傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

傾城水滸伝 三編 之一

2013-01-11 17:35:44 | 三編
傾城水滸伝第三編之一
曲亭馬琴著 歌川国安画 仙鶴堂嗣梓

さても、その後、虎尾の桜戸は、その宵の間の大雪に、山苧倉(やまそくら)なる我が住み家を押し潰されたるにより、五六町あなたなる観音堂に退いて、陸船(くがふね)夫婦が目論見たる、既に必死の災いを逃れたるのみならで、図らずも舳太夫、陸船、奈落婆らを討ち留めて、日頃の恨みを返せしかば、御堂の縁に尻打ち掛けて、買い持て来たりし瓢(ひさご)の酒を、飲み尽くして寒さをしのぎ、仕込み杖を引き下げて、道両三町走る程に、あちこちなる百姓ばら、山苧倉なる火を消さんとて、雪をおかして走り集うに、端無くも行き会いければ、 桜戸やがて声を掛け、
「人々早くかしこに至りて、火を防ぎ止めたまえかし。わらわは御館におもむいて、四傳次(しでんじ)主(ぬし)に訴え申さん、やよとくとく」と云い捨てて、やり過ごしてぞ走りける。

 さる程に桜戸は、雪を明かりに、この身になってもそなたしゆに、一里か二里か行方も定めず走るになん。真夜中頃になりしかば、身はいと痛う飢え疲れて、寒さも耐え難かりけるに、と見れば向かいの森のほとりに、一構(かまえ)えの生垣(いけがき)あって、冠木門(かぶきもん)は閉(たて)てあれども、垣の隙(すき)より点(とも)し火の、影ちらちらと見えしかば、門のほとりに立ち寄って、扉を押せば開いたり。
 内より「誰ぞ」と声を掛けるに、桜戸早く進み寄り、
「わらわは今宵、山苧倉の近火(きんか)に住処(すみか)を走り出て、道に迷って来つる者なり。かたの如くの大雪にて、道さりあえず難儀に及びぬ。しばし囲炉裏に当らせて、濡れたる衣(きぬ)を干させたまえ」と云いつつ、やおら戸を開ければ、こは一棟の長屋にて、内には五七人の賤(しず)の女(め)らが、糸を繰り、麻を紡いで、夜なべをしてぞ至りける。
 その時その賤の女らは、桜戸をつらつら見て、
「そはいと難義(なんぎ)にこそあらめ。此方(こなた)へ寄って当りたまえ」と云うに、桜戸喜んで、「許したまえ」と云いながら、にじり上がりつ大囲炉裏の辺(ほとり)に近づき身を温め、濡れたる衣(きぬ)を干す程に、酒の香ふんとしてければ、火の明かりにて辺りを見るに、一升徳利を囲炉裏の隅なる、灰に埋ずめて置きたるなり。
 その時、桜戸は賤の女らに打ち向かって、
「わらわは身の内冷え凍(こご)え、あまつさえ★飢え疲れたり。願うは少し此の酒を分け与えて飲ませたまえ。酒の値は償(つぐな)うべし」と云うを、皆々聞きあえず、
「こは我々が飲むにだも、なお多からで、足し無き物をいかにして、和女郎に飲ません。モウ良い加減に出て行きね、栄耀(えよう/贅沢)にほちゃけて、物強請(ねだ)りせば、男衆を呼び寄せて、えら酷い目に会わするや」と云いつつ、どっと打ち笑えば、桜戸胸に据えかねて、
「こは奇怪なる過言かな。否と云われる此の酒を、押して飲まんと云うにはあらぬに、いら酷(ひど)い目に合わせんとは、今一言云うて見よ。さぁ云わずや」と息巻いて、囲炉裏をはたと打ち叩けば、矢庭(やにわ)に茶釜(ちゃがま)を打ち倒し、はっと立ったる灰諸共に、火もまた四方に散乱し、辺りに集(つど)いし女どもは、目口に灰の入るもあり、小鬢(こびん)を焼かれ裳裾を焦して、したたか火傷(やけど)をするもあり。等しく「あっ」と叫びつつ、驚き恐れて、皆諸共に表の方へ逃げ失せたり。
※小鬢(こびん):頭の左右側面の髪

桜戸これを見送って、からからと打ち笑い、その徳利を引き出して茶椀に注いで飲む程に、思わずも一徳利の酒残り無く飲み尽くして、仕込み杖を突き立てつつ、身を起しつつ立ちいでて、不知案内の雪道を、そことも分かず行く程に、飢えて飲みたる酒ならば、幾程もなく酔(え)いは昇って、足元しどろに定らず。一歩は高く一歩は低く、只よろよろとよろめくままに、たちまち躓(つまづ)き倒れけり。
 およそいたく酔いたる者の伏し転びては、遂に得起きず。桜戸は降り積もる雪に、半身掘り埋ずめても、寒さも知らぬ高いびき。日頃にも似ず哀れなり。
 さる程に、賤(しず)の女(め)らは、慌て惑いつつ逃げいでて、桜戸が事のおもむき、かようかようとかしましく、男共に告げしかば、皆々これを聞きあえず、
「さては盗人(ぬすびと)ごさんなれ。遠くは行かじ追っかけよ」とて、麻縄、棍棒(こんぼう)松明(たいまつ)を手に手にひ下げて、走り出れば、小鬢(こびん)を焼かれし女(おなご)らも、遅れじとてぞ追う程に、行くこと今だ四五町に過ぎず、と見れば、降り積もりし雪の中に酔い伏したる女あり。
 小鬢を焼かれし賤の女は、先に進んで松明を振り照らしつつ、と(兎)見かう(角)見て、「盗人女はこれなり」と云うに、皆々折り重なって、袋の物を取る如く、衿髪(えりかみ)掴んで引き起こし、早ひしひしと縛(いまし)めて、もと長屋へ引きもて帰って、厳しく柱へ繋(つな)き留め、「明日の朝、御前様のお目覚めあらば、訴え申さん。それまで誰彼守れ」とて、皆、夜の明けるを待ち居(を)りける。
 かかりし程に、桜戸は、ようやく酒の酔い覚めて、驚き呆れて声を振り立て、
「こは何故に理不尽に、かくは我儕(わなみ)を縛めたる。この縄早く解かずや」と云わせも果てず、女共は、からからと打ち笑い、
「盗人女が猛々(たけだけ)しさよ。おのれは酒を盗み食らって、あまつさえ火傷をさせ、小鬢(こびん)も布子(ぬのこ)も焦がさせしを、早忘れしか。不敵の曲者(くせもの)。なお、辛き目を見せんず」と、罵(ののし)る他は無かりけり。

 かくて、その夜も明けしかば、御前様のお目覚めぞと知らせによって、その男女は桜戸を引き立てて、母屋(本屋)へ参って、縁側のほとりに皆々居並び、
「昨夜、図らず盗人女をからめ捕って候なり。いかが計らい申さんや」と言葉等しく聞こえ上げれば、しばらくして主(あるじ)の婦人、奥の間より立ちいでて、
「そは、いかなる盗人ぞ」と問いつつ近く立ち寄って、桜戸を見て大きに驚き、
「そは、虎尾の刀自ならずや。いかなる故(ゆえ)にここへ来て、百姓ばらにおめおめと、絡(から)め捕られたまいたる。思い掛けなや浅ましや」と云われて、驚く桜戸も眼(まなこ)を定めて見上げるに、この婦人は別人ならず、これ折瀧の節柴なり。

「こはこは、いかに」とばかりに、ただ喜び、ただ恥じたる、桜戸声を振り立てて、
「わらわいかでか盗みをすべき。只、一徳利の酒ゆえに、酔い伏したる間に絡められたり。わらわが上には様々なる物語のはべれども、一朝(いつちやう)には説き尽くし難(がた)かり。願うはわらわを救いたまえ」と叫ぶになん。節柴「さこそ」と頷(うなず)いて、忙わしく桜戸が縛めの縄解き捨てて、その男女を叱り退け、まず腰元らに云い付けて、衣(きぬ)一重ねを取り出させて、桜戸が濡れたる衣を、上より下まで着替えさせ、奥座敷へ伴いつつ、酒をすすめ、朝飯(あさいい)をすすめて、他事無くもてなせば、桜戸はその身の災い、冨安舳太夫、陸船らが事、又、剣山四傳次、奈落婆が事のおもむき、図らず恨みを返したる始め終りを囁き示せば、節柴聞いて感涙(かんるい)を押し拭(ぬぐ)いつつ、辺りを見返り、
「重ねくし不仕合せも、なお頼もしき御身の命運。今、計らずしてわらわが方へ、来たまいぬるこそ嬉しけれ。ここはわらわが別荘にて、昨夜(よんべ)粗忽(そこつ)に思い違(たが)えて、御身を縛め引きもて来つる、かの男(おとこ)女(おなご)共は、屋敷守の百姓なれば、必ず心を置きたまうな。わらわは昨日、ここへ来つ、思わず雪に降り込められて、母屋へ帰らでありしかば、これも只、御身の為に大方ならぬ幸いなり。さはれこの所は、朝間にて人目を忍ぶによろしからず、母屋へ伴いはべらん」とて、その夕暮れに、桜戸を乗物に打ち乗せて、折瀧の庄へ帰りつつ、内外の者に心得さして、世に頼もしく桜戸を、深く匿(かくま)いたりければ、桜戸は恩を感じて、真琴屋真介夫婦の者が、真心さえに告げ知らすれは、節柴聞いて桜戸が、とにつけても、かくにつけても人の助けのあることを、称(たた)えてしきりに感じける。

 されば又、その夜さり(よさり/夜分)、陸船、舳太夫、奈落ら、皆、桜戸に討たれしかば、四傳次浅手にて未だ死なで在りしにより、彼偽(いつわ)って領主に訴え、
「桜戸悪心止まずして、山苧倉(やまそくら)を焼き失い、あまつさえ舳太夫、陸船、奈落らを斬り殺して逐電したり」と申すにぞ、佐渡の領主本間の太郎、由を聞いて驚き怒り、にわかに組子らを手分けして、八方へ差し向けつつ、村里毎に下知(げち)を伝えて、
「罪人桜戸をからめ捕って、引きもて参る者あらば、三十貫の褒美(ほうび)銭を賜うべし」とぞ触れたりける。

 既にして、これらの由を、桜戸ほのかに伝え聞いて、節柴に囁く様、
「かようかようの風聞(ふうぶん)あり。かかれば御身が今更に、わらわを匿(かくま)いたまわぬにあらず。わらわ今更ここに居難し。只、速(すみ)やかに他郷へ走って、災いを避けんと思うに、身の暇をたまえかし」と云うを、節柴打ち聞いて、
「しからば、わらわが手引きして、御身をやるべき所あり。そもそも近江の国の伊香郡(いかのこほり)賤の砦(しずのとりで)に、三人の女武者あり。第一の大将は大歳麻巨綸(おおとしまおおいと)と呼ばれ、第二の大将は女仁王杣木(おんなにおうそまき)と呼ばれ、第三の大将を天津雁真弓(あまつかりまゆみ)と云えり。彼女らは先に滅びたる柴田が残党の梶原弥三郎が余類にて、女に似気無き武芸あり。先にその三人の勇婦ら、流浪して諸国を経回り(ひめぐり)※、或る年、この地に来たりしかば、わらわが屋敷に留(とど)め置いて、養うこと一年(ひととせ)余り。又、立ち去らんとせし時に、路用(ろよう)を多く取らせたり。
※経回る(ひめぐる):あちこちをめぐり歩く。遍歴する。

 かかれば、わらわが手紙をもて、御身を頼み遣わさば、留めんこと疑い無し。されば、その巨綸らは、四五百人の手下を集めて、賤ヶ岳(しづがたけ)に砦を構え、余呉(よご)と琵琶(びわ)の湖を、前と後ろの要害(ようがい/城塞)に、余呉川、飯浦の大川を境として、をさをさ猛威を振るうと聞けり。御身がかしこに身を寄せたまわば、生涯後ろ安かるかるべし。さりながら、当国の港々には、新たに関を据えられて、人の出入を検(あらた)めると伝え聞きたる事もあれば、首途(しゅと/旅立ち)に難義(なんぎ)あり。いかにせまし」と頭(こうべ)を傾け、しばし案じて打ち頷(うな)ずき、
「良き手立てのはべるなり。謀(はか)り事はかようかよう」と膝すり寄せて囁き示せば、桜戸は斜めならず喜んで、やがてその儀に任せけり。
※要害(ようがい):①険しい地形で、敵の攻撃を防ぐのに便利なこと。土地。②城塞。城郭。とりで。③防御をかためること。用心すること。

 かくてその次の日に、節柴は浦遊びに出づると偽って、腰元数多(あまた)召し連れたる。その中に、桜戸を腰元と共にいで立たして、小木の港(おぎのみなと)におもむく程に、ここにも関を据えられて、本間が家の子(家臣)、沢足江番太(さわたりえばんた)、組子を大勢従えて、この所を守りしが、兼ねてより相知ったる折瀧の節柴が、浦遊びに行くと聞いて、忙わしく出迎え、
「珍らしや折瀧殿。この頃のいと寒きに、何処へ赴(おもむ)きたまうぞ」と問われて、節柴打ち微笑み、
「わらわは鬱気(うつき)の病あるに、閉じこもりて居(を)らんより、浦辺にい出て貝を拾わば、少しは保養にならんかとて、時ならぬ浦遊びも、日和(ひより)の良きにいでたるなり。御身は又、何故にここらに勤役(きんやく)したまうやらん」と云うに、江番太
「さればとに、都(みやこ)の流人(るにん)の桜戸と呼ばれし者、倉を焼き、人を殺して去ぬる日に、逐電したるにより、領主の仰せを承り、人の出入りを検(あらた)むる臨時の役に候」と云うに、節柴うなずいて、
「そは御大義にこそはべれ。わらわが具したる供の内に、かの桜戸も在るべきに。いざ検めて見たまわずや」と云いつつ笑えば、江番太もからからと打ち笑い、
「実(げ)に、御供の女中の群れには、かの桜戸も在るべけれど、節柴殿の事なれば検めるには及ばぬ事なり。さぁさぁ通りたまえかし」とうち戯れて、下部(しもべ)らに下知して、木戸(きど)を開かせければ、節柴は仕済ましたりと、心密かに喜んで、皆諸共に港へ赴(おもむ)き、さて桜戸には忍びやかに、旅装いを整えさせて、兼ねて用意の船に乗せ、越後の方へ落とし遣わし、節柴、此には去らぬ体(てい)にて、終日(ひねもす)貝を拾いつつ、帰るさに、江番太に物を贈って喜びを述べ、暮れて宿所(しゅくしょ)へ帰りけり。

 さる程に、桜戸は節柴の情けにて、難なく港を逃(のが)れいで、越後の国へ押し渡し、なお越前を経て、近江なる賤の砦に赴く程に、日に歩み夜に宿り、急がぬ旅に日数経て、暮れ行く年に、近江なるすげの浦★にぞ着きにける。
 折から昨日の雪晴れて、山白妙(しろたえ)に風寒く、この辺りには只一軒の腰掛酒屋ありければ、桜戸は進み入りて、床几(しょうぎ)に尻を打ち掛ければ、酒屋の杜氏(とうじ)が出迎えて、
「いかに酒をや参(まい)らすべき、強飯(こわいい)も候は」と云うに、桜戸うなずいて、
「否(いな)、強飯は欲しからず。今日の寒さの耐え難きに、さぁさぁ酒を飲ませよ」と、云うに、杜氏は心得て、酒二三合を温めつつ、一椀の湯豆腐に、鮒の煮浸(にびた)し取り揃え、早置き並べて勧めけり。その時、桜戸は杜氏に向かって、
「わらわは急ぐ用あって、賊が砦へ行く者なり。渡し舟のあるべきに、雇(やと)うてたべ」と頼むにぞ、杜氏は聞いて眉をひそめ、
「ここは船着きならざれば、渡し舟も候わず」と云うを、桜戸押し返し、
「渡しの舟はあらずとも、雇えば舟を貸す者あらん。船賃は望みに任せん。ともかくもして雇うてたべ」と再び頼めば、頭を打ち振り、
「稀(まれ)には舟の無きにはあらねど、此の頃の大雪にて舟稼ぎする者は、絶えてここらに一人も無し。もちろん飯浦、浜村の山間(やまあい)は、陸(くが)続きにて候えども、近頃切所(せっしょ/難所)※を切り塞がれて、鳥も通わずなりたれば、船ならずしてなかなかに赴かんこと叶い難し」と云われて、桜戸は詮方も無く、ほとほと困り果てたる折から、一人の女がとの方より、しづしづと進み入り、桜戸に打ち向かい、
「御身は今、賊の砦へおもむきたしと云われしならずや。彼処(かしこ)に知る人候か。或るいは人の手引きによって、初めて赴きたまうにや。御身は何と云う人ぞ」と問われて、桜戸隠すに由(よし)なく、
「わらわは桜戸と呼ばれる者にて、この度、折瀧の節柴殿の勧めによって、遙々佐渡より来つるなり」と云うに、驚くその女は、ほとりに寄って尻打ち掛けて、
「さては、世の風聞に隠れなかりし、御身は女武者所の教え頭(かしら)と聞こえたる、かの虎尾の桜戸殿か」と再び問われて、にっこと打ち笑み
「云われる如く、虎尾の桜戸はわらわにこそ」と告げるに、「さては」と喜んで、
「しからば、ここは端近にて、心の内を述べ難し。まづこなたへ」と忠実(まめ)やかに奥の座敷へ誘って、又、更に肴(さかな)を添え、酒をすすめて、さて云う様、
「我儕(わなみ)の事は賊の砦の巨綸(おほいと)の手下の大将にて、暴磯神の朱西(ありそかみのあかにし)と呼ばれる者なり。さりし頃より此の所に、この酒店を出しつつ、世の風聞を聞きさだめ、こなたに憩(いこ)う旅人の味方にすべき者あれば、説きすかうて砦へ遣わし、又、身の仇(あだ)となるべき者は、密かに痺(しび)れ薬もて殺して、憂(うれ)いを除くなり。これにより御身をも、鎌倉方の者ならば痺れ薬を酒に加えて、押し片付けんと思いしに、三大将が大恩受けたる折瀧殿の引き付けなる虎尾殿でありけるを、知らずば事を誤(あやま)つべし。誠に危うき事なりき。わなみ同道すべけれども、既に早黄昏(たそがれ)なり。今宵はここに泊りたまえ。明日はつとめて伴うべし」と云い慰めて、もてなせば、桜戸深く喜んで、かの亀菊(かめきく)が邪(よこし)まにて、無実の罪に落とされたる、その事の始めより、舳太夫、陸船を討ち取って、恨みを返せし事のおもむき、一部始終を物語れば、朱西は耳を傾けて、膝の進むを知らざりけり。
※切所(せっしょ):峠などの難所。また、要害の場所。

 かくてその明け方に、朱西は桜戸を呼び起し仕度を整え、半弓たばさみ立ちいでて、水際(みぎは)に茂き枯れ葦(あし)へ、鏑矢(かぶらや)射込むを合図にて、たちまち葦の茂みより、早船一艘漕ぎ出して、此方の岸へ着けしかば、朱西は桜戸と諸共に、その舟に打ち乗って、山梨の磯へ押し渡り、ここより陸(くが)に打ち登り、船をば返し使わしつつ、程なく砦におもむいて、桜戸が事の由を巨綸(おほいと)らに告げしかば、巨綸聞いて二人の勇婦、杣木、真弓ら諸共に、書院にいでて、桜戸を呼び入れさせて対面す。
 その時、巨綸(おおいと)は、桜戸に打ち向かって、
「御身の上は、暴磯神(ありそかみ)の物語にてつぶさに聞きぬ。折瀧殿は恙(つつが)無きや」と問えば、桜戸「さん候」、書状を差し越したまいたり。
「これ御覧ぜよ」と懐(ふところ)より、一報を取り出して、巨綸(おほいと)に渡すにぞ。巨綸やがて開き見て、手下の者に云い付けて、酒肴を持ていださせ、まづ桜戸をもてなしつつ、腹の内に思う様、
「・・・・桜戸は、その始め女武者の頭にて、十八番の武芸に長(たけ)たり。しかるに、我は、青表紙の唐(から)文字をよく読むのみ。武芸においては二の町(にのまち/二流)なり。又、杣木(そまき)、真弓(まゆみ)、朱西(あかにし)らも、十二分の武芸ならぬに、桜戸を留めて、我らが群れに入れなば、遂に山を奪わるべし。薫化(くんか)※にてあれ。」と思案をしつつ、金二十両取り出して、桜戸に贈りて云う様、
「折瀧殿の引き付けにて、遥々と来たまえども、いかにせん。此の砦は分内(ぶんだい/領分)※狭く兵糧(ひょうろう)も多からねば、長く御身を留め難し。こはいささかの品ながら、路用として参らする。いざいざへなりとも赴(おもむ)いて、良き人を頼みたまえ」と云うに、桜戸押し返して
「わらわは路用の乏しき故(ゆえ)に、遥々ここへ来つるにあらず。節柴殿の勧めにより、長く此の所にて、身を寄せんとのみ思いしに、この賜物(たまもの)は本意にあらず。まげて仲間に入れさせたまえ」と云うに、杣木も朱西、真弓も巨綸(おほいと)を諌(いさ)めて云う様、
「兵糧豊かならずと云えども、今この女中を留めずは、引き付けられし節柴殿に受けたる恩を忘れるに似たり。よくよく思案したまえ」と云うに、巨綸頭を打ち振り、
「節柴殿に対しては、いささか不実に似たれども、未だこの桜戸の心の底を知るに由無し。只一封の状を持て、心も得知らぬ人を留めて、身の災いとなる事あらば、後悔そこに絶ち難し。こは気の毒なる事ながら、只、その金を受け収め、何処(いずこ)へなりとも赴きたまえ。我らが心に如才は無けれど、御身を養う余力は無し。明日は努(つと)めて打ち発ちたまえ」と苦々しげに答えつつ、留むる気色は無かりけり。
 桜戸が志津の砦を離れて、名のり(投名)文を求むるところ、これらの訳はつぶさに、この次の巻に見えたり■      
※薫化(くんか):徳によって人によい影響を与え、導くこと。

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>

傾城水滸伝 三編 之二

2013-01-11 17:35:28 | 三編
傾城水滸傳第三編の貳
馬琴著 国安画 本町筋油町鶴屋喜右衛門
文政丁亥嗣●全稿八巻合本

その時、桜戸は膝を進めて、
「巨綸(おほいと)の刀自、などてさのみ疑いたまうぞ。わらわは先に、亀菊が謀り事に落とされて、無実の罪を得てしより、災い再びこの身に迫って、進退既に極まったり。されば、この所に、身を寄せんと願うの他は無きものを」と云えば、又、杣木らも言葉を添えて諌(いさ)めるにぞ、巨綸しばし打ち案じ、
「しからんには、義としたる投名状(なのりぶみ)を我らに見せて、赤き心を表したまえ」と云うを、桜戸聞きあえず、
「そは易かるべき事にこそ。硯(すずり)と筆を貸したまえ。望みのままに書きはべらん」と云えば、朱西方辺より、
「否、投名状という由は、物書く事にはあらずかし。およそ初めて此の砦に来つる者は、越前街道に立ちいでて、一人の旅人を討って取り、その首を携さえ来て、二心(ふたごころ)無きを示すを、投名状と名付けたり」と諭(さと)すに、桜戸うなずいて、
「それも又、易かるべし。心得はべり」と請け引くにぞ、巨綸重ねて
「しからんには、明日より三日に限って、投名状を持参したまえ。三日の内にその儀無くば、決してここに留(とど)め難し。縁無きものと諦めて、何処(いずこ)へなりとも行きたまえ」とその期を押せば、桜戸は「仰せにや及ぶべき」と答えて、その日を過ぐしけり。

 かくて、その明けの朝、桜戸はとく起きて、一人の小者を案内(しるべ)としつつ、短刀を腰に横たえ、仕込み杖を突き立てて、飯浦の山間(やまあい)なる浜村の方に立ちいで、旅人遅しと待ちけれども、頃しも年の終わりにて、降り積もりたる雪深く、山々は只白金もて伸べたる如く冴(さ)え渡り、寒さ耐えがたかりければ、はや夕暮れになるまで、人は一人も通らねば、桜戸望みを失って、空しく砦に立ち帰れば、巨綸「さこそ」とあざ笑い、
「いかに、投名状を持て来ざるや。明日も明後日もむなしく帰れば、ここには決して留め難し。ずいぶん精(せい)を出(いだ)されよ」といと憎々(にくにく)さげにぞ懲らしける。

 かくて又、桜戸は、次の日も小者を従え、昨日の山路におもむきつつ、終日(ひねもす)そこに立ち暮らせども、この日も人に会わざりければ、いよいよ望みを失って、
「いかなれば、かくまでに我身は運のつたなき★や。とてもかくても止められぬ、宿世(すくせ)ならん」と打ち嘆くを、供の小者が慰めて、
「されども、明日又、一日あり。心を痛めたまうな」と、諌(いさ)めて砦へ帰り来れば、巨綸(おほいと)ますますあざ笑い、
「明日も又、獲物無くば、再び此方(こなた)へ帰るに及ばず。何処(いずこ)へなりとも行きたまえ」と云うに、桜戸答えも得せず、その夜は早く臥所(ふしど)に入って、又、次の日の暁より砦を出て行く程に、かの案内(しるべ)する小者が、「今日はいささか所を替えん」と云うに、その儀に任せつつ、羽振山(はふりやま)の麓(ふもと)に立て行き、東の人を待ちけれども、未(ひつじ)の下刻になるまでに、この日も人に会わざりければ、桜戸は遂に思い絶えて、
「かくては砦へ帰り難し。日の暮れぬ間に里へ行き、今宵(こよい)の宿りを求めん」とて、木陰をいづる折しもあれ、と見れば一人の旅人が野坂の方より来にければ、「天の与え」と喜ぶ桜戸、腰刀を打ち振って、進むを見返るその旅人、「あっ」とばかりに驚き恐れて、荷物を捨てて一散に、逃げて行方は知らざりけり。
 桜戸は偶(たま)さか(偶然)※に、来つる旅人を追い無くして、しきりに後悔したりしを、供の小者が慰めて、
「投名状は得たまえねども、此の度、荷物(にもつ)も時に獲っては、一つの功になるべきなり。それがし砦へ持来して、事の由を告げ申さん」と云いつつ、その荷を引き担ぎ、砦を指してぞ急ぎける。
※偶さか(たまさか):①偶然。思いがけず。 ②まれに。たまに。

 さる程に、桜戸はしばらく残り留まって、なお旅人を待つ程に、遥か向かいの麓路(ふもとじ)より、旅人とおぼしき女が、こなたを指していで来にけり。およそこの時代の風俗にて、女と云えども旅路は腰に刀を横たえたり。桜戸これを見るより「我物得たり」と喜んで、仕込み杖を引き側(そば)め、まっしぐらに突いてかかれば、その女は大きに怒って、
「盗人女(ぬすびとあま)めが飽くこと知らで、我が供人に持たせたる荷物を奪って、剰(あまつ)さえ、わらわに敵対(てきた)う不敵さよ。さぁさぁ荷物を返さずば、目にもの見せん」と氷の刃(やいば)をひらりと抜いて、面も振らず丁々発止(ちょうちょうはっし)と戦ったる。互いの手練(しゅれん)、虚虚実実※、一往一来※、鎬(しのぎ)を削る雪の山路踏みしだき戦うに、既に早五十余太刀(たち)に及べども、未だ勝負は無かりけり。
※虚虚実実:互いに計略やわざを出し尽くして戦うこと。
※一往一来(いちおういちらい):行ったり来たりすること。

 かかる所に巨綸らは、先に小者が知らせにより、杣木、真弓ら諸共に、数多(あまた)の手下を従えつつ、砦を出て山を下り、早や此の処へ来る程に、かの体(てい)たらくに、且つ驚き、しきりに感じて声を振り立て、
「御両所、しばらく止まりたまえ。やになう★刃(やいば)を収(おさ)めたまえ」と呼び掛け呼び掛け、馳せ近づいて、両人を押し隔(へだ)てさせ、かの女に打ち向かって、
「驚き入ったる御身の武芸、感ずるになお余りあり。我々ことは賊の砦の頭領なる、賽博士巨綸(えせはかせおおいと)、女仁王杣木(おんなにおうそまき)、天津雁真弓(あまつかりまゆみ)なり。又、この女中は、虎尾の桜戸殿にて、かようかようの事により、佐渡の配所(はいしょ)を逃れ出て、我らを頼みて来つる故に、投名状を求めるとて、事のここに及べるのみ。そもそも御身はいかなる人ぞ、名乗りたまえ」と懇(ねんご)ろに問いかけられて、にっこと打ち笑み
「わらわは、元大内(おおうち)の采女(うねめ)にて、女武者所の頭なりし、青柳(あおやぎ)という者なり。我儕(わなみ)※の色の青白ければ、人あだ名して青嵐の青柳(あおあらしのあおやぎ)と云えり。しかるに先年、わらわが預かりし、弓場殿(ゆばどの)の御★(おんゆがけ)を紛失したる咎(とが)により、都を追放せられしかば、武蔵の方におもむいて、両三年を過ぐせしに、此の度、御赦免ありしにより、更に都へ立ち帰り、縁を求めて又、元の采女(うねめ)にならん願いあり。そなたに言い分無きならば、速やかに荷物を返して、放(はな)ちやりたまえかし」と云うに、ますます感ずる巨綸(おおいと)は、
「さては、予ねて伝え聞いたる青柳殿にてありしよの。誤って砦に持て来し荷物はもちろん返すべし。なれどもたまたま名乗り合いしに、此のままに別れんや。今宵は砦に泊りたまえ。酒一献(いっこん)参らせん」と云うに、青柳は否(いな)みかねて、遂にその意に任せつつ、先に逃げたる供人の立ち帰りしを従えて、いざとてやがて身を起こせば、巨綸(おおいと)は斜めならず喜んで、桜戸諸共に打ち連れだって、賊の砦へ伴いけり。
 かくて巨綸は、その夜酒盛りの席(むしろ)※を開いて、青柳をまめやかにもてなしつつ云いけるは、
「今、都には白拍子(しらびょうし)亀菊、院の御寵愛(ごちょうあい)に誇りて、人を損(そこ)なう事、これ多し。例え帰京したまうとも、はかばかしき事あるべからず。されば此の砦に留まって、大将となりたまえ。要害最も堅固なれば、誰にはばかる事もなし。まげてこの儀に従いたまえ」と、いとまめやかに留めけり。
※我儕(わなみ):一人称。対等の相手に対して用いる。
※席(むしろ):すわる場所。また、会合の席

 さても巨綸が、今、青柳を留めんと思う由は、彼女を愛する故にはあらず。此の者は武芸に長けたれば、桜戸を止め置くとも、十分彼女が相手になるべし。しからばこの後、桜戸が砦を奪わんと思うとも、青柳にはばかって、その事叶うべからずと、腹の内に思えばなり。
 青柳はかくとも知らねど、絶えて留まる気色無く、巨綸に答えて云う様、
「御志は、いかばかりも喜ばしくはべれども、わらわが親は由緒正しき北面(ほくめん)の武士なりしに、男子の無かりしかば、わらわを武者所へ召されしなり。しかるに罪を被(こうむ)って、たまたま赦免にあいながら、ここに留まるは不孝なり。悪しく聞きなしたまいそ」と固く否(いな)んで従わず。その明けの朝、元の如く供人を具して、砦を立ちいで、都を指して急ぎけり。

 是よりして、桜戸は賊の砦に留まって、真弓が次の頭となりぬ。又、朱西は元の如く菅(すげ)の浦に立ち帰り、かの酒店をぞ守りける。
 さる程に、青柳は日ならず都に帰り着き、洛中に旅宿(りょしゅく)を求め、いかにもして元の如(ごと)く、女武者所の采女(うねめ)にならばやとて、所縁(しょえん)に付き、その筋を求め、官人(つかさびと)らに賄賂(まいな)いて、物数多(あまた)贈りしかば、ようやくに手引きいで来て、願い文をぞ捧(ささ)げける。
 されば亀菊は、女武者所の別当(べっとう)なれば、青柳が願い文を開き見て、大きに怒り
「か奴(やつ)は、ここに無き落ち度によって、都を追放せられしに、罪許されしは多く得難き身の幸いであるべきに、元の如く武者所の采女(うねめ)になりたしなんど申すのは、片腹痛き願いなり。とても叶わぬ事なるに、重ねて取次ぎすべからず」とあくまでに罵(ののし)って、願い文をずたずたに引き裂き捨ててぞ返しける。青柳は、此の由を伝え聞いて、望みを失い、
「いかなれば亀菊は、心様の毒悪なる。かくては弥勒(みろく)の世に逢うまで、この身の願いは叶うべからず。再び武蔵へ立ち帰らばや」と思うものから、これかれへ物を贈りし事なれば、路用も既に尽き果てたり。只、先祖相伝の三つ具足(ぐそく)★と名付けたる短刀一振りありければ、是非無くこれを売り代(しろ)なして、路用にせんと思いつつ、或る日その短刀を携さえて、あちこちと歩く程に、三条小橋の辺(ほとり)にて、にわかに人々どよめいて
「ソレ、牛鬼(うしおに)が来つるぞよ。逃げよ、走れ」と罵り騒げば、青柳心にいぶかって、ある人に由を問うに、その人答えて、
「近頃、此の辺りに大莫連(ばくれん)★牛鬼婆(うしおにばば)と云う溢(あぶ)れ者あり。酒を好んで飽く事なく、ややもすれば人を捕らえて物を強請(ねだ)り、非道を云い掛け、或るいは暴れ、或るいはねじ込み、所の害になる事多し。されども女の事なれば、誰とて相手になる者無く、避けて通せば良き事にして、日毎にに暴れ歩くなり。今、諸人(もろびと)の立ち騒ぐは、かの牛鬼を恐れるのみ」と告げるに、青柳興醒めて、立去らんとする程に、はや牛鬼が近づき来たるを、と見れば、面は落蹲(らくそん)★の面の如く、色は赤黒くして陳(ひ)ねたる南瓜(かぼちゃ)にも似たり。眼はつぶらにして蝸牛(かたつむり)を並べたる如く、鼻は横に開いて、三つ栗を伏せたる如く、右の袖を押し肌脱いで萎(しな)びたる乳をぶら下げ、左の裾を片端(かたはし)折りして、晒(さら)し木綿の湯巻を露(あらは)し、いたく酔うたりとおぼしくて、足元しどこによろめきよろめき、わざと青柳に突き当たり、矢庭(やにわ)に捕らえ、ちっとも離さず、まなこを怒らし、きつと見て、
「此の女(あま)め、何をかする。いけ邪魔な物を手に持って、つっ立ったるは何の為ぞ」と、よろけかかれど青柳は、いささか騒ぐ気色も無く、
「わらわが持てるは名剣なり。これを売らんと思うにより、買う人を待つのみなり」と云えば、牛鬼あざ笑い、
「その短刀に銘(めい)やある」と問われて、青柳は
「さればとよ、こは三つ具足(ぐそく)丸と名付けしなり」と云うに牛鬼、眉をひそめて、
「三つ具足と云う、その訳いかに」と再び問われて、手に取り直し、
「そもそもこの短刀を、三つ具足という由は、第一に鉄をよく切りて、その音をせず、第二に髪の毛を刃(やいば)へ載せて、吹けばたちまちふんふん(粉々)と、切れて四方へ散乱す、第三に人を切るに骨を余さず、又、速(すみ)やかにして血潮(ちしお)を見ず。この三つの奇特(きとく)★あるをもて、三つ具足と名付けたり」と云うに、牛鬼うなずいて、
「我、その刃を買うべきに、値(あたい)いかばかりにて売るものぞ」と問うに、青柳ちっとも疑義せず、
「今、要用の事あれば、三十金にて手離すべし」と云えば、牛鬼打ち笑い、
「そは甚(はなは)だ高直(こうじき/高価)なり。三百文にて我買わん。まけよ、まけよ」と急がせども、青柳騒ぐ気色なく、
「そなたは誠に買うにはあらじ」と云わせも果てず、まなこを怒らし、
「さばかりの物買わざらんや。只今、云うたる三つの奇特(きどく)を、目の当たりに試して見せよ。まづ壱番に鉄じや鉄じや」と云いつつ、帯の間(あわい)を探って、銭五六文取り出して、 「切って見せよ」と手に渡せば、青柳はその銭を、橋の欄干に押し重ね、刃を抜いてこれを切るに、さながら豆腐を切るに等しく、ちっとも音はせざりけり。
※落蹲(らくそん):舞楽の一つ。二人舞の納蘇利(なそり)を一人で舞うときの称。
※具足(ぐそく):①物事が十分にそなわっていること。 ②皆具の鎧。また、単に甲冑。
※奇特(きとく):①けなげなさま。②珍しい、不思議なさま。不思議な効力。霊験。

 牛鬼婆はこれを見て、又、忙わしく盆の窪の毛を、幾筋か抜き取って、
「さぁ、その次は髪の毛、髪の毛。吹いて見せよ」と手に渡せば、青柳これを受け取って、刃の上に打ち乗せて、ひと吹きふっと吹く程に、毛はふんふん(粉々)と切れ散ったり。
 牛鬼婆又、これを見て、からからと打ち笑い、
「さてその次は、人じや人じや。さぁさぁ人を斬って見せよ」と云えば、青柳は頭を打ち振り
「太平の世に、いかにして故(ゆえ)無く人を斬らるべき。そなたなお疑わば、犬を捕らえて引き持て来よ。その犬を斬って見すべきぞ」と云わせもあえず、声を振り立て、
「おのれは先に何とか云いし。人を斬るに骨を余さず、速やかにして血潮を見ずと、まさしく云いしにいかにぞや。犬を斬るとは聞かざりき」としきりに喚(わめ)き騒ぐになん。
 折から行き来の老若男女は、事こそあれと立ち集って、おっ取り巻きつつこれを見るに、なお牛鬼におぢ恐れて、誰も近くは寄らざりけり。

青柳はかかれども、臆したる気色も無く、牛鬼に打ち向かって、
「そなた、誠に買わんとならば、由なき事を云わずもあれ。しつに切るべき人は無し」と云えば、牛鬼又、喚いて
「人が無くば、我を斬れ。我その刃を欲(ほり)するなり」と云うに、青柳は微笑んで、
「そなた、いよいよ買うならば、さぁさぁ金を持て来たまえ」と、云うをば聞かで、声を振り立て、
「我はちっとも金は無し。只今掛けに売られずば、さあ我を斬れ、斬らずや」と小突き廻しつ争う弾(はず)みに、かの短刀に手を掛けて、奪い取らんとしてければ、青柳、今は堪忍の二字も甲斐無き怒りに任して、短刀ひらりと振り上げて、水もたまらず牛鬼が、細首、丁(ちょう)と打ち落とせば、躯(むくろ)もだうと倒れけり。
 その時、青柳は声高やかに、
「なう、見物の人々よ。見たまう如き仕合せにて、女に似気無き事ながら、止む事を得ず彼女を斬りたり。願うは人々わらわが為に証人になって、公(おほやけ)へ共に訴えたまえかし」と云うに、諸人皆立ち寄って、青柳を誉め慰めて、
「此の牛鬼は、大方ならぬ所の害になる者なりしに、討ち果たされしは幸いなり。我々、諸共訴え申して、事の証人たるべし」とて、皆、青柳を先に立てて、六波羅(ろくはら)の検断所へ参りつつ、事しかじかと訴えければ、六波羅の総司(つかさ)伊賀の判官(はんがん)光季(みつすえ)は、この訴えを聞き定め、両三人の組子をもって、青柳と共に三条小橋へ使わして、牛鬼婆が死骸を検(あらた)め、その後に、青柳を暫(しば)らく牢屋(ひとや)に留め置いて、なおこれかれに問い質(ただ)すに、牛鬼婆は此の年頃、人の害となりし者にて、宿所も無く、子もあらず、その凶悪も少なからねば、光季すなわち青柳が、人殺しの罪をなだめて、筑前(ちくぜん)の国太宰府へ流し使わす由を云い渡し、ちん五ちん六と云う、二人の下使いを差し添えて、青柳を打ち守らせ、遂にかの地へ遣わしけり。

 これにより、三つ具足丸の短刀は、公へ召し上げられて、長く御蔵(みくら)に置かれける。されば青柳が証人に立ちたる里人らは、此の度かの女の働きにて、所の憂いを除きしとて、且つ喜び且つ憐れみ、銭を集めて路用を贈り、涙を流して別れけり。

 かくて青柳は、再び罪人となりしより、首枷(くびかせ)を掛けられて、ちん五ちん六に送られつつ、遠く筑紫へ流される。さて、幾ばくの日数を経て、その船大宰府に着きにければ、すなわちちん五、ちん六は、青柳を打ち守り、宰府の城に赴(おもむ)いて、六波羅よりの送り状を、探題(たんだい)信種(のぶたね)に参らせて、事の由を述べしかば、信種やがて家の子(家臣)らに、青柳を受け取らせて、答え文を渡しにければ、その次の日に、ちん五らは都を指してぞ帰りける。
 
 そもそもこの時、筑紫の探題小武信種(こたけのぶたね)と聞こえしは、北条義時の婿にして、内室(ないしつ)十時(ととき)御前は義時の愛女★なり。されば筑紫は都に次て、西国第一番の大港、繁盛(はんじょう)類(たぐい)無きのみならで、探題は六波羅の総司(つかさ)にもをさをさ劣らず、西九ケ国を管領して、勢いありける大任なるに、しかも信種は、今飛ぶ鳥も落ちると云う、鎌倉の執権たる義時の内縁あれば、その家いたく富み栄えて、家の子(家臣)の多かるに、文武の道に長けたる者もその内に少なからず。
 しかるに信種の奥方十時御前は、女に稀(まれ)なる武芸を好んで、召し使う女房に武芸を習わしたまいしかば、その筋にもまた武術を良くする者も数多あり。これにより都の沙汰に習わんとて、ここにも女武者所を置かれしに、未だその教え頭と致すべき、相応の者無かりしかば、なお物足らぬ心地して、折々夫信種に打ち語らいたまう程に、此の度六波羅より送られたる都の流人の青柳は、元大内の采女(うねめ)にて、武芸に秀でし者なる由、申す者のありしかば、十時御前この事を又、しかじかと告げたまうに、信種聞いて打ちうなずき、
「実(げ)に、その青柳は物の用にも立つべき者なり。暫(しばらく)く端者(はもの)※にして、立ち振る舞いを見られんに、何か苦しかるべき」とて、まづ青柳が首枷(くびかせ)を解き許し、水仕女(みづしめ)※にて使われしに、心利きたる女にて、男に勝る事多かれば、目通りをさえ差し許して、ほとり近くはべらせしが、ある日、十時御前は、青柳を招き寄せて、
「そちは武芸に優れし由、人の噂に伝え聞きぬ。されば今より取り立てて、女武者の教え頭に成さばやと思えども、人の嫉(そね)みの無からずやは事の妨げなるべしと、思い返してもたしたり。この宰府の女武者に、野森(のもり)なんど呼ばれる者は、二三と下がらぬ武芸あり。されば、野森と試合をさせて、そちが十分勝ちたれば、その時にこそ取り立てて、教え頭にしたらんには、諸人すべて帰服(きふく)※せん。いかに、そなたはかの野森と立ち会う心はあらずや」と忍びやかに云われるにぞ、青柳聞いて一議(いちぎ)に及ばず、
「それはこよ無き御恩(ごおん)なり。わらわは初め都にて、女武者所に召されたる、教え頭ではべりしに、弓場(ゆば)殿の御★(おんゆがけ)紛失の落ち度により、先には都(みやこ)を追われしなり。さればこそ十八番の武芸の数々、大方ならず諳(そら)んじたり、相手は嫌いはべること無し。誰にても試合の事を仰せ付けられしくださらば、世にあり難き事にこそ」と、はばかる気色も無く申ししかば、十時御前は喜んで、青柳が申せしままに、又、探題に告げたまえば、信種聞いて打ちうなずき、
「さらば、野森と青柳が、試合の勝負を見るべし」とて、武芸係の郎党(らうだう)立波兵衛(ひょうえ)、女武者所の老女字野江(あざのえ)らに、しかじかと心得させて、はや明日と定められけり。
※端者(はもの):とるに足らぬ者。身分の低い者。
※水仕女(みづしめ):台所仕事をする下女。
※帰服(きふく):つき従うこと。支配下に入ること。帰順。

 これにより七十五間(けん)の大馬場を、試合の場所と相定め、東の馬見所(ばけんしょ)を信種の桟敷(さんじき)とし、西の馬見所を十時御前の桟敷として、紫の幕を張り、紅の毛氈(もうせん)を掛け渡し、東西の桟敷には、武芸に長けたる諸侍、女武者らも集めて、所狭きまで居ながれたり。

 さる程に、警護の足軽百人ばかり、整々(せいせい)として控えつつ、合図の太鼓を打ち鳴らせば、東の方より女武者野森、西の方より青柳が、はや静々(しづしづ)と立いでたり。
 手鉾(てぼこ)★の試合あるべしと、予て定められしかば、野森、青柳諸共に、肌には小鎖(こくさり)の着込(きご)みを着て、小手脛(すね)当てに身を固め、上には各々(おのおの)黒き衣を着て、玉襷(たまたすき)を背高に結び上げ、九尺の槍を引き下げたるが、槍の穂先を抜き取って、麻の布に石灰(いしばい)を包み、丸く鞠の如くにしたるを、蛭巻(ひるまき)★の上に付けたり。
※蛭巻(ひるまき):補強や装飾用に刀・槍の柄や鞘を鉄や鍍金の延べ板で間をあけて巻いたもの。

 これらの事は予(かね)てより、信種の指図にて、真の槍を以ってせば、命を落とす事もあるべし。互いに黒い衣を着せて、穂先に石灰を包みたる槍を持て立ち会わせれば、突かれる数の多き者は、その石灰が衣に付いて黒きも白くなりぬべし。しからば勝負も自(おの)ずから、分明(ふんみょう)に知られんとて、かくは仕度(したく)をせられけり。

 既にして、野森、青柳は又、打ち出す太鼓の音と共に、おのおの立ち上がり、手に手に槍を引きそばめ、まづ隆々(りゅうりゅう)と素突きして、やっと掛けたる声を合図に、野森は槍をひらめかし、青柳が眉間(みけん)をのぞんで、突き倒さんとする所を、青柳すかさず受け流す、手練の早業、踏み込み、踏み込み、秘術を尽くす互いの身構え、ここを晴れとぞ闘いける。
 かかりし程に、激しき穂先を争いかねたる野森は、既に負け色見えて、後退(あとしさ)りするのみなれば、立波兵衛は下知(げち)を伝えて、引き太鼓を打たするにぞ、警護の足軽押し隔(へだ)て、はや東西に引き分けたり。
 その時、人々これを見るに、野森が上衣は真白になって、幾十ケ所か突かれけん。その数も限り知られず、青柳は袖の下に、二ケ所石灰の着きたるのみにて、事既に十二分の勝ちなりけりと、人皆罵り、信種夫婦はことさらに、喜び面(おもて)に表れたり。
 その時、兵衛、字野江(あざのえ)らは、主君夫婦に申す様、
「野森は弓をよくすれども、槍はもとより得手にあらず。此の度は馬上にて、弓矢の試合を御覧ぜよ」とて両人等しく申すにぞ、信種夫婦は止む事を得ず、青柳を呼び寄せて、
「いかに汝は今一度、野森と弓矢の試合をせんや」と問われて、青柳一議に及ばず、
「いかでか何を背(そむ)くべき。ともかくも」と答え申せば、信種夫婦喜んで、更に衣服を着替えさせ、最上の弓と矢に馬二疋(ひき)を引き出させて、野森、青柳に貸したまいけり。その時、兵衛申す様、
「弓矢の試合は互いに危うし。おのおの盾(たて)を相持たせ、矢を防がせ候わん。」さはとて、やがて両人に、事の心を得させつつ、小盾二枚を渡しにければ、おのおのこれを肘(ひじ)につないで、その馬に打ち乗りつつ、又、打ち出す太鼓と共に、東西より馳せ寄せて、青柳は野森に打ち向かい、
「御身まづ、わらわを射たまえ。三度(みたび)にして当たらずば、わらわ又、御身を射ん。いざ、さぁさぁ」と急がせば、野森密かに喜んで、槍の試合に負けたれども、此の度、弓矢の試合に至って、わらわに先を譲る事、これ得難きの幸いなり。射殺してくれんずと思えば、にっこと打ち笑みて、
「そは心得てはべるなり。さらば、わらわが射掛ける矢を受け止めたまえ」と答えつつ、又、東西に引き別れて、乗り巡らし巡らし、野森は弓に矢引きつがいて、矢ごろを張りもて、切って放せば、青柳早く身を沈ませて、鞍(くら)隠れをしてければ、矢はいたづらに行き抜けて、安土(あづち/盛り土)※の方に落ちにけり。野森は既に第一の矢を射損じて、心苛立(いらだ)ち、再び弓に矢打ちつがいて乗り巡らし、追い巡らし、狙いすまして丁と射る。青柳は後ろの方に弦音(つるおと)のしてければ、身を反らしつつ、小盾を持って、すかさず丁と受け止めるに、その矢は発止と折れ飛んだり。野森は二度も射損じて、残るは一矢になりければ、心いよいよせき上(のぼ)して、又、乗り回し隙を窺(うかが)い、弓に矢つがい、矢頃を計る虚々実々、よつ引きひやうと放つ矢を、青柳は右手(めて)に受け留めて、かい掴(つか)んでぞ捨てたりける。
※安土(あづち):弓場で弓をかけるために作った盛り土。

 さて約束の事なれば、此の度は又、野森を青柳が射るべしとて、再び馬を走らせけり。その時青柳思う様、
「・・・・今、野森を只一矢に射殺さんは易けれども、絶えて恨みも無き者を、いかでか惨(むご)く殺さるべき。只、掠(かす)り手を負はせしのみにて、我が弓勢(ゆんぜい)を知らせん」とて、追い回し追い回し、弓を満月の如く引き絞って、矢声を掛けて切って放せば、野森は右の肘を射られて、馬よりだうと落ちければ、諸人どっとどよめいて、「ああ、射たり、射たり」と褒める声、しばしは鳴りも止まざりけり。

 信種夫婦は喜んで、又、青柳を呼び近づけ、女武者の教え頭に、取り立てんとせられる折から、又一人の女武者、たちまちそこに進み出て、
「殿様、奥様待たせたまえ。野森はわらわが教え子なれども、近頃、瘧(おこり/熱病)※を患いし、病み上がりの事にはべれば、青柳が相手に足らず、願うはわらわと青柳と、真剣の試合をさせたまえ。わらわも彼女に負けはべらば、感心して弟子とならん。さ無くばよしや仰せでも、得こそは従い奉らじ」と声振り立てて叫びけり。
 人々驚いてこれを見るに、こは第一の女武者なる索城(なわしろ)と呼ばれる者なり。いと短気なる女なれば、人あだ名して向不看の索城(むこうみずのなわしろ)と呼びなしたり。
※瘧(おこり):発熱、悪寒やふるえのおこる病気。マラリア性の熱病。おこりやみ。

 信種夫婦は、青柳を取り立てん為のみから、試合を催されしに、諸人とにかく従わず、今また索城が、押して試合を望む事、心に危ぶみ思えども、流石に否(いな)とも云いかねて、又、青柳にしかじかと云い含め、心得させて、牝馬一疋(ひき)を引きいださせて、あれに乗れとて貸したまえば、十時御前も業物(わざもの)の薙刀(なぎなた)一振りを取り寄せて、青柳にぞたまわりける。
 されば又、立波兵衛も秘蔵の牝馬一疋を、索城に貸し与え、主君夫婦に申す様、
「索城、青柳が立会いに、真剣をもてせられん事、いづれ一人は、手を負うか、さらずば命を落とすべし。この儀を止めさせたまえかし」と云うを、信種聞きあえず、
「よしや命を落とすとも、彼女らが望みに任せざらんも、武士には似気無き業なるべし。さぁさぁ」と急がしたまえば、兵衛は是非なく下知を伝えて、知らせの太鼓を打たせけり。

 さる程に、索城は腹巻に小手脛当てして、腰に一振りの太刀を横たえ、立波栗毛と呼ばれたる、駿馬(しゅんめ)にゆらりと打ち乗って、手にはいと大きなる鉞(まさかり)を引き下げて、東の方より乗りいだせば、青柳も同じ装束(いでたち)にて、とき馬に打ち跨り、十時御前のたまわりし薙刀を脇挟み、西の方より馬を寄せるに、なおも早まる太鼓と共に、双方等しく声を掛け、打つをひらりと受け流す。一往一来、劣らず優(まさ)ず、行き巡り巡り、索城が獅子の怒りをなせば、青柳は龍蛇の勢いあり。振り閃(ひらめ)かす薙刀は、雲間を漏れる月の如く、又、打ち掛かる鉞(まさかり)は、岩根を走る稲妻に似て、人は人と相闘い馬は馬と挑み争う。蹄(ひづめ)の音も刃(やいば)の響きも拍子を揃えて目覚(めざま)しく、既にして戦うこと六十余太刀に及べども、勝負も果てず見えしかば、信種夫婦云えば更なり、席にはべりし男女の輩(ともがら)、呆然として酔えるが如く、且つ呆(あき)れ且つ感じて、手に汗握るばかりなり。
 その時、兵衛、字野江は、主君夫婦のほとりに参って、
「索城、青柳が武芸の比類(ひるい)なく、劣り勝(まさ)りは候わず。今日よりしてかの者どもを、女武者の教え頭に仰せつけられしかるべし」と言葉等しく申すにぞ、信種も十時御前も、その喜び大方ならず、やがて索城、青柳を東西へ引き分けさせて、ほとり近く呼び寄せつつ、
「両人共に女武者局の教え頭を務むべし」と云い渡させたまうになん、二人の女子(おなご)は喜びの言受(ことう)けを申しつつ、各々退きいでにける。

 さればその夜、索城が朋輩(はうばい/仲間)※らは、皆々彼女が部屋に集って、喜びを述べ、酒盛り遊んで、いと賑わしく見えしかど、青柳は馴染みも無ければ、おのが部屋に立ち帰り、一人寂しくその夜を明かしぬ。
 しかれども、是よりして人の頭と敬(うや)まわれ、我に疎(うと)からぬ立ち振る舞う女武者も多くなるままに、萬(よろず)の務めに暇(いとま)無くて、その年は暮れにけり。
※朋輩(はうばい):同じ主人に仕えたり、同じ先生についたりしている仲間。同僚。同輩。

 かくて、その次の年、春は過ぎ夏は来て、五月初めの頃かとよ、難波津(なにわづ)を預かり守る天野の判官遠光(とおみつ)が、女武者に直蜚の稲妻(ひたとびのいなずま)、篠芒の朱良井(しのすすきのあからい)とて、ことに武芸に優れたる、この二人の女らは、ある夜、遠光の下知を受けて、五六人の組子(くみこ)を従え、あちこちを打ち巡りぬ。
 これらの由は詳(つまび)らかに五の巻きに記すべし■       

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>

傾城水滸伝 三編 之三

2013-01-11 17:35:11 | 三編
傾城水滸傳第三編之三
曲亭主人著 歌川国安画

 此の編の四の巻の終りに、説きいだしたる直蜚の稲妻(ひたとびのいなずま)が、暫くおくされば、又、太宰府には青嵐の青柳が、女武者の教え頭となりし、次の年の夏の初めに、頼家卿の落とし胤(たね)、しかじかの所にありと訴え申す者ありしかば、信種やがて召し捕って、厳しく禁獄したりける。

 さても、鎌倉の将軍頼家卿は、去ぬる建仁三年(1203年)の秋七月に、御母の尼御台(あまみだい)政子御前と執権北条義時の計らいにより、伊豆の修善寺へ押し込められたまい。あまつさえ頼家卿の嫡男(ちゃくなん)の一幡(いちまん)君は、比企の判官義員(よしかず)と共に、義時が為に討たれたまいぬ。かくてその次の年、元久元年の秋に到り、義時は密かに安達景盛(あだちかげもり)をもて、討つ手の大将として伊豆の修善寺へ遣わしつつ、浴室の内にして頼家卿を討ち奉れり。

 しかるに、この頃、頼家卿の妾腹に、当才の息女ありて、三世姫と呼ばれたまうを、乳母(めのと)夫婦が甲斐甲斐しく、懐にかき抱きて、西国に落ち下り、名を変え、姿をやつしつつ、密かに育み参らする事、早や七年(とせ)に及びけり。
 かかりし程に、情けを知らぬ里人が、いかにしてか嗅ぎ付けけん。乳母夫婦を打ち殺し、矢庭(やにわ)に姫を奪い捕り、大宰府に具し参りて、事しかじかと訴えしかば、信種大きに喜んで、
「幼少なる息女と云うとも、ゆるかせ★にすべきにあらず。よくこそ絡め捕りたり」とて、その者には褒美を取らせ、三世姫を一間の内にいと厳しく閉じ込め置いて、両三人の女房を付け置き、とく鎌倉へ送り遣わして、執権の御計らいに任せばやと思えども、此の年頃、平家の残党木曽の余類、或るいは義経、泰衡(やすひら)が、恩顧の者、又は比企の判官梶原などが、一族の討ち漏らされたる者どもの、山に籠もり海に浮かみて、多きは千人二千人、少なきにも五百六百と軍兵を集め、砦を構え兵糧を押げにて、路地(次?)の妨げを致し由、しばしばその聞こえあり。
「去年(こぞ)の秋、大宰府より貢ぎの金三千両を鎌倉へ参らせしに、たちまち道にて奪い取られ、今その盗賊の行方知れず。かかれば此の度、三世姫を鎌倉へ遣わさんに、船路にもせよ陸(くが)にもせよ、曲者どもに奪い取られ、世の物笑いになりぬべし。さればとて、数千の軍兵をもて送らせんは、京都、鎌倉の沙汰後ろめたし。いかがすべき」と思いかねて、徒(いたずら)に日を過ごす程に、鎌倉なる執権義時の奥方は、十時御前の母上なるが、五月の初めに使い到来して、御消息とて参らせしを、十時御前は見たまうに、
「父君は此の程より、いささか暑さにあたらせたまうて、心地例ならず御座(おわ)しまするに、とかくに熱気の冷めたまわず、ある博士の申せしは、筑紫大宰府なる天満宮に、納め置かれる天国(あまくに)の宝剣を、枕に掛けて置かせたまわば、御悩(のう)平癒疑い無しと確かに考へ申したり。しかれども、かの宝剣は世に隠れなき霊宝なるを、鎌倉より下知を伝えて、取り寄すべくもあらずかし。小武殿の心もて、しばしが間借り受けて、とくとくおこしたまえかし。等閑(なおざり)にな、過ぐされそ」と繰り返しつつ、書かれしかば、十時御前は驚いて、しかじかと告げたまうを、信季聞いて眉をひそめ、
「只今、我らが勢いをもて、かの宝剣を借りんと云わば、神主、祝(はふり)※もいかでか否まん。まいて、執権の為なるをや。そこに障(さわ)りはなけれども、もし道中にて曲者に奪い取られる事あらば、これも由々しき大事なるべし。されば、かの宝剣と諸共に、三世姫を鎌倉へ送り遣わす宰領には、智勇兼備の者ならでは、必ず事を過(あやま)つべし。さて誰をがな遣わすべき」と心の内に選(えら)めども、なおその人を得ざりけり。
※祝(はふり):神主・禰宜(ねぎ)に従って祭祀をつかさどる神職。また、広く神職の総称。

[物語ふたつに分かる]
ここに又、難波津の守護たりし、天野の判官遠景(とおかげ)は、先に滅び失せたる者どもの、残党のかかれ居る事もやとて、捕り手頭の誰かれに、組子大勢従わせ、あちこちへ使はせしに、一人も絡め得ざりけり。しかるに、此の頃、都には、院の御所にて女武者を置かれしかば、国々なる守護、地頭もこれに倣(なら)って、勇婦を抱え女武者と称(とな)えつつ、召し置かぬ者無き世なれば、難波の守護にも女武者あり。そが中に、直蜚(ひたとび)の稲妻、篠芒の朱良井(しのすすきのあからい)と云う、二人の女武者は、男勝りの智勇の者なり。その時、遠景思う様、
「・・・・かの稲妻、朱良井らは、近き世の巴、板額(ともえはんがく)にも、をさをさ劣らぬ者どもなれば、今宵は彼女らに云い付けて、あちこちへ遣わすべし。女なれば、曲者らも或るいは侮(あなど)り油断して、絡め捕られる事あるべしとて、思う由をかの女子らに説き示し、心得させて、組子五七人を従わせ、その夜、西生、東生(にしなりひがしなり)の村々へぞ遣わしける。

 さる程に、両人東西へ引き分かれ、朱良井は西生の村々を打ち巡り、稲妻は東生の村々を巡る程に、荒れ墓のほとりなる朽ち傾きし観音堂の内に、鼾(いびき)の声のしてければ、稲妻は心に訝(いぶか)りつつ、忍び松明を振り照らし、立ち寄りてこれを見るに、歳なお若き下衆(げす)女の大縞(しま)なる、一重衣の片袖を押し肌脱ぎ、黒き肌へを現わしたるが、いたく酒に酔うたりとおぼしくて、前後も知らず伏して居(を)り、稲妻これをつらつら見て、
「こは曲者ぞ、絡め捕れ」と下知に従う組子ばら、「承る」と答えつつ、押さえて縄を掛けんとするに、その女は驚き覚めて、心得たりと跳ね返し、先に進みし一人をかい掴み、礫(つぶて)に取って、表の方へ投げ退(の)けたり。
 されども多勢なりければ、いやが上に折り重なって、腕(かひな)を捉え、足を押さえて、ようやく縄を掛けしかば、稲妻深く喜んで、しばらく休息すべけれとて、天王寺村におもむいて、村長(むらおさ)小蝶(こちょう)が宿所に到りぬ。

 そもそも、国府天王寺の村々の庄役は、此の時女持ちにして、その名を小蝶と呼びなしたり。彼女は代々東生郡(ひがしなりこおり)の庄役にて、筋目正しき者なるが、その親の時に至って、家を継ぐべき男子(おのこ)無く、只、この小蝶一人をもてり。しかるに、二親世を去りし頃、婿を呼び迎えたまえとて、仲立ちする者多かりしかど、小蝶はこれを請け引かず、かくてはその家の断つべくもあらざりしを、小蝶は男に立ち勝って、力強く武芸を好み、且つ、算筆(さんぴつ)の技をさえ、良くせずと云う事無ければ、村人ら国司に願って、小蝶を親の時の如く庄役に成し下されよと、一郡挙(こぞ)って請い申せしに、女の時めく世なりければ、遂にその儀に任されたり。

 しかるに去ぬる年、西生郡なる中津川のほとりに、妖怪いでて人を悩ますこと甚(はな)はだしかりけるに、ある山伏は里人に教えて、いと大きなる石の塔を造らせて、これを中津の川端に建てしかば、それよりして妖怪は東生郡に移り来て、ここの里人を悩ますと聞こえしかば、小蝶はいたく打ち腹立てて、ある夜、只一人、中津川へおもむきつつ、その塔を引き担(かつ)ぎ、静々と帰り来て、猫間川のほとりに建てしかば、人皆、小蝶が勇力におぢ恐れずと云う者無く、これより彼女をあだ名して、夜叉天王の小蝶(やしゃてんのうのこちょう)とも、又、多力の小蝶(たじからのこちょう)とも云いけり。
 閑話(あだしはなし)はさて置いて(閑話休題)、小蝶はその夜の丑三つ頃、不意に難波津の守護の女武者、直蜚(ひたとび)の稲妻が、夜回りの帰るさ(途中)なりとて、組子に門戸を叩かせしかば、忙わしく迎え入れ、客座敷に休息させ、俄(にわ)かに酒肴を按配して、稲妻にすすめ、組子らには次の間にて、同じく杯をすすめしかば、組子らは絡め来つる怪しき女を牛小屋の梁(うつばり)に吊り上げ、戸を引き閉(た)てて、皆諸共に次の間にて酒を飲みけり。その時、小蝶は稲妻を労(ねぎら)って、
「直蜚の刀自、夜中の勤役疲れたまわめ。いかに獲物のはべりしか」と問われて、稲妻は
「さればとよ、させる者にはあらざれど、荒れ墓の崩れ堂にて、怪しき女を絡め捕ったり。その故はかようかよう」と事詳(つまび)らかに説き示し、
「この事を早く長に告げずば、後に国司より御尋ねのあらん時、御答えに不都合ならんと思えば、心得させん為、且つ休息もせま欲しさに、夜深に門を打ち叩いて、驚かしはべりしに、かくねんごろなるもてなしは、心苦しくはべる」と云う。小蝶はこれを打ち聞いて、浅からぬ志の喜びを述べなどしつつ、腹の内に思う様、
「・・・・我が預かる村里には、曲者絶えて無かりしに、直蜚殿に絡められしは、いかなる者にてあらんずらん。我その所へおもむいて、密かに見ばや」と思うになん、手代の大人を座敷に出して、稲妻らをもてなさせ、その身はしばらく退いて、紙燭(しそく)を照らして、只一人、牛小屋にぞおもむきける。
 さても、小蝶が心の内に、今しかじかと思う由は、その身男魂あれば、年頃弱きを助け強きを挫(くじ)き、施(ほどこ)しを好み、財を惜しまず、もし一芸ある女子(おなご)の不仕合せに身を置きかねて、頼み来つる者あれば、いつまでも養い置いて、又、立去らんと云う時は路用を与え元手を取らせて、いささかも恩とせず、ここをもて、その名遍(あまね)く世に聞こえ、徳とせずと云う事無し。されば、小蝶がその女を、密かに見まく欲(ほり)するは、心に彼女を哀れむ故なり。さる程に小蝶は、やをら牛小屋の戸を引き開けて、灯(とも)し火を差し寄せ、つらつらとその女を見て、
「そちはいかなる悪事を成して、かくは絡め捕られしぞ」と問えば、女もつらつら見て、
「わらわいかでか悪事を成すべき。筑紫の果てより遥々と、此の辺りに問う人あり。しかるに、宵に酒を過ぐして、いと耐え難くはべりしままに、とある辻堂に休らって、心ともなく酔い臥したるを、捕り手の人々怪んで、訳も得問わず絡めしなり。さりとてわが身に犯せる罪無し。後に云い解く由もあれば、此の恥ずかしめを忍ぶのみ」と云うに、小蝶はうなずいて、
「しからば、そなたの尋ねる人の名は、何と云うやらん」と再び問われて、
「さればとよ、天王寺村に隠れも無き、夜叉天王の小蝶殿なり。かの人に密議を告げて、世に二つと無き、宝物を贈らんと思えばなり」と云うに、小蝶は微笑んで、
「云われる小蝶はわらわなり。宝と聞いて愛(め)づるにあらねど、わらわを尋ねて来つる人を、いかでか余所に救わで置くべき。今にもあれ、稲妻殿のいでて行く時、そなたわらわを伯母(おば)と呼べ。わらわは又、そなたを呼んで、姪(めい)の小沼(こぬま)と云うべきぞ。その余の事はかようかよう」と忍びやかに示し合わせて、又、忙わしく座敷に到って、稲妻をもてなしけり。

 かくて杯の数も巡るままに、早や明け方になりしかば、稲妻は別れを告げて、立ちいでんとする程に、組子らは牛小屋に吊り上げ置きし、その女を引き降ろし、押し据えて、皆並み居たる門辺に見送る小蝶は、その女を見て、
「昨夜(ゆうべ)絡め捕られしは、此の女子にてはべるか」と問う言葉、未だ終わらず、その女は声を掛けて
「叔母様、わなみを救いたまえ。救いたまえ」と呼ばはるに、小蝶はわざと驚きながら、火影に立寄り、つらつらと見て、
「おのれは鹿間の小沼じゃないか」と問われて、再び声を振り立て、
「いかにも小沼ではべるなり。年頃、敷居の高ければ、訪れもせざりしかど、奉公しても果々(はかばか)しからず、又も叔母御を頼まんと、思うて遥々来たれども、夜食代わりの腰掛酒を飲み過ぐせしより酔うたるに、このまま行かば叱られん、しばらく酔いを醒ましてこそと、道のほとりの辻堂に、憩(いこ)いて、しばし微睡(まどろ)みしに、この人々の見咎めて、訳も正さず情け無く、矢庭(やにわ/急に)に絡め捕られたり。救いたまえ」とかき口説けば、小蝶はわざと睨(にら)まえて、
「能無し女めが又しても、奉公も得せずに、難波三界彷徨(さまよ)う事か。さまでに酒が飲みたくば、我宿へ来て飲みはせで、女子(おなご)だてらに腰掛酒に酔うたればとて、辻堂に転寝(うたたね)をする事やはある。どうしてくりょう」と息巻いて、辺りに有りし竹杖を、おっ取り上げて打たんとするを、稲妻急に押し止めて、
「庄役いたくな、怒りたまいそ。わらわも実はこの女子の、犯せる罪の有り無しを知らず、又庄役の姪(めい)ならんとは、夢にも知らぬ事なれば、只装束(いでたち)の異様なると、一人辻堂に酔い臥したるを、心得難く思いしかば、かくは絡め捕らせしのみ」と云うに、小蝶は面(おもて)を和らげ、
「世に恥ずかしき事ながら、こやつは播磨の鹿間なる姉の子ではべるなる。歳十一二なりし頃、一度ここへ呼び寄せしに、女子に似気無きわがまままの、心しぶとき者なれば、追い返えせしより既に早や、十歳(とせ)余りの月日を経たれば、わらわは見忘れたりけれども、左の方の鼻の脇に、赤く大きなる黒子(ほくろ)あり。それのみ忘れざりければ、早く小沼と知れるなり。彼女の二親は身罷って、今に縁(よすが)を定め得ず、ここら辺りへ彷徨い来て、叔母の顔に泥を塗る腹立たしさよ」と息巻いて、再び打たんと進み寄るを、稲妻は間(あはひ)に押し隔(へだ)て、
「云われるおもむき理(ことはり)なれども、若き内の心得違(たが)えは、誰が上にも無きにはあらず。御身の姪御(めいご)をいかにして、このままに引きもて行かんや。いざいざ受け取りたまえ」とて、組子に下知して、その女の縛めの縄を解き許し、小蝶に渡して別れを告げ、そがまま帰り去らんとするを、小蝶はしばしと押し止め、
「数ならねども、わらわが面にめでて、許させたまいぬる。こやつが為に喜びを、述べずに返し参らせんや。しばし此の方へ入らせたまえ」と割なく留めて座敷へ伴い、紙に包みし金千匹を折敷(おしき)★に載せて贈りしを、稲妻しばしば押し返せど、小蝶はなおも言葉を尽くして、
「かばかりの物を受けたまわずば、わらわが心安からず。まげて受け引きたまいね」としきりにすすめて止まざりければ、稲妻遂に否みかね、ようやくに受け納めしかば、小蝶は又、組子らにも銀一包みづつ贈りけり。
※折敷(おしき):「へぎ」を折り曲げて縁とした角盆、または隅切り盆。

 とかくする程に、夜はしらじらと明けしかば、稲妻は忙わしく組子を引き連れ、暇乞いして屋敷へとてぞ帰りける。稲妻は組子を連れて、既に帰り去りにければ、小蝶はそのままかの女子を奥の座敷へ伴って、酒食をすすめて新しき衣装を取らせて着替えさせ、
「先には、はばかりの席ありしかば、未だ御身の何をだに問わず。御身は真に筑紫の人か、いかなる事のあるにより、我方へとて来たまいしぞ」と問えば、女子は左右を見返り、
「我上つぶさに告ぐべきに、辺りの人を遠ざけたまえ」と云うを、小蝶は聞きあえず、
「ここにはべる者どもは、全てわらわが腹心なれば、いささかも苦しからず。さぁ打ち出して示したまえ」と云うに、女子は膝を進めて、
「何をか包みはべるべき。わらわは筑紫の田代(たしろ)の者にて、名を味鳧(あじかも)と云う者なり。わらわが髪の赤ければ、人あだ名して赤頭の味鳧(あかがしらのあじかも)と呼びなしたり。父は鎌倉二代の将軍頼家卿の近侍(きんじゅう)の侍、冨部の五郎高義なり。今より十年(とせ)先の秋、執権北条義時が計らいにて、頼家卿は修善寺にて、あえなく討たれたまいし時、我が父は討ち死にして、母は乱軍の内に討たれたり。その時、わらわは十二才、頼家卿の息女なる、三世姫に具し奉りて、筑紫の田代に落ちとどまり、よそながら姫上に宮仕えしはべりしに、里人らが悪心にて、大勢にわかに押し寄せ来つ、姫上の乳母(めのと)なる小坂の九郎夫婦の者を、たちまちに討ち殺して、姫を奪い奉り、やがて筑紫の探題なる小武信種に渡してけり。その折わらわは居合わせず、事の変を聞くと等しく、宙を飛んで帰ると云えども、事果てて後の事なれば、いかにとも詮術(せんすべ)無きに、そがまま田代を逐電して、あちこちに身を隠し、いかにもして姫上を取り返さんと思えども、身一つにては叶うべからず、この天王寺村には隠れ無き、夜叉天王小蝶の刀自は、武芸力量、女に似気無く弱きを助け強きを挫(くじ)き、義の為には身をも忘れて、財を惜しみたまわずと、予(か)ねてより聞きしかば、思う心そ密かに告げて、いかで助けを借らんとて、遥々尋ねて来たりしに、さきに辻堂に酔い伏して、稲妻とやらんに生け捕られ、思わずここへ引きもて来られて、不思議に御身に救われしも、これ又、奇縁と云うべきのみ。いかに受け引きたまわんや」と云うに、小蝶はうなずいて、
「わらわとても親の時より、鎌倉の将軍家の御恩によって、かたの如く四五か村の長をすなれば、頼家卿の御落命、かの義時が肝悪を、いかでか憎しと思わざらんや。まいて頼家卿の姫上さえ、囚(とら)われんとなりたまうは、いと痛ましき事になん。かかればその儀に一味の事は、元より願うところなれども、筑紫は道のいと遠く、奪い取るべき頼(たよ)りを得ず」と云うに、味鳧微笑んで、
「その儀は気使いしたまうべからず。わらわほのかに伝え聞きしは、小武信種、人をもて、三世姫を鎌倉へ送り遣わす用意あり。且つ義時の病気平癒(へいゆ)の為、天国(あまくに)の宝剣を、宰府の社(やしろ)より借り取って、鎌倉へ贈ると云えり。義時なんらの徳あって、天満宮の神宝たる、かの御剣(みつるぎ)を、軽々しく鎌倉へ呼び下すや。この事も又憎むべし。先に得難き宝物を、御身に贈り参らせんとて、遥々尋ねて来つると云いしは、三世姫と天国(あまくに)の宝剣を云えるなり。わらわも元より武芸をたしめり、時日を探り、途中に於いて待ち伏せして、奪い取るべし。この義はいかに」と囁けば、小蝶はしきりにうなずいて、
「しからんには、事を起こす、いささか便宜(びんぎ)あるに似たれど、なおも味方を語らって計り事を定むべし。まづまづ休息したまえ」とて、小座敷へ伴って、小蝶は奥へぞ退きける。その時味鳧思う様、
「・・・・・我、思わずも小蝶の刀自の情けによって、縄目を免(まぬが)れ、又、かの密議に一味せられて、もてなされる事、大方ならねど、未ださせる報(むく)いをせず。さるにてもかの稲妻めは、見留めたる咎も無き、わらわを酷(むご)く縛めて、小蝶殿より金を取り、したりし顔せしけ憎さよ。遠くは行かじ追っかけて、金取り返して小蝶殿に渡すが、当座の恩返し。そうじゃそうじゃ」と腹の内に、思案をしつつ辺りを見るに、壁に掛けたる一振りの仕込み杖のありしかば、「これ究竟」と脇挟み、裳裾かかげて庭口より、後を慕って追って行く。かくとも知らぬ稲妻は、既に小蝶が宿所を出て、いささか道に立寄る方あり。それより更に道を急いで、野田のほとりまで来ける時、後より我を追う者あり。誰なるらんと見返りつつ、しばらくそこにただすむ程に、味鳧早く追っかけ来て、まなこを怒(いか)らし声高やかに、
「貪欲者の稲妻待て。先には汝は咎も無き、わなみをいたく縛めて、我が叔母に謎★をかけ、数多の金を貪り取って、ぬくぬくとして帰るとも、いかでかそのまま帰すべき。金をわなみにさぁ戻せ」と云うに、稲妻呆れ果て、
「こやつは気でも違いしか。許し難き奴なれども、汝が叔母の面にめでて、その縛めを解き許せしに、かたじけ無しとは思いもせで、我が懐ろを目掛けて来たか。叔母御の贈りし金なるに、おのれに返す事やはせん。さぁさぁ帰れ」と息巻けば、味鳧いよいよ罵って、
「返さねばとて取らで置くべき=いやいや返さぬ=いや返せ=そりや又どうして=かうして取るは」と仕込み杖をひらりと抜いて、討ち掛かれば、稲妻も又、抜き合わして丁は発しと戦ったり。

さればまた、この野田の里に、呉竹と云う女博士あり。あちこちの女の童を集めて、手跡※を教え、又、大和(やまと)、唐土(もろこし)の文を教えて、生業(なりわい)とする者なるが、智恵いと深い女なれば、人あだ名して智慧海の呉竹(ちえのうみのくれたけ)と呼びなしたり。
※手跡:書いた文字、筆跡。

 されば、この呉竹は稲妻とは知れるだちにて、小蝶にも疎(うと)からず、この明日起きいでて、自ら門の戸を開ければ、相知ったる稲妻が、一人の女子と物争いして、互いに刃をひらめかし、二打ち三打ち戦う程に、呉竹あわやと押し止めて、まづその訳を尋ねれば、稲妻は息付きあえず、
「昨夜(ゆうべ)、味鳧を絡め捕りし、その事の始めより、彼女は天王寺村の庄役小蝶が姪(めい)なるに、よって邪正も正さで許せし由を物語り、その折小蝶はその喜びとて、ちとの物を贈りしを、此の女子が妬(ねた)く思って取り返さんとひしめく故に、事のここに及びしなり」と云うを、呉竹打ち聞いて、心の内に思う様、
「・・・・わなみ年頃、小蝶殿と事に親しく交われども、姪女の在りし由を聞かず、且つ叔母姪の年恰好(かっこう)も不相応に見えたれば、これには深き訳あるべし。まづ双方を宥(なだ)めてそ」と思案をしつつ、様々に言葉を尽くして諭せども、味鳧はとにかくに贈りし金を返せと云う、言葉戦い再び募(つの)って、またまた挑み戦うにぞ。呉竹も止めかねて、詮方も無く見えたる折から、天王寺村の方よりして、息を計りに駆け来る者あり。
 これすなわち小蝶なり。近づくままに声を掛け、味鳧を叱り止めれども、切り結びたる★最中なれば、ちっとも聞かず、踏み込み、踏み込み、勢い激しく闘えば、稲妻は遂にあしらいかねて、受け太刀にのみなりしかば、従う組子ら堪(こら)えかねて、助太刀せんとぞ身構えたる。

 その時、小蝶は走り着き、辺りに在りし桂石(かつらいし)を、いと軽々と取り上げて、討ち合わしたる刃の中へ、おしにとつさり押し据えて、その身も共に尻を打ち掛け、味鳧をいたく叱って、稲妻を宥めしかば、両人これに心解けて、ようやく刃を収めつつ、稲妻は味鳧が体たらくを小蝶に告げて、

「その金は御身より贈られたる物なれば、再び御身に会わん日に返さんと思いしのみ。姪御に返す由の無ければ、争い募(つの)って鎬(しのぎ)を削れり。既に御身の来たまう上は、その金を返すべし」と云うを、小蝶は聞きあえず、
「いかでかは、さる事はべらん。皆、我が姪の気随(きずい/わがまま)※に任せし、無礼は許させたまえかし」と、言葉を尽くして詫びしかば、稲妻これに心解けて、互いに遺恨(いこん)あらじとて、和睦をしつつ、元の如く組子引き連れ、忙わしく天野の屋敷へ帰りける。

その時又、呉竹も小蝶に在りし次第を告げて、
「わらわも先に止めしかども、姪御の武芸は世の常ならねば、稲妻殿もあしらいかねて、受け大刀にのみなられたり。去るを御身の来たまう事が、今少し遅かりせば、稲妻殿は手を負って、事の大事になるべきに、幸いにして収まりしは、大方ならぬ喜びなり。しかるにいと訝(いぶか)しきは、播磨に御身の姪ある事は、今日までも知らざりき。真の姪子ではべるか」と問われて、小蝶は打ち微笑み、
「その疑いは道理(ことわり)なり。是には故ある事ぞかし。まづ我宿所へ来たまえ」とて、呉竹をも伴って、天王寺村へ帰りつつ、奥座敷にて酒をすすめ、さて、味鳧が事のおもむきの初めより終わりまで、呉竹に告げ知らせ、
「わらわは去ぬる夜、夢心に北斗七星が我が家の後ろに落ちると見たりしに、又一つ小さき星の後より落ちると夢見て覚めたり。星を夢に見る者は、萬に利ありと聞きたるが、此の度思い起こす事の成就するさがならずや」と云えば、呉竹うなずいて、
「我も人も、義時の道ならぬ計(はか)らいを憤(いきどお)らずと云う者稀なり。かかれば三世姫を奪い取って、国に忠義を尽くさん事、わらわも願う事ぞかし。さりながら一味の輩(ともがら)大勢にては返って事の妨げならん。さればとて、此の三人のみにては事足るべくもあらぬなり。近江の国の唐崎の漁り(すなどり)※人に、三人の姉妹あり。第一の姉を大歳麻二網(おおとしまふたあみ)と云えり、その次を気違水の五井(きちがいみずのいつつい)と呼びなしたり、第三の末の妹を鬼子母神七曲(きしぼじんななまた)と云うなり。この姉妹は、新田の四郎忠常の家の子(家臣)なりし、三崎の七郎利光が為には姪なり。先に忠常の滅び失せしより、姉妹三人唐崎(からさき)にて、網を引き、釣りを垂れ、いと貧しくは世を渡れど、男に劣らぬ魂あり。わらわ近江に在りし時、疎(うと)からず交わったり、かの姉妹を語らわば、そは究竟の助けとならん。計り事はかようかよう」と額(ひたい)を合わせて囁き示せば、小蝶はかく喜んで、用意の金子一包みを呉竹に渡しけり。
※気随(きずい):自分の思いのままに振る舞う・こと(さま)。
※漁り(すなどり):①漁をすること。②漁をする人。漁夫。

 かくて呉竹は、その日にわかに門出でして、日ならず近江の唐崎におもむきつつ、まづ二網が宿所に到るに、二網早く出迎えて、
「こは珍らし。先生はいかなる風に吹き送られて、ここらへ来させたまいしやらん」と笑みつつ云えば、呉竹もからからと打ち笑い、
「ちと頼みたき事あれば、遥々と来つるなり。いかに二人の妹御も、おのおの宿に居られるか」と問えば、二網
「さればとよ、五井(いつつい)は釣りにやいでたる。七曲(ななわた)はいづちへ行きけん。そこら一辺尋ねて見ん。いざたまえ」とて水際(みぎわ)なる小船に乗せて、あちこちと入り江、入り江を漕(こ)ぎ巡るに、一群(むら)茂き真菰(まこも)※の中に、一艘(そう)の釣り船あり。二網ややと声を掛けて、
「そは五井にあらざるか。智慧海(ちえのうみ)の先生が難波より来ましたり。そなた衆を打ち集えて語らう事のあり」とし云えば、とくとくと急がすにぞ、五井は「おう」と答えて、そがまま船を漕ぎ寄せつつ、呉竹は対面して、別れし後の無事を寿(ことぶ)き、姉の二網諸共に杯をすすめんとて、又、唐崎の方へ漕ぎ戻すに、入江橋のほとりにて、七曲が一徳利の酒を携えて宿所の方へ帰るを見つつ、呼び留め、船を寄せて、そがままに乗り移らせれば、七曲も又、呉竹に口誼※を述べて、まづ船中のもてなしにとて、その酒を打ち開けば、五井は釣りせし魚を一つ竃(へっつい)に押しくべて、焼いて肴にすすめけり。
※真菰(まこも):イネ科の大形多年草。水辺に群生。
※口誼(口義):口頭で挨拶(あいさつ)を述べること。

 その時、呉竹は三人の姉妹に打ち向かって、
「わらわは去(い)ぬる頃よりして、天王寺のほとりなる富める人の娘たちの、素読の師匠と敬(うやま)われて、その家屋敷のほとりに居るなり。しかるにかの人近き日に、寿きの由あって、数多の客を招かれる。これにより長さ二尺五寸なる鯉十本と一尺余りなる源五郎鮒六十枚を求められる。これを御身姉妹にあつらえんとて来つるなり」と云うに、三人眉(まゆ)をひそめて、
「鯉鮒は、この地の名物。さばかりの注文はいと易かるべき事なりしを、いかにせん、今ではなかなか一尺余りの鯉だにも絶えて得難し。その儀は許したまえかし」と否むを、何ぞと故(ゆえ)を問えば、三人答えて
「さればとよ、さる大きなる鯉鮒は、この湖の内にても飯浦、山梨、片山のほとりに多かり。しかるに近頃、賤ヶ岳に三人の山立ちあって、数多の手下の軍兵を集めたる。第一の頭領を賽博士巨綸(えせはかせおおいと)と云い、その次を天津雁真弓(あまつかりまゆみ)と云い、又、その次を女仁王杣木(おんなにおうそまき)と云えり。かくて又、去ぬる頃よりして、虎尾の桜戸と云う勇婦が馳せ加わって、勢い最も強大なり。かの山立ちの勇婦の面々は、賤ヶ岳に砦を構えて、飯浦と余呉川を境とし、数多の村里を横領したれば、我々までも世渡りの方便(たつき)をそこに狭(せば)められて、絶えてかしこへ行く事得ならず。この故に御注文の鯉鮒は、我々が力に叶いはべらず」と云うに、呉竹は小首を傾け、
「聞くが如きは、かの勇婦らは先亡の残党にて、すなわち謀反(むほん)の輩(ともがら)なり。しかるに、などて公けより討手(うって)の軍兵を差し向けたまわで、都近き島山を棲家にせられたるやらん」と云えば、三人言葉ひとしく、
「それには故ある事なるべし。今、都には白拍子亀菊が沙汰として、非法の事ども少なからず。又、鎌倉には執権義時が密かに頼朝卿の御子たちを押し倒さんと謀る故に、京も又、鎌倉もとにかくに、事の多くて討手(うって)の沙汰に及ばずとぞ。実(げ)に今の世の有様は、京、鎌倉に非法多くて、頼朝卿の御子孫のある甲斐も無くなりたまうは、いと口惜しき事になん。我われも手下を集めて、山籠もりする力あらば、かく味気無き世渡りをするには、遥かにますべきものを」と拳(こぶし)を摩(さす)り、歯を食いしばって、しきりに恨み憤(いきどお)れば、呉竹は小膝をすすめて、
「各々(おのおの)云われるおもむきに、露ばかりも偽(いつわ)り無くば、密かに語らうべき一議あり」と云うを、三人聞きあえず、
「鎌倉殿の御為になる事ならば、命も惜しまず、さぁ打ち出したまいね」と云うに、呉竹うなずいて、
「さらば大事を明かすべし。その訳はかようかよう」と三世姫の事よりして、小蝶、味鳧が心を合わして、道にて奪い取らんと謀れども、未だ一味の人数足らず、これにより各々(おのおの)を語らわん為に、鯉鮒を求めに来つると云いしなり。かの儀を受け引きたまわんや」と云うに喜ぶ姉妹、
「それこそ願うところなれ。この酒も早や尽きたるに、狐松楼にて飲み直さん」とて、唐崎のほとりなる仕出し酒屋へ船を漕ぎ着け、皆々二階へ打ち上り、酒をいださせ、肴を添えさせ、差しつ押さえつ日の暮るまで、酒宴に時を移しけり■       

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>

傾城水滸伝 三編 之四

2013-01-11 17:34:53 | 三編
けいせいすいこでんさんへんのし
曲亭馬琴戲編 歌川国安繪画
江戸書行仙鶴堂梓

かくて三人の姉妹は、なお酒肴を買い求め、呉竹を伴って再び船に打ち乗るに、これらの値は皆こと如く呉竹が償(つくの)いしを、二網(ふたあみ)らは、とにかくに呉竹には出させじとて、姉妹ひとしく否みしかども、呉竹も又、従わず、
「こは我が路用の内ならず。小蝶の刀自が、その為にとて渡し置かれし金なれば、否むは返って、かの刀自の志にもとるに似たり。ただ打ち任せて置きたまえ」と云うに、同胞感心して、
「実(げ)に、かの刀自は財を惜しまで、男魂ある女子と交わりを結びたまうと聞きしは、空言ならざりき」とて、しきりに褒めて止まざりけり。
 さる程に、船は早二網が門に着きしかば、皆、諸共に宿所に集って、その夜又、かの酒肴を開いて、呉竹をもてなすにぞ、呉竹は忍びやかに、その密議を云いいでて、
「いかにおのおの小蝶殿の大望に一味の事、いよいよ相違あらざるや」と云われて、三人一議に及ばず、
「そは又、宣うまでも無し。我々は新田殿の余類にてはべる由は、先生も知りて御座(おわ)さめ。忠常(ただつね)主は、源家の忠臣、頼家卿の御時に、義時と戦って、遂に討ち死にしたまいき。我々女なりと云うとも、かかる大義に加わる事、誠にこよ無き幸いなり。例えその事得遂げずして、身は八つ裂きにならばなれ。一味同心変改(へんがい/改心)※あらず」と言葉を放って答えしかば、呉竹深く喜んで、
「しからんには、明日の朝、わらわと共に難波へおもむき、小蝶殿に対面して、なお密談をこらしたまえ」と云うに姉妹はその儀に任せて、その明けの朝、呉竹諸共に難波津(なにわづ)へおもむく程に、次の日、未(ひつじ)の頃おいに、天王寺村へ着きしかば、呉竹はしかじかと小蝶に由を告げ知らせるに、小蝶は斜めならず喜んで、忙わしく出迎えて、二網ら三人を奥座敷へ誘(いざな)って、茶をすすめ酒をすすめ、
「聞き及びたる姉妹たち、縁無しとのみ思いしに、居ながら面(おもて)を合わせる事、喜びこれにますもの無し」と云うに、三人言葉ひとしく、
「此の難波津に隠れ無き、夜叉天王の多力の刀自。会わぬ先から親しく思いし事の、今日叶って対面を遂げさせたまうは、大方ならぬ幸いなり。智慧海(ちえのうみ)先生に、密義は伝え聞きはべりぬ。用いたまう由あらば、共に力を尽くすべし」と、世に頼もしく答えるにぞ、小蝶はいよいよ喜んで、味鳧を招き寄せ、二網ら姉妹に引き合わせつつ、呉竹と諸共に六人額をつき合わし、閑談時を移す折から、男どもが走り来て、
「只今、女の陰陽師(おんみょうじ)が、門に立って御旦那に対面せんと申すなり。いかが計らい候わん」と告げるを、小蝶は聞きあえず、
「あな、心無き者どもかな。常に心を得させし如く、さばかりの事なるに、取り計らいの得ならずして、客人(まれびと)たちと物語りする言葉の腰を折る事やある。いつもの如く銭と米をとく取らせよ」と息巻けば、男も頭を掻(か)きながら、
「そは仰せまでも無く、米一升と銭百文を、折敷に載せていだせしに、かの者それを取らばこそ、我らは物を貰(もら)わん為に、遥々と来つるものかは。早く主に会わせよと、罵り狂い候なり」と云うに、小蝶は押し返し、
「そは、物の少なき故に、我らに会わんと云うならん。銭一貫に米五升、増し与えて云うべきは、旦那は只今客あって、早速御目にかかり難し。近き程に又、来たまえと云うて、さぁさぁ返せよ」と諭せば、その下男は心得果てて退きける。
※変改(へんがい):①変えて改めること。②約束を破ること。

 しばらくして表の方、にわかに人声騒がしく、物音高く聞こえしかば、あれはいかにと計りに、皆々耳をそはだてる程しもあらせず、一人の男があわただしく走り来て、
「仰せに任せて、女巫女に銭米多く取らせしに、かの人いよいよ腹立てて、いかなれば汝らは主には会わせずして、わなみをかくは侮(あなど)るや。その儀ならば踏み込んで、対面せんと罵り狂って、支える者を突き倒し、或るいは投げ退け踏みにじる、女に似気無き力量早業、手にこそ余り候なれ」と言葉せわしく告げるにぞ、小蝶は騒ぐ気色も無く、人々を見返って、
「聞かれる如き訳なれば、しばらく許したまいね」と云いつつ、やがて座を立って、表の方に走り出で、荒れに荒れたる女巫女に打ち向い、言葉を掛けて
「やよ、客人、鎮まりたまえ。わらわ即(すなは)ち小蝶なり。人を得知らぬ男どもが、無礼を許して云う由あらば、さぁさぁわらわに告げたまえ」と云うに、その女巫女は、面を和らげ、手を止めて、
「聞き及びたる多力殿。得難き二つの宝物を、贈り参らせんと思いつつ、尋ねて来つるに、取次ぎ人が得合せずして、銭を贈り米を贈るが腹立たしさに、事のここに及べるのみ」と云うに、小蝶は微笑んで、
「しからんには、此方(こなた)へ」と、先に立ちつつ客座敷へ迎え入れ、茶をすすめ、その姓名を尋ねれば、女巫女は声を潜(ひそ)めて
「わらわは事は、陰陽博士(おんようはかせ)阿部の泰彦(あべのやすひこ)が一人娘、蓍(めどぎ)と呼ばれる者なりかし。父泰彦は建久の頃、頼朝卿の招きによって、鎌倉へ参り仕えしに、執権北条時政に忌(い)み嫌われて、罪ならぬ無実の罪をこうむって、たちまち都へ追い返され、幾程も無く身罷りにき。わらわは女の事ながら、親の術を受け伝え、占いの上は更なり。かの式神を使うをもて、雲を呼び風を起こす秘術までもよくすれば、世の人わらわをあだ名して、指神子蓍(さすのみこめどぎ)とも、又、雲間隠の龍子(くもまかくれのたつこ)とも呼びなしたり。しかるに、御身は志ある女子を愛して、義の為には財を惜しまず、多く得難き女丈夫なりと伝え聞きはべるから、世にも稀(まれ)なる宝物を参らせんとて来つるなり」と云うに、小蝶は喜んで、
「我らも又、予(かね)てよりその名は聞きし、指神子蓍殿で在りしよな。宝と云うはいかなる物ぞ」と問うに、蓍(めどき)は膝を進めて、
「宝と云うは、かようかようと三世姫の事のおもむき、又、天国の宝剣さえ筑紫の探題信種が此の度、鎌倉へ送り遣わすと云う風聞を告げ知らせ。とにもかくにも痛ましきは、幼き姫上の御事なり。謀り事を巡らせて、道にて奪い取るならば、国の為に忠義にして、頼家卿の亡き魂をいささか慰め奉る。又、忠臣と云うべきのみ。これを御身に告げ知らせて、語らわんとて来つるなり」と云う言葉未だ終らず、たちまち後ろに人ありて、蓍(めどぎ)が襟首かい掴(つか)み、
「大胆不敵の女めが、謀反の企(くわだ)て早や聞いたり。覚悟をせよ」と罵るにぞ、蓍は顔色(がんしょく)土の如く表れけりと驚き恐れて、陳ずる由も無かりけり。
 その時に、小蝶は打ち笑い、
「先生、戯(たわむ)れせずもあれ、まづまづ対面したまえ」と云うに、かの人打ち笑んで、やがて方辺に座を占めれば、小蝶は蓍に打ち向かって、
「今、告げられしおもむきは、こなたにも早や思い立って、一味の人々集いて居(を)り。こは智慧海(ちえのうみ)先生なり。三世姫を奪い取る第一の軍師にこそ、はばかるべき人にはあらず」と云うに、蓍も打ち笑い、
「さては上手く遊ばれたり。その名は高く聞こえたる智慧海の先生よな」と云うに、呉竹進み向って、
「人伝(ひとづて)なから、予ねて知る雲間隠れの龍子主、ここにて会うも宿世(すくせ)の良縁。いと喜ばしくはべり」と云う、互いの挨拶こと終われば、小蝶は蓍、呉竹を、奥座敷へ伴って、味鳧、二網、五井、七曲らに引き合わせ、更に又、酒肴を添えて、蓍(めどぎ)に酒をすすめけり。その時、呉竹云いけるは、
「多力主が夢に、北斗七星が家の後ろへ落ちたりと見たまいしは、この七人に応ずるなり。かかれば一味の面々は、この他を求むべからず。但し、三世姫を鎌倉へ送り行く者は、いづれの日に大宰府をうち発って、船路を行くや陸地(くがち)を行くや。その道筋を詳(つまび)らかに探り知らずばあるべからず。この事は、味鳧殿、案内の上なれば、御身は明日の朝、発足して聞き定め、とく告げたまえ」と云うを、蓍は押し止めて、
「その事は心安かれ。わらわつぶさに探り得たり。三世姫を送り行く、その輩(ともがら)は水無月朔日(さくじつ:一日)※に宰府を発って、陸地を行くなり。かくて播磨の明石より、摂津の兵庫を経て、摩耶山を打ち越え、生田の森より難波(なにわ)へかかり、さて大和路を下ると云えり。此の事ちっとも相違無し」と云うに、小蝶は喜んで、
「しからんには、我々がその路に出迎えて謀り事を行わんに、摩耶山こそ究竟ならめ。さりながら、かの地にしばらく逗留して、待ち合わする日数の程、中宿無きをいかがわせん」と云うを、呉竹聞きあえず、
「摂津の兵庫の片ほとりの勝山村と云う所に、昼鼠白粉(ひるねずみしろこ)と云う女あり。彼女は勝栗返の紙八(かつくりかえしのかみはち)と云う百姓の女房にて、ことに貧しき者なれども、心映え義に勇み、男に勝る魂あり。わらわ、かの白粉とは予ねて知ったる仲なれば、彼女を味方に増し加わえ、その宿所を宿とせん。先に主の刀自の夢に又、小さなる星一つ、後より家の後ろの方へ落ちたりと見たまいしは、又、かの白粉に応ずるなり」と諭せば、皆々喜んで、
「人数も場所も早定まりぬ。呉竹先生なお思慮あらん。かの姫上を奪い取る手立てはいかに聞かま欲し」と云えば、呉竹打ち笑みて、
「力をもて取るべくは、力をもて彼を討つべし。又、知恵をもて取るべくは、謀り事を用うべし。これらは臨機応変にて、只今は定め難し。おのおの口を慎んで、密議を他所へ漏らすべからず。この事最も肝要なり」と云うに、小蝶はうなずいて、
「云われるところ、真に故あり。唐崎の姉妹は、まづまづ近江へ立ち帰り、その後に及んでとく来たまえ、智慧海先生も宿所に帰って、常の如く手習い子供を集めて在るべし。只、指神子(さすのみこ)と赤頭(あかがしら)は、この奥の間に逗留して、なおも密議を語らいたまえ」と云うに、皆々その意を得て、二網(ふたあみ)姉妹三人は、次の日近江へ立ち帰り、呉竹は宿所に帰って、遠近(をちこち)の女の子らに手習い読書を教えつつ、夕暮れ毎に多力の奥座敷へ来て、人々となお密談を凝らしけり。

○ここに又、大宰府の信種は探題の勢いもて、天満宮の神主らに鎌倉の下知を伝えて、天国(あまくに)の宝剣を借り出し、三世姫と諸共に鎌倉の北条家へ送り遣わさんと思うものから、先亡の残党が処々(しょしょ)の山に立て籠もる、折からの事なれば、道にて異変あらんには、後悔そこに絶ち難し。この使いには誰をがな、遣わすべきと定めかねて、と様こう様※思いつつ、次の日又、この事を、十時御前に語らうに、十時御前は次の間なる青柳を指差して、
「殿には月頃あの女子の知恵賢しきを誉め、武芸を誉めて、女武者の教え頭に取り立てたまいし者にあらずや。されば此の度、三世姫と宝剣を守護させて、鎌倉へ遣わす使いには、彼女にますものあるまじけれ」と云われて、信種打ちうなずき、
「御身の意見その理あり。それがしは今まで青柳が事を忘れたり。かの者真にしかるべし」と答えて、やがて青柳をほとり近く招き寄せ、さて、三世姫と宝剣を鎌倉へ、送り遣わす事の意味合いを、しかじかと詳(つまび)らかに説き示して、
「こは、いと大事の使いなれば、そちを選んで用いるなり。道中非常の為なれば、手勢二三百人従わせん。よく務めよ」と仰すれば、青柳は謹(つつし)んで、
「御掟(ごじやう)★のおもむき承(うけたまわ)って、否み申すにあらねども、よしや百人二百人、雑兵を差し添えたまうとも、事ある時には皆逃げ失せて、物の用には立つべからず。わらわが申す由に任せて、穏便の御沙汰あらば、御請けを仕(つかまつ)らん。さなくば余人へ仰せ付けられ下されかし」と申すにぞ、信種聞いて眉をひそめ、
「手勢多くて悪しと思わば、そはともかくも汝に任せん。しからば又、いかにして無事なるべきと思うぞや」と問われて、青柳小膝を進め、
「わらわが手立てに任せたまわば、三世姫を物々しく網乗り物などに乗せ奉り、遣わされんは返って危うし、只、富める郷の妻娘などが、慰(なぐさ)みがてらに物参りする旅姿に装束(いでたち)して、三世姫は世の常なる旅籠に乗せ参らせ、わらわその相輿(あいこし)に打ち乗って守護すべし。さて人足は籠かき四人と物持ちの者両三人、上下十人に過ぎざる時は、全て人目に立たずして道中安穏なるべし」と云うに、信種うなずいて、
「その謀り事誠によし。さらば老女字野江が相役なる世和田(せわた)の局と奥付きの雑掌(ざつしょう)渋川栗太夫(しぶかわくりだゆう)ならびに、表使いの者、樽垣衛門太(たるがきえもんた)らを差し添えて、相談相手に遣わすべし。この義を心得候へ」と云われて、青柳頭を傾け、
「その儀ならば、この御使いは、余人へ仰せ付けらるべし」と云うを、信種
「とは又、いかに」と問うに、青柳は又、云う様、
「かの世和田も栗太夫らも、皆、重役(おもやく)の者にして、わらわが指図を受けざるべし。わらわが指図を受けるを恥て、難渋(なんじゅう)をのみ云われなば、此の度の御用を勤め難し」と云うに、信種「実(げ)にも」と悟って、
「その儀はちっとも気遣うべからず。我今、彼らを呼び寄せて、厳しく言い付け得さすべし」と諭して、やがて世和田を呼ばせ、又、栗太夫と衛門太も呼び寄せて、鎌倉行きの事を命じ、
「万事(よろづ)青柳が指図を受けて、その進退に任すべし。もし偏執(へんしゅう)※を差し挟み、いささかたりともその意に違わば、帰府の後、罪を正して汝らを許す事無し、皆心得よ」と仰すれば、三人ひとしく事請けして、かしこまりてぞ退きける。
※とさまこうさま:ともあれこれ。あれやこれや。
※偏執(へんしつ): かたよった考えをかたくなに守って他の意見に耳をかさないこと。

 かくて又、信種は青柳を近づけて、
「彼らには、しかと言い付け置いたり。門出の日はいつ頃ぞや」と問われて、青柳一議に及ばず。急がせたまう事なれば、明日門出を仕(つかまつ)らん。しからば水無月末つ方に、鎌倉に到るべし」と云うに、信種喜んで、
「明日は水無月朔日(さくじつ/ついたち)なり、日並良ければ発足すべし。但し、天国の宝剣は、栗太夫に持たせ遣わし、十時御前の消息は世和田の局に持たすべし。なれどもこれを汝に渡さん。汝よりかの者どもへ、渡さば下知に従うべし。いでいで」と云い掛けて、かの宝剣を取り寄して、青柳に渡させければ、十時御前も母君へ参らせたまう一封を、青柳に渡したまえば、青柳これらを受け取って、その身は詰め所に退きつつ、世和田らの三人に門出の日を告げ知らせて、皆諸共に招き寄せ、
「此の度の御使いは、大事の役義にはべるから、各々(おのおの)全て姿をやつして馬籠に乗りたまいそ。その余の事はかようかよう」と事つまびらかに説き示して、かの二品を取り出だし、
「これはこれ、御前様より御母上に参らせたまう御消息(せうそこ)にはべるかし。世和田殿の襟に掛け、片時も身を離ちたまうな。又、此の一振りは天国の宝剣なり。こは栗太夫に持たせよと殿様の仰せなり。いづれも大切の御品なれば、その心得あらま欲し。わらわは三世姫を守護すなれば、相輿(あいこし)に乗りはべらん。衛門太殿は籠脇に付き添って心を配り、人足らを追い回し、過ちなからん様にとのみ念じたまえ。但し、籠の者は四人と定めて、その二人は手替わりなり。雨具とその余の持ち人足は、三人にして一人は手替わりたるべし。かかれば上下十二人なり。例え人足らが願うとも、道中なる雲とか云う者どもを雇うべからず。この儀を心得たまえかし」といと厳(おごそ)かに説き示して、かの二品を渡しにければ、世和田は更なり、栗太夫も衛門太も呆れ果て、いと口惜しく思えども、主命ならば一議に及ばず、おめおめとして退きつつ、旅の用意を整えける。

○かくてその明けの朝、青柳はその付き付き(つきづき/付き人)※より三世姫を受け取って、旅乗り物に乗せ参らせ、その身も共に相輿(あいこし)にて、宰府の城を門出すれば、世和田は消息を入れられたる皮文箱(かわふばこ)を襟に掛け、栗太夫は宝剣を背負いつつ、衛門太も諸共に、皆乗り物に引き添って、東を指して発ちいでけり。かくて行くと行く程に、早三日四日と旅寝を重ねて、暑さに耐えぬ人は、ようやくに疲れを増して、いとど苦しく思えども、青柳ちっとも容赦せず、只人足を罵って、ひたすら道を急ぐにぞ、皆くどくどと呟いて、
「土用前なる暑き日に、朝涼の内に発ちはせで、遅く発ち出て早く留まり、日盛りにのみ歩かせられる。これはいかなる報(むく)いぞや」と、託言(かごと)がましく打ちわぶるを、青柳聞いて眼を怒らし、
「汝ら何をかよく知るべき。暁(あかつき)かけて発ち出れば、山賊の恐れあり。日暮れて遅く宿に着けば、又、これ賊の恐れあり。遅く発って早く泊まるは、さる災いをあらせじとてなり。もし我が事を用いずば、辛き目見せん」と息巻くにぞ、供人足らは、心に恨めど勢い詮方無きままに、辛くして日を重ねつつ、播磨路まで来る程に、人足らは堪(こら)えかねて、世和田、栗太夫に由を告げ、「願わくば青柳殿をなだめて、路を緩めたまえ」と言葉ひとしく頼むにぞ、世和田、栗太夫は目を見合わせて、互いに太き息を付き、
「汝らしばし辛抱せよ。鎌倉へだに参り着かば、申し上げて褒美を取らせん。日頃、あの青柳が我々をすら下目に見る、面の憎さに腹は立てども、主命なれば争い難し」となだめて、その日を過ごしけり。かくて青柳は三世姫を守護しつつ、既にして津の国なる兵庫に宿りを求めし。夜の暑さに耐えぬ供人足らは、栗太夫、世和田らと、その宵の間に談合して、
「明日の朝は出し抜けに、正明け七つに打ち発って、日の出ぬ内に三里も行くべし。砂(いさご)は焦がれ石は焼ける此の暑き日に、いかにして日盛りにのみ歩かんや」と早や内談を定めしかば、丑三つの頃に皆起きて、朝飯よ、破籠(わりご)よと、いとかしましく罵るにぞ、青柳いたく腹を立て、
「こは何事ぞ。今日に限って、今より発てとは誰が云い付けたる。今日の道は港川と云う、川もあり山もあり、人里まれなる行く手を抱えて、夜を籠めていづる事やある。皆々寝よ」と息巻けば、栗太夫、世和田らは、あざ笑いつつ臥所に隠れ、供人足らは争いかねて、蚊帳(かや)の内にぞ入りにける。
※付き付き:そば仕えの者。付き添いの者。

 かくて青柳は、その朝日のいづる頃、兵庫の宿りを発ちいでて、供人足を急がしつつ、港川を打ち渡して、摩耶山にぞ登り行く。此の頃の道中は、今の道と同じからねば、必ず摩耶山を打ち越えるを順道としたるになん。既に山路にかかる頃は、真昼になりし。水無月の空には一点の雲も無く、山には一滴の水もあらず。さらぬだに人々は辿(たど)りかねたる夏の旅に、高き山路を越えつつ行けば、汗は流れて衣を絞り、足は火照って運ぶにものうし。とかくして喘(あえ)ぎ喘ぎ峠に登り着きしかば、人足どもは乗り物を、松の木陰に打ち下ろし、笠を円座に汗拭きあえず、居眠るもあり、うそうてと★遊び歩く者もあり、とみには行くべき気色ならねば、青柳はこらえかねて、乗り物より立いでつつ、人足どもを呼び起こし、
「こは何事ぞ。かかる山にて、うかうかとしている事かは。汝達(なんたち)知らずや。この所は山賊の住処(すみか)なり。とく行かずや」と罵れば、供人足らは言葉ひとしく、
「御身は役義を権にかうて、ややもすればはした無く我々を叱りたまえど、一日の道中にも必ず立場(たてば/休憩場)※と云う物あり。御身こそ日毎日毎に乗り物に打ち乗って、かかれたまえば、我々が身の苦しさは知りたまはじ。この所を山賊の住処なんどと脅したまえど、我々こそ鎌倉へ通い慣れたる者なれば、案内は良く知ったり。しばらく休息させたまえ」と答えて、立つ者ひとりも無かりしかば、青柳いよいよ腹打ち立てて、輿に付けたる仕込み杖をかい取って、地上を打ち叩き、「起きよ、起きよ」と急がせども、一人を起こせば一人が倒れ、あなたこなたと制しかね、詮方も無く見えしかば、栗太夫、世和田、衛門太は、ようやくそこに辿り着き、共に青柳をなだめて云う様、
「供人足らは重荷を背負って、かかる山路を越えるなれば、ここにてしばし休まんと云うは、すらすら無理ならず。させる物をば持たざりし、我々はなお疲れ果てて、一足も運び難し。此の所は木陰多くて風さえ通う極楽なるに、日陰の少しできるまで、憩わせたまえ」と詫びられて、青柳は止む事を得ず、
「しからばしばし憩いたまえ、久しくはなりはべらず」と答えて、その身は乗り物に付き添って居る程に、向かいの松の木陰より、こなたをうかがう者ありけり。

 青柳素早と身構えて、「人々起きよ。山賊のいで来つるは」と呼び立てるに、皆々慌てて起きんとする時、その者近く進み寄るを、と見れば旅の女なり。こなたを見つつ声を掛け、
「人々、さのみ騒ぎたまうな。我々も旅の者にて、かしこの木陰に休みて居(を)り。しかるに、そこに人声のするは、もしや山賊かと思って密かに垣間見たり。我々は上下合わせて七人の女連れなり。気遣われる者にはあらず」と云うに、皆々安堵して、元の木陰に進んで居(を)り、かかる所に麓の方より、一荷の酒をかき担い、峠へ上り来る者あり。遥かに見れば女にて「「あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る」※と読みしは道理(ことわり)や。それは万葉の大伴卿、これは万願寺の上諸白(もろはく)、下戸が飲めばそ猿に似る、猿よ猿、飲むは飲まぬにましらてふ。心の猿は狂うとも、酒とし云えば咎も無し」と歌う声よく吹き送る峰の松風いざしばし、汗を入れんと峠なる木陰に荷をぞ下ろしける。供人足らは、これを見て、皆諸共に談合する様、
「先の程より喉渇けども、ここらに飲むべき水だに無し。あの酒を買い求め、暑さをしのぐにます事なし」とて、一両人が立ち寄りつつ、酒の値を尋ねれば、酒売りの女答えて、
「我らは日毎にこの山を打ち越え湊川(みなとがわ)の片田舎へ、卸売りをする者なり。されども買わんと宣わば、いかばかりも売るべきなり。値は一升二百五十文、最も上酒にはべるかし」と云うに、皆々うなずいて、
「しからば一杯買い取って、七人にて分け飲むべし。計りをよくして得させよ」と云うに、女は心得て、荷蓋(ふた)を取らんとする程に、青柳打ち見て声を怒らし、
「この痴(し)れ者らが、うかうかと、ここらで酒を買う事か。今の世は酒の内に痺れ薬を入れ置いて、旅人にそれを飲ませ、殺して路用を奪うと聞くに、それを知らずや」と罵れば、供人足らは買いかねて、頭を掻きつつ退きける。その時その女連れは、おのおの木陰を立いでて、酒売り女に打ち向かい、
「先より喉の渇けども、水も無ければ唾(つば)を飲み、苦しかりしに良き物来たり。その酒少し売ってたべ」と云うに、女は頭を振って、
「この酒には、痺れ薬を入れたるならんと云う人あるに、うかうかと買いたまうな」と腹立ち声して当て擦れば、旅の女子ら打ち笑って、
「それは人にもよるべきなり。我々は痺れ薬を入られたりとも苦しからず、我々は女連れにて、熱海へ湯治(とうじ)の帰るさなり。乗り物に乗ったは大尽の御新造なるが、男の連れは気が詰まるとて、通し籠にも女子を雇って、あの三人は籠の衆なり。又、一人は荷持ちなれど、それにも女子を具せられたる。あなたも喉が渇くとよ。さぁさぁ」と急がして、およそ一甕(かめ)三升入の片荷の酒を買い取って、水呑み柄杓を出しつつ、手に手に汲んで舌打ち鳴らし、籠に付けたる夏桃を、肴に引き裂き食らうになん。乗り物の内なる女ももどかしくや思いけん。早や立ち出て一つに集まり、遂に一甕三升の酒残り無く尽くせしに、籠かきの女子三人と荷持ちの女は、なお足らずとて、残る片荷の甕の酒を、更に五合買い取って、再びこれを飲んでけり。
※立場(たてば):① 人足・駕籠かきなどが休息した所。②人の多く集まる所。たまり場。
※あな醜い・・・:万葉集/何と醜いことでしょう。利口ぶって酒を飲まぬ人をよく見ると、猿に似ている。

 その時最初立いでて、良く口をきく年増の女が、銭を取り出し、酒売り女に酒の値を取らせて云う様、
「和女らは、思いかけも無き良き商いをしたる報(むく)いに少し負けよ」と云いながら、いと大きなる水呑み柄杓を、その甕へ差し入れて、すくい取って飲まんとすれば、酒売り女は打ち驚いて、その手をしかと引き捕らえ、
「あれ程負けて置きたるに、その大柄杓は合入らん。そをただ飲まれてつまるものかは。由無き戯(たわむ)れしたまうな」と云うをば聞かで振り離ち、逃げんとするを追っかけられる弾みに酒を残り無く、振り溢(こぼ)しつつ打ち笑らえば、皆々どっとはやしけり。栗太夫、衛門太、世和田も、先よりこれを見て青柳に向かって云う様、
「あの人々の様子を見るに、思いのままに飲みたれども、酒には異なる事も無し。供人足らが飲みたがるも、さらさら無理とは思われず。我々とても喉渇き、耐え難きをいかにせん。許して飲ませたまわばや」と、託言がましく詫びるになん、青柳も先の程より、様子を見たる事なれば、ようやくに疑い解けて、恙(つつが)があらじと思いしかば、云われるままに打ちうなずいて、おのおのさへにしか宣うを、なおならずとも云い難し、「彼らが望みに任せたまえ」と云うに喜ぶ供人足らは、たちまちに銭を集めて、その酒を買わんとするに、酒売りの女はちっとも売らず、
「我が此の酒には、痺れ薬を入れてあり、御身たちには売らぬなり。売らず売らず」と頭を打ち振り、荷を引き担(かつ)いで行かんとすれば、女連れの旅人らは、片腹痛く思う由にて、立ち替わり入れ替わり、酒売り女を説き諭し、侘びつつ酒を売らせにければ、供人足らは辛くして、その酒を買い取りつつ、水呑み柄杓に酌み取って、世和田、衛門太、栗太夫らにうやうやしくすすめれば、三人ひとしく受け飲んで、青柳にもすすめるにぞ、さすがに否とも云いかねて、只一柄杓の酒を飲みにけり。

 さる程に、人足らは瓜の皮に群がったる蟻の如くに立ち集いて、一滴も残さばこそ、一甕の酒を飲み干しけり。その時その酒売り女は、供人足らに向かって云う様、
「この一甕も三升入りにて、いづれも同じ酒ながら、あの人たちが五六合買い取りたまいし事なれば、その値をば引きはべる」と云いつつ銭を、百四五十文を返して、空荷を担ぎ上げ、元の山路を下り行けば、又、かの女連れの旅人らは、残りたる夏桃を、世和田、青柳らに皆与えて、酒の肴にとて贈りしかば、供人足に到るまで、その桃を分けもらいつつ、いよいよ喜びあえりける。
 しばらくして、女連れの旅人らは、こなたを見て、からからと打ち笑い、
「汝らは、既にはや謀り事に陥ったり。さぁ倒れよ」と手を叩けば、怪しむべし、こなたの人々、供人足らは云うも更なり、栗太夫も衛門太も世和田も、口中涎(よだれ)を流して、身の内たちまち萎(な)え痺(しび)れ、青柳さえに倒れ臥して起きんとするに、手足叶わず、叫ばんとするに舌回らず、眼(まなこ)を見張るのみにして、その恙無(つつがな)き者は、乗り物の内なりける三世姫の他とては、絶えて一人も無かりけり。

 その時、その女連れの、始め旅籠(たびかご)に乗って来たりし一人の女が走り寄り、三世姫の乗り物の戸を引き放ち、驚きたまう姫上の御手を取って出し参らせ、
「我々は、これ忠義の者なり。君が鎌倉へ送られて、義時が手に害せられたまわん事の痛ましさに、救い取り奉りぬ。いざたまえ」と慰(なぐさ)め申して、かき抱(いだ)きつつ、忙わしく我が旅籠に乗せ奉る。その暇に一人の女は、栗太夫が背負うたる宝剣を奪い取り、
「こは聖廟(せいびょう)の宝物なるに、義時なんどが病ありとて、守らせたまう事あらんや。姫上の守り刀に、しばらく用いて事なる後に、かの神社(かみやしろ)へ返すべし。しか心得よ」と罵ったり。その時又、一人の女は、世和田が襟に掛けたりける文箱(ふばこ)を取って打ち砕き、十時御前の消息(せうそこ)を、ずたずたに引き裂き捨てて、
「汝らは一人も残さず頭(かうべ)をはぬべき者どもなれども、事の源を推すときは、汝らが知る事にも非ず。その罪は探題が諂(へつら)いより起こるのみ。よって今その首の代わりに、この消息を引き裂き捨てたり。冥罰(みょうばつ)思い知るべし」と、あくまで罵る程に、三人の籠かき女は、三世姫を乗せ参らせし、旅籠を早やもたげいだせば仕合せ良しと女子とも打ち連れだって足早に、麓の方へぞ下り行く。その有様を目には見つ、耳に聞くのみ人々は、中気病みに異ならで、物も云われず身も動かせず、手さえ足さえ叶わねば、おめおめとして見送りけり。

 さてかの七人の旅の女は、小蝶、呉竹、蓍(めどき)なり、初め旅籠に乗ったるは小蝶にて、又、三世姫を奪い取って、我旅籠に移し乗せたるも小蝶なり。又、初めに酒を買って、連れの女子にも飲ませ、後に片荷の手を付けぬ酒を五合買いし後、一柄杓(ひしゃく)負けよとて、甕(かめ)へ柄杓を差し入れて、その酒を酌み出し、追われて酒を振り溢(こぼ)せし者は呉竹なり。されば始めは二つの甕の酒は、世の常の酒なりしを、七人の女子ども、あくまでに飲みて後、片荷の甕へ呉竹が差し入れたる柄杓に、痺(しび)れ薬は入れてあり、その柄杓を甕へ入れし時、薬は酒に混じりしなり。その一甕にも毒の無しと青柳らに思わせん為、更に二網、五井らが五合の酒を買って飲みたり。されば籠をかく三人の女子どもは、二網、五井、七曲にて、荷持ちの女は味鳧なり。又、夏桃を世和田らが酒の肴にとて、贈りし者は蓍(めどき)にて、かの酒売りにいでたち(扮装)たるは、昼鼠の白粉なり。およそこの謀り事は、呉竹が胸より出でて、事のここに及べるなり。

○さる程に、青柳のみ酒を飲む事多からねば、その夕暮れに我に返って、口惜しき事限りもあらず、姫上も宝剣も奪い取られて、おめおめと大宰府へは帰り難し。自害をせんと思い定めて、そは崖におもむきつつ、懐剣を引き抜いて、喉(のど)へ突き立てんとしたりしが、たちまち思い返す様、
「信種主は、わが為に相恩(そうおん)※の主君に非ず。さるをここにて犬死にせば、亡き親たちへ不孝なり。まづ身を隠して、後に又、明かりを立つる時もあらん。そうじや、そうじや」と刃を収めて、元の所へ立ち帰り、倒れ伏したる栗太夫、世和田らを睨(にら)まえて、
「汝らは我云う事を用いず、賊の為に落とし入れられ、わなみを巻き添えせし事なれば、今汝らを斬り殺して、我も自害をすべけれども、いささか思う由あれば、このままにして立ち別れん、覚えていよ」と罵って、仕込み杖を突き立てて、東の麓へおもむきつつ、行方(ゆくえ)も知れずなりにけり。
※相恩(そうおん):主君・主家などから代々恩義を受けていること。

○かくて栗太夫、衛門太、世和田らは、供人足と諸共に、その夜丑三つの頃おいに、ようやくに酒毒醒めて、いかにすべきとばかりに呆れて、更に思案にあたわず、青柳がとにかくと云いつる事を聞かざりし、後悔の他無かりけり。その時人足の小賢しき者進み出て、
「殿ばら思いたまわずや、「身に付く火をば払い落とし、損代には人をいだせ」★と云うことわざも候に、青柳殿は逐電して、ここに居たまはぬこそ幸いなれ。皆かの婦人に塗り付けて、言い訳をしたまえかし」と云われて喜ぶ三人は、やがてその儀に任しつつ、衛門太をばそがままに鎌倉へ遣わして、執権にこれを訴え、栗太夫、世和田らは日を経て、筑紫に帰りつつ、
「さても青柳は、主君の御恩を受けながら、謀反人らと心を合わせ、かようかようの所にて、我々を謀(たばか)って、痺れ薬を入れたりし酒を飲ませて気絶させ、三世姫をも宝剣をも奪い取って逃げ失せたり。我々彼女に謀られたる落ち度を優免(ゆうめん)※ましまして、青柳を絡め捕り、罪を正させたまえかし」と真(まこと)空言(そらごと)打ち混ぜて、我良き様に訴えけり。されば又、青柳が摩耶山より影を隠して、その後の物語りは第四編に著(あらわ)すべし。又来る春を待ちたまえかし、目出度し目出度し■ 
※損代(そんだい):人に与えた損失を償うための代償。損料。
※優免(ゆうめん):大目にみて許すこと。特別に免除すること。宥免。

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>