けいせいすいこ伝 第二編之四
曲亭馬琴著 歌川国安画
丙戌新板 鶴喜版
その時、土九郎は頭を振って、
「否(いな)、その事は叶うべからず。六波羅殿より桜戸を佐渡へ送り届けよと仰せつけられたのに、道で殺して事顕(あらわ)れれば、これ我々の難儀(なんぎ)にならん」と云うのを蜘蛛平は聞きながら、
「戸蔭、お前は飲み込み悪し。道中で人知れずに桜戸を殺し、病死と云って帰れば誰が真(まこと)とせざるべき」と云うと舳太夫は喜んで、
「足高殿、いさぎよし。万事、手違い無いように何分(なにぶん)頼み参(まい)らする」と云いつつ贈る二包みの金を二人は受け納め、
「富安殿、心安かれ。遠からず吉報を告げ申さん」とひそめき囁き、又、盃を巡らして思わず時も移れば舳太夫は手を打ち鳴らし、以前の男を呼び寄せて、酒肴(さけさかな)の値を取らせ、門辺に出て、舳太夫は蜘蛛平、土九郎らと別れ、己(おの)が自宅へ帰って行った。
○かくて蜘蛛平、土九郎は元の茶店におもむいて、桜戸を急がせて、追い立て追い立て近江路より北国指して旅立ち、軟清、錦二は逢坂の関まで見え隠れに送ったが、さてあるべきにあらざれば泣く泣く家に帰った。
さる程に蜘蛛平らはその日はわずかに三四里で宿を取り、明けの朝は未(まだ)きに発って、しきりに道を急げども桜戸は背中を打たれた鞭の傷に痛みが出て、進みかねるを蜘蛛平、土九郎らが罵(ののし)り、嘲(あざけ)り、口に小言は絶えねども桜戸は露ばかりも彼らに逆らう事を云わず、心ばかりは急げどもとにかく道がはかどらず、この日は七里ばかりでとある里に宿取った。
この頃まではまともな旅籠屋(はたごや)はまれで、旅人を泊めるものの風呂を焚く事も無く、多くは木賃(きちん)なれども流人(るにん)を送る公人には旅籠賃を取らず、又、もてなしもしなければ蜘蛛平らは荷を下ろして一つ座敷で疲れを休め、煮え湯を盥(たらい)に汲み入れさせて竹縁(ちくえん)の元に置き、桜戸を呼び、洗足を使えと云う。
疲れ果てた桜戸は首枷(くびかせ)を掛けられたままで倒れ伏し、息もせずで居たが蜘蛛平らが情けらしく云うのを聞いて、
「そはかたじけ無くはべれども、私(わらわ)はひどく疲れた上に首枷が邪魔で足を洗うも自由ならず。只このままで眠るべし」と云うのを蜘蛛平は聞きながら、
「しからば我らが洗ってやろう、さぁさぁここへ来たまえ」と云うのを桜戸は押し返し、
「それは余りにはばかられるなり。只打ち捨てて置きたまえ」と否むを蜘蛛平は聞きながら、
「それは益(やく)無き遠慮ぞかし。▼旅は路連れ世は情け、何かは苦しかるべき。さぁ来て洗いたまえ」としきりに云うて止まざれば桜戸は遂に否(いな)みかね、謀(はか)り事があるのも知らず、「しからば」と云いつつ、ようやくいざり出て、竹縁に尻を掛ければ蜘蛛平は下にいて、「さらば洗ってやろう」と云うより早く、桜戸の足をつかんで煮え湯の中へたちまちどぶりと押し入れれば、桜戸は「あっ」と叫んで、やにわに足を引いたれども既に両足が湯膨れで腫れ上がり、その痛み耐え難ければ元の所へいざり行き、再び倒れ伏した。
蜘蛛平はこれを見て
「我は仏心で足を洗うてやるに、熱いの温いの屁臭いのと様々の望み小望(こぞみ)はあろう事かあるまい事か。昔より流人どもが役人様の肩を揉み足を洗う事はあれども、役人様が流人の足を洗ってやったためしは無いに、慈悲も情けも得知らぬ奴に構うは損じゃ」と罵(ののし)れば、土九郎もがやがやと共に罵り辱(はずかし)めた。さて二人はその煮え湯に良き程に水を挿し、互い代わりに足の泥を注ぎ落とし、臥所(ふしど)に入って、その宵の間より眠った。
かくてその暁(あかつき)に蜘蛛平、土九郎らは密(ひそ)かに起きて朝飯を食らい、桜戸は目を覚まし慌(あわ)てふためき起きても早やその膳が終われば食べる事もできず、蜘蛛平は新しい草鞋(わらじ)を出して桜戸に履けと云う。桜戸は火傷が痛めば古い草鞋を履こうと探すが隠されたのか捨てられたのか、そこらあたりに無ければ止むを得ず、新しい草鞋を履いて出発した。
この時、文月(7月)下旬で残る暑さが耐え難く桜戸は湯膨(ぶく)れを新しい草鞋で擦り壊せば痛みはいよいよ耐え難く、ややもすれば立ち止まるのを蜘蛛平、土九郎らは追い立て追い立て、罵り責めるを桜戸は悲しみながらも道捗(みちはか)行かぬをいらだって、
「叱りたまうは無理ならねども私(わらわ)は足が痛んで速くは走り難し。願うは少し思いやり、静かに歩かせたまえかし」と云うと両人はあざ笑い、「さほどに足が痛むのならば我々の肩にかかれ。世話な奴だ」と蜘蛛平は肩を差し寄せ、手を掛けさせて、土九郎は後ろより桜戸の腰を押しつつ、道十四五町程行き、里遠ざかる長枝原(しもとはら)のほとりまで来た時には有明の月が鮮やかで宵は未だ明けざりけり。
その時、蜘蛛平、土九郎らは松の切り株に尻掛けて、
「桜戸も休み候(そうら)え。ちとばかり微睡(まどろ)むべし」と道中の用心に都より携(たずさ)え来た五尺余りの樫の棒を各々(おのおの)近くに置いて眠ろうとするが、両人は眼を開き、しきりにあたりを見返るのを桜戸はいぶかって「各々は何故に微睡(まどろ)まずに御座(おわ)するか」と問えば両人は
「然(さ)ればとよ、眠りたくは思えども和女(そなた)が逃げ走るかと思えば、なかなかに眠られず」と云うを桜戸は聞きながら、
「いかでかさる事がはべるべき。心置きなく眠りたまえ」と云うと二人は頭を振って、
「いやいやどうでも眠られぬ。お前を縛って置くならば眠る事もあるべきに」と云うのは予ねての悪企(だく)み、とは知らずして桜戸は
「それ程までに思われるなら、ともかくも計らいたまえ。しばしの程の事なれば」と云うと両人は密かに喜び、
「しからばしばらく縄を掛け、繋ぎ置いてまどろまん。もしも覚めずば良き程に起こしたまえ」と云いつつ腰に付けた捕り縄で桜戸の手足を動かぬ様に縛って、松の木にに絡み付け、二人は棒を取り左右ひとしく向かい、
「これ、我々の心に非(あら)ず。道で汝(なんじ)を密かに殺せと亀菊殿の仰せを受けて止むを得ず、かくの如し。明年(みょうねん)の今月今日はこれ汝の命日なれば、花を手向(たむ)けて香を焚き、その亡き後を弔(とむら)わん。逃れぬ命とあきらめて、念仏申せ」と罵(ののし)れば、桜戸は驚き嘆いて、
「やよ、待ちたまえ、云う事あり。私(わらわ)は元より各々方(おのおのがた)に恨みがあるにもあらず。助け難きを助けるこそ慈悲と云い、功徳にもならん。後世の報(むく)いを思いやり、今の命を助けたまえば必ず恩義を返すべし」と云わせも果てず、二人は声を振り立てて、「この期に及んで、無益の繰言(くりごと)。観念せよ」と棒をひらりと振り上げて、桜戸の眉間(みけん)をのぞんで打とうとした時、松の▼木陰より現れ出た大比丘尼(びくに)が「おっ」と叫んで鉄の杖持ち、発止と打てば、蜘蛛平も土九郎も持った棒を七八間も等しくからりと跳ね飛ばされた。桜戸は眼を見開いて見れば見知れる花殻の妙達がここへ来て我が身の必死を救ったなり。その時、妙達は眼を見張り、蜘蛛平らをはったと睨(にら)み、
「この盗人(ぬすびと)ども、欲に迷って人を殺すを企むより、おのれの首を用心しろ。いで、この杖を食らわせん。おのれらの棒より食いでがあるぞ」と罵(ののし)って、その鹿杖(かせつえ)を振り上げるのを桜戸は止めて、
「尼御前(あまごぜ)、怒りを収めて、私(わらわ)の云う事を聞きたまえ。この二人は始めから私(わらわ)を殺す心無し。只、亀菊に云い付けられた事なれば、いかで背(そむ)けるべき。さるを彼らを殺したまえば、これも又無実の罪なり。まげて彼らを許したまえ」と云うと蜘蛛平、土九郎はいささか生きた心地して二人ひとしく土下座して、
「只今、桜戸殿が云われた如く、亀菊殿の云い付けなれば止むを得ず、この婦人を殺さんと致した事で、今更後悔つかまつりぬ。南無(なむ)尼君活仏(かつぶつ)大菩薩、この後は露ばかりも桜戸殿を粗略(そりゃく)無くいたわって送り行くに。命を助けたまえ」と大地にひれ伏し、手を合わせ、異口同音に詫びれば、妙達はわずかに怒りを収めて、まず刀を抜いて、桜戸の縄を切り捨て、芝生のほとりにいたわり座らせ、
「姉御よ。我が今、ここに来たのをさぞいぶかしく思われん。あなたの無実の罪の様子は聞きながら、救う手段(てだて)が無いままに気を飲み揉んで日を送ったが、あなたが佐渡へ流されると聞き、その日に会おうと六波羅の門前まで行きしども、掛け違え、遂に会う事を得ざりき。しかるにその日一人の武士がこの蜘蛛平、土九郎らを金乃蔓屋へ招き寄せ、密談数刻に及んだ事を告げる者あり、もし亀菊が忍びやかにこやつらを使って、あなたを殺す事もやと早くも心付けば、我もその日に出発し見え隠れに付けて来て、一つ所に宿取って、密(ひそ)かに様子をうかがうと様々の悪巧(わるだく)み。煮え湯をもって火傷をさせ、又、新しき草鞋(わらじ)を履かせて、その湯膨れを擦り壊させ、ここに至ってあなたを欺(あざむ)き縛り置き、殺さんとするまでを我はことごとくこれを知る。あなたの詫び事なければ、二人ながらに押し並べ、脳も骨をも打ち砕き、この腹立ちを治さんに」と云うと桜戸は志の浅からぬを喜んで、
「只今、なだめた如く、彼らを殺すのは返って私(わらわ)の為ならず、許されるこそ喜びなれ。さてもあなたはこれよりして又、何処へ行きたまうか」と問えば妙達は微笑んで、
「人を殺せば血を見るべし。人を救えば終わりを見るべし。あなたに付き添って配所(はいしょ)まで送り届けん。このばか者ども。桜戸殿を背負うなりとも手を引くなりしていたわり助けて、我に続いて、さぁさぁ来い」と云いつつ、やがて先に立ち、五七町行く時にその村の取り付きに一軒の酒屋があり。妙達はそこに立ち寄り、うどんを打たせて桜戸に食わせ、酒も飲ませ我が身も飲んで、蜘蛛平、土九郎にも振る舞えば、二人は言葉を揃えて、
「尼君は都の何(いず)れの寺に御座(おわ)するか」と問えば妙達はあざ笑い、
「このばか者らが、我が名所(なところ)を聞いて亀菊に告げ知らせんと計るか。人は亀菊を恐れるとも我は彼奴(かやつ)を何とも思わず、無駄口を叩かずに桜戸殿をよくいたわれ。いざ行くべし」と出発した。
これより蜘蛛平、土九郎は妙達に責めののしられ、彼女の下部に異ならず、走るにも止まるにもいささかも自由は無けれども、その意に逆えば討たれる事を▼恐れて、日々に妙達の機嫌を取り、どうにかして居坐(いざり)車を求めだし桜戸を乗せ、二人で代わる代わるにこれを引きつつ行くとある日、近くに人無き時に蜘蛛平、土九郎が談合する、
「我々、仕合せ悪くして、亀菊殿に頼まれた一大事を仕損じれば都へ帰って言い訳無し。さていかにせん」と語らうと蜘蛛平はしばらく思案して、
「近頃、深草の成仏寺に畑守りの尼あり。万夫不当(ばんぷふとう)の荒者で、その名を妙達とか云うと聞く。察する所、あの尼は成仏寺の妙達なるべし。我々、都へ立ち帰れば、あの妙達に妨(さまた)げられて手を下すことを得ず、その故(ゆえ)は斯様(かよう)斯様と、ありのままに告げ申して、亀菊殿よりたまわった金をそのまま返すべし。これより他に仕方はあらじ」と云うと土九郎はうなずいて、
「我もさこそと思いしなれ、これがもっともしかるべし」と相談を極めつつ、なお妙達に送られて夜に宿り日に歩み、行き行きて越後の寺泊(てらどまり)まで来た。
その時、妙達は桜戸に向かい、
「姉御、ここにて別れん。これより先は船で向かいへ渡れば佐渡なれば、道で気使い無かるべし」と云うと桜戸はうやうやしく、
「思い掛け無き情けによって、つつが無く来た事はいつの時にか忘れはべらん。帰りたまえば、我が夫にも錦二らにもしかじかと、よく言い付けてたまえかし」と云うと妙達はうなずいて又、蜘蛛平らに向かい、
「ばか者ども。この後とても桜戸殿をいたわって、陰日向(かげひなた)無く心を付けよ」と云うと二人は小膝(こひざ)を付いて、
「いかでか仰せに背(そむ)くべき。さぁさぁ帰りたまえ」と云うと妙達は「さこそ」とあざ笑い、片辺の丘の年経た大きな松を指差して、
「いかに二人のばか者ども。汝らの頭とあの松の木といずれが固い」と問うと二人は、
「そは宣うまでもあらず。我々の一身五体は親が産んだ物なるに、その堅さがいかにして、あの松なんどに及ぶべき」と云うのを聞きつつ妙達は松のほとりに歩み寄り、鉄の鹿杖(かせつえ)を取り直し、矢声を掛けて幹のただ中を発止と打てば、一抱(かか)えにも余る松は半(なか)ばより折れ、高き梢(こずえ)は逆様に大地を打って倒れた。
蜘蛛平、土九郎はこれを見て、頭を抱え舌を吐き、驚き呆れた。妙達は悠々と丘より下って杖を突き立て、
「ばか者どもめ、手並みは見たか。もし仮初(かりそ)めにも桜戸殿を惨(むご)くもてなす事あれば、汝らの素頭(すこうべ)もこの松の如くなるべし。我が云う事を忘れるな」とあくまで戒(いまし)め、桜戸に別れを告げて、元の道へ帰って行った。
かくて蜘蛛平、土九郎らは寺泊に宿取って、順風を待つが今宵より妙達にののしられる事が無ければわずかに自由を得て、桜戸に、
「さても、あの尼御は思うに増した力なり。あの大木を一と打ちに折ったのは人間技とは思われず、実(げ)に凄まじき女かな」 と舌を振るって恐れれば、桜戸は笑いつつ、
「あればかりの事か。いつぞやは寺で一抱(ひとかか)えに余る柳を只一抜きで根こぎにした事もあり」と云うと二人は益々恐れて、
「我々運命尽きずして、危うい命を拾ったか」と噂のみして止まざりけり。
○かくてその明けの朝、追風良しと船に乗り、海上さらにつつがも無く、その日の未(ひつじ)の頃には早や小木(おぎ)の港に着いた。▼ここより国府は三四里にすぎずと云えば、桜戸ら三人は港の酒屋に尻掛けて、さぁさぁ酒を出せと云うと主人は挨拶さえしなければ、桜戸は主人を呼び寄せ、
「先より酒を出せと云うに、なぜに答えもせざるやらん」と云うと主人は進み寄り、
「客人たち、腹立ちたまうな。あなたに酒を売らぬのはそれがしの寸志(すんし)なり。今だ知らずでおわするやらんがこの里には折瀧(おりたき)の節柴(ふししば)刀自(とじ)と呼ばれる歴々(れきれき)の後室(こうしつ)あり。これはこれ平家の一門、池の大納言頼盛(よりもり)卿(きょう)の孫娘で中将宰相頼貞(よりさだ)朝臣(あそん)の息女なり。昔、源平の戦いで頼盛卿は頼朝(よりとも)公に深き恩義があるをもて、独り都に留まりたまいた。平家が滅び失せし後、頼盛公は鎌倉より様々にもてなされて、官位庄園を元の如くに当てがわれたが、その御子(みこ)頼貞朝臣の世に至って、院の御気色(けしき)をこうむりたまいて、この国へ流されたがなおも鎌倉より取り成しあり、赦免(しゃめん)の御沙汰あれども頼貞はいかなる所存か、辞退して帰りたまわず、その年に頼貞はにわかに亡くなった。後には姫上一人あり、予ねて都の公卿衆を婿候補にとの聞こえあったが、その婿君も都で若死にをすれば、姫上は許嫁(いいなずけ)の婿君の為に髻(たぶさ)を切って再び男に見(まみ)えたまわず。又、都へも上りたまわず、この地に御座(おわ)するにより、鎌倉より一万町の庄園を付けられて永代安堵の御教書(みぎょうしょ)を出されれば、その家は豊かで家来多かり。この後室の居たまう所を折瀧(おりたき)の庄と云い、その名を節柴(ふししば)殿と申すなり。しかるに、その節柴殿は慈悲、情けある婦人で「この国へ流される流人が来たらば、早く知らせよ。酒を飲ませ物を取らせて施しをすべきなり」と予ねて宣う由があるのに、あなたがここで酒を飲み、顔赤くしてあの屋敷へ尋ね行けば、路銀ありと思われて物を施されぬなり。我らこの儀を思うにより、わざと酒を売らぬなり」と云うと桜戸深く感じて、主人の情けを喜び聞き、蜘蛛平、土九郎を見返って、
「只今、聞いたが如し。いかにその御屋敷へ立ち寄って見たまわずや」と云えば両人小首を傾け、かかる人を尋ね行けばいずれの道にも損はあらじと思えば等しくうなずき、
「そはともかくも」と答えれば、桜戸は節柴の屋敷の場所を尋ねると主人はつぶさに示して、
「ここより十町ばかり先の大きな石橋を渡りたまえば、その所より折瀧屋敷に候」と教え、桜戸は酒屋の主人に喜びを述べ、立ち出て、蜘蛛平、土九郎諸共にその屋敷へおもむいた。
果たして大きな石橋あって向かいに一構えの屋敷が見えた。
その広々(こうこう)とした所に稀(まれ)な棟木(むなき)造りが目ざましくて田舎ならず。ここぞと思えば桜戸は潜(くぐ)り門に立ち寄って門番に向い、
「私(わらわ)は都の流人の桜戸と云う者なり。この由を主の君に聞こえ上げたまわれかし」と頼めば門番はつらつら見て、
「おぬしは運悪い者なり。後室様は今朝未きより茸(たけ)狩りの為に東の荘へ行かれた。御留守なれば仕方無し」と云うと桜戸は本意(ほい)無くて、
「しからば又、何時ごろに帰られるやらん」と再び問えば、
「然(さ)ればとよ。初茸を採らんと下屋敷へお出かけなれば、今宵は彼処(かしこ)にお泊りなされて二日も三日も逗留あらんか。その程は計り難し」と云うと桜戸は、
「そなたが宣う如く、私(わらわ)は実に幸いなし。いざ帰らん」と云いかけて又、蜘蛛平ら諸共に元来た道へ帰れどもここに来ながらたちまちに望みを失う事なれば、さすがに足も捗(はかど)らず、又、石橋まで戻る時、見れば左手の大路より一挺の乗り物を四人にかかせつつ、従う男女の供人は幾十人とも数え尽くさず、獲物の早松茸(さまつたけ)などを青籠に入れ、釣台にかき担(にな)わせ、続々と帰り来るはこれ必ず▼折瀧の後室ならんと推した。
桜戸は嬉しくて道の片方(かたへ)でたたずんで眺めていると、その乗り物の内からも桜戸を見て、
「あれは流人と覚ゆるぞ。その名所(なところ)を尋ねよ」と云うと若党(わかとう)は心得て、桜戸のほとりへ駆けつけ、しかじかと尋ねれば桜戸も小腰をかがめて、
「都の流人で桜戸と云う女子(おなご)なり。只今、御屋敷へ訪ね参(まい)りしども御遊山との事なれば、本意(ほい)無くもすごすごと帰ろうとする折なり」と云う声洩れて聞こえた。節柴は乗り物を据えさせて忙わしく立ちいで、そのほとりへ近づいて、
「桜戸殿と名乗りたまうは先に女武者所の采女(うねめ)で武芸の師範になされた元の為楽院の息女と聞こえた、あの虎尾の桜戸殿か。それかあらぬか、いかに」との問いに桜戸答えて、
「私(わらわ)はその虎尾の桜戸なれ」と云うと節柴は喜んで、
「その名は予ねて聞きながら、会う由無しと思いしが縁あればこそ図らずも面(おもて)を合わせる嬉しさよ。いざ此方(こなた)へ」と手を取って、そのまま屋敷へ伴いつつ、客座敷へ向かい、様々いたわり慰めるその間に腰元共が酒肴(さけさかな)を持って来て、又、三四人の女どもは白米一斗と銭五貫文を台に載せて、うやうやしく持って来るのを節柴は見て、
「そは何事ぞ。この御方にさばかりの物を参(まい)らせる事があるか。酒も肴(さかな)も替えて良くして出せ」と息巻けば桜戸はこれを押し止めて、
「私(わらわ)にたまう物ならば、あれにても過ぎはべらんに」と云うを節柴は聞きながら、
「否(いな)、女子(おなご)どもが思い違えてあなたを世の常の流人と見た愚かさよ。そこらに心を使いたまうな。皆引き替えて持って来ずや」と云うと皆々心を得て、膳椀料理も世の常ならぬをにわかに仕替えて持って来れば、節柴は桜戸を上座に押し据えて、蜘蛛平、土九郎をもその次に居並ばせ、自ら盃をすすめ肴(さかな)をはさんで、いと懇(ねんご)ろにもてなす時に一人の腰元が節柴のほとりへ来て、
「お師匠様が来たまいぬ。此方(こなた)へ通し申さんや」と告げて指図をうかがった。
節柴はそれを聞いて、
「それは幸いの折なり。こなたへ誘(いざな)い参らせよ」と云うと腰元は心得て、表の方へ急ぎ行った。桜戸は取次ぎの女子(おなご)が師匠と云ったのはもしや主人(あるじ)の武芸の師匠か、さらずば遊芸を教える者かと思いつつ、なお問いかねていると、齢は四十ばかりにして肥え太りった荒女(あらおんな)が座席を蹴立てて入り来れば、桜戸はこれぞその師匠と云われる者ならんと思えばやがて座を立って、頭を下げて迎えれどもその女は会釈もせず、その座を奪って上座に押し直り、節柴に挨拶をする体(てい)たらく、かたへに人が無い如し。その時、節柴は桜戸を指さして、
「綾梭(あやおさ)の刀自(とじ)。この女中は先頃、都で女武者所の師範だった虎尾の桜戸殿なり。あの亀菊に憎まれて無実の罪に落とし入れられ、この国へ流された。いと痛ましき事ならずや」と云いつつ桜戸を見返って、
「虎尾の刀自。この女中(じょちゅう)も先に亀菊に憎まれて、遂に都を逃亡せられた綾梭の刀自なり。近頃ここに来たまいぬ。予て知る人ならずや」と引き合わせれば、桜戸はその女をつらつら見て、
「私(わらわ)が采女であった時、綾梭殿をよく知れり。名は同じくはべれどもこの女中はその人ならず」と云われて、その綾梭は気色変わって、火の如くに赤らむ顔につぶらなる目を光らして桜戸をしばしにらまえたがからからとあざ笑い、
「折瀧(おりたき)殿は何故(なにゆえ)に流人をもてなされるぞ。真(まこと)に虎尾の桜戸ならば私(わらわ)を見知らぬ事があるか。返って私(わらわ)の事を都の綾梭ならずと云うは只これその身の化けの皮を現されんと思えばなり。かくてもなお疑いたまえば、ここにて試合をして、いずれが真(まこと)か偽りか、勝負によって疑心を晴らさん。馬鹿馬鹿しや」と息巻いた。
節柴はこの綾梭を予ねてから疑い、今、桜戸を嘲(あざけ)って、しかも傍若無人なのを片腹痛く思えば、これ幸いの事として今桜戸に討ち倒させなければ彼女が真(まこと)の綾梭ならぬを確かに知る由無いと思案をしつつうなずいて又、桜戸に向かい、
「御大儀(ごたいぎ)なれども、綾梭殿と試合をして一興(いっきょう)を添えたまえ。只今も云う如く、この女中は近頃、この国へ渡り来て武芸の指南をする故(ゆえ)に人は師匠と呼べど私(わらわ)に師弟の因縁があるにはあらず。遠慮はしたまうな」と心有り気に説き示せば、偽(にせ)綾梭は節柴が桜戸を贔屓(ひいき)して、我を狭(さ)みする詞(ことば)の端々を腹に据えかね、「それは真(まこと)に面白し。さぁさぁ勝負を決せん」といらだって早や立ち上がれば、節柴は腰元に云いつけて、六尺ばかりの寄棒を二筋持て来て、縁側のほとりへ置いた。
その時、綾梭は▼裳裾(もすそ)をかかげて、その棒を取るより早く庭へひらりと飛び降りて、
「桜戸のにせ者。さぁ来て勝負を決せよ」と手招(まね)きをした。
今更引くに引かれぬ主の懇望(こんもう)。桜戸はこの綾梭が節柴の師匠ならぬを知れば、
「しからば相手にならん。許したまえ」と座を立って、その棒取って、庭へひらりと降りると日は暮れ月出て、さながら昼に異(こと)ならず。
さる程に偽(にせ)綾梭は旗雲(はたくも)と云う棒の手を使い、「来たれ、来たれ」と呼びはれば桜戸はしづしづと構えの内へ立ち向かい、水の月と云う手で打ち合う事しばしにして、何を思ったか桜戸は構えの外へ出て、「私(わらわ)は負けてはべり」と云う。
節柴は本意(ほい)なくて、
「未だ勝負も見えぬのに、何故に負けたと云われるぞ」といぶかり問えば桜戸答えて、
「私(わらわ)は首枷(くびかせ)を掛けていれば、身の働きが自由ならず。故(ゆえ)に負けと云いしなり」と云うと節柴は微笑んで、「実(げ)に、さもあらん。その事は私(わらわ)も心付かざりき」と云いつつ、やがて腰元に十両の銀を取り寄せて二つに分けて押し包ませ。これを蜘蛛平、土九郎に贈って云う、
「願うはしばし試合の間、桜戸殿の首枷を取り除きたまえ。もし国府で沙汰(さた)あれば私(わらわ)よろしく云い説きはべらん。受けひきたまえ」と請い求めれば、蜘蛛平、土九郎は一議に及ばず、その金を受け納め、その首枷を外した。
その時又、節柴は二十五両の砂金を出して、勝った方への引き出物にと云う、これは桜戸を励まして勝たせんと思えばなり。さる程に偽綾梭は桜戸が退いたのは我を恐れる故(ゆえ)なりと思い誇ってその金を取ろうと逸(はや)れば、再び棒を水車の如く回しつつ、「来たれ、来たれ」と呼びはれば、桜戸もやや身軽くなって再び棒をかい込んで構えの内へ進み入り、互いにやっと声を掛け、しばらく挑み戦ったが、桜戸がたじたじと後退をすると綾梭は得たりと勢い込んで討とうと進むを桜戸は引き外して閃(ひらめ)かす、その棒は稲妻の如くなれば、偽綾梭は目眩(めくるめ)いて、急に避けんとする所を桜戸は棒を引くと見せて、偽綾梭の向脛(むこうずね)を発止と薙(なぎ)て返す手に、又、空ざまに跳ね上げれば偽綾梭は「あっ」と叫んで、翻筋斗(もんどり)打ってだうと伏し、持ってた棒は遙かに飛んで、池の中へ落ちた。
その事の体(てい)たらくに、誰かは興(きょう)に入らざん、「ああ」と等しく褒める声がしばしは鳴りも止まざりけり。
偽(にせ)綾梭はひどく負け、しばしもたまらず逃げ失せたが、その後この地にいる事叶わず、次の日に逃亡した。彼女は人寄せの友代の弟子で赤尾(あかお)と云う者なるが、綾梭の名を偽(いつわ)って国々を巡る者と後に人皆知った。
されば又、節柴は桜戸の武芸を深く感心し、これより日毎にもてなして何くれとなく語らい暮らすと早や四五日を経れば蜘蛛平、土九郎は国府への日限が遅れるとしきりに催促すれば、節柴も留めかねて、桜戸には先の砂金二十五両に又、一貫目の銀子を贈り、流人預かりの四伝次(しでんじ)らに頼みの状を書いて渡し、
「寒くなれば、冬の衣装を配所(はいしょ)へ贈りつかわすべし」と云うと桜戸は涙を浮かべて喜びを述べれば、節柴は又、砂金五両づつを蜘蛛平、土九郎に与えると両人も深く喜び、桜戸に首枷を元の如くに掛けさせて出発した。
○かくて蜘蛛平、土九郎は佐渡の国府に着き、六波羅からの送り状を本間の家臣に渡しつつ、流人桜戸を送り来た事を述べれば、本間の太郎はこれを聞き、家臣に桜戸を受け取らせ、やがて六波羅への請文(うけぶみ)をしたためて蜘蛛平らに渡すと、二人は都を指して帰って行った。
○さる程に桜戸は流人小屋へ入られて、その様子を見ると、男の流人と女の流人は居る所は同じからねど、ある日は山麻(やまそ)を刈り、薪(たきぎ)を取り、炭を焼く営みのいずれも苦しげならぬは無し。されば女流人らは桜戸を哀れんで、
「あなたは未だ知らざるべし。流人の預かりは国造(くにつこ)の家臣で剣山四伝次(つるぎさんしでんじ)と云う人なり。この小屋の総頭(そうがしら)は生き剥(は)ぎの奈落(ならく)婆(ばば)といと恐ろしき女ぞ。まずこの二人に物を贈って哀れみを願わざれば酷き目にあう。そこらに心を付けたまえ」と囁き教える時、奈落婆が見廻って桜戸に向かい、
「新米の流され者の桜戸とは汝(なんじ)よな。何故に早く三拝(さんぱい)して頭を土に掘り込まざる。おのれの面(つら)が幽霊めいたるは、都で様々の悪事をした咎(とが)により流されしこその道理なれ。汐風(しおかぜ)が身に染むまで、生かさず殺さず責め使わん。覚悟をせよ」と罵(ののし)ればあたりにいた流人どもは恐れて皆々出て行った。その時、桜戸は砂金三両を取り出して、
「お婆様、これは余りに少しながら受け納めたまえかし」と云いつつ懐へ差し入れれば、奈落は重みを感じて、「これは私(わらわ)と四伝次殿に贈る物か」と尋ねれば桜戸は答えて、
「その金はあなた一人にはべるべし。四伝次様には別に三両を参(まい)らせん。これを届けてたまわれかし」と云いつつ金を取り出して、折瀧屋敷を出る時に節柴が書いて渡した書状と共に渡せば、奈落はからからと笑いつつ、
「桜戸殿、お前は良い女子(おなご)ぞかし。あの亀印(かめじるし)に憎まれて無実の罪に沈めども、遠からずして帰洛(きらく)あるべし。事に折瀧殿よりもこれらの手紙を添えられれば、いかでか如才に思うべき。まずまず休息あるべし」とそのまま走り去り、四伝次に由を告げれば、四伝次は笑みつつうなずいて、奈落と共に小屋へ来て、桜戸を呼び出して、
「初めて来る流人は脅しの棒として二十杖(つえ)、背中を打つのが定法なれども、汝は病あればしばらく用捨(ようしゃ)すべきなり。今より地蔵堂を守るべし」と堂守(どうもり)にした。かくて又、桜戸は奈落に五両の銀子を贈って、
「願わくば、この首枷を取ってたまわれ」と頼めば、又、四伝次に取り成して、その首枷を取り除かせて大方ならず労(いた)わった。▼地獄の沙汰(さた)も金次第、世の諺(ことわざ)を今ぞ知る。桜戸は次の日より地蔵堂の守りとなってそこを住処(すみか)とし、勤めは香を焚(た)き、花を折り替え、そこらを掃除するのみなれば、流人どもは驚いて、かような役義は新参には絶えて得難き事なりと知るも知らぬも羨(うらや)んだ。
かかりし程に桜戸は首枷すらも取り外されて、その身の自由を得たので常に暇あり、折々に漫(そぞ)ろ歩きをして里の町々を見物したが、ある日、思い掛けなくも真介(ますけ)という者に会った。彼は桜戸の父、剛詮(ごうせん)が世に在った頃、召使った若党(わかとう)だったが、若い者の習いとて都の遊び女(め)に身を持ち崩し、自分の衣類雑具は更なり、主の剛詮の秘蔵の経文(きょうもん)を密かに質入れして、その事遂に顕れた。剛詮の怒りははなはだしく、公(おおやけ)へ訴え申して罪を正さんと息巻いたのを桜戸が不憫(ふびん)に思って親の怒りをなだめつつ、真介には金を与えてその経文を受け戻させ、ようやく無事に収めれども剛詮はなお彼を憎んで、身の暇(いとま)を使わした。その時も桜戸は少しの路銀を持たせるなどして、今後を戒(いまし)めれば、真介は深く後悔して、是非無く都を立ち去った。その後、あちこちとさ迷いつつ、遂にこの地へ漂泊し、真琴屋(まことや)と云う料理酒屋に奉公した。元より料理心もあって、よく客をもてなせば、その店はいよいよ繁盛し、それにより、真琴屋の主人は深く愛で喜んで、真介を娘の婿として、只一人娘の小実(こじつ)と妻合(めあ)わせたが、幾程(いくほど)も無く真琴屋は遂に亡くなって、真介が店を受け継いだ。この日は掛(かけ)取りのために佐和田(さわた)の町を巡りつつ、思い掛けなく大恩ある故主(こしゅ)の娘に会えば、此(こ)はそもいかにと驚いて事の由を尋ねると桜戸は無実の罪で流され来た事情を斯様(かよう)斯様と物語り、真介はしきりに涙を流して、その不仕合せを哀れみ慰め、我が身の上を物語りして、やがて自宅へ伴って妻の小実に由を告げ、酒をすすめ、膳をすすめ、夫婦ひとしくもてなすと桜戸も昔を忘れぬ彼の志を喜んで、なおも詳しく我が身の上、亀菊の事をさえ、始め終わりを物語り、
「私(わらわ)は流人なるに斯様に親しくもてなされれば、和殿(わどの)夫婦を巻き添えせん」と云うを真介は聞きながら、
「いかでか、さること候べき。昔の御恩の万が一つも返し参らせるはこの時なり。何事でも受けたまわらん。洗濯なども配所では不便なるべし。汚れた物があるならば、よこして小実(こじつ)に洗わせたまえ。我々はこの地にはかばかしき親類無ければ、心細く候いしが、図らずも恩人の見参に入りし事、喜びこれに増すこと無し」となお様々にもてなした。
これよりして真介夫婦は日毎に桜戸を訪れて、飯の菜(さい)の物などを贈れば、余の女流人らも桜戸のお陰により飢えをしのぐ者も少なからず、小実は又、桜戸の着物を洗い縫いなどして、いと懇(ねんご)ろに世話すると折節はちとの銀子を使わして彼らの元手に致させた。
かかりし程に節柴は月毎に人に桜戸の安否を問わせ、又、冬の衣装なども九月の頃に送れば、桜戸は不自由な事も無く流人どもにうらやまれて百日あまりの月日を送った。冬も半(なか)ばになった頃、ある日夫婦とおぼしき武士の旅人が真琴屋へひらりと入って奥の座敷へ通れば真介はこれを迎えつつ、
「客人は酒をや召されるか、飯を出し候べきか」と問いも果てぬに、その武士は忙わしく懐(ふところ)より金壱分を取り出して、真介に渡して云う、
「酒も飲むべく、飯も喰うべし。しかし今ここへ招き寄せる人あれば、その輩(ともがら)が揃って後に酒も肴(さかな)もいくらなりとも出だせかし」と云いつつ金を渡すと真介は受け取って、
「そは誰をか招きたまうか」と問えばその武士は声をひそめて、
「我は本間の身内の剣山四伝次と奈落婆を呼ばんと欲(ほり)す。和主(わぬし)、今我が為にその両人を伴い来よ。さぁさぁ」と急がせば真介は佐和田(さわだ)へ走り行き、しかじかと由を告げ、やがて四伝次、奈落婆を誘(いざな)い来れども四伝次も奈落婆もこの旅人を見知らねば、さすがに進みかねるのを旅人夫婦は座を立って理(わり)無く座敷へ引き入れ、上座に座らせ、
「御両人、さのみ怪しみたまうな。事の訳はやがて知れん。まず盃を持て来よ」と云うと真介は心得て、始めに吸物(すいもの)、硯蓋(すずりふた)、銚子(ちょうし)、盃(さかずき)取り揃え、次第、次第に出すと、只、これ機(はた)を織る如く、しばしも暇(いとま)は無かりけり。その時、旅人夫婦は真介を近くに招き寄せ、
「我らはちとの用事あれば、手を鳴らして呼ぶまでは何も出すに及ばず。酒は自ら火鉢で温めん。徳利に入れて持って来て置け」と云うと真介は心得て、その様にするが深く心にいぶかって妻の小実に囁く、
「お前は何と思うやらん。始めに我が剣山と奈落婆▼を呼んで来たが互いに知る人ならぬが如し。且つ、あの男女の声音(こわね)はまさしく京談(きょうだん)なり。先日、桜戸様の物語りで密かに聞いた。もしやあの人々は亀菊殿の使いで、桜戸様の身の上に良からぬ訳がありもやせん。我は店を守るので、お前は格子の下へ廻って、その云う事を聞きたまえ」と云うと小実は思案して、
「しか思われるなら、立ち聞きをするまでも無し。地蔵堂へ行き、桜戸様を伴い来て隙見(すきみ)をさせれば立ちどころにその疑いは解けはべらん」と云うを真介は押し止め、
「それははなはだしかるべからず。あの女中は男勝りで武芸に長ければ、もしあの二人が予ねて聞く舳太夫(へだいふ)、陸船(くがふね)夫婦ならばたちまち怒りに耐えずに事を起こされては我々も巻き添えになり身の災いに及ぶべし。我が云う由に従って、よく聞きすましたまえかし」と諭(さと)すと小実は心を得て、格子の方に赴(おもむ)いて、立ち聞く事半刻(はんとき)ばかり。さて戻って夫に云う、
「いずれも声が低く定かには聞き取れねども奈落婆が只一言「亀菊様」と云った声のみ、紛(まご)う方なく聞こえたり。又、あの旅人の男女が手紙を渡して二人に見せて、又、二包みの金を囁きながら渡せば、四伝次殿も奈落婆も大方ならず喜んで、「我々、上手く計らって見せ申さん」と云った。この他は云う事が分かりはべらざりし」と告げる折から座敷で手を打ち鳴らす音がして真介は「あい」と答えて、走って座敷に赴くと四伝次が膝のあたりに手紙が在るのを隠すのを見た。その時、旅人夫婦は「さぁさぁ茶を参らせよ」と云うと真介は退いて、用意の茶を出せば、四人はこれを飲み、四伝次と奈落婆は先へ立って出て行った。旅人二人は後に残って酒食の値を取らせるなどして続いて出た。
真介夫婦はその事が心にかかり、とやあらん、かくやあらんと密めいて噂をしている時に、桜戸が招かずも来れば夫婦は奥へ迎え入れ、さて在りし事情を斯様(かよう)斯様と告げると、桜戸は聞きつつ驚き、
「その旅人夫婦の面体(めんてい)はいかがなりか。年の齢(よわい)は幾ばくなりし」と問うと真介は、
「その顔形は斯様(かよう)斯様、年の齢はしかじか」と告げれば桜戸は歯を食い縛り、
「それは疑うべくもあらぬ、舳太夫と陸船なり。その悪人どもは遥々(はるばる)と、この地へ密(ひそ)かに来て、私(わらわ)を害せんと謀(はか)るよな。今、この恨みを返さずば、いずれの時を待つべきぞ」としきりに恨み憤(いきどお)るのを真介、小実は諌(いさ)めなだめて、
「御腹立ちは道理(ことわり)なれども、「他所(よそ)の盗人(ぬすびと)を防ぐより、おのれが門の用心せよ」と云う諺(ことわざ)もある。なれば怒って事を破らんより、身の用心して防ぎたまえ」と言葉を尽くして止めた。
しかれども桜戸は憤(いきどお)りに耐えざれば、真琴屋を走り出て佐和田の町を見巡ると、古道具を商う店に仕込み杖の手槍あり。長さは五尺ばかりで上より見れば棒の如く、鞘(さや)を外せば手槍なり。
「こは好都合の物なり」と思えば買い取って、この他に九寸五分の懐剣(かいけん)をも買い求め、これより日毎に舳太夫と陸船を尋ね歩き、その帰りには真琴屋へいつも必ず立ち寄って「今日も奴等に会わず」と云う。真介夫婦は深く憂(うれ)いて様々になだめつつ、手に汗握るばかりなり。
○さる程に桜戸は陸船らを尋ねる事、五七日に及べどもその影さえも見る事無ければ、又、今更に疑い迷って心ともなく怠(おこた)りけり。そんな頃、奈落婆は桜戸を呼び寄せて、
「そなたは予(かね)て節柴殿より頼まれた事もあり、私(わらわ)が折々四伝次殿へ良き様に取り成せば、今一段と待遇を引き上げて山苧倉(やまそくら)を守らせよと四伝次殿の仰せなり。そもそもその山苧倉は流人どもが夏毎に山稼ぎして取り出す夏引(なつびき)の苧(そ)を置く一構えの倉地で、ここより二十町余りにあり。その倉を守る者を女にせられるのは女子(おなご)は手ぶりが柔らかで苧(そ)を取り扱うに良ければなり。彼処(かしこ)は地蔵堂にも優って、役得も▼少なからず、よってそなたを遣(つか)わせる。よく勤めよ」と云い渡せば、桜戸は浅からぬ情けの程を言請けして、まず真琴屋へ赴(おもむ)いて、しかじかと由を告げ、
「剣山、奈落らは私(わらわ)を害せんと、謀らずして役替えさせるはいかにぞや。つくづく心得難し」と云うを真介、小実は喜んで、
「山苧倉は人が望む第一の所なれば怒りを忘れて疑う事無く、早く彼処(かしこ)へ移りたまえ。只、遠くなるので、これまでの如く日毎日毎に訪れいたす事も叶わず、さりとても生業(なりわい)の暇(いとま)々を見合わせて必ず訪ね奉(たてまつ)らん」と云うと桜戸は疑いが解けても溶けぬ霜柱、地蔵堂へぞ帰っていった。
かくて程無く四伝次は奈落と共に来て、桜戸を引き連れ山苧倉へ赴(おもむ)くと頃は霜月(11月)下旬で空かき曇り風寒く、雪ちらちらと降り出して、見る見る野山は真白になって三尺あまり積もっていた。桜戸は山苧倉に着いて見ると、校倉(あぜくら)は三棟であたりに一軒の草の屋あり。囲炉裏(いろり)の横に流人の老女が三輪組(みつわぐ)みして居た。その時、四伝次、奈落婆はその女を呼び立たせ、今日より桜戸にこの倉を守らせる事情を云い渡し、
「汝は早く去って、地蔵堂を守れ」と云うと女は一議に及ばず、倉の鍵と帳面と山苧の目録を取り出して桜戸に渡し、又、柱に掛け置いた、一つの瓢(ひさご/ひょうたん)を指差して、
「もし酒を買うならば、これより八九丁東の方のしかじかの所に酒屋あり。瓢は私(わらわ)の置き土産ぞ」と云いつつ、やがて蓑(みの)笠(かさ)を着て、四伝次らと地蔵堂へ赴(おもむ)いた。
さる程に桜戸はその草の屋に只一人、つくつくとして居ると早や黄昏て物寂しく、壁落ち軒端(のきば)傾いて荒れた宿はひどく凍(こご)えて耐え難し。日の暮れ果てぬうちに、ちとの酒を整えて今宵の寒さを凌(しの)がんと思えば、その瓢を取り下ろし、仕込み杖(つえ)に結び付け、これを突き立て突き立て、酒屋を指して行くと、道五六町ばかりにして道の片方(かたへ)に荒れ果てた小さい観音堂が在り、立ち寄って、「我が行く末を守らせたまえ」としばし念じて、ようやくその酒屋へ辿(たど)り着けば、酒屋の主人(あるじ)が出迎えて、
「酒はいかばかり求めたまうや」と問う。その時桜戸はその瓢を鳴らし、
「これをば見知っていたまうならん。今日よりこの瓢は私(わらわ)の物なれば、又折々に買いに来るべし。今日はまず二合ばかり注ぎたまえ」と差し出せば主人は見て微笑んで、
「さては新たに山苧倉(やまそくら)を守りたまう姉御(あねご)なるか。しからば負けて参(まい)らせん」と云いつつ注いで値を受け取り、渡す瓢を桜戸は仕込み杖(つえ)に引き掛けて、あの草の屋に帰ったが、天の神は烈女(れつじょ)を哀れみたまうか、草の屋は大雪に押し潰されて入るべくも非(あら)ず。
桜戸は驚き呆れて只、火の元こそ肝心なりと思えば、連子(れんじ)の隙より潜(くぐ)り入って囲炉裏の埋(うず)み火を探り見ると、火は皆雪に消されて、灰さえ冷たくなれば、僅(わず)かに心を安くして、なおも綿子(わたこ)を探り取り、戸の方へ潜(くぐ)り出たが、何処(いずこ)でか今宵一夜を明かさんとしばらく思いかね、先に道の辺(ほとり)の観音堂こそ好都合と心付きつつ、又更に深い雪道踏み分けて、その堂に辿(たど)り着いたのは夜五つの頃なるべし。
さる程に桜戸は堂内に進み入り、開き戸を閉め、持った綿子を敷いて微睡(まどろ)まんとする時に、表の方に物の音して、ただならずと聞こえれば「こは何事ぞ」といぶかって格子の間より覗き見ると山苧倉の方に火炎が天を焦がして燃え上がれば、ここに再び驚いて、
「さては囲炉裏の火が消え残り、この粗相火(そそうび)を成したか。何はともあれ走り帰って見届けずばあるべからず」と独り言して慌(あわただ)しく立ちいでんとする時に、向かいより三四人が此方を指して来た。その声間近く聞こえれば桜戸はいでもやらで、しばらくそれをうかがう程に、その四人は観音堂の軒端(のきば)に等しく集いつつ、内に入ろうとしたれども桜戸が内より石を寄せ掛け置けば、その戸を押せども開かず、仕方無く軒端(のきば)に立ち休らいで、打ち語らう声を聞くとその一人は陸船で、又一人は舳太夫なり。その他の両人は四伝次と奈落なり。その時、奈落はしたり顔で陸船らを見返って、
「いかにこの謀(はか)り事は巧妙ならずや。例え桜戸が武勇ありとも焼き討ちされては手を束(つか)ねて灰になるべし。あれ見たまえ、よく焼けるではないかいの」と云えば、四伝次も
「例え桜戸が炎を潜(くぐ)って焼け死ぬるに至らずとも、山苧倉を焼き失なったのを落ち度とすれば咎(とが)は逃れず、いずれの道でも生きてはいけぬ。手立てはいかに」と相誇れば、舳太夫、陸船は笑みながら、
「真(まこと)に御両人の働きで此度(こたび)こそ桜戸めを思いのままに殺し得たり。立ち帰ってかくと申せば亀菊様も御満足。あの軟清もこれより桜戸の事を思い絶え、御心(みこころ)に▼従うべし。真(まこと)に満足満足」とひたすら感嘆(かんたん)し、なお火を眺めて佇(たたず)んだ。
桜戸はこれを聞きながら密(ひそ)かに天地を伏し拝み、
「今、計らずも日頃の恨みをここで返す事、喜ばしや本望や」と勇みに勇んで、仕込み杖(つえ)の鞘を外して脇挟み、内より扉をさっと開いて、
「大悪人ども、桜戸がここに在るをば知らざるや」と罵(ののし)り出ると四人はひどく驚いて、逃げる暇さえ無ければ、舳太夫と四伝次は刀を抜いて防ぎ戦い、陸船と奈落婆は雪玉を投げて挑(いど)めども桜戸は物ともせずに四伝次の肩先を只一槍で突き伏せて、手槍をひらりと取り直し、舳太夫の持った刃を叩き落とし、胸板を背中へ「ぐさ」と刺し貫けば「あっ」と叫んで死んでけり。 その間に奈落婆は落ちた刃を拾い取り、討とうとするのを桜戸は物々しやと引き剥がし、喉を「ぐさ」と仰(の)け様に雪に縫わせて突き止めた。女に稀なる武勇の働き、さすがに深き白雪も朱(あか)に染まる血潮(ちしお)の瀧つ瀬。
陸船はこの有り様におののき恐れて腰抜かし、雪の細道四つ這いで逃げんとするを桜戸は襟髪(えりがみ)つかんで引きずり戻し。予(かね)て用意の懐剣(かいけん)を抜き出し差し付け、亀菊にへつらって夫婦の仲を裂くのみならず、幾度か害さんと謀った悪事を責め付けて、
「今こそ返す、恨みの刃(やいば)。受け取れ、やっ」と罵(ののし)って、胸のあたりを貫き抉(えぐ)れば七転八倒、そのまま息は絶えにけり。
これよりの後、桜戸の物語りはなお長し。それは三編に著すべし。今年も変わらず御評判。長い筋をも手短く、書き取る所を御推文字(ごすいもじ)。世界は全て女文字、恥ずかしながら作者の魂胆(こんたん)、まず今板はこれきりと惜しき筆止め、めでたくかしく、千秋万歳。目出度し、目出度し。
<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
曲亭馬琴著 歌川国安画
丙戌新板 鶴喜版
その時、土九郎は頭を振って、
「否(いな)、その事は叶うべからず。六波羅殿より桜戸を佐渡へ送り届けよと仰せつけられたのに、道で殺して事顕(あらわ)れれば、これ我々の難儀(なんぎ)にならん」と云うのを蜘蛛平は聞きながら、
「戸蔭、お前は飲み込み悪し。道中で人知れずに桜戸を殺し、病死と云って帰れば誰が真(まこと)とせざるべき」と云うと舳太夫は喜んで、
「足高殿、いさぎよし。万事、手違い無いように何分(なにぶん)頼み参(まい)らする」と云いつつ贈る二包みの金を二人は受け納め、
「富安殿、心安かれ。遠からず吉報を告げ申さん」とひそめき囁き、又、盃を巡らして思わず時も移れば舳太夫は手を打ち鳴らし、以前の男を呼び寄せて、酒肴(さけさかな)の値を取らせ、門辺に出て、舳太夫は蜘蛛平、土九郎らと別れ、己(おの)が自宅へ帰って行った。
○かくて蜘蛛平、土九郎は元の茶店におもむいて、桜戸を急がせて、追い立て追い立て近江路より北国指して旅立ち、軟清、錦二は逢坂の関まで見え隠れに送ったが、さてあるべきにあらざれば泣く泣く家に帰った。
さる程に蜘蛛平らはその日はわずかに三四里で宿を取り、明けの朝は未(まだ)きに発って、しきりに道を急げども桜戸は背中を打たれた鞭の傷に痛みが出て、進みかねるを蜘蛛平、土九郎らが罵(ののし)り、嘲(あざけ)り、口に小言は絶えねども桜戸は露ばかりも彼らに逆らう事を云わず、心ばかりは急げどもとにかく道がはかどらず、この日は七里ばかりでとある里に宿取った。
この頃まではまともな旅籠屋(はたごや)はまれで、旅人を泊めるものの風呂を焚く事も無く、多くは木賃(きちん)なれども流人(るにん)を送る公人には旅籠賃を取らず、又、もてなしもしなければ蜘蛛平らは荷を下ろして一つ座敷で疲れを休め、煮え湯を盥(たらい)に汲み入れさせて竹縁(ちくえん)の元に置き、桜戸を呼び、洗足を使えと云う。
疲れ果てた桜戸は首枷(くびかせ)を掛けられたままで倒れ伏し、息もせずで居たが蜘蛛平らが情けらしく云うのを聞いて、
「そはかたじけ無くはべれども、私(わらわ)はひどく疲れた上に首枷が邪魔で足を洗うも自由ならず。只このままで眠るべし」と云うのを蜘蛛平は聞きながら、
「しからば我らが洗ってやろう、さぁさぁここへ来たまえ」と云うのを桜戸は押し返し、
「それは余りにはばかられるなり。只打ち捨てて置きたまえ」と否むを蜘蛛平は聞きながら、
「それは益(やく)無き遠慮ぞかし。▼旅は路連れ世は情け、何かは苦しかるべき。さぁ来て洗いたまえ」としきりに云うて止まざれば桜戸は遂に否(いな)みかね、謀(はか)り事があるのも知らず、「しからば」と云いつつ、ようやくいざり出て、竹縁に尻を掛ければ蜘蛛平は下にいて、「さらば洗ってやろう」と云うより早く、桜戸の足をつかんで煮え湯の中へたちまちどぶりと押し入れれば、桜戸は「あっ」と叫んで、やにわに足を引いたれども既に両足が湯膨れで腫れ上がり、その痛み耐え難ければ元の所へいざり行き、再び倒れ伏した。
蜘蛛平はこれを見て
「我は仏心で足を洗うてやるに、熱いの温いの屁臭いのと様々の望み小望(こぞみ)はあろう事かあるまい事か。昔より流人どもが役人様の肩を揉み足を洗う事はあれども、役人様が流人の足を洗ってやったためしは無いに、慈悲も情けも得知らぬ奴に構うは損じゃ」と罵(ののし)れば、土九郎もがやがやと共に罵り辱(はずかし)めた。さて二人はその煮え湯に良き程に水を挿し、互い代わりに足の泥を注ぎ落とし、臥所(ふしど)に入って、その宵の間より眠った。
かくてその暁(あかつき)に蜘蛛平、土九郎らは密(ひそ)かに起きて朝飯を食らい、桜戸は目を覚まし慌(あわ)てふためき起きても早やその膳が終われば食べる事もできず、蜘蛛平は新しい草鞋(わらじ)を出して桜戸に履けと云う。桜戸は火傷が痛めば古い草鞋を履こうと探すが隠されたのか捨てられたのか、そこらあたりに無ければ止むを得ず、新しい草鞋を履いて出発した。
この時、文月(7月)下旬で残る暑さが耐え難く桜戸は湯膨(ぶく)れを新しい草鞋で擦り壊せば痛みはいよいよ耐え難く、ややもすれば立ち止まるのを蜘蛛平、土九郎らは追い立て追い立て、罵り責めるを桜戸は悲しみながらも道捗(みちはか)行かぬをいらだって、
「叱りたまうは無理ならねども私(わらわ)は足が痛んで速くは走り難し。願うは少し思いやり、静かに歩かせたまえかし」と云うと両人はあざ笑い、「さほどに足が痛むのならば我々の肩にかかれ。世話な奴だ」と蜘蛛平は肩を差し寄せ、手を掛けさせて、土九郎は後ろより桜戸の腰を押しつつ、道十四五町程行き、里遠ざかる長枝原(しもとはら)のほとりまで来た時には有明の月が鮮やかで宵は未だ明けざりけり。
その時、蜘蛛平、土九郎らは松の切り株に尻掛けて、
「桜戸も休み候(そうら)え。ちとばかり微睡(まどろ)むべし」と道中の用心に都より携(たずさ)え来た五尺余りの樫の棒を各々(おのおの)近くに置いて眠ろうとするが、両人は眼を開き、しきりにあたりを見返るのを桜戸はいぶかって「各々は何故に微睡(まどろ)まずに御座(おわ)するか」と問えば両人は
「然(さ)ればとよ、眠りたくは思えども和女(そなた)が逃げ走るかと思えば、なかなかに眠られず」と云うを桜戸は聞きながら、
「いかでかさる事がはべるべき。心置きなく眠りたまえ」と云うと二人は頭を振って、
「いやいやどうでも眠られぬ。お前を縛って置くならば眠る事もあるべきに」と云うのは予ねての悪企(だく)み、とは知らずして桜戸は
「それ程までに思われるなら、ともかくも計らいたまえ。しばしの程の事なれば」と云うと両人は密かに喜び、
「しからばしばらく縄を掛け、繋ぎ置いてまどろまん。もしも覚めずば良き程に起こしたまえ」と云いつつ腰に付けた捕り縄で桜戸の手足を動かぬ様に縛って、松の木にに絡み付け、二人は棒を取り左右ひとしく向かい、
「これ、我々の心に非(あら)ず。道で汝(なんじ)を密かに殺せと亀菊殿の仰せを受けて止むを得ず、かくの如し。明年(みょうねん)の今月今日はこれ汝の命日なれば、花を手向(たむ)けて香を焚き、その亡き後を弔(とむら)わん。逃れぬ命とあきらめて、念仏申せ」と罵(ののし)れば、桜戸は驚き嘆いて、
「やよ、待ちたまえ、云う事あり。私(わらわ)は元より各々方(おのおのがた)に恨みがあるにもあらず。助け難きを助けるこそ慈悲と云い、功徳にもならん。後世の報(むく)いを思いやり、今の命を助けたまえば必ず恩義を返すべし」と云わせも果てず、二人は声を振り立てて、「この期に及んで、無益の繰言(くりごと)。観念せよ」と棒をひらりと振り上げて、桜戸の眉間(みけん)をのぞんで打とうとした時、松の▼木陰より現れ出た大比丘尼(びくに)が「おっ」と叫んで鉄の杖持ち、発止と打てば、蜘蛛平も土九郎も持った棒を七八間も等しくからりと跳ね飛ばされた。桜戸は眼を見開いて見れば見知れる花殻の妙達がここへ来て我が身の必死を救ったなり。その時、妙達は眼を見張り、蜘蛛平らをはったと睨(にら)み、
「この盗人(ぬすびと)ども、欲に迷って人を殺すを企むより、おのれの首を用心しろ。いで、この杖を食らわせん。おのれらの棒より食いでがあるぞ」と罵(ののし)って、その鹿杖(かせつえ)を振り上げるのを桜戸は止めて、
「尼御前(あまごぜ)、怒りを収めて、私(わらわ)の云う事を聞きたまえ。この二人は始めから私(わらわ)を殺す心無し。只、亀菊に云い付けられた事なれば、いかで背(そむ)けるべき。さるを彼らを殺したまえば、これも又無実の罪なり。まげて彼らを許したまえ」と云うと蜘蛛平、土九郎はいささか生きた心地して二人ひとしく土下座して、
「只今、桜戸殿が云われた如く、亀菊殿の云い付けなれば止むを得ず、この婦人を殺さんと致した事で、今更後悔つかまつりぬ。南無(なむ)尼君活仏(かつぶつ)大菩薩、この後は露ばかりも桜戸殿を粗略(そりゃく)無くいたわって送り行くに。命を助けたまえ」と大地にひれ伏し、手を合わせ、異口同音に詫びれば、妙達はわずかに怒りを収めて、まず刀を抜いて、桜戸の縄を切り捨て、芝生のほとりにいたわり座らせ、
「姉御よ。我が今、ここに来たのをさぞいぶかしく思われん。あなたの無実の罪の様子は聞きながら、救う手段(てだて)が無いままに気を飲み揉んで日を送ったが、あなたが佐渡へ流されると聞き、その日に会おうと六波羅の門前まで行きしども、掛け違え、遂に会う事を得ざりき。しかるにその日一人の武士がこの蜘蛛平、土九郎らを金乃蔓屋へ招き寄せ、密談数刻に及んだ事を告げる者あり、もし亀菊が忍びやかにこやつらを使って、あなたを殺す事もやと早くも心付けば、我もその日に出発し見え隠れに付けて来て、一つ所に宿取って、密(ひそ)かに様子をうかがうと様々の悪巧(わるだく)み。煮え湯をもって火傷をさせ、又、新しき草鞋(わらじ)を履かせて、その湯膨れを擦り壊させ、ここに至ってあなたを欺(あざむ)き縛り置き、殺さんとするまでを我はことごとくこれを知る。あなたの詫び事なければ、二人ながらに押し並べ、脳も骨をも打ち砕き、この腹立ちを治さんに」と云うと桜戸は志の浅からぬを喜んで、
「只今、なだめた如く、彼らを殺すのは返って私(わらわ)の為ならず、許されるこそ喜びなれ。さてもあなたはこれよりして又、何処へ行きたまうか」と問えば妙達は微笑んで、
「人を殺せば血を見るべし。人を救えば終わりを見るべし。あなたに付き添って配所(はいしょ)まで送り届けん。このばか者ども。桜戸殿を背負うなりとも手を引くなりしていたわり助けて、我に続いて、さぁさぁ来い」と云いつつ、やがて先に立ち、五七町行く時にその村の取り付きに一軒の酒屋があり。妙達はそこに立ち寄り、うどんを打たせて桜戸に食わせ、酒も飲ませ我が身も飲んで、蜘蛛平、土九郎にも振る舞えば、二人は言葉を揃えて、
「尼君は都の何(いず)れの寺に御座(おわ)するか」と問えば妙達はあざ笑い、
「このばか者らが、我が名所(なところ)を聞いて亀菊に告げ知らせんと計るか。人は亀菊を恐れるとも我は彼奴(かやつ)を何とも思わず、無駄口を叩かずに桜戸殿をよくいたわれ。いざ行くべし」と出発した。
これより蜘蛛平、土九郎は妙達に責めののしられ、彼女の下部に異ならず、走るにも止まるにもいささかも自由は無けれども、その意に逆えば討たれる事を▼恐れて、日々に妙達の機嫌を取り、どうにかして居坐(いざり)車を求めだし桜戸を乗せ、二人で代わる代わるにこれを引きつつ行くとある日、近くに人無き時に蜘蛛平、土九郎が談合する、
「我々、仕合せ悪くして、亀菊殿に頼まれた一大事を仕損じれば都へ帰って言い訳無し。さていかにせん」と語らうと蜘蛛平はしばらく思案して、
「近頃、深草の成仏寺に畑守りの尼あり。万夫不当(ばんぷふとう)の荒者で、その名を妙達とか云うと聞く。察する所、あの尼は成仏寺の妙達なるべし。我々、都へ立ち帰れば、あの妙達に妨(さまた)げられて手を下すことを得ず、その故(ゆえ)は斯様(かよう)斯様と、ありのままに告げ申して、亀菊殿よりたまわった金をそのまま返すべし。これより他に仕方はあらじ」と云うと土九郎はうなずいて、
「我もさこそと思いしなれ、これがもっともしかるべし」と相談を極めつつ、なお妙達に送られて夜に宿り日に歩み、行き行きて越後の寺泊(てらどまり)まで来た。
その時、妙達は桜戸に向かい、
「姉御、ここにて別れん。これより先は船で向かいへ渡れば佐渡なれば、道で気使い無かるべし」と云うと桜戸はうやうやしく、
「思い掛け無き情けによって、つつが無く来た事はいつの時にか忘れはべらん。帰りたまえば、我が夫にも錦二らにもしかじかと、よく言い付けてたまえかし」と云うと妙達はうなずいて又、蜘蛛平らに向かい、
「ばか者ども。この後とても桜戸殿をいたわって、陰日向(かげひなた)無く心を付けよ」と云うと二人は小膝(こひざ)を付いて、
「いかでか仰せに背(そむ)くべき。さぁさぁ帰りたまえ」と云うと妙達は「さこそ」とあざ笑い、片辺の丘の年経た大きな松を指差して、
「いかに二人のばか者ども。汝らの頭とあの松の木といずれが固い」と問うと二人は、
「そは宣うまでもあらず。我々の一身五体は親が産んだ物なるに、その堅さがいかにして、あの松なんどに及ぶべき」と云うのを聞きつつ妙達は松のほとりに歩み寄り、鉄の鹿杖(かせつえ)を取り直し、矢声を掛けて幹のただ中を発止と打てば、一抱(かか)えにも余る松は半(なか)ばより折れ、高き梢(こずえ)は逆様に大地を打って倒れた。
蜘蛛平、土九郎はこれを見て、頭を抱え舌を吐き、驚き呆れた。妙達は悠々と丘より下って杖を突き立て、
「ばか者どもめ、手並みは見たか。もし仮初(かりそ)めにも桜戸殿を惨(むご)くもてなす事あれば、汝らの素頭(すこうべ)もこの松の如くなるべし。我が云う事を忘れるな」とあくまで戒(いまし)め、桜戸に別れを告げて、元の道へ帰って行った。
かくて蜘蛛平、土九郎らは寺泊に宿取って、順風を待つが今宵より妙達にののしられる事が無ければわずかに自由を得て、桜戸に、
「さても、あの尼御は思うに増した力なり。あの大木を一と打ちに折ったのは人間技とは思われず、実(げ)に凄まじき女かな」 と舌を振るって恐れれば、桜戸は笑いつつ、
「あればかりの事か。いつぞやは寺で一抱(ひとかか)えに余る柳を只一抜きで根こぎにした事もあり」と云うと二人は益々恐れて、
「我々運命尽きずして、危うい命を拾ったか」と噂のみして止まざりけり。
○かくてその明けの朝、追風良しと船に乗り、海上さらにつつがも無く、その日の未(ひつじ)の頃には早や小木(おぎ)の港に着いた。▼ここより国府は三四里にすぎずと云えば、桜戸ら三人は港の酒屋に尻掛けて、さぁさぁ酒を出せと云うと主人は挨拶さえしなければ、桜戸は主人を呼び寄せ、
「先より酒を出せと云うに、なぜに答えもせざるやらん」と云うと主人は進み寄り、
「客人たち、腹立ちたまうな。あなたに酒を売らぬのはそれがしの寸志(すんし)なり。今だ知らずでおわするやらんがこの里には折瀧(おりたき)の節柴(ふししば)刀自(とじ)と呼ばれる歴々(れきれき)の後室(こうしつ)あり。これはこれ平家の一門、池の大納言頼盛(よりもり)卿(きょう)の孫娘で中将宰相頼貞(よりさだ)朝臣(あそん)の息女なり。昔、源平の戦いで頼盛卿は頼朝(よりとも)公に深き恩義があるをもて、独り都に留まりたまいた。平家が滅び失せし後、頼盛公は鎌倉より様々にもてなされて、官位庄園を元の如くに当てがわれたが、その御子(みこ)頼貞朝臣の世に至って、院の御気色(けしき)をこうむりたまいて、この国へ流されたがなおも鎌倉より取り成しあり、赦免(しゃめん)の御沙汰あれども頼貞はいかなる所存か、辞退して帰りたまわず、その年に頼貞はにわかに亡くなった。後には姫上一人あり、予ねて都の公卿衆を婿候補にとの聞こえあったが、その婿君も都で若死にをすれば、姫上は許嫁(いいなずけ)の婿君の為に髻(たぶさ)を切って再び男に見(まみ)えたまわず。又、都へも上りたまわず、この地に御座(おわ)するにより、鎌倉より一万町の庄園を付けられて永代安堵の御教書(みぎょうしょ)を出されれば、その家は豊かで家来多かり。この後室の居たまう所を折瀧(おりたき)の庄と云い、その名を節柴(ふししば)殿と申すなり。しかるに、その節柴殿は慈悲、情けある婦人で「この国へ流される流人が来たらば、早く知らせよ。酒を飲ませ物を取らせて施しをすべきなり」と予ねて宣う由があるのに、あなたがここで酒を飲み、顔赤くしてあの屋敷へ尋ね行けば、路銀ありと思われて物を施されぬなり。我らこの儀を思うにより、わざと酒を売らぬなり」と云うと桜戸深く感じて、主人の情けを喜び聞き、蜘蛛平、土九郎を見返って、
「只今、聞いたが如し。いかにその御屋敷へ立ち寄って見たまわずや」と云えば両人小首を傾け、かかる人を尋ね行けばいずれの道にも損はあらじと思えば等しくうなずき、
「そはともかくも」と答えれば、桜戸は節柴の屋敷の場所を尋ねると主人はつぶさに示して、
「ここより十町ばかり先の大きな石橋を渡りたまえば、その所より折瀧屋敷に候」と教え、桜戸は酒屋の主人に喜びを述べ、立ち出て、蜘蛛平、土九郎諸共にその屋敷へおもむいた。
果たして大きな石橋あって向かいに一構えの屋敷が見えた。
その広々(こうこう)とした所に稀(まれ)な棟木(むなき)造りが目ざましくて田舎ならず。ここぞと思えば桜戸は潜(くぐ)り門に立ち寄って門番に向い、
「私(わらわ)は都の流人の桜戸と云う者なり。この由を主の君に聞こえ上げたまわれかし」と頼めば門番はつらつら見て、
「おぬしは運悪い者なり。後室様は今朝未きより茸(たけ)狩りの為に東の荘へ行かれた。御留守なれば仕方無し」と云うと桜戸は本意(ほい)無くて、
「しからば又、何時ごろに帰られるやらん」と再び問えば、
「然(さ)ればとよ。初茸を採らんと下屋敷へお出かけなれば、今宵は彼処(かしこ)にお泊りなされて二日も三日も逗留あらんか。その程は計り難し」と云うと桜戸は、
「そなたが宣う如く、私(わらわ)は実に幸いなし。いざ帰らん」と云いかけて又、蜘蛛平ら諸共に元来た道へ帰れどもここに来ながらたちまちに望みを失う事なれば、さすがに足も捗(はかど)らず、又、石橋まで戻る時、見れば左手の大路より一挺の乗り物を四人にかかせつつ、従う男女の供人は幾十人とも数え尽くさず、獲物の早松茸(さまつたけ)などを青籠に入れ、釣台にかき担(にな)わせ、続々と帰り来るはこれ必ず▼折瀧の後室ならんと推した。
桜戸は嬉しくて道の片方(かたへ)でたたずんで眺めていると、その乗り物の内からも桜戸を見て、
「あれは流人と覚ゆるぞ。その名所(なところ)を尋ねよ」と云うと若党(わかとう)は心得て、桜戸のほとりへ駆けつけ、しかじかと尋ねれば桜戸も小腰をかがめて、
「都の流人で桜戸と云う女子(おなご)なり。只今、御屋敷へ訪ね参(まい)りしども御遊山との事なれば、本意(ほい)無くもすごすごと帰ろうとする折なり」と云う声洩れて聞こえた。節柴は乗り物を据えさせて忙わしく立ちいで、そのほとりへ近づいて、
「桜戸殿と名乗りたまうは先に女武者所の采女(うねめ)で武芸の師範になされた元の為楽院の息女と聞こえた、あの虎尾の桜戸殿か。それかあらぬか、いかに」との問いに桜戸答えて、
「私(わらわ)はその虎尾の桜戸なれ」と云うと節柴は喜んで、
「その名は予ねて聞きながら、会う由無しと思いしが縁あればこそ図らずも面(おもて)を合わせる嬉しさよ。いざ此方(こなた)へ」と手を取って、そのまま屋敷へ伴いつつ、客座敷へ向かい、様々いたわり慰めるその間に腰元共が酒肴(さけさかな)を持って来て、又、三四人の女どもは白米一斗と銭五貫文を台に載せて、うやうやしく持って来るのを節柴は見て、
「そは何事ぞ。この御方にさばかりの物を参(まい)らせる事があるか。酒も肴(さかな)も替えて良くして出せ」と息巻けば桜戸はこれを押し止めて、
「私(わらわ)にたまう物ならば、あれにても過ぎはべらんに」と云うを節柴は聞きながら、
「否(いな)、女子(おなご)どもが思い違えてあなたを世の常の流人と見た愚かさよ。そこらに心を使いたまうな。皆引き替えて持って来ずや」と云うと皆々心を得て、膳椀料理も世の常ならぬをにわかに仕替えて持って来れば、節柴は桜戸を上座に押し据えて、蜘蛛平、土九郎をもその次に居並ばせ、自ら盃をすすめ肴(さかな)をはさんで、いと懇(ねんご)ろにもてなす時に一人の腰元が節柴のほとりへ来て、
「お師匠様が来たまいぬ。此方(こなた)へ通し申さんや」と告げて指図をうかがった。
節柴はそれを聞いて、
「それは幸いの折なり。こなたへ誘(いざな)い参らせよ」と云うと腰元は心得て、表の方へ急ぎ行った。桜戸は取次ぎの女子(おなご)が師匠と云ったのはもしや主人(あるじ)の武芸の師匠か、さらずば遊芸を教える者かと思いつつ、なお問いかねていると、齢は四十ばかりにして肥え太りった荒女(あらおんな)が座席を蹴立てて入り来れば、桜戸はこれぞその師匠と云われる者ならんと思えばやがて座を立って、頭を下げて迎えれどもその女は会釈もせず、その座を奪って上座に押し直り、節柴に挨拶をする体(てい)たらく、かたへに人が無い如し。その時、節柴は桜戸を指さして、
「綾梭(あやおさ)の刀自(とじ)。この女中は先頃、都で女武者所の師範だった虎尾の桜戸殿なり。あの亀菊に憎まれて無実の罪に落とし入れられ、この国へ流された。いと痛ましき事ならずや」と云いつつ桜戸を見返って、
「虎尾の刀自。この女中(じょちゅう)も先に亀菊に憎まれて、遂に都を逃亡せられた綾梭の刀自なり。近頃ここに来たまいぬ。予て知る人ならずや」と引き合わせれば、桜戸はその女をつらつら見て、
「私(わらわ)が采女であった時、綾梭殿をよく知れり。名は同じくはべれどもこの女中はその人ならず」と云われて、その綾梭は気色変わって、火の如くに赤らむ顔につぶらなる目を光らして桜戸をしばしにらまえたがからからとあざ笑い、
「折瀧(おりたき)殿は何故(なにゆえ)に流人をもてなされるぞ。真(まこと)に虎尾の桜戸ならば私(わらわ)を見知らぬ事があるか。返って私(わらわ)の事を都の綾梭ならずと云うは只これその身の化けの皮を現されんと思えばなり。かくてもなお疑いたまえば、ここにて試合をして、いずれが真(まこと)か偽りか、勝負によって疑心を晴らさん。馬鹿馬鹿しや」と息巻いた。
節柴はこの綾梭を予ねてから疑い、今、桜戸を嘲(あざけ)って、しかも傍若無人なのを片腹痛く思えば、これ幸いの事として今桜戸に討ち倒させなければ彼女が真(まこと)の綾梭ならぬを確かに知る由無いと思案をしつつうなずいて又、桜戸に向かい、
「御大儀(ごたいぎ)なれども、綾梭殿と試合をして一興(いっきょう)を添えたまえ。只今も云う如く、この女中は近頃、この国へ渡り来て武芸の指南をする故(ゆえ)に人は師匠と呼べど私(わらわ)に師弟の因縁があるにはあらず。遠慮はしたまうな」と心有り気に説き示せば、偽(にせ)綾梭は節柴が桜戸を贔屓(ひいき)して、我を狭(さ)みする詞(ことば)の端々を腹に据えかね、「それは真(まこと)に面白し。さぁさぁ勝負を決せん」といらだって早や立ち上がれば、節柴は腰元に云いつけて、六尺ばかりの寄棒を二筋持て来て、縁側のほとりへ置いた。
その時、綾梭は▼裳裾(もすそ)をかかげて、その棒を取るより早く庭へひらりと飛び降りて、
「桜戸のにせ者。さぁ来て勝負を決せよ」と手招(まね)きをした。
今更引くに引かれぬ主の懇望(こんもう)。桜戸はこの綾梭が節柴の師匠ならぬを知れば、
「しからば相手にならん。許したまえ」と座を立って、その棒取って、庭へひらりと降りると日は暮れ月出て、さながら昼に異(こと)ならず。
さる程に偽(にせ)綾梭は旗雲(はたくも)と云う棒の手を使い、「来たれ、来たれ」と呼びはれば桜戸はしづしづと構えの内へ立ち向かい、水の月と云う手で打ち合う事しばしにして、何を思ったか桜戸は構えの外へ出て、「私(わらわ)は負けてはべり」と云う。
節柴は本意(ほい)なくて、
「未だ勝負も見えぬのに、何故に負けたと云われるぞ」といぶかり問えば桜戸答えて、
「私(わらわ)は首枷(くびかせ)を掛けていれば、身の働きが自由ならず。故(ゆえ)に負けと云いしなり」と云うと節柴は微笑んで、「実(げ)に、さもあらん。その事は私(わらわ)も心付かざりき」と云いつつ、やがて腰元に十両の銀を取り寄せて二つに分けて押し包ませ。これを蜘蛛平、土九郎に贈って云う、
「願うはしばし試合の間、桜戸殿の首枷を取り除きたまえ。もし国府で沙汰(さた)あれば私(わらわ)よろしく云い説きはべらん。受けひきたまえ」と請い求めれば、蜘蛛平、土九郎は一議に及ばず、その金を受け納め、その首枷を外した。
その時又、節柴は二十五両の砂金を出して、勝った方への引き出物にと云う、これは桜戸を励まして勝たせんと思えばなり。さる程に偽綾梭は桜戸が退いたのは我を恐れる故(ゆえ)なりと思い誇ってその金を取ろうと逸(はや)れば、再び棒を水車の如く回しつつ、「来たれ、来たれ」と呼びはれば、桜戸もやや身軽くなって再び棒をかい込んで構えの内へ進み入り、互いにやっと声を掛け、しばらく挑み戦ったが、桜戸がたじたじと後退をすると綾梭は得たりと勢い込んで討とうと進むを桜戸は引き外して閃(ひらめ)かす、その棒は稲妻の如くなれば、偽綾梭は目眩(めくるめ)いて、急に避けんとする所を桜戸は棒を引くと見せて、偽綾梭の向脛(むこうずね)を発止と薙(なぎ)て返す手に、又、空ざまに跳ね上げれば偽綾梭は「あっ」と叫んで、翻筋斗(もんどり)打ってだうと伏し、持ってた棒は遙かに飛んで、池の中へ落ちた。
その事の体(てい)たらくに、誰かは興(きょう)に入らざん、「ああ」と等しく褒める声がしばしは鳴りも止まざりけり。
偽(にせ)綾梭はひどく負け、しばしもたまらず逃げ失せたが、その後この地にいる事叶わず、次の日に逃亡した。彼女は人寄せの友代の弟子で赤尾(あかお)と云う者なるが、綾梭の名を偽(いつわ)って国々を巡る者と後に人皆知った。
されば又、節柴は桜戸の武芸を深く感心し、これより日毎にもてなして何くれとなく語らい暮らすと早や四五日を経れば蜘蛛平、土九郎は国府への日限が遅れるとしきりに催促すれば、節柴も留めかねて、桜戸には先の砂金二十五両に又、一貫目の銀子を贈り、流人預かりの四伝次(しでんじ)らに頼みの状を書いて渡し、
「寒くなれば、冬の衣装を配所(はいしょ)へ贈りつかわすべし」と云うと桜戸は涙を浮かべて喜びを述べれば、節柴は又、砂金五両づつを蜘蛛平、土九郎に与えると両人も深く喜び、桜戸に首枷を元の如くに掛けさせて出発した。
○かくて蜘蛛平、土九郎は佐渡の国府に着き、六波羅からの送り状を本間の家臣に渡しつつ、流人桜戸を送り来た事を述べれば、本間の太郎はこれを聞き、家臣に桜戸を受け取らせ、やがて六波羅への請文(うけぶみ)をしたためて蜘蛛平らに渡すと、二人は都を指して帰って行った。
○さる程に桜戸は流人小屋へ入られて、その様子を見ると、男の流人と女の流人は居る所は同じからねど、ある日は山麻(やまそ)を刈り、薪(たきぎ)を取り、炭を焼く営みのいずれも苦しげならぬは無し。されば女流人らは桜戸を哀れんで、
「あなたは未だ知らざるべし。流人の預かりは国造(くにつこ)の家臣で剣山四伝次(つるぎさんしでんじ)と云う人なり。この小屋の総頭(そうがしら)は生き剥(は)ぎの奈落(ならく)婆(ばば)といと恐ろしき女ぞ。まずこの二人に物を贈って哀れみを願わざれば酷き目にあう。そこらに心を付けたまえ」と囁き教える時、奈落婆が見廻って桜戸に向かい、
「新米の流され者の桜戸とは汝(なんじ)よな。何故に早く三拝(さんぱい)して頭を土に掘り込まざる。おのれの面(つら)が幽霊めいたるは、都で様々の悪事をした咎(とが)により流されしこその道理なれ。汐風(しおかぜ)が身に染むまで、生かさず殺さず責め使わん。覚悟をせよ」と罵(ののし)ればあたりにいた流人どもは恐れて皆々出て行った。その時、桜戸は砂金三両を取り出して、
「お婆様、これは余りに少しながら受け納めたまえかし」と云いつつ懐へ差し入れれば、奈落は重みを感じて、「これは私(わらわ)と四伝次殿に贈る物か」と尋ねれば桜戸は答えて、
「その金はあなた一人にはべるべし。四伝次様には別に三両を参(まい)らせん。これを届けてたまわれかし」と云いつつ金を取り出して、折瀧屋敷を出る時に節柴が書いて渡した書状と共に渡せば、奈落はからからと笑いつつ、
「桜戸殿、お前は良い女子(おなご)ぞかし。あの亀印(かめじるし)に憎まれて無実の罪に沈めども、遠からずして帰洛(きらく)あるべし。事に折瀧殿よりもこれらの手紙を添えられれば、いかでか如才に思うべき。まずまず休息あるべし」とそのまま走り去り、四伝次に由を告げれば、四伝次は笑みつつうなずいて、奈落と共に小屋へ来て、桜戸を呼び出して、
「初めて来る流人は脅しの棒として二十杖(つえ)、背中を打つのが定法なれども、汝は病あればしばらく用捨(ようしゃ)すべきなり。今より地蔵堂を守るべし」と堂守(どうもり)にした。かくて又、桜戸は奈落に五両の銀子を贈って、
「願わくば、この首枷を取ってたまわれ」と頼めば、又、四伝次に取り成して、その首枷を取り除かせて大方ならず労(いた)わった。▼地獄の沙汰(さた)も金次第、世の諺(ことわざ)を今ぞ知る。桜戸は次の日より地蔵堂の守りとなってそこを住処(すみか)とし、勤めは香を焚(た)き、花を折り替え、そこらを掃除するのみなれば、流人どもは驚いて、かような役義は新参には絶えて得難き事なりと知るも知らぬも羨(うらや)んだ。
かかりし程に桜戸は首枷すらも取り外されて、その身の自由を得たので常に暇あり、折々に漫(そぞ)ろ歩きをして里の町々を見物したが、ある日、思い掛けなくも真介(ますけ)という者に会った。彼は桜戸の父、剛詮(ごうせん)が世に在った頃、召使った若党(わかとう)だったが、若い者の習いとて都の遊び女(め)に身を持ち崩し、自分の衣類雑具は更なり、主の剛詮の秘蔵の経文(きょうもん)を密かに質入れして、その事遂に顕れた。剛詮の怒りははなはだしく、公(おおやけ)へ訴え申して罪を正さんと息巻いたのを桜戸が不憫(ふびん)に思って親の怒りをなだめつつ、真介には金を与えてその経文を受け戻させ、ようやく無事に収めれども剛詮はなお彼を憎んで、身の暇(いとま)を使わした。その時も桜戸は少しの路銀を持たせるなどして、今後を戒(いまし)めれば、真介は深く後悔して、是非無く都を立ち去った。その後、あちこちとさ迷いつつ、遂にこの地へ漂泊し、真琴屋(まことや)と云う料理酒屋に奉公した。元より料理心もあって、よく客をもてなせば、その店はいよいよ繁盛し、それにより、真琴屋の主人は深く愛で喜んで、真介を娘の婿として、只一人娘の小実(こじつ)と妻合(めあ)わせたが、幾程(いくほど)も無く真琴屋は遂に亡くなって、真介が店を受け継いだ。この日は掛(かけ)取りのために佐和田(さわた)の町を巡りつつ、思い掛けなく大恩ある故主(こしゅ)の娘に会えば、此(こ)はそもいかにと驚いて事の由を尋ねると桜戸は無実の罪で流され来た事情を斯様(かよう)斯様と物語り、真介はしきりに涙を流して、その不仕合せを哀れみ慰め、我が身の上を物語りして、やがて自宅へ伴って妻の小実に由を告げ、酒をすすめ、膳をすすめ、夫婦ひとしくもてなすと桜戸も昔を忘れぬ彼の志を喜んで、なおも詳しく我が身の上、亀菊の事をさえ、始め終わりを物語り、
「私(わらわ)は流人なるに斯様に親しくもてなされれば、和殿(わどの)夫婦を巻き添えせん」と云うを真介は聞きながら、
「いかでか、さること候べき。昔の御恩の万が一つも返し参らせるはこの時なり。何事でも受けたまわらん。洗濯なども配所では不便なるべし。汚れた物があるならば、よこして小実(こじつ)に洗わせたまえ。我々はこの地にはかばかしき親類無ければ、心細く候いしが、図らずも恩人の見参に入りし事、喜びこれに増すこと無し」となお様々にもてなした。
これよりして真介夫婦は日毎に桜戸を訪れて、飯の菜(さい)の物などを贈れば、余の女流人らも桜戸のお陰により飢えをしのぐ者も少なからず、小実は又、桜戸の着物を洗い縫いなどして、いと懇(ねんご)ろに世話すると折節はちとの銀子を使わして彼らの元手に致させた。
かかりし程に節柴は月毎に人に桜戸の安否を問わせ、又、冬の衣装なども九月の頃に送れば、桜戸は不自由な事も無く流人どもにうらやまれて百日あまりの月日を送った。冬も半(なか)ばになった頃、ある日夫婦とおぼしき武士の旅人が真琴屋へひらりと入って奥の座敷へ通れば真介はこれを迎えつつ、
「客人は酒をや召されるか、飯を出し候べきか」と問いも果てぬに、その武士は忙わしく懐(ふところ)より金壱分を取り出して、真介に渡して云う、
「酒も飲むべく、飯も喰うべし。しかし今ここへ招き寄せる人あれば、その輩(ともがら)が揃って後に酒も肴(さかな)もいくらなりとも出だせかし」と云いつつ金を渡すと真介は受け取って、
「そは誰をか招きたまうか」と問えばその武士は声をひそめて、
「我は本間の身内の剣山四伝次と奈落婆を呼ばんと欲(ほり)す。和主(わぬし)、今我が為にその両人を伴い来よ。さぁさぁ」と急がせば真介は佐和田(さわだ)へ走り行き、しかじかと由を告げ、やがて四伝次、奈落婆を誘(いざな)い来れども四伝次も奈落婆もこの旅人を見知らねば、さすがに進みかねるのを旅人夫婦は座を立って理(わり)無く座敷へ引き入れ、上座に座らせ、
「御両人、さのみ怪しみたまうな。事の訳はやがて知れん。まず盃を持て来よ」と云うと真介は心得て、始めに吸物(すいもの)、硯蓋(すずりふた)、銚子(ちょうし)、盃(さかずき)取り揃え、次第、次第に出すと、只、これ機(はた)を織る如く、しばしも暇(いとま)は無かりけり。その時、旅人夫婦は真介を近くに招き寄せ、
「我らはちとの用事あれば、手を鳴らして呼ぶまでは何も出すに及ばず。酒は自ら火鉢で温めん。徳利に入れて持って来て置け」と云うと真介は心得て、その様にするが深く心にいぶかって妻の小実に囁く、
「お前は何と思うやらん。始めに我が剣山と奈落婆▼を呼んで来たが互いに知る人ならぬが如し。且つ、あの男女の声音(こわね)はまさしく京談(きょうだん)なり。先日、桜戸様の物語りで密かに聞いた。もしやあの人々は亀菊殿の使いで、桜戸様の身の上に良からぬ訳がありもやせん。我は店を守るので、お前は格子の下へ廻って、その云う事を聞きたまえ」と云うと小実は思案して、
「しか思われるなら、立ち聞きをするまでも無し。地蔵堂へ行き、桜戸様を伴い来て隙見(すきみ)をさせれば立ちどころにその疑いは解けはべらん」と云うを真介は押し止め、
「それははなはだしかるべからず。あの女中は男勝りで武芸に長ければ、もしあの二人が予ねて聞く舳太夫(へだいふ)、陸船(くがふね)夫婦ならばたちまち怒りに耐えずに事を起こされては我々も巻き添えになり身の災いに及ぶべし。我が云う由に従って、よく聞きすましたまえかし」と諭(さと)すと小実は心を得て、格子の方に赴(おもむ)いて、立ち聞く事半刻(はんとき)ばかり。さて戻って夫に云う、
「いずれも声が低く定かには聞き取れねども奈落婆が只一言「亀菊様」と云った声のみ、紛(まご)う方なく聞こえたり。又、あの旅人の男女が手紙を渡して二人に見せて、又、二包みの金を囁きながら渡せば、四伝次殿も奈落婆も大方ならず喜んで、「我々、上手く計らって見せ申さん」と云った。この他は云う事が分かりはべらざりし」と告げる折から座敷で手を打ち鳴らす音がして真介は「あい」と答えて、走って座敷に赴くと四伝次が膝のあたりに手紙が在るのを隠すのを見た。その時、旅人夫婦は「さぁさぁ茶を参らせよ」と云うと真介は退いて、用意の茶を出せば、四人はこれを飲み、四伝次と奈落婆は先へ立って出て行った。旅人二人は後に残って酒食の値を取らせるなどして続いて出た。
真介夫婦はその事が心にかかり、とやあらん、かくやあらんと密めいて噂をしている時に、桜戸が招かずも来れば夫婦は奥へ迎え入れ、さて在りし事情を斯様(かよう)斯様と告げると、桜戸は聞きつつ驚き、
「その旅人夫婦の面体(めんてい)はいかがなりか。年の齢(よわい)は幾ばくなりし」と問うと真介は、
「その顔形は斯様(かよう)斯様、年の齢はしかじか」と告げれば桜戸は歯を食い縛り、
「それは疑うべくもあらぬ、舳太夫と陸船なり。その悪人どもは遥々(はるばる)と、この地へ密(ひそ)かに来て、私(わらわ)を害せんと謀(はか)るよな。今、この恨みを返さずば、いずれの時を待つべきぞ」としきりに恨み憤(いきどお)るのを真介、小実は諌(いさ)めなだめて、
「御腹立ちは道理(ことわり)なれども、「他所(よそ)の盗人(ぬすびと)を防ぐより、おのれが門の用心せよ」と云う諺(ことわざ)もある。なれば怒って事を破らんより、身の用心して防ぎたまえ」と言葉を尽くして止めた。
しかれども桜戸は憤(いきどお)りに耐えざれば、真琴屋を走り出て佐和田の町を見巡ると、古道具を商う店に仕込み杖の手槍あり。長さは五尺ばかりで上より見れば棒の如く、鞘(さや)を外せば手槍なり。
「こは好都合の物なり」と思えば買い取って、この他に九寸五分の懐剣(かいけん)をも買い求め、これより日毎に舳太夫と陸船を尋ね歩き、その帰りには真琴屋へいつも必ず立ち寄って「今日も奴等に会わず」と云う。真介夫婦は深く憂(うれ)いて様々になだめつつ、手に汗握るばかりなり。
○さる程に桜戸は陸船らを尋ねる事、五七日に及べどもその影さえも見る事無ければ、又、今更に疑い迷って心ともなく怠(おこた)りけり。そんな頃、奈落婆は桜戸を呼び寄せて、
「そなたは予(かね)て節柴殿より頼まれた事もあり、私(わらわ)が折々四伝次殿へ良き様に取り成せば、今一段と待遇を引き上げて山苧倉(やまそくら)を守らせよと四伝次殿の仰せなり。そもそもその山苧倉は流人どもが夏毎に山稼ぎして取り出す夏引(なつびき)の苧(そ)を置く一構えの倉地で、ここより二十町余りにあり。その倉を守る者を女にせられるのは女子(おなご)は手ぶりが柔らかで苧(そ)を取り扱うに良ければなり。彼処(かしこ)は地蔵堂にも優って、役得も▼少なからず、よってそなたを遣(つか)わせる。よく勤めよ」と云い渡せば、桜戸は浅からぬ情けの程を言請けして、まず真琴屋へ赴(おもむ)いて、しかじかと由を告げ、
「剣山、奈落らは私(わらわ)を害せんと、謀らずして役替えさせるはいかにぞや。つくづく心得難し」と云うを真介、小実は喜んで、
「山苧倉は人が望む第一の所なれば怒りを忘れて疑う事無く、早く彼処(かしこ)へ移りたまえ。只、遠くなるので、これまでの如く日毎日毎に訪れいたす事も叶わず、さりとても生業(なりわい)の暇(いとま)々を見合わせて必ず訪ね奉(たてまつ)らん」と云うと桜戸は疑いが解けても溶けぬ霜柱、地蔵堂へぞ帰っていった。
かくて程無く四伝次は奈落と共に来て、桜戸を引き連れ山苧倉へ赴(おもむ)くと頃は霜月(11月)下旬で空かき曇り風寒く、雪ちらちらと降り出して、見る見る野山は真白になって三尺あまり積もっていた。桜戸は山苧倉に着いて見ると、校倉(あぜくら)は三棟であたりに一軒の草の屋あり。囲炉裏(いろり)の横に流人の老女が三輪組(みつわぐ)みして居た。その時、四伝次、奈落婆はその女を呼び立たせ、今日より桜戸にこの倉を守らせる事情を云い渡し、
「汝は早く去って、地蔵堂を守れ」と云うと女は一議に及ばず、倉の鍵と帳面と山苧の目録を取り出して桜戸に渡し、又、柱に掛け置いた、一つの瓢(ひさご/ひょうたん)を指差して、
「もし酒を買うならば、これより八九丁東の方のしかじかの所に酒屋あり。瓢は私(わらわ)の置き土産ぞ」と云いつつ、やがて蓑(みの)笠(かさ)を着て、四伝次らと地蔵堂へ赴(おもむ)いた。
さる程に桜戸はその草の屋に只一人、つくつくとして居ると早や黄昏て物寂しく、壁落ち軒端(のきば)傾いて荒れた宿はひどく凍(こご)えて耐え難し。日の暮れ果てぬうちに、ちとの酒を整えて今宵の寒さを凌(しの)がんと思えば、その瓢を取り下ろし、仕込み杖(つえ)に結び付け、これを突き立て突き立て、酒屋を指して行くと、道五六町ばかりにして道の片方(かたへ)に荒れ果てた小さい観音堂が在り、立ち寄って、「我が行く末を守らせたまえ」としばし念じて、ようやくその酒屋へ辿(たど)り着けば、酒屋の主人(あるじ)が出迎えて、
「酒はいかばかり求めたまうや」と問う。その時桜戸はその瓢を鳴らし、
「これをば見知っていたまうならん。今日よりこの瓢は私(わらわ)の物なれば、又折々に買いに来るべし。今日はまず二合ばかり注ぎたまえ」と差し出せば主人は見て微笑んで、
「さては新たに山苧倉(やまそくら)を守りたまう姉御(あねご)なるか。しからば負けて参(まい)らせん」と云いつつ注いで値を受け取り、渡す瓢を桜戸は仕込み杖(つえ)に引き掛けて、あの草の屋に帰ったが、天の神は烈女(れつじょ)を哀れみたまうか、草の屋は大雪に押し潰されて入るべくも非(あら)ず。
桜戸は驚き呆れて只、火の元こそ肝心なりと思えば、連子(れんじ)の隙より潜(くぐ)り入って囲炉裏の埋(うず)み火を探り見ると、火は皆雪に消されて、灰さえ冷たくなれば、僅(わず)かに心を安くして、なおも綿子(わたこ)を探り取り、戸の方へ潜(くぐ)り出たが、何処(いずこ)でか今宵一夜を明かさんとしばらく思いかね、先に道の辺(ほとり)の観音堂こそ好都合と心付きつつ、又更に深い雪道踏み分けて、その堂に辿(たど)り着いたのは夜五つの頃なるべし。
さる程に桜戸は堂内に進み入り、開き戸を閉め、持った綿子を敷いて微睡(まどろ)まんとする時に、表の方に物の音して、ただならずと聞こえれば「こは何事ぞ」といぶかって格子の間より覗き見ると山苧倉の方に火炎が天を焦がして燃え上がれば、ここに再び驚いて、
「さては囲炉裏の火が消え残り、この粗相火(そそうび)を成したか。何はともあれ走り帰って見届けずばあるべからず」と独り言して慌(あわただ)しく立ちいでんとする時に、向かいより三四人が此方を指して来た。その声間近く聞こえれば桜戸はいでもやらで、しばらくそれをうかがう程に、その四人は観音堂の軒端(のきば)に等しく集いつつ、内に入ろうとしたれども桜戸が内より石を寄せ掛け置けば、その戸を押せども開かず、仕方無く軒端(のきば)に立ち休らいで、打ち語らう声を聞くとその一人は陸船で、又一人は舳太夫なり。その他の両人は四伝次と奈落なり。その時、奈落はしたり顔で陸船らを見返って、
「いかにこの謀(はか)り事は巧妙ならずや。例え桜戸が武勇ありとも焼き討ちされては手を束(つか)ねて灰になるべし。あれ見たまえ、よく焼けるではないかいの」と云えば、四伝次も
「例え桜戸が炎を潜(くぐ)って焼け死ぬるに至らずとも、山苧倉を焼き失なったのを落ち度とすれば咎(とが)は逃れず、いずれの道でも生きてはいけぬ。手立てはいかに」と相誇れば、舳太夫、陸船は笑みながら、
「真(まこと)に御両人の働きで此度(こたび)こそ桜戸めを思いのままに殺し得たり。立ち帰ってかくと申せば亀菊様も御満足。あの軟清もこれより桜戸の事を思い絶え、御心(みこころ)に▼従うべし。真(まこと)に満足満足」とひたすら感嘆(かんたん)し、なお火を眺めて佇(たたず)んだ。
桜戸はこれを聞きながら密(ひそ)かに天地を伏し拝み、
「今、計らずも日頃の恨みをここで返す事、喜ばしや本望や」と勇みに勇んで、仕込み杖(つえ)の鞘を外して脇挟み、内より扉をさっと開いて、
「大悪人ども、桜戸がここに在るをば知らざるや」と罵(ののし)り出ると四人はひどく驚いて、逃げる暇さえ無ければ、舳太夫と四伝次は刀を抜いて防ぎ戦い、陸船と奈落婆は雪玉を投げて挑(いど)めども桜戸は物ともせずに四伝次の肩先を只一槍で突き伏せて、手槍をひらりと取り直し、舳太夫の持った刃を叩き落とし、胸板を背中へ「ぐさ」と刺し貫けば「あっ」と叫んで死んでけり。 その間に奈落婆は落ちた刃を拾い取り、討とうとするのを桜戸は物々しやと引き剥がし、喉を「ぐさ」と仰(の)け様に雪に縫わせて突き止めた。女に稀なる武勇の働き、さすがに深き白雪も朱(あか)に染まる血潮(ちしお)の瀧つ瀬。
陸船はこの有り様におののき恐れて腰抜かし、雪の細道四つ這いで逃げんとするを桜戸は襟髪(えりがみ)つかんで引きずり戻し。予(かね)て用意の懐剣(かいけん)を抜き出し差し付け、亀菊にへつらって夫婦の仲を裂くのみならず、幾度か害さんと謀った悪事を責め付けて、
「今こそ返す、恨みの刃(やいば)。受け取れ、やっ」と罵(ののし)って、胸のあたりを貫き抉(えぐ)れば七転八倒、そのまま息は絶えにけり。
これよりの後、桜戸の物語りはなお長し。それは三編に著すべし。今年も変わらず御評判。長い筋をも手短く、書き取る所を御推文字(ごすいもじ)。世界は全て女文字、恥ずかしながら作者の魂胆(こんたん)、まず今板はこれきりと惜しき筆止め、めでたくかしく、千秋万歳。目出度し、目出度し。
<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>