあらまきは、野宿の乞児娘あしが散る浪花津の村長は陽炎の勇婦が聚義堂はかり獲たり底深き智海の呉竹が船より船に誘う水はあ引の女兄弟
近江州伊香郡に一座の山あり、俗にこれを志津嶽と呼びなしたり、この山や琵琶湖を前にして余吾湖を背にしたり、只、これのみにあらずして余吾飯浦の二大河あり山前山後を相巡りて、その末は越前なる板鳥の方に出るというこの山嶋峰ならねば、そのありさまは唐山なる梁山泊に似たらん?よりて、今この冊子には作設けて彼処に擬したり、近世寒葉齋綾足が本朝水滸伝を著して近江の某の山をもて梁山泊に比せしは、塩焼王の故事に合せしなり、かれ竹生嶋長命寺の嶋々をもてせざりしは、皆、神仏の霊地にてしかも梁山八百里のいと広きに似ざればならん、そは、とまれかくもあれ予もまた此に意あり、かつ百八の強人を総て烈女に綴り易しは、また勧懲の一端にて那時鎌倉に政子あり京師には亀菊あり女主と内奏よりこと起こりて、終に承久の乱に至れり、さればこの時にあたりて義婦烈女の薄命なるを水滸の一書に模擬するものから婦人にしては恰好しかたき処々の多かるを、とやらかうやらあみ附て又つぎ出す第三編の自注を自叙に代ること如此也、
文政十丁亥年春正月吉日、新版曲亭馬琴識


傾城水滸伝 第四編の一

唐山の梁山泊を日本の江鎮泊に写して□の水鏡とて誰姿見の画でしるき
一部八冊当春の新板御覧の通油町なる鶴屋が彫当ました目貫の絵冊子

曲亭馬琴著  歌川国安画
冬の柳の乱れ髪は暁遺る月を櫛と見てさして行方は青嵐が河内路の寝さめの床
夏の柳の下涼は細谷川を帯□見て結ぶ義烈と多力が浪速津を出船の□

或予に問て曰傾城水滸伝は何の為にして作れるよこれ答て曰為生活に作れるのみ夫儒佛巫医百枝の徒渡世の為にするものは□拙杜撰も咎るに足らず□稗官□根の談□劇の脚色に等きのみしかはあれども作者の用心□亦見るべきものあり彼清の逸田叟が女仙外史の一書を見ずや燕王の反逆を心誅せんと欲する為に閨軍女兵を□出して妖婦唐賽児が勤皇の小説一部となせる也彼は則妖婦をもて正法とし燕軍をもて外道とす□これを水滸伝なる草賊をもて忠義とし丸紳をもて大賊としたるよしに比ればその勧懲に廷□ありこれに由てこれを観ば亦この傾城水滸の冊子も作者の用心知るべきのみ事を好ておもはざるもの評すべきを評せずして私論憶談□夜の鉄砲に似たる批評もありとぞ誉褒□は争ひの起る所吾只避て通さんと欲す成らずは謗れと古人もいひけり彼物論を齊う得せずは鵬と□□の類に堕つべし     曲亭馬琴戯識


傾城水滸傳第五編之壹

紛紛□逆□久間一旦雲開復見天草木百年新雨露事
書萬里□江山尋常巷□陳羅綺幾□楼壹奏管□人楽
太平無事日鶯花無限日高眠 文政戌子春録并刊行
曲亭馬琴著 歌川国安畫 書□仙鶴堂梓

著述の労は看官おもはず□ば田翁苦辛の粒米□してもて雛狗の五器へ投じて省ざるが如し嗚呼書作ることかたくもあるかないにしへの名人才子も漫に□□模擬するものは皆等類を免れば只よく奪胎換骨の手段は造化の巧を欺く接木の花に異ならず彼桃にして櫻を開せ□にて丹楓を染さす看官はその□を忘れたるのみならずして樹も亦己が根本の他木なるを知るよしあらで花を呈し□を献ずこれを奪胎換骨の妙巧とはいふなるべしかかれば傾城水滸の一書も亦その手段接木に等しく羅氏の水滸を□にして作者の趣向を接合し兎園冊子の小盆に栽て書斎の室に養ひ立たる是ぞ五編の花の魁縁日ものと同様に安がられては骨折の甲斐なしといふ仙鶴堂が気を春袋の上本にして何処へも融る□包までなほ評判をとりが啼く東に久しき作者は常盤□□□で三十八ヶ年休まで□く筆冥加商□冥利は板元の耳たぶたぶ□るるまでに愛敬あれと壽きて序す                       文政十一戊子春正月吉日新版  曲亭馬琴撰


傾城水滸伝第六編序 毎編八弓上帙二冊下帙二冊合本四冊

余曽おもふ水滸伝に載する所張青孫二娘□十字坡に旅客を屠りてもて肉包を鬻ぐの一回その?害残忍ここに於て極れり便是異邦の衰世兇賊にあるべき所尤読に忍ずるもの也且亦武松が鴛鴦楼に張都監蒋門神□を鹿金にますが如きその殺戮数十人僕隷婢妾といふといへども一人として免れず只是人を殺し火を放て愉快とするもののその情態を写せるのみこれを義勇とすべからず開威 天朝は人の気質の萬邦に捷れたるをいへばさら也就中曽我胞兄弟が富士の狩屋にまぎれ入りて父の讐を撃るが若き当時宿直の勇臣□の防戦するものに当りてこれを斫ることすべて十名然れども僕隷婦女子をしてはを汚さん事を欲せずこの故に時致は五郎丸に生拘られたり是その智勇の足らずるにあらず葢五郎丸が少女子の打扮してよく欺きしによつて也この時?武松をして時致に代らしめば五郎丸も亦免るること得ざるべし又水滸伝なる武松が蜈蚣嶺越過るとき道士師弟を殺せしをおもふに新に得たる戒武松に□りて祭らんと欲するのみいまだ彼師とその徒弟の悪人なるを知らずして何ぞ殺すことの速なるやむかし筑紫の御曹司いへることあり吾千軍萬馬の窮阨の中に在といへども当の敵にあらずればいまだ嘗これを射ずとぞ勇士の本意とする所当にかくの如くなるべし今その忠孝義勇を挙て水滸一百八の草賊□に比競すべきにあらねども夜光燕石相似て非なるこのことわりを述ざるを得ず抑余が戯れに著せる這冊子は水滸伝なる脚色を撮合して作るものから彼が理義に違へる所は綴り易てこれを取らず用意豈帝是のみならんや毎回必この意味あり具眼の人はおのづから知るべし   文政十二年巳丑春正月吉日新版 曲亭馬琴識


傾城水滸傳第七編序  毎篇八□合本之上帙毎帙上下各二冊

稗史の観るべきものは勧懲を宗とすれば彼水滸傳の如きは然らずその巧みなることは何の稗史かよくその右に出るものこれあらん惜かな作者の意匠多く勧懲に違ふをもて子孫?唖のそしりあり今その一二を論はば宋江花栄□清風山に在りし時謀て秦明を降すといふ話説は三国志演義に孔明が姜維を降す計略と相類をしかるに宋江□秦明を固く山祭寨に留ん為に慕容府尹をしてその妻子を殺さしめ遂に花栄が妹をもて明に妻すといふ毒悪不仁これより甚しきはなし又宋江が父宋大公宋江を見まく欲するのあまり宋清をして偽て大公死せりと告しむるといふ話説ありこの□非如父の命なりとも宋清も亦その子として兄を欺くにその父の死をもてす不孝不悌亦これより甚しきはなし金聖歎が評論に宋江をもて奸賊とするものはまたく是等の為のみさばれ聖歎も亦謬れり何となれば宋江が奸なることしは寔に奸なれども宋朝の忠臣たらんと□幾ふ志終始移らざるをもて九天玄女の冥助あるときは素より黄巣朱全忠の類にあらず拙評寸楮に□しかたきをそは又別に書つけてんさればこの傾城水滸傳には右に論へる如き善悪無差別なる趣向にあふときは則これを綴易て聊勧懲を正くす便是よく戯謔すれども虐せざるの意也圃を問ものは必死圃に欲小道といへども見るべきものなきにあらず□竟これを無益といはば論□□□我の巧拙批判の当否は彼も一時也此も亦一時なる哉
文政十二年巳丑春正月吉日新版             曲亭馬琴識


傾城水滸傳第八編序

ある人予に問ことありて曰□疑ふ水滸傳の作者宋江をもて忠義の良民とす既にして梁山泊に一百八人の豪傑を□合て勢ひを得るに及て天に替て道を行ふの言あり□るに宋江が江州に流されし時□陽江なる酒樓に登りて獨酌しつ□□のあまり壁に題せし反詩の肯はその身の才の黄巣に勝れるを誇るに在り是顕然たる逆賊ならずや非如黄文□が□言なくとも世に借すまじき罪戻なるべし然るを異日梁山にて賊兵十萬を率れども宋に叛んとする悪意なく帰順の望終始変せず遂に方臘□を討に及て功ありて賞を得ざりしを些も怨る気色なく宋の忠臣たりし事これ一身にして二心あるに似たり高評あらん聞まほしといはれしに予答て曰子は只水滸の皮肉を見ていまだ骨髄を知らざるのみ宋史に載たる宋江は逆賊にして降りしもの也かくて水滸傳を作りしもの□賊の字を反覆して宋江をもて忠義とすよりて彼牌史なる宋江は初は循吏中は反賊後に至て忠臣たり反詩の趣向は天□地□の悪出世の応験にて則宋江が真面目総て奸邪の條にありかくて石碣天降て再び妖魔を鎮めしより獨宋江のみならず凡一百八賊皆是忠義の良士となれりっかれば勧懲正しからで善悪無差別の趣向多かるは妖魔出現の間にして最後の宋江最後の百七人と同じからす浮屠家の所云即心即仏反覆すれば非心非仏成仏は得易して無成仏は最得かたしこれに由て観るときは水滸の忠義は虚名にして妖星も亦空兆なるを金星歎すら尚暁らで多く評言を費したりしかはあれども傾城水滸は下流を汲つつ濁を受ず始よりして勧懲を正くせしは看官の惑ひなからん為也かし
文政十二年巳丑春正月吉日新版       曲亭馬琴識


傾城水滸傳第九編序
予嚮に水滸傳の趣向を評して初中後三段の差別あるよしをいへり是古人未發の説羅貫を今に在するとも必予が言に従んしかるに金聖歎が評論に石碣妖を發くに始り石碣妖を鎮るに終る便是七十回を全部となす所以といへり謬れりといひつべし何となれば彼石碣の天降りて義士の宿因を示せるは中段第二の趣向なりこの時魔縁やう屋く竭て宋江等一百八人迺宋の忠臣となれりここをもて遼を討且方蝋を征するの話説あり是その末の一段也?七十回をもてこれを全部とするときは末一段を捨るなり作者の本意豈然らんや古人いへらく読書百遍初てその意に通ずべし嗚呼書を綴る□の難きはさら也書を看ることも易からず前にも論ぜしことながら水滸に善悪無差別なる趣向のこれ彼と多かるは邪魔出現の間のみそが中に武松と張都監とは主従也よしや怨のありとても渠その一家をしたる罪悪最酷しごの故に予が這策子には武松を武世に換るに及びて寒風の後室と是を主従たらしめず用心只これのみならぬを知音の人は好するもあらん□日ある人予に薦めて水滸の評を著せといへり予も亦この意なきにあらねど世に小説を閲するもののさまでに翫味するは稀也甲斐なき所為ぞと思ふものから只この策子の篇毎に序に代てもて批評を附たりされば九牛の一毛なる寸楮に盡すべくもあらぬ是をしも猶婦幼には厭れもせん飽れもせん□抑唐山の俗語を読得て白ならんと欲するものは字義の穿鑿に日を消して趣向の巧拙を評するものみなみな通俗本で間を合するは原書の甘味を知るに由なしその過不及の中を執る換骨奪胎類なしといはんは□滸なる戯墨も一流戯謔すれども虐せざる本性違はず述るを恁なり
文政十三年庚寅春正月吉日新版         曲亭馬琴識


傾城水滸傳第十編序

微躯此書を新作して嘗彼の故事をおもふに宣和遺事に録したる宋江ら三十六将□□あり林冲梨然るを水滸傳の作者その書を作出すに及びて□□をもて天□地□の員内に在しめずよりて是を補ふに豹子頭をもてしたり葢彼晁葢は梁山泊の巨魁といへども宋朝の赦に遇ずして曽市頭にて陣歿したり便是かの賊首をもてその終を取れるもの宜く一百零八の列星中に在しむべからず脚色かくの如くならで宋江その前轍を踏むときは天?第一星とするに嫌ひあり今這傾城水滸傳なる□蝶は則晁葢なれどもこれを一百零八の勇婦中に在しめて最後に一枝花蔡慶に擬する一人を省きたり何をもて恁するぞとならば凡一百八勇婦は三世姫に仕るものの皆是義に仗り忠を倡て水滸の百八賊とおなじからず身が所云初善中悪後忠の差別なく始よりして宋江□と異なるよしのあれば也又金瑞が外書を看るに李達と柴進が□號を評して旋風云云の義をときたりその言理りあるに似たれど身がおもふよしはしからずここらの辨論多かれども寸楮に盡すべくもあらねばそは後々の編にいはん又水滸傳第四十九面なる宋江三たび祝家荘を打といふ條を看るに□三嬢は生拘られそが親も眷属も李達が為に殺されたり然るを三嬢はそがまま梁山泊に留りて宋公明に媒介せられ遂に王英と夫婦になりたり?かくの如くならばその勇あまりありといふとも抑不孝の女子ならずや是より先に宋江□が謀て霹靂火秦明の妻子を死地に就しめて明に花栄の妹をもて妻せしといふ趣向に同じかかる魔行は取らざりけるここには換骨奪胎して聊勧懲に合せしを今さら諄々いはずとも看官先刻より承知なるべし
文政十三年庚寅春正月吉日新版  曲亭馬琴識


傾城水滸傳第十一編序

原本水滸傳に解珍解宝雙越獄といふ段を按するにその夜山中にて珍と宝とが追落したる矢傷虎は原是毛太公の児子毛仲義が射て手を負せしもの也といへりしからば毛老このよしを解家の兄弟に説示してその利を分つべきはずなるに毛老虎を推隠して謀て解珍解宝を陥れしはいかにぞや非如腹穢き者也ともさでは人情に違ふに似たりここをもて這編には荘官臑坂毛太夫は狩倉が親の時より恨みありその舊怨を復さんとてこと云云と綴易たり毎編かかる筆削あるを具眼の人は知るべからん又かの段の前後に見れたる□成□廷玉□は奸黨にあらず就中□廷玉は萬夫無当の武芸あり宋江□これを降して躬方の資にせぎりける作者の腹裡を推量るに祝氏は梁山泊なる豪傑と怨を結ぶこと久しきものにて官軍の大将たりし秦明呼延灼関勝徐寧張清の輩と同じからざるよしあればならん然るを明の鴈宕山樵が水滸後傳に□成と□廷玉とを再出してこれを梁山泊の残党と合體せしめ□廷王は殊さらに阮小七孫立□の上席に座るよしを作りたりこれらは特に前傳の作者の用意に齟齬すといはまし况かの残党の又山寨に相聚ひて□賊を做すが如きは彼後傳の作者も亦宋江□百八人に初善中悪後忠の三等あるよしを知らで宋の忠臣たりし後亦復恁る魔行をなさしむ譬ば是琴を焼て鶴を烹る類なるべしこの略評をまつ坂なる同好の友に示せし比混江龍李俊をもて総大将に做したるも快らぬ所あり柴進などこそ相応しからめといひおこしたりけれども予は猶思ふよしありけりかかれば彼後傳の批評をや綴るべき別に又後傳の一書を新作すべきかと思ふものから暇なければ因みにここにその腹稿をひらくも□許の所為にぞ有ける
文政十四年辛卯春正月吉日新板              曲亭馬琴識


傾城水滸傳第十二編序

這個□子の原傳なる李逵が小衙内を害する段は呉用雷横等を連ねて残忍最酷し憶ふにこの時宋江等百八人尚魔界に在り所謂中悪なるものにて既巳かくの如し亦怪むに足るものならず然るを清の蔡昊が水滸後傳の評にいへらく前傳に人を殺す事をしも写すが如き固り死のその罪によく当るものも有亦辜なくて人をして憐むべからしむるもあり彼扈家庄の段の如き巳に是通和しつ且又扈成は祝彪を楠て□に来にけるを他が全家殺されにき朱□が小衙内に至ては更に是憐むべし云々となん批したりける理りあるに似たれどもそは宋江等百八人に初善中悪後忠の三等あるを知らざる也予はこのよしをおもふをもて大箱等に初中後の三等をあらしめず始より咸忠義の所以に祝村の段はさら也本間の若丸の事迄骨を換胎を奪て残忍不仁に至ることなし便是和漢今昔作者の用心異なる所いはでもしるきことながら童□にわからぬ□房の魂胆今□は端折て半頁に序す
天保三年壬辰春正月新板          曲亭馬琴述


賢女義婦 傾城水滸傳 十三編上

夫水滸の原傳に宋朝の大将の梁山泊を攻撃もの是より前後に少からずそが中に雙鞭呼延灼が連環馬是最強しとす□徐寧が□□鎗もてこれを破るにあらざりせば宋江等の諸豪傑誰か亦よく他に当らん顧ふに□戦の勝敗は猶一局の将棋のごとし見るべし初に呼延灼は凌振は漫に功を貪りて小心に篤からずここをもて智多星が三元二張を使ふに及てはやく凌振を虜にしたり既にして凌振が梁山泊に降りしより主客猛可に地を易て三大砲は遂に復呼延灼が利にあらずたとへば将棋に賢なあるものよくその敵手の馬を奪ふて其をもて敵を攻むるが如し是より宋江又強かり有
□□金銭豹子湯隆が薦めし必勝の便宜により呉用が智略に時遷をして徐寧の兜を□したるその策巧なり看官はおしなべて時遷がよく彼兜を□て徐寧をいさなふ事を知るのみ実は宋江呉用等が徐寧を□むるを思はず大凡是等の奸猾詐謀は君子の行ふ所ならんや則是宋江等はこの時なほ魔界に在り是予が所云中悪の時にしていまだ後忠に至らねば也しかるに彼金聖歎とかいふ漢は宋江等百八人に初善中悪後忠の三等あるよしを悟らずさればこそあれその評註に傍若無人に口を極て宋江を□ざることなくその奸悪を批すること多かり就中□俊義が智多星に謀られて□に落草するに及びて宋江が第一の椅子を俊義に譲り得ざりしを憎むこと甚しく□に全傳と文を易て宋江が奸をいへり横議悪評他が如きは水滸の作者の本意ならんや予は亦ここに見るよしあり彼金評の非なるよしを鮮明まく思へども寸楮に□すべくもあらねば異日暇あらん折別に国字評を綴るべしそはいはでものことながら第五十回より下は軍陣の□甚多かり然るを今亦是等の策子に曲々に画に見しては女中□方児輩衆に厭るるのみにもあらず同じ容のかさなりて第一作者の難儀也□る故に這篇より□戦の段に至る毎に画を略して文を具にす但原傳と趣を聊も易ずして左やら右やら綴りぬる毎編作者の用心を看官おもひやりねかし  
天保六年乙未春正月吉日新□  物の本の作者馬琴みつから序す


女水滸傳 十四編上帙上ノ巻
笠亭仙果編次 一陽齋豊国画
辛亥春新刻 
東都両国吉川町 大黒屋平吉板

宋江は晁蓋没後大圓和尚に驚され廬俊義の英雄を思出して頻に慕ひ呉用が奇計に落草せしめ□好の諸将の情に背くまでに尊敬し第一の座を譲んとし□に第二の位に着しむ百六人の上に立べき人徳ありしものならめども唐本の文義はしらず通俗本にて見時は其智其伎其人材関勝林冲に幾許か勝る其勇其力魯智深と武□と競べば如何ならむ淫婦奸奴の不義を暁らず燕青を疑ひしは楊雄に遙劣り単身七絶の旗を建梁山泊を劫さんとせしは実に匹夫の所為にして李逵なんどこそさもあるらめ此許の人物を宋江然程欽慕せし深意は窺知られす此には彼廬俊義に准じたる玉桐を手力胡蝶が弟女とし中途にして枉死せし姉の忠義を継しめて且仇をも討せんとの大箱が信義にとりなし辛々辻褄合すれば又□氏李固が密夫一條縫くろめられぬ小夜衣重ては男妾も色子も作れず目を閉て南無三宝ですましたればいとど興なき事共なるべし此等のよしを批評まkし記すも猿の人まねなれど六借さうな序がなくては女水滸が安くなると板元の好にまかせ
嘉永四年壬亥正月新刻               笠亭仙果漫記


馬琴女水古傳 十五へん 上帙上ノ巻
笠亭仙果編次 □蝶楼国貞画
東都両国大黒屋平吉梓

鶴脛□長断之則悲水滸傳は百回又百二十回を一部とす金聖歎我意に任せ七十回より後を棄百八人の先途を隠す此報にはあらずとも腰斬の刑に遇ぬとぞここに女の水滸傳も餘に長くなる則は御見物も飽々してとても御覧あるまじければ十五編で一旦目出たく納まる様にせよとなりこれは彼の唐人に似たやうにて大に異なり彼が趣意は我等が非力に讀もせず解せもせねど太平主人は商売気質歳暮になれば徒に暮しし月日の惜きがごとく先是迄と書記ればかはぬ人もかうて見て又其後の見たいが人情罷てもよし賣れ塩梅でどうでも成うと両道かけ如才ない所打明ての談話は至極最なればヲツト承知と引請て扠々足下は商買巧者嘸福神の御加護厚く設た金を肩にかつがば定て丈夫な腰も立つまい金聖歎の地口の様だが金さへたんと利市れば惣座中の大歓喜辻褄の合ぬ所は又追々に書ませうというた通を記して序とす  
嘉永六年□丑孟陽                   笠亭仙果

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