傾城水滸伝 第貳編
曲亭馬琴著 歌川豊国画 ▼:改頁
さてもその後、花殻(はながら)のお達、尼妙達(みょうたつ)は百倉(ももくら)長者の助けによって、白川の大伽藍(だいがらん)龍女山(りゅうにょさん)無二法寺(むにほうじ)の住職の尼妙真(みょうしん)大禅尼(だいぜんに)の弟子になり、既に剃髪、得度(とくど)したにもかかわらず、五戒を破り、酒に酔い寺内を騒がせども、大禅尼の情けによって罪を許され、そのこと無事に治まった。
しばらくは身を慎んで学寮にのみ籠もり、漫(そぞ)ろ歩きをせざりしが、ほとぼり冷めて熱さを忘れることわざに漏れる事無く、ある日、鬱気(うつき)を晴らさんと蓄えの金を懐に独り山門を出て、麓の方におもむくとカラカラ、カンカンと鏨(たがね)を打つ音が聞こえ、行って見ると一軒の鍛冶屋あり。
妙達はその店先にただずんで、その様子をうかがうと新たに打った刃物、打ち物、金棒、利鎌(とがま)、鋤(すき)鍬(くわ)などが多くあり。上手な鍛冶と見えれば、そのまま中に入って主人に向かい、
「我はちとあつらえたい物があるなり。最上の鉄(くろがね)で磨き杖(つえ)を。重さはおよそ百斤(きん)ばかりでよろしからん」と云えば主人は呆れ果て、
「それがしはこれまで幾度となく金棒(かなぼう)も打ち出し、禅杖(ぜんじょう)、錫杖(しゃくじょう)なども作れども、左様に重き物を打った事無し。昔、木曽殿の巴御前はその力が百人力に当たる事が語り伝えられ、又、近頃の板額御前も万婦不当(ばんぷふとう)の聞こえあれども、重さ百斤に及ぶ打ち物を使った事は聞かず。唐土(もろこし)の関羽(かんう)すら八十二斤の青龍刀を使ったと云うにあらずや。されば山匁(やまめ)一斤の二百目の割りをもってする時は百斤は二十貫目(かんめ)なり。尼君が力に覚え有りとても、左様な杖は突き難からん。目方(めかた)を減らしたまえ」と云うのを妙達は聞きながら、
「我、何ぞ、巴、板額に及ばんや。しからば関羽とやらにならって八十二斤にいたすべし」と云うを主人は押し返し、
「八十二斤もなお多し。もしそれがしに任せたまえば、五十斤の重さに打たん。それにても十貫目なり。打ち出来し時に持たれんと必ず恨みたまうな」と云うと妙達は微笑んで、
「しからば我はその間を取り、六十斤にあつらえん。念を入れよ」と語を押して、▼値を定め金を渡し、又、この他に一尺二寸の戒刀(かいとう)一腰をあつらえて、
「いずれもよろしく出来れば、別に褒美(ほうび)を取らすべし。ずいぶん急いで良くせよ」と言葉せわしく約束しつつ、鍛冶屋の店を走り出て、十間余り行くところに一軒の煮売り酒屋あり。軒端(のきば)に丸い杉の酒林(さかばやし)を掲げ出し、門には薄青色の小幟(このぼり)をひらめかし、名物踊り子汁と記(しる)したのは泥鰌(どじょう)汁の事なるべし。
妙達はこれを見て、たちまち口によだれを流して心の中で、
「・・・・・この頃は絶えて久しく生臭物(なまぐさもの)を食わず。酒はもちろん香りだも嗅ぐ事無し。たまたま、ここへ来て宝の山に入りながら手を空(むな)しくして帰られんや。まず一杯飲んでこそ、寺へ帰らん」と思案をしつつ、そのままふらりと酒屋に入って長椅子に尻を掛け「さぁさぁ酒を出せ」と云うのを主人は見返り、
「あなたは無二法寺の尼御前(あまごぜ)なるべし。もちろんあなたも知りたまわん。あの寺は掟(おきて)厳しく、それがしらにも御下知あり。寺の尼たちに酒を売る事を許されず。さぁさぁ出て行きたまえ」と云うと妙達は声をひそめて、
「さりとは野暮を云うものかな。我が今ちとの酒を飲んだとて人に告げずば誰か知るべき。いささかも苦しからず、さぁもて来よ」と急がせども主人は聞かず頭を振って、
「それがしらは寺より元手を借りて世を渡る者なり。ちとの酒が売れるとて後ろ暗き業をせば、後日の咎めを逃れ難し。さぁさぁ帰りたまえ」と云うと妙達も仕方なくつぶやきながらそこを出て、またまた他の酒屋におもむき、酒を飲まんとすれども、どこの酒屋も断り云う事初めに変わらず。いずれも決して売らざれば、妙達は悶え苦しみ、いかにすべきとなお行く時に、町外れの空地のほとりに近頃出した店とおぼしく、仮初(かりそ)めの小屋掛けして障子には山鯨(やまくじら/猪)、紅葉(もみじ/鹿)の吸い物と印したり。妙達はこれを見て、心に一つの謀(はか)り事を思い付き、会釈も無く、又、その店に入りにけり。
かくて妙達は獣(けだもの)店に立ち寄って、長椅子に尻を掛ければ、主人は妙達の顔を見て、
「あなたはもしや無二法寺の尼には御座(おわ)さずや。御覧の如く我が店は獣(けだもの)の煮売りをするのみで精進物(しょうじんもの)は候わず」と云うのを妙達は聞きながら、
「否(いな)、私(わらわ)は遠方より遥々(はるばる)と来る者。行脚の尼で無二法寺には縁(ゆかり)無し。いとおこがましく思われんが、頭こそかく丸めたれども、五戒を保つ事は要せぬ。なお半俗(はんぞく)の身であれば肉食(にくじき)はもちろんなり。猪(しし)はもとより好物なるに多少を問わず酒諸共にさぁさぁ出したまえ」と真しやかに云いくるめれば、主人は心で呆れながらも物の云い様が板東声(ばんどうごえ)で実(げ)にむくつけき尼なれば、いつわりなりとは思いも掛けず、猪の脂身一ト鍋を空(から)炒りにして出し、一トちろりの酒諸共に長椅子のほとりに置き並べるのを見て妙達は密(ひそ)かに喜び、そのまま手酌で引きかけ引きかけ、幾度となく銚子を替え、鍋をも四五度(たび)替えれば、酒は一斗五升に及び、肉は八百五六十目を少しも残さず食らい尽くして腹十分になれども、なお鍋焼きの忘れ難さに猪の肉二百目余りを竹の皮に包まして土産にせんと袂(たもと)へ押し入れ、▼主人に値を払って、寺を指してぞ帰り行く。
罪も報(むく)いも白川の岨(そわ)道伝い、ひょろひょろと踏みも定めぬ足引きのこの山風に吹かれつつ、酒の気、既に湧き上り、早や十二分に酔うたれどもことわざに云う本性違(たが)わず、心の中で思うには、
「・・・・・今日はたまたま酒を飲み過ぎ、いささか顔に出た。表門より入らんとすれば、あの番人らが悪堅くて思わぬ口論できかねん。裏門より入るこそ良けれ」と思案をしつつ、回り道して裏手の方よりよろめきながら来にけり。
しかれども無二法寺は世に聞こえた大寺なれば、裏門にもまた門番あり。その夫婦の者は番を務めて花を売り、門を守り、又、掃除の者の五六人が同宿してここにいる。既にして門番らは妙達が又、ひどく酔って帰り来るを遙かに見つつ慌(あわ)てふためき、門戸を閉じて掃除の者を早くも役所へ走らせて、監主の尼に告げにけり。
さる程に妙達は早や裏門に近づいて心ともなくあたりを見ると、門のほとりに建てられた供養塔の筋向いに石の地蔵と如意輪(にょいりん)観音を安置した雨よけの厨子堂(ずしどう)あり。妙達はこれを見て、からからと笑いつつ、
「この似非(えせ)地蔵は誰を待つやら。気晴らしに歩きもせず、立ちすくみになる愚(おろ)かさに、六道(ろくどう)能化(のうげ)の名にも似ず、借りる時の地蔵顔、目を細くして笑いかけても一文も貸す銭は無し。又、如意輪も馬鹿馬鹿しや。何の苦労がある事やら、朝から晩まで頬杖(ほおづえ)付いて、豊後節(ぶんごごぶし)でも語る気か、これ何ぞいの」と立ち寄って格子をはたと打ち叩く、拳(こぶし)の冴えも覚えの大力、格子はたちまち砕けたり。妙達は又、からからと笑いつつ、
「我が出家になりしより、絶えて久しく棒も使わず、力試しをする事無ければ、せめてここにてお前らに手並みを見せて目を覚まさせん。そんな怠(なま)けた事では無し、一番見るか」と誇り顔に折った格子の格を抜き、「やっ、とうとう」と掛け声高く、力に任して打つ程に▼格子は砕け羽目板(はめいた)離れて簀立(すだち)の如くになりにける。柱に右手を押し掛けて押せばゆらゆら揺らめいて、楔(くさび)は緩み抜き折れて将棋倒しにばたばたと倒れる柱諸共に石の地蔵も転びけり。
裏門にいる男どもは門番所の戸の間よりこの有様を見て大いに驚き、再び人を走らせて、この事を注進(ちゅうしん)すれば、監主の尼たち驚き呆れて、裏門に人を増やして「例え妙達が荒れるとも内へは入れず」と下知すれば、門番人らは心得て厳しく門を守りける。
さる程に妙達は地蔵堂を打ち破り、なおあちこちへよろめきよろめき、裏門より入らんとすると、開き戸、潜(くぐ)りも閉まっているを見て、たちまちむっとして「開けよ、開けよ」と呼び掛けつつ拳を握り、門の戸が割れるばかりに打ち叩けば、門番人らはこらえかね、内よりも又、声を荒げて、
「この似非(えせ)尼が又しても食らい酔って帰ったな。五戒を破り酒を飲み、あまつさえ門外の地蔵堂を壊し、破戒(はかい)無慙(むざん)の仏敵(ぶってき)を裏門なりとていかでか入れるべき。その事、既に隠れ無ければ、監主方の指図あり。弥勒(みろく)の世までも叶わぬ事だ。さぁさぁ足の向く方へ立ち去れ」とののしれば妙達はますますいら立ち、
「ほざいたり痩(や)せ犬めが。早く開いて通さずば、我今、門に火を掛けて、皆焼き払って内に入らん。かくても止めるか、通さぬか」と呼び張りながら拍子(ひょうし)を早めてしきりに門を叩きけり。
門番らは妙達が焼き払わんと云うに驚き、監主の尼に告げれば、諸役の尼たち驚き騒いで、
「しからば事の大事にならん。まず穏便(おんびん)に内へ入れよ。その後、思案もあるべきに」と云うと門番は元の所へ走り返って、妙達に声を掛け、
「あまりにお前が騒がしければ、只今開けて通すなり。さぁさぁ入れ」と呼びながら引き抜く閂(かんぬき)諸共に身をひらかして隠れけり。
妙達は始めより待ちわびた事なれば、今開くと云う門の戸に両手を掛けて押すと扉は左右へさっと分かれてその身は内へよろよろとのめり入りつつ四つ這いにたちまちハタと転んだが、ようやくにして身を起こし、塵(ちり)も払わずひょろひょろと、しどろもどろに己(おの)が住む学寮に帰りにければ、同宿の尼たちは驚き呆れて物言わず、皆々片隅へ寄る時に妙達は喉(のど)のあたりがげろげろと鳴ると同時に吐く反吐(へど)は前にうず高く、臭さに皆々たまり得ず、鼻をおおって呆れ果てた。
妙達は今、小間物店を開いた時に袂(たもと)より滑り落ちた一包みの猪の肉を見て「良き物あり」と手に取って、
「折角(せっかく)食うた鍋焼きを戻してしもうてひもじくなりぬ。酢の無い刺身も珍しからん、ドリャ賞味」と竹の皮開く牡丹は猪の肉、五膳箸にてむしゃむしゃと食らうを皆々見るにたえず、その座を避けんとすると妙達は腕を伸ばして一人の尼を引き捕え、
「これ程旨い物なのに一口なりとも付き合いたまえ。これ食いとうは無いかいの」と擦(なす)り付けた口の端、尼は「あわや」と口を閉じ、引き離さんと焦れども妙達はちっとも離さなず、酔った者の癖なれば、皆諸共に詫(わ)びるを聞かぬ非道の手込めに仕方なく見えた時、監主の尼の指図(さしず)に従い八九人の男共が妙達の狼藉(ろうぜき)を取り鎮めんと用意をしつつ、手に手に棒を引き下げて込み入らんとするのを妙達は見て、捕らえた尼を突き放し、迎え討たんとすれども武器を持たねば、机の脚を引き抜いてうめいて廊下に走り出て、先に進んでうち伏せうち伏せ、面(おもて)も振らず▼競いかかれば、多勢を頼みの男どもも立つ足もなく頭を破られ手足を損ね、逃げ散るのをなお逃がさじと妙達は追っ駆けた。
かかる所に住職の妙真禅尼が近くに立ち、
「妙達、又もや何をか狂う。無礼するな」と止めれば、妙達は振り上げた机の脚を投げ捨てて忙わしくひざまずき、
「上人(しょうにん)御前、察したまえ。私(わらわ)は人を打たぬのに、監主たちが遺恨(いこん)あるのか男どもを集めて絡め捕らんとするにより、止むを得ず追い出したり。理非(りひ)を正させたまえかし」と恨みがましく訴えれば大禅尼はうなずきながら、
「とにもかくにも私(わらわ)に愛でて今宵は早く休めかし。明日は正して得させん」と寄らず触らずなだめれば、妙達も酒の酔いが半(なか)ば醒めた頃なれば、上人の言葉を良き潮(しお)にして再び騒がす。その時、禅尼は二人の侍者(じしゃ)の尼に囁けば、尼達はなお恐(おそ)る恐るも妙達の手を引き助け、そのまま部屋へ伴いつつ、様々諌(いさ)めこしらえて彼女の寝所に入れれば、さすがに狂い疲れたか前後も知らず床に伏した。
されば又、首座(しゅざ)、監主、諸役の尼達十人余りがその夜、禅尼の御前に参って、
「先にも申した我々の諌(いさ)めを聞かず、世に類(たぐい)無き悪たれ者の妙達を扶持(ふち)したゆえに、一度ならず二度ならず寺を騒がせ人に傷付け、あまつさえこの霊山を猪豚(ししぶた)の肉に汚せし、前例少ない曲事(くせごと)ならずや。世上の批判も後めたし、御思案欲しけれ」と苦々しげに訴えた。
禅尼は聞いてうなずき、
「始めより密かに諭(さと)したように、あの妙達は出家に似合わず、いと猛々(たけだけ)しい女にて破戒の咎(とが)のある者なれども、前世の業因滅する時に仏果を得ん事疑い無し。しかれども大方ならぬ過ちも度重なればあのままには置き難し。とは云え、当山の大檀家の百倉長者の頼みで弟子にした者なれば、まずあの人に由を告げ、その後にともかくもせん。明日は早くに山科へ使いの尼をつかわすべし」と情けを込めて答えれば、皆々は又、今更に心もとなく思えども返す言葉も無きままにその計らいを待ちにける。
かくて妙真禅尼は次の日、朝勤めも果てた後、自ら書状をしたためて侍者の尼に持たせつつ、なお口上を云い含め、山科へつかわしたまえば、使いの尼は百倉長者の自宅へおもむき、主人の長者に対面し口上を述べ書状を渡せば、百倉はひどく驚きながら禅尼の状を開き見ると、妙達のした事のそのあらましを書き連ねて「かかれば彼女を我が寺に留め置く事は叶い難し、我らが良きに計らうか、それともそなたが引き取りたまうや。答えを聞かまほしけれ」といとねんごろに聞きたまうに、長者はしきりに嘆息し、かつ大禅尼の情けを喜び、
「妙達の事はともかくも御心(みこころ)任せに計られたまえ。自業自得に候(そうら)えば、恨み申す事にはあらず。又、破損した地蔵堂はそれがしが修復せん。なおこの上の大慈大悲を願いたてまつり候」と詳しく返事をしたためて使いの尼には一ト包みの布施物を贈りつつ、その取り成しを頼みける。
優之介親子もこれらの事を聞き、心苦しく思えども、又、今更に仕方も無かりけり。さる程に使いの侍者は無二法寺へ帰り、住職の妙真大禅尼に百倉長者の返簡を披露し、且つその口上を伝えれば、禅尼は「さこそ」とうなずいて、その明けの朝、妙達をほとり近く招き寄せ、
「そなたはしばしば寺の法度(はっと)を犯し、酒を飲み肉を食べ、人と仏堂を打ち損なって、この霊場を騒がせたは俗人だもせざるところ。これ尼法師の所業ならんや。我がいか程に▼思うとも今更、寺には置き難し。鎌倉の松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の住職の真如大禅尼は我が法門の妹弟子なり。よって、そなたをあの寺へ頼みつかわさんと思うなり。さぁさぁ用意せよ」と路銀の銀子三百匁(もんめ)に着物と頭陀(ずだ)袋、脚絆(きゃはん)、笠まで取り添え、「餞(はなむけ)ぞ」とたまわれば、妙達は大方ならぬ禅尼の慈悲に謝辞を申した。去る時に禅尼は「しばし」と妙達を呼び止めて、
「そなたは今はかくもあれども、遂には仏果を得るべき。終わりを思って修行せよ。その行く末を示さんと「思い見よ 緑の林 山水(やまみず)の 富も仇(あだ)なり 江にぞ止(とど)まる」と三遍吟じ返しつつ、心に留めてこの歌を忘れなそ」と示したまえば、妙達はこれをよく覚えて、禅尼に別れを告げ申し、又、尼達に暇乞(いとまご)いして旅装いを整えつつ、その日無二法寺を立ち去ったが、麓の町屋に逗留(とうりゅう)して、あつらえた鉄の杖(つえ)と戒刀が出来るのを待ち、五七日を経て成就すれば、その杖を突き戒刀を身に付けて、近江より信濃路や木曽山づたい遙々と鎌倉指して急ぎける。
かかりし程に百倉長者は日ならず無二法寺へ参詣して、禅尼の情けを喜び伝え、地蔵堂の破損を修復し、その日傷を付けられた男どもには療治代を贈りなどして、残る方なく手当てをすれば、皆その功徳(くどく)を感じた。
○さる程に花殻の妙達は夜に宿り日に歩み、信濃の妻籠(つまごみ)まで来た時にはその日も西に傾いた。いかでか宿を求めんと、道より少し引き込んだ大きな屋敷の門のほとりにたたずみ、
「修行者に今宵の宿を報謝あれ」と高やかに声かければ、内より下男とおぼしき者が一人出て「この乞食尼、何をか云う。今宵はこちに騒動あり。報謝宿する暇は無し。通るなら早く行け。そこらあたりにまご付きいれば、側杖(そばづえ)に打たれて後悔せん。さぁ行かずや」とののしれば、妙達はたちまち怒りを起こして、
「この痴れ者(しれもの)が何を云う。宿を貸さずば借りずもあらんを我に何の咎(とが)あって打ち叩かれる目にあうべきか。その訳聞かん」とねじ込んで互いの争い果てしなく、物騒がしく聞こえれば、主人と見えて一人の老女、齢(よわい)六十余りなるがしとやかに立ち出て、男共をしかり、▼妙達に向かって、
「尼御前、さのみ腹立てたまうな。今宵は実に私(わらわ)が宿に心苦しき客人あり。されども出家の事なれば、ともかくもしてとどめはべらん。まずまずこなたへ入りたまえ」とねんごろに云いなだめ、母屋に伴い草鞋(わらじ)を脱がせ、夜食をすすめてもてなした。
その時妙達は主人に向かって、
「私(わらわ)がつらつらあなたを見ると、胸に苦労があるやらん。顔色も常ならず、心苦しき客人あれと云われたはいかなる故(ゆえ)か知らせたまえ」と問われて老女は涙ぐみ、
「云うても益無き事ながら、今更何をか隠しはべらん。我が家は代々村長で氏は樹邨(このむら)。私(わらわ)は大刀自(おおとじ)と呼ばれたり。しかるに只一人の家督の倅(せがれ)は世を早くして、嫁も程なく亡くなった。後に残るは一人の孫で、花松と呼ばれる者。その頃、幼ければ親類に村役をしばらく預けれども、所持の田地も少なからずば、ともかくもして月日を送るに、今年は孫の花松も十六才になりはべり。我が孫なりとて誉めるにあらねども、田舎に稀な器量良し、女めいたる若衆(わかしゅ)なり。
しかるに近き頃よりこの里に遠からぬ安計呂(あけろ)の山に籠もって、多くの手下を集めた悪たれ女が二人あり。その一人は億乾通(おけんつう)お犬と呼ばれ、男勝りの荒くれ者で間無く時無くあちこちの里人を脅かし、兵糧を催促し、或るいは又、旅人を脅かして顔良き女子を奪い取り、売り代(しろ)なすとも聞こえたり。かくてその億乾通はいつしか我が孫花松に恋慕(れんぼ)して、「我がこの家の嫁となって花松の後ろ見をせん。今宵はしかも吉日なり、日暮れに輿入れをすべし。婚礼の用意して待ちたまえ」と云う。心苦しき客人ありと、先に云いしは此の事なり。察したまえ」と云いかけてこぼれる涙をぬぐいけり。
<翻刻、校訂、現代訳:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
傾城水滸伝 第貳編之二
曲亭馬琴著 歌川国安画
その時、大刀自は涙を止めて、
「只今、告げた訳なれば、窮屈なりとも柴小屋で夜を明かしたまえ。あの人々が来る時に、音たてて怪しまれ、辛(から)き目に逢いたまうな」と云うと妙達はうなずいて、
「そは気の毒なる事ならん。しかしながらその悪たれめは山賊で元より非道(ひどう)の奴どもなれば、何故に公(おおやけ)へ訴えて絡め捕らせて、国の災いを払わぬ。里には人が無い事か。心得がたし」と問えば大刀自が答えて、
「然(さ)ればとよ、彼女らは女子ながらも武芸力量、男に勝って大方ならぬ曲者(くせもの)なれば、あちこちの野伏、山賊がその手下に付いて、姉御、姉御と尊敬し、安計呂(あけろ)の山に砦(とりで)を構え、国司(こくし)、郡司(ぐんじ)を物とも思わず、云わんや我がこの痩(や)せ村人の竈(かまど)の限り尽くすとも彼女らにかなうべくもはべらず。さればとて公へ訴え申さん事なども国府へ遠き田舎の悲しさ。その往来の日数を嫌って申し出ると云う者無し。いとはばかりある事ながら都では本院様(後鳥羽の院)が白拍子の亀菊殿とやらを御寵愛して政治(まつりごと)よろしからず。又鎌倉では頼家卿が色と酒とに溺れて、民の嘆きを見返りたまわず、非道の振る舞いまします故(ゆえ)にや、あちこちに山賊起って民百姓の憂(うれ)いをなせり。決して、声高には彼らの噂もしたまうな」と恨みがましく囁(ささや)くのを妙達は聞いて頭を傾け、
「云われる趣(おもむき)は道理なり。しからば私(わらわ)が手段を巡らし、お犬とやらを説き諭(さと)し、その婚姻を止めさせるべし」と云うを大刀自は聞きながら、
「そは喜ばしき筋ながら仏も法もわきまえぬ悪たれ人の事なるに、なまじいに仕損(しそん)じれば、毛を吹いて疵を求めん。それは危なし」と止めれば、妙達は笑って、
「その儀は気遣いしたまうな。私(わらわ)は因果の理を説いて、いかなる猛(たけ)き男女なりとも改心させるのが甚(はなは)だもって得意なり。▼かかれば今宵、その悪たれ女が来る時に斯様(かよう)斯様に云いこしらえて松殿を隠し置き、思いのままに酒を飲まして寝屋へ伴いたまえ。さて寝室には明かりを消して、私(わらわ)はそこにて待っておらん。億乾通めはかくとも知らず、床入りをするに及んで、方便の説法を説きかけて、遂には思い切らせれば、これ災いを払うなり。この儀はいかが」と説き諭せば大刀自は大きに喜んで、
「宣(のたま)う如くなるならば、我が身一家の幸いなり。尼御前、酒を飲みたまうや」と問うを妙達聞きながら、
「酒は飯より好物なり。私(わらわ)が一杯を飲む時は一杯の知恵が胸より湧き出でて、又二杯を飲む時は二杯分に舌よく回る。まして十杯二十杯、飲めば飲むほど富楼那(ふるな)の弁舌、立て板の豆も及ばず、御馳走ならば用意あれ」と云うと大刀自は微笑んで、下女らを呼んで、「お比丘尼にさぁさぁ酒を参(まい)らせよ」と云うと皆々心得て、日頃用意の酒肴(さけさかな)、焼き干(ぼ)の鮎に泥鰌汁(どじょうじる)、生臭物も取り添えて、出すを遅しと妙達は大盃にて引き受け引き受け、頭も残さぬ焼き鮒(ぶな)に一口茄子の辛子漬け、精進物より泥鰌汁、「これは美味じゃ」とぐい飲みの尼に似合わぬ贋者(にせもの)尼に大刀自は只呆れながらも云われた事の頼もしさに花松を呼び寄せて妙達に合わせ、孫諸共にもてなした。
かくて早や、その夜も既に五つの頃、安計呂の山の方より灯し連れた提灯(ちょうちん)、松明(たいまつ)を星の如くにきらめかし、こちらを指して来る者あり。大刀自は縁側から早くもこれをとくと見て、「あれは必ずお犬ならん」と云うと妙達はうなずいて、まず杯盤(はいばん)を片付けさせ、事よく示し合わせつつ、鉄の杖を引き下げて、その身は一人悠々と花松の寝室に入り、腰衣(こしぎぬ)を脱ぎ、屏風(びょうぶ)に掛け、裳裾(もすそ)を壺折り、腕まくりして絹布(けんぷ)の布団の真ん中へ仰向けに寝る大の字なり。待てば待つ夜の長枕、さすがに夢も結ばれぬ、楽屋を隠す真の闇、黒闇(こくあん)天女の影向(えいごう)をさこそとほくそ笑んだ。
さる程にまだ宵ながら空の色、安計呂の山の億乾通お犬は今宵と定めた我が恋婿(こいむこ)へ押しかけ嫁入りになおも威勢を示す為に緋縅(ひおどし)の腹巻の上には綾(あや)の打掛装束、すべらかした黒髪の毛筋乱さぬ立烏帽子(えぼし)、黄金造りの太刀横たえて月毛(つきげ)の駒に乗った。左右に従う腰元の悪たれ女三人、その余の悪者二三十人、皆後先を囲み、騒がせて樹邨(このむら)の門先狭しと練り寄せれば、大刀自は五七人の老僕(おとな)、野良男を従えて玄関前まで出迎えて、
「今宵はことさらお日柄も良く、いとありがたき御来臨。恐悦至極」と主従が大地に頭を付ければ、億乾通は馬より下りて大刀自を助け起こし、
「刀自よ、何で慇懃(いんぎん)なる。私(わらわ)は孫の嫁なるに▼さのみ心を置きたまうな。イザ、案内」と急がして、引かれて書院の座に着けば、大刀自ら主従は予ねて用意の酒肴(さけさかな)を所狭きまで置き並べ、盃(さかずき)をすすめると、家の老僕(おとな)は次の間で従い来た悪者らに酒をすすめてもてなすに、皆々あくまで飲み食らいして、しきりに興(きょう)に入りにける。
しかれども億乾通(おけんつう)は肝心の恋婿の花松が未だ見えねば、心にこれを怪しんで、大刀自に向かい、
「我が恋人はいかにしつる。縁(えにし)を結ぶ今宵の座敷に影も見せぬは心得難し」と云われて大刀自は胸を静めて、
「然(さ)ればとよ、その事にてはべるかし。早や十六になれども世間知らずのおぼこ者。恥ずかしいとて宵の間より寝屋籠もりして呼べども出ず。あなた自ら彼処(かしこ)に入り、慰めたまえば打ち解けはべらん。無礼は許したまえかし」と真(まこと)しやかに答えるをお犬は聞いて笑いつつ、
「さても、さても、今時の男子にしては珍しい。もちろん我は二十八歳、年は半分違えども男妾(おとこめかけ)にするでなし、わしを大事にしたが良い。山から通い、夜に泊まって日に遊び、竈の下まで世話したら世界に怖い物は無し。そうこう云う内、夜も更(ふ)けん。しからばすぐに色直し、寝屋でゆるりと遊びましょう。案内頼む」と床急ぎ。大刀自は笑いこらえて、いざと先に立つ、心奥の間今更に危ぶむ胸の廻り縁(えん)、「こなたにこそ」と伴って杉戸を開いて立ち代わり、
「あの屏風の内で花松は待っており。ゆるゆる語らいたまえ」と杉戸を引けば、億乾通は手探りしながら屏風を探し、
「さても岩戸籠りの常闇(とこやみ)じゃ。ケチと云うにも程がある。今宵ぐらいは行灯(あんどん)一つ倹約せずとも」と独り言して、忙がわしく帯解き捨てて着込みの腹巻さっと脱ぎ、そっと置きつつ寝巻き一つで平絎(ひらぐけ)帯を前で結んで、いやらしき身振りも見えぬお先は真っ暗、屏風を上げてしとしととぴったり寄り添う布団の上、▼
「これ、こちの人、来たわいの。犬じゃ犬じゃ」と妙達が手を引き寄せて、そろそろと腹のあたりを撫で回せば、こそぐったいと云えばえに妙達は岩より硬い拳(こぶし)を振り上げ、お犬の小鬢(こびん)をはたと打つ、音もろともにのけ反って「あなや」と叫ぶ間もなく、妙達はがばっと身を起こし、お犬をつかんで膝に敷き、
「淫乱女め、思い知ったか。鳥無き里の蝙蝠(こうもり)とて、汝ら如き牝犬ども、ここらあたりに威を振るい、人の息子をなぐさみ者にせんと企(たく)らんだ押し掛け嫁入り。今ぞあの世へ里開き。観念せよ」と攻めつけ攻めつけ、再び拳を振り上げて続け様に打ちこらせば、お犬は息も絶え絶えに
「ヤレ人殺し。者共、救え救え」と叫べば、手下は聞いて、事こそあれと蝋燭(ろうそく)抜き取り、群立(むらた)ち騒いで混み入った。
妙達はそれを見て、お犬の襟髪(えりがみ)引き起こし、遙かに投げ捨て、側に置いた鉄の杖を手に取り早く打ち振り打ち振り、微塵(みじん)になさんと競ってかかれば、この勢いに悪者どもは驚き恐れて、立つ足も無く庭口指して逃げ出るを何処(いずこ)までもと追っかけた。
その間に億乾通お犬は背戸より逃げ出たが、身のうち痛み、走ることもできず、見れば我が乗って来た馬が井戸端の柳の木に繋いであり、これ幸いと乗り、柳の枝を鞭にして、打てどあふれど、ちっとも走らず、一つ所で躍(おど)っていれば、お犬はしきりにいら立って、
「この畜生までもがあなどって馬鹿にするか」とののしりながらよくよく見れば、繋(つな)いだままでまだ綱解かず、「抜かった、許せ」とあわただしく端綱(はづな)を切れば駆けいだす、月毛の駒も夜の道、恥の皮籠(かわご)の蓋(ふた)ならず、安計呂と云うは己(おの)が住む、山を指してぞ逃げて行く。
○さる程に妙達は逃げるお犬を追い捨てて、元の所へ立ち戻れば、大刀自は孫の花松と共に門辺(かどべ)に立って待っており。今、妙達が帰るのを見て、そのまま座敷へ伴いつつ、つれづれと顔を見て、
「先にあなたは方便で億乾通に納得させ、この婚姻を止めさせんと云われた故(ゆえ)に任せたに、そうはせず彼女を打ち懲(こ)らし、追い散らされては、彼女は必ず恨み持って再び押し寄せ来る事あらん。さる時は我が家は皆殺しにせられん。益無き業(わざ)をしたまう」と涙ぐみつつ恨めば、妙達はにっこと微笑んで、
「思い過(す)ごしたまうな。今、奴(やつ)らが何百人で寄せ来るとも片っ端からうち殺し、災いの根を払って得させん。疑わしくばこの杖をまず取り上げて見よ」と差し出す杖を皆々初めて見て、鉄を延べた握り太ないかめしい造りは貫目(かんめ)もさこそと思われて、試みに男三人で持ち上げんとするが動かす事も叶わねば、大刀自、花松、その座の者どもは皆舌を捲き、眼を見張って「実(げ)にこの尼は凡人ならず、女天狗か荒神か」と思わざる者はなかりけり。
○されば又、お犬らは命からがら逃げ帰り、
「姉御、仇(かたき)を取ってたべ。あら口惜(くちお)しや」と叫べば、この砦(とりで)の大将のもう一人の▼悪たれ女が驚きながら走り出て、事の訳を尋ねれば、お犬は今宵、樹邨(このむら)の自宅へおもむいた始めより、思わず寝室の中で力強き尼に打ち懲(こ)らされた事を斯様(かよう)斯様と告げ知らせれば、その賊婦は大いに怒って、
「その尼こそ、憎き痴(し)れ者。それでは我が押し寄せて、恨みを返さん。者ども続け」と云うままに、ひしひしと身を固め、大薙刀(おおなぎなた)を脇挟み、馬にひらりと乗れば、従う悪者百人余り。早や鐘、太鼓を鳴らしつつ、妻籠(つまごみ)指して押し寄せれば、億乾通も引き続き、多くの手の者引き連れ引き連れ、共に馬を速めた。
○その頃、妙達は小座敷で酒を飲んでいたが、その夜が明ける頃に安計呂の山の方から、貝、鐘(かね)、太鼓を騒がしく鳴らして寄せ来るのが聞こえれば、
「これ必ず賊婦らが昨夜の恨みを返さんと、多勢を催し来たならん」と云うと大刀自、花松らは驚き恐れて物をも覚えず、いかにせんと立ち騒ぐのを妙達は押し静め、「いささかも気使いたまうな」と云って鉄の杖を引き下げて、悠々然と歩み出て、冠木門(かぶきもん)を押し開かせて門より外に只一人、寄せ来る敵を待つと真っ先に馬を進めた賊婦は妙達を見るより怒りの声を振り立て、
「汝は何処(いずこ)の馬の骨だ。熊野比丘尼の失策(しくじり)か、伊勢比丘尼の年明(ねんあ)きか。昨夜はよくも我が妹を木魚の様に叩いたな。我はその恨みを返す為に自らここに向ったり。覚悟をせよ」とののしった声もろともに大薙刀を水車の如くにひらめかし、駆けんとするを妙達は「猪口才(ちょこざい)すな」と鉄の杖持ち、丁と受け、二打ち三打ちと戦う程にその賊婦は声を掛け、「あなたはもしや、花殻のお達殿にはあらざるか」と問われて妙達はいぶかりながら「いかにも我こそ、お達なれ」と云うと賊婦は慌(あわ)てふためき、馬よりひらりと飛び降りて小膝を付いて頭を下げ、
「一別以来、恙(つつが)も無きや。早くも人寄せの友代を見忘れたか」と云うと真(まこと)に友代なり。
「そなたは又、いかにして、ここにおるぞ」と問い返せば、友代は答えて、
「然(さ)ればとよ。甲斐にてあなたが貝那を殺して逃げた時、私(わらわ)もその前日に青善の二階で共に酒を飲みしにより、同類ならんと疑いかかって絡め捕られんとの噂が聞こえれば、あの地を逃げ出てあちこちとさまよいつつ、ここを過ぎる折、安計呂の山のほとりで億乾通に出くわして遂に刃(やいば)を交えたが、お犬は私(わらわ)に勝つことできず、これにより私を山の砦に留めて、第一の座を譲り、その身は第二の大将と成った。さてもその億乾通お犬は先に滅びた奥の泰衡(やすひら)の家臣の娘なり。女子に似合わぬ剛の者、鎌倉殿(頼朝)を恨むあまりに、その残党をまねき集めて安計呂の山に籠もりしなり」と云う間に、億乾通も馬を早めて来たのを友代は素早く見返り、走り行き囁いて、お犬に妙達を引き会わせ、
「我が妹よ。この方は日頃しばしば物語りした一拳(ひとこぶし)でなまよみ屋の貝那を殺したお達殿にて御座(おわ)するぞ」と云うとお犬は驚いて、
「我々、眼(まなこ)ありながら、世に又、たぐい多からぬ勇婦の花殻殿とは知らざりし。無礼を許したまえかし」と詫びつつ大地に身を投げ伏して、しばし頭をもたげねば、妙達は忙わしく助け起こして、友代諸共、そのまま書院に伴って、▼大刀自、花松をまねき寄せ、
「人々さのみ恐れたまうな。彼女らとて鬼女にもあらず。皆、我が妹なりけるぞ」と云うと大刀自、花松らはさてはこの旅尼は元より山賊の仲間なるかと驚き恐れて、又、酒肴を按配(あんばい)しつつ、三人の勇婦をもてなした。
その時、妙達は百倉長者の情けによって罪を逃れる為に、無二法寺で剃髪した事、その後しばしば酒に酔い、寺の法度を犯した故(ゆえ)に住職の妙真禅尼の指図に従い、この度、鎌倉の松岳山龍女寺へおもむく事を友代らに告げ、又、億乾通に向かい、
「お犬よ、我が云う事を聞け。この老女大刀自はその子と嫁に先立たれ、只一人の孫花松を家督にし後ろ見する者なるに、人柄もふさわしからず、又、その年も釣合わぬお前が嫁になるやら男妾(おとこめかけ)に致すのと、無理矢理の縁結びは沙汰(さた)の限りといいつべし。何事も我にめでてこの恋は思い切りたまえ」と云われてお犬は恥入り悔やんで、
「仕方なき我が身の誤り。この婚姻は思い切ったり。もし重ねてこの少年に心を残す事あれば、雷に打たれて死なん。皆の衆、案じたまうな」と矢を折り、誓いを成せば、大刀自も花松も大方ならぬ妙達の取り計らいを感じ、且つ安堵(あんど)して、「・・・・・今更に疑った事の愚かさよ」と心の内で恥らって、又、改めて盃(さかずき)をすすめ、益々もてなしけり。
かくて友代、お犬らは妙達を伴って安計呂の砦に帰りつつ、これより日毎に酒宴を催して様々にもてなすと、妙達は酔い伏してすやすやと眠りけり。
その時、友代はお犬に向かって、
「思い掛け無き客を得て、費用も大方(おおかた)ならず。又、出でて行く時に餞別(せんべつ)もせずばなるまじ。これらの損を何ぞで埋める仕方はないか」と云うとお犬はうなずき、
「我もしかぞと思うなる。この頃は間が悪く、ずっしりとした獲物も無し。良い鳥でもかからんものか」と恨みがましくささやく折から遠見の雑兵が走り来て、
「只今、旅人七八人が米と酒とを多くの馬に負わして麓を過ぎるなり。よって注進つかまつる」と息継ぎながら告げると友代、お犬は喜んで、
「願うところの幸いなり。イデ分捕らん。者ども続け」と云うより早く身を固め、ひとしく馬を乗り出せば、その手に従う悪者どもは数を尽くして遅れじと麓を指して急いだ。
妙達は始めより空眠(そらねむ)りして友代らが云う事を聞き、今又、出て行くのを見て、心の内に思う、
「・・・・友代めは勘定高くて我の馳走(ちそう)に物がいると泣き言を云う▼面(つら)の憎さよ。彼女のみならず億乾通めも亡き主の仇(あだ)を報わん為に義兵を上げると口では云えども、かくまで汚れた行いをするは見下げ果てたる奴どもなり。かかればここにいつまでもいるべきにあらず。鼻を明かせてやらん」と独り言して身を起こし、あの鉄の杖を持ち、所狭しと置き並べた珠(たま)の盃、瑠璃(るり)の鉢、水晶の盆にぎやまんの銚子、注鍋(さしなべ)、青貝の卓袱台(しっぽくだい)まで、一つも漏らさず微塵に砕き、からからと笑いつつ、忙わしく身拵(みごしら)えして表の方に立ち、再び心に思う、
「・・・・今、本道(ほんみち)より麓に下れば、必ず友代、お犬が帰り来るのに行き会って引き止められれば面倒ならん。小道でもと見下ろすと、北の裏手にひどく傾いた所あり。これ幸い」と心でうなずき、風呂敷包みを笠もろともに鉄の杖に結び付け、麓の方へ投げ落とし、その身もやがて三輪組む、膝に両手を組み合わせ、傾斜に従い滑り落ちると所々に柴生い茂り、砂混じりの崖道(がけみち)なれども、いささか傷を負う事なく、幾千丈の麓路へたちまち滑り着き、先に落とした杖を突き立てて風呂敷包みを背負いつつ、東を指して急いだ。
さる程に人寄せの友代、億乾通お犬らは多くの手下を従えて、旅人らをさえぎり止めて、皆逃さじと討ってかかれば、その者どもは驚き騒いで、いかにせんとて逃げ迷う。その中の一人の男が笠かなぐって声高く、
「これは妻籠(つまごみ)の里長の樹邨(このむら)花松の名代にして国司へまいる貢物(みつぎもの)なり。安計呂の砦の人々が早くも先の誓いを破り、乱暴したまう事か。これ見たまえ」と小荷駄(こにだ)に指した小幟(このぼり)を打ち振り見せると、友代、お犬は思うに違って、
「さては樹邨が国府へ贈る貢物にてありけるか。なお妙達も砦におるに今更これを乱暴すれば、誓いを破るそしりを得ん。皆、引け引け」と手勢を止めて、そのまま山路へ引き返せば、その者どもは喜んで再び生きた心地してしきりに馬を追い立てて跳ぶが如くに馳せ去った。
その後、友代、お犬らが山の砦に帰って見れば、妙達はおらず、盃、盤、皿、鉢一つも残らず、全て微塵に砕けたり。「こはそもいかに」と呆れ果て、妙達を探すが出て行ってその影もなく、裏手の方に出て見るとここより麓へ転び落ちたか草は左右へ伸べ伏したり。
「かかる険阻(けんそ)の岨道(そはみち)をたやすく麓へ下りるは凡人技にはあらず。しかるを今更追っかけて引き戻さんとするのはやぶ蛇なり。由無き奴を留め置き、損した上に又、損をする腹立しさよ」とつぶやくのみで、又、仕方は無かりけり。友代、お犬の事はしばらくこの下に物語り無し。
○されば又、妙達はしきりに道を急ぎ、安計呂の砦を出てから四日目の真昼頃に信濃の長窪(ながくぼ)の笹取山(ささとりやま)のほとりまで来た。
思いの他に飢え疲れ、走り難く思えば、食事を乞わんと思えどもこの辺には人里無し。と見れば山懐(やまふところ)の森の中に荒れ果てた古寺あり。山門より進み入り、本堂に行って見ると柱は傾き軒(のき)朽(く)ちて、本尊の大仏は後光(ごこう)崩れて、蜘蛛の巣にまとわれ、格天井(ごうてんじょう)の天人は彩色はげて餓鬼の如く、踏めば落ち入る床の上には狐(きつね)狢(むじな)の足跡のみが斑(まだら)に見えて人気(ひとけ)無し。
もしやと思って庫裡(くり)の方に風呂敷包みと笠を置き、立つ時に仰ぎ見ると錫杖寺(しゃくじょうじ)と云う金字の額あり。されども無学なれば心をも得ず、本堂の後ろの方におもむけば、いとささやかな小屋の内に痩せさらばいた尼が三人、木の葉を集め、火を吹いて、麦の粥(かゆ)を焚いていた。妙達は進み寄り、
「我は▼近江より鎌倉へ行く行脚(あんぎゃ)の尼なり。折から飢えて疲れ果てた。願わくばその粥を振る舞ってたまわれかし」と云うのを尼らは聞きながら、
「お前に振る舞う粥あれば、我々どもがかくまで飢えも疲れもせぬ。今日、三日目にてようやくにちとの麦を勧化(かんげ)して、命の蔓(つる)と思うておるに由も無き事をのたまうな」と否(いな)むに妙達は心を得ず、
「この寺はしかるべき伽藍に見えながら、何故に大破に及んだか。住職は無きや」と尋ねれば尼らは答えて、
「然(さ)ればとよ。元この寺は延命山(えんめいさん)錫杖寺(しゃくじょうじ)と呼ばれた七堂伽藍(がらん)の尼寺なりしが、治承(1177年)・元暦(1184年)の兵乱で近郷の施主(せしゅ)、檀家がことごとく離散して、あまつさえ住職もはかなく遷化(せんげ)し、しばらく無住で在りし頃、鈴懸(すずかけ)の岩莫(がんまく)と云う女山伏が蛇柳(じゃやなぎ)と云う弟子を連れて同宿となりしより、彼女らはあくまで力強く、武芸も優れし者どもなれば、遂には無理矢理に住職となって仏具諸道具を売り払い、只酒を飲み、男を引き入れ遊興(ゆうきょう)し、始めより居付いた尼たちには一椀の飯も食わせざるにより、幾十人の尼たちは行方知れずになった。
されども我々は年老いて病いあれば、行き先のおぼつか無さに仕方無く残って、三日に一食で命をわずかにつなぐのみ。疑わしくば庭の奥に行って見たまえ」と云うと妙達は「さこそ」と答えて、哀れみ、且つ怒り、そのまま踵(きびす)を巡らして、なお奥深くへおもむけば、座敷とおぼしき所に花筵(はなむしろ)を敷き渡し、一人の女山伏とうるわしき若衆(わかしゅ)が居た。
かくて又、その弟子の女山伏とおぼしき者が只今余所(よそ)より買いもて来たか、左右の手には酒徳利と一重箱の肴(さかな)をたずさえ、これを長椅子のほとりに置いた。
妙達はこの者どもこそ、その岩莫と蛇柳ならんと思えば、つかつかと近づいて、
「この女金剛(こんごう)どもが。人の寺を奪い盗り、あくまで穢(けが)れた身の持ち様は何事ぞ。我は行脚(あんぎゃ)の尼なれどもこの本堂の裏におる尼らの物語りにて、早や汝らの悪事を知りぬ。逃れぬ所と覚悟して、我がこの杖(つえ)を受けよ」と声をいらだてののしれば、その曲者(くせもの)らは驚いて、
「尼御前、無礼したまうな。元この寺の尼どもが住職無きを幸いに良からぬ業(わざ)をするにより、かくの如くに大破したを我がようやくとり止めて再興を図るなり。又、この若衆は檀家の息子で、たまたま参詣されたので心ばかりのもてなしせんと、いささか用意をする折なり。死に損(ぞこ)ないの尼たちの空言(そらごと)を真(まこと)として事を過(あやま)ちたまうな」と、まことしやかにあざむくと、妙達は「実(げ)にも」と思い返して元の所へ立ち戻れば、尼らは既に麦粥を食べ終った所なり。その時、妙達は眼(まなこ)を怒らし、
「この似非(えせ)尼らが。自分の悪事を人に塗り付け、上手く我を欺(あざむ)いたな。今彼処にて岩莫らに事情を問うと、斯様(かよう)斯様と答えたり。かくても云う事、なおあるか」と息巻けば尼たちは呆れ果て、
「あなたこそ、あの者どもに欺(あざむ)かれたなれ。その若衆は鎌倉の田楽(でんがく)の色子の果てで、岩莫の男妾(おとこめかけ)なり。彼女らがあなたを欺き、一旦その場を帰したのは手に武器を持たぬ故(ゆえ)なり。再び彼処へ行きたまえば、いかでそのまま帰すべき。あら笑止(しょうし)や」とつぶやくと妙達はようやく悟って、腹立たしさに答えもできず、又、奥庭へ馳せ行くと早や枝折戸(しおりど)は差し固められたり。
妙達いよいよ苛立(いらだ)って、鉄の杖で只一突きにぐわらりずんと突き破り、「盗人(ぬすびと)ども」と呼びかけ呼びかけ、まっしぐらに進み入るを待ち受けた岩莫、蛇柳は段平(だんびら)物を抜きそばめ、
「乞食尼が又来たな。先には武器が無かりし故(ゆえ)にわざと透(す)かして出してやりしに、再び来るは夏の虫、命も既に根腐ったり。覚悟をせよ」とののしって左右等しく討ってかかるを「物々しや」と妙達は右に払い左に防ぎ、発止(はっし)発止と戦ったが、この時ひどく飢え疲れ、かなうべくもなければ、隙間をうかがい一足出して、表の方へ逃げ走れば、なお逃さじと岩莫、蛇柳は山門の並木を越えて、三四町と追いかけたが遂に追いつかねば、それより先へは追わざりけり。
さる程に妙達は寺を去る事五六町、日の目知らずと呼ばれた林の内に逃げ入った。ここは幾百もの赤松が隙間なく生い茂り、枝を交え葉を重ね、絶えて日の目を漏らさねば、昼と云えどもいと暗く、黒目(あやめ)を分かぬばかりなり。
その時、妙達は息を付き、汗を拭って▼一人つらつら思う、
「・・・・我、あの女山伏らに負けるにあらねども、かく飢え疲れれば、力衰え気力弱って心ならずも敗れたり。されども庫裏(くり)に置いた笠と風呂敷包みを取り返さずば今更どこへ行くべきか。さればとて立ち帰れば又もや奴らに苦しめられん。いかにすべき」と思いかね、しばらくそこにたたずむ折から向かいの木の間よりいと白い顔を出して此方(こなた)をうかがう者あり。
妙達はそれを見て、
「あれはまさしく山賊ならん。今又、前後に敵を受けてはいよいよ事の難儀なり。まず奴(やつ)から片付けて、その上で思案をすべし」と思えばちっともためらわず、
「只今、我をうかがう盗賊め。さぁ出て勝負をせよ」と呼べば、たちまち松の木陰より旅装束もやつれた一人の女子が現れ出て、からからと笑いつつ、
「汝こそ、人をうかがう山賊であるべきに、我を疑う事はあるや。その儀ならば手並みの程を思い知らせん」とののしって刃(やいば)を打ち振り走り掛かれば、妙達はいよいよ怒り、鉄の杖を持ち直し、互いにひるまず戦う時に旅の女が声を掛け、
「汝の武芸は世の常ならず、且つ、その声も聞いた様なり。名乗れ、名乗れ」と呼び張るを妙達は耳にも掛けず、なおも進んで戦うと女子はしばしあしらって構えの外へ身を退いて、
「逸(はや)って過ちせられるな。我にはいささか見覚えあり。あなたはこれ花殻のお達殿には在らざるか。かく云うは浮潜龍衣手にてはべる」と云われて妙達は驚きながら、よくよく見れば、実(げ)に見知った衣手なり。
こはこはいかにと杖投げ捨てて進み近づき、ここを徘徊する事情を尋ねれば、衣手答えて、
「我(わらわ)はあなたと別れた後、若狭の国で綾梭(あやおさ)殿を尋ねたが、あの地にても遂に会わず、もしや鎌倉におわさずやと思うばかりを心当てに遙々(はるばる)と東(あずま)に下れども、絶えてその行方を知る事かなわず、仕方無く取って返して、この処まで来る折に、あなたに会いしは尽きせぬ縁なり。あなたは又、いかにして尼に成りたまいし」と問われて妙達は少しも隠さず、貝那(かいな)を殺した始めより、今、鎌倉へおもむく事まで、言葉せわしく説き示し、今日図らずも錫杖寺にて岩莫、蛇柳という女山伏らと戦ったが、飢え疲れにより、心ならずも後ろを見せて、ここにて息を付いた一部始終を物語れば、衣手は聞いて、
「その者共は憎むべき極悪の女なり。私(わらわ)も共に力を合わせ、討ち滅ぼして根を絶つべし。まずまず腹を繕(つくろ)いたまえ」と答えて腰に付けた破籠(わりご)を開いて与えれば、妙達はこれを食らって、衣手と諸共に又、あの寺におもむけば、岩莫も蛇柳もなお山門のほとりの石橋の欄干(らんかん)に身を寄せ掛けて休んでいた。
その時、妙達は衣手を木陰に隠し、独り進んで声を振り立て、
「我、先には飢えた故(ゆえ)に心ならずも遅れを取ったが、今度は決して許しはせず。覚悟をせよ」と呼びはれば、岩莫が見て、
「性懲(しょうこ)りも無き乞食尼。死にに来たか」とあざけって、討たんと進むを妙達は杖で発止(はっし)と受け止めて、二打ち三打ちと戦う程に、蛇柳も又、岩莫を助けて刃をうち振り、引き挟んで討とうとするのを衣手が木陰より出て、蛇柳をさえぎり止めて戦った。既に岩莫は敵に加勢があるを見て、驚き恐れて乱れる大刀筋(たちすじ)に妙達は得たりと踏み込んで、遂に刃を打ち落とし、逃げる岩莫を肩先より背骨にかけて打ち砕けば、蛇柳も驚き恐れて逃げるをやらじと衣手が打ち閃(ひらめ)かす刃の稲妻。首は遥か遠くに飛び去って骸(むくろ)は等しく倒れけり。
▼かくて妙達は衣手と諸共に岩莫、蛇柳らを滅ぼして、ひとしく寺に進み入り、庫裡に置いた風呂敷包みと笠とを取り、又、本堂の後ろの小屋のほとりに行くと、あの三人の尼らは先に妙達が敗北し、門を走り出た時に自分に災いが及ばん事を恐れたか、皆々、首吊り死んでけり。
又、岩莫の男妾の何がしかは妙達、衣手が岩莫らを遂に討ち滅ぼし、再びここに来るを見て叶わじと思いけん、井戸に飛び入り死んでけり。
かかれば今この荒れ寺に住む人は一人も無し。その時、妙達は衣手を見返って、
「この錫杖寺は地蔵菩薩の霊場なれども、かくまで大破に及んだのをこのままにして置くと又、山賊の住処とならん。只焼き払うにます事あらじ」と云うと衣手はうなずいて、二人は手早く火を付ければ、北山風の激しさに見る見る炎は燃え広がり、朽ち傾いた堂塔、伽藍(がらん)は煙となって失せにけり。
その時、妙達、衣手は山門のほとりに立ち、しばらくその煙を避けて、おのおのの行方を語らうと、衣手はともかくも綾梭(あやおさ)に巡り会わねば、今更に身の縁(よすが)も無し。戸隠山に立ち帰り、あの黒姫、女鬼、今板額らにしばしこの身を頼まんと、遂に別れを告げれば、妙達も今更に名残り惜しくは思えども、さて、あるべきにあらざれば、又、再会を契(ちぎ)りつつ、東西に別れけれり。
○されば花殻の妙達はなおも幾日かの旅寝を重ねて、鎌倉の尼寺龍女寺(りゅうにょじ)へおもむいて、接客の尼に対面し、妙真大禅尼の指図に従い、無二法寺(むにほうじ)より遙々と来た事を告げ、真如禅尼へ送られた書状を出して見せれば、接客の尼はわびし気に、
「それは気の毒なる事ぞかし。当山の住職の真如(しんにょ)禅尼は少し前に移転して、山城の国の深草の女人山(にょにんさん)成仏寺(じょうぶつじ)と云う尼寺に移られた。これは近頃の事なれば、無二法寺の大禅尼はまだ知られずして、こなたへ寄こさせたまいしならん。気の毒ながら引き返し、深草へおもむきたまえ。まだ、ここには定まった住職も無ければ、留め難し」と云うに妙達は仕方無く、たちまち望みを失って、いと腹立たしくくやしけれども、さてあるべきにあらざれば、この度は東海道を山城指して急ぐと、又、十余日かの旅寝を重ねて、深草の里、女人山成仏寺へ到着しつつ、又、しかじかと案内して紹介の状を参(まい)らせた。
その時、住職の真如(しんにょ)禅尼は妙真禅尼の書状を検見(けみ)して、
「この事いかがあるべき」と諸役の尼たちに問えば、皆々言葉を等しくして
「我々はあの妙達とやらを見るに面魂(つらだましい)は世の常ならず、一癖あるべき大比丘尼(びくに)なり。彼女を当山に留めれば、いかなる事をかしだすべき。これも又、計り難し」と云うと禅尼は案じて、
「しかりとも我が姉弟子の妙真禅尼が寄せられたのをつれ無くはし難し。我は住職ながら新参の者ぞかし。とにもかくにも、よろしく計らいたまえ」と、又、他事(たじ)も無く宣(のたま)えば監主の尼らは案じて、
「しからばあの妙達を茶園守りになされるべし。茶園は遠くかけ離れ、▼尼たちと交わらず、かつ茶園のほとりには柿、梨、桃、栗、葡萄などの果物多し。これによりややもすれば、人が盗む事も少なからねば、それの守りに付けられるにはあの尼こそ好都合ならめ」と云うと皆々うなずいて、「しかるべし」と申すと、禅尼もその儀に従って、さて妙達に対面して、鎌倉まで無駄歩きさせし長旅の疲れを慰めて、
「我が寺に今は空いた役はなし。さるにより茶園を預けるなり。園主の役義を務めよ」と仰せれば、妙達はこれを不足として、
「私(わらわ)は妙真禅尼の指図に従い、当山へ参(まい)りしは首座(しゅざ)、監主とも成るべき為なり。それをひどく下職の茶園守りにされる事は心得難くはべり」と云うと監主の尼が進み出て、
「あなたは自らを思い見よ。修行僧から長老にはなり難し。まず、よく園主を務めれば、次第次第に取り立てて首座にも監主にも成したまわん。今更否(いな)む事か」と理(ことわ)り責めて説き諭(さと)せば、妙達もようやく納得して、次の日茶園の庵室に入院(じゅいん)し、元の園主と入れ替わり、茶園を支配した。
ここに又、成仏寺の裏門前に住まいする悪戯(いたずら)者の女房、娘ら、この度妙達が茶園守りとなった事を伝え聞き、談合する様、
「我々はあの茶園の果物を取って、常に副収入にすると云えども、園主の尼は威風に恐れて叱り止める事もせざりき。しかるに今度の新役は他所(よそ)より来た尼と聞く、一あて当てて懲(こ)らさねば、付け上がる事もあらん。斯様(かよう)斯様に計らうべし」と釣額(つりひたい)のお禿(はげ)と云う悪たれ女が大勢の嚊(かか)を伴い茶園におもむき、妙達の入院の祝儀に来たといつわって、肥溜めのほとりに誘い、突き落とさんとするのを妙達が早く悟って立ち寄りながら足を跳ばして、そのお禿を肥溜めの中へはったと蹴落とした。
<翻刻、校訂、現代訳:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
曲亭馬琴著 歌川豊国画 ▼:改頁
さてもその後、花殻(はながら)のお達、尼妙達(みょうたつ)は百倉(ももくら)長者の助けによって、白川の大伽藍(だいがらん)龍女山(りゅうにょさん)無二法寺(むにほうじ)の住職の尼妙真(みょうしん)大禅尼(だいぜんに)の弟子になり、既に剃髪、得度(とくど)したにもかかわらず、五戒を破り、酒に酔い寺内を騒がせども、大禅尼の情けによって罪を許され、そのこと無事に治まった。
しばらくは身を慎んで学寮にのみ籠もり、漫(そぞ)ろ歩きをせざりしが、ほとぼり冷めて熱さを忘れることわざに漏れる事無く、ある日、鬱気(うつき)を晴らさんと蓄えの金を懐に独り山門を出て、麓の方におもむくとカラカラ、カンカンと鏨(たがね)を打つ音が聞こえ、行って見ると一軒の鍛冶屋あり。
妙達はその店先にただずんで、その様子をうかがうと新たに打った刃物、打ち物、金棒、利鎌(とがま)、鋤(すき)鍬(くわ)などが多くあり。上手な鍛冶と見えれば、そのまま中に入って主人に向かい、
「我はちとあつらえたい物があるなり。最上の鉄(くろがね)で磨き杖(つえ)を。重さはおよそ百斤(きん)ばかりでよろしからん」と云えば主人は呆れ果て、
「それがしはこれまで幾度となく金棒(かなぼう)も打ち出し、禅杖(ぜんじょう)、錫杖(しゃくじょう)なども作れども、左様に重き物を打った事無し。昔、木曽殿の巴御前はその力が百人力に当たる事が語り伝えられ、又、近頃の板額御前も万婦不当(ばんぷふとう)の聞こえあれども、重さ百斤に及ぶ打ち物を使った事は聞かず。唐土(もろこし)の関羽(かんう)すら八十二斤の青龍刀を使ったと云うにあらずや。されば山匁(やまめ)一斤の二百目の割りをもってする時は百斤は二十貫目(かんめ)なり。尼君が力に覚え有りとても、左様な杖は突き難からん。目方(めかた)を減らしたまえ」と云うのを妙達は聞きながら、
「我、何ぞ、巴、板額に及ばんや。しからば関羽とやらにならって八十二斤にいたすべし」と云うを主人は押し返し、
「八十二斤もなお多し。もしそれがしに任せたまえば、五十斤の重さに打たん。それにても十貫目なり。打ち出来し時に持たれんと必ず恨みたまうな」と云うと妙達は微笑んで、
「しからば我はその間を取り、六十斤にあつらえん。念を入れよ」と語を押して、▼値を定め金を渡し、又、この他に一尺二寸の戒刀(かいとう)一腰をあつらえて、
「いずれもよろしく出来れば、別に褒美(ほうび)を取らすべし。ずいぶん急いで良くせよ」と言葉せわしく約束しつつ、鍛冶屋の店を走り出て、十間余り行くところに一軒の煮売り酒屋あり。軒端(のきば)に丸い杉の酒林(さかばやし)を掲げ出し、門には薄青色の小幟(このぼり)をひらめかし、名物踊り子汁と記(しる)したのは泥鰌(どじょう)汁の事なるべし。
妙達はこれを見て、たちまち口によだれを流して心の中で、
「・・・・・この頃は絶えて久しく生臭物(なまぐさもの)を食わず。酒はもちろん香りだも嗅ぐ事無し。たまたま、ここへ来て宝の山に入りながら手を空(むな)しくして帰られんや。まず一杯飲んでこそ、寺へ帰らん」と思案をしつつ、そのままふらりと酒屋に入って長椅子に尻を掛け「さぁさぁ酒を出せ」と云うのを主人は見返り、
「あなたは無二法寺の尼御前(あまごぜ)なるべし。もちろんあなたも知りたまわん。あの寺は掟(おきて)厳しく、それがしらにも御下知あり。寺の尼たちに酒を売る事を許されず。さぁさぁ出て行きたまえ」と云うと妙達は声をひそめて、
「さりとは野暮を云うものかな。我が今ちとの酒を飲んだとて人に告げずば誰か知るべき。いささかも苦しからず、さぁもて来よ」と急がせども主人は聞かず頭を振って、
「それがしらは寺より元手を借りて世を渡る者なり。ちとの酒が売れるとて後ろ暗き業をせば、後日の咎めを逃れ難し。さぁさぁ帰りたまえ」と云うと妙達も仕方なくつぶやきながらそこを出て、またまた他の酒屋におもむき、酒を飲まんとすれども、どこの酒屋も断り云う事初めに変わらず。いずれも決して売らざれば、妙達は悶え苦しみ、いかにすべきとなお行く時に、町外れの空地のほとりに近頃出した店とおぼしく、仮初(かりそ)めの小屋掛けして障子には山鯨(やまくじら/猪)、紅葉(もみじ/鹿)の吸い物と印したり。妙達はこれを見て、心に一つの謀(はか)り事を思い付き、会釈も無く、又、その店に入りにけり。
かくて妙達は獣(けだもの)店に立ち寄って、長椅子に尻を掛ければ、主人は妙達の顔を見て、
「あなたはもしや無二法寺の尼には御座(おわ)さずや。御覧の如く我が店は獣(けだもの)の煮売りをするのみで精進物(しょうじんもの)は候わず」と云うのを妙達は聞きながら、
「否(いな)、私(わらわ)は遠方より遥々(はるばる)と来る者。行脚の尼で無二法寺には縁(ゆかり)無し。いとおこがましく思われんが、頭こそかく丸めたれども、五戒を保つ事は要せぬ。なお半俗(はんぞく)の身であれば肉食(にくじき)はもちろんなり。猪(しし)はもとより好物なるに多少を問わず酒諸共にさぁさぁ出したまえ」と真しやかに云いくるめれば、主人は心で呆れながらも物の云い様が板東声(ばんどうごえ)で実(げ)にむくつけき尼なれば、いつわりなりとは思いも掛けず、猪の脂身一ト鍋を空(から)炒りにして出し、一トちろりの酒諸共に長椅子のほとりに置き並べるのを見て妙達は密(ひそ)かに喜び、そのまま手酌で引きかけ引きかけ、幾度となく銚子を替え、鍋をも四五度(たび)替えれば、酒は一斗五升に及び、肉は八百五六十目を少しも残さず食らい尽くして腹十分になれども、なお鍋焼きの忘れ難さに猪の肉二百目余りを竹の皮に包まして土産にせんと袂(たもと)へ押し入れ、▼主人に値を払って、寺を指してぞ帰り行く。
罪も報(むく)いも白川の岨(そわ)道伝い、ひょろひょろと踏みも定めぬ足引きのこの山風に吹かれつつ、酒の気、既に湧き上り、早や十二分に酔うたれどもことわざに云う本性違(たが)わず、心の中で思うには、
「・・・・・今日はたまたま酒を飲み過ぎ、いささか顔に出た。表門より入らんとすれば、あの番人らが悪堅くて思わぬ口論できかねん。裏門より入るこそ良けれ」と思案をしつつ、回り道して裏手の方よりよろめきながら来にけり。
しかれども無二法寺は世に聞こえた大寺なれば、裏門にもまた門番あり。その夫婦の者は番を務めて花を売り、門を守り、又、掃除の者の五六人が同宿してここにいる。既にして門番らは妙達が又、ひどく酔って帰り来るを遙かに見つつ慌(あわ)てふためき、門戸を閉じて掃除の者を早くも役所へ走らせて、監主の尼に告げにけり。
さる程に妙達は早や裏門に近づいて心ともなくあたりを見ると、門のほとりに建てられた供養塔の筋向いに石の地蔵と如意輪(にょいりん)観音を安置した雨よけの厨子堂(ずしどう)あり。妙達はこれを見て、からからと笑いつつ、
「この似非(えせ)地蔵は誰を待つやら。気晴らしに歩きもせず、立ちすくみになる愚(おろ)かさに、六道(ろくどう)能化(のうげ)の名にも似ず、借りる時の地蔵顔、目を細くして笑いかけても一文も貸す銭は無し。又、如意輪も馬鹿馬鹿しや。何の苦労がある事やら、朝から晩まで頬杖(ほおづえ)付いて、豊後節(ぶんごごぶし)でも語る気か、これ何ぞいの」と立ち寄って格子をはたと打ち叩く、拳(こぶし)の冴えも覚えの大力、格子はたちまち砕けたり。妙達は又、からからと笑いつつ、
「我が出家になりしより、絶えて久しく棒も使わず、力試しをする事無ければ、せめてここにてお前らに手並みを見せて目を覚まさせん。そんな怠(なま)けた事では無し、一番見るか」と誇り顔に折った格子の格を抜き、「やっ、とうとう」と掛け声高く、力に任して打つ程に▼格子は砕け羽目板(はめいた)離れて簀立(すだち)の如くになりにける。柱に右手を押し掛けて押せばゆらゆら揺らめいて、楔(くさび)は緩み抜き折れて将棋倒しにばたばたと倒れる柱諸共に石の地蔵も転びけり。
裏門にいる男どもは門番所の戸の間よりこの有様を見て大いに驚き、再び人を走らせて、この事を注進(ちゅうしん)すれば、監主の尼たち驚き呆れて、裏門に人を増やして「例え妙達が荒れるとも内へは入れず」と下知すれば、門番人らは心得て厳しく門を守りける。
さる程に妙達は地蔵堂を打ち破り、なおあちこちへよろめきよろめき、裏門より入らんとすると、開き戸、潜(くぐ)りも閉まっているを見て、たちまちむっとして「開けよ、開けよ」と呼び掛けつつ拳を握り、門の戸が割れるばかりに打ち叩けば、門番人らはこらえかね、内よりも又、声を荒げて、
「この似非(えせ)尼が又しても食らい酔って帰ったな。五戒を破り酒を飲み、あまつさえ門外の地蔵堂を壊し、破戒(はかい)無慙(むざん)の仏敵(ぶってき)を裏門なりとていかでか入れるべき。その事、既に隠れ無ければ、監主方の指図あり。弥勒(みろく)の世までも叶わぬ事だ。さぁさぁ足の向く方へ立ち去れ」とののしれば妙達はますますいら立ち、
「ほざいたり痩(や)せ犬めが。早く開いて通さずば、我今、門に火を掛けて、皆焼き払って内に入らん。かくても止めるか、通さぬか」と呼び張りながら拍子(ひょうし)を早めてしきりに門を叩きけり。
門番らは妙達が焼き払わんと云うに驚き、監主の尼に告げれば、諸役の尼たち驚き騒いで、
「しからば事の大事にならん。まず穏便(おんびん)に内へ入れよ。その後、思案もあるべきに」と云うと門番は元の所へ走り返って、妙達に声を掛け、
「あまりにお前が騒がしければ、只今開けて通すなり。さぁさぁ入れ」と呼びながら引き抜く閂(かんぬき)諸共に身をひらかして隠れけり。
妙達は始めより待ちわびた事なれば、今開くと云う門の戸に両手を掛けて押すと扉は左右へさっと分かれてその身は内へよろよろとのめり入りつつ四つ這いにたちまちハタと転んだが、ようやくにして身を起こし、塵(ちり)も払わずひょろひょろと、しどろもどろに己(おの)が住む学寮に帰りにければ、同宿の尼たちは驚き呆れて物言わず、皆々片隅へ寄る時に妙達は喉(のど)のあたりがげろげろと鳴ると同時に吐く反吐(へど)は前にうず高く、臭さに皆々たまり得ず、鼻をおおって呆れ果てた。
妙達は今、小間物店を開いた時に袂(たもと)より滑り落ちた一包みの猪の肉を見て「良き物あり」と手に取って、
「折角(せっかく)食うた鍋焼きを戻してしもうてひもじくなりぬ。酢の無い刺身も珍しからん、ドリャ賞味」と竹の皮開く牡丹は猪の肉、五膳箸にてむしゃむしゃと食らうを皆々見るにたえず、その座を避けんとすると妙達は腕を伸ばして一人の尼を引き捕え、
「これ程旨い物なのに一口なりとも付き合いたまえ。これ食いとうは無いかいの」と擦(なす)り付けた口の端、尼は「あわや」と口を閉じ、引き離さんと焦れども妙達はちっとも離さなず、酔った者の癖なれば、皆諸共に詫(わ)びるを聞かぬ非道の手込めに仕方なく見えた時、監主の尼の指図(さしず)に従い八九人の男共が妙達の狼藉(ろうぜき)を取り鎮めんと用意をしつつ、手に手に棒を引き下げて込み入らんとするのを妙達は見て、捕らえた尼を突き放し、迎え討たんとすれども武器を持たねば、机の脚を引き抜いてうめいて廊下に走り出て、先に進んでうち伏せうち伏せ、面(おもて)も振らず▼競いかかれば、多勢を頼みの男どもも立つ足もなく頭を破られ手足を損ね、逃げ散るのをなお逃がさじと妙達は追っ駆けた。
かかる所に住職の妙真禅尼が近くに立ち、
「妙達、又もや何をか狂う。無礼するな」と止めれば、妙達は振り上げた机の脚を投げ捨てて忙わしくひざまずき、
「上人(しょうにん)御前、察したまえ。私(わらわ)は人を打たぬのに、監主たちが遺恨(いこん)あるのか男どもを集めて絡め捕らんとするにより、止むを得ず追い出したり。理非(りひ)を正させたまえかし」と恨みがましく訴えれば大禅尼はうなずきながら、
「とにもかくにも私(わらわ)に愛でて今宵は早く休めかし。明日は正して得させん」と寄らず触らずなだめれば、妙達も酒の酔いが半(なか)ば醒めた頃なれば、上人の言葉を良き潮(しお)にして再び騒がす。その時、禅尼は二人の侍者(じしゃ)の尼に囁けば、尼達はなお恐(おそ)る恐るも妙達の手を引き助け、そのまま部屋へ伴いつつ、様々諌(いさ)めこしらえて彼女の寝所に入れれば、さすがに狂い疲れたか前後も知らず床に伏した。
されば又、首座(しゅざ)、監主、諸役の尼達十人余りがその夜、禅尼の御前に参って、
「先にも申した我々の諌(いさ)めを聞かず、世に類(たぐい)無き悪たれ者の妙達を扶持(ふち)したゆえに、一度ならず二度ならず寺を騒がせ人に傷付け、あまつさえこの霊山を猪豚(ししぶた)の肉に汚せし、前例少ない曲事(くせごと)ならずや。世上の批判も後めたし、御思案欲しけれ」と苦々しげに訴えた。
禅尼は聞いてうなずき、
「始めより密かに諭(さと)したように、あの妙達は出家に似合わず、いと猛々(たけだけ)しい女にて破戒の咎(とが)のある者なれども、前世の業因滅する時に仏果を得ん事疑い無し。しかれども大方ならぬ過ちも度重なればあのままには置き難し。とは云え、当山の大檀家の百倉長者の頼みで弟子にした者なれば、まずあの人に由を告げ、その後にともかくもせん。明日は早くに山科へ使いの尼をつかわすべし」と情けを込めて答えれば、皆々は又、今更に心もとなく思えども返す言葉も無きままにその計らいを待ちにける。
かくて妙真禅尼は次の日、朝勤めも果てた後、自ら書状をしたためて侍者の尼に持たせつつ、なお口上を云い含め、山科へつかわしたまえば、使いの尼は百倉長者の自宅へおもむき、主人の長者に対面し口上を述べ書状を渡せば、百倉はひどく驚きながら禅尼の状を開き見ると、妙達のした事のそのあらましを書き連ねて「かかれば彼女を我が寺に留め置く事は叶い難し、我らが良きに計らうか、それともそなたが引き取りたまうや。答えを聞かまほしけれ」といとねんごろに聞きたまうに、長者はしきりに嘆息し、かつ大禅尼の情けを喜び、
「妙達の事はともかくも御心(みこころ)任せに計られたまえ。自業自得に候(そうら)えば、恨み申す事にはあらず。又、破損した地蔵堂はそれがしが修復せん。なおこの上の大慈大悲を願いたてまつり候」と詳しく返事をしたためて使いの尼には一ト包みの布施物を贈りつつ、その取り成しを頼みける。
優之介親子もこれらの事を聞き、心苦しく思えども、又、今更に仕方も無かりけり。さる程に使いの侍者は無二法寺へ帰り、住職の妙真大禅尼に百倉長者の返簡を披露し、且つその口上を伝えれば、禅尼は「さこそ」とうなずいて、その明けの朝、妙達をほとり近く招き寄せ、
「そなたはしばしば寺の法度(はっと)を犯し、酒を飲み肉を食べ、人と仏堂を打ち損なって、この霊場を騒がせたは俗人だもせざるところ。これ尼法師の所業ならんや。我がいか程に▼思うとも今更、寺には置き難し。鎌倉の松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の住職の真如大禅尼は我が法門の妹弟子なり。よって、そなたをあの寺へ頼みつかわさんと思うなり。さぁさぁ用意せよ」と路銀の銀子三百匁(もんめ)に着物と頭陀(ずだ)袋、脚絆(きゃはん)、笠まで取り添え、「餞(はなむけ)ぞ」とたまわれば、妙達は大方ならぬ禅尼の慈悲に謝辞を申した。去る時に禅尼は「しばし」と妙達を呼び止めて、
「そなたは今はかくもあれども、遂には仏果を得るべき。終わりを思って修行せよ。その行く末を示さんと「思い見よ 緑の林 山水(やまみず)の 富も仇(あだ)なり 江にぞ止(とど)まる」と三遍吟じ返しつつ、心に留めてこの歌を忘れなそ」と示したまえば、妙達はこれをよく覚えて、禅尼に別れを告げ申し、又、尼達に暇乞(いとまご)いして旅装いを整えつつ、その日無二法寺を立ち去ったが、麓の町屋に逗留(とうりゅう)して、あつらえた鉄の杖(つえ)と戒刀が出来るのを待ち、五七日を経て成就すれば、その杖を突き戒刀を身に付けて、近江より信濃路や木曽山づたい遙々と鎌倉指して急ぎける。
かかりし程に百倉長者は日ならず無二法寺へ参詣して、禅尼の情けを喜び伝え、地蔵堂の破損を修復し、その日傷を付けられた男どもには療治代を贈りなどして、残る方なく手当てをすれば、皆その功徳(くどく)を感じた。
○さる程に花殻の妙達は夜に宿り日に歩み、信濃の妻籠(つまごみ)まで来た時にはその日も西に傾いた。いかでか宿を求めんと、道より少し引き込んだ大きな屋敷の門のほとりにたたずみ、
「修行者に今宵の宿を報謝あれ」と高やかに声かければ、内より下男とおぼしき者が一人出て「この乞食尼、何をか云う。今宵はこちに騒動あり。報謝宿する暇は無し。通るなら早く行け。そこらあたりにまご付きいれば、側杖(そばづえ)に打たれて後悔せん。さぁ行かずや」とののしれば、妙達はたちまち怒りを起こして、
「この痴れ者(しれもの)が何を云う。宿を貸さずば借りずもあらんを我に何の咎(とが)あって打ち叩かれる目にあうべきか。その訳聞かん」とねじ込んで互いの争い果てしなく、物騒がしく聞こえれば、主人と見えて一人の老女、齢(よわい)六十余りなるがしとやかに立ち出て、男共をしかり、▼妙達に向かって、
「尼御前、さのみ腹立てたまうな。今宵は実に私(わらわ)が宿に心苦しき客人あり。されども出家の事なれば、ともかくもしてとどめはべらん。まずまずこなたへ入りたまえ」とねんごろに云いなだめ、母屋に伴い草鞋(わらじ)を脱がせ、夜食をすすめてもてなした。
その時妙達は主人に向かって、
「私(わらわ)がつらつらあなたを見ると、胸に苦労があるやらん。顔色も常ならず、心苦しき客人あれと云われたはいかなる故(ゆえ)か知らせたまえ」と問われて老女は涙ぐみ、
「云うても益無き事ながら、今更何をか隠しはべらん。我が家は代々村長で氏は樹邨(このむら)。私(わらわ)は大刀自(おおとじ)と呼ばれたり。しかるに只一人の家督の倅(せがれ)は世を早くして、嫁も程なく亡くなった。後に残るは一人の孫で、花松と呼ばれる者。その頃、幼ければ親類に村役をしばらく預けれども、所持の田地も少なからずば、ともかくもして月日を送るに、今年は孫の花松も十六才になりはべり。我が孫なりとて誉めるにあらねども、田舎に稀な器量良し、女めいたる若衆(わかしゅ)なり。
しかるに近き頃よりこの里に遠からぬ安計呂(あけろ)の山に籠もって、多くの手下を集めた悪たれ女が二人あり。その一人は億乾通(おけんつう)お犬と呼ばれ、男勝りの荒くれ者で間無く時無くあちこちの里人を脅かし、兵糧を催促し、或るいは又、旅人を脅かして顔良き女子を奪い取り、売り代(しろ)なすとも聞こえたり。かくてその億乾通はいつしか我が孫花松に恋慕(れんぼ)して、「我がこの家の嫁となって花松の後ろ見をせん。今宵はしかも吉日なり、日暮れに輿入れをすべし。婚礼の用意して待ちたまえ」と云う。心苦しき客人ありと、先に云いしは此の事なり。察したまえ」と云いかけてこぼれる涙をぬぐいけり。
<翻刻、校訂、現代訳:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
傾城水滸伝 第貳編之二
曲亭馬琴著 歌川国安画
その時、大刀自は涙を止めて、
「只今、告げた訳なれば、窮屈なりとも柴小屋で夜を明かしたまえ。あの人々が来る時に、音たてて怪しまれ、辛(から)き目に逢いたまうな」と云うと妙達はうなずいて、
「そは気の毒なる事ならん。しかしながらその悪たれめは山賊で元より非道(ひどう)の奴どもなれば、何故に公(おおやけ)へ訴えて絡め捕らせて、国の災いを払わぬ。里には人が無い事か。心得がたし」と問えば大刀自が答えて、
「然(さ)ればとよ、彼女らは女子ながらも武芸力量、男に勝って大方ならぬ曲者(くせもの)なれば、あちこちの野伏、山賊がその手下に付いて、姉御、姉御と尊敬し、安計呂(あけろ)の山に砦(とりで)を構え、国司(こくし)、郡司(ぐんじ)を物とも思わず、云わんや我がこの痩(や)せ村人の竈(かまど)の限り尽くすとも彼女らにかなうべくもはべらず。さればとて公へ訴え申さん事なども国府へ遠き田舎の悲しさ。その往来の日数を嫌って申し出ると云う者無し。いとはばかりある事ながら都では本院様(後鳥羽の院)が白拍子の亀菊殿とやらを御寵愛して政治(まつりごと)よろしからず。又鎌倉では頼家卿が色と酒とに溺れて、民の嘆きを見返りたまわず、非道の振る舞いまします故(ゆえ)にや、あちこちに山賊起って民百姓の憂(うれ)いをなせり。決して、声高には彼らの噂もしたまうな」と恨みがましく囁(ささや)くのを妙達は聞いて頭を傾け、
「云われる趣(おもむき)は道理なり。しからば私(わらわ)が手段を巡らし、お犬とやらを説き諭(さと)し、その婚姻を止めさせるべし」と云うを大刀自は聞きながら、
「そは喜ばしき筋ながら仏も法もわきまえぬ悪たれ人の事なるに、なまじいに仕損(しそん)じれば、毛を吹いて疵を求めん。それは危なし」と止めれば、妙達は笑って、
「その儀は気遣いしたまうな。私(わらわ)は因果の理を説いて、いかなる猛(たけ)き男女なりとも改心させるのが甚(はなは)だもって得意なり。▼かかれば今宵、その悪たれ女が来る時に斯様(かよう)斯様に云いこしらえて松殿を隠し置き、思いのままに酒を飲まして寝屋へ伴いたまえ。さて寝室には明かりを消して、私(わらわ)はそこにて待っておらん。億乾通めはかくとも知らず、床入りをするに及んで、方便の説法を説きかけて、遂には思い切らせれば、これ災いを払うなり。この儀はいかが」と説き諭せば大刀自は大きに喜んで、
「宣(のたま)う如くなるならば、我が身一家の幸いなり。尼御前、酒を飲みたまうや」と問うを妙達聞きながら、
「酒は飯より好物なり。私(わらわ)が一杯を飲む時は一杯の知恵が胸より湧き出でて、又二杯を飲む時は二杯分に舌よく回る。まして十杯二十杯、飲めば飲むほど富楼那(ふるな)の弁舌、立て板の豆も及ばず、御馳走ならば用意あれ」と云うと大刀自は微笑んで、下女らを呼んで、「お比丘尼にさぁさぁ酒を参(まい)らせよ」と云うと皆々心得て、日頃用意の酒肴(さけさかな)、焼き干(ぼ)の鮎に泥鰌汁(どじょうじる)、生臭物も取り添えて、出すを遅しと妙達は大盃にて引き受け引き受け、頭も残さぬ焼き鮒(ぶな)に一口茄子の辛子漬け、精進物より泥鰌汁、「これは美味じゃ」とぐい飲みの尼に似合わぬ贋者(にせもの)尼に大刀自は只呆れながらも云われた事の頼もしさに花松を呼び寄せて妙達に合わせ、孫諸共にもてなした。
かくて早や、その夜も既に五つの頃、安計呂の山の方より灯し連れた提灯(ちょうちん)、松明(たいまつ)を星の如くにきらめかし、こちらを指して来る者あり。大刀自は縁側から早くもこれをとくと見て、「あれは必ずお犬ならん」と云うと妙達はうなずいて、まず杯盤(はいばん)を片付けさせ、事よく示し合わせつつ、鉄の杖を引き下げて、その身は一人悠々と花松の寝室に入り、腰衣(こしぎぬ)を脱ぎ、屏風(びょうぶ)に掛け、裳裾(もすそ)を壺折り、腕まくりして絹布(けんぷ)の布団の真ん中へ仰向けに寝る大の字なり。待てば待つ夜の長枕、さすがに夢も結ばれぬ、楽屋を隠す真の闇、黒闇(こくあん)天女の影向(えいごう)をさこそとほくそ笑んだ。
さる程にまだ宵ながら空の色、安計呂の山の億乾通お犬は今宵と定めた我が恋婿(こいむこ)へ押しかけ嫁入りになおも威勢を示す為に緋縅(ひおどし)の腹巻の上には綾(あや)の打掛装束、すべらかした黒髪の毛筋乱さぬ立烏帽子(えぼし)、黄金造りの太刀横たえて月毛(つきげ)の駒に乗った。左右に従う腰元の悪たれ女三人、その余の悪者二三十人、皆後先を囲み、騒がせて樹邨(このむら)の門先狭しと練り寄せれば、大刀自は五七人の老僕(おとな)、野良男を従えて玄関前まで出迎えて、
「今宵はことさらお日柄も良く、いとありがたき御来臨。恐悦至極」と主従が大地に頭を付ければ、億乾通は馬より下りて大刀自を助け起こし、
「刀自よ、何で慇懃(いんぎん)なる。私(わらわ)は孫の嫁なるに▼さのみ心を置きたまうな。イザ、案内」と急がして、引かれて書院の座に着けば、大刀自ら主従は予ねて用意の酒肴(さけさかな)を所狭きまで置き並べ、盃(さかずき)をすすめると、家の老僕(おとな)は次の間で従い来た悪者らに酒をすすめてもてなすに、皆々あくまで飲み食らいして、しきりに興(きょう)に入りにける。
しかれども億乾通(おけんつう)は肝心の恋婿の花松が未だ見えねば、心にこれを怪しんで、大刀自に向かい、
「我が恋人はいかにしつる。縁(えにし)を結ぶ今宵の座敷に影も見せぬは心得難し」と云われて大刀自は胸を静めて、
「然(さ)ればとよ、その事にてはべるかし。早や十六になれども世間知らずのおぼこ者。恥ずかしいとて宵の間より寝屋籠もりして呼べども出ず。あなた自ら彼処(かしこ)に入り、慰めたまえば打ち解けはべらん。無礼は許したまえかし」と真(まこと)しやかに答えるをお犬は聞いて笑いつつ、
「さても、さても、今時の男子にしては珍しい。もちろん我は二十八歳、年は半分違えども男妾(おとこめかけ)にするでなし、わしを大事にしたが良い。山から通い、夜に泊まって日に遊び、竈の下まで世話したら世界に怖い物は無し。そうこう云う内、夜も更(ふ)けん。しからばすぐに色直し、寝屋でゆるりと遊びましょう。案内頼む」と床急ぎ。大刀自は笑いこらえて、いざと先に立つ、心奥の間今更に危ぶむ胸の廻り縁(えん)、「こなたにこそ」と伴って杉戸を開いて立ち代わり、
「あの屏風の内で花松は待っており。ゆるゆる語らいたまえ」と杉戸を引けば、億乾通は手探りしながら屏風を探し、
「さても岩戸籠りの常闇(とこやみ)じゃ。ケチと云うにも程がある。今宵ぐらいは行灯(あんどん)一つ倹約せずとも」と独り言して、忙がわしく帯解き捨てて着込みの腹巻さっと脱ぎ、そっと置きつつ寝巻き一つで平絎(ひらぐけ)帯を前で結んで、いやらしき身振りも見えぬお先は真っ暗、屏風を上げてしとしととぴったり寄り添う布団の上、▼
「これ、こちの人、来たわいの。犬じゃ犬じゃ」と妙達が手を引き寄せて、そろそろと腹のあたりを撫で回せば、こそぐったいと云えばえに妙達は岩より硬い拳(こぶし)を振り上げ、お犬の小鬢(こびん)をはたと打つ、音もろともにのけ反って「あなや」と叫ぶ間もなく、妙達はがばっと身を起こし、お犬をつかんで膝に敷き、
「淫乱女め、思い知ったか。鳥無き里の蝙蝠(こうもり)とて、汝ら如き牝犬ども、ここらあたりに威を振るい、人の息子をなぐさみ者にせんと企(たく)らんだ押し掛け嫁入り。今ぞあの世へ里開き。観念せよ」と攻めつけ攻めつけ、再び拳を振り上げて続け様に打ちこらせば、お犬は息も絶え絶えに
「ヤレ人殺し。者共、救え救え」と叫べば、手下は聞いて、事こそあれと蝋燭(ろうそく)抜き取り、群立(むらた)ち騒いで混み入った。
妙達はそれを見て、お犬の襟髪(えりがみ)引き起こし、遙かに投げ捨て、側に置いた鉄の杖を手に取り早く打ち振り打ち振り、微塵(みじん)になさんと競ってかかれば、この勢いに悪者どもは驚き恐れて、立つ足も無く庭口指して逃げ出るを何処(いずこ)までもと追っかけた。
その間に億乾通お犬は背戸より逃げ出たが、身のうち痛み、走ることもできず、見れば我が乗って来た馬が井戸端の柳の木に繋いであり、これ幸いと乗り、柳の枝を鞭にして、打てどあふれど、ちっとも走らず、一つ所で躍(おど)っていれば、お犬はしきりにいら立って、
「この畜生までもがあなどって馬鹿にするか」とののしりながらよくよく見れば、繋(つな)いだままでまだ綱解かず、「抜かった、許せ」とあわただしく端綱(はづな)を切れば駆けいだす、月毛の駒も夜の道、恥の皮籠(かわご)の蓋(ふた)ならず、安計呂と云うは己(おの)が住む、山を指してぞ逃げて行く。
○さる程に妙達は逃げるお犬を追い捨てて、元の所へ立ち戻れば、大刀自は孫の花松と共に門辺(かどべ)に立って待っており。今、妙達が帰るのを見て、そのまま座敷へ伴いつつ、つれづれと顔を見て、
「先にあなたは方便で億乾通に納得させ、この婚姻を止めさせんと云われた故(ゆえ)に任せたに、そうはせず彼女を打ち懲(こ)らし、追い散らされては、彼女は必ず恨み持って再び押し寄せ来る事あらん。さる時は我が家は皆殺しにせられん。益無き業(わざ)をしたまう」と涙ぐみつつ恨めば、妙達はにっこと微笑んで、
「思い過(す)ごしたまうな。今、奴(やつ)らが何百人で寄せ来るとも片っ端からうち殺し、災いの根を払って得させん。疑わしくばこの杖をまず取り上げて見よ」と差し出す杖を皆々初めて見て、鉄を延べた握り太ないかめしい造りは貫目(かんめ)もさこそと思われて、試みに男三人で持ち上げんとするが動かす事も叶わねば、大刀自、花松、その座の者どもは皆舌を捲き、眼を見張って「実(げ)にこの尼は凡人ならず、女天狗か荒神か」と思わざる者はなかりけり。
○されば又、お犬らは命からがら逃げ帰り、
「姉御、仇(かたき)を取ってたべ。あら口惜(くちお)しや」と叫べば、この砦(とりで)の大将のもう一人の▼悪たれ女が驚きながら走り出て、事の訳を尋ねれば、お犬は今宵、樹邨(このむら)の自宅へおもむいた始めより、思わず寝室の中で力強き尼に打ち懲(こ)らされた事を斯様(かよう)斯様と告げ知らせれば、その賊婦は大いに怒って、
「その尼こそ、憎き痴(し)れ者。それでは我が押し寄せて、恨みを返さん。者ども続け」と云うままに、ひしひしと身を固め、大薙刀(おおなぎなた)を脇挟み、馬にひらりと乗れば、従う悪者百人余り。早や鐘、太鼓を鳴らしつつ、妻籠(つまごみ)指して押し寄せれば、億乾通も引き続き、多くの手の者引き連れ引き連れ、共に馬を速めた。
○その頃、妙達は小座敷で酒を飲んでいたが、その夜が明ける頃に安計呂の山の方から、貝、鐘(かね)、太鼓を騒がしく鳴らして寄せ来るのが聞こえれば、
「これ必ず賊婦らが昨夜の恨みを返さんと、多勢を催し来たならん」と云うと大刀自、花松らは驚き恐れて物をも覚えず、いかにせんと立ち騒ぐのを妙達は押し静め、「いささかも気使いたまうな」と云って鉄の杖を引き下げて、悠々然と歩み出て、冠木門(かぶきもん)を押し開かせて門より外に只一人、寄せ来る敵を待つと真っ先に馬を進めた賊婦は妙達を見るより怒りの声を振り立て、
「汝は何処(いずこ)の馬の骨だ。熊野比丘尼の失策(しくじり)か、伊勢比丘尼の年明(ねんあ)きか。昨夜はよくも我が妹を木魚の様に叩いたな。我はその恨みを返す為に自らここに向ったり。覚悟をせよ」とののしった声もろともに大薙刀を水車の如くにひらめかし、駆けんとするを妙達は「猪口才(ちょこざい)すな」と鉄の杖持ち、丁と受け、二打ち三打ちと戦う程にその賊婦は声を掛け、「あなたはもしや、花殻のお達殿にはあらざるか」と問われて妙達はいぶかりながら「いかにも我こそ、お達なれ」と云うと賊婦は慌(あわ)てふためき、馬よりひらりと飛び降りて小膝を付いて頭を下げ、
「一別以来、恙(つつが)も無きや。早くも人寄せの友代を見忘れたか」と云うと真(まこと)に友代なり。
「そなたは又、いかにして、ここにおるぞ」と問い返せば、友代は答えて、
「然(さ)ればとよ。甲斐にてあなたが貝那を殺して逃げた時、私(わらわ)もその前日に青善の二階で共に酒を飲みしにより、同類ならんと疑いかかって絡め捕られんとの噂が聞こえれば、あの地を逃げ出てあちこちとさまよいつつ、ここを過ぎる折、安計呂の山のほとりで億乾通に出くわして遂に刃(やいば)を交えたが、お犬は私(わらわ)に勝つことできず、これにより私を山の砦に留めて、第一の座を譲り、その身は第二の大将と成った。さてもその億乾通お犬は先に滅びた奥の泰衡(やすひら)の家臣の娘なり。女子に似合わぬ剛の者、鎌倉殿(頼朝)を恨むあまりに、その残党をまねき集めて安計呂の山に籠もりしなり」と云う間に、億乾通も馬を早めて来たのを友代は素早く見返り、走り行き囁いて、お犬に妙達を引き会わせ、
「我が妹よ。この方は日頃しばしば物語りした一拳(ひとこぶし)でなまよみ屋の貝那を殺したお達殿にて御座(おわ)するぞ」と云うとお犬は驚いて、
「我々、眼(まなこ)ありながら、世に又、たぐい多からぬ勇婦の花殻殿とは知らざりし。無礼を許したまえかし」と詫びつつ大地に身を投げ伏して、しばし頭をもたげねば、妙達は忙わしく助け起こして、友代諸共、そのまま書院に伴って、▼大刀自、花松をまねき寄せ、
「人々さのみ恐れたまうな。彼女らとて鬼女にもあらず。皆、我が妹なりけるぞ」と云うと大刀自、花松らはさてはこの旅尼は元より山賊の仲間なるかと驚き恐れて、又、酒肴を按配(あんばい)しつつ、三人の勇婦をもてなした。
その時、妙達は百倉長者の情けによって罪を逃れる為に、無二法寺で剃髪した事、その後しばしば酒に酔い、寺の法度を犯した故(ゆえ)に住職の妙真禅尼の指図に従い、この度、鎌倉の松岳山龍女寺へおもむく事を友代らに告げ、又、億乾通に向かい、
「お犬よ、我が云う事を聞け。この老女大刀自はその子と嫁に先立たれ、只一人の孫花松を家督にし後ろ見する者なるに、人柄もふさわしからず、又、その年も釣合わぬお前が嫁になるやら男妾(おとこめかけ)に致すのと、無理矢理の縁結びは沙汰(さた)の限りといいつべし。何事も我にめでてこの恋は思い切りたまえ」と云われてお犬は恥入り悔やんで、
「仕方なき我が身の誤り。この婚姻は思い切ったり。もし重ねてこの少年に心を残す事あれば、雷に打たれて死なん。皆の衆、案じたまうな」と矢を折り、誓いを成せば、大刀自も花松も大方ならぬ妙達の取り計らいを感じ、且つ安堵(あんど)して、「・・・・・今更に疑った事の愚かさよ」と心の内で恥らって、又、改めて盃(さかずき)をすすめ、益々もてなしけり。
かくて友代、お犬らは妙達を伴って安計呂の砦に帰りつつ、これより日毎に酒宴を催して様々にもてなすと、妙達は酔い伏してすやすやと眠りけり。
その時、友代はお犬に向かって、
「思い掛け無き客を得て、費用も大方(おおかた)ならず。又、出でて行く時に餞別(せんべつ)もせずばなるまじ。これらの損を何ぞで埋める仕方はないか」と云うとお犬はうなずき、
「我もしかぞと思うなる。この頃は間が悪く、ずっしりとした獲物も無し。良い鳥でもかからんものか」と恨みがましくささやく折から遠見の雑兵が走り来て、
「只今、旅人七八人が米と酒とを多くの馬に負わして麓を過ぎるなり。よって注進つかまつる」と息継ぎながら告げると友代、お犬は喜んで、
「願うところの幸いなり。イデ分捕らん。者ども続け」と云うより早く身を固め、ひとしく馬を乗り出せば、その手に従う悪者どもは数を尽くして遅れじと麓を指して急いだ。
妙達は始めより空眠(そらねむ)りして友代らが云う事を聞き、今又、出て行くのを見て、心の内に思う、
「・・・・友代めは勘定高くて我の馳走(ちそう)に物がいると泣き言を云う▼面(つら)の憎さよ。彼女のみならず億乾通めも亡き主の仇(あだ)を報わん為に義兵を上げると口では云えども、かくまで汚れた行いをするは見下げ果てたる奴どもなり。かかればここにいつまでもいるべきにあらず。鼻を明かせてやらん」と独り言して身を起こし、あの鉄の杖を持ち、所狭しと置き並べた珠(たま)の盃、瑠璃(るり)の鉢、水晶の盆にぎやまんの銚子、注鍋(さしなべ)、青貝の卓袱台(しっぽくだい)まで、一つも漏らさず微塵に砕き、からからと笑いつつ、忙わしく身拵(みごしら)えして表の方に立ち、再び心に思う、
「・・・・今、本道(ほんみち)より麓に下れば、必ず友代、お犬が帰り来るのに行き会って引き止められれば面倒ならん。小道でもと見下ろすと、北の裏手にひどく傾いた所あり。これ幸い」と心でうなずき、風呂敷包みを笠もろともに鉄の杖に結び付け、麓の方へ投げ落とし、その身もやがて三輪組む、膝に両手を組み合わせ、傾斜に従い滑り落ちると所々に柴生い茂り、砂混じりの崖道(がけみち)なれども、いささか傷を負う事なく、幾千丈の麓路へたちまち滑り着き、先に落とした杖を突き立てて風呂敷包みを背負いつつ、東を指して急いだ。
さる程に人寄せの友代、億乾通お犬らは多くの手下を従えて、旅人らをさえぎり止めて、皆逃さじと討ってかかれば、その者どもは驚き騒いで、いかにせんとて逃げ迷う。その中の一人の男が笠かなぐって声高く、
「これは妻籠(つまごみ)の里長の樹邨(このむら)花松の名代にして国司へまいる貢物(みつぎもの)なり。安計呂の砦の人々が早くも先の誓いを破り、乱暴したまう事か。これ見たまえ」と小荷駄(こにだ)に指した小幟(このぼり)を打ち振り見せると、友代、お犬は思うに違って、
「さては樹邨が国府へ贈る貢物にてありけるか。なお妙達も砦におるに今更これを乱暴すれば、誓いを破るそしりを得ん。皆、引け引け」と手勢を止めて、そのまま山路へ引き返せば、その者どもは喜んで再び生きた心地してしきりに馬を追い立てて跳ぶが如くに馳せ去った。
その後、友代、お犬らが山の砦に帰って見れば、妙達はおらず、盃、盤、皿、鉢一つも残らず、全て微塵に砕けたり。「こはそもいかに」と呆れ果て、妙達を探すが出て行ってその影もなく、裏手の方に出て見るとここより麓へ転び落ちたか草は左右へ伸べ伏したり。
「かかる険阻(けんそ)の岨道(そはみち)をたやすく麓へ下りるは凡人技にはあらず。しかるを今更追っかけて引き戻さんとするのはやぶ蛇なり。由無き奴を留め置き、損した上に又、損をする腹立しさよ」とつぶやくのみで、又、仕方は無かりけり。友代、お犬の事はしばらくこの下に物語り無し。
○されば又、妙達はしきりに道を急ぎ、安計呂の砦を出てから四日目の真昼頃に信濃の長窪(ながくぼ)の笹取山(ささとりやま)のほとりまで来た。
思いの他に飢え疲れ、走り難く思えば、食事を乞わんと思えどもこの辺には人里無し。と見れば山懐(やまふところ)の森の中に荒れ果てた古寺あり。山門より進み入り、本堂に行って見ると柱は傾き軒(のき)朽(く)ちて、本尊の大仏は後光(ごこう)崩れて、蜘蛛の巣にまとわれ、格天井(ごうてんじょう)の天人は彩色はげて餓鬼の如く、踏めば落ち入る床の上には狐(きつね)狢(むじな)の足跡のみが斑(まだら)に見えて人気(ひとけ)無し。
もしやと思って庫裡(くり)の方に風呂敷包みと笠を置き、立つ時に仰ぎ見ると錫杖寺(しゃくじょうじ)と云う金字の額あり。されども無学なれば心をも得ず、本堂の後ろの方におもむけば、いとささやかな小屋の内に痩せさらばいた尼が三人、木の葉を集め、火を吹いて、麦の粥(かゆ)を焚いていた。妙達は進み寄り、
「我は▼近江より鎌倉へ行く行脚(あんぎゃ)の尼なり。折から飢えて疲れ果てた。願わくばその粥を振る舞ってたまわれかし」と云うのを尼らは聞きながら、
「お前に振る舞う粥あれば、我々どもがかくまで飢えも疲れもせぬ。今日、三日目にてようやくにちとの麦を勧化(かんげ)して、命の蔓(つる)と思うておるに由も無き事をのたまうな」と否(いな)むに妙達は心を得ず、
「この寺はしかるべき伽藍に見えながら、何故に大破に及んだか。住職は無きや」と尋ねれば尼らは答えて、
「然(さ)ればとよ。元この寺は延命山(えんめいさん)錫杖寺(しゃくじょうじ)と呼ばれた七堂伽藍(がらん)の尼寺なりしが、治承(1177年)・元暦(1184年)の兵乱で近郷の施主(せしゅ)、檀家がことごとく離散して、あまつさえ住職もはかなく遷化(せんげ)し、しばらく無住で在りし頃、鈴懸(すずかけ)の岩莫(がんまく)と云う女山伏が蛇柳(じゃやなぎ)と云う弟子を連れて同宿となりしより、彼女らはあくまで力強く、武芸も優れし者どもなれば、遂には無理矢理に住職となって仏具諸道具を売り払い、只酒を飲み、男を引き入れ遊興(ゆうきょう)し、始めより居付いた尼たちには一椀の飯も食わせざるにより、幾十人の尼たちは行方知れずになった。
されども我々は年老いて病いあれば、行き先のおぼつか無さに仕方無く残って、三日に一食で命をわずかにつなぐのみ。疑わしくば庭の奥に行って見たまえ」と云うと妙達は「さこそ」と答えて、哀れみ、且つ怒り、そのまま踵(きびす)を巡らして、なお奥深くへおもむけば、座敷とおぼしき所に花筵(はなむしろ)を敷き渡し、一人の女山伏とうるわしき若衆(わかしゅ)が居た。
かくて又、その弟子の女山伏とおぼしき者が只今余所(よそ)より買いもて来たか、左右の手には酒徳利と一重箱の肴(さかな)をたずさえ、これを長椅子のほとりに置いた。
妙達はこの者どもこそ、その岩莫と蛇柳ならんと思えば、つかつかと近づいて、
「この女金剛(こんごう)どもが。人の寺を奪い盗り、あくまで穢(けが)れた身の持ち様は何事ぞ。我は行脚(あんぎゃ)の尼なれどもこの本堂の裏におる尼らの物語りにて、早や汝らの悪事を知りぬ。逃れぬ所と覚悟して、我がこの杖(つえ)を受けよ」と声をいらだてののしれば、その曲者(くせもの)らは驚いて、
「尼御前、無礼したまうな。元この寺の尼どもが住職無きを幸いに良からぬ業(わざ)をするにより、かくの如くに大破したを我がようやくとり止めて再興を図るなり。又、この若衆は檀家の息子で、たまたま参詣されたので心ばかりのもてなしせんと、いささか用意をする折なり。死に損(ぞこ)ないの尼たちの空言(そらごと)を真(まこと)として事を過(あやま)ちたまうな」と、まことしやかにあざむくと、妙達は「実(げ)にも」と思い返して元の所へ立ち戻れば、尼らは既に麦粥を食べ終った所なり。その時、妙達は眼(まなこ)を怒らし、
「この似非(えせ)尼らが。自分の悪事を人に塗り付け、上手く我を欺(あざむ)いたな。今彼処にて岩莫らに事情を問うと、斯様(かよう)斯様と答えたり。かくても云う事、なおあるか」と息巻けば尼たちは呆れ果て、
「あなたこそ、あの者どもに欺(あざむ)かれたなれ。その若衆は鎌倉の田楽(でんがく)の色子の果てで、岩莫の男妾(おとこめかけ)なり。彼女らがあなたを欺き、一旦その場を帰したのは手に武器を持たぬ故(ゆえ)なり。再び彼処へ行きたまえば、いかでそのまま帰すべき。あら笑止(しょうし)や」とつぶやくと妙達はようやく悟って、腹立たしさに答えもできず、又、奥庭へ馳せ行くと早や枝折戸(しおりど)は差し固められたり。
妙達いよいよ苛立(いらだ)って、鉄の杖で只一突きにぐわらりずんと突き破り、「盗人(ぬすびと)ども」と呼びかけ呼びかけ、まっしぐらに進み入るを待ち受けた岩莫、蛇柳は段平(だんびら)物を抜きそばめ、
「乞食尼が又来たな。先には武器が無かりし故(ゆえ)にわざと透(す)かして出してやりしに、再び来るは夏の虫、命も既に根腐ったり。覚悟をせよ」とののしって左右等しく討ってかかるを「物々しや」と妙達は右に払い左に防ぎ、発止(はっし)発止と戦ったが、この時ひどく飢え疲れ、かなうべくもなければ、隙間をうかがい一足出して、表の方へ逃げ走れば、なお逃さじと岩莫、蛇柳は山門の並木を越えて、三四町と追いかけたが遂に追いつかねば、それより先へは追わざりけり。
さる程に妙達は寺を去る事五六町、日の目知らずと呼ばれた林の内に逃げ入った。ここは幾百もの赤松が隙間なく生い茂り、枝を交え葉を重ね、絶えて日の目を漏らさねば、昼と云えどもいと暗く、黒目(あやめ)を分かぬばかりなり。
その時、妙達は息を付き、汗を拭って▼一人つらつら思う、
「・・・・我、あの女山伏らに負けるにあらねども、かく飢え疲れれば、力衰え気力弱って心ならずも敗れたり。されども庫裏(くり)に置いた笠と風呂敷包みを取り返さずば今更どこへ行くべきか。さればとて立ち帰れば又もや奴らに苦しめられん。いかにすべき」と思いかね、しばらくそこにたたずむ折から向かいの木の間よりいと白い顔を出して此方(こなた)をうかがう者あり。
妙達はそれを見て、
「あれはまさしく山賊ならん。今又、前後に敵を受けてはいよいよ事の難儀なり。まず奴(やつ)から片付けて、その上で思案をすべし」と思えばちっともためらわず、
「只今、我をうかがう盗賊め。さぁ出て勝負をせよ」と呼べば、たちまち松の木陰より旅装束もやつれた一人の女子が現れ出て、からからと笑いつつ、
「汝こそ、人をうかがう山賊であるべきに、我を疑う事はあるや。その儀ならば手並みの程を思い知らせん」とののしって刃(やいば)を打ち振り走り掛かれば、妙達はいよいよ怒り、鉄の杖を持ち直し、互いにひるまず戦う時に旅の女が声を掛け、
「汝の武芸は世の常ならず、且つ、その声も聞いた様なり。名乗れ、名乗れ」と呼び張るを妙達は耳にも掛けず、なおも進んで戦うと女子はしばしあしらって構えの外へ身を退いて、
「逸(はや)って過ちせられるな。我にはいささか見覚えあり。あなたはこれ花殻のお達殿には在らざるか。かく云うは浮潜龍衣手にてはべる」と云われて妙達は驚きながら、よくよく見れば、実(げ)に見知った衣手なり。
こはこはいかにと杖投げ捨てて進み近づき、ここを徘徊する事情を尋ねれば、衣手答えて、
「我(わらわ)はあなたと別れた後、若狭の国で綾梭(あやおさ)殿を尋ねたが、あの地にても遂に会わず、もしや鎌倉におわさずやと思うばかりを心当てに遙々(はるばる)と東(あずま)に下れども、絶えてその行方を知る事かなわず、仕方無く取って返して、この処まで来る折に、あなたに会いしは尽きせぬ縁なり。あなたは又、いかにして尼に成りたまいし」と問われて妙達は少しも隠さず、貝那(かいな)を殺した始めより、今、鎌倉へおもむく事まで、言葉せわしく説き示し、今日図らずも錫杖寺にて岩莫、蛇柳という女山伏らと戦ったが、飢え疲れにより、心ならずも後ろを見せて、ここにて息を付いた一部始終を物語れば、衣手は聞いて、
「その者共は憎むべき極悪の女なり。私(わらわ)も共に力を合わせ、討ち滅ぼして根を絶つべし。まずまず腹を繕(つくろ)いたまえ」と答えて腰に付けた破籠(わりご)を開いて与えれば、妙達はこれを食らって、衣手と諸共に又、あの寺におもむけば、岩莫も蛇柳もなお山門のほとりの石橋の欄干(らんかん)に身を寄せ掛けて休んでいた。
その時、妙達は衣手を木陰に隠し、独り進んで声を振り立て、
「我、先には飢えた故(ゆえ)に心ならずも遅れを取ったが、今度は決して許しはせず。覚悟をせよ」と呼びはれば、岩莫が見て、
「性懲(しょうこ)りも無き乞食尼。死にに来たか」とあざけって、討たんと進むを妙達は杖で発止(はっし)と受け止めて、二打ち三打ちと戦う程に、蛇柳も又、岩莫を助けて刃をうち振り、引き挟んで討とうとするのを衣手が木陰より出て、蛇柳をさえぎり止めて戦った。既に岩莫は敵に加勢があるを見て、驚き恐れて乱れる大刀筋(たちすじ)に妙達は得たりと踏み込んで、遂に刃を打ち落とし、逃げる岩莫を肩先より背骨にかけて打ち砕けば、蛇柳も驚き恐れて逃げるをやらじと衣手が打ち閃(ひらめ)かす刃の稲妻。首は遥か遠くに飛び去って骸(むくろ)は等しく倒れけり。
▼かくて妙達は衣手と諸共に岩莫、蛇柳らを滅ぼして、ひとしく寺に進み入り、庫裡に置いた風呂敷包みと笠とを取り、又、本堂の後ろの小屋のほとりに行くと、あの三人の尼らは先に妙達が敗北し、門を走り出た時に自分に災いが及ばん事を恐れたか、皆々、首吊り死んでけり。
又、岩莫の男妾の何がしかは妙達、衣手が岩莫らを遂に討ち滅ぼし、再びここに来るを見て叶わじと思いけん、井戸に飛び入り死んでけり。
かかれば今この荒れ寺に住む人は一人も無し。その時、妙達は衣手を見返って、
「この錫杖寺は地蔵菩薩の霊場なれども、かくまで大破に及んだのをこのままにして置くと又、山賊の住処とならん。只焼き払うにます事あらじ」と云うと衣手はうなずいて、二人は手早く火を付ければ、北山風の激しさに見る見る炎は燃え広がり、朽ち傾いた堂塔、伽藍(がらん)は煙となって失せにけり。
その時、妙達、衣手は山門のほとりに立ち、しばらくその煙を避けて、おのおのの行方を語らうと、衣手はともかくも綾梭(あやおさ)に巡り会わねば、今更に身の縁(よすが)も無し。戸隠山に立ち帰り、あの黒姫、女鬼、今板額らにしばしこの身を頼まんと、遂に別れを告げれば、妙達も今更に名残り惜しくは思えども、さて、あるべきにあらざれば、又、再会を契(ちぎ)りつつ、東西に別れけれり。
○されば花殻の妙達はなおも幾日かの旅寝を重ねて、鎌倉の尼寺龍女寺(りゅうにょじ)へおもむいて、接客の尼に対面し、妙真大禅尼の指図に従い、無二法寺(むにほうじ)より遙々と来た事を告げ、真如禅尼へ送られた書状を出して見せれば、接客の尼はわびし気に、
「それは気の毒なる事ぞかし。当山の住職の真如(しんにょ)禅尼は少し前に移転して、山城の国の深草の女人山(にょにんさん)成仏寺(じょうぶつじ)と云う尼寺に移られた。これは近頃の事なれば、無二法寺の大禅尼はまだ知られずして、こなたへ寄こさせたまいしならん。気の毒ながら引き返し、深草へおもむきたまえ。まだ、ここには定まった住職も無ければ、留め難し」と云うに妙達は仕方無く、たちまち望みを失って、いと腹立たしくくやしけれども、さてあるべきにあらざれば、この度は東海道を山城指して急ぐと、又、十余日かの旅寝を重ねて、深草の里、女人山成仏寺へ到着しつつ、又、しかじかと案内して紹介の状を参(まい)らせた。
その時、住職の真如(しんにょ)禅尼は妙真禅尼の書状を検見(けみ)して、
「この事いかがあるべき」と諸役の尼たちに問えば、皆々言葉を等しくして
「我々はあの妙達とやらを見るに面魂(つらだましい)は世の常ならず、一癖あるべき大比丘尼(びくに)なり。彼女を当山に留めれば、いかなる事をかしだすべき。これも又、計り難し」と云うと禅尼は案じて、
「しかりとも我が姉弟子の妙真禅尼が寄せられたのをつれ無くはし難し。我は住職ながら新参の者ぞかし。とにもかくにも、よろしく計らいたまえ」と、又、他事(たじ)も無く宣(のたま)えば監主の尼らは案じて、
「しからばあの妙達を茶園守りになされるべし。茶園は遠くかけ離れ、▼尼たちと交わらず、かつ茶園のほとりには柿、梨、桃、栗、葡萄などの果物多し。これによりややもすれば、人が盗む事も少なからねば、それの守りに付けられるにはあの尼こそ好都合ならめ」と云うと皆々うなずいて、「しかるべし」と申すと、禅尼もその儀に従って、さて妙達に対面して、鎌倉まで無駄歩きさせし長旅の疲れを慰めて、
「我が寺に今は空いた役はなし。さるにより茶園を預けるなり。園主の役義を務めよ」と仰せれば、妙達はこれを不足として、
「私(わらわ)は妙真禅尼の指図に従い、当山へ参(まい)りしは首座(しゅざ)、監主とも成るべき為なり。それをひどく下職の茶園守りにされる事は心得難くはべり」と云うと監主の尼が進み出て、
「あなたは自らを思い見よ。修行僧から長老にはなり難し。まず、よく園主を務めれば、次第次第に取り立てて首座にも監主にも成したまわん。今更否(いな)む事か」と理(ことわ)り責めて説き諭(さと)せば、妙達もようやく納得して、次の日茶園の庵室に入院(じゅいん)し、元の園主と入れ替わり、茶園を支配した。
ここに又、成仏寺の裏門前に住まいする悪戯(いたずら)者の女房、娘ら、この度妙達が茶園守りとなった事を伝え聞き、談合する様、
「我々はあの茶園の果物を取って、常に副収入にすると云えども、園主の尼は威風に恐れて叱り止める事もせざりき。しかるに今度の新役は他所(よそ)より来た尼と聞く、一あて当てて懲(こ)らさねば、付け上がる事もあらん。斯様(かよう)斯様に計らうべし」と釣額(つりひたい)のお禿(はげ)と云う悪たれ女が大勢の嚊(かか)を伴い茶園におもむき、妙達の入院の祝儀に来たといつわって、肥溜めのほとりに誘い、突き落とさんとするのを妙達が早く悟って立ち寄りながら足を跳ばして、そのお禿を肥溜めの中へはったと蹴落とした。
<翻刻、校訂、現代訳:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>