傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

[現代訳]傾城水滸伝  二編ノ三

2017-09-03 09:59:29 | 現代訳(傾城水滸伝)
傾城水滸伝 第貳編之三
曲亭馬琴戯作 歌川国安画 
丙犬の睦月 通油町鶴屋喜衛門版

 さる程に、釣額(つりひたい)のお禿(はげ)は思わず妙達に肥溜桶(こえだめおけ)へ蹴落とされ、「あっ」と叫んでうごめくあり様は手足は白く新漬けの大根の如く、頭は茶色で古漬けの茄子に似たり。黄汁(きじる)が四方へ散乱し臭さに鼻も向けられず、落とし紙が目口にへばり付き、紙を吹き付けられた仁王かと怪しまれ。汚い物が全身にまみれて、乞食の末風呂に入ったかと疑わる。仲間の悪たれ女らはこのあり様に驚き恐れて「あれよあれよ」とどよめくのみで、鼻をつまんで顔をそむけ、等しく頭を大地にすり付け、
「尼君、許したまえ。許させたまえ」と詫びると妙達は左右を見返り、からからと笑いつつ、
「この衒妻(げんさい)どもは肝太くも我をここへ誘い出し、謀ろうとした愚かさよ。なお説教する事あり。そ奴を早く洗い清めて、引き連れ来い」と云い掛けて、元の所へ退いて、座敷にむんずと押し上がり、豊かに座した。
その時、多くの悪たれ女は肥桶(こえおけ)を担ぐ竹の天秤棒を下ろして、お禿にすがりつかせ、引き上げて、池のほとりへ連れて行き、赤裸にして頭の上よりしきりに水を注ぎ掛け、ようやくに洗い落として、着物を二枚着た者の下着を脱がせてお禿に着せて、皆連れだって縁側に並んだ。妙達はつらつら見回し、
「大莫連(おおばくれん)ども、よっく聞け。おのれらは我が寺の裏門前で世を渡れば、いささかなりとも寺の為に骨を折ろうと思うべきに、▼先役の尼を侮(あなど)り、茶を盗み、木の実を盗むは是いかなる道理ぞ。我が手並みをば知らんのか。今日よりすみやかに志を改めねば、一人も残らず肥溜めへ蹴り込んで畑の肥(こ)やしにせん。さでも懲りぬか、いかにぞや」と息巻き叱れば、お禿を始め大勢の悪たれ女は頭を縮めて土下座して、
「我々、眼(まなこ)ありながら夜叉(やしゃ)も菩薩(ぼさつ)も知らずして、今更、後悔、謝りはべる。今よりの後、後ろ暗い業(わざ)などは申すも更なり、寺の事に骨を折り、御恩を返しはべらん。大慈大悲の御庵(ぎょあん)様、まっぴら許させたまえ」と異口同音に詫びれば妙達はからからと笑いつつ、なおも今後を戒(いまし)めて、許して自宅へ帰した。

その三日後に、お禿は仲間の嚊(かか)や娘らを集めて、
「この度、入院(じゅいん)された園主の妙達殿は世に多からぬ荒者なり。なれども理強くして折れるに早く我々を許された。先日のお礼を申さねばこの後とても良い事あらじ」と云うと皆々「さなり」と同意し、少しの銭を出し集め、樽肴を調えて、連れだって妙達の庵(いおり)におもむき、その品々を贈れば、妙達は喜び、残らず座敷に呼び上げて、樽を開き肴を並べ、我も飲み、人にも飲ませて心隈(くま)なく語らえば、お禿らは興(きょう)に入り、潮来節(いたこぶし)を唄う者もあり、口三味線を弾く者もあり、果ては簀(す)の子を踏み抜くまでに踊り騒いで日の暮れるまで愉しみ尽くして、皆々ひどく酔いとろけて帰っていった。

また、五七日を経た頃に妙達は心に思う、
「先日はお禿らが物多く持って来て、我を慰めれば、我も又、ちとばかりの返礼をすべけれ」と酒盛りの用意をしつつ、この事を伝えるとお禿らは喜んで、皆連れ立って来た。妙達は十二畳の客座敷へ招き入れ、盃をめぐらして、差しつ押えつすると庭に烏(からす)が屡(しば)鳴く声が賑やかに聞こえるとお禿らは爪弾(つまはじ)きをして、
「あな憎(にく)のやもめ烏よ、仇烏(あだがらす)、喜び烏来なけ我が宿(いお)」と繰り返しつつ吟ずるのを妙達は聞きながら、「汝(なん)達は歌詠みなるか。今のは何と云う事ぞ」と問われてお禿は微笑んで、
「世の諺(ことわざ)に仇烏(あだがらす)が屡鳴く時は故郷に憂いあり、争いあり。喜び烏の鳴く時は吉事ありと云い伝えられる。尼君は知りたまわずや。今、吟じたのは一首の古歌で、憂いを返して喜びを迎えると云うまじないなり」と云いつつ外を仰ぎ見て、
「あれ御覧ぜよ。あの大きな柳の木に烏が巣を掛け、その子が早や大きくなって巣立ちをする頃なれば、間無く時無く屡(しば)鳴くなり」と云うと妙達はうなずいて、
「さてもお前は物知りなり。実(げ)にあの烏が日毎に鳴くやかましさよ」とつぶやけば、お転婆のお抜(ぬけ)と呼ばれる十五六の下衆(げす)娘がしたり顔で進み出て、
「あの巣があればこそ、やかましく鳴きもすれ。私(わらわ)があそこへよじ登り、取り下ろさん」と云いつつ、やがて裳裾(もすそ)をかかげて出ようとするのを妙達は止め、
「止みね。女の木登りは開帳の気遣いあり。手暇を掛けるも面倒なり。我が今、柳を引き抜き、根絶やしをして見せん。いでいで」と云いながら上裳を脱いで大股で庭に入れば、皆諸共に座を立って見守った。すると妙達は腕まくりして、木の根元に近づいて、一ト抱えにも余る柳の幹をしっかと抱いて、力を込めて「エイ」と云う声諸共に柳は根こぎに抜かれ、跡には大きな穴が▼できた。この有り様に女どもは肝を潰し、目を見張り、
「君は真(まこと)に弁慶の姉御と云うとも怪しくあらず。この大木を一ト抜きにする力を思うと百人力でも余るべし。我々、宿世(すくせ)の幸いあって間近く住まいするのみならず、丁寧にもてなされた喜びはこれに増す事無し。願うは御手に付けられて、何にでも使いたまえ。あな凄まじい力や」と舌を巻きつつ感嘆し諸手を合わせて拝んだ。
妙達はそれを見ながら抜いた柳を二三十間ほど西へ持って行き、手砂を払って、にっこり微笑み、
「汝達、さのみ徒(あだ)褒(ぼ)めするな。かばかりの悪戯は物の数ともするに足らず。事のついでに我が棒の秘術を見せようか」と云うと皆々喜んで、
「実(げ)に尼君の力の程は今、目の当たり見た。なおこの上に隠し芸の武術さえ見られるは、願うも難(かた)き幸いなり。いざさぁさぁ」と請えば、
「そはいと易き事。しばらく待て」と云い、あの鉄の杖を取り出して、引き下げ来つつ、空き地にむしろを敷き渡させて、お禿らに見物させ、六十斤の杖を水車の如く振り回し、棒の秘術を一つも残さず使えば、只、稲妻が走るが如く、又は尾花の乱れるに似て、見るに目もくれ心とろけて、前にあるかと思うと忽然(こつぜん)として後ろにあり、一上一下ことごとく法に叶わずと云う事無ければ、お禿らは皆思わず手を打ち鳴らし、声を合わしてどっと褒めた。
その時、玉椿の生垣の外で白練(しろねり)の帽子をかぶり、金箔使いの内掛け衣を壺折った一人の婦人が先程よりたたずんで、妙達の棒の秘術を見て居たが、思わず声を発して「奇妙、奇妙」と褒めれば妙達がそれを聞き、
「今、生垣の向こうで「奇妙、奇妙」と云われたのを藤八五文(とうはちごもん)の売り声かと思ったが、由ありげな女中なり。いささかも苦しからず、こなたへ入って休らいたまえ」と云われて否(いな)みかねたその婦人は進み入り、妙達に向かい、うやうやしく小腰をかがめ、
「私(わらわ)はこれまで幾人となく槍棒(そうぼう)、撃丸(げきがん)などの達人を見たけれども、あなたの如き人は世にまれなり。思うに幼い頃からの出家にはあるべからず。願うは法名道号を名乗りたまえ。かく云う私(わらわ)は為楽院の別当で軟清(なんせい)の妻、名を桜戸(さくらど)と呼ばれる者なり。今日は夫諸共に稲荷山に詣でたが、軟清は風流の心あり詩を作り歌を詠まんと今なお社(やしろ)で憩いており。よって私(わらわ)は只一人のそぞろ歩きで思わず麓に下りてここまで来たのみ。いぶかりたまうな」と云うと妙達は驚いて、
「さては予ねて聞き及んだ、近頃まで▼女武者所の長(おさ)の虎尾桜戸(とらのおのさくらど)殿にて御座(おわ)するな。私は近頃、白川の無二法寺より転宿して園主の役を務める妙達と云う尼なり。故郷は甲斐の府中で武芸を好みはべり」と云うと桜戸はうなずいて、
「しからば、拳(こぶし)でなまよみ屋の貝那(かいな)後家を殺したと世の噂に予ねて聞く、武田殿の身内人の花殻のお達殿とはあなたの事か」と小声で問えば妙達は頭を撫で、
「それなり、それなり。今図らずも面(おもて)を合わして年来の望みが叶えり。まず杯をまいらせん」とやがて座敷に伴えば桜戸も喜んで、
「互いに名のみは知りながら対面するのは無かりしが、今図らずもここで一つ席に連なるは因縁あっての事なるべし。願うは今より義を結び、我の姉と思うべけれ」と云うと妙達は一議に及ばず、
「そは、私(わらわ)も願う事なり。されば、まず杯を」と云いつつ飲んで桜戸に差せば、又、桜戸も受けて返す互いの式礼なお喜びを尽くすと桜戸の伴人の錦二と云う小奴(こやっこ)が尋ね来て、
「奥様ここに居たまうか。只今、稲荷の鳥居先で旦那様が多くの女中に取り囲まれ、いと難儀(なんぎ)に見えれば、あなたに知らせ奉(たてまつ)らんと思うばかりにあちこちと尋ね巡って候なり。さぁさぁ一緒に行きたまえ」と告げると桜戸は驚きながら妙達に、
「聞かれたような訳なれば、今日はこのままここで別れん。私(わらわ)の自宅は都とは云え近いとこなり。必ず訪いたまえかし」と云うのを妙達は聞きながら、
「あなたの殿御(とのご)に難儀があれば、私(わらわ)も行って仇する奴らを叩き散らさん」と云い、早や立とうとするのを桜戸は止めて、
「相手は女子と聞くに、何事かはべるべき。只捨てて置きたまえ」と云いつつやがて座を立って暇乞(いとまご)いして出て行けば、錦二も主の尻に付き、稲荷山を指して走った。

そもそもこの桜戸は元為楽院の別当の剛詮法橋(ごうせんほっきょう)の娘で、その頃、為楽院は妙見菩薩の権化で代々肉食妻帯(にくじきさいたい)なり。しかるに桜戸は女子に似合わず武芸を好んで、幼い頃よりこれかれと師を選んで学べば、年十三四の頃より女武者所へ召されて、采女(うねめ)になり、武芸いよいよ上達して肩を並べる者が無ければ、未熟な采女らの指南さえも仰せ付けられ、あの亀菊の手に付いて宮中にいたが、父剛詮が身罷(みまか)って家を継ぐべき男子なければ、桜戸が身の暇をたまわって、軟清と云う弟子を婿養子にして縁組みした。その軟清は世に多からぬ美僧で心様さえ男に似ず、ことに内気者なれば、色好みなどはせず、何事も桜戸に及び難しと思うゆえに表ばかりは夫なれども心では姉の如くにうやうやしくもてなして、仇(あだ)なる心は無い者なり。しかれども桜戸は夫を侮(あなど)らず、常に敬(うやま)いかしづいて、その足らぬのを補えば、世に珍しき夫婦と云わぬ者は無かりける。

それはさて置き、亀菊は一院のますますの寵愛を受け、勢いは皇后候補に異ならず、皆わがままにして忌(い)みはばかる事も無ければ、遊山(ゆさん)、物詣でなどと出歩く事がしばしばで、この日は深草の里近い稲荷山に詣でていた。洛外忍びの物詣でで供人などは目立たぬようにしたけれども、なお多くの女乗り物、この他雑色(ぞうしき)下部など四五十人の供人あり。
これらは麓に残し置き、腹心の女房と女の童(わらわ)のみを従えて社(やしろ)へ詣でた戻り道。見れば、為楽院の軟清が鳥居のほとりに只一人、つくつくとして佇(たたず)むのを亀菊はひそかに恋慕して、「類(たぐ)いまれな美僧かな」と思えばぞっと恋風が身にしみじみと行きも得やらず、心安い女官を招いてしかじかと囁き示せば、女官は早くその意を推して、軟清のほとりに立ち寄り、
「何処の聖か知らねども、私(わらわ)の主が忍びやかに物云わん。こなたへこそ」と馴れ馴れしく、やおら手を取り連れて行こうとすれば、軟清は▼驚き、顔赤らめて、
「これは、失礼したまうな。それがしはさる者にあらず。許したまえ」と袖を払って逃げんとすれば、多くの女房が取り囲み、様々にこしらえて脅し賺(すか)せども軟清は神木の青葉の紅葉にすがり付き、従わぬのをなおも手を替え人を替え、口説くこと半刻(はんとき)ばかり。
されども軟清は従わず、許したまえと云うのみなれば五七人が前後左右に立ちかかり、訳無く手を引き背中を押して、辛くして亀菊のほとり近くへ引き寄せれば、亀菊は緋扇(ひおうぎ)で顔を覆(おお)って、なよやかに白き腕を差し伸べて軟清の手を握り、
「「時雨(しぐれ)する 稲荷の山のもみじ葉は 青かりしより 思い染めてき」と詠(よ)んだ歌もあるものを心強きも程こそあらめ。色良い返事を聞かせてたべ」と云うと軟清は頭を振り、
「高貴な方様の忍び詣でと見奉(たてまつ)るが、何故に青天白日に出家人を引きとらえるか。妄(みだ)りがましく聞こえたまうぞ。早く放して帰させたまえ」と云えども聞かず亀菊はなお引き寄せんとする時に桜戸が走り着き、見れば、夫軟清を無理矢理に引き捕らえ、ひたすら口説く手弱女(たおやめ)は見忘れもせぬ亀菊なれば、再び驚き、はばかって、すぐにはこれを止めず、うやうやしく近づいて、
「これは椋橋(くらはし)殿にて御座(おわ)せしな。何故(なにゆえ)にその者を苦しめたまうか」と云えば亀菊は気色(けしき)を変えて、
「誰と思えば為楽院の桜戸か。私(わらわ)はにわかに右手が痺れて痛むので、仕方無くこの聖に逢ったが幸いと加持を頼んでおるのをそなたが構う事にはあらず」と云うと桜戸は微笑んで、
「今だお知り召されずや。それは我が夫の軟清なり。例え加持に召されるとも、司(つかさ)々のことわり無くて参るべき事にはあらず。まいて、かかる物詣での道にて近づき奉(たてまつ)らば、人聞き悪く後難(こうなん)あらん。いざ、こちの人帰りたまえ。長居は恐れにはべらずや」と云いつつ自ら引き立てて麓の方へ急いだ。
ここに至って亀菊はその美僧が桜戸の夫だと初めて悟って驚いて、恥じ、且つ憤(いきどお)りに耐えざれは残り惜しさも一入(ひとしお)なれども、飛ぶ鳥も落ちると云う我が勢いにも仕方無いのは道ならぬ恋なるをもて争い難く、おめおめと放しやりつつ、うっとりと、しばし見送ったが、さてあるべきにあらざればその夕暮れに都へ帰った。

これより後、亀菊は軟清の事を忘れようとするにも忘れられず、しきりに悶え憧れて、宮仕えも物憂(う)さく、しばらく病にかこつけて引き籠もって居た。
ここに又、陸船(くがふね)と云う女鍼医(くすし)あり。この年頃、宮中の局(つぼね)々へ参り、勢い付いて利を計る世にたくましい女なれば、いつしか亀菊にへつらって、後には他の局へ行かず、これにより亀菊は全て内々の用向きを陸船のみに委ねた。萬(よろず)に才覚ある者で何事も良くすれば、亀菊は深く愛で喜んで、彼女の夫を尋ねると富安(とみやす)舳太夫(へたいふ)と云う浪人で東山で童の手習いの師匠としてかすかに暮らすと聞けば、亀菊は遂に取り立ててこの舳太夫を局付きの雑務役にした。この故(ゆえ)に陸船夫婦は常に亀菊のほとりを離れず、いよいよますます媚びへつらって務めた。
かかりし程に陸船は亀菊の物思いある気色(けしき)を推して、人無き折をうかがいつつ、ほとり近くに進み寄り、
「いかなる事がはべりてか。何故に私(わらわ)に隠したまう。世に為し難き事なりとても我がしおわせはべらんものを」と恨み顔して囁くと亀菊はにっこり笑って、
「さては薄(すすき)の穂にいでけん。そなたに隠すべくもあらず。我の物思いはしかじか」と稲荷山の事の一部始終を告げれば、陸船は聞きつつ小膝を進め、
「あの桜戸は女武者所に在りし時、私(わらわ)とは疎(うと)くもはべらず、今も折々療治の為に為楽院へ行くことあれば、謀(はか)る事はさほど難くもあらず。まず舳太夫を呼ばせたまえ。談合すれば良い知恵がでん」と云うと亀菊は喜んで、その夜、陸船と舳太夫を呼んで事の機密を示しつつ、「謀り事があるか」と問うと舳太夫は頭を傾け妻の陸船諸共に胸中を吐き、額(ひたい)を合わして密談時を移した。

○さる程に、桜戸は稲荷山での亀菊の事を浅ましく腹立たしく思えども人に云うべき事にあらねば、只、胸中のみで遣(や)る瀬も無くて十日余りを送っていると女鍼医(くすし)の陸船が珍しく来たので良き折なりと対面しつつ、
「この頃は気が結ぼれて何となく心良からず、療治してたべ」と云うと陸船は脈を見て鍼を刺すこと半刻ばかり、さて桜戸に向かって云う、
「あなたの病は気の方なり。療治は保養にます事無し。近頃、五条の功徳庵で千体仏の曼荼羅(まんだら)をよく織ると噂に聞いた。いざ行って見ばや」とそそのかせば桜戸も実(げ)にもと思って夫軟清に由を告げると、
「しからば錦二を供に連れたまえ」と云うのを陸船は聞きながら、
「忍び歩きの事なのに、供人(ともびと)あってはかえって悪し。私(わらわ)が伴い参らせるに何事かはべるべき」と云うとそれを否みかね、二人で連れ立って出て行った。
この時に日は傾いて七つ頃なれども、陸船は予ねてより道で時を移そうと思えばあちこち立ち寄って、商人の棚の物を眺めるなどしてようやく五条へ着いたのは黄昏になっていた。
そしてその功徳庵へ行って様子を尋ねると千体仏を織る事は跡形も無い空言(そらごと)で人気も無ければ、桜戸は興(きょう)を失い、帰ろうとするが陸船は何処か行きけん、たちまち見えずなりにけり。厠(かわや)を借りに行ったかとしばらく佇(たたず)むと、既にして日は暮れた。
その時、宵闇(よいやみ)の帰り道のおぼつかなさに▼、陸船を待つに及ばず、独りそこより道を急いで、五条の橋のほとりまで来た時に向こうに見える提灯に我が家の紋があれば、もしやと思って近づいて、「そは錦二にはあらずや」と問えば「然(さ)なり」と答え、「迎えに来たか」と再び問えば錦二は息を切らせて、
「奥様、早く帰りたまえ。先にあなたの留守の時、陸船殿より人をもて、桜戸様は途中でにわかに痞(つか)えが起こり行き悩みたまうにより、私(わらわ)の自宅へ伴って様々に療治すれども危うく見えれば事の由を告げ参らせる。軟清様、さぁさぁ来て看取りたまえ」と云われれば、軟清様は驚いて我らを供に召し連れて、大和橋のほとりの陸船殿の自宅を指して走り着いたのは黄昏頃の事なり。その時、陸船殿の夫らしき五十ばかりの憎々しい人が出迎えて奥へ伴い、何事やら囁くが旦那はそれを聞きたまわず、「我が妻が急病などと偽(いつわ)って、我を引き寄せ、邪淫(じゃいん)の取り持ちせられるは心得難し」と宣うのがほのかに聞こえ、これは只事(ただごと)ならずと思えば、その家を走り出て五条と聞いたを心のあてに告げ申さねばと参ったなり」と云うと桜戸は驚き怒って、「さらば急げ」と云うままに錦二が遅れると思って、その提灯を自ら取ってひたすら走ると四条河原のほとりで重たげな葛篭(つづら)を背負って頬冠(ほおかむり)した武士に会った。彼は灯(あかり)を嫌うとおぼしく、たちまち道を横切って、避けんとした葛篭(つづら)の内より帯の端が下がっているのを桜戸は目早く見ると、綾(あや)の織り出し染色まで軟清の帯によく似ていれば、
「曲者(くせもの)待て」と呼び掛けて、葛篭(つづら)をしかと引き止めれば、向こうも早く身をひねり、刀を抜こうとするところを桜戸はすかさずつけ入って脾腹(ひばら)をはたと打てば曲者は「あっ」と叫んで葛篭と共に倒れた。
桜戸は得たりと走りかかって蓋を開けようとすると頭巾(ずきん)で顔を隠した女が後ろから走り来て、ひらりと引き抜く懐剣(かいけん)の光りに桜戸は身を沈まして、空(くう)を切らせる早速(さそく)の働き。その間に倒れた曲者も身を起こし、葛篭(つづら)を捨てて斬ってかかるを桜戸はあちこちとかいくぐり生け捕ろうと思えども、身に小刀を帯びざれば小石をつかんではらはらと投げる礫(つぶて)に男女の曲者は叶わじと思ったか跡をくらまし逃げ去った。
桜戸はこれを追わずに、捨て置かれた葛篭の蓋を取れば、内より出る優(やさ)法師はこれ桜戸の夫軟清なりし事、なおつぶさには次に見えたり。

その時、軟清は葛篭(つづら)より出て、呆然(ぼうぜん)としてあたりを見返り、
「思いがけなや。桜戸はいかにこの難儀を早くも救ったか。そも又、ここは何処ぞや」と問えば桜戸は、
「然(さ)ればとよ。先に私(わらわ)は陸船にあざむかれ、五条まで曼荼羅(まんだら)を見に行ったが、跡形も無い空言で陸船は黄昏に雲隠れした。独り疑い迷いつつ帰る途中で、錦二が私(わらわ)を尋ねて来るのに会った。これによりあの夫婦の企らみを大方聞けば、飛ぶが如くに陸船の自宅を指して来る時に、怪しい葛篭を背負った曲者に出会い、葛篭の蓋の間より垂れ下がった帯の端が見紛(みまご)うべくもなくあなたの帯に似るにより、「曲者待て」と引き止めて挑み争うその時に一人の女が走り来た。その女は懐剣(かいけん)ひらりと引き抜いてその曲者を助けつつ、私(わらわ)を討とうとしたれども、叶わぬと思いけん、遂に葛篭を捨てて両人共に逃げ失せた。思うに葛篭を背負ったはあの富安舳太夫で、後より来たのは陸船ならん。しからばあなたは囚(とら)われて葛篭の中に御座(おわ)すると推量したに露違(つゆたが)わずで、ここにて取り返した喜ばしさよ」と物語れば、軟清も又、舳太夫に欺(あざむ)かれた事を斯様(かよう)斯様と告げ知らせ、
「あの舳太夫が有無を云わさず我を葛篭(つづら)へ入れ、この宵闇に背負い出したのは亀菊殿の局(つぼね)へ伴う為なるべし。しかるをあなたに救われたは我が運命の尽きざるところか。我がもし虜(とりこ)になれば慰(なぐさ)み者となるのみならず、命も遂に絞り取られて再び会う日が無からんに、今に始めぬ事ながらあなたの手並みは武士にも勝れり。しかるを舳太夫、陸船らが叶うべきか」と云うのを桜戸は押し止めて、
「ここは舳太夫らの家路に近し。詳しい事は自宅で聞きもせん云いもせん。いざ諸共に」と急がす時に錦二もようやく追いつけば、いざとて提灯下げさせて仇(あだ)を恐れぬ勇婦の振る舞い。夫を守って二鞘(ふたさや)の家路を指して帰って行った。

○桜戸はその夜もすがら、
「・・・・亀菊殿はことさらに素性いやしく、行いが正しからぬもありながら、勢い高く、それを咎(とが)めるべき由も無けれど、陸船はこの年頃、親しく交わるにこの振る舞いは人たる者の業(わざ)ならんや。彼奴(かやつ)夫婦を引き捕え、責め懲(こ)らさねば、又、この上にいかばかりの企みを成さんも計り難し。しかし夫に云えれば止められん。よく責め懲(こ)らして後にこそ」と思案をしつつ次の日より、物詣でにかこつけて、東山の陸船の自宅に行くが彼女はいず、その夫の舳太夫すらこの頃は椋橋殿の御用に暇(いとま)無く、家にいる日はまれなりと留守居の下部のみ居たり。
「・・・・・さては彼らは我を恐れて院の御所へ参(まい)ったか。亀菊殿の局の内に深く隠れているにもせよ、いつまでも帰らではいられん。出し抜いて不意に来れば会わずと云う事あるべからず」と思案をしつつ、何も云わずにその日は自宅に帰り、これよりの後、三四日づつ間を置いて彼らを訪ねるが、▼その行く毎に陸船夫婦はまだ帰らねば、途中で会わずば会う事いよいよ難(かた)かるべしとその後はなお又、事に託(かこ)つけ都の内をあちこちと、折々出掛け歩けども陸船も舳太夫もいよいよ隠れて影だに見せず、軟清は桜戸が近頃しばしば出歩くのを心得がたく思えば人無き時に囁(ささや)く、
「あなたは日頃、物見遊山に出歩く事などはさほど好まぬのに、先日我が身に事ありしより、ややもすればあちこちと漫(そぞ)ろ歩きをしたまうのは、もしや陸船らにあの夜の恨みを返さん為にはあらぬか。それは毛を吹いて瑕(きず)を求める(やぶ蛇)類いなるべし。あの者らは亀菊殿の腹心の者にあらずや。例え此方(こなた)に理があれども、亀菊殿に憎まれれば、その理は遂に非にこそならめ。只捨て置きたまえ」と諌(いさ)めた夫の言葉は不甲斐無けれど、道理無きにあらざるに、桜戸は陸船らを尋ね飽きた頃なれば事ようやくに思い返して、これより心も緩みつつ、又、尋ねようともせず、深草より花殻の妙達が訪ね来て、酒飲み遊び暮らす事、早や三度に及べば、桜戸はこれにまぎれて、あの憤(いきどお)りも何時(いつ)となく忘れた如くに日を送り、花殻に訪ねられた事も再び三度に及んだのでせめて一度は訪れて彼処(かしこ)の安否を問えばと思えば由を夫に告げて錦二を供に深草の尼寺へ行く途中で、妙達がこちらへと出て来るのに行き会った。
互いにしばし立ち止まり、つつが無きを祝いつつ、桜戸は我が自宅へと誘えども妙達は桜戸が訪れんと思った事なれば、今日はこのまま我が庵(いおり)へと誘いつつ、遂にそこより取って返して深草の成仏寺を指して行く途中で、年は三十余りで旅やつれした一人の女が桜戸の先になり後になりつつ、「今日のみと 見るに涙の増鏡 馴れにし影を人に語るな」と云う歌を幾度と無く繰り返して、ひたすら嘆息していれば桜戸はこれを聞き、心の内に思う、
「・・・・あの女が吟じた歌は昔三河の前司大江の定基が逢い慣れた女が病んで空(むな)しくなるのをひどく悲しみ嘆いて、世を捨てようと思った折に、何処(いずこ)と無く貧しい女が鏡を売らんと持って来れば、定基が手に取ってこれを見ると一首の歌が書いてあった。その歌は今あの女が吟じたと相同じ、これらの由は我が夫が折々に読む沙石集(しゃせきしゅう)にあれば傍(かたへ)聞きして我も知れり。しかるに彼女が今ひたすらにその歌を吟ずる事は故(ゆえ)こそあらん」と思うとたちまち呼び止めて、
「いかにそなたは何故(なにゆえ)に古歌をしばしば吟ずるぞ。もしや秘蔵の鏡を売る為ならずや」と問われて女は驚きながらうやうやしく小腰をかがめて、
「御推量に露も違わず、親の形見の鏡あり。又、一振りの短刀あり。身の方便(たつき)無きままに売ろうと思えど、さすがに卑しき者の手に渡す事の口惜しさに明らさまには告げずして、沙石集の歌を吟じて洛中をさまよい歩き、歌の心をよく知って買わんと云う人があるならば、その人にこそ売り渡そうと思えば五七日もかたの如くに呼び歩けども、何ぞと問う人無かりしに、賢くも我が売り物を知られるか。喜ばしき」と云うと桜戸はうなずいて、
「その売り物は何処(いずこ)にあるぞ」と問われて女は忙わしく背中に負った風呂敷包みを解き下ろし、まずその鏡を出しつつ、「これではべる」と差し寄せるのを桜戸は手に取り見ると、直径は七寸ばかりで裏には波に兎を鋳(い)てあるが、その良く物を照らす事は月の如く氷に似たり。又、短刀を出させて見ると長さは九寸余りで焼き刃の匂いは得も云われず、あぁ、得難き切れ物ならんと思うに手さえ離しかね、又、その女に向かい、
「値(あたい)安くば二品共に私(わらわ)が買わんと思うなり」と云うと女は喜んで、
「只今も申した如く、値良く買う人ありとても麦をも豆をもわきまえぬ心無き輩に渡す口惜しさに人さえ選ぶ事なれば、五十金にもなるべき物のその半(なか)ばを引き下げ、一品を十五づつ、三十両にて売りはべらん」と云うと桜戸は頭を傾け、
「そはそれ程の物でもあらんが、私(わらわ)も女子の事なれば余りに高くては夫にも告げ難し。一品を十両づつ、二十両で売るならば異議なく買わん。いかにぞや」と押されて女も小首を傾け、
「そは又、あまりに安くはべれども私(わらわ)もにわかに入用(にゅうよう)の事もあり、仕方無く秘蔵の品を売る仕儀なれば欲を離れて参(まい)らせん。せめて壱両増して涙金としたまわれかし」と云うと桜戸はうなずいて、
「さばかりの事ならば取らせんが、そもそもそなたは何処(いずこ)の人ぞ。鏡も剣(つるぎ)も昔より持ち伝えしに相違無きや」と問うのを女は聞きながら、
「そは云われるまでもはべらず、私(わらわ)は鎌倉の者にはべるが、うち続いた仕合わせ悪くて、夫に後れ子を先だてて、寄る辺の島も無き身ながらこの都にはちとばかりの縁(ゆかり)の人が在るにより、身の片付きを頼まんと遥々(はるばる)上りし甲斐も無く、その人は去年の春に亡くなったと聞こえれば、進退ここに極まって何処に行くにも路銀は尽きた。仕方の無いままに、身にも替えずと思うこの二品を売り払って又、鎌倉へ帰る心細さを察したまえ」と云いつつ、涙を押し拭えば、さこそと思う桜戸も哀れをもよおして「さらば値を取らせん。私(わらわ)と供に来よかし」と云い忙わしく妙達に向い、
「只今聞かれた訳なれば、私(わらわ)はあの女子を連れて▼自宅へ戻り、値を取らせて、後より寺へ参るべし。あなたは先へ帰られたまえ」と云うと妙達は空仰ぎ、
「既に日陰も回ったり。しからば今日はここにて別れて、又、遠からず訪れん。あなたも今日は自宅に帰って、又、近き日に出直したまえ、今日に限ることか」と云うと桜戸は否みかね、
「しからば仰せに任せはべらん。物を買わんとここにて別れる本意(ほい)無さよ」と云うのを聞かず、妙達は立ちくたびれて、暇乞(いとまご)いすらそこそこに別れて寺へ帰って行った。

その間に女は手早く鏡と短刀を錦の袋に入れて、風呂敷で包めば、桜戸は先に立ち自宅へ伴いつつ、さて軟清に由を告げると、年頃、万事を妻に任せていればいささか拒む気色無く、
「あなたが愛でる物ならば買いたまえ」と云われて桜戸は嬉しくて、さてその値を取らせて、その二品を買い取ればその女は喜んで、旅籠(はたご)へ帰っていった。
さる程に桜戸は鏡と剣を袋よりやおら出し、見て、或るいは掛けて眺めると初め見たのに増して、世に稀(まれ)なる宝なれば愛で喜んで思う、
「・・・・先頃、一院より亀菊殿に賜りし宝剣は目出度き物と世の噂に聞いたれども、今日求めた短刀はをさをさそれにも劣らぬ物」と一人心に誇りつつ、さて軟清にも見せれども武具を嗜(たしな)む者ならねば、さのみはよくも見えざりけり。

かくて、その翌朝、椋橋(くらはし)の局より走り使いの雑色(ざっしき)が来て、
「亀菊殿の仰せなり。桜戸は近頃、良い鏡と短刀を求められたとほのかに聞く。此方(こなた)にもさる物あればいずれが劣るか優れるか、比べて見んと思うなり。さぁさぁ持参あるべし」とにわかに下知を伝えれば桜戸は深くいぶかり、
「・・・・・我がこの品を買い取ったは昨日の事なのに、亀菊殿はいかにして早くもそれを知られたか。心得難き事なり」と思えども今更に隠すべきもあらぬを我が身が女武者所にいた時はあの人の手に付いて勤めたこともあれば否(いな)むに由無く、下知の趣(おもむき)をしかじかと軟清に▼告げ知らせ、にわかに衣装を整えて、その使いと諸共にその局へ向かった。
その時、一人の老女が「いざ、此方(こなた)へ」と案内しつつ、広い屋敷に伴ったが、椋橋殿はここに御座(おわ)さず、彼方にこそと先に立ち、又、幾間を過ぎて奥深く伴うが、「否々(いないな)、ここにも御座さぬなり。必ず彼処に御座するならん」と云いつつ、再び先に立っていよいよ奥へ誘(いざな)うと三十五畳を敷き渡した一間の内へ伴って、「しばらくここにて待ちたまえ。只今、御いであるべきに」と心得させて、その老女はそのまま走り去った。
桜戸は携え来た鏡と短刀を手に持ち膝に乗せ、亀菊が出て来るのを今か今かと待ち、何心無くあたりを見ると南面(みなみおもて)に上段あり。そこには御簾(みす)が掛けられて、左の柱に一面の鏡を掛けてあたりを照らした。只右の柱には鏡掛けの釘のみあって、それには鏡を掛けられず、その上段の正面に岩戸局(いわとつぼ)と印した額が掛けてあれば、桜戸は驚き、
「この岩戸局と云うのは一院が政治(まつりごと)を聞こし召す所で、只人(ただびと)が参る所にあらず。あの老女は何故にここへ伴ったか。不注意なり」と恐れ迷って退き出ようとする時に思い掛け無く後ろの方で亀菊が見ており、たちまち声を掛け、
「桜戸は何の為にここへ漫(そぞ)ろに参(まい)ったか。しかも剣(つるぎ)を携えるのは逆心あっての事ならん」と云いつつ向かいをきっと見て、
「あら不思議な事あり。高御座(たかみくら)に掛けられた日月の御鏡の月の方が無くなりしは察するところ桜戸が盗み取ったにあらんずらん」と云われて桜戸は
「此(こ)はいかに」と驚きながらも悪びれもせず膝まづき、
「御局(みつぼね)様の仰せなれどもそれは事違(ことたが)えにはべるべし。私(わらわ)は昨日思いがけなく、この鏡と短刀をある女より買い取りしが何人(なにびと)が告げ申したか、あなたが御覧あらんと携え参るべき由の御使いを受ければ、取るものも取りあえず、后町(きさきまち)まで参(まい)りしに、年は五十路(いそじ)余りの一人の老女が案内して、この所へ誘ってはべり」と云うと亀菊は柳の眉を逆立てて、
「さては企んだり、こしらえたり。私(わらわ)はそなたを呼ばせるために使いをやった事は無し。又、我が使う長女(おさめ)に年寄りは一人も在らず。その使いの名は何と云った、老女は何と云う者ぞ」と問い詰(なじ)られて桜戸は
「否(いな)、使いの名は聞かず。老女も何と云う人やらん。その名は知らずはべるかし」と云うと亀菊はあざ笑い、
「実(げ)に盗人(ぬすびと)の猛々しさよ。誰かいるか。この曲者(くせもの)をさぁさぁ絡め捕らずや」と激しき下知も権威の一声。それに従う女武者の采女(うねめ)らが早く聞き付け承りぬと八九人が群立ちかかって走り来て、有無も云わせず桜戸を手取り足取り押し伏せて縄を掛けた。
その時、亀菊は再び下知して、桜戸が持つその二品を検(あらた)めさせると鏡は高御座(たかみくら)の右の柱に掛けられた月形(つきがた)の御鏡で、裏には波に兎あり。又、短刀は亀菊が一院より賜った浮寝鳥(うきねとり)の御剣(みつるぎ)なれば、ひとかたならぬ盗賊なりとその二品を差し添えて、罪の趣(おもむき)を書き記させ、検非違使(けびいし)へ引き渡した。
このようにして検非違使の山城之介照道は桜戸を受け取って、事の子細を責め問うと桜戸は有りし事を斯様(かよう)斯様と云い説けども鏡と短刀を売ったと云う女の名所(なところ)が定かならねば、その言い訳は立ち難し。
「なおこの上は夫軟清も召し捕って詮索すべし」と云われると桜戸は深く嘆いて、
「軟清はこれらの事を始めより少しも知らず、夫婦の間も良くなければ、軟清に問うとも真(まこと)の事は申しはべらじ。とにもかくにも我が身一つの罪として定めたまえ」と申すと照道はこの事を亀菊に告げ、亀菊は
「さもあらん、軟清は捨て置いて、只桜戸のみ詮索せられよ。罪人が多くなるは益無き事ぞ」と答えれば、照道はこの儀に従い、桜戸の罪を定めども今は都の事でも武家の判断に寄らねば執り行う事が容易ならず、これにより照道は桜戸の罪を書き記して六波羅へ引き渡した。

されば鎌倉より付け置かれた伊賀判官光季(みつすえ)は桜戸を引き出させて糾明(きゅうめい)すると、桜戸はあの鏡の事、短刀の事から亀菊に呼ばれた事は斯様斯様、又、思わずも岩戸の局に誘われた事、取り次ぎの老女の事は斯様斯様とつぶさにこれを告げると云えども鏡と短刀を売ったと云うその女は定かならず、又、取次ぎの老女の事も亀菊がこれを知らずと云えば▼とてもかくても罪は逃れず、なお又、詮索すべきとそのまま牢屋に繋がせ置いて、光季はつらつら思案をするに、桜戸が申す事に証拠は無いと云えどもさながら無実の咎(とが)に似たり。あの亀菊殿が一院の御寵愛を得てより、己(おのれ)にへつらう者を取り立てて、逆らう者には罪無くても咎(とが)を負わせる。これ今の世の慣(なら)わしなれば、熟慮すべき事なりと罪を定めて曰(いわ)く、
「桜戸が法を犯して岩戸の局(つぼ)へ入った事、その罪は軽きにあらねども月形の御鏡と浮寝鳥の短刀を盗み取ったとも定め難し。彼女がもし盗んだ者ならば、うかうかとそこに久しくおる事はあるべからず。かかれば盗人(ぬすびと)に似た罪と岩戸の局(つぼ)へ迷い入った二つの咎(とが)で佐渡の国へ流すべし。これ相当の刑罰に候べし」と聞こえ上げ、亀菊もこの事は己に理ある儀にもあらぬのに六波羅の判断を押し破るのもさすがにて、又云う由も無かった。
これにより光季は桜戸を引き出させて佐渡の国へ流す罪を言い渡し、縛(いまし)めの縄を解き、背中を二十度杖鞭(つえむち)打たせ、首枷(くびかせ)を掛けさせて、足高蜘蛛平(あしだかくもへい)、戸蔭土九郎(とかげのどくろう)と云う二人の使いで佐渡の国へ送りつかわした。

さる程に蜘蛛平、土九郎は佐渡の本間太郎へ六波羅から下知された送り状を受け取って、桜戸を六波羅の門外へ引き出した時、為楽院の軟清は今日桜戸が佐渡の国へ流される事をほのかに伝え聞き、下部の錦二と共に今朝よりここに待っており、桜戸が出るのを見て、蜘蛛平、土九郎には一包みづつの銀子を贈ってしばし別れの暇(いとま)を乞い受け、涙と共に桜戸をあたりの茶店へ誘い入れ、只さめざめと泣くがようやくに頭をもたげ、「我が妻、あなたの無実の罪は誰とて知らぬ者は無けれど、その言い訳の立ち難きは皆あの人の故(ゆえ)にして、命も既に危うしと聞こえた時は諸共に死のうと思ったが、なお現世の息の内にかく顔を合わせる事、いと喜ばしと思うにも又、悲しきは会う事を何時(いつ)と定めぬ生き別れ、今よりあなたに捨てられて、我が身は何となるべきか」と云う声を胸に詰まらし、しきりに涙を押し拭えば錦二も瞼(まぶた)を擦り赤らめて返らぬ事を繰り返す。鴫(しぎ)の羽根掻き(がき)たつ鳥の別れを共に惜しみけり。桜戸も湧き返る涙に胸は苦しけれど、もとより雄々しき性(さが)なれば夫を諌(いさ)め励まして、
「とてもかくても別れては会う事難き夫婦の縁(えにし)も今日を限りと思うなり。離縁の状を書いてたべ。しからざれば亀菊殿の心は安からず、私(わらわ)の命が危うかるべし。さぁさぁ状を書きたまえ」と云うも軟清は頭を振り、
「そは思いがけも無き事を云われる情けなさ。あなたは家の娘にして我は弟子なり、又、婿なり。さるをあなたに咎(とが)も無く、離縁の状をやる由あらんや。この事のみは従い難し」と否(いな)むを桜戸は押し返し、
「宣う由はさる事ながら、あなたと縁を切らざれば亀菊殿の憤(いきどお)りは何時までも執念深くて、遂に私(わらわ)は殺されん。これらの訳を汲み取って、只速(すみ)やかに去り状をたまうが我が身の為なれば、まげてさぁさぁ書いてたべ」と云うに軟清も、仕方無く泣く硯(すずり)を借り寄せ涙と共に磨(す)り流す、妹背(いもせ)の縁も薄墨に書くぞ苦しき三下り半、これ一生の別れとは知るや知らずや白紙(しらかみ)も落つる涙に濡れ衣(ぎぬ)の無き世をかけし暇乞(いとまご)い、行って帰らぬ水杯(みずさかずき)も深き嘆きにかき暮れて思わず時を移しけり。
この軟清は女子(おなご)めいた顔で玉を欺(あざむ)く美僧なれば、世に白玉の軟清と手弱女(たおやめ)らにさえ知られども身の行いは物堅く、胸いと狭き者なれば、桜戸と別れしより一人くよくよ嘆きつつ、病の床に臥(ふ)したと後に聞こえた。

○これはさて置き、足高蜘蛛平、戸蔭の土九郎は軟清の賄賂を受ければ、▼彼が暇乞(いとまご)いをする間は茶店の主人に心得させて桜戸を預け置き、おのおの自宅へ走り帰って、忘れた物などを携えんとする時に金乃蔓屋(かねのつるや)と呼ばれた料理酒屋の男が来て、
「誰様なのかは知らねどもあなたに対面したいと我らの二階に上り、先より待って居たまうなり。いずれも暇を取らせはせじ、さぁさぁ」と急がせれば行く手の序(ついで)良いままに、「戸蔭さんへはこれらの事を既に通達仕りぬ」と云うと蜘蛛平は眉をひそめて、
「そは誰なるらん。心得難し。とまれかくまれ自ら行かねば疑いは解け難かるべし、いざ」とて連れ立って金乃蔓屋へ赴(おもむ)けば、門辺(かどべ)で土九郎も招かれ来るのに会った。
その時、互いにしかじかと立ちながら囁いて、その男に案内させて二階へ上れば、奥まった座敷の内に五十路余りの一人の武士が待っていた。元より見知らぬ人なれば二人が進みかねるのをその武士は見て、
「足高殿、戸蔭殿、まず此方(こなた)へ」と座を立って上座へ据えた。程しも置かず、下屋より酒肴(さけさかな)を持て来させ、所狭きまで置き並べるとその武士は蜘蛛平と土九郎らの近くに寄せて「両君、これは寸志なり。まず盃(さかずき)を上げたまえ」と云うと両人は頭を撫でて、
「それがしらは見忘れたるか。君をいずれの人とも覚えず、しかるをかくまでもてなしたまうは故(ゆえ)こそあらめ」と云いも果てぬにその武士はにっこと笑み、
「それらの事は只今告げん。まず盃を上げたまえ」とひたすら勧(すす)めれば、蜘蛛平も土九郎も再び問うに及ばずにもてなしを受けると、その武士は懐より二包みの金を出し、両人のほとりに置き、
「各々(おのおの)これを受けたまえ」と云いつつ声を潜(ひそ)まして、
「それがしは亀菊殿の雑掌(ざっしょう)で富安舳太夫と呼ばれる者なり。この度各々(おのおの)が送り行かれる桜戸に付いて密議あり。あの女は我が主君の深き恨みある者なり。これにより、道中で桜戸を殺し、その証拠としてあの者の面(つら)の皮を削(そ)ぎ取って実見に入れたまえば、なお幾何(いくばく)も褒美があらん。あの桜戸は左の下あごに黒子(ほくろ)あり。それを証拠にする為なれば、面の皮を削ぎ取って御目にかければ各々(おのおの)に偽りの無き事は知られん。さぁさぁこれを収めたまえ」と欲より誘(いざな)う二包みの金をしきりにすすめた。  

<翻刻、校訂、現代訳:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>

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