傾城水滸伝第三編之一
曲亭馬琴著 歌川国安画 仙鶴堂嗣梓
さても、その後、虎尾の桜戸は、その宵の間の大雪に、山苧倉(やまそくら)なる我が住み家を押し潰されたるにより、五六町あなたなる観音堂に退いて、陸船(くがふね)夫婦が目論見たる、既に必死の災いを逃れたるのみならで、図らずも舳太夫、陸船、奈落婆らを討ち留めて、日頃の恨みを返せしかば、御堂の縁に尻打ち掛けて、買い持て来たりし瓢(ひさご)の酒を、飲み尽くして寒さをしのぎ、仕込み杖を引き下げて、道両三町走る程に、あちこちなる百姓ばら、山苧倉なる火を消さんとて、雪をおかして走り集うに、端無くも行き会いければ、 桜戸やがて声を掛け、
「人々早くかしこに至りて、火を防ぎ止めたまえかし。わらわは御館におもむいて、四傳次(しでんじ)主(ぬし)に訴え申さん、やよとくとく」と云い捨てて、やり過ごしてぞ走りける。
さる程に桜戸は、雪を明かりに、この身になってもそなたしゆに、一里か二里か行方も定めず走るになん。真夜中頃になりしかば、身はいと痛う飢え疲れて、寒さも耐え難かりけるに、と見れば向かいの森のほとりに、一構(かまえ)えの生垣(いけがき)あって、冠木門(かぶきもん)は閉(たて)てあれども、垣の隙(すき)より点(とも)し火の、影ちらちらと見えしかば、門のほとりに立ち寄って、扉を押せば開いたり。
内より「誰ぞ」と声を掛けるに、桜戸早く進み寄り、
「わらわは今宵、山苧倉の近火(きんか)に住処(すみか)を走り出て、道に迷って来つる者なり。かたの如くの大雪にて、道さりあえず難儀に及びぬ。しばし囲炉裏に当らせて、濡れたる衣(きぬ)を干させたまえ」と云いつつ、やおら戸を開ければ、こは一棟の長屋にて、内には五七人の賤(しず)の女(め)らが、糸を繰り、麻を紡いで、夜なべをしてぞ至りける。
その時その賤の女らは、桜戸をつらつら見て、
「そはいと難義(なんぎ)にこそあらめ。此方(こなた)へ寄って当りたまえ」と云うに、桜戸喜んで、「許したまえ」と云いながら、にじり上がりつ大囲炉裏の辺(ほとり)に近づき身を温め、濡れたる衣(きぬ)を干す程に、酒の香ふんとしてければ、火の明かりにて辺りを見るに、一升徳利を囲炉裏の隅なる、灰に埋ずめて置きたるなり。
その時、桜戸は賤の女らに打ち向かって、
「わらわは身の内冷え凍(こご)え、あまつさえ★飢え疲れたり。願うは少し此の酒を分け与えて飲ませたまえ。酒の値は償(つぐな)うべし」と云うを、皆々聞きあえず、
「こは我々が飲むにだも、なお多からで、足し無き物をいかにして、和女郎に飲ません。モウ良い加減に出て行きね、栄耀(えよう/贅沢)にほちゃけて、物強請(ねだ)りせば、男衆を呼び寄せて、えら酷い目に会わするや」と云いつつ、どっと打ち笑えば、桜戸胸に据えかねて、
「こは奇怪なる過言かな。否と云われる此の酒を、押して飲まんと云うにはあらぬに、いら酷(ひど)い目に合わせんとは、今一言云うて見よ。さぁ云わずや」と息巻いて、囲炉裏をはたと打ち叩けば、矢庭(やにわ)に茶釜(ちゃがま)を打ち倒し、はっと立ったる灰諸共に、火もまた四方に散乱し、辺りに集(つど)いし女どもは、目口に灰の入るもあり、小鬢(こびん)を焼かれ裳裾を焦して、したたか火傷(やけど)をするもあり。等しく「あっ」と叫びつつ、驚き恐れて、皆諸共に表の方へ逃げ失せたり。
※小鬢(こびん):頭の左右側面の髪
桜戸これを見送って、からからと打ち笑い、その徳利を引き出して茶椀に注いで飲む程に、思わずも一徳利の酒残り無く飲み尽くして、仕込み杖を突き立てつつ、身を起しつつ立ちいでて、不知案内の雪道を、そことも分かず行く程に、飢えて飲みたる酒ならば、幾程もなく酔(え)いは昇って、足元しどろに定らず。一歩は高く一歩は低く、只よろよろとよろめくままに、たちまち躓(つまづ)き倒れけり。
およそいたく酔いたる者の伏し転びては、遂に得起きず。桜戸は降り積もる雪に、半身掘り埋ずめても、寒さも知らぬ高いびき。日頃にも似ず哀れなり。
さる程に、賤(しず)の女(め)らは、慌て惑いつつ逃げいでて、桜戸が事のおもむき、かようかようとかしましく、男共に告げしかば、皆々これを聞きあえず、
「さては盗人(ぬすびと)ごさんなれ。遠くは行かじ追っかけよ」とて、麻縄、棍棒(こんぼう)松明(たいまつ)を手に手にひ下げて、走り出れば、小鬢(こびん)を焼かれし女(おなご)らも、遅れじとてぞ追う程に、行くこと今だ四五町に過ぎず、と見れば、降り積もりし雪の中に酔い伏したる女あり。
小鬢を焼かれし賤の女は、先に進んで松明を振り照らしつつ、と(兎)見かう(角)見て、「盗人女はこれなり」と云うに、皆々折り重なって、袋の物を取る如く、衿髪(えりかみ)掴んで引き起こし、早ひしひしと縛(いまし)めて、もと長屋へ引きもて帰って、厳しく柱へ繋(つな)き留め、「明日の朝、御前様のお目覚めあらば、訴え申さん。それまで誰彼守れ」とて、皆、夜の明けるを待ち居(を)りける。
かかりし程に、桜戸は、ようやく酒の酔い覚めて、驚き呆れて声を振り立て、
「こは何故に理不尽に、かくは我儕(わなみ)を縛めたる。この縄早く解かずや」と云わせも果てず、女共は、からからと打ち笑い、
「盗人女が猛々(たけだけ)しさよ。おのれは酒を盗み食らって、あまつさえ火傷をさせ、小鬢(こびん)も布子(ぬのこ)も焦がさせしを、早忘れしか。不敵の曲者(くせもの)。なお、辛き目を見せんず」と、罵(ののし)る他は無かりけり。
かくて、その夜も明けしかば、御前様のお目覚めぞと知らせによって、その男女は桜戸を引き立てて、母屋(本屋)へ参って、縁側のほとりに皆々居並び、
「昨夜、図らず盗人女をからめ捕って候なり。いかが計らい申さんや」と言葉等しく聞こえ上げれば、しばらくして主(あるじ)の婦人、奥の間より立ちいでて、
「そは、いかなる盗人ぞ」と問いつつ近く立ち寄って、桜戸を見て大きに驚き、
「そは、虎尾の刀自ならずや。いかなる故(ゆえ)にここへ来て、百姓ばらにおめおめと、絡(から)め捕られたまいたる。思い掛けなや浅ましや」と云われて、驚く桜戸も眼(まなこ)を定めて見上げるに、この婦人は別人ならず、これ折瀧の節柴なり。
「こはこは、いかに」とばかりに、ただ喜び、ただ恥じたる、桜戸声を振り立てて、
「わらわいかでか盗みをすべき。只、一徳利の酒ゆえに、酔い伏したる間に絡められたり。わらわが上には様々なる物語のはべれども、一朝(いつちやう)には説き尽くし難(がた)かり。願うはわらわを救いたまえ」と叫ぶになん。節柴「さこそ」と頷(うなず)いて、忙わしく桜戸が縛めの縄解き捨てて、その男女を叱り退け、まず腰元らに云い付けて、衣(きぬ)一重ねを取り出させて、桜戸が濡れたる衣を、上より下まで着替えさせ、奥座敷へ伴いつつ、酒をすすめ、朝飯(あさいい)をすすめて、他事無くもてなせば、桜戸はその身の災い、冨安舳太夫、陸船らが事、又、剣山四傳次、奈落婆が事のおもむき、図らず恨みを返したる始め終りを囁き示せば、節柴聞いて感涙(かんるい)を押し拭(ぬぐ)いつつ、辺りを見返り、
「重ねくし不仕合せも、なお頼もしき御身の命運。今、計らずしてわらわが方へ、来たまいぬるこそ嬉しけれ。ここはわらわが別荘にて、昨夜(よんべ)粗忽(そこつ)に思い違(たが)えて、御身を縛め引きもて来つる、かの男(おとこ)女(おなご)共は、屋敷守の百姓なれば、必ず心を置きたまうな。わらわは昨日、ここへ来つ、思わず雪に降り込められて、母屋へ帰らでありしかば、これも只、御身の為に大方ならぬ幸いなり。さはれこの所は、朝間にて人目を忍ぶによろしからず、母屋へ伴いはべらん」とて、その夕暮れに、桜戸を乗物に打ち乗せて、折瀧の庄へ帰りつつ、内外の者に心得さして、世に頼もしく桜戸を、深く匿(かくま)いたりければ、桜戸は恩を感じて、真琴屋真介夫婦の者が、真心さえに告げ知らすれは、節柴聞いて桜戸が、とにつけても、かくにつけても人の助けのあることを、称(たた)えてしきりに感じける。
されば又、その夜さり(よさり/夜分)、陸船、舳太夫、奈落ら、皆、桜戸に討たれしかば、四傳次浅手にて未だ死なで在りしにより、彼偽(いつわ)って領主に訴え、
「桜戸悪心止まずして、山苧倉(やまそくら)を焼き失い、あまつさえ舳太夫、陸船、奈落らを斬り殺して逐電したり」と申すにぞ、佐渡の領主本間の太郎、由を聞いて驚き怒り、にわかに組子らを手分けして、八方へ差し向けつつ、村里毎に下知(げち)を伝えて、
「罪人桜戸をからめ捕って、引きもて参る者あらば、三十貫の褒美(ほうび)銭を賜うべし」とぞ触れたりける。
既にして、これらの由を、桜戸ほのかに伝え聞いて、節柴に囁く様、
「かようかようの風聞(ふうぶん)あり。かかれば御身が今更に、わらわを匿(かくま)いたまわぬにあらず。わらわ今更ここに居難し。只、速(すみ)やかに他郷へ走って、災いを避けんと思うに、身の暇をたまえかし」と云うを、節柴打ち聞いて、
「しからば、わらわが手引きして、御身をやるべき所あり。そもそも近江の国の伊香郡(いかのこほり)賤の砦(しずのとりで)に、三人の女武者あり。第一の大将は大歳麻巨綸(おおとしまおおいと)と呼ばれ、第二の大将は女仁王杣木(おんなにおうそまき)と呼ばれ、第三の大将を天津雁真弓(あまつかりまゆみ)と云えり。彼女らは先に滅びたる柴田が残党の梶原弥三郎が余類にて、女に似気無き武芸あり。先にその三人の勇婦ら、流浪して諸国を経回り(ひめぐり)※、或る年、この地に来たりしかば、わらわが屋敷に留(とど)め置いて、養うこと一年(ひととせ)余り。又、立ち去らんとせし時に、路用(ろよう)を多く取らせたり。
※経回る(ひめぐる):あちこちをめぐり歩く。遍歴する。
かかれば、わらわが手紙をもて、御身を頼み遣わさば、留めんこと疑い無し。されば、その巨綸らは、四五百人の手下を集めて、賤ヶ岳(しづがたけ)に砦を構え、余呉(よご)と琵琶(びわ)の湖を、前と後ろの要害(ようがい/城塞)に、余呉川、飯浦の大川を境として、をさをさ猛威を振るうと聞けり。御身がかしこに身を寄せたまわば、生涯後ろ安かるかるべし。さりながら、当国の港々には、新たに関を据えられて、人の出入を検(あらた)めると伝え聞きたる事もあれば、首途(しゅと/旅立ち)に難義(なんぎ)あり。いかにせまし」と頭(こうべ)を傾け、しばし案じて打ち頷(うな)ずき、
「良き手立てのはべるなり。謀(はか)り事はかようかよう」と膝すり寄せて囁き示せば、桜戸は斜めならず喜んで、やがてその儀に任せけり。
※要害(ようがい):①険しい地形で、敵の攻撃を防ぐのに便利なこと。土地。②城塞。城郭。とりで。③防御をかためること。用心すること。
かくてその次の日に、節柴は浦遊びに出づると偽って、腰元数多(あまた)召し連れたる。その中に、桜戸を腰元と共にいで立たして、小木の港(おぎのみなと)におもむく程に、ここにも関を据えられて、本間が家の子(家臣)、沢足江番太(さわたりえばんた)、組子を大勢従えて、この所を守りしが、兼ねてより相知ったる折瀧の節柴が、浦遊びに行くと聞いて、忙わしく出迎え、
「珍らしや折瀧殿。この頃のいと寒きに、何処へ赴(おもむ)きたまうぞ」と問われて、節柴打ち微笑み、
「わらわは鬱気(うつき)の病あるに、閉じこもりて居(を)らんより、浦辺にい出て貝を拾わば、少しは保養にならんかとて、時ならぬ浦遊びも、日和(ひより)の良きにいでたるなり。御身は又、何故にここらに勤役(きんやく)したまうやらん」と云うに、江番太
「さればとに、都(みやこ)の流人(るにん)の桜戸と呼ばれし者、倉を焼き、人を殺して去ぬる日に、逐電したるにより、領主の仰せを承り、人の出入りを検(あらた)むる臨時の役に候」と云うに、節柴うなずいて、
「そは御大義にこそはべれ。わらわが具したる供の内に、かの桜戸も在るべきに。いざ検めて見たまわずや」と云いつつ笑えば、江番太もからからと打ち笑い、
「実(げ)に、御供の女中の群れには、かの桜戸も在るべけれど、節柴殿の事なれば検めるには及ばぬ事なり。さぁさぁ通りたまえかし」とうち戯れて、下部(しもべ)らに下知して、木戸(きど)を開かせければ、節柴は仕済ましたりと、心密かに喜んで、皆諸共に港へ赴(おもむ)き、さて桜戸には忍びやかに、旅装いを整えさせて、兼ねて用意の船に乗せ、越後の方へ落とし遣わし、節柴、此には去らぬ体(てい)にて、終日(ひねもす)貝を拾いつつ、帰るさに、江番太に物を贈って喜びを述べ、暮れて宿所(しゅくしょ)へ帰りけり。
さる程に、桜戸は節柴の情けにて、難なく港を逃(のが)れいで、越後の国へ押し渡し、なお越前を経て、近江なる賤の砦に赴く程に、日に歩み夜に宿り、急がぬ旅に日数経て、暮れ行く年に、近江なるすげの浦★にぞ着きにける。
折から昨日の雪晴れて、山白妙(しろたえ)に風寒く、この辺りには只一軒の腰掛酒屋ありければ、桜戸は進み入りて、床几(しょうぎ)に尻を打ち掛ければ、酒屋の杜氏(とうじ)が出迎えて、
「いかに酒をや参(まい)らすべき、強飯(こわいい)も候は」と云うに、桜戸うなずいて、
「否(いな)、強飯は欲しからず。今日の寒さの耐え難きに、さぁさぁ酒を飲ませよ」と、云うに、杜氏は心得て、酒二三合を温めつつ、一椀の湯豆腐に、鮒の煮浸(にびた)し取り揃え、早置き並べて勧めけり。その時、桜戸は杜氏に向かって、
「わらわは急ぐ用あって、賊が砦へ行く者なり。渡し舟のあるべきに、雇(やと)うてたべ」と頼むにぞ、杜氏は聞いて眉をひそめ、
「ここは船着きならざれば、渡し舟も候わず」と云うを、桜戸押し返し、
「渡しの舟はあらずとも、雇えば舟を貸す者あらん。船賃は望みに任せん。ともかくもして雇うてたべ」と再び頼めば、頭を打ち振り、
「稀(まれ)には舟の無きにはあらねど、此の頃の大雪にて舟稼ぎする者は、絶えてここらに一人も無し。もちろん飯浦、浜村の山間(やまあい)は、陸(くが)続きにて候えども、近頃切所(せっしょ/難所)※を切り塞がれて、鳥も通わずなりたれば、船ならずしてなかなかに赴かんこと叶い難し」と云われて、桜戸は詮方も無く、ほとほと困り果てたる折から、一人の女がとの方より、しづしづと進み入り、桜戸に打ち向かい、
「御身は今、賊の砦へおもむきたしと云われしならずや。彼処(かしこ)に知る人候か。或るいは人の手引きによって、初めて赴きたまうにや。御身は何と云う人ぞ」と問われて、桜戸隠すに由(よし)なく、
「わらわは桜戸と呼ばれる者にて、この度、折瀧の節柴殿の勧めによって、遙々佐渡より来つるなり」と云うに、驚くその女は、ほとりに寄って尻打ち掛けて、
「さては、世の風聞に隠れなかりし、御身は女武者所の教え頭(かしら)と聞こえたる、かの虎尾の桜戸殿か」と再び問われて、にっこと打ち笑み
「云われる如く、虎尾の桜戸はわらわにこそ」と告げるに、「さては」と喜んで、
「しからば、ここは端近にて、心の内を述べ難し。まづこなたへ」と忠実(まめ)やかに奥の座敷へ誘って、又、更に肴(さかな)を添え、酒をすすめて、さて云う様、
「我儕(わなみ)の事は賊の砦の巨綸(おほいと)の手下の大将にて、暴磯神の朱西(ありそかみのあかにし)と呼ばれる者なり。さりし頃より此の所に、この酒店を出しつつ、世の風聞を聞きさだめ、こなたに憩(いこ)う旅人の味方にすべき者あれば、説きすかうて砦へ遣わし、又、身の仇(あだ)となるべき者は、密かに痺(しび)れ薬もて殺して、憂(うれ)いを除くなり。これにより御身をも、鎌倉方の者ならば痺れ薬を酒に加えて、押し片付けんと思いしに、三大将が大恩受けたる折瀧殿の引き付けなる虎尾殿でありけるを、知らずば事を誤(あやま)つべし。誠に危うき事なりき。わなみ同道すべけれども、既に早黄昏(たそがれ)なり。今宵はここに泊りたまえ。明日はつとめて伴うべし」と云い慰めて、もてなせば、桜戸深く喜んで、かの亀菊(かめきく)が邪(よこし)まにて、無実の罪に落とされたる、その事の始めより、舳太夫、陸船を討ち取って、恨みを返せし事のおもむき、一部始終を物語れば、朱西は耳を傾けて、膝の進むを知らざりけり。
※切所(せっしょ):峠などの難所。また、要害の場所。
かくてその明け方に、朱西は桜戸を呼び起し仕度を整え、半弓たばさみ立ちいでて、水際(みぎは)に茂き枯れ葦(あし)へ、鏑矢(かぶらや)射込むを合図にて、たちまち葦の茂みより、早船一艘漕ぎ出して、此方の岸へ着けしかば、朱西は桜戸と諸共に、その舟に打ち乗って、山梨の磯へ押し渡り、ここより陸(くが)に打ち登り、船をば返し使わしつつ、程なく砦におもむいて、桜戸が事の由を巨綸(おほいと)らに告げしかば、巨綸聞いて二人の勇婦、杣木、真弓ら諸共に、書院にいでて、桜戸を呼び入れさせて対面す。
その時、巨綸(おおいと)は、桜戸に打ち向かって、
「御身の上は、暴磯神(ありそかみ)の物語にてつぶさに聞きぬ。折瀧殿は恙(つつが)無きや」と問えば、桜戸「さん候」、書状を差し越したまいたり。
「これ御覧ぜよ」と懐(ふところ)より、一報を取り出して、巨綸(おほいと)に渡すにぞ。巨綸やがて開き見て、手下の者に云い付けて、酒肴を持ていださせ、まづ桜戸をもてなしつつ、腹の内に思う様、
「・・・・桜戸は、その始め女武者の頭にて、十八番の武芸に長(たけ)たり。しかるに、我は、青表紙の唐(から)文字をよく読むのみ。武芸においては二の町(にのまち/二流)なり。又、杣木(そまき)、真弓(まゆみ)、朱西(あかにし)らも、十二分の武芸ならぬに、桜戸を留めて、我らが群れに入れなば、遂に山を奪わるべし。薫化(くんか)※にてあれ。」と思案をしつつ、金二十両取り出して、桜戸に贈りて云う様、
「折瀧殿の引き付けにて、遥々と来たまえども、いかにせん。此の砦は分内(ぶんだい/領分)※狭く兵糧(ひょうろう)も多からねば、長く御身を留め難し。こはいささかの品ながら、路用として参らする。いざいざへなりとも赴(おもむ)いて、良き人を頼みたまえ」と云うに、桜戸押し返して
「わらわは路用の乏しき故(ゆえ)に、遥々ここへ来つるにあらず。節柴殿の勧めにより、長く此の所にて、身を寄せんとのみ思いしに、この賜物(たまもの)は本意にあらず。まげて仲間に入れさせたまえ」と云うに、杣木も朱西、真弓も巨綸(おほいと)を諌(いさ)めて云う様、
「兵糧豊かならずと云えども、今この女中を留めずは、引き付けられし節柴殿に受けたる恩を忘れるに似たり。よくよく思案したまえ」と云うに、巨綸頭を打ち振り、
「節柴殿に対しては、いささか不実に似たれども、未だこの桜戸の心の底を知るに由無し。只一封の状を持て、心も得知らぬ人を留めて、身の災いとなる事あらば、後悔そこに絶ち難し。こは気の毒なる事ながら、只、その金を受け収め、何処(いずこ)へなりとも赴きたまえ。我らが心に如才は無けれど、御身を養う余力は無し。明日は努(つと)めて打ち発ちたまえ」と苦々しげに答えつつ、留むる気色は無かりけり。
桜戸が志津の砦を離れて、名のり(投名)文を求むるところ、これらの訳はつぶさに、この次の巻に見えたり■
※薫化(くんか):徳によって人によい影響を与え、導くこと。
<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
曲亭馬琴著 歌川国安画 仙鶴堂嗣梓
さても、その後、虎尾の桜戸は、その宵の間の大雪に、山苧倉(やまそくら)なる我が住み家を押し潰されたるにより、五六町あなたなる観音堂に退いて、陸船(くがふね)夫婦が目論見たる、既に必死の災いを逃れたるのみならで、図らずも舳太夫、陸船、奈落婆らを討ち留めて、日頃の恨みを返せしかば、御堂の縁に尻打ち掛けて、買い持て来たりし瓢(ひさご)の酒を、飲み尽くして寒さをしのぎ、仕込み杖を引き下げて、道両三町走る程に、あちこちなる百姓ばら、山苧倉なる火を消さんとて、雪をおかして走り集うに、端無くも行き会いければ、 桜戸やがて声を掛け、
「人々早くかしこに至りて、火を防ぎ止めたまえかし。わらわは御館におもむいて、四傳次(しでんじ)主(ぬし)に訴え申さん、やよとくとく」と云い捨てて、やり過ごしてぞ走りける。
さる程に桜戸は、雪を明かりに、この身になってもそなたしゆに、一里か二里か行方も定めず走るになん。真夜中頃になりしかば、身はいと痛う飢え疲れて、寒さも耐え難かりけるに、と見れば向かいの森のほとりに、一構(かまえ)えの生垣(いけがき)あって、冠木門(かぶきもん)は閉(たて)てあれども、垣の隙(すき)より点(とも)し火の、影ちらちらと見えしかば、門のほとりに立ち寄って、扉を押せば開いたり。
内より「誰ぞ」と声を掛けるに、桜戸早く進み寄り、
「わらわは今宵、山苧倉の近火(きんか)に住処(すみか)を走り出て、道に迷って来つる者なり。かたの如くの大雪にて、道さりあえず難儀に及びぬ。しばし囲炉裏に当らせて、濡れたる衣(きぬ)を干させたまえ」と云いつつ、やおら戸を開ければ、こは一棟の長屋にて、内には五七人の賤(しず)の女(め)らが、糸を繰り、麻を紡いで、夜なべをしてぞ至りける。
その時その賤の女らは、桜戸をつらつら見て、
「そはいと難義(なんぎ)にこそあらめ。此方(こなた)へ寄って当りたまえ」と云うに、桜戸喜んで、「許したまえ」と云いながら、にじり上がりつ大囲炉裏の辺(ほとり)に近づき身を温め、濡れたる衣(きぬ)を干す程に、酒の香ふんとしてければ、火の明かりにて辺りを見るに、一升徳利を囲炉裏の隅なる、灰に埋ずめて置きたるなり。
その時、桜戸は賤の女らに打ち向かって、
「わらわは身の内冷え凍(こご)え、あまつさえ★飢え疲れたり。願うは少し此の酒を分け与えて飲ませたまえ。酒の値は償(つぐな)うべし」と云うを、皆々聞きあえず、
「こは我々が飲むにだも、なお多からで、足し無き物をいかにして、和女郎に飲ません。モウ良い加減に出て行きね、栄耀(えよう/贅沢)にほちゃけて、物強請(ねだ)りせば、男衆を呼び寄せて、えら酷い目に会わするや」と云いつつ、どっと打ち笑えば、桜戸胸に据えかねて、
「こは奇怪なる過言かな。否と云われる此の酒を、押して飲まんと云うにはあらぬに、いら酷(ひど)い目に合わせんとは、今一言云うて見よ。さぁ云わずや」と息巻いて、囲炉裏をはたと打ち叩けば、矢庭(やにわ)に茶釜(ちゃがま)を打ち倒し、はっと立ったる灰諸共に、火もまた四方に散乱し、辺りに集(つど)いし女どもは、目口に灰の入るもあり、小鬢(こびん)を焼かれ裳裾を焦して、したたか火傷(やけど)をするもあり。等しく「あっ」と叫びつつ、驚き恐れて、皆諸共に表の方へ逃げ失せたり。
※小鬢(こびん):頭の左右側面の髪
桜戸これを見送って、からからと打ち笑い、その徳利を引き出して茶椀に注いで飲む程に、思わずも一徳利の酒残り無く飲み尽くして、仕込み杖を突き立てつつ、身を起しつつ立ちいでて、不知案内の雪道を、そことも分かず行く程に、飢えて飲みたる酒ならば、幾程もなく酔(え)いは昇って、足元しどろに定らず。一歩は高く一歩は低く、只よろよろとよろめくままに、たちまち躓(つまづ)き倒れけり。
およそいたく酔いたる者の伏し転びては、遂に得起きず。桜戸は降り積もる雪に、半身掘り埋ずめても、寒さも知らぬ高いびき。日頃にも似ず哀れなり。
さる程に、賤(しず)の女(め)らは、慌て惑いつつ逃げいでて、桜戸が事のおもむき、かようかようとかしましく、男共に告げしかば、皆々これを聞きあえず、
「さては盗人(ぬすびと)ごさんなれ。遠くは行かじ追っかけよ」とて、麻縄、棍棒(こんぼう)松明(たいまつ)を手に手にひ下げて、走り出れば、小鬢(こびん)を焼かれし女(おなご)らも、遅れじとてぞ追う程に、行くこと今だ四五町に過ぎず、と見れば、降り積もりし雪の中に酔い伏したる女あり。
小鬢を焼かれし賤の女は、先に進んで松明を振り照らしつつ、と(兎)見かう(角)見て、「盗人女はこれなり」と云うに、皆々折り重なって、袋の物を取る如く、衿髪(えりかみ)掴んで引き起こし、早ひしひしと縛(いまし)めて、もと長屋へ引きもて帰って、厳しく柱へ繋(つな)き留め、「明日の朝、御前様のお目覚めあらば、訴え申さん。それまで誰彼守れ」とて、皆、夜の明けるを待ち居(を)りける。
かかりし程に、桜戸は、ようやく酒の酔い覚めて、驚き呆れて声を振り立て、
「こは何故に理不尽に、かくは我儕(わなみ)を縛めたる。この縄早く解かずや」と云わせも果てず、女共は、からからと打ち笑い、
「盗人女が猛々(たけだけ)しさよ。おのれは酒を盗み食らって、あまつさえ火傷をさせ、小鬢(こびん)も布子(ぬのこ)も焦がさせしを、早忘れしか。不敵の曲者(くせもの)。なお、辛き目を見せんず」と、罵(ののし)る他は無かりけり。
かくて、その夜も明けしかば、御前様のお目覚めぞと知らせによって、その男女は桜戸を引き立てて、母屋(本屋)へ参って、縁側のほとりに皆々居並び、
「昨夜、図らず盗人女をからめ捕って候なり。いかが計らい申さんや」と言葉等しく聞こえ上げれば、しばらくして主(あるじ)の婦人、奥の間より立ちいでて、
「そは、いかなる盗人ぞ」と問いつつ近く立ち寄って、桜戸を見て大きに驚き、
「そは、虎尾の刀自ならずや。いかなる故(ゆえ)にここへ来て、百姓ばらにおめおめと、絡(から)め捕られたまいたる。思い掛けなや浅ましや」と云われて、驚く桜戸も眼(まなこ)を定めて見上げるに、この婦人は別人ならず、これ折瀧の節柴なり。
「こはこは、いかに」とばかりに、ただ喜び、ただ恥じたる、桜戸声を振り立てて、
「わらわいかでか盗みをすべき。只、一徳利の酒ゆえに、酔い伏したる間に絡められたり。わらわが上には様々なる物語のはべれども、一朝(いつちやう)には説き尽くし難(がた)かり。願うはわらわを救いたまえ」と叫ぶになん。節柴「さこそ」と頷(うなず)いて、忙わしく桜戸が縛めの縄解き捨てて、その男女を叱り退け、まず腰元らに云い付けて、衣(きぬ)一重ねを取り出させて、桜戸が濡れたる衣を、上より下まで着替えさせ、奥座敷へ伴いつつ、酒をすすめ、朝飯(あさいい)をすすめて、他事無くもてなせば、桜戸はその身の災い、冨安舳太夫、陸船らが事、又、剣山四傳次、奈落婆が事のおもむき、図らず恨みを返したる始め終りを囁き示せば、節柴聞いて感涙(かんるい)を押し拭(ぬぐ)いつつ、辺りを見返り、
「重ねくし不仕合せも、なお頼もしき御身の命運。今、計らずしてわらわが方へ、来たまいぬるこそ嬉しけれ。ここはわらわが別荘にて、昨夜(よんべ)粗忽(そこつ)に思い違(たが)えて、御身を縛め引きもて来つる、かの男(おとこ)女(おなご)共は、屋敷守の百姓なれば、必ず心を置きたまうな。わらわは昨日、ここへ来つ、思わず雪に降り込められて、母屋へ帰らでありしかば、これも只、御身の為に大方ならぬ幸いなり。さはれこの所は、朝間にて人目を忍ぶによろしからず、母屋へ伴いはべらん」とて、その夕暮れに、桜戸を乗物に打ち乗せて、折瀧の庄へ帰りつつ、内外の者に心得さして、世に頼もしく桜戸を、深く匿(かくま)いたりければ、桜戸は恩を感じて、真琴屋真介夫婦の者が、真心さえに告げ知らすれは、節柴聞いて桜戸が、とにつけても、かくにつけても人の助けのあることを、称(たた)えてしきりに感じける。
されば又、その夜さり(よさり/夜分)、陸船、舳太夫、奈落ら、皆、桜戸に討たれしかば、四傳次浅手にて未だ死なで在りしにより、彼偽(いつわ)って領主に訴え、
「桜戸悪心止まずして、山苧倉(やまそくら)を焼き失い、あまつさえ舳太夫、陸船、奈落らを斬り殺して逐電したり」と申すにぞ、佐渡の領主本間の太郎、由を聞いて驚き怒り、にわかに組子らを手分けして、八方へ差し向けつつ、村里毎に下知(げち)を伝えて、
「罪人桜戸をからめ捕って、引きもて参る者あらば、三十貫の褒美(ほうび)銭を賜うべし」とぞ触れたりける。
既にして、これらの由を、桜戸ほのかに伝え聞いて、節柴に囁く様、
「かようかようの風聞(ふうぶん)あり。かかれば御身が今更に、わらわを匿(かくま)いたまわぬにあらず。わらわ今更ここに居難し。只、速(すみ)やかに他郷へ走って、災いを避けんと思うに、身の暇をたまえかし」と云うを、節柴打ち聞いて、
「しからば、わらわが手引きして、御身をやるべき所あり。そもそも近江の国の伊香郡(いかのこほり)賤の砦(しずのとりで)に、三人の女武者あり。第一の大将は大歳麻巨綸(おおとしまおおいと)と呼ばれ、第二の大将は女仁王杣木(おんなにおうそまき)と呼ばれ、第三の大将を天津雁真弓(あまつかりまゆみ)と云えり。彼女らは先に滅びたる柴田が残党の梶原弥三郎が余類にて、女に似気無き武芸あり。先にその三人の勇婦ら、流浪して諸国を経回り(ひめぐり)※、或る年、この地に来たりしかば、わらわが屋敷に留(とど)め置いて、養うこと一年(ひととせ)余り。又、立ち去らんとせし時に、路用(ろよう)を多く取らせたり。
※経回る(ひめぐる):あちこちをめぐり歩く。遍歴する。
かかれば、わらわが手紙をもて、御身を頼み遣わさば、留めんこと疑い無し。されば、その巨綸らは、四五百人の手下を集めて、賤ヶ岳(しづがたけ)に砦を構え、余呉(よご)と琵琶(びわ)の湖を、前と後ろの要害(ようがい/城塞)に、余呉川、飯浦の大川を境として、をさをさ猛威を振るうと聞けり。御身がかしこに身を寄せたまわば、生涯後ろ安かるかるべし。さりながら、当国の港々には、新たに関を据えられて、人の出入を検(あらた)めると伝え聞きたる事もあれば、首途(しゅと/旅立ち)に難義(なんぎ)あり。いかにせまし」と頭(こうべ)を傾け、しばし案じて打ち頷(うな)ずき、
「良き手立てのはべるなり。謀(はか)り事はかようかよう」と膝すり寄せて囁き示せば、桜戸は斜めならず喜んで、やがてその儀に任せけり。
※要害(ようがい):①険しい地形で、敵の攻撃を防ぐのに便利なこと。土地。②城塞。城郭。とりで。③防御をかためること。用心すること。
かくてその次の日に、節柴は浦遊びに出づると偽って、腰元数多(あまた)召し連れたる。その中に、桜戸を腰元と共にいで立たして、小木の港(おぎのみなと)におもむく程に、ここにも関を据えられて、本間が家の子(家臣)、沢足江番太(さわたりえばんた)、組子を大勢従えて、この所を守りしが、兼ねてより相知ったる折瀧の節柴が、浦遊びに行くと聞いて、忙わしく出迎え、
「珍らしや折瀧殿。この頃のいと寒きに、何処へ赴(おもむ)きたまうぞ」と問われて、節柴打ち微笑み、
「わらわは鬱気(うつき)の病あるに、閉じこもりて居(を)らんより、浦辺にい出て貝を拾わば、少しは保養にならんかとて、時ならぬ浦遊びも、日和(ひより)の良きにいでたるなり。御身は又、何故にここらに勤役(きんやく)したまうやらん」と云うに、江番太
「さればとに、都(みやこ)の流人(るにん)の桜戸と呼ばれし者、倉を焼き、人を殺して去ぬる日に、逐電したるにより、領主の仰せを承り、人の出入りを検(あらた)むる臨時の役に候」と云うに、節柴うなずいて、
「そは御大義にこそはべれ。わらわが具したる供の内に、かの桜戸も在るべきに。いざ検めて見たまわずや」と云いつつ笑えば、江番太もからからと打ち笑い、
「実(げ)に、御供の女中の群れには、かの桜戸も在るべけれど、節柴殿の事なれば検めるには及ばぬ事なり。さぁさぁ通りたまえかし」とうち戯れて、下部(しもべ)らに下知して、木戸(きど)を開かせければ、節柴は仕済ましたりと、心密かに喜んで、皆諸共に港へ赴(おもむ)き、さて桜戸には忍びやかに、旅装いを整えさせて、兼ねて用意の船に乗せ、越後の方へ落とし遣わし、節柴、此には去らぬ体(てい)にて、終日(ひねもす)貝を拾いつつ、帰るさに、江番太に物を贈って喜びを述べ、暮れて宿所(しゅくしょ)へ帰りけり。
さる程に、桜戸は節柴の情けにて、難なく港を逃(のが)れいで、越後の国へ押し渡し、なお越前を経て、近江なる賤の砦に赴く程に、日に歩み夜に宿り、急がぬ旅に日数経て、暮れ行く年に、近江なるすげの浦★にぞ着きにける。
折から昨日の雪晴れて、山白妙(しろたえ)に風寒く、この辺りには只一軒の腰掛酒屋ありければ、桜戸は進み入りて、床几(しょうぎ)に尻を打ち掛ければ、酒屋の杜氏(とうじ)が出迎えて、
「いかに酒をや参(まい)らすべき、強飯(こわいい)も候は」と云うに、桜戸うなずいて、
「否(いな)、強飯は欲しからず。今日の寒さの耐え難きに、さぁさぁ酒を飲ませよ」と、云うに、杜氏は心得て、酒二三合を温めつつ、一椀の湯豆腐に、鮒の煮浸(にびた)し取り揃え、早置き並べて勧めけり。その時、桜戸は杜氏に向かって、
「わらわは急ぐ用あって、賊が砦へ行く者なり。渡し舟のあるべきに、雇(やと)うてたべ」と頼むにぞ、杜氏は聞いて眉をひそめ、
「ここは船着きならざれば、渡し舟も候わず」と云うを、桜戸押し返し、
「渡しの舟はあらずとも、雇えば舟を貸す者あらん。船賃は望みに任せん。ともかくもして雇うてたべ」と再び頼めば、頭を打ち振り、
「稀(まれ)には舟の無きにはあらねど、此の頃の大雪にて舟稼ぎする者は、絶えてここらに一人も無し。もちろん飯浦、浜村の山間(やまあい)は、陸(くが)続きにて候えども、近頃切所(せっしょ/難所)※を切り塞がれて、鳥も通わずなりたれば、船ならずしてなかなかに赴かんこと叶い難し」と云われて、桜戸は詮方も無く、ほとほと困り果てたる折から、一人の女がとの方より、しづしづと進み入り、桜戸に打ち向かい、
「御身は今、賊の砦へおもむきたしと云われしならずや。彼処(かしこ)に知る人候か。或るいは人の手引きによって、初めて赴きたまうにや。御身は何と云う人ぞ」と問われて、桜戸隠すに由(よし)なく、
「わらわは桜戸と呼ばれる者にて、この度、折瀧の節柴殿の勧めによって、遙々佐渡より来つるなり」と云うに、驚くその女は、ほとりに寄って尻打ち掛けて、
「さては、世の風聞に隠れなかりし、御身は女武者所の教え頭(かしら)と聞こえたる、かの虎尾の桜戸殿か」と再び問われて、にっこと打ち笑み
「云われる如く、虎尾の桜戸はわらわにこそ」と告げるに、「さては」と喜んで、
「しからば、ここは端近にて、心の内を述べ難し。まづこなたへ」と忠実(まめ)やかに奥の座敷へ誘って、又、更に肴(さかな)を添え、酒をすすめて、さて云う様、
「我儕(わなみ)の事は賊の砦の巨綸(おほいと)の手下の大将にて、暴磯神の朱西(ありそかみのあかにし)と呼ばれる者なり。さりし頃より此の所に、この酒店を出しつつ、世の風聞を聞きさだめ、こなたに憩(いこ)う旅人の味方にすべき者あれば、説きすかうて砦へ遣わし、又、身の仇(あだ)となるべき者は、密かに痺(しび)れ薬もて殺して、憂(うれ)いを除くなり。これにより御身をも、鎌倉方の者ならば痺れ薬を酒に加えて、押し片付けんと思いしに、三大将が大恩受けたる折瀧殿の引き付けなる虎尾殿でありけるを、知らずば事を誤(あやま)つべし。誠に危うき事なりき。わなみ同道すべけれども、既に早黄昏(たそがれ)なり。今宵はここに泊りたまえ。明日はつとめて伴うべし」と云い慰めて、もてなせば、桜戸深く喜んで、かの亀菊(かめきく)が邪(よこし)まにて、無実の罪に落とされたる、その事の始めより、舳太夫、陸船を討ち取って、恨みを返せし事のおもむき、一部始終を物語れば、朱西は耳を傾けて、膝の進むを知らざりけり。
※切所(せっしょ):峠などの難所。また、要害の場所。
かくてその明け方に、朱西は桜戸を呼び起し仕度を整え、半弓たばさみ立ちいでて、水際(みぎは)に茂き枯れ葦(あし)へ、鏑矢(かぶらや)射込むを合図にて、たちまち葦の茂みより、早船一艘漕ぎ出して、此方の岸へ着けしかば、朱西は桜戸と諸共に、その舟に打ち乗って、山梨の磯へ押し渡り、ここより陸(くが)に打ち登り、船をば返し使わしつつ、程なく砦におもむいて、桜戸が事の由を巨綸(おほいと)らに告げしかば、巨綸聞いて二人の勇婦、杣木、真弓ら諸共に、書院にいでて、桜戸を呼び入れさせて対面す。
その時、巨綸(おおいと)は、桜戸に打ち向かって、
「御身の上は、暴磯神(ありそかみ)の物語にてつぶさに聞きぬ。折瀧殿は恙(つつが)無きや」と問えば、桜戸「さん候」、書状を差し越したまいたり。
「これ御覧ぜよ」と懐(ふところ)より、一報を取り出して、巨綸(おほいと)に渡すにぞ。巨綸やがて開き見て、手下の者に云い付けて、酒肴を持ていださせ、まづ桜戸をもてなしつつ、腹の内に思う様、
「・・・・桜戸は、その始め女武者の頭にて、十八番の武芸に長(たけ)たり。しかるに、我は、青表紙の唐(から)文字をよく読むのみ。武芸においては二の町(にのまち/二流)なり。又、杣木(そまき)、真弓(まゆみ)、朱西(あかにし)らも、十二分の武芸ならぬに、桜戸を留めて、我らが群れに入れなば、遂に山を奪わるべし。薫化(くんか)※にてあれ。」と思案をしつつ、金二十両取り出して、桜戸に贈りて云う様、
「折瀧殿の引き付けにて、遥々と来たまえども、いかにせん。此の砦は分内(ぶんだい/領分)※狭く兵糧(ひょうろう)も多からねば、長く御身を留め難し。こはいささかの品ながら、路用として参らする。いざいざへなりとも赴(おもむ)いて、良き人を頼みたまえ」と云うに、桜戸押し返して
「わらわは路用の乏しき故(ゆえ)に、遥々ここへ来つるにあらず。節柴殿の勧めにより、長く此の所にて、身を寄せんとのみ思いしに、この賜物(たまもの)は本意にあらず。まげて仲間に入れさせたまえ」と云うに、杣木も朱西、真弓も巨綸(おほいと)を諌(いさ)めて云う様、
「兵糧豊かならずと云えども、今この女中を留めずは、引き付けられし節柴殿に受けたる恩を忘れるに似たり。よくよく思案したまえ」と云うに、巨綸頭を打ち振り、
「節柴殿に対しては、いささか不実に似たれども、未だこの桜戸の心の底を知るに由無し。只一封の状を持て、心も得知らぬ人を留めて、身の災いとなる事あらば、後悔そこに絶ち難し。こは気の毒なる事ながら、只、その金を受け収め、何処(いずこ)へなりとも赴きたまえ。我らが心に如才は無けれど、御身を養う余力は無し。明日は努(つと)めて打ち発ちたまえ」と苦々しげに答えつつ、留むる気色は無かりけり。
桜戸が志津の砦を離れて、名のり(投名)文を求むるところ、これらの訳はつぶさに、この次の巻に見えたり■
※薫化(くんか):徳によって人によい影響を与え、導くこと。
<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>