傾城水滸伝第貳編
曲亭馬琴著 歌川国安画
さてもその後、花殻のお達、尼妙達は、百倉長者の情けにより、白川(しらかわ)なる大伽藍(だいがらん)龍女山(りゅうにょさん)無二法寺(むにほうじ)の住持(じゅうじ)の尼妙真大禅尼の弟子になり、既に剃髪、得度(とくど)したにもかかわらず、五戒を破り、酒に酔って、寺内を騒がすこと大方ならねど、大禅尼の情けによって、ようやくにその罪を許されて、そのこと無為(ぶい)に治まりければ、しばらくは身を慎んで、学寮にのみ籠もり居て、漫(そぞ)ろ歩きをせざりしに、ほとぼり冷めて熱さを忘れる、ことわざに漏れる事無く、ある日鬱気を晴らさんと蓄えの金を懐(ふところ)にしつつ、独り山門を立ちいでて、麓の方におもむく程に、たちまちカラカラ、カンカンと鏨(たがね)を打つ音が聞こえしかば、その所へ行って見るに、すなわち、麓の町にして、ここに一軒の鍛冶屋あり。
妙達はつくづくと、その店先に佇(たたず)んで、その体たらくを窺(うかが)うに、新たに打ちたる刃物、打ち物、金棒、利鎌(とがかま)※、鋤鍬(すきくわ)など数多あり。
※利鎌(とがかま):鋭利な鎌。よく切れる鎌。
上手の鍛冶と見えしかば、そのまま内に進み入り、主人の男にうち向かい、
「我らはちと誂(あつら)えたき物あるなり。最上の鉄(くろがね)にて、磨き杖を打ちてたべ。重さはおよそ百斤(きん)ばかりにて、よろしからん」と云いければ、主人は聞いて呆れ果て、
「それがし、これまで幾度となく、金棒(かなぼう)をも打ちいだし、禅杖(ぜんじょう)、錫杖(しゃくじょう)なども作りしかども、左様に重きを打ちたる事無し。昔、木曽殿の巴御前※は、その力百人力に当たりし由を語り伝え、又、近頃の板額御前※も万婦不当(ばんぷふとう)※の聞こえあれども、重さ百斤に及ぶ打物を、使うたる由は聞かず。唐土(もろこし)の関羽すら、八十二斤の青龍刀を使いしとやら云うにあらずや。されば山匁(め)一斤の二百目の割りを以(も)ってする時は、百斤は二十貫目なり。尼君、力に覚え有りとも、左様な杖は突き難(かた)からん。目方を減らしたまえかし」と云うを妙達は聞きあえず、
「我、何ぞ、近頃の巴板額に及ばざらんや。しからば関羽とやらに倣(なら)って、八十二斤に致(いた)すべし」と云うを主人は押し返し、
「八十二斤もなお多し。もしそれがしに任せたまわば、五十斤の重さに打たん。それにても十貫目なり。打ち出来し時、持たれぬとて必ず恨みたまうな」と云うに、妙達微笑んで、
「しからば我その間を取り、六十斤にあつらえん。念を入れよ」と語を押して、▼値を定め金銭を渡し、又、この他に一尺二寸の懐刀一腰をあつらえ、
「いづれもよろしく出来しなば、別に褒美を取らすべし。ずいぶん急いで良くせよ」と言葉せわしく約束しつつ、鍛冶屋が店を走り出て、十間余り行く程に、右の方に一軒の煮売り酒屋あり。
※巴御前:木曽義仲の側室。知勇に優れ、義仲に従い戦功を立てた。
※板額御前:越後の有力豪族の城氏の一族で鎌倉時代に活躍したと伝えられる女性武将。
※万夫不当(ばんぷふとう):強く勇ましいこと
軒端(のきば)には、一とまろめの杉の酒林を掲(かか)げ出し、門(かど)には縹(はなだ)※染めの小幟(このぼり)を、高くひらめかして、名物踊り子汁と記(しる)せしは、泥鰌(どじょう)汁の事なるべし。
※縹(はなだ):明度の高い薄青色のこと
妙達これを見るよりも、たちまち口によだれを流して、心の内に思う様、
「・・・・・この頃は絶えて久しく、生臭き物を食わず、酒はもちろん香りだも嗅ぐ事無し。たまたま、かかる所へ来て、宝の山に入りながら、手をむなしくして帰らんや。まづ一杯飲んでこそ、寺へ帰らめ」と、思案をしつつ、そのままひらりと酒屋に入って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛けて、「さぁさぁ酒をいだせかし」と云うを、主人は見返って、
「御身は無二法寺の尼御前なるべし。定めて御身も知らせたまわん。かの御寺は掟(おきて)厳しく、それがしらにも御下知あり。全て御寺の比丘尼たちに、酒を売る事を許されず、さぁさぁ出て行きたまえ」と云うに、妙達声を潜(ひそ)めて、
「さりとは野暮を云うものかな。我、今ちとの酒を飲むとも人に告げずば、誰か知るべき、いささかも苦しからず、さぁもて来よ」と急がせども、主人は聞かず頭をうち振り、
「それがしらは、御寺より元手を借りて世渡る者なり。ちとの酒を売らんとて、後ろ暗き業(わざ)をせば、後日の咎めを逃れ難し。さぁさぁ帰りたまえし」と云うに、妙達は詮方なく呟(つぶや)きながら、そこを出て、またまた他の酒屋におもむき、酒を飲まんとしつれども、いづかたの酒屋にても、断り云う事初めに変わらず、いづれも決して売らざれば、妙達は悶(もだ)え苦しみ、いかにせましとなお行く程に、町外れなる空地のほとりに、近頃いだせし店とおぼしく、仮初(かりそめ)なる小屋掛けして、半ば引き立てたる障子には、山鯨(やまくじら/猪)、紅葉(鹿)の吸い物と印したり。妙達はこれを見て、心に一つの謀(はか)り事を思い付きつつ、会釈も無く、又、その店に入りにけり。
かくて花殻の妙達は、獣(けだもの)店に立寄って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛ければ、主人はうち見て、顔うち守り、
「御身は、もしや無二法寺の尼には御座(おは)さずや。御覧の如く我らが店は、獣(けだもの)の煮売りをするのみ。精進物は候わず」と云うを、妙達聞きあえず、
「否、わらわは遠方より遥々(はるばる)と来つる者。抖藪(とそう)※行脚(あんぎゃ)の比丘尼にて、無二法寺には縁(ゆかり)も無し。いとおこがましく思われんが、頭こそかく丸めもしたれ、五戒を保つ事は要せぬ。なお半俗の身にしあれば、肉食はもちろんなり。猪(しし)はもとより好物なるに、多少を問わず酒諸共に、さぁさぁ出したまえかし」と、真しやかに云いくるめれば、主人は心に呆れながら、物の云い様、板東声(ばんどうごえ)にて、実(げ)にむくつけき尼なれば、偽(いつわ)りなりとは思いも掛けず、猪の脂身一ト鍋を空(から)炒りにしていだしつつ、一トちろり※の酒諸共に、床几(しょうぎ)のほとりに置き並べるを、妙達うち見て密かに喜び、そのまま手酌に引きかけ引きかけ、幾度となく銚子を替え、鍋をも四五度(たび)替えにければ、酒は一斗五升に及び、肉は八百五六十目を、少しも残さず食らい尽くして、腹十分になりしかど、なお鍋焼きの忘れ難さに、猪の肉二百目余りを竹の皮に包まして、土産にせんとて袂(たもと)へ押し入れ、▼主人に値を償(つぐな)って、そのままそこを立いでて、寺を指してぞ帰り行く。
※抖藪(とそう):衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。
※ちろり:酒の燗(かん)をする道具。
罪も報(むく)いも白川の、岨(そは)道伝い、ひょろひょろと踏みも定めぬ足引きの、この山風に吹かれつつ、酒の気既に湧き上り、早や十二分に酔うたれども、諺(ことわざ)に云う本性違(たが)わず、心の内に思う様、
「・・・・・今日はたまたま酒を過(すぐ)して、いささか色にいでたらんに、表門より入らんとせば、かの番人らが悪堅くて、思わぬ口説(くぜつ)やいで来ぬらん。裏門よりして入るこそ良けれ」と、思案をしつつ、回り道して裏手の方より、よろめき来にけり。
しかれども無二法寺は、世に聞こえたる大寺なれば、裏門にもまた門番あり。その夫婦の者、番を務めて花を売り、門を守り、又、掃除の者五六人同宿して、ここに居(を)り、既にして門番らは、妙達が又、いたく酔って帰り来にけるを、遙かに見つつ、慌(あわ)てふためき、門戸を閉じて、一人の掃除の者を早くも役所へ走らせて、監主の尼に告げたりける。
さる程に、妙達は早や裏門に近づいて、心もとなく辺りを見るに、門のほとりに建てられたる供養塔の筋向いに、石の地蔵と如意輪の観音を安置して、雨よけの厨子堂あり。妙達これを見返って、からからとうち笑い、
「此、似非(えせ)地蔵は誰を待つやら。ちと気保養(きほよう/気晴らし)に歩きはせで、立竦(たちすく)みになる愚(おろ)かさに、六道能化(ろくどうのうげ)※の名にも似ず、借りる時の地蔵顔、目を細くして笑いかけても、一文も貸す銭は無し。又、如意輪も馬鹿馬鹿しい、何が苦労になる事やら、朝から晩まで頬杖付いて、豊後節※でも語る気か、これ何(どう)ぞいの」と立寄って、格子をはたと打ち叩く、拳(こぶし)の冴えも覚えの大力、その格はたちまち砕けたり。妙達はこれを見て、又、からからとうち笑い、
「我が身出家になりしより、絶えて久しく棒も使わず、力試しをする由無ければ、せめてここにて御身らに、手並みを見せて目を覚まさせん。そんな怠(なま)けた事では無し、一番見るか」と誇り顔に、折りし格子の格を引き抜き、「やつとうとう」と掛け声高く、力に任して打つ程に、▼格子は砕け羽目板離れて、簀立(すだち)の如くになりたりける。柱に右手(めて)を押し掛けて、押せばゆらゆら揺(ゆ)らめきあえず、楔(くさび)は緩み抜き折れて、将棋倒しにばたばたと、倒れる柱諸共に、石の地蔵も転(まろ)びけり。
※六道能化(ろくどうのうげ):六道の辻で死者を導き、衆生を教化する地蔵菩薩の別名。
※豊後節:心中物を得意として大流行した浄瑠璃の流派の一つ。
裏門に居(を)る男どもは、門番所の窓の戸の隙より、この有様を見て大きに驚き、再び人を走らせて、此由、注進してければ、監主の尼たち驚き呆れて、事大変になりにたり。裏門に人を増して、「例え妙達荒れるとも、内へな入れそ」と下知すれば、門番人らは心得て、厳しく門をぞ守りける。
さる程に妙達は地蔵堂を打ち破り、なおあちこちへよろめきよろめき、早や裏門より入らんとするに、開き戸、潜(くぐ)りも引き立てたるを、見るよりたちまちむつとして、「開けよ、開けよ」と呼び掛けつつ、拳を握り、門の戸の割れるばかりに打ち叩けば、門番人らはこらえかね、内よりも、又、声を荒げ、
「此似非(えせ)比丘尼が、又しても、食らい酔って帰りしよな。五戒を破り酒を飲み、あまつさえ門外なる地蔵堂をうち破りし、破戒無慙の仏敵を、裏門なりとていかでか入るべき。その事、既に隠れ無ければ、監主方の指図あり、弥勒の世までも叶わぬ事だ。さぁさぁ足の向く方へ立ち去らずや」と罵れば、妙達ますます苛立(いらだ)って、
「ほざいたり痩(や)せ犬めら。早く開いて通さずば、我今、門に火を掛けて、皆焼き払って内に入らん。かくても止めるか、通さぬか」と呼ばはりながら、拍子(ひょうし)を早めて、しきりに門を叩きけり。
※破戒無慙(はかいむざん):戒律を破りながら良心に恥じないこと。
門番らは、妙達が焼き払わんと云いしに驚き、又一両人走り行って、監主の尼に告げにければ、諸役の尼たち驚き騒いで、
「しからば事の大事にならん。まづ穏便(おんびん)に内へ入れよ。その後、思案もあるべきに」と云うに門番忙わしく、元の所へ走り返って、妙達に声を掛け、
「あまりに和主が騒がしければ、只今開けて通すなり。さぁさぁ入れ」と呼ばはりながら、引き抜く閂(かんぬき)諸共に、身をひらかして隠れけり。
妙達は始めより待ちわびし事なれば、今開くと云う門の戸に、両手を掛けて押す程に、扉は左右へさっと分かれて、その身は内へよろよろと、のめり入りつつ四つ這いに、たちまちハタと転びしが、ようやくにして身を起こし、塵(ちり)も払わずひょろひょろと、しどろもどろにおのが住む学寮に帰り来にければ、同宿の尼たちは驚き呆れて物言わず、皆々片隅へ寄る程に、妙達は喉(のど)のあたり、げろげろと鳴る程しもあらず、吐(つ)く反吐(へど)が前にうづ高く、臭さに皆々たまり得ず、鼻を覆(おお)って呆れて居(を)り。
妙達は今、小間物店を打ちいだせし時、袂(たもと)より滑り落ちたる、一包みの猪の肉を見て、「良き物あり」と手に取り上げ、
「折角(せつかく)食うたる鍋焼きを、戻してしもうてひもじくなりぬ。酢の無い刺身も珍しからん、ドリヤ賞玩(しょうがん/賞味)※」と、竹の皮開く牡丹は猪の肉、五膳箸にてむしゃむしゃと、食らうを皆々見るに得たえず、その座を避けんとしたりしを、妙達早く腕(かいな)を伸ばして、一人の比丘尼を引き捕え、
「これ程旨い物なるに、一口なりとも付き合いたまえ。これ食いたうは無いかいの」と擦(なす)り付けたる口の端、比丘尼は「あわや」と口を閉じ、引き離さんと焦れども、妙達ちっとも離さなばこそ、酔うたる者の癖なれば、皆諸共に立寄りて、詫(わ)びるを聞かぬ非道の手込めに、詮方も無く見えたる折から、監主の尼の指図に従い、八九人の男共、妙達が狼藉を取り鎮めんと用意をしつつ、手に手に棒を引き下げて、込み入らんとする程に、妙達早く見返って、捕らえし比丘尼を突き放し、迎え討たんとしつれども、打ち物を持たざれば、机の脚(あし)を引き抜き持って、呻(うめ)いて廊下に走り出て、先に進むをうち伏せうち伏せ、面も振らず▼競いかかれば、多勢を頼みし男ども、立つ足もなく辟易(へきえき)して、頭を破られ手足を損ね、むらむらはつと逃げ散るを、なお逃がさじと追つ駆けたり。
※賞翫(しょうがん):①そのもののよさを楽しむ。②賞味する。③尊重する。
かかる所に、住持の尼、妙真禅尼は端近くたちいでて、
「妙達又もや何をか狂な、無礼なせう★」と止めたまえば、妙達は振り上げたる机の脚を投げ捨てて、忙わしく跪(ひざまず)き、
「上人御前、察したまえ。わらわは人を打たざりしに、監主の尼たち遺恨やありけん。男どもをかり催(もよお)して、絡め捕らんとするにより、止(や)む事を得ず追いいでたり。理非を正させたまえかし」と、託言(かごと/恨み)がましく※訴え申せば、大禅尼頷(うなず)いて、
「とにもかくにもわらわに愛でて、今宵は早く休めかし。明日は正して得させんず」と寄らず触らず宥(なだ)めたまえば、妙達も酒の酔い半ば醒めたる頃なれば、上人の扱いを良き潮(しお)にして、再び騒がす。その時、禅尼は両人の、侍者の尼に囁きたまえば、尼達はなお恐(おそ)るおそるも、妙達が手を引きたて助けて、そのまま部屋へ伴いつつ、様々諌(いさ)めこしらえて、彼女が臥所(ふしど)に入れしかば、さすがに狂い疲れやしけん、前後も知らず伏したりける。
されば又、首座、監主、諸役の尼達十人余り、その夜、禅尼の御前に参って、
「先にも申せし我々が、諌(いさ)めを聞かせたまわずして、世に類(たぐい)無き悪たれ者の妙達を、扶持(ふち)したまう故に、一度ならず二度ならず寺を騒がせ人に傷付け、あまつさえこの霊山を猪豚(ししぶた)の肉に汚(けが)せし、ためし少なき癖事(くせごと)ならずや。世上の批判も後めたし、御思案あらま欲しけれ」と、苦々しげに訴えける。
禅尼は聞いて頷きたまい、
「始めよりして御身らを、密かに諭(さと)したる如く、かの妙達は出家に似気無く、いと猛々(たけだけ)しき女(おうな)にて、破戒の咎(とが)のある者なれども、宿世(すくせ)の業因滅する時に、仏果を得ん事疑い無し。しかれども大方ならぬ過(あやま)ちも数重なれば、あのままには差し置き難しとは云え、当山の大檀越(だんえつ)百倉長者の頼みによって、我が弟子にせし者なれば、まづ彼の人に由を告げて、その後にともかくもせん。明日は努(つと)めて山科へ、使いの尼を遣(つか)わすべし」と情けを込めて、答えたまえば、皆々は又、今更に心もとなく思えども、返す言葉も無きままに、その計(はか)らいをぞ待ちにける。
かくて妙真禅尼は、次の日、朝勤めも果てて後、手づから書状をしたためて、侍者の尼に持たせつつ、なお口上を云い含め、山科へとて遣(つか)わしたまえば、使いの尼は一両人の供人を従えて、百倉長者が宿所へおもむき、主人の長者に対面して、口上を述べ書状を渡せば、百倉いたく驚きながら、禅尼の状を開き見るに、妙達がありし事ども、そのあらましを書き連ねて、かかれば彼女を我が寺に留め置く事叶い難し、我ら良きに計らわんや、但し、そなたへ引き取りたまうや、答えを聞かまほしけれと、いとねんごろに聞こえたまうに、長者はしきりに嘆息して、かつ大禅尼の情けを喜び、
「妙達事はともかくも、御心(みこころ)任せに計らせたまえ。自業自得に候えば、恨み申さん事にはあらず。又、破損せし地蔵堂は、それがし修復し奉らん、なおこの上の大慈大悲を願い奉り候かし」と詳しく返事をしたためて、使いの尼には一ト包みの布施物を贈りつつ、その取り成しを頼みける。
優之介親子の者も、これらの事を聞くからに、心苦しく思えども又、今更になだむべき、詮方とても無かりけり。さる程に使いの侍者は無二法寺へ立ち帰って、住持妙真大禅尼に百倉長者の返簡(へんかん)を披露し、且つその口上を聞こえ上げしかば、禅尼は「さこそ」とうなずいて、その明けの朝、妙達をほとり近く招き寄せ、
「そなた事、しばしば寺の法度(はっと)を犯し、酒を飲み肉を食べ、人と仏堂を打ち損なって、この霊場を騒がせしは、俗人だもせざるところ。これ尼法師の所業ならんや。我いか程に▼思うとも、今更、寺には差し置き難し。鎌倉なる松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の、住持真如大禅尼は、我が法門の妹弟子なり。よって、そなたをかの寺へ頼み遣わさんと思うなり。さぁさぁ用意せよかし」とて、路用の銀子三百匁(もんめ)に、着物一重ねと頭陀(ずだ)袋、脚絆(きゃはん)、笠まで取り添え「餞(はなむけ)ぞ」とてたまわりければ、妙達は大方ならぬ禅尼の慈悲に謝り入て、かしこまりを申しつつ、退き去らんとせし時に、禅尼は「しばし」と呼び止め、
「そなた、今こそかくもあれ、遂には仏果を得つべきに、終わりを思って修行せよ。その行く末を示さんとて「思い見よ緑の林山水の富も仇(あだ)なり江にぞ止まる」三遍吟じ返しつつ、心に留めて、この歌を忘れなせそ」と示したまえば、妙達これをよく覚えて、禅尼に別れを告げ申し、又、尼達に暇乞いして、旅装いを整えつつ、その日無二法寺を立ち去りしが、麓の町屋に逗留して、誂(あつら)えたりし、鉄の杖と懐刀の出来終わるを、待って居(を)りしに、五七日を経て成就せしかば、その杖を突き懐刀を身に付けて、近江よりして信濃路や木曽山伝い遥々と、鎌倉を指して急ぎける。
かかりし程に百倉長者は、日ならず無二法寺へ参詣して、禅尼の情けを喜び聞こえ、地蔵堂の破損を修復し、その日傷を付けられたる男どもには、療治代を贈りなどして、残る方なく手当てをしければ、皆その功徳(くどく)を感じける。
○さる程に、花殻の尼妙達は、夜に宿り日に歩み、行き行って信濃なる妻籠(つまごみ)まで来つる時、その日も西に傾きけり。いかで宿りを求めんとて、宿より少し引き入りたる、いと大きなる屋敷の門のほとりに佇(たたず)んで、
「行き暮らしたる修行者に、今宵の宿を報謝あれ」と声高やかに訪問(おとなえ)えば、内より下男とおぼしき者、一両人立いでて、「この乞食尼、何をか云う。今宵はこちに騒動あり。報謝宿する暇(いとま)は無し。通るなら早く行け。そこら辺りにまご付き居(を)らば、側杖(そばつえ)打たれて後悔せん。さぁ行かずや」と罵れば、妙達たちまち怒りを起こして、
「此痴(し)れ者らが何をか云う。宿を貸さずば借りずもあらんを、我らに何の咎あって、打ち叩かれる目にあうべき。その訳聞かん」とねじ込んで、互いの争い果てしなく、物騒がしく聞こえしかば、主人(あるじ)と見えて一人の老女、齢(よわい)六十余りなるが、しとやかに立ちいでて、男共を叱りとどめ、▼妙達にうち向かって、
「尼御前(ごぜ)、さのみ腹立てたまうな。今宵は実に、わらわが宿に心苦しき客人(まれびと)あり。されども出家の事なれば、ともかくもして留めはべらん。まづまづこなたへ入りたまえ」とねんごろに云いなだめ、母屋に伴い草鞋(わらじ)を脱がせ、夜食をすすめてもてなしけり。
その時妙達主人に向かって、
「わらわつらつら御身を見るに、胸に苦労のあるやらん。顔ばせも常ならず、心苦しき客人あれと云われしは、いかなる故か知らせたまえ」と他事も無く問われて、老女は涙ぐみ、
「云うても益無き事ながら、今更何をか包みはべらん。我が家は代々村長(むらおさ)にて、氏は樹邨(このむら)、わらわをば大刀自(おおとじ)と呼びなしたり。しかるに只一人なる家督の倅(せがれ)は世を早うして、嫁も程なく身罷りぬ。後に残るは一人の孫、花松と呼ばれる者。その頃、幼かりしかば、親類に村役をしばらく預け置きたれども、所持の田地も少なからねば、ともかくもして月日を送るに、今年は孫の花松も十六才になりはべり。我が孫なりとて誉めるにあらねど、田舎に稀なる器量良し、女めきたる若衆なり。
しかるに近き頃よりして、此里に程遠からぬ安計呂(あけろ)の山に山籠もりして、数多の手下を集めたる悪たれ女二人あり。その一人をば億乾通お犬(おけんつうおいぬ)とやらん呼びなしたり。男勝りの荒くれ者にて、間無く時無くあちこちの里人を脅(おびや)かし、兵糧を催促し、或るいは又、旅人を脅(おびや)かして、顔良き女子(おなご)を奪い取り、売り代(しろ)なすとも聞こえたり。かくてその億乾通、いつしか我が孫花松に恋慕(れんぼ)しつ、我が家の嫁となって花松が後ろ見せん、今宵はしかも吉日なり、日も暮れなば輿入れすべし、婚礼の用意して待ち候えと、云いおこしぬ。心苦しき客人ありと、先に云いしは此事なり。察したまえ」と云いかけて、零(こぼ)れる涙を拭(ぬぐ)いけり■
<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>
曲亭馬琴著 歌川国安画
さてもその後、花殻のお達、尼妙達は、百倉長者の情けにより、白川(しらかわ)なる大伽藍(だいがらん)龍女山(りゅうにょさん)無二法寺(むにほうじ)の住持(じゅうじ)の尼妙真大禅尼の弟子になり、既に剃髪、得度(とくど)したにもかかわらず、五戒を破り、酒に酔って、寺内を騒がすこと大方ならねど、大禅尼の情けによって、ようやくにその罪を許されて、そのこと無為(ぶい)に治まりければ、しばらくは身を慎んで、学寮にのみ籠もり居て、漫(そぞ)ろ歩きをせざりしに、ほとぼり冷めて熱さを忘れる、ことわざに漏れる事無く、ある日鬱気を晴らさんと蓄えの金を懐(ふところ)にしつつ、独り山門を立ちいでて、麓の方におもむく程に、たちまちカラカラ、カンカンと鏨(たがね)を打つ音が聞こえしかば、その所へ行って見るに、すなわち、麓の町にして、ここに一軒の鍛冶屋あり。
妙達はつくづくと、その店先に佇(たたず)んで、その体たらくを窺(うかが)うに、新たに打ちたる刃物、打ち物、金棒、利鎌(とがかま)※、鋤鍬(すきくわ)など数多あり。
※利鎌(とがかま):鋭利な鎌。よく切れる鎌。
上手の鍛冶と見えしかば、そのまま内に進み入り、主人の男にうち向かい、
「我らはちと誂(あつら)えたき物あるなり。最上の鉄(くろがね)にて、磨き杖を打ちてたべ。重さはおよそ百斤(きん)ばかりにて、よろしからん」と云いければ、主人は聞いて呆れ果て、
「それがし、これまで幾度となく、金棒(かなぼう)をも打ちいだし、禅杖(ぜんじょう)、錫杖(しゃくじょう)なども作りしかども、左様に重きを打ちたる事無し。昔、木曽殿の巴御前※は、その力百人力に当たりし由を語り伝え、又、近頃の板額御前※も万婦不当(ばんぷふとう)※の聞こえあれども、重さ百斤に及ぶ打物を、使うたる由は聞かず。唐土(もろこし)の関羽すら、八十二斤の青龍刀を使いしとやら云うにあらずや。されば山匁(め)一斤の二百目の割りを以(も)ってする時は、百斤は二十貫目なり。尼君、力に覚え有りとも、左様な杖は突き難(かた)からん。目方を減らしたまえかし」と云うを妙達は聞きあえず、
「我、何ぞ、近頃の巴板額に及ばざらんや。しからば関羽とやらに倣(なら)って、八十二斤に致(いた)すべし」と云うを主人は押し返し、
「八十二斤もなお多し。もしそれがしに任せたまわば、五十斤の重さに打たん。それにても十貫目なり。打ち出来し時、持たれぬとて必ず恨みたまうな」と云うに、妙達微笑んで、
「しからば我その間を取り、六十斤にあつらえん。念を入れよ」と語を押して、▼値を定め金銭を渡し、又、この他に一尺二寸の懐刀一腰をあつらえ、
「いづれもよろしく出来しなば、別に褒美を取らすべし。ずいぶん急いで良くせよ」と言葉せわしく約束しつつ、鍛冶屋が店を走り出て、十間余り行く程に、右の方に一軒の煮売り酒屋あり。
※巴御前:木曽義仲の側室。知勇に優れ、義仲に従い戦功を立てた。
※板額御前:越後の有力豪族の城氏の一族で鎌倉時代に活躍したと伝えられる女性武将。
※万夫不当(ばんぷふとう):強く勇ましいこと
軒端(のきば)には、一とまろめの杉の酒林を掲(かか)げ出し、門(かど)には縹(はなだ)※染めの小幟(このぼり)を、高くひらめかして、名物踊り子汁と記(しる)せしは、泥鰌(どじょう)汁の事なるべし。
※縹(はなだ):明度の高い薄青色のこと
妙達これを見るよりも、たちまち口によだれを流して、心の内に思う様、
「・・・・・この頃は絶えて久しく、生臭き物を食わず、酒はもちろん香りだも嗅ぐ事無し。たまたま、かかる所へ来て、宝の山に入りながら、手をむなしくして帰らんや。まづ一杯飲んでこそ、寺へ帰らめ」と、思案をしつつ、そのままひらりと酒屋に入って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛けて、「さぁさぁ酒をいだせかし」と云うを、主人は見返って、
「御身は無二法寺の尼御前なるべし。定めて御身も知らせたまわん。かの御寺は掟(おきて)厳しく、それがしらにも御下知あり。全て御寺の比丘尼たちに、酒を売る事を許されず、さぁさぁ出て行きたまえ」と云うに、妙達声を潜(ひそ)めて、
「さりとは野暮を云うものかな。我、今ちとの酒を飲むとも人に告げずば、誰か知るべき、いささかも苦しからず、さぁもて来よ」と急がせども、主人は聞かず頭をうち振り、
「それがしらは、御寺より元手を借りて世渡る者なり。ちとの酒を売らんとて、後ろ暗き業(わざ)をせば、後日の咎めを逃れ難し。さぁさぁ帰りたまえし」と云うに、妙達は詮方なく呟(つぶや)きながら、そこを出て、またまた他の酒屋におもむき、酒を飲まんとしつれども、いづかたの酒屋にても、断り云う事初めに変わらず、いづれも決して売らざれば、妙達は悶(もだ)え苦しみ、いかにせましとなお行く程に、町外れなる空地のほとりに、近頃いだせし店とおぼしく、仮初(かりそめ)なる小屋掛けして、半ば引き立てたる障子には、山鯨(やまくじら/猪)、紅葉(鹿)の吸い物と印したり。妙達はこれを見て、心に一つの謀(はか)り事を思い付きつつ、会釈も無く、又、その店に入りにけり。
かくて花殻の妙達は、獣(けだもの)店に立寄って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛ければ、主人はうち見て、顔うち守り、
「御身は、もしや無二法寺の尼には御座(おは)さずや。御覧の如く我らが店は、獣(けだもの)の煮売りをするのみ。精進物は候わず」と云うを、妙達聞きあえず、
「否、わらわは遠方より遥々(はるばる)と来つる者。抖藪(とそう)※行脚(あんぎゃ)の比丘尼にて、無二法寺には縁(ゆかり)も無し。いとおこがましく思われんが、頭こそかく丸めもしたれ、五戒を保つ事は要せぬ。なお半俗の身にしあれば、肉食はもちろんなり。猪(しし)はもとより好物なるに、多少を問わず酒諸共に、さぁさぁ出したまえかし」と、真しやかに云いくるめれば、主人は心に呆れながら、物の云い様、板東声(ばんどうごえ)にて、実(げ)にむくつけき尼なれば、偽(いつわ)りなりとは思いも掛けず、猪の脂身一ト鍋を空(から)炒りにしていだしつつ、一トちろり※の酒諸共に、床几(しょうぎ)のほとりに置き並べるを、妙達うち見て密かに喜び、そのまま手酌に引きかけ引きかけ、幾度となく銚子を替え、鍋をも四五度(たび)替えにければ、酒は一斗五升に及び、肉は八百五六十目を、少しも残さず食らい尽くして、腹十分になりしかど、なお鍋焼きの忘れ難さに、猪の肉二百目余りを竹の皮に包まして、土産にせんとて袂(たもと)へ押し入れ、▼主人に値を償(つぐな)って、そのままそこを立いでて、寺を指してぞ帰り行く。
※抖藪(とそう):衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。
※ちろり:酒の燗(かん)をする道具。
罪も報(むく)いも白川の、岨(そは)道伝い、ひょろひょろと踏みも定めぬ足引きの、この山風に吹かれつつ、酒の気既に湧き上り、早や十二分に酔うたれども、諺(ことわざ)に云う本性違(たが)わず、心の内に思う様、
「・・・・・今日はたまたま酒を過(すぐ)して、いささか色にいでたらんに、表門より入らんとせば、かの番人らが悪堅くて、思わぬ口説(くぜつ)やいで来ぬらん。裏門よりして入るこそ良けれ」と、思案をしつつ、回り道して裏手の方より、よろめき来にけり。
しかれども無二法寺は、世に聞こえたる大寺なれば、裏門にもまた門番あり。その夫婦の者、番を務めて花を売り、門を守り、又、掃除の者五六人同宿して、ここに居(を)り、既にして門番らは、妙達が又、いたく酔って帰り来にけるを、遙かに見つつ、慌(あわ)てふためき、門戸を閉じて、一人の掃除の者を早くも役所へ走らせて、監主の尼に告げたりける。
さる程に、妙達は早や裏門に近づいて、心もとなく辺りを見るに、門のほとりに建てられたる供養塔の筋向いに、石の地蔵と如意輪の観音を安置して、雨よけの厨子堂あり。妙達これを見返って、からからとうち笑い、
「此、似非(えせ)地蔵は誰を待つやら。ちと気保養(きほよう/気晴らし)に歩きはせで、立竦(たちすく)みになる愚(おろ)かさに、六道能化(ろくどうのうげ)※の名にも似ず、借りる時の地蔵顔、目を細くして笑いかけても、一文も貸す銭は無し。又、如意輪も馬鹿馬鹿しい、何が苦労になる事やら、朝から晩まで頬杖付いて、豊後節※でも語る気か、これ何(どう)ぞいの」と立寄って、格子をはたと打ち叩く、拳(こぶし)の冴えも覚えの大力、その格はたちまち砕けたり。妙達はこれを見て、又、からからとうち笑い、
「我が身出家になりしより、絶えて久しく棒も使わず、力試しをする由無ければ、せめてここにて御身らに、手並みを見せて目を覚まさせん。そんな怠(なま)けた事では無し、一番見るか」と誇り顔に、折りし格子の格を引き抜き、「やつとうとう」と掛け声高く、力に任して打つ程に、▼格子は砕け羽目板離れて、簀立(すだち)の如くになりたりける。柱に右手(めて)を押し掛けて、押せばゆらゆら揺(ゆ)らめきあえず、楔(くさび)は緩み抜き折れて、将棋倒しにばたばたと、倒れる柱諸共に、石の地蔵も転(まろ)びけり。
※六道能化(ろくどうのうげ):六道の辻で死者を導き、衆生を教化する地蔵菩薩の別名。
※豊後節:心中物を得意として大流行した浄瑠璃の流派の一つ。
裏門に居(を)る男どもは、門番所の窓の戸の隙より、この有様を見て大きに驚き、再び人を走らせて、此由、注進してければ、監主の尼たち驚き呆れて、事大変になりにたり。裏門に人を増して、「例え妙達荒れるとも、内へな入れそ」と下知すれば、門番人らは心得て、厳しく門をぞ守りける。
さる程に妙達は地蔵堂を打ち破り、なおあちこちへよろめきよろめき、早や裏門より入らんとするに、開き戸、潜(くぐ)りも引き立てたるを、見るよりたちまちむつとして、「開けよ、開けよ」と呼び掛けつつ、拳を握り、門の戸の割れるばかりに打ち叩けば、門番人らはこらえかね、内よりも、又、声を荒げ、
「此似非(えせ)比丘尼が、又しても、食らい酔って帰りしよな。五戒を破り酒を飲み、あまつさえ門外なる地蔵堂をうち破りし、破戒無慙の仏敵を、裏門なりとていかでか入るべき。その事、既に隠れ無ければ、監主方の指図あり、弥勒の世までも叶わぬ事だ。さぁさぁ足の向く方へ立ち去らずや」と罵れば、妙達ますます苛立(いらだ)って、
「ほざいたり痩(や)せ犬めら。早く開いて通さずば、我今、門に火を掛けて、皆焼き払って内に入らん。かくても止めるか、通さぬか」と呼ばはりながら、拍子(ひょうし)を早めて、しきりに門を叩きけり。
※破戒無慙(はかいむざん):戒律を破りながら良心に恥じないこと。
門番らは、妙達が焼き払わんと云いしに驚き、又一両人走り行って、監主の尼に告げにければ、諸役の尼たち驚き騒いで、
「しからば事の大事にならん。まづ穏便(おんびん)に内へ入れよ。その後、思案もあるべきに」と云うに門番忙わしく、元の所へ走り返って、妙達に声を掛け、
「あまりに和主が騒がしければ、只今開けて通すなり。さぁさぁ入れ」と呼ばはりながら、引き抜く閂(かんぬき)諸共に、身をひらかして隠れけり。
妙達は始めより待ちわびし事なれば、今開くと云う門の戸に、両手を掛けて押す程に、扉は左右へさっと分かれて、その身は内へよろよろと、のめり入りつつ四つ這いに、たちまちハタと転びしが、ようやくにして身を起こし、塵(ちり)も払わずひょろひょろと、しどろもどろにおのが住む学寮に帰り来にければ、同宿の尼たちは驚き呆れて物言わず、皆々片隅へ寄る程に、妙達は喉(のど)のあたり、げろげろと鳴る程しもあらず、吐(つ)く反吐(へど)が前にうづ高く、臭さに皆々たまり得ず、鼻を覆(おお)って呆れて居(を)り。
妙達は今、小間物店を打ちいだせし時、袂(たもと)より滑り落ちたる、一包みの猪の肉を見て、「良き物あり」と手に取り上げ、
「折角(せつかく)食うたる鍋焼きを、戻してしもうてひもじくなりぬ。酢の無い刺身も珍しからん、ドリヤ賞玩(しょうがん/賞味)※」と、竹の皮開く牡丹は猪の肉、五膳箸にてむしゃむしゃと、食らうを皆々見るに得たえず、その座を避けんとしたりしを、妙達早く腕(かいな)を伸ばして、一人の比丘尼を引き捕え、
「これ程旨い物なるに、一口なりとも付き合いたまえ。これ食いたうは無いかいの」と擦(なす)り付けたる口の端、比丘尼は「あわや」と口を閉じ、引き離さんと焦れども、妙達ちっとも離さなばこそ、酔うたる者の癖なれば、皆諸共に立寄りて、詫(わ)びるを聞かぬ非道の手込めに、詮方も無く見えたる折から、監主の尼の指図に従い、八九人の男共、妙達が狼藉を取り鎮めんと用意をしつつ、手に手に棒を引き下げて、込み入らんとする程に、妙達早く見返って、捕らえし比丘尼を突き放し、迎え討たんとしつれども、打ち物を持たざれば、机の脚(あし)を引き抜き持って、呻(うめ)いて廊下に走り出て、先に進むをうち伏せうち伏せ、面も振らず▼競いかかれば、多勢を頼みし男ども、立つ足もなく辟易(へきえき)して、頭を破られ手足を損ね、むらむらはつと逃げ散るを、なお逃がさじと追つ駆けたり。
※賞翫(しょうがん):①そのもののよさを楽しむ。②賞味する。③尊重する。
かかる所に、住持の尼、妙真禅尼は端近くたちいでて、
「妙達又もや何をか狂な、無礼なせう★」と止めたまえば、妙達は振り上げたる机の脚を投げ捨てて、忙わしく跪(ひざまず)き、
「上人御前、察したまえ。わらわは人を打たざりしに、監主の尼たち遺恨やありけん。男どもをかり催(もよお)して、絡め捕らんとするにより、止(や)む事を得ず追いいでたり。理非を正させたまえかし」と、託言(かごと/恨み)がましく※訴え申せば、大禅尼頷(うなず)いて、
「とにもかくにもわらわに愛でて、今宵は早く休めかし。明日は正して得させんず」と寄らず触らず宥(なだ)めたまえば、妙達も酒の酔い半ば醒めたる頃なれば、上人の扱いを良き潮(しお)にして、再び騒がす。その時、禅尼は両人の、侍者の尼に囁きたまえば、尼達はなお恐(おそ)るおそるも、妙達が手を引きたて助けて、そのまま部屋へ伴いつつ、様々諌(いさ)めこしらえて、彼女が臥所(ふしど)に入れしかば、さすがに狂い疲れやしけん、前後も知らず伏したりける。
されば又、首座、監主、諸役の尼達十人余り、その夜、禅尼の御前に参って、
「先にも申せし我々が、諌(いさ)めを聞かせたまわずして、世に類(たぐい)無き悪たれ者の妙達を、扶持(ふち)したまう故に、一度ならず二度ならず寺を騒がせ人に傷付け、あまつさえこの霊山を猪豚(ししぶた)の肉に汚(けが)せし、ためし少なき癖事(くせごと)ならずや。世上の批判も後めたし、御思案あらま欲しけれ」と、苦々しげに訴えける。
禅尼は聞いて頷きたまい、
「始めよりして御身らを、密かに諭(さと)したる如く、かの妙達は出家に似気無く、いと猛々(たけだけ)しき女(おうな)にて、破戒の咎(とが)のある者なれども、宿世(すくせ)の業因滅する時に、仏果を得ん事疑い無し。しかれども大方ならぬ過(あやま)ちも数重なれば、あのままには差し置き難しとは云え、当山の大檀越(だんえつ)百倉長者の頼みによって、我が弟子にせし者なれば、まづ彼の人に由を告げて、その後にともかくもせん。明日は努(つと)めて山科へ、使いの尼を遣(つか)わすべし」と情けを込めて、答えたまえば、皆々は又、今更に心もとなく思えども、返す言葉も無きままに、その計(はか)らいをぞ待ちにける。
かくて妙真禅尼は、次の日、朝勤めも果てて後、手づから書状をしたためて、侍者の尼に持たせつつ、なお口上を云い含め、山科へとて遣(つか)わしたまえば、使いの尼は一両人の供人を従えて、百倉長者が宿所へおもむき、主人の長者に対面して、口上を述べ書状を渡せば、百倉いたく驚きながら、禅尼の状を開き見るに、妙達がありし事ども、そのあらましを書き連ねて、かかれば彼女を我が寺に留め置く事叶い難し、我ら良きに計らわんや、但し、そなたへ引き取りたまうや、答えを聞かまほしけれと、いとねんごろに聞こえたまうに、長者はしきりに嘆息して、かつ大禅尼の情けを喜び、
「妙達事はともかくも、御心(みこころ)任せに計らせたまえ。自業自得に候えば、恨み申さん事にはあらず。又、破損せし地蔵堂は、それがし修復し奉らん、なおこの上の大慈大悲を願い奉り候かし」と詳しく返事をしたためて、使いの尼には一ト包みの布施物を贈りつつ、その取り成しを頼みける。
優之介親子の者も、これらの事を聞くからに、心苦しく思えども又、今更になだむべき、詮方とても無かりけり。さる程に使いの侍者は無二法寺へ立ち帰って、住持妙真大禅尼に百倉長者の返簡(へんかん)を披露し、且つその口上を聞こえ上げしかば、禅尼は「さこそ」とうなずいて、その明けの朝、妙達をほとり近く招き寄せ、
「そなた事、しばしば寺の法度(はっと)を犯し、酒を飲み肉を食べ、人と仏堂を打ち損なって、この霊場を騒がせしは、俗人だもせざるところ。これ尼法師の所業ならんや。我いか程に▼思うとも、今更、寺には差し置き難し。鎌倉なる松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の、住持真如大禅尼は、我が法門の妹弟子なり。よって、そなたをかの寺へ頼み遣わさんと思うなり。さぁさぁ用意せよかし」とて、路用の銀子三百匁(もんめ)に、着物一重ねと頭陀(ずだ)袋、脚絆(きゃはん)、笠まで取り添え「餞(はなむけ)ぞ」とてたまわりければ、妙達は大方ならぬ禅尼の慈悲に謝り入て、かしこまりを申しつつ、退き去らんとせし時に、禅尼は「しばし」と呼び止め、
「そなた、今こそかくもあれ、遂には仏果を得つべきに、終わりを思って修行せよ。その行く末を示さんとて「思い見よ緑の林山水の富も仇(あだ)なり江にぞ止まる」三遍吟じ返しつつ、心に留めて、この歌を忘れなせそ」と示したまえば、妙達これをよく覚えて、禅尼に別れを告げ申し、又、尼達に暇乞いして、旅装いを整えつつ、その日無二法寺を立ち去りしが、麓の町屋に逗留して、誂(あつら)えたりし、鉄の杖と懐刀の出来終わるを、待って居(を)りしに、五七日を経て成就せしかば、その杖を突き懐刀を身に付けて、近江よりして信濃路や木曽山伝い遥々と、鎌倉を指して急ぎける。
かかりし程に百倉長者は、日ならず無二法寺へ参詣して、禅尼の情けを喜び聞こえ、地蔵堂の破損を修復し、その日傷を付けられたる男どもには、療治代を贈りなどして、残る方なく手当てをしければ、皆その功徳(くどく)を感じける。
○さる程に、花殻の尼妙達は、夜に宿り日に歩み、行き行って信濃なる妻籠(つまごみ)まで来つる時、その日も西に傾きけり。いかで宿りを求めんとて、宿より少し引き入りたる、いと大きなる屋敷の門のほとりに佇(たたず)んで、
「行き暮らしたる修行者に、今宵の宿を報謝あれ」と声高やかに訪問(おとなえ)えば、内より下男とおぼしき者、一両人立いでて、「この乞食尼、何をか云う。今宵はこちに騒動あり。報謝宿する暇(いとま)は無し。通るなら早く行け。そこら辺りにまご付き居(を)らば、側杖(そばつえ)打たれて後悔せん。さぁ行かずや」と罵れば、妙達たちまち怒りを起こして、
「此痴(し)れ者らが何をか云う。宿を貸さずば借りずもあらんを、我らに何の咎あって、打ち叩かれる目にあうべき。その訳聞かん」とねじ込んで、互いの争い果てしなく、物騒がしく聞こえしかば、主人(あるじ)と見えて一人の老女、齢(よわい)六十余りなるが、しとやかに立ちいでて、男共を叱りとどめ、▼妙達にうち向かって、
「尼御前(ごぜ)、さのみ腹立てたまうな。今宵は実に、わらわが宿に心苦しき客人(まれびと)あり。されども出家の事なれば、ともかくもして留めはべらん。まづまづこなたへ入りたまえ」とねんごろに云いなだめ、母屋に伴い草鞋(わらじ)を脱がせ、夜食をすすめてもてなしけり。
その時妙達主人に向かって、
「わらわつらつら御身を見るに、胸に苦労のあるやらん。顔ばせも常ならず、心苦しき客人あれと云われしは、いかなる故か知らせたまえ」と他事も無く問われて、老女は涙ぐみ、
「云うても益無き事ながら、今更何をか包みはべらん。我が家は代々村長(むらおさ)にて、氏は樹邨(このむら)、わらわをば大刀自(おおとじ)と呼びなしたり。しかるに只一人なる家督の倅(せがれ)は世を早うして、嫁も程なく身罷りぬ。後に残るは一人の孫、花松と呼ばれる者。その頃、幼かりしかば、親類に村役をしばらく預け置きたれども、所持の田地も少なからねば、ともかくもして月日を送るに、今年は孫の花松も十六才になりはべり。我が孫なりとて誉めるにあらねど、田舎に稀なる器量良し、女めきたる若衆なり。
しかるに近き頃よりして、此里に程遠からぬ安計呂(あけろ)の山に山籠もりして、数多の手下を集めたる悪たれ女二人あり。その一人をば億乾通お犬(おけんつうおいぬ)とやらん呼びなしたり。男勝りの荒くれ者にて、間無く時無くあちこちの里人を脅(おびや)かし、兵糧を催促し、或るいは又、旅人を脅(おびや)かして、顔良き女子(おなご)を奪い取り、売り代(しろ)なすとも聞こえたり。かくてその億乾通、いつしか我が孫花松に恋慕(れんぼ)しつ、我が家の嫁となって花松が後ろ見せん、今宵はしかも吉日なり、日も暮れなば輿入れすべし、婚礼の用意して待ち候えと、云いおこしぬ。心苦しき客人ありと、先に云いしは此事なり。察したまえ」と云いかけて、零(こぼ)れる涙を拭(ぬぐ)いけり■
<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>