女郎花五色石台の考察
『女郎花五色石台』(おみなえしごしきせきだい)は、曲亭馬琴、(土岐村路)、柳下亭種員、柳水亭種清作の合巻本。10編。弘化4年(1847年)~元治2年(1865年)年、甘泉堂刊行。歌川豊国、歌川国輝、歌川国盛、歌川芳房、歌川国芳、落合芳幾画。曲亭馬琴が三編まで書いて死去した後、柳下亭種員が引継いだが、種員も死去したことで8編から10編は柳水亭種清が引き継いで完成させた。
中国文学の『瑯耶代酔篇』(ろうやだいすいへん)の翻案。五行思想をベースにして、鎌倉時代の唐糸伝説を発端に、時を越えて木曽義仲に縁ある五人の勇婦が仇討をする勧善懲悪物語。
1893年(明治26年)に日吉堂から活字本が出版されたが、それ以降の出版はなし。
◆書き継がれた物語
女郎花五色石台は、曲亭馬琴と柳下亭種員の死によって結果的に4人が書き継いだ作品となった。
初編から3編までは曲亭馬琴、4編は馬琴の息子の嫁のお路(原本では路孀(ろそう))が代筆したとなっている。5編から7編は柳下亭種員、8編は種員の遺稿を柳水亭種清が書き、9~10編は種清が書いている。
合巻の場合、画を複数の絵師が書くことはあっても物語を複数の作家が書き継ぐというのは珍しいのではないでしょうか。
理由は作家が亡くなったことによるわけではあっても、現代では有名作家の未完作品を書き継いで出版するケースはあまり聞かない。
そういう意味でも、この時代は作品の権利について版元が持っていたことの表れかと思われる。
但し、馬琴が望んだのかどうかも、馬琴がお路にどの程度のあらすじを語っていたのかも不明。
人気作家の馬琴はこの作品以外にも「傾城水滸伝」を未完として残した。
「傾城水滸伝」は、笠亭仙果が「女水滸伝」と題をあらため、13編下帙より15編までを書いて出版しているが、同じ題で出版された「女郎花五色石台」との違いは版元の考えの違いからなのか。
◆翻案好きな馬琴
同時期に書かれた馬琴の「傾城水滸伝」とは共通点が多い。主役が複数の勇婦であり、墓をあばいて幽魂が放たれた事が発端になるなど水滸伝の匂いが強い。
この女郎花五色石台も中国文学の「瑯耶代酔篇」の翻案であることを序文に馬琴が書いている。
女郎花五色石台(初編序文)
昔、楚国(そこく)に干将(かんしょう)という鍛冶あり、その妻を莫耶(ばくや)と云う。時に楚王(そおう)の妃(みめ)が身肥えたる故に夏の日の暑さに堪えず、日夜鉄(くろがね)の柱を抱きて快(こころよ)しと思う程に、遂に孕(はら)みて鉄丸(てつまる)を生む。・・中略・・剣を抜いて王を撃てば王の首は釜の中に落ちて、巡りて戦う者に似たり。旅人是を見て、また自ら首刎ねて三つの頭(こうべ)釜の中に巡りて、爛れ失せにきと云う。言(こと)は瑯耶代醉篇(ろうやたいすいへん)に見えたり、実は伍子(ごし)しょによりて作り設けたる当初の小説なり。この土(ど)にいわゆる眉間尺巴の紋(みけんしゃくともえのもん)のはじまり是なり。そう神記巻(しんきまき)の十二にも赤の事を載せたれども、そは略文のみ、さるを太平記大塔(たいへいきだいとう)の宮土(みやつち)の牢の段に、右の全文を引用られたれば、世の人今はをさをさ知るめり、我また件(くだん)の事をもて、本編に撮合(さつごう)して、胎(たい)を奪い骨を換えて(奪胎換骨)もて一種の主稿とす。また唐山(からくに)の俗語小説五色石(ごしきせき)の書名を借りて、女郎花五色石台(おみなえしごしきせきたい)と名付けるよしは蛸の桜煮、鮑の酢貝、堅きところに柔らか味ある、細工は流々仕上げまで見ば、諸君子は作者の用意を知らん、こは五六集続き出だすべき長物語の糸口を、実(げ)に曳き初める春霞、四方(よも)の長視(ながめ)をたのみてぞ、代書の筆をかりそめながら、童心(わらべこころ)になるまでに、老い似げなくも、弱(わか)らしう序す
弘化三年閏月下浣代書稿成 四年丁未正月吉日発行 曲亭馬琴識
◆数(五)にこだわった馬琴
「八犬伝」「傾城水滸伝(百八星)」と同様に「女郎花五色石台」も数字(五)がキーとなっている。
「五」は古代中国に端を発する自然哲学の思想である五行思想から来ていることは、物語の端々で語られる。
五勇婦が木・火・土・金・水の五つの徳を持っていること、本来黄色であるべき女郎花が五色に咲き、雲が五色に輝き、唐糸の身体が五つに斬られるなど「五」という数字にこだわった物語としている。
その他に不動明王は五大明王の一つであったり、仁義五道、三教五戒、五欲の風、五逆の罪など「五」が繰り返される。
※五行思想における五色:青(緑)、紅、黄、白、玄(黒)
※五大明王:不動明王(中心)、降三世明王(ごうざんぜ:東)、軍荼利明王(ぐんだり:南)大威徳明王(だいいとく:西)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃ:北)
◆遊女好きな馬琴
作品名の「女郎花五色石台」について、五色石については以下の序文から中国の小説から借りていることが分かる。
「唐山(からくに)の俗語小説五色石(ごしきせき)の書名を借りて、女郎花五色石台(おみなえしごしきせきたい)と名付けるよしは(序文抜粋)」
では、「女郎花(おみなえし)」はどこから来たか。
まず、五行思想の五色では黄色が中心となる色となっているので、秋に黄色い花を咲かせる女郎花は理由がつくが、女郎花以外にも黄色い花はあるわけなので何故に女郎花を馬琴は選んだのか。
同時期に発行されている「傾城水滸伝」では、百八の遊女の霊魂が百八人の勇婦(一部は男)を生んだ設定になっている。「遊女」と「女郎」。馬琴が好きかどうかは別として一般の読者を惹きつける記号として使ったのではないかと私は見ています。
◆・・・・・続く
『女郎花五色石台』(おみなえしごしきせきだい)は、曲亭馬琴、(土岐村路)、柳下亭種員、柳水亭種清作の合巻本。10編。弘化4年(1847年)~元治2年(1865年)年、甘泉堂刊行。歌川豊国、歌川国輝、歌川国盛、歌川芳房、歌川国芳、落合芳幾画。曲亭馬琴が三編まで書いて死去した後、柳下亭種員が引継いだが、種員も死去したことで8編から10編は柳水亭種清が引き継いで完成させた。
中国文学の『瑯耶代酔篇』(ろうやだいすいへん)の翻案。五行思想をベースにして、鎌倉時代の唐糸伝説を発端に、時を越えて木曽義仲に縁ある五人の勇婦が仇討をする勧善懲悪物語。
1893年(明治26年)に日吉堂から活字本が出版されたが、それ以降の出版はなし。
◆書き継がれた物語
女郎花五色石台は、曲亭馬琴と柳下亭種員の死によって結果的に4人が書き継いだ作品となった。
初編から3編までは曲亭馬琴、4編は馬琴の息子の嫁のお路(原本では路孀(ろそう))が代筆したとなっている。5編から7編は柳下亭種員、8編は種員の遺稿を柳水亭種清が書き、9~10編は種清が書いている。
合巻の場合、画を複数の絵師が書くことはあっても物語を複数の作家が書き継ぐというのは珍しいのではないでしょうか。
理由は作家が亡くなったことによるわけではあっても、現代では有名作家の未完作品を書き継いで出版するケースはあまり聞かない。
そういう意味でも、この時代は作品の権利について版元が持っていたことの表れかと思われる。
但し、馬琴が望んだのかどうかも、馬琴がお路にどの程度のあらすじを語っていたのかも不明。
人気作家の馬琴はこの作品以外にも「傾城水滸伝」を未完として残した。
「傾城水滸伝」は、笠亭仙果が「女水滸伝」と題をあらため、13編下帙より15編までを書いて出版しているが、同じ題で出版された「女郎花五色石台」との違いは版元の考えの違いからなのか。
◆翻案好きな馬琴
同時期に書かれた馬琴の「傾城水滸伝」とは共通点が多い。主役が複数の勇婦であり、墓をあばいて幽魂が放たれた事が発端になるなど水滸伝の匂いが強い。
この女郎花五色石台も中国文学の「瑯耶代酔篇」の翻案であることを序文に馬琴が書いている。
女郎花五色石台(初編序文)
昔、楚国(そこく)に干将(かんしょう)という鍛冶あり、その妻を莫耶(ばくや)と云う。時に楚王(そおう)の妃(みめ)が身肥えたる故に夏の日の暑さに堪えず、日夜鉄(くろがね)の柱を抱きて快(こころよ)しと思う程に、遂に孕(はら)みて鉄丸(てつまる)を生む。・・中略・・剣を抜いて王を撃てば王の首は釜の中に落ちて、巡りて戦う者に似たり。旅人是を見て、また自ら首刎ねて三つの頭(こうべ)釜の中に巡りて、爛れ失せにきと云う。言(こと)は瑯耶代醉篇(ろうやたいすいへん)に見えたり、実は伍子(ごし)しょによりて作り設けたる当初の小説なり。この土(ど)にいわゆる眉間尺巴の紋(みけんしゃくともえのもん)のはじまり是なり。そう神記巻(しんきまき)の十二にも赤の事を載せたれども、そは略文のみ、さるを太平記大塔(たいへいきだいとう)の宮土(みやつち)の牢の段に、右の全文を引用られたれば、世の人今はをさをさ知るめり、我また件(くだん)の事をもて、本編に撮合(さつごう)して、胎(たい)を奪い骨を換えて(奪胎換骨)もて一種の主稿とす。また唐山(からくに)の俗語小説五色石(ごしきせき)の書名を借りて、女郎花五色石台(おみなえしごしきせきたい)と名付けるよしは蛸の桜煮、鮑の酢貝、堅きところに柔らか味ある、細工は流々仕上げまで見ば、諸君子は作者の用意を知らん、こは五六集続き出だすべき長物語の糸口を、実(げ)に曳き初める春霞、四方(よも)の長視(ながめ)をたのみてぞ、代書の筆をかりそめながら、童心(わらべこころ)になるまでに、老い似げなくも、弱(わか)らしう序す
弘化三年閏月下浣代書稿成 四年丁未正月吉日発行 曲亭馬琴識
◆数(五)にこだわった馬琴
「八犬伝」「傾城水滸伝(百八星)」と同様に「女郎花五色石台」も数字(五)がキーとなっている。
「五」は古代中国に端を発する自然哲学の思想である五行思想から来ていることは、物語の端々で語られる。
五勇婦が木・火・土・金・水の五つの徳を持っていること、本来黄色であるべき女郎花が五色に咲き、雲が五色に輝き、唐糸の身体が五つに斬られるなど「五」という数字にこだわった物語としている。
その他に不動明王は五大明王の一つであったり、仁義五道、三教五戒、五欲の風、五逆の罪など「五」が繰り返される。
※五行思想における五色:青(緑)、紅、黄、白、玄(黒)
※五大明王:不動明王(中心)、降三世明王(ごうざんぜ:東)、軍荼利明王(ぐんだり:南)大威徳明王(だいいとく:西)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃ:北)
◆遊女好きな馬琴
作品名の「女郎花五色石台」について、五色石については以下の序文から中国の小説から借りていることが分かる。
「唐山(からくに)の俗語小説五色石(ごしきせき)の書名を借りて、女郎花五色石台(おみなえしごしきせきたい)と名付けるよしは(序文抜粋)」
では、「女郎花(おみなえし)」はどこから来たか。
まず、五行思想の五色では黄色が中心となる色となっているので、秋に黄色い花を咲かせる女郎花は理由がつくが、女郎花以外にも黄色い花はあるわけなので何故に女郎花を馬琴は選んだのか。
同時期に発行されている「傾城水滸伝」では、百八の遊女の霊魂が百八人の勇婦(一部は男)を生んだ設定になっている。「遊女」と「女郎」。馬琴が好きかどうかは別として一般の読者を惹きつける記号として使ったのではないかと私は見ています。
◆・・・・・続く