傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

傾城水滸伝 二編 之壱

2013-01-11 17:37:00 | 二編
傾城水滸伝第貳編
曲亭馬琴著 歌川国安画

 さてもその後、花殻のお達、尼妙達は、百倉長者の情けにより、白川(しらかわ)なる大伽藍(だいがらん)龍女山(りゅうにょさん)無二法寺(むにほうじ)の住持(じゅうじ)の尼妙真大禅尼の弟子になり、既に剃髪、得度(とくど)したにもかかわらず、五戒を破り、酒に酔って、寺内を騒がすこと大方ならねど、大禅尼の情けによって、ようやくにその罪を許されて、そのこと無為(ぶい)に治まりければ、しばらくは身を慎んで、学寮にのみ籠もり居て、漫(そぞ)ろ歩きをせざりしに、ほとぼり冷めて熱さを忘れる、ことわざに漏れる事無く、ある日鬱気を晴らさんと蓄えの金を懐(ふところ)にしつつ、独り山門を立ちいでて、麓の方におもむく程に、たちまちカラカラ、カンカンと鏨(たがね)を打つ音が聞こえしかば、その所へ行って見るに、すなわち、麓の町にして、ここに一軒の鍛冶屋あり。

 妙達はつくづくと、その店先に佇(たたず)んで、その体たらくを窺(うかが)うに、新たに打ちたる刃物、打ち物、金棒、利鎌(とがかま)※、鋤鍬(すきくわ)など数多あり。
※利鎌(とがかま):鋭利な鎌。よく切れる鎌。

上手の鍛冶と見えしかば、そのまま内に進み入り、主人の男にうち向かい、
「我らはちと誂(あつら)えたき物あるなり。最上の鉄(くろがね)にて、磨き杖を打ちてたべ。重さはおよそ百斤(きん)ばかりにて、よろしからん」と云いければ、主人は聞いて呆れ果て、
「それがし、これまで幾度となく、金棒(かなぼう)をも打ちいだし、禅杖(ぜんじょう)、錫杖(しゃくじょう)なども作りしかども、左様に重きを打ちたる事無し。昔、木曽殿の巴御前※は、その力百人力に当たりし由を語り伝え、又、近頃の板額御前※も万婦不当(ばんぷふとう)※の聞こえあれども、重さ百斤に及ぶ打物を、使うたる由は聞かず。唐土(もろこし)の関羽すら、八十二斤の青龍刀を使いしとやら云うにあらずや。されば山匁(め)一斤の二百目の割りを以(も)ってする時は、百斤は二十貫目なり。尼君、力に覚え有りとも、左様な杖は突き難(かた)からん。目方を減らしたまえかし」と云うを妙達は聞きあえず、
「我、何ぞ、近頃の巴板額に及ばざらんや。しからば関羽とやらに倣(なら)って、八十二斤に致(いた)すべし」と云うを主人は押し返し、
「八十二斤もなお多し。もしそれがしに任せたまわば、五十斤の重さに打たん。それにても十貫目なり。打ち出来し時、持たれぬとて必ず恨みたまうな」と云うに、妙達微笑んで、
「しからば我その間を取り、六十斤にあつらえん。念を入れよ」と語を押して、▼値を定め金銭を渡し、又、この他に一尺二寸の懐刀一腰をあつらえ、
「いづれもよろしく出来しなば、別に褒美を取らすべし。ずいぶん急いで良くせよ」と言葉せわしく約束しつつ、鍛冶屋が店を走り出て、十間余り行く程に、右の方に一軒の煮売り酒屋あり。
※巴御前:木曽義仲の側室。知勇に優れ、義仲に従い戦功を立てた。
※板額御前:越後の有力豪族の城氏の一族で鎌倉時代に活躍したと伝えられる女性武将。
※万夫不当(ばんぷふとう):強く勇ましいこと

軒端(のきば)には、一とまろめの杉の酒林を掲(かか)げ出し、門(かど)には縹(はなだ)※染めの小幟(このぼり)を、高くひらめかして、名物踊り子汁と記(しる)せしは、泥鰌(どじょう)汁の事なるべし。
※縹(はなだ):明度の高い薄青色のこと

妙達これを見るよりも、たちまち口によだれを流して、心の内に思う様、
「・・・・・この頃は絶えて久しく、生臭き物を食わず、酒はもちろん香りだも嗅ぐ事無し。たまたま、かかる所へ来て、宝の山に入りながら、手をむなしくして帰らんや。まづ一杯飲んでこそ、寺へ帰らめ」と、思案をしつつ、そのままひらりと酒屋に入って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛けて、「さぁさぁ酒をいだせかし」と云うを、主人は見返って、
「御身は無二法寺の尼御前なるべし。定めて御身も知らせたまわん。かの御寺は掟(おきて)厳しく、それがしらにも御下知あり。全て御寺の比丘尼たちに、酒を売る事を許されず、さぁさぁ出て行きたまえ」と云うに、妙達声を潜(ひそ)めて、
「さりとは野暮を云うものかな。我、今ちとの酒を飲むとも人に告げずば、誰か知るべき、いささかも苦しからず、さぁもて来よ」と急がせども、主人は聞かず頭をうち振り、
「それがしらは、御寺より元手を借りて世渡る者なり。ちとの酒を売らんとて、後ろ暗き業(わざ)をせば、後日の咎めを逃れ難し。さぁさぁ帰りたまえし」と云うに、妙達は詮方なく呟(つぶや)きながら、そこを出て、またまた他の酒屋におもむき、酒を飲まんとしつれども、いづかたの酒屋にても、断り云う事初めに変わらず、いづれも決して売らざれば、妙達は悶(もだ)え苦しみ、いかにせましとなお行く程に、町外れなる空地のほとりに、近頃いだせし店とおぼしく、仮初(かりそめ)なる小屋掛けして、半ば引き立てたる障子には、山鯨(やまくじら/猪)、紅葉(鹿)の吸い物と印したり。妙達はこれを見て、心に一つの謀(はか)り事を思い付きつつ、会釈も無く、又、その店に入りにけり。

 かくて花殻の妙達は、獣(けだもの)店に立寄って、床几(しょうぎ)に尻をうち掛ければ、主人はうち見て、顔うち守り、
「御身は、もしや無二法寺の尼には御座(おは)さずや。御覧の如く我らが店は、獣(けだもの)の煮売りをするのみ。精進物は候わず」と云うを、妙達聞きあえず、
「否、わらわは遠方より遥々(はるばる)と来つる者。抖藪(とそう)※行脚(あんぎゃ)の比丘尼にて、無二法寺には縁(ゆかり)も無し。いとおこがましく思われんが、頭こそかく丸めもしたれ、五戒を保つ事は要せぬ。なお半俗の身にしあれば、肉食はもちろんなり。猪(しし)はもとより好物なるに、多少を問わず酒諸共に、さぁさぁ出したまえかし」と、真しやかに云いくるめれば、主人は心に呆れながら、物の云い様、板東声(ばんどうごえ)にて、実(げ)にむくつけき尼なれば、偽(いつわ)りなりとは思いも掛けず、猪の脂身一ト鍋を空(から)炒りにしていだしつつ、一トちろり※の酒諸共に、床几(しょうぎ)のほとりに置き並べるを、妙達うち見て密かに喜び、そのまま手酌に引きかけ引きかけ、幾度となく銚子を替え、鍋をも四五度(たび)替えにければ、酒は一斗五升に及び、肉は八百五六十目を、少しも残さず食らい尽くして、腹十分になりしかど、なお鍋焼きの忘れ難さに、猪の肉二百目余りを竹の皮に包まして、土産にせんとて袂(たもと)へ押し入れ、▼主人に値を償(つぐな)って、そのままそこを立いでて、寺を指してぞ帰り行く。
※抖藪(とそう):衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。
※ちろり:酒の燗(かん)をする道具。

 罪も報(むく)いも白川の、岨(そは)道伝い、ひょろひょろと踏みも定めぬ足引きの、この山風に吹かれつつ、酒の気既に湧き上り、早や十二分に酔うたれども、諺(ことわざ)に云う本性違(たが)わず、心の内に思う様、
「・・・・・今日はたまたま酒を過(すぐ)して、いささか色にいでたらんに、表門より入らんとせば、かの番人らが悪堅くて、思わぬ口説(くぜつ)やいで来ぬらん。裏門よりして入るこそ良けれ」と、思案をしつつ、回り道して裏手の方より、よろめき来にけり。
 しかれども無二法寺は、世に聞こえたる大寺なれば、裏門にもまた門番あり。その夫婦の者、番を務めて花を売り、門を守り、又、掃除の者五六人同宿して、ここに居(を)り、既にして門番らは、妙達が又、いたく酔って帰り来にけるを、遙かに見つつ、慌(あわ)てふためき、門戸を閉じて、一人の掃除の者を早くも役所へ走らせて、監主の尼に告げたりける。

 さる程に、妙達は早や裏門に近づいて、心もとなく辺りを見るに、門のほとりに建てられたる供養塔の筋向いに、石の地蔵と如意輪の観音を安置して、雨よけの厨子堂あり。妙達これを見返って、からからとうち笑い、
「此、似非(えせ)地蔵は誰を待つやら。ちと気保養(きほよう/気晴らし)に歩きはせで、立竦(たちすく)みになる愚(おろ)かさに、六道能化(ろくどうのうげ)※の名にも似ず、借りる時の地蔵顔、目を細くして笑いかけても、一文も貸す銭は無し。又、如意輪も馬鹿馬鹿しい、何が苦労になる事やら、朝から晩まで頬杖付いて、豊後節※でも語る気か、これ何(どう)ぞいの」と立寄って、格子をはたと打ち叩く、拳(こぶし)の冴えも覚えの大力、その格はたちまち砕けたり。妙達はこれを見て、又、からからとうち笑い、
「我が身出家になりしより、絶えて久しく棒も使わず、力試しをする由無ければ、せめてここにて御身らに、手並みを見せて目を覚まさせん。そんな怠(なま)けた事では無し、一番見るか」と誇り顔に、折りし格子の格を引き抜き、「やつとうとう」と掛け声高く、力に任して打つ程に、▼格子は砕け羽目板離れて、簀立(すだち)の如くになりたりける。柱に右手(めて)を押し掛けて、押せばゆらゆら揺(ゆ)らめきあえず、楔(くさび)は緩み抜き折れて、将棋倒しにばたばたと、倒れる柱諸共に、石の地蔵も転(まろ)びけり。
※六道能化(ろくどうのうげ):六道の辻で死者を導き、衆生を教化する地蔵菩薩の別名。
※豊後節:心中物を得意として大流行した浄瑠璃の流派の一つ。

 裏門に居(を)る男どもは、門番所の窓の戸の隙より、この有様を見て大きに驚き、再び人を走らせて、此由、注進してければ、監主の尼たち驚き呆れて、事大変になりにたり。裏門に人を増して、「例え妙達荒れるとも、内へな入れそ」と下知すれば、門番人らは心得て、厳しく門をぞ守りける。
 さる程に妙達は地蔵堂を打ち破り、なおあちこちへよろめきよろめき、早や裏門より入らんとするに、開き戸、潜(くぐ)りも引き立てたるを、見るよりたちまちむつとして、「開けよ、開けよ」と呼び掛けつつ、拳を握り、門の戸の割れるばかりに打ち叩けば、門番人らはこらえかね、内よりも、又、声を荒げ、
「此似非(えせ)比丘尼が、又しても、食らい酔って帰りしよな。五戒を破り酒を飲み、あまつさえ門外なる地蔵堂をうち破りし、破戒無慙の仏敵を、裏門なりとていかでか入るべき。その事、既に隠れ無ければ、監主方の指図あり、弥勒の世までも叶わぬ事だ。さぁさぁ足の向く方へ立ち去らずや」と罵れば、妙達ますます苛立(いらだ)って、
「ほざいたり痩(や)せ犬めら。早く開いて通さずば、我今、門に火を掛けて、皆焼き払って内に入らん。かくても止めるか、通さぬか」と呼ばはりながら、拍子(ひょうし)を早めて、しきりに門を叩きけり。
※破戒無慙(はかいむざん):戒律を破りながら良心に恥じないこと。

 門番らは、妙達が焼き払わんと云いしに驚き、又一両人走り行って、監主の尼に告げにければ、諸役の尼たち驚き騒いで、
「しからば事の大事にならん。まづ穏便(おんびん)に内へ入れよ。その後、思案もあるべきに」と云うに門番忙わしく、元の所へ走り返って、妙達に声を掛け、
「あまりに和主が騒がしければ、只今開けて通すなり。さぁさぁ入れ」と呼ばはりながら、引き抜く閂(かんぬき)諸共に、身をひらかして隠れけり。
 妙達は始めより待ちわびし事なれば、今開くと云う門の戸に、両手を掛けて押す程に、扉は左右へさっと分かれて、その身は内へよろよろと、のめり入りつつ四つ這いに、たちまちハタと転びしが、ようやくにして身を起こし、塵(ちり)も払わずひょろひょろと、しどろもどろにおのが住む学寮に帰り来にければ、同宿の尼たちは驚き呆れて物言わず、皆々片隅へ寄る程に、妙達は喉(のど)のあたり、げろげろと鳴る程しもあらず、吐(つ)く反吐(へど)が前にうづ高く、臭さに皆々たまり得ず、鼻を覆(おお)って呆れて居(を)り。
 妙達は今、小間物店を打ちいだせし時、袂(たもと)より滑り落ちたる、一包みの猪の肉を見て、「良き物あり」と手に取り上げ、
「折角(せつかく)食うたる鍋焼きを、戻してしもうてひもじくなりぬ。酢の無い刺身も珍しからん、ドリヤ賞玩(しょうがん/賞味)※」と、竹の皮開く牡丹は猪の肉、五膳箸にてむしゃむしゃと、食らうを皆々見るに得たえず、その座を避けんとしたりしを、妙達早く腕(かいな)を伸ばして、一人の比丘尼を引き捕え、
「これ程旨い物なるに、一口なりとも付き合いたまえ。これ食いたうは無いかいの」と擦(なす)り付けたる口の端、比丘尼は「あわや」と口を閉じ、引き離さんと焦れども、妙達ちっとも離さなばこそ、酔うたる者の癖なれば、皆諸共に立寄りて、詫(わ)びるを聞かぬ非道の手込めに、詮方も無く見えたる折から、監主の尼の指図に従い、八九人の男共、妙達が狼藉を取り鎮めんと用意をしつつ、手に手に棒を引き下げて、込み入らんとする程に、妙達早く見返って、捕らえし比丘尼を突き放し、迎え討たんとしつれども、打ち物を持たざれば、机の脚(あし)を引き抜き持って、呻(うめ)いて廊下に走り出て、先に進むをうち伏せうち伏せ、面も振らず▼競いかかれば、多勢を頼みし男ども、立つ足もなく辟易(へきえき)して、頭を破られ手足を損ね、むらむらはつと逃げ散るを、なお逃がさじと追つ駆けたり。
※賞翫(しょうがん):①そのもののよさを楽しむ。②賞味する。③尊重する。

 かかる所に、住持の尼、妙真禅尼は端近くたちいでて、
「妙達又もや何をか狂な、無礼なせう★」と止めたまえば、妙達は振り上げたる机の脚を投げ捨てて、忙わしく跪(ひざまず)き、
「上人御前、察したまえ。わらわは人を打たざりしに、監主の尼たち遺恨やありけん。男どもをかり催(もよお)して、絡め捕らんとするにより、止(や)む事を得ず追いいでたり。理非を正させたまえかし」と、託言(かごと/恨み)がましく※訴え申せば、大禅尼頷(うなず)いて、
「とにもかくにもわらわに愛でて、今宵は早く休めかし。明日は正して得させんず」と寄らず触らず宥(なだ)めたまえば、妙達も酒の酔い半ば醒めたる頃なれば、上人の扱いを良き潮(しお)にして、再び騒がす。その時、禅尼は両人の、侍者の尼に囁きたまえば、尼達はなお恐(おそ)るおそるも、妙達が手を引きたて助けて、そのまま部屋へ伴いつつ、様々諌(いさ)めこしらえて、彼女が臥所(ふしど)に入れしかば、さすがに狂い疲れやしけん、前後も知らず伏したりける。

 されば又、首座、監主、諸役の尼達十人余り、その夜、禅尼の御前に参って、
「先にも申せし我々が、諌(いさ)めを聞かせたまわずして、世に類(たぐい)無き悪たれ者の妙達を、扶持(ふち)したまう故に、一度ならず二度ならず寺を騒がせ人に傷付け、あまつさえこの霊山を猪豚(ししぶた)の肉に汚(けが)せし、ためし少なき癖事(くせごと)ならずや。世上の批判も後めたし、御思案あらま欲しけれ」と、苦々しげに訴えける。
 禅尼は聞いて頷きたまい、
「始めよりして御身らを、密かに諭(さと)したる如く、かの妙達は出家に似気無く、いと猛々(たけだけ)しき女(おうな)にて、破戒の咎(とが)のある者なれども、宿世(すくせ)の業因滅する時に、仏果を得ん事疑い無し。しかれども大方ならぬ過(あやま)ちも数重なれば、あのままには差し置き難しとは云え、当山の大檀越(だんえつ)百倉長者の頼みによって、我が弟子にせし者なれば、まづ彼の人に由を告げて、その後にともかくもせん。明日は努(つと)めて山科へ、使いの尼を遣(つか)わすべし」と情けを込めて、答えたまえば、皆々は又、今更に心もとなく思えども、返す言葉も無きままに、その計(はか)らいをぞ待ちにける。

 かくて妙真禅尼は、次の日、朝勤めも果てて後、手づから書状をしたためて、侍者の尼に持たせつつ、なお口上を云い含め、山科へとて遣(つか)わしたまえば、使いの尼は一両人の供人を従えて、百倉長者が宿所へおもむき、主人の長者に対面して、口上を述べ書状を渡せば、百倉いたく驚きながら、禅尼の状を開き見るに、妙達がありし事ども、そのあらましを書き連ねて、かかれば彼女を我が寺に留め置く事叶い難し、我ら良きに計らわんや、但し、そなたへ引き取りたまうや、答えを聞かまほしけれと、いとねんごろに聞こえたまうに、長者はしきりに嘆息して、かつ大禅尼の情けを喜び、
「妙達事はともかくも、御心(みこころ)任せに計らせたまえ。自業自得に候えば、恨み申さん事にはあらず。又、破損せし地蔵堂は、それがし修復し奉らん、なおこの上の大慈大悲を願い奉り候かし」と詳しく返事をしたためて、使いの尼には一ト包みの布施物を贈りつつ、その取り成しを頼みける。

 優之介親子の者も、これらの事を聞くからに、心苦しく思えども又、今更になだむべき、詮方とても無かりけり。さる程に使いの侍者は無二法寺へ立ち帰って、住持妙真大禅尼に百倉長者の返簡(へんかん)を披露し、且つその口上を聞こえ上げしかば、禅尼は「さこそ」とうなずいて、その明けの朝、妙達をほとり近く招き寄せ、
「そなた事、しばしば寺の法度(はっと)を犯し、酒を飲み肉を食べ、人と仏堂を打ち損なって、この霊場を騒がせしは、俗人だもせざるところ。これ尼法師の所業ならんや。我いか程に▼思うとも、今更、寺には差し置き難し。鎌倉なる松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の、住持真如大禅尼は、我が法門の妹弟子なり。よって、そなたをかの寺へ頼み遣わさんと思うなり。さぁさぁ用意せよかし」とて、路用の銀子三百匁(もんめ)に、着物一重ねと頭陀(ずだ)袋、脚絆(きゃはん)、笠まで取り添え「餞(はなむけ)ぞ」とてたまわりければ、妙達は大方ならぬ禅尼の慈悲に謝り入て、かしこまりを申しつつ、退き去らんとせし時に、禅尼は「しばし」と呼び止め、
「そなた、今こそかくもあれ、遂には仏果を得つべきに、終わりを思って修行せよ。その行く末を示さんとて「思い見よ緑の林山水の富も仇(あだ)なり江にぞ止まる」三遍吟じ返しつつ、心に留めて、この歌を忘れなせそ」と示したまえば、妙達これをよく覚えて、禅尼に別れを告げ申し、又、尼達に暇乞いして、旅装いを整えつつ、その日無二法寺を立ち去りしが、麓の町屋に逗留して、誂(あつら)えたりし、鉄の杖と懐刀の出来終わるを、待って居(を)りしに、五七日を経て成就せしかば、その杖を突き懐刀を身に付けて、近江よりして信濃路や木曽山伝い遥々と、鎌倉を指して急ぎける。

 かかりし程に百倉長者は、日ならず無二法寺へ参詣して、禅尼の情けを喜び聞こえ、地蔵堂の破損を修復し、その日傷を付けられたる男どもには、療治代を贈りなどして、残る方なく手当てをしければ、皆その功徳(くどく)を感じける。

○さる程に、花殻の尼妙達は、夜に宿り日に歩み、行き行って信濃なる妻籠(つまごみ)まで来つる時、その日も西に傾きけり。いかで宿りを求めんとて、宿より少し引き入りたる、いと大きなる屋敷の門のほとりに佇(たたず)んで、
「行き暮らしたる修行者に、今宵の宿を報謝あれ」と声高やかに訪問(おとなえ)えば、内より下男とおぼしき者、一両人立いでて、「この乞食尼、何をか云う。今宵はこちに騒動あり。報謝宿する暇(いとま)は無し。通るなら早く行け。そこら辺りにまご付き居(を)らば、側杖(そばつえ)打たれて後悔せん。さぁ行かずや」と罵れば、妙達たちまち怒りを起こして、
「此痴(し)れ者らが何をか云う。宿を貸さずば借りずもあらんを、我らに何の咎あって、打ち叩かれる目にあうべき。その訳聞かん」とねじ込んで、互いの争い果てしなく、物騒がしく聞こえしかば、主人(あるじ)と見えて一人の老女、齢(よわい)六十余りなるが、しとやかに立ちいでて、男共を叱りとどめ、▼妙達にうち向かって、
「尼御前(ごぜ)、さのみ腹立てたまうな。今宵は実に、わらわが宿に心苦しき客人(まれびと)あり。されども出家の事なれば、ともかくもして留めはべらん。まづまづこなたへ入りたまえ」とねんごろに云いなだめ、母屋に伴い草鞋(わらじ)を脱がせ、夜食をすすめてもてなしけり。

その時妙達主人に向かって、
「わらわつらつら御身を見るに、胸に苦労のあるやらん。顔ばせも常ならず、心苦しき客人あれと云われしは、いかなる故か知らせたまえ」と他事も無く問われて、老女は涙ぐみ、
「云うても益無き事ながら、今更何をか包みはべらん。我が家は代々村長(むらおさ)にて、氏は樹邨(このむら)、わらわをば大刀自(おおとじ)と呼びなしたり。しかるに只一人なる家督の倅(せがれ)は世を早うして、嫁も程なく身罷りぬ。後に残るは一人の孫、花松と呼ばれる者。その頃、幼かりしかば、親類に村役をしばらく預け置きたれども、所持の田地も少なからねば、ともかくもして月日を送るに、今年は孫の花松も十六才になりはべり。我が孫なりとて誉めるにあらねど、田舎に稀なる器量良し、女めきたる若衆なり。
 しかるに近き頃よりして、此里に程遠からぬ安計呂(あけろ)の山に山籠もりして、数多の手下を集めたる悪たれ女二人あり。その一人をば億乾通お犬(おけんつうおいぬ)とやらん呼びなしたり。男勝りの荒くれ者にて、間無く時無くあちこちの里人を脅(おびや)かし、兵糧を催促し、或るいは又、旅人を脅(おびや)かして、顔良き女子(おなご)を奪い取り、売り代(しろ)なすとも聞こえたり。かくてその億乾通、いつしか我が孫花松に恋慕(れんぼ)しつ、我が家の嫁となって花松が後ろ見せん、今宵はしかも吉日なり、日も暮れなば輿入れすべし、婚礼の用意して待ち候えと、云いおこしぬ。心苦しき客人ありと、先に云いしは此事なり。察したまえ」と云いかけて、零(こぼ)れる涙を拭(ぬぐ)いけり■  

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>

傾城水滸伝 二編 之弐

2013-01-11 17:36:44 | 二編
傾城水滸伝 第貳編之二
曲亭馬琴著 歌川国安画
文政九丙戌 孟春嗣梓發 ●仙鶴書行

その時、大刀自(おおとじ)涙を止めて、
「只今、告げし訳なれば、御身は今宵、柴小屋にて、窮屈なりとも明かしたまえ。かの人々の来つる時、音たてて怪しめられ、辛(から)き目に逢いたまうな」と云うに、妙達うなずいて、
「そは気の毒なる事になん。しかりとも聞くが如きは、その悪たれめは山賊にて、元より非道の奴ばらならば、何故公(おおや)けへ訴えて、絡め捕らせて、国ところの災いを払いたまわざる。里には人の無き事か。心得難し」と裏問えば、大刀自(おおとじ)答えて
「さればとよ、彼女らは女子(おなご)の事ながら、武芸力量、男に勝って大方ならぬ曲者なれば、あちこちなる野伏、山立ち(山賊)おびたたしく、その手に付いて、姉御、姉御と尊敬し、安計呂(あけろ)の山に砦を構えて、国司、郡司を物とも思わず、云わんや我が此の痩(や)せ村人の竈(かまど)の限り尽くすとも、彼女らに敵たうべくもはべらず。さればとて、公けへ訴え申さん事なども、国府へ遠き田舎の悲しさ。その往来に日数をいとうて、申しいでんと云う者無し。いとはばかりある事ながら、都には本院様(後鳥羽の院をかく申すなり)が白拍子亀菊殿とやらんを御寵愛ましまして、御政事よろしからず。又鎌倉には頼家卿、色と酒とに溺れたまいて、民の嘆きを見返りたまわず、非道の振るまい、まします故にや、あちこちに山立ち(山賊)起って、民百姓の憂(うれ)いをなせり。あなかしこ(決して)※、声高には彼らが噂もしたまうな」と、託言(かごと)がましく囁くを、妙達聞いて頭を傾け、
「云われるおもむき道理(ことわり)なり。しからば、わらわ手段を巡らして、お犬とやらんを説き諭し、その婚姻を止めさすべし」と云うを大刀自聞きあえず、
「そは喜ばしき筋ながら、仏とも法ともわきまえぬ、悪たれ人の事なるに、なまじい仕損じたまいなば、毛を吹きて疵(きず)を求めやせん。それは危なし」と止めれば、妙達うち笑んで、
「その儀は気遣いしたまうな。わらわ因果の理を説いて、いかなる猛(たけ)き男女なりとも、邪慳(じゃけん)の角を折らせる(改心させる)※事、はなはだもって得手者なり。▼かかれば今宵、此の所へかの悪たれ女が来つる時、かようかように云いこしらえて、松殿とやらを隠し置き、思いのままに酒を飲まして、寝屋へ伴いたまえかし。さて臥所(ふしど)には明かりを消して、わらわはそこに待ちて居(を)らん。億乾通めは、かくとも知らで、床入りをする時に及んで、予て期(ご)したる方便の説法を説きかけて、遂には思い切らせなば、これ災いを払うなり。この義はいかが」と説き諭せば、大刀自大きに喜んで、
「宣う如くなるならば、我が身一家の幸いなり。尼御前、酒を飲みたまうや」と問うを、妙達聞きあえず、
「酒は飯より好物なり。わらわ一杯を過ぐす時は、一杯の知恵胸より湧き出で、又二杯を過ぐす時は二杯ぶりの舌よく回る。まして十杯二十杯、飲めば飲むほど富楼那(ふるな)の弁舌(べんぜつ)※、立て板の豆も及ばず、御馳走ならば用意あれ」と云うに、大刀自うち笑み、下女らを呼んで、「お比丘尼に、さぁさぁ酒を参らせよ」と云うに皆々心得て、日頃用意の酒肴、焼き干(ぼ)の鮎、泥鰌(どじょう)汁、生臭物も取り添えて、出だすを遅しと妙達は、大杯(おおさかずき)にて引き受け引き受け、頭も残さぬ焼き鮒は、一口茄子の辛子漬け、精進物より泥鰌汁、「これは奇妙」とぐい飲みの、比丘尼に似気無き贋者(いかもの)比丘尼に、大刀自は只呆れながら、云われし事の頼もしさに、花松を呼び寄せて、妙達に引き合わせ、孫諸共にもてなしけり。
※あなかしこ:①ああ、もったいない。②恐れ入りますが。 ③決して。くれぐれも。
※邪慳(じゃけん)の角:鬼も角折るの意味/ 悪人が何かのきっかけで善人になったりすることのたとえ。
※富楼那(ふるな)の弁舌:すらすらとよどみなく喋る例え。富楼那は釈迦の十大弟子。

 かくて早や、その夜も既に五つの頃おい、安計呂(あけろ)の山の方よりして、灯し連れたる提灯、松明、星の如くに煌めかし、こなたを指して来る者あり。大刀自は縁側より、早くもこれをとつくと見て、「あれは必ずお犬ならん」と云うに、妙達うなずいて、まづ杯盤(はいばん)を片付けさせ、事よく示し合わせつつ、鉄の杖を引き下げて、その身は一人悠々と、花松が臥所(ふしど)に入りて、腰衣を脱ぎ、屏風(びょうぶ)にうち掛け、裳裾を壷折り、腕捲(まく)りして、絹布(けんぷ)の布団の真ん中へ、仰向(おほの)けに寝る大の字なり。待てば待つ夜の長枕、さすがに夢も結ばれぬ楽屋を隠す真の闇、黒闇(こくあん)天女の影向(よいごう)※を、さこそとほくそ笑みて居(を)り。
 さる程にまだ宵ながら空の色、安計呂(あけろ)の山の億乾通お犬は、今宵と定めたる我が恋婿は、押しかけ嫁入り、なおも威勢を示さん為に、緋縅(ひおどし)の腹巻の上には、綾の掻(か)い取り装束、すべらかしたる黒髪の毛筋乱さぬ立烏帽子(えぼし)、黄金造りの太刀横たえて、月毛(つきけ)の駒にうち乗ったる。左右に従う腰元の悪たれ女両三人、その余の悪者二三十人、皆後先をうち囲み、さんざめかして(騒がせて)樹邨(このむら)が、門先(かどさき)狭しと練り寄せれば、大刀自は五七人の大人野良男を従えて、玄関前まで出迎えて、
「今宵はことさら日柄も良く、いと有難き御来臨(らいりん)。恐悦至極。」と主従が大地に頭を擦り付ければ、億乾通は馬より下りて、大刀自を助け起こし、
「刀自よ何とて慇懃(いんぎん)なる。わらわは御身が孫嫁なるに、▼さのみ心を置きたまうな。イザ、案内」と急がしたてて、引かれて書院の座に着けば、大刀自ら主従は、予ねて用意の酒肴を、所狭きまで置き並べて、杯をすすめる程に、家の大人は次の間にて、従い来たる悪者らに、酒をすすめてもてなすにぞ、皆々あくまで飲み食らいして、しきりに興にぞ入にける。
※影向(よいごう):①菩薩や神が仮の姿で現れること。②貴人などが来ること。

 しかれども、億乾通は肝心の恋婿なる、花松が未だ見えねば、心にこれを怪しんで、大刀自にうち向かい、
「我が恋人はいかにかしつる。縁(えにし)を結ぶ今宵の座敷に、影も見せぬは心得難し」と云われて大刀自うち騒ぐ、胸を静めて、
「さればとよ、その事にてはべるかし。早や十六になりたれど、世間知らずのおぼこ者。恥ずかしいとて宵の間より、寝屋籠もりして呼べども出でず。御身自らかしこに入り、慰めたまわば打ち解けはべらん。無礼は許したまえかし」と真しやかに答えるを、お犬は聞いてうち笑い、
「さても、さても、今時の息子にしては珍しい。もちろん我が身は二十八年、年は半分違えども、男妾(おとこめかけ)にするでもなし、わしを大事にして見たが良い。山から通って、夜に泊まって、日に遊び、竈の下まで世話したら、世界に怖い物は無し。そちこち云う内、夜も更(ふ)けん。しからばすぐに色直し、寝屋でゆるりと遊びましょう。案内頼む」と床急ぎ、大刀自は可笑しさこらえて、いざとてやがて先に立つ心、奥の間今更に、危ぶむ胸の廻り縁、こなたにこそと伴って、杉戸開いて立ち代わり、
「あの屏風の内にこそ、花松は待ちて居(を)り。ゆるゆる語らいたまいね」と、云いつつ杉戸を引きたつれば、億乾通はかかぐり(手探り)※かかぐり屏風を探って、
「さても岩戸籠りの常闇(とこやみ)じゃな。吝(しわ/ケチ)いと云うにも程がある。今宵ばかりは行灯一つ、倹約せずもあれかし」と独り言して忙がわしく、帯解き捨てて、着込みの腹巻さっと脱ぎ、そっと置き、寝巻き一つの平絎(ひらぐけ)※しごき、前で結んで、いやらしき身振りも見えぬお先は真っ暗、屏風を上げて、しとしととぴったり寄り添う布団の上、▼
「これこちの人、来たわいの、犬じゃ犬じゃ」と妙達が、手を引き寄せて、そろそろと腹の辺りを撫で回せば、こそぐったいと云えばえに、岩より硬く妙達は、握り拳(こぶし)を振り上げて、お犬が小鬢(こびん)をはたと打つ、音もろともに仰け反って、「あなや」と叫ぶ程しもあらせず、妙達がばと身を起こし、お犬を掴んで膝に引き敷き、
「淫乱女め、思い知ったか。鳥無き里の蝙蝠(かはほり・こうもり)とて、汝ら如き牝犬(めいぬ)ども、ここら辺りに威を振るい、人の息子を慰(なぐさ)み者に、せんと企(たく)みし、押し掛け嫁入り。今ぞあの世へ里開き。観念せよ」と攻めつけ攻めつけ、再び拳を振り上げて、続け様に打ちこらせば、お犬は息も絶え絶えに
「ヤレ人殺し、者共よ、救え救え」と呼ばはれば、手下の悪者漏れ聞いて、事こそあれと蝋燭(ろうそく)抜き取り、むらたち騒いで混み入ったり。
※かかぐり:①手探りですすむ。たどる。②つかまる。すがる。
※平絎(ひらぐけ):細帯や紐(ひも)などをたいらになるようにくけること。

 妙達これを見るよりも、お犬が襟髪引き起こし、礫に打って遙かに投げ捨て、片方に置きし鉄の杖、かい取り早く打ち振り打ち振り、微塵(みじん)になさんと競ってかかれば、此の勢いに悪者ども、驚き恐れて、立つ足も無く庭口指して逃げ出るを、いづくまでもと追っかけたり。
 その暇に億乾通お犬は、背戸より逃げ出でしか、身のうち痛み、なかなかに走るべくもあらざるに、と見れば宵に我が乗って来た馬は、背戸なる井戸端の柳の下(もと)に、繋(つな)いであり、これ究竟(くっきょう)とうち乗って、柳の枝を鞭に折り、打てどあふれど、ちっとも走らず、一つ所に躍(おど)りて居(を)れば、お犬はしきりに苛立(いらだ)って、
「この畜生まで侮(あなど)って、馬鹿にするか」と罵りながら、よくよく見れば理(ことわり)や、繋(つな)いだままでまだ解かず、「抜(ぬ)かった、許せ」と慌(あわただ)しく端綱(はづな)を切れば駆けいだす、月毛の駒も夜の道、恥の皮籠(かわご)※の蓋(ふた)ならで、安計呂(あけろ)と云うはおのが住む、山を指してぞ逃げて行く。
※皮籠(かわご):竹や籐(とう)などで編んだ蓋付きの籠(かご)。

○さる程に、妙達は逃げる悪者を追い捨てて、元の所へ立返れば、大刀自は孫の花松を男ども諸共に、門辺(かどべ)に立って待って居(を)り。
 今、妙達が帰るを見て、そのまま座敷へ伴いつつ、つれづれと顔うち守り、
「先に御身は方便で、億乾通に納得させ、この婚姻を止めさせんと、云われし故に任せしに、さはせで彼女を打ち懲らし、追い散らしたまいしかば、彼女は必ず恨みを含んで、再び押し寄せ来る事あらん。さる時は、我が家は皆殺しにせられてん。益無き業(わざ)をしたまいぬ」と涙ぐみつつうち恨めば、妙達にっことうち笑みて、
「さのみは思い過ぐしたまうな。今にもあれ、かやつらが何百人にて寄せ来るとも、指でもささせる事では無し。片っ端からうち殺し、災いの根を払って得させん。疑わしくはこの杖を、まづ取り上げて見たまえ」とて、出だすを皆々初めて見るに、鉄を伸べたる磨き杖の、握り太なる苛物(いかもの)造り★は、貫目もさこそと推し量(はか)られ、そと試みに男ども両三人して上げんとするに、動かす事も叶わねば、大刀自、花松その座の者ども、皆舌を捲き、眼(まなこ)を見張って、「実(げ)に、此の比丘尼は凡人ならず、女天狗か荒神※か」と思わざるなんなかりけり。
★いかもの(如何物/偽物):①本物に似せたまがいもの。②変わったもの。
荒神(こうじん):①三宝荒神の略で仏・法・僧の三宝を守る神。②かまどを守る神。

○されば又、億乾通お犬らは、命からがら逃げ帰って、
「姉御、仇(かたき)を取ってたべ。あら口惜しや」と叫びしかば、此の砦の大将なる今一人の▼悪たれ女、うち驚きつつ走り出て、事の訳を尋ねれば、お犬は今宵、樹邨(このむら)が宿所へおもむきし始めより、思わずも寝屋の内にて、力猛き大比丘尼に打ち懲(こ)らされたる体たらくを、かようかようと告げ知らせれば、その賊婦は大きに怒って、
「その比丘尼こそ、憎き痴(し)れ者。いでいで我が身が押し寄せて、かい掴(つか)み来て恨みを返さん。者ども続け」と云うままに、ひしひしと身を固め、大薙刀を脇挟み、馬にひらりと打ち乗れば、従う悪者百人余り。早や鐘、太鼓を鳴らしつつ、妻籠(つまごみ)指して押し寄せれば、億乾通も引き続き、手の者数多引き連れ引き連れ、共に馬をぞ速めける。

○かかりし程に妙達は、端近き小座敷にて、酒うち飲んで居たりしに、その夜も既に明け行く頃、安計呂の山の方にあたって、貝、鐘、太鼓喧(かまびす/騒が)しく寄せ来る如く聞こえれば、
「これ必ず賊婦らが、昨夜(よんべ)の恨みを返さんと、多勢を催し来つるならん」と云うに大刀自、花松らは、驚き恐れて物も覚えず、いかにせんとて立ち騒ぐを、妙達急に押し静め、「いささかも気使いたまうな。いでいで」と云いかけて、鉄の杖を引き下げて、悠々然と歩み出て、冠木門を押し開かせて、門より外に只一人、寄せ来る敵を待つ程に、真っ先に馬を進めし賊婦は、早く妙達を見るより怒りの声を振り立てて、
「汝はいづくの馬の骨ぞ。熊野比丘尼の失策(しくじり)か、伊勢比丘尼の年明きか。昨夜はよくも我が妹を、木魚の様に叩きしな。我その恨みを返さん為に、自らここに向ったり。覚悟をせよ」と罵ったる、声もろともに大薙刀を水車(みずぐるま)の如くひらめかし、駆けんとするを妙達は、「猪口才(ちよこざい)すな」と鉄の杖持ち、丁と受け止め、二打ち三打ち戦う程に、その賊婦は声を掛けて、「御身はもしや、花殻のお達殿には在らざるか」と問われて妙達いぶかりながら、「いかにも我こそ、お達なれ」と云うに、賊婦は慌(あわ)てふためき、馬よりひらりと飛び降りて、小膝を付き立て、頭を下げて、
「一別以来、恙(つつが)も無きや。いかに早くも人寄せの友代を見忘れたまいしか」と云うに妙達、眼(まなこ)を定めて見れば、真に友代なり。
「そなたは又、いかにして、ここに居(を)るぞ」と問い返せば、友代答えて、
「さればとよ、去(い)ぬる頃、甲斐の国にて、御身が貝那をうち殺し、影を隠したまいし時、わらわもその先の日に、青善の二階にて共に酒を飲みしにより、同類ならんと疑いかかりて、絡め懲らんとせられし由、風聞ほのかに聞こえしかば、早くもかの地を逐電して、あちこちと彷徨(さまよ)いつつ、この所を過ぎる折、安計呂の山のほとりにて、億乾通に出くわして、遂に刃(やいば)を交えしに、お犬はわらわに勝つこと叶わず、これによりわらわを山の砦に留めて、第一の座を譲り、その身は第二の大将と成れり。
 さても、かの億乾通お犬が事は、先代に滅びたる奥の泰衡(おくのやすひら)が家の子(家臣)なりし、何がしかの娘なり。女子(おなご)に似気無き剛の者にて、鎌倉殿(頼朝)を恨むのあまり、その残党を招き集めて、安計呂の山に籠もりしなり」と云う暇に、億乾通も馬を早めて来にけるを、友代は早く見返って、走り行き囁いて、お犬をそのまま伴い来て、妙達に引き会わせ、
「我が妹。此の御比丘尼は、日頃しばしば物語りし、かの一拳になまよみ屋の貝那を打ちも殺したる、お達殿にて御座(おわ)するぞや」と云うに、お犬は驚いて、
「我々、眼(まなこ)ありながら、世に又、比(たぐ)い多からぬ、勇婦にて御座(おわ)しませし花殻殿とは知らざりし、無礼を許したまえかし」と詫びつつ大地に身を投げ伏して、しばし頭をもたげねば、妙達は忙わしく助け起こして、友代諸共、そのまま書院に伴って、▼大刀自、花松を招き寄せ、
「人々さのみ恐れたまうな。彼女らなりとて鬼女にも非ず。皆我が妹なりけるぞや」と云うに、大刀自、花松らは、さては此の旅比丘尼も、元よりして山立ちの仲間なるかと驚き恐れて、又、酒肴を按配しつつ、三人の勇婦をもてなしけり。

 その時、妙達は百倉長者の情けによって、長く身の罪を逃れん為に、無二法寺にて剃髪せし事、その後しばしば酒に酔い、寺の法度を犯せし故、住持妙真禅尼の指図に従い、此度、鎌倉なる松岳山龍女寺へおもむく由を、友代らに告げ知らせ、又、億乾通にうち向かい、
「お犬よ、我が云う事を聞け。この老女大刀自は、その子と嫁を先立てて、只一人の孫花松を、家督に後ろ見する者なるに、人柄も相応(ふさわ)しからず、又、その年も釣合い難き、御身が嫁になるべきの男妾に致さんのと、無理圧状(むりおうじょう/無理矢理)※の縁結びは、沙汰の限りといいつべし。
 何事も我らにめでて、此恋は思い切りたまえ」と云われてお犬は、大きに恥入り悔やんで、
「詮無き我が身の誤り。此の婚姻は思い切ったり。もし重ねてこの少年に、心を残す事あらば、迅き雷(ときいかずち)に打たれて死なん。皆の衆、案じたまうな」と矢を折り、誓いをなしければ、大刀自も花松も大方ならぬ妙達が取り計らいを、且つ感じ、且つ安堵して、「今更に疑いし事の愚かさよ」と心の内に恥らって、又、改めて杯をすすめ、益々もてなしけり。
※無理圧状(むりおうじょう):威圧して無理に自分に従わせること。

 かくて友代、お犬らは、妙達を伴って、安計呂の砦に帰りつつ、これよりして一両日、日毎に酒宴を催して、様々にもてなす程に、ある日妙達は酔い伏して、すやすやと眠りけり。
 その時、友代はお犬に向かって、
「御身は何と思うやらん。思い掛け無き客を得て、物の入り目も大方ならず、又、出でて行く時に、餞別(はなむけ)もせずばなるまじ。これらの損を何ぞにて、埋める仕方はあるまいか」と云うに、お犬はうなずいて、
「我らもしかぞ思うなる。この頃は間が悪くて、ずっしりとした獲物も無し。良き鳥もがな、かかれかし」と託言(かごと)がましく囁く折から、遠見の雑兵走り来て、
「只今、旅人七八人、米と酒とを数多の馬に負わして、麓を過(よ)ぎる者あり。よって注進仕る」と息接ぎあえず告げるにぞ。友代、お犬は大きに喜び、
「願うところの幸いなり。イデ分捕りせん。者ども続け」と云うより早く身を固めて、ひとしく馬を乗り出せば、その手に従う悪者ども、数を尽くして遅れじと、麓を指して急ぎけり。

 妙達は始めより空眠りして、友代らが云いつる事をよく聞きつ、今又、出て行くを見て、心の内に思う様、
「・・・・友代めが、勘定高くて、我らを馳走(ちそう)に物のいるとて、泣き言を云いし▼面(つら)の憎さよ。彼女のみならで億乾通めも、故主の仇(あだ)を報(むく)わん為に、義兵を上げると口には云えど、かくまでに汚(けが)れたる行いをして、猛しと思うは見下げ果てたる奴ばらなり。かかればここにいつまで居(を)るべき。鼻を明かせてやらんず」と独り言して身を起こし、かの鉄の杖を持ち、所狭しと置き並べたる、珠(たま)の杯、瑠璃(るり)の鉢、推朱(すいしゅ/水晶)の盆に、ぎやまんの銚子、注鍋(さしなべ)、青貝の卓袱台(しっぽくだい)まで、一つも漏らさず、皆、粉微塵に打ち砕き、からからとうち笑い、忙わしく身拵(みごしら)えして、表の方に立いでつつ、再び心に思う様、
「・・・・今、本道(ほんみち)より麓に下らば、必ず友代、お犬が帰り来つるに行き会って、引き止められれば面倒ならん。小道もがなと見下ろすに、北なる裏手の方にあたって、いと傾(なだ)れたる所あり。これ究竟(くっきょう)」と心でうなずき、風呂敷包みを笠もろともに、鉄の杖に結び付け、麓の方へ投げ落とし、その身もやがて三輪組む、膝に両手を組み合わせ、傾(なだ)れに従い滑り落ちるに、所々に柴生い茂り、砂混じりなる崖道なれど、いささかも身を破る事なく、幾千丈なる麓路へ、たちまち滑り着きければ、先に落とせし杖を突き立て、風呂敷包みを背負いつつ、東を指してぞ急ぎける。

 さる程に、人寄せの友代、億乾通お犬らは、数多の手下を従えて、かの旅人らを遮(さえぎ)り止め、皆逃さじと討ってかかれば、かの者どもは驚き騒いで、いかにせんとて逃げ迷う。その中に一人の男、笠かなぐって声高く、
「これは、妻籠の里長なる、樹邨(このむら)花松が名代に、国司へ参る貢物なり。安計呂の砦の人々が早くも先の誓いを破り、乱暴したまう事やはある。これ見たまえ」と呼ばはり呼ばはり、小荷駄に指したる小幟(のぼり)を、かい取り打ち振り見せるにぞ、友代、お犬は思うに違(たが)いて、
「さては、樹邨が国府へ贈る貢物にてありけるよな。なお妙達も砦に居(を)るに、今更これを乱暴すれば、誓いを破る謗(そし)りを得ん。皆、引け引け」と手勢を止めて、そのまま山路へ引き返せば、かの者どもは喜んで、再び生きたる心地しつ、しきりに馬を追い立て追い立て、跳ぶが如くに馳せ去りけり。

 かくて友代、お犬らは、山の砦に返って見れば、妙達は居(を)らずして、杯、盤、皿、鉢一つも残らず、全て微塵に砕けたり。「こはそもいかに」と呆れ果て、妙達を尋ねるに、いづちよりいでて行きけん。絶えてその影もせず、あまりの事に求めかねて、裏手の方にいでて見るに、ここより麓へ転び落ちけん、草は左右へ伸べ伏したり。
「かかる険阻(けんそ)の岨道(そはみち)を、容易(たや)すく麓へ下りしは、凡人技には非ずかし。しかるを今更追っかけて、引き戻さんとするならば、毛を吹き疵(きず)を求むるなり。由無き奴(やつ)を留め置き、損せし上に又、損をする腹立しさよ」と呟(つぶや)くのみ、又、詮方は無かりけり。友代、お犬が事のくだりは、しばらく此下に物語り無し。

○されば又、妙達はしきりに道を急ぐ程に、安計呂の砦を出でしより、第四日の真昼頃、信濃国長窪(ながくぼ)のあなたなる、笹取山(ささとりやま)のほとりまで来にけり。
 思いの他に飢え疲れ、走り難く思いしかば、斎(とき)を乞わんと欲(ほ)りすれど、此のほとりには人里無し。と見れば、山懐(やまふところ)なる森の内に、荒れ果てたる古寺あり。山門より進み入り、本堂に行って見るに、柱傾(かたぶ)き軒(のき)朽ちて、本尊の大仏は、後光崩れ落ちて、蜘蛛の巣に纏(まと)われ、格(ごう)天井の天人は、彩色剥(は)げて餓鬼の如く、踏めば落ち入る床の上には、狐狢(きつねむじな)の足跡のみ、斑(まだら)に見えて人気(ひとけ)は無し。もしやと思って庫裡(くり)の方に、風呂敷包みと笠とを置いて、裏手の方へ行かんと立いづる時、仰ぎ見るに錫杖寺(しゃくじょうじ)と云う金字の額あり。
 されども無筆の事なれば、心をも得ず、本堂の後ろの方におもむけば、いとささやかなる小屋の内に、痩せさらばいたる尼両三人、木の葉を集め、火を吹いて、麦の粥を焚いて居(を)り。その時、妙達進み寄り、
「我は▼近江の方よりして、鎌倉へ行く行脚(あんぎゃ)の尼なり。折から飢えて疲れ果てたり。願わくばその粥を振る舞ってたまわれかし」と云うを、比丘尼ら聞きあえず、
「御身に振る舞う粥あれば、我々どもがかくまでに飢えも疲れせぬぞかし。今日、三日目にてようやくに、ちとの麦を勧化(かんげ)※しつ、命の蔓(つる)と思うて居(を)るに、由も無き事宣うな」と否(いな)むに、妙達心を得ず、
「この御寺は、しかるべき伽藍なるべく見えながら、などて大破に及びたる。住持は無きや」と尋ねれば、比丘尼ら答えて、
「さればとよ、元此の寺は延命山(えんめいさん)錫杖寺(しゃくじょうじ)と呼ばれたる七堂伽藍の尼寺なりしに、治承(1177年)・元暦(1184年)の兵乱より、近郷の施主、檀越(だんえつ)がこと如く離散して、あまつさえ住持の比丘尼も儚(はかな)く遷化(せんげ)したまいつ。しばらく無住で在りし頃、鈴懸の岩莫(すずかけのがんまく)と云う女山伏、蛇柳(じゃやなぎ)と云う弟子を連れて、同宿となりしより、彼女らはあくまで力強く、武芸も優れし者どもなれば、遂には押して住持となって、仏具諸道具を売り代(しろ)なして、只酒を飲み、男を引き入れ遊興をのみ事としつ、始めより居付きたる比丘尼たちには、一椀の飯(いひ)だも食わせざるにより、幾十人の比丘尼たちは、行方も知らずなりにたり。
 しかれども我々は、年老いて身に病いあれば、いでて行方の覚束(おぼつか)無さに、是非無く残り留まりて、両三日に一食(いちじき)の命を僅かに繋(つな)ぐのみ。疑わしくは奥庭の方に行って見たまいね」と云うに、妙達「さこそ」と覚えて、且つ哀れみ、且つ怒り、そのまま踵(きびす)を巡らして、なお奥深くおもむけば、亭(ちん)座敷とおぼしき所に、花筵(はなむしろ)を敷き渡して、果たして一人の女山伏と麗(うるわ)しき若衆とが居たり。
 かくて又、その弟子の女山伏とおぼしき者、只今余所より買いもて来にけん、左右の手には酒一徳利と一重箱の肴を携(たずさ)え、これを床几(しょうぎ)のほとりに置きぬ。
※勧化(かんげ):①仏の教えを広めること。②寄付を集めること。勧進(かんじん)。

 妙達は此の者どもこそ、かの岩莫(がんまく)と蛇柳(じゃやなぎ)ならんと思えば、怒れる眼(まなこ)を瞠(みは)って、つかつかと進み近づき、
「此の女金剛どもが、人の寺を押し奪い、あくまでに穢れたる身の持ち様は何事ぞ。我は行脚の尼なれども、此の本堂の裏に居(を)る比丘尼らの物語りにて、早や汝らが悪事を知りぬ。逃れぬ所と覚悟して、我がこの杖を受けよかし」と声いらだてて罵れば、かの曲者らは驚いて、
「尼御前、聊爾(りょうじ)したまうな。元此の寺の比丘尼どもが、住持の無きを幸いに、良からぬ業をしつるにより、かくの如くに大破しつるを、我が身ようやくとり止めて、再興を図るなり。又、此の若衆は檀方(だんほう/檀家)の息子なる者にして、たまたま参詣せられしかば、心ばかりのもてなしせんとて、いささか用意をする折なり。死に損ないの比丘尼らが、空言を真(まこと)として、事を過(あやま)ちたまうな」と、誠しやかに欺(あざむ)くにぞ、妙達「実(げ)にも」と思い返して、元の所へ立ち戻れば、比丘尼らは既にして、麦粥を食べ終わりたる所なり。その時、妙達まなこを怒らし、
「この似非(えせ)比丘尼らが。その身その身の悪事を人に塗り付けて、上手くも我らを欺きしな。今かしこにて岩莫らに事の様子を責め問いしにより、かようかようと答えたり。かくても云う由、なおあるか」と息巻き猛く云い懲(こ)らせば、比丘尼らは呆れ果て、
「そは御身こそ、かの者どもに欺かれたまいしなれ。その若衆は鎌倉の田楽(でんがく)の色子の果てにて、岩莫が男妾なり。彼女らが御身を欺いて、一旦その場を帰したは、手に打ち物を持たぬ故なり。再び彼処へ行きたまわば、いかでかそのまま帰すべき。あら笑止や」と呟(つぶや)くにぞ、妙達始めて心に悟って、腹立たしさに答えも得せず、又、奥庭へ馳せ行く程に、早や枝折戸(しおりど)を差し固めたり。
 妙達いよいよ苛立(いらだ)って、鉄の杖もて只一突きに、ぐわらりずんど突き破り、「盗人ども」と呼びかけ呼びかけ、まっしぐらに進み入るを、待ち設けたる岩莫、蛇柳。段平(だんびら)物を抜きそばめ、
「乞食尼めが又うせたな。先には打ち物の無かりし故に、わざと透(す)かしていだしやりしに、再び来るは夏の虫、命も既に根腐ったり。覚悟をせよ」と罵って、左右等しく討ってかかるを、「物々しや」と妙達は、右に払い左に支え、発止(はっし)発止と戦いしが、この時ますます飢え疲れて、叶うべくも非(あ)らざれば、隙間をうかがい一足出して、表の方へ逃げ走れば、なお逃さじと、岩莫、蛇柳、山門の並木を越えて、三四町追っかけしが、遂に追いつき得ざりしかば、それより先へは追わざりけり。

 さる程に妙達は、寺を去る事五六町、日の目知らずと呼びなしたる、林の内に逃げ入りしに、この所は幾百(いくもも)の株の赤松、ひま無く生い茂り、枝を交え葉を重ね、絶えて日の目を漏らさねば。昼と云えどもいと暗く、黒目(あやめ)を分かぬばかりなれば、日の目知らずと云うなりけり。

 その時、妙達は息を付き、汗を拭って▼一人つらつら思う様、
「・・・・我かの女山伏らに、敵し難きにあらねども、かく飢えかれたりければ、力衰え気力弱って、心ならずも破れ取れり。されども笠と風呂敷包みを、下ろして庫裏(くり)に置きたりしを、取らずば今更何地(いづち)へ行くべき。さればとて、立ち帰らば又もや彼女らに苦しめられん。いかにもすべき」と思いかねて、しばらくそこに佇(たたず)む折から、向かいなる木の間より、いと白やかなる顔を出して、遥かにこなたを窺(うか)がう者あり。
 妙達早くこれを見て、
「あれはまさしく山賊ならん、今又、前後に敵を受けては、いよいよ事の難儀なり。まづ彼奴(かやつ)から押し片付けて、その上にて思案をすべし」と思えばちっとも躊躇(ためら)わず、
「只今、我を窺(うかが)いし盗賊め、とく出でて勝負を決せよ」と呼ばはれば、たちまち松の木陰より、旅装束もやつれたる、一人の女子(おなご)が現れ出て、からからとうち笑い、
「汝こそ、人をうかがう山賊にてあるべきに、我を疑う事やはある。その儀ならば手並みの程を思い知らせんず」と罵(ののし)って、刃(やいば)を打ち振り走り掛かれば、妙達はいよいよ怒り、鉄の杖を取り直し、互いに怯(ひる)まず戦う程に、旅の女は声を掛けて、
「汝が武芸、世の常ならず、且つ、その声も聞し様なり。名乗れ、名乗れ」と呼ばはるを、妙達は耳にも掛けず、なおも進んで戦うを、女子(おなご)はしばしあしらい、構えの外へ身を退(しりぞ)け、
「はやって過(あやま)ちせられるな。我が身いささか見覚えあり。御身は、これ花殻のお達殿には在らざるか。かく云うは浮潜龍衣手(ふせんりゆうころもで)にてはべるぞよ」と云われて、妙達は驚きながら、よくよくすかし眺めれば、実(げ)に見知りたる衣手なり。
 こはこはいかにとばかりに、杖投げ捨てて進み近づき、この所を徘徊しつる、事の訳を尋ねれば、衣手答えて、
「わらわは、御身に別れし後、若狭の国におもむいて、綾梭(あやおさ)殿を尋ねしに、かの地にても遂に得会わず、もし鎌倉に御座(おわ)さずやと思うばかりを心当てに、遥々東に下りしかども、絶えてその行方は知れず、詮方も無く取って返して、この処まで来つる折、御身に会いしは尽きせぬ縁なり。御身は又、いかにして比丘尼には成りたまいし」と問われて、妙達少しも包まず、貝那をうち殺せし始めより、今、鎌倉へおもむく事まで、言葉せわしく説き示し、今日図らずも錫杖寺(しゃくじょうじ)にて、岩莫、蛇柳という女山伏らと戦いしに、飢え疲れたるにより、心ならずも後ろを見せて、ここにて息を付きて居(を)りし。一部始終を物語れば、衣手聞いて、
「しからんには、その者共は憎むべき極悪の女なり。わらわも共に力を合わし、討ち滅ぼして根を絶つべし。まづまづ腹を繕(つくろ)いたまえ」と答えて、腰に付けたりし、破籠(わりご)※を開いて与えれば、妙達これをあくまで食らって、衣手と諸共に又、かの寺におもむけば、岩莫も蛇柳も、なお山門のほとりなる、石橋の欄干に身を寄せ掛けて、憩(いこ)いて居(を)り。
 その時、妙達は衣手を木陰に隠して、独り進んで声を振り立て、
「我先には飢えたる故に、心ならずも遅れを取りしが、此度は決して許さず、覚悟をせよ」と呼ばはれば、岩莫うち見て、ちっとも疑義(ぎぎ)せず、
「性懲(しょうこ)りも無き乞食尼。死にに来たか」と嘲(あざけ)って、討たんと進むを妙達は、杖持て発止(はっし)と受け止め、二打ち三打ち戦う程に、蛇柳も又、岩莫を助けて刃(やいば)をうち振りうち振り、引き挟んで討たんとするを、衣手は木陰より現れいでて、蛇柳を遮(さえぎ)り止めて戦かったり。既にして、岩莫は敵に加勢のあるを見て、驚き恐れて乱れる大刀筋、妙達得たりと踏み込み踏み込み、遂に刃を打ち落とし、逃げんとしたる肩先より、背骨をかけて打ち砕けば、蛇柳も驚き恐れて、逃げるをやらじと衣手が、打ち閃(ひらめ)かす刃の稲妻。首は遥か遠くに飛び去って、骸(むくろ)は等しく倒れけり。
※破籠(わりご):携帯用食器。またそれに入れた食物。

▼かくて妙達は、衣手と諸共に岩莫、蛇柳らを滅ぼして、ひとしく寺内に進み入り、初め庫裡に置きたりし、風呂敷包みと笠とを取って、又、本堂の後ろなる小屋のほとりに行って見るに、かの両三人の比丘尼らは、先に妙達が敗北し、寺門を走りいでし時、その身その身に災いの及ばん事を恐れけん、皆々くびれ死(首吊り死)してあり。
 又、かの岩莫が男妾の何がしは、妙達、衣手が岩莫らを、遂に討ち滅ぼして、再びここに来つるを見て、叶わじとや思いけん、井戸に飛び入り死んでけり。かかれば今此の荒れ寺に、住む人とては一人も無し。その時、妙達は衣手を見返って、
「さしも此の錫杖寺は、地蔵菩薩の霊場なりとも、かくまで大破に及びしを、此のままにして置く時は、又、山賊の住処(すみか)とならん。只焼き払うにます事あらじ」と云うに、衣手うなずいて、両人手早く火をさせば、北山風の激しさに見る見る炎は燃え広がりて、朽ち傾きし堂塔、伽藍は、煙となって失せにけり。
 その時、妙達、衣手は、山門のほとりに立いでて、しばらくその煙を避けて、各々(おのおの)行方を語らうに、衣手はとてもかくても、綾梭(あやおさ)に巡り会わねば、今更に身の縁(よすが)も無し。戸隠山に立ち帰り、かの黒姫、女鬼、今板額らに、しばしこの身を頼まんとて、遂に別れを告げしかば、妙達も今更に、名残り惜しくは思えども、さて、あるべきにあらざれば、又、再会を契(ちぎ)りつつ、東西にこそ別れけれ。

○されば花殻の妙達は、なおも幾日の旅寝を重ねて、鎌倉の尼寺なる龍女寺へおもむいて、知客(ちか)の比丘尼に対面し、妙真大禅尼の指図に従い、無二法寺より遥々と来つる由を告げ知らせ、真如禅尼へ送られる書状を出して見せれば、知客の尼は侘(わび)し気に、
「そは気の毒なる事ぞかし。当山の住持真如禅尼は、去(い)ぬる月に移転して、山城の国の深草なる女人山成仏寺(にょにんさんじょうぶつじ)と云う尼寺に移りたまいぬ。こは近頃の事なれば、無二法寺の大禅尼は、まだ知らせたまわずして、こなたへ寄させたまいしならん。気の毒ながら引き返して、深草へおもむきたまえ。まだ、ここもとには定まれる住持も無ければ、留め難し」と云うに、妙達詮方も無く、たちまち望みを失って、いと腹立たしく悔(くや)しけれども、さてあるべきにあらざれば、此の度は東海道を山城指して急ぐ程に、又、十余かの旅寝を重ねて、深草の里、女人山成仏寺へ到着しつつ、又、しかじかと案内して、紹介の状を参らせけり。

 その時、住持の真如禅尼は、妙真禅尼の書状を検見(けみ)して、
「此事いかがあるべき」と諸役の尼たちに問いたまえば、皆々言葉を等しくして
「我々かの妙達とやらんを見はべるに、面魂(つらだましい)は世の常ならず、一癖あるべき大比丘尼なり。彼女を当山に留めたまわば、いかなる事をかしだすべき。これも又、計り難し」と云うに、禅尼はうち案じて、
「しかりとも、我が姉弟子の妙真禅尼の寄せられしを、つれ無くはもてなし難し。我は住持の事ながら、今参り(新参)の者ぞかし。とにもかくにも御身達、よろしく計らいたまえかし」と、又、他事も無く宣えば、監主の尼らはうち案じて、
「しからばかの妙達を、茶園守りになさるべし。茶園は遠くかけ離れ、▼尼たちと交わらず、かつ茶園のほとりには、柿、梨、桃、栗、葡萄なんどの果物多し。これにより動(やや)もすれば、人の盗むも少なからねば、これらの守りに付けられんに、かの比丘尼こそ究竟(くっきょう)ならめ」と云うに、皆々うなずいて、「しかるべし」と申すにぞ、禅尼もその儀に従いたまい、さて妙達に対面して、鎌倉まで無駄歩きせし、長途(ちょうど)の疲れを問い慰め、
「我が寺、今は空きたる役なし、さるにより茶園を預けはべるなり。園主の役義を務めよかし」と仰せ渡されたりければ、妙達これを不足として、
「わらわは、妙真禅尼の指図に従い、当山へ参りしは首座、監主とも成るべき為なり。しかるをいと下職なる、茶園守りにせられる事、心得難くはべり」と云う時に、監主の尼が進み出て、
「御身自ら思い見よ。沙弥(しゃみ/修行僧)から長老にはなり難し。まづ、よく園主を務めなば、次第次第に取り立てて、首座にも監主にも成したまわん。今更否む事かわ」と理(ことわ)り責めて説き諭せば、妙達ようやく納得して、次の日茶園の庵室(あんじつ)に入院(じゅいん)しつ、元の園主と入れ替わり、茶園を支配したりける。
 ここに又、成仏寺の裏門前に住まいする悪戯(いたずら)者の女房娘ら、此の度妙達が茶園守りとなりたる由を伝え聞き、談合する様、
「我々は、かの茶園なる果物をうち落として、常に外待(ほまち/副収入)にすると云えども、園主の比丘尼は威風に恐れて、叱り止める事もせざりき。しかるに今度の新役は、他所より来たる比丘尼と聞く、一あて当てて懲らさずば、付け上がりのする事もあらん。かようかように計らうべし」とて、釣額のお禿(つりひたいのおはげ)と云う悪たれ女、大勢の嚊(かか)を伴って茶園におもむき、妙達が入院の祝儀に来つる由を偽って、肥溜めのほとりに誘(いざな)い、突き落とさんとしてけるを、妙達早く気色を悟って、立ち寄りながら足を跳ばして、そのお禿(はげ)を肥溜めの中へ、はったと蹴落としけり■   
※沙弥(しゃみ):①正式の僧となるために修行している若い僧 ②剃髪しながら、妻帯して世俗の生活をしている者。

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>



傾城水滸傳第貳編之三
曲亭馬琴戯作 歌川国安画
丙犬(ひのえいぬ)の睦月(むつき)
通油町鶴屋喜衛門板

さる程に、釣額のお禿(つりひたいのおはげ)は、思うにも似ず、妙達に肥溜桶(こえだめおけ)へ蹴落とされ、「あっ」と叫んで蠢(うごめ)くあり様。
 手足は白くして新漬けの大根の如く、頭は茶色にして古漬けの茄子(なすび)に似たり。黄汁(きじる)四方へ散乱し、臭ささに鼻も向けられず。落とし紙は目口にへばり付き、紙を吹き付けられたる仁王かと怪しまれ。むさき(汚い)物が惣身にまみれて、黄疸病みの末風呂に入りしかと疑わる。
 仲間の悪たれ女らは、このあり様に驚き恐れて、「あれよあれよ」とどよめくのみ。鼻を摘(つま)み顔を背(そむ)けて、等しく頭を大地にすり付け、
「尼君、許したまえかし、許させたまえ」と詫びるにぞ、妙達は左右を見返り、からからとうち笑い、
「此衒妻(げんさい)ども、肝太くも我らをここへ誘(おび)き出だし、謀らんとせし愚かさよ。なお説き示す事こそあれ。そやつを早く洗い清めて、引き持て来よ」と云い掛けて、元の所へ退(しりぞ)きつつ、座敷にむづと押し上がり、豊かに座してうち見て居(を)り、その時数多の悪たれ女は、肥桶(こえおけ)を担(にな)う竹の朸(あふご/天秤棒)※を差し下ろし、縋(すが)らせて、お禿をやがて引き上げつつ、池のほとりへ連れて行き、赤裸にして頭(つぶり)の上より、しきりに水を注ぎ掛け、ようやくに洗い落とし、着物二枚着たる者の下着を脱がせてお禿に着せ、皆うち連れて縁側のこなたに、並びてつい居たり。
 妙達つらつら見回して、
「大莫連(ばくれん)ども、よっく聞け。おのれらは我が寺の裏門前にて世を渡れば、些(いささ)かたりとも寺の為には、骨を折らんとこそ思うべきに、▼先役の尼を侮(あなど)って、ややもすれば采園(さいえん)★の茶を盗み、木の実を盗みしは、是いかなる道理ぞや。我が手並みをば知りつらん。今日よりして速(すみ)やかに、志を改めずば、一人も残らず肥溜めへ、蹴込んで畑の肥やしにせん。さでも懲りぬか、いかにぞや」と息巻き猛く叱り懲らせば、お禿を始め大勢の悪たれ女は頭を縮めて、一固まりに額(ぬか)を突き、
「我々眼(まなこ)ありながら、夜叉(やしゃ)も菩薩(ぼさつ)も見知らずして、今更、後悔謝りはべりぬ。今よりの後、後ろ暗き業などは申すも更なり、御寺の事には骨を折り、御恩をおくりはべりてん。大慈大悲(だいじだいひ)の御庵様、まつぴら、許させたまえかし」と異口同音に詫びしかば、妙達からからとうち笑い、なおも向後(こうご/今後)を戒めつつ、許して宿所へ帰しけり。

 かくて両三日を経(ふ)る程に、お禿は仲間の嚊(かか)娘らをうち集え、談合する様、
「此度、入院せられたる園主の尼妙達殿は、世に多からぬ荒者なり。なれども理強くして、折れるに早く我々を許されたる。先度のお礼を申さずば、この後とても良き事あらじ」と云うに皆々「さなり」と同して、ちとの銭を出し集め、樽肴を調えて、うち連れだちて妙達が、庵におもむき由を述べ、その品々を贈りにければ、妙達大きに喜んで、残らず座敷に呼び上げて、樽を開き肴を並べ、我も飲み人にも飲ませて心隈なく語らえば、お禿らは興に入り、潮来節を唄うもあり、口三味線を弾くもあり、果ては簀(す)の子を踏み抜くまでに、踊り騒いで日の暮れるまで、愉しみを尽くしつつ、皆々いたく酔いとろけ、暇乞いして帰りけり。

 かくて又、五七日を経る程に、妙達心に思う様、
「去(いぬ)る日に、お禿らが物数多もたらし来て、あくまで我らを慰めたれば、我も又、ちとばかりの返礼をすべけれ」とて、又、酒盛りの設けをしつつ、此由を云い遣わせしに、お禿ら斜めならず喜んで、皆連れ立って来にければ、妙達やがて十二畳の客座敷へ招き入れ、杯を巡(めぐ)らしつつ、差しつ押えつする程に、庭に烏の屡(しば)鳴く声、いとかしましく聞こえるにぞ、お禿らは爪弾(つまはじ)きをして、
「あな憎(にく)のやもめ烏よあだ烏、喜び烏来なけ我が宿(いお)」と繰り返しつつ吟ずるを、妙達は心を得ず、「なんたちは歌詠みなるか、今のは何と云う事ぞや」と問われて、お禿はうち微笑み、
「世の諺(ことわざ)に、仇(あだ)烏の屡(しば)鳴く時は、故郷に憂(うれ)いあり、口説(くぜち/言い争い)あり。喜び烏の鳴く時は、吉事ありと云い伝えたり。尼君未だ知りたまわずや。今、吟ぜしは、一首の古歌(こか)にて、憂いを返して、喜びを迎えると云う呪(まじな)いに口ずさみはべるなり」と云いつつ、外の方仰ぎ見て、
「あれ御覧ぜよ、あの大きなる柳の木に烏が巣を掛けたるに、その子は早や大きうなって、巣立ちをすべき頃なれば、間無く時無く屡(しば)鳴くなり」と云うに、妙達うなずいて、
「さても和女らは物知りなり。実(げ)にあの烏が日毎に鳴いて、かしがましさ(やかましさ)※よ」と呟(つぶや)けば、お転婆のお抜(ぬけ)と呼ばれる十五六なる下衆(げす)娘、したり顔に進み出て、
「所詮あの巣があればこそ、耳喧(やかま)しく鳴きもすれ、わらわあそこへよじ登り、取り下ろしはべりてん」と云いつつ、やがて裳裾(もすそ)をかかげて、出でんとするを、妙達は忙わしく押し止め、
「止みね。女の木登りは、開帳の気遣いあり。手暇を掛けるも面倒なり。我今、柳を引き抜き捨てて、根絶やしをして見せん。いでいで」と云いながら、上裳を脱いで大股に、早や庭もせに立ち入ずれば、皆諸共に座を立って、目引き袖引き守りて居(を)り。
 その時、妙達は腕まくりして、しづしづと木の元に進み近づき、一ト抱えにも余りたる柳の幹をしっかと抱いて、力を極めて「エイ」と云う、声諸共に、その柳は根こぎに、たちまち引き抜かれ、跡には穴ぞ▼出できける。此体たらくに、女どもは肝を潰し、眼を見張りて呆れる事大方ならず、
「君は真に弁慶の姉御と云うとも怪しく非ず。此大木を一ト抜きたまいし力を思うに、百人力にも余るべし。我々、宿世(すくせ)の幸いあって、間近く住まいするのみならず、ねんごろにもてなされたる喜び、これに増す事無し。願うは御手に付けられて、何にまれ使はせたまえ。あな凄まじの力や」と舌を巻きつつ感嘆して、諸手を合わして拝みけり。

 妙達これを見返りながら、抜きたる柳を引き担ぎ、二三十間西の方なる、広き所へ持て行き倒して、手砂払って、にっことうち笑み、
「汝(なん)たち、さのみ徒(あだ)褒めすな。かばかりの転合(てんごう/悪戯)※は、物の数とするに足らず、事のついでに我が棒の手の、秘術を只今見すべさか」と云うに、皆々喜んで、
「実(げ)に、尼君の力の程は、今目の当たり見はべりぬ。なお此の上に隠し芸の武術さえ見せたまはば、願うとも難き幸いなり、いざとくとく」と請い望めば、
「そは、いと易き事なるに、しばらく待て」と云いかけて、あの鉄の磨き杖を取り出して、引き下げ来て、足場を見たてて、外の方なる空き地に筵(むしろ)を敷き渡させて、お禿らに見物させ、六十斤の磨き杖を、水車の如く振り回し、自然と得たる棒の秘術を、一つも残さず使いにければ、只、稲妻の走るが如く、又は尾花の乱れるに似て、見るに目もくれ心とろけて、前にあるかとする時は、忽然(こつぜん)として後方(しりへ)にあり、一上一下ことごとく法に叶わずと云う事無ければ、お禿らは皆思わずも手を打ち鳴らし、声を合わして等しくどっと褒めたりけり。
※転合(てんごう):ふざける・こと。慰み。いたずら。

傾城水滸伝 二編 之参

2013-01-11 17:36:23 | 二編
 時に玉椿の生垣に、との方に白練(しろねり)の帽子を戴いて、摺箔(すりはく/金箔使い)※の内掛け衣を壺折りたる一人の婦人、先の程より佇(たたず)んで、妙達が棒の秘術を垣間見て居たりしが、思わずも声を発して、「奇妙、奇妙」と褒めしかば、妙達これを聞き咎め、
「今、生垣のあなたにて「奇妙、奇妙」と云われしを、藤八五文※かと思いしに、由ありげなる女中なり。いささかも苦しからず、こなたへ入って休らいたまえ」と云うに、否(いな)とも否みかねし、その婦人は進み入り、妙達にうち向かって、うやうやしく小腰をかがめ、
「わらわは、これまで幾たりとなく、槍棒撃丸(さうぼうげきがん)★などの、武芸を良くする者を見たれども、君が如きは世に稀(まれ)なり。思うに、幼き頃よりの出家にはあるべからず。願うは法名道号(ほうみょうどうごう)※を名乗り知らしたまえかし。かく云うわらわは、為楽院(いらくいん)の別当、軟清(なんせい)の妻、名を桜戸(さくらど)と呼ばれる者なり。今日しも夫諸共に、稲荷山に詣でしに、軟清は風流の志し有るをもて、詩を作り歌を詠まんとて、今なお社(やしろ)に憩(いこ)いて居(を)り。よってわらわは只一人、漫ろ歩きをする程に、思わずも麓に下りて、この所まで来つるのみ。必ず訝(いぶか)りたまうな」と云うに、妙達驚いて、
「さては、予ねて聞き及びたる、近き頃まで▼大内なる女武者所の長なりし、虎尾(とらのお)の桜戸殿にて御座(おわ)するよな。わらわは近頃、白川なる無二法寺より転宿して、園主の役を務めはべる妙達と云う比丘尼なり。故郷は甲斐の府中にて、武芸を好みはべりにき」と云うに、桜戸うなずいて、
「しからば、かの一拳(こぶし)に、なまよみ屋の貝那後家をうち殺したまいぬと、世の風聞に予ねて聞く、武田殿の身内人、花殻のお達殿とは御身が事に御座(おわ)さずや」と小声で問えば、妙達は頭を撫でて、
「それなり、それなり。今図らずも面を合わして、年来の望み叶えり。まづ杯を参らせん」とて、やがて座敷に伴えば、桜戸も又、喜んで、
「片身(互い)に名のみ知りながら、対面するは無かりしに、今図らずもここへ来て一つ席(むしろ)に連なりはべるは、宿世(すくせ/因縁)あっての事なるべし。願うは今より義を結んで、我が姉とこそ思うべけれ」と云うに、妙達一議に及ばず、
「そは又、わらわも願う事なり。さらばまづ杯を」と云いつつ飲んで、桜戸に差せば、又、桜戸も受けてぞ返す。互いの式礼、なお喜びを尽くす折から、桜戸夫婦が共に立ちたる錦二(きんじ)とか云う小奴(こやっこ)が忙わしく尋ね来て、
「奥様ここに居たまうか。只今、稲荷の鳥居先にて、旦那は数多の女中たちに取り囲まれて、いといたう事の難儀に見えたまえば、御身に知らせ奉らんと、思うばかりにあちこちと、尋ね巡って候なり。さぁさぁ行かせたまえかし」と告げるに桜戸驚きながら、妙達にうち向かい、
「聞かせたまいし訳なれば、此のまま別れはべりてん。わらわが宿所は知ってござ御座(おわ)さん、都とは云えど間近き程なり、必ず訪わせたまえかし」と云うを、妙達聞きあえず、
「御身の殿御に難儀あらば、わらわも行って仇(あだ)する奴らを、叩き散らして参らすべし」と云いかけて、早や立たんとするを、桜戸急に押し止めて、
「相手は女子(おなご)の事とし聞くに、何ごとかはべるべき。只うち捨てて置きたまえ」と云いつつやがて座を立って、暇乞いして出でて行けば、錦二も主の尻に付き、稲荷山を指して走りけり。そもそも、この桜戸は元の為楽院の別当、剛詮法橋(ごうせんほっきょう)の娘なり。その頃、為楽院と聞こえしは、北辰妙見(ほくしんみょうけん/妙見菩薩)の権者(ごんじゃ)※にて、代々肉食妻帯(にくじきさいたい)なり。しかるに、桜戸は女子(おなご)に似気(にげ)無く武芸を好んで、幼き頃より、これかれと、その師を選んで学びしかば、年十三四の頃よりして、女武者所へ召されつつ、采女(うねめ)にてはべりしに、武芸いよいよ上達して、肩を並べる者も無ければ、なお未熟なる采女らに指南の事さえ仰せ付けられ、かの亀菊が手に付いて、大内にありけるに、父の剛詮身罷(みまか)って、家を継ぐべき男子(おのこ)なければ、桜戸が身の暇(いとま)をたまわり、軟清(なんせい)と云う弟子を婿養子に取り組みて、桜戸をぞ妻合(めあ)わせける。
 かかりし程に軟清は、世に多からぬ美僧にて、心様さえ男に似ず、殊(こと)に内気の者なれば、色好みなどはせず、何事も桜戸に及び難しと思う故にや。表ばかりは夫なれども、下心には姉の如くうやうやしくもてなして、仇(あだ)なる心は無き者なり。しかれども桜戸は、たえて夫を侮(あなど)らず、常に敬(うやま)いかしづいて、その足らざるを補(おぎな)いければ、世に珍しき夫婦なりと、云はぬ者なん無かりける。
※摺箔(すりはく):金箔と接着剤を用いた衣類の装飾技法。
※藤八五文(とうはちごもん):江戸市中で五文の薬を売り歩いた薬売り。二人連れで、互いに「藤八」「五文」と応じ合い、最後に声を合わせて「奇妙」と叫び、評判となった。
※法名(ほうみょう):僧や俗信徒となった者に与えられる仏教徒としての名前。戒名。
※道号(どうごう):僧侶が付ける号。僧侶の名である法号(戒名)の上につけられる。
※宿世(すくせ):①前の世。前世。②前世からの因縁。宿縁。宿命。
※権者(ごんじゃ):仏や菩薩が仮の姿で現れたもの。権化。

これはさて置き、亀菊は、一院の御寵愛ますます盛りなりければ、勢い女御(にょうご/皇后候補)※に異ならず、こと皆おのがままにして、忌(い)みはばかる由も無ければ、ここの遊山(ゆさん)、かしこの物詣でなんどとて、出で歩く事のしばしばなりしが、この日は深草の里近き稲荷山にぞ詣でける。
 洛外忍びの物詣でとて、供人などは、やつされほ★たれども、なお数多の女乗り物、この他雑色(ざうしき)下部の輩(ともがら)、四五十人の供人あり。
 これらは麓に残し置き、腹心の女房と女の童(めのわらわ)をのみ従えて、社(やしろ)へ詣でし下向(げこう/下り)道。と見れば、為楽院の軟清が鳥居のほとりに只一人、つくつくとして佇(たたず)みたるを、亀菊ひそかに懸想(けそう/恋慕)して、「類(たぐ)い稀(まれ)なる美僧かな」と、思えばぞっと恋い風の、身にしみじみと行きも得やらず、心知りたる長女(おさめ/女官)を招いて、しかじかと囁き示せば、長女は早くその意を推して、軟清のほとりに立ち寄り、
「いづくの聖か知らずはべれど、わらわが主の忍びやかに物云わん」と宣(のたま)うなり。
「こなたへこそ」と馴れ馴れしく、徐(やお)ら手を取り引き立てて、連れて行かんとしてければ、軟清▼驚き、顔うち赤らめて、
「こは卒爾(そつじ)ばしたまうな。それがしはさる者にあらず。許したまえ」と、袖うち払って逃げんとすれば、数多の女房おっ取り込めて動かせず、様々にこしらえて、脅しつ賺(すか)しつ挑(いど)めども、軟清は神木の青葉の紅葉(もみじ)に縋(すが)り付き、従うべくもあらざりしを、なおも手を変え人を変え、口説くこと半時ばかり。
 されども軟清応(いら)へもせず、許したまえと云うのみなれば、人もや来んと五七人、前後左右に立ちかかり、割無く(訳無く)手を引き背中(そびら)を押して、辛くして亀菊がほとり近く引き寄せれば、亀菊は緋扇もて面を覆って、なよやかに白き腕(かいな)を差し伸べて、軟清が手を押し握り、「時雨(しぐれ)する、稲荷の山のもみじ葉は、青かりしより、思い染めてき」と詠(よ)みたる歌もあるものを、心強きも程こそあらめ。色良い返事を聞かせてたべ」と云うに、軟清頭をうち振り、
「やんごと無き(高貴な)※方様の、忍び詣でと見奉るに、などてや青天白日に、出家人を引きとらえ、妄(みだ)りがわしく聞こえたまうぞ。早く放して帰えさせたまえ」と云えども聞かず亀菊は、なお引き寄せんとする程に、桜戸早く走り着き、と見れば、夫軟清を理(わり)無くも引き捕らえ、ひたすらに口説く手弱女(たおやめ)は、見忘れもせぬ亀菊なれば、再び驚き、且つはばかりて、はしたなくはこれを止めず、うやうやしく近づいて、
「こは椋橋(くらはし)殿にて御座(おわ)せしな。何故にその者を、いたく苦しめたまうにか」と云えば、亀菊気色を変えて、
「誰なるらんと思いしに、為楽院の桜戸か。わらわは、俄(にわ)かに右の手の、痺(しび)れて痛むに詮方無く、此の聖に逢ったは幸い、加持を頼んで居(を)るものを、そなたの構(かま)う事には非ず」と云うに、桜戸微笑んで、
「今だ知ろし召されずや。そは我が夫の軟清なり。例え加持に召されるとも、司(つかさ)々のことわり無くて、参るべき事にはあらず。まいて、かかる物詣での道にて、近づき奉らば、人聞き悪く後難あらん。いざ、こちの人帰りたまえ。長居は恐れにはべらずや」と云いつつ、自ら引き立てて、麓の方へ急ぎけり。ここに至って亀菊は、その美僧を桜戸が夫軟清なりけりと、初めて悟ってうち驚き、且つ恥じ、且つ憤(いきどお)りに耐えざれは、残り惜しさも一入(ひとしほ)なれども、飛ぶ鳥だにも落ちると云う、我が勢いにも詮方無きは、道ならぬ恋なるをもて、争い難く、おめおめと放ちやりつつ、うっとりと、しばしそなたを見送りしが、さてあるべきにあらされば、その夕暮れに都(みやこ)へ帰りぬ。
※女御(にょうご):①天皇の寝所に侍した女性。平安中期以降、女御から皇后を立てるのが例となった。 ②上皇・皇太子の妃。
※下向(げこう):①高い所から低い所へ下りて行くこと。②都から地方へ行くこと。
※懸想(けそう):異性に思いをかけること。恋い慕うこと。
※長女(おさめ):平安時代、宮中で雑用をした身分の低い女官。
※宰領(さいりょう):①多くの人を取り締まること。監督すること。②中世以降、荷物運搬などの仕事をする者を監督し取り締まること。また、その人。
※割無く:道理なく。訳なく。
※止んごとなき:主に、高貴の身であるという意味の古語。

 これよりの後、亀菊は、只、軟清が事を忘れんとするに忘れられず、しきりに悶(もだ)え憧れて、御宮仕えも物憂(う)さに、しばらく病に託(かこ)つけて、引き籠もりてぞ居たりける。ここに又、陸船(くがふね)と云う女鍼(はり)医あり。此の年頃、大内なる局々へ参りしに、勢い付いて利を計る、世にたくましき女なれば、いつしか亀菊に諂(へつら)って、後には他の局へ行かず、これにより亀菊は、全て内証(ないしょう/内々)の用向きをば、陸船にのみ委(ゆだ)ねしに、萬(よろず)に才覚ある者にて、何事をも良くせしかば、亀菊深く愛で喜んで、彼女が夫を尋ねしに、富安舳太夫(とみやすへたいふ)と云う浪人にて、東山の方ほとりに童の手習い師匠となって、かすかに暮らすと聞こえしかば、亀菊遂に取り立てて、此の舳太夫を、局付きの雑掌(ざつしょう/雑務役)にぞしたりける。
 この故に、陸船夫婦は常に亀菊のほとりを離れず、いよいよますます媚諂(こびへつら)って、出頭してぞ務めける。かかりし程に陸船は、亀菊が人にも告げぬ物思いある気色を推(すい)して、人無き折をうかがいつつ、ほとり近くに進み寄り、
「いかなる事のはべりてか。物思わしく見えさせたまうを、などて、わらわに隠させたまうぞ。世に為し難き事なりとも、あわれしおわせはべらんものを」と恨み顔して囁くにぞ、亀菊にっこと打ち笑みて、
「さては薄(すすき)の穂にやいでけん。そなたに包むべくもあらず。我が物思いはしかじかぞ」とて稲荷山にての事のおもむき、一部始終を告げしかば、陸船聞いて小膝を進め、
「かの桜戸が、その始め、女武者所に在りし時、わらわとは疎(うと)くもはべらず、今も折々療治の為には、為楽院へ行きはべれば、計るにさのみ難くもはべらず。まづ舳太夫をも呼ばせたまえ。談合すれば良き知恵いでん」と云うに、亀菊喜んで、その夜又、陸船と舳太夫を呼び近づけて、事の機密を示しつつ、「計り事もやある」と問うに、舳太夫頭を傾けて、妻の陸船諸共に、肝胆(かんたん/胸中)※を吐き、額(ひたい)を合わして、密談時を移しけり。
※肝胆(かんたん):①肝(きも)と胆(い)。②心の中。真心。

○さる程に、桜戸は去(い)ぬる頃、稲荷山にて、亀菊が体たらく、いと浅ましく腹立たしきを、人に告ぐべき事にあらねば、只、胸にのみ遣(や)る瀬も無くて、十日余りを送る程に、女鍼医の陸船(くがふね)が、いと珍らかに来にければ、良き折なりと対面しつつ、
「此頃は気の結ぼれて、何となく心良からず、療治してたべ」と云うに陸船は、脈を見て、鍼を刺すこと半時ばかり、さて桜戸に向かって云う様、
「御身が病は気の方なり。療治は保養にます事無し。近頃、五条の功徳庵(くどくあん)にて、千体仏の曼荼羅(まんだら)を、いとよく織ると噂に聞きたり。いざたまえ行って見ばや」と唆(そそのか)せば、桜戸も「実(げ)にも」と思って、夫軟清に由を告げるに、軟清聞いて、
「しからんには、錦二を供に連れたまえ」と云うを、陸船聞きあえず、
「忍び歩きの事なるに、供人あっては却って悪し。わらわが伴い参らするに、何事かはべるべき」と云うに、それすら否みかねて、うち連れ立っていでて行きけり。

 此時に、日は傾いて七つには程もあらじと思う頃おいなれども、陸船は予ねてより、道にて時を移さんと、計りたる事なれば、あちこちへ立ち寄って、商人の棚の物をうち眺めなどせし程に、ようやく五条へ至りし頃、はや黄昏(たそがれ)になりにけり。
 かくてその功徳庵へ行って様子を尋ねるに、千体仏を織る事は跡形も無き空言にて、人気(ひとけ)は絶えて無かりしかば、桜戸は興を失って、立ち帰らんとする程に、陸船(くがふね)はいづち行きけん、たちまち見えずなりにけり。
「厠(かわや)を借りに行きしにや」と思えばしばらく佇む程に、既にして日は暮れたり。
 折ふし宵闇(よいやみ)なりければ、いとど帰方(かへさ)のおぼつかなさに、▼又、陸船を待つに及ばず、独りそこより道を急いで、五条の橋のほとりまで来ける時、向こうに見える提灯(ちょうちん)は、我が家の紋を付けたれば、もしやと思って近づくままに、
「そは、錦二にはあらずや」と問えば、「さなり」と答えたり、「迎えに来しか」と再び問えば、錦二は息を付きあえず、
「奥様早く帰らせたまえ。先に御身の留守の程、陸船殿より人をもて、桜戸様は途中より、俄かに痞(つか)えの差し起こり、行き悩みたまうにより、わらわが宿所へ伴って、様々に療治しはべれど、いと危うく見えさせたまえば、事の由を告げ参らする。軟清様、とくとく来まして看取りたまえ」と云はせしかば、法橋(ほっきょう)様は驚いて、我らを供に召し連れたまい、大和橋のほとりなる、陸船殿の宿所を指して、走り着きたまいしは、黄昏頃の事なりき。

 その時、陸船殿の夫なるべし、齢は五十ばかりなる、憎さげなる人が出迎え、奥へ伴い参らせて、何事やらん囁くに、旦那はそれを聞きたまわず、
「我が妻の急病なんどと偽(いつわ)りを持て、我らを引き寄せ、邪淫の取り持ちせられる事、心得難し」と宣いしを、ほのかに漏れ聞きたるにより、その偽りは知られたり。
 こは只事に非(あら)ずと思えば、その宿所を走りいでて、五条と聞しを心あてに、告げ申さんとて参りしなり」と云うに、桜戸驚き怒って、「さらば急げ」と云うままに、錦二が遅れん事を思うて、その提灯を自ら取って、ひたすらに走る程に、四条河原のほとりにて、いと重たげなる葛篭(つづら)を背負って頬冠(ほうかむり)せし一人の武士に、端なくも行き会いしに、彼は灯(あかし)を厭(いと)うとおぼしく、たちまち道を横切って、避けんとしたる葛篭(つづら)の内より、帯の端の下がりしを、桜戸目早くきっと見るに、綾(あや)の織り出し染色まで、よく軟清が帯に似たれば、
「曲者(くせもの)待て」と呼び掛けて、葛篭をしかと引き止めれば、かなたも早く身をひねり、刀を抜かんとするところ、桜戸すかさずつけ入って、脾腹(ひばら)をはたと当てしかば、「あつ」と叫んで打ち下ろす、葛篭と共に倒れけり。

 桜戸得たりと走りかかって、蓋を開けんとする程に、頭巾(ずきん)に面を隠せし女、後ろの方より走り来て、ひらりと引き抜く懐剣の、光りに桜戸身を沈まして、空を討たせし早速(さそく)の働き。その暇に倒れたる、かの曲者(くせもの)も身を起こしつつ、葛篭(つづら)を捨てて斬ってかかるを、桜戸はあちこちとかい潜り、生け捕らんと思いしかども、身に寸鉄(すんてつ/小刀)を帯びざれば、小石を掴(つか)んではらはらと、うち出す手練(しゅれん)の礫(つぶて)に、男女の曲者打ちしらまされ、叶わじとや思いけん。跡をくらまし逃げ失せたり。桜戸これを追わずして、捨て置きたりし葛篭の紐を引き解いて、蓋をかい取れば、内より出づる優(やさ)法師は、果たしてこれ桜戸が夫軟清なりし事、なおつぶさには次に見えたり。

 その時、軟清は葛篭の内より立ちいでて、呆然(ぼうぜん)として辺りを見返えり、
「思いがけなや桜戸は、いかにしてか、我が此の難儀を早くも救いたまいたる。そも又、ここはいづこぞや」と問えば桜戸、
「さればとよ、先にわらわは陸船に、欺(あざむ)かれつつ五条まで、かの曼荼羅を見に行きしに、跡形も無い空言にて、陸船はその黄昏に小路隠れ(こうじかくれ/雲隠れ)※をしてければ、独り疑い迷いつつ、立ち帰らんとする程に、錦二が御身の供先より、わらわを尋ねて来つるに会いぬ。これにより、かやつ夫婦が深くも企みし事のおもむき、大方ならず聞こえしかば、飛ぶが如くに陸船が宿所を指して来る折から、怪しき葛篭を背負うたる、曲者に出会いしに、葛篭の蓋の間(あわい)より、垂れ下がりたる帯の端は、見紛(みまが)うべくもあらざりし、御身の帯に似つるにより、「曲者待て」と引き止めて、挑み争うその程に、一人の女走り来て、懐剣ひらりと引き抜いて、かの曲者を助けつつ、わらわを討たんとしたれども、叶わじとや思いけん、遂に葛篭をうち捨てて、両人共に逃げ失せはべりき。思うに葛篭を背負いしは、かの富安舳太夫にて、後より来つるは陸船ならん。しからば御身は囚(とら)われて、葛篭の内に御座(おわ)するならんと推量せしに、露違(たが)わで、端なくここにて取り返したる喜ばしさよ」と物語れば、軟清も又、舳太夫に欺(あざむ)かれたる、事のおもむき、かようかようと告げ知らせ、
「かの舳太夫が、有無を云わさで、我らを葛篭へうち入れて、此宵闇に背負い出せしは、人知れず亀菊殿の局へ伴う為なるべし。しかるを御身に救われしは、我が運命の尽きざるところか。我もしかしこへ虜(とりこ)とならば、慰(なぐさ)み者となるのみならず、命も遂に絞り取られて、再び会う日の無からんに、今に始めぬ事ながら、御身の手並みは武士にも勝れり。しかるを舳太夫、陸船らが叶うべきことかは」と云うを、桜戸押し止めて、
「ここは途中の事にして、舳太夫らが家路に近し。詳しい事は宿所にて、聞きもせん、云いもせん。いざ諸共に」と急がす折から、錦二もようやく追い着きければ、いざとて提灯下げさせて、仇を恐れぬ勇婦の振る舞い。夫を守って二鞘(ふたさや)★の家路を指して帰りけり。
※小路隠れ(こうじがくれ):①しばらく他所に雲隠れすること。 ②かくれんぼ。
★二鞘の(ふたさやの):二本の刀を入れるようになっている鞘は間に隔てがあることから、「隔つ」にかかる。

○さる程に、桜戸はその夜もすがら思う様、
「・・・・亀菊殿は殊更(ことさら)に、素性卑(いや)しき者なりければ、行い様の正しからぬも、さあるべき事ながら、勢い高き今にして、そを咎むるべき由も無けれど、陸船はこの年頃、親しく交わりたりけるに、此の度の振る舞いは、人たる者の業ならんや。かやつ夫婦を引き捕え、思いのままに責め懲らさずば、又、此上にいかばかりの企みを成さんも計り難し。要こそあれと心には、思うものからしかじかと、夫に云わば止められん、よく責め懲らして後にこそと、思案をしつつ次の日より、物詣でにかこつけて、東山なる陸船が宿所に行って会わんと云うに、彼女(かのおんな)は居(お)ること無く、その夫舳太夫すら、此の頃は椋橋(くらはし)殿の御用に暇無きをもて、家に居る日は稀なりとて、留守居の下部のみ居たり。
「さては彼らは我を恐れて、院の御所へや参りけん。亀菊殿の局の内に、深く隠れて居(を)るにもせよ、いつまでか帰らで在らん。出し抜いて、不意に来れば会わずと云う事あるべからず」と思案をしつつ、何とも云わで、その日は宿所に立ち帰り、これよりの後、三四日づつ間を置いて、彼らを訪(と)ひしに、▼その行く毎に陸船夫婦は、まだ帰らずと聞こえしかば、所詮途中でいで会わずば、会う事いよいよ難かるべしと思いにければ、その後はなお又、事に託(かこ)つけて、都の内をあちこちと、折々いでて歩けども、陸船も舳太夫もいよいよ隠れて影だに見せず、軟清は桜戸が、近頃しばしばいで歩くを、心得がたく思いしかば、人無き折に囁く様、
「御身は日頃、花見遊山(ゆさん)に出歩く事など、さのみは好みたまわざりしに、去(い)ぬる日我が身に事ありしより、ややもすればあちこちと漫ろ歩きをしたまうは、もし陸船らに、在りし夜の恨みを返さん為にはあらぬか。しからんには、毛を吹いて瑕(きず)を求むる類いなるべし。かの輩(ともがら)は亀菊殿の腹心の者にあらずや。例えこなたに理ありとも、亀菊殿に憎まれなば、その理は遂に非にこそならめ。只うち捨てて置きたまえ」と託言(かごと)かましく諌(いさ)めたる、夫の言葉は不甲斐(ふがい)無けれど、道理(ことわり)無きにあらざるに、桜戸は陸船らを尋ねわびたる折なれば、事ようやくに思い返して、これより心も緩みつつ、又、尋ねんともせずなりしに、深草より花殻の妙達が訪い来て、酒飲み遊び暮らす事、早や両三度に及びしかば、桜戸はこれにまぎれて、かの憤(いきどお)りも何時(いつ)となく忘れし如く日を送りしに、かの花殻に訪われし事も、再び三度に及びしを、せめて一度は訪れて、かしこの安否を問わばやと、思えば由を夫に告げて、錦二を具して、深草なる尼寺へとて行く程に、妙達がこなたへとて、出でて来つるに行き会いけり。

 互いにしばし立ち留まり、つつが無きを祝しつつ、桜戸は我が宿所へ伴わんと云いつれ共、妙達は又、桜戸がたまたま訪わんと思いし由にて、道までいでし事なれば、今日は此のまま我が庵(いおり)へ伴うべしとて誘(いざな)いつつ、遂にそこより取って返して、うち連れ立って、深草なる成仏寺を指して行く程に、年は三十余りにて、旅やつれせし一人の女、桜戸が先になり後になりつつ、これも又、深草の方におもむく程に、「今日のみと、見るに涙の増鏡、馴れにし影を、人に語るな」と云う歌を、幾度と無く繰り返して、ひたすら嘆息したりしかば、桜戸これを聞き咎め、心の内に思う様、
「・・・・あの女が吟ぜし歌は、昔三河の前司大江の定基(さだもと)※、年頃、逢い慣れたる女の、病んで空(むな)しくなりけるを、いとう悲しみ嘆いて、世を捨てばやと思いし折、いづことは無く貧しき女が鏡を売らんとて、もて来しかば、定基取ってこれを見るに、一首の歌を書いたりけり。その歌は、今あの女が吟ぜしと相同じ、これらの由は我が夫が折々に読みたまう沙石集(しゃせきしゅう)※に見えたれば、傍(かたへ)聞して我さえ知れり。しかるに彼女、今ひたすらにその歌を吟ずる事、故こそあらめ」と思うにぞ、たちまちに呼び止めて、
「いかにそなたは何の故に、古歌をしばしば吟ずるぞ。もしや年頃秘蔵する、鏡を売らん為ならずや」と問われて女は驚きながら、うやうやしく小腰をかがめ、桜戸にうち向かい、
「御推量に露(つゆ)違(たが)わず、親の形見の鏡あり。又、一振りの短刀あり。身の方便(たつき)無きままに、売らばやと思えども、さすがに卑しき者の手に、渡す事の口惜しさに、明らさまには告げずして、沙石集なる歌を吟じて洛中をさまよい歩き、歌の心をよく知って買わんと云う人があるならば、その人にこそ売り渡さめと、思いにければ五七日、かたの如くに呼び歩けども、何ぞと問う人無かりしに、賢うも我が売り物を知られぬるぞ、喜ばしき」と云うに、桜戸うなずいて、
「その売り物は、いづこにあるぞ」と問われて、女は忙わしく背中に負いし、風呂敷包みを解き下ろし、うち開き、まづその鏡をい出しつつ、「これではべる」と差し寄せるを、桜戸取ってよく見るに、直径(わたり)は七寸ばかりにして、裏には波に兎を鋳(い)たるが、その良く物を照らす事、月の如く氷に似たり。又、短刀を出させて見るに、長さは九寸余りにして、焼き刃の匂い、得も云われず、哀(あわ)れ得難き切れ物ならんと、思うに手さへ離しかね、又、かの女にうち向かい、
「値安くば二品共に、わらわが買わんと思うなり」と云うに、女は喜んで、
「只今も申せし如く、値良く買う人ありとも、麦をも豆をもわきまえぬ心無き輩(ともがら)の者とせんが口惜しさに、人さえ選みし事なれば、五十金にもなるべき物の、今その半(なか)ばを引き下げて、一品を十五づつ、三十両にて売りはべらん」と云うに、桜戸頭を傾け、
「そはそれ程の物もあらんが、わらわも女子(おなご)の事なれば、余りに値貴(たっと)くては、夫にも告げ難し。一品を十両づつ、二十両にて売るならば、異議なく買わん。いかにぞや」と押されて女も小首を傾け、
「そは又、あまりに安くはべれども、わらわも俄(にわ)かに入用の事しもあり、詮方無く秘蔵の品を売る仕儀なれば、欲を離れて参らせん。せめての事に壱両増して、涙金としたまわれかし」と云うに、桜戸うなずいて、
「さばかりの事ならば、ともかくもして取らせんが、そもそもそなたは何処(いずこ)の人ぞ。鏡も剣(つるぎ)も昔より、持ち伝えしに相違無きや」と問うを、女は聞きあえず、
「そは云われるまでもはべらず、わらわは鎌倉の者にはべるが、うち続きたる仕合わせ悪くて、夫に後れ子を先だてて、寄る辺の島も無き身ながら、此の都にはちとばかりの縁(ゆかり)の人の在るにより、身の片付きを頼まんとて、遥々(はるばる)上りし甲斐も無く、その人は去年(こぞ)の春身罷りにきと聞こえしかば、進退ここに極まって、いづち行かんも路用は尽きたり。
※大江定基(さだもと):平安時代中期の僧。円通大師の号をおくられ、詩文にすぐれ、藤原道長らと書状をかわした。通称は三河入道。
※沙石集(しゃせきしゅう):鎌倉時代の僧無住の編集した説話集。梶原氏の出と云われる。

 世に詮方の無きままに、身にも替えじと思いぬる、此の二品を売り代なして、又、鎌倉へ帰るなる。心細さを察したまえ」と云いつつ、涙を押し拭えば、さこそと思う桜戸も、そぞろに哀(あわ)れをもよおして、「さらば値を取らせんに、わらわと供に来よかし」と云いかけて、忙わしく妙達にうち向い、
「只今知られる訳なれば、わらわはあの女子(おなご)を連れて、▼宿所へ戻り、値を取らして、後より御寺へ参るべし。御身は先へ帰らせたまえ」と云うに、妙達空うち仰ぎ、
「既に日陰も回りたり。しからば今日はここにて別れて、又、遠からず訪れはべらん。御身も今日は宿所に帰って、又、近き日に出直したまえ、今日のみに限ることかわ」と云うに、桜戸否みかね、
「しからば仰せに任せはべらん。由なや物を買わんとて、ここにて別れる本意(ほい)無さよ」と云うをば聞かで、妙達は立ちくたびれし事なれば、暇乞いすらそこそこに、別れて寺へぞ帰りける。

 その暇にその女は、手早く鏡も短刀をも、錦の袋に押し入れつつ、又、風呂敷に引き包めば、桜戸は先に立って、やがて宿所へ伴いつつ、さて軟清に由を告げるに、その身は婿の事なるに、年頃、萬事(よろづ)の賄(まかな)いも妻に任せる事なれば、いささか拒む気色も無く、
「御身が愛づる物ならば、とく買いたまえ」と云われるに、桜戸は嬉しくて、さてその値を取らせつつ、かの二品を買い取りければ、その女は喜んで、旅宿へとてぞ帰りける。
 さる程に、桜戸は鏡と剣を、袋より徐(やお)ら出だして取って見つ、或るいは掛けて眺めるに、初め見しにはいや増して、世に稀(まれ)なるべき宝なれば、愛で喜んで思う様、
「・・・・先つ頃、一院より亀菊殿に賜(たまは)りし宝剣は、目出度き物ぞと世の風聞に聞きたれども、今日求めたる短刀は、をさをさそれにも劣らじ物を」と、一人心に誇りつつ、さて軟清にも見せしかど、武具を嗜(たし)める者ならねば、さのみはよくも見ざりけり。

 かくて、その明けの朝、椋橋の局より走り使いの雑色(ざっしき)来て、
「亀菊殿の仰せなり。桜戸は近き頃、良き鏡と短刀を、求められしとほのかに聞きぬ。こなたにもさる物あれば、いづれが劣るや優(まさ)れるや、比べて見んと思うなり。さぁさぁ持参あるべし」と、俄かに下知を伝えしかば、桜戸深く訝(いぶか)って、
「・・・・・我、かの品を買い取りしは、僅かに昨日の事なるに、亀菊殿はいかにして、早くもそれを知られけん。心得難き事なり」と思えども、今更に隠すべき事にもあらぬを、我が身の女武者所にはべりし時は、かの人の手に付いて勤めたることしもあれば否むに由無く、下知のおもむきしかじかと、軟清に▼告げ知らせ、俄かに衣装を整えつつ、その使い諸共に、かの局へぞ参りける。

 その時、一人の老女いでて、「いざ、こなたへ」と案内(しるべ)しつつ、広き屋敷に伴いしが、椋橋殿はここに御座(おわ)さず、かなたにこそと先に立って、又、幾間をかうち過ぎつつ、いと奥深く伴いしが、「否々(いないな)、ここにも御座(おわ)さぬなり。必ずかしこに御座(おわ)すならん」と云いつつ、再び先に立って、いよいよ奥へ誘(いざな)う程に、三十五畳敷き渡したる一間の内へ伴って、「しばらくここにて待ちたまえ。只今、御いであるべきに」と心得させて、その老女はそのまま走り去りにけり。

 桜戸は携(たずさ)え来つる、かの鏡と短刀を手に持って、膝にうち乗せて、亀菊が出でて来たるを、今か今かと待つ程に、何心無く辺りを見るに、南面(おもて)に上段あり、そこには御簾(みす)を掛けられたるが、左の柱に一面の鏡を掛けて辺りを照らせり。只右の柱には、鏡掛けの釘のみあって、それには鏡を掛けられず、その上段の正面に、岩戸壷(いわとのつぼ)と印(しる)したる大字の額を掛けてあれば、桜戸大きに驚き、
「此、岩戸壷と云えるは、一院万機(ばんき)※の政治(まつりごと)を聞(きこ)し召す所にして、ただ人の参る所に非ず。あの老女は何故にここへは伴いたるやらん。そぞろなりき」と恐れ迷って、退(しりぞ)きいでんとする程に、思い掛け無き後ろの方に、亀菊は早やうち見て居(を)り、たちまちに声を掛けて、
「桜戸は、何の為にここへは漫(そぞ)ろに参りしぞ。しかも剣(つるぎ)を携えたるは、逆心あっての事ならん」と云いつ、向かいをきっと見て、
「あら不思議なる事こそあれ。高御座(たかみくら)に掛けられたる、日月の御鏡の月の方の無くなりしは、察するところ、桜戸が盗み取れるにあらんずらん」と云われて、桜戸
「こは、いかに」と、いよいよますます驚きながら、悪びれもせず膝まづき、
「御局様の仰せなれども、そは事違(たが)えにはべるべし。わらわは昨日ゆくりなく(思いがけなく)、この鏡と短刀を、ある女より買い取りしに、何人の告げ申せしにか、御身の御覧あらんとて、携え参るべき由の御使いを受けしかば、取るものも取りあえず、きさき待(?)★まで参りしに、年は五十路余りの一人の老女が、案内(しるべ)して、この所へ誘(いざな)いてはべりしが」と云わせもあえず、亀菊は柳の眉を逆立てて、
「さて企みたり、こしらえたり。わらわはそもじ(そなた)※を呼ばせんとて、使いを遣(や)りし事は無し。又、我が使う長女(おさめ)などに、年寄りたるは一人も在らず。その使いの名は何と云いつる、老女は何と云う者ぞ」と問い詰(なじ)られて、桜戸は
「否、使いの名は聞きはべらず。老女も何と云う人やらん。その名は知らずはべるかし」と云うに、亀菊あざ笑い、
「実(げ)に盗人の猛々(たけだけ)しさよ。誰か在る。此曲者を、さぁさぁ絡め捕らずや」と激しき下知も権威の一声。その手に従う、女武者の采女(うねめ)ら早く聞き付けて、承りぬと八九人、群(むら)立ちかかって走り来つ。有無も云わせず桜戸を、手取り足取り押し伏せて、押えて縄を掛けてけり。
※万機(ばんき):政治上の多くの重要な事柄。
※そもじ:〔「そなた」の文字詞。中世以降女性が用いた〕二人称。あなた。

 その時、亀菊再び下知して、桜戸が持ちたりし、かの二品を検(あらた)めさせるに、鏡はすなわち、高御座(たかみくら)の右の柱に掛けられたる、月形の御鏡にて、裏には波に兎あり。又、短刀は亀菊が一院より賜りたる浮根鳥(うきねとり)の御剣(みつるぎ)なれば、
「一方(ひとかた)ならぬ盗賊なり」とて、かの二品を差し添えて、罪のおもむきを書き記させ、時を移さず仕丁(下僕)※をもて、検非違使※へ引き渡しけり。
※仕丁(しちょう):平安時代以降、貴族などに使われ雑役に従事した者。下僕。
※検非違使:平安初期に置かれた、令外の官の一。京中の非違・非法を検察する役。

 かくて検非違使の尉(じょう)※山城之介照道(やましろのすけてるみち)、桜戸を受け取って、事の子細を責め問うに、桜戸は有りしおもむき、かようかようと云い説けども、鏡と短刀を売りしと云う、女の名所(ところ)定かならねば、その言い訳は立ち難し。
「なお此上は、夫軟清をも召し捕って詮索すべし」と云われるに、桜戸深く打ち嘆き、
「軟清はこれらの事を、始めより少しも知らず、夫婦の間も睦(むつ)まじからねば、軟清に問わせたまうとも、真の事は申しはべらじ。とにもかくにも我が身一つの罪として、定めたまえかし」と思い入りて申すにぞ、照道やがて此由を、亀菊に告げしかば、亀菊聞いて
「さもあらん、軟清をばうち捨て置いて、只桜戸を詮索せられよ。罪人の多くいで来るは、益無き事ぞ」と答えしかば、照道この義に従って、桜戸が罪を定めしかども、今は都の事と云うとも、武家の判断に寄らざれば、執り行う事容易からず、これによって照道は、桜戸が罪のおもむき、かようかようと書き記して、六波羅へ引き渡しけり。
※尉(じょう):律令官制の四等官の一つである判官(じよう)のうち、衛府・検非違使の官職に当てる用字。

 されば鎌倉より付け置かれし伊賀判官光季(いがのはんがんみつすえ)、桜戸を引き出ださせて、罪のおもむきを糾明するに、桜戸は、かの鏡の事、短刀の事より、始めて亀菊に呼ばれたる、その事はかようかよう、又、思わずも岩戸の壺に誘(いざ)なわれたる体たらく、取り次ぎの老女の事はかようかようと落ちも無く、つぶさにこれを告げると云えども、鏡と短刀を売りしと云う、その女は定かならず、又、取次ぎの老女の事も亀菊これを知らずと云えば、▼とてもかくても罪は逃れず、なお又、詮索すべけれとて、そのまま牢屋(ひとや)に繋(つな)がせ置いて、光季(みつすえ)つらつら思案をするに、桜戸が申すおもむき、させる証拠は無しと云えども、さながら無実の咎(とが)に似たり。
 かの亀菊殿が一院の御寵愛を得たりしより、己(おのれ)に諂(へつら)う者をば取り立て、心に逆(さか)う者とし云えば、罪無くて咎を負わせる。これ今の世の慣(なら)わしなれば、了見(りょうけん/熟慮)すべき事なりとて、すなわち罪を定めて曰(いわ)く、
「桜戸が法を犯して、岩戸の壺へ入りし事、その罪軽きにあらねども、月形の御鏡と浮根鳥の短刀を、まさしく盗み取りしとも定め難し。いかにとなれば、彼女もし盗みし者ならば、うかうかとして、その所に久しく居(を)る事あるべからず。かかれば盗人に似たる罪と岩戸の壺へ迷い入りたるこの二つの咎をもて、佐渡の国へ流すべし。これ相当の刑罰に候べし」と聞こえ上げしに、亀菊もこの事は、己に理ある義にもあらぬに、六波羅の判断を押し破らんもさすがにて、又云う由も無かりけり。

 これにより光季は、又、桜戸を引き出ださせて、佐渡の国へ流し遣わす、罪のおもむきを言い渡し、縛(いまし)めの縄を解き許して、背(そびら)を二十杖(はたつえ)鞭(むち)打たせ、さらに首枷(くびかせ)を掛けさせて、足高蜘蛛平(あしだかくもへい)、戸蔭の土九郎(とかげのどくろう)と云う、二人の走り使いをもて、佐渡の国へぞ送り遣わしける。

 さる程に、蜘蛛平、土九郎は、佐渡の国造(くにづこ)本間の太郎へ、六波羅より下知せられる送り状を受け取って、まづ桜戸を六波羅の門外へ引きいださせし折、為楽院の軟清は、今日桜戸が佐渡の国へ流される事の由を、ほのかに伝え聞きしかば、下部錦二を相具して、今朝よりここに待ちて居(を)り、桜戸がいづるを見るより、かの蜘蛛平、土九郎には、一包みづつの銀子を贈って、しばし別れの暇(いとま)を乞い受け、涙と共に桜戸を辺りの茶店へ誘(いざな)い入れて、只さめざめと泣きけるが、ようやくに頭をもたげ、我が妻およそ御身の無実の罪は、誰とて知らぬ者は無けれど、その言い訳の立ち難きは皆かの人の故にして、命も既に危うしと聞こえし時は、諸共に死なばやとのみ思いしに、なお空蝉(うつせみ/現世)※の息の内に、かく面(おもて)を合わする事、いと喜ばしと思うにも、又、悲しきは会う事を、何時(いつ)と定めぬ生き別れ、今より御身に捨てられて、我が身は何となるべきと、云う声胸に詰まらして、しきりに涙を押し拭えば、錦二も瞼(まぶた)を擦り赤らめて、返らぬ事を繰り返す。鴫(しぎ)の羽根垣(はねがき)、たつ鳥の、別れを共に惜しみけり。桜戸も湧き返る、涙に胸は苦しけれど、もとより雄々しき性(さが)なれば、夫を諌(いさ)め励まして、
「とてもかくても別れては、会う事難き妹と背(いもとせ/夫婦)※の、縁(えにし)も今日を限りと思うなり。暇(いとま/離縁)の状を書きてたべ。しからざれば亀菊殿の心は遂に安からで、わらわが命の危(あや)うかるべし。さぁさぁ状を書きたまえ」と云うに、軟清頭をうち振り、
「そは思いがけも無き事を云われる、うたてさよ(情けなさ)。御身は家の娘にして、我は弟子なり、又、婿なり。さるを御身に咎も無く、暇の状をやる由あらんや。この事のみは従い難し」と否むを、桜戸押し返し、
「宣(のたま)う由はさる事ながら、御身と縁を切らざれば、亀菊殿の憤(いきどお)りは、いつまでも執念くて、遂にわらわは殺されなん。これらの訳を汲み取って、只速やかに去り状を、たまうが我が身の為なれば、まげてさぁさぁ書きてたべ」と云うに軟清、詮方も無く泣く硯(すずり)を借り寄せて、涙と共に磨(す)り流す、妹背(いもせ)の縁も薄墨(うすずみ)に、書くぞ苦しき三下り半、これ一生の別れとは、知るや知らずや白紙(しらかみ)も、落つる涙に濡れ衣(ぎぬ)の、無き世をかけし暇乞(いとまご)い、行って帰らぬ水杯(みずさかずき)も、深き嘆きに掻(か)き暮れて、思わず時を移しけり。
※空蝉(うつせみ):この世の人。現世。 ※妹背(いもせ):①夫婦。 ②兄妹。姉弟。
※転し(うたてし):①嫌だ。感心しない。情けない。②気の毒だ。

 されば此軟清は、女子(おなご)めきたる顔容(ばせ)の、玉を欺(あざむ)く美僧なれば、世に白玉の軟清とて、手弱女(たおやめ)らにさえ知られしかども、身の行いは物堅くて、胸いと狭き者なりければ、桜戸に別れしより一人くよくよ打ち嘆き、病の床に臥したりと、程経て後にぞ聞こえける。

○これはさて置き、足高蜘蛛平、戸蔭の土九郎らは、軟清が賄賂(まいない)を得てければ、▼彼が暇乞いをするその程は、茶店の主人に心得させて、桜戸を預け置き、おのおの宿所へ走り帰って、取り忘れたる物などを、携(たずさ)え行かんとする程に、金乃蔓屋(かねのつるや)と呼ばれたる料理酒屋の男来て、
「誰様かは知らねども、御身に対面せまほしとて、我らが二階にうち上り、先より待ちて居(い)たまえり。土九郎主をも招きくれよ。いづれも暇を取らせはせじ、さぁさぁと急がせたまえば、行く手の序(ついで)良きままに、戸蔭主へはこれらの由を、既に通達仕りぬ」と云うに、蜘蛛平眉をひそめて、
「そは誰なるらん。心得難し。とまれかくまれ自(みずか)ら行かずば、疑いは解け難かるべし、いざ」とてやがてうち連れ立って、金乃蔓屋へおもむけば、その門辺(かどべ)にて土九郎らも又、招(まね)かれて来つるに会いぬ。

 その時、互い(かたみ)にしかじかと、立ちながら囁き告げて、その男に案内(しるべ)をさせて、等しく二階へうち上れば、いと奥まりたる座敷の内に、齢(よわい)五十路余りなる一人の武士が待ちて居(を)り。元より見知らぬ人なれば、二人は進みかねたるを、かの武士早くこれを見て、
「足高主、戸蔭主、まづ此方(こなた)へ」と座を立って、上座(かみくら)へ押し据えける。程しも置かで、下屋より酒肴を持て来つつ、所狭きまで置き並べるを、その武士は蜘蛛平と土九郎らがほとり近く差し寄せて、「両君(くん)、これは寸志なり。まづ杯を上げたまえ」と云うに、両人頭を撫でて、
「それがしらは見忘れたるか。君をいづれの人とも覚えず、しかるをかくまで待遇(もてなし)たまうは、故(ゆえ)こそあらめ」と云いも果てぬに、かの武士にっことうち笑みて、
「それらの由は、只今告げん。まづ杯を上げたまえ」とひたすら勧(すす)めて止まざれば、蜘蛛平も土九郎らも、再び問うに及ばずして、そのもてなしを受ける程に、その武士は懐(ふとこ)ろより、二包みの金を出し、又、両人のほとりに差し置き、
「おのおのこれを受納したまえ」と云いつつ、声を潜(ひそ)まして、
「数ならねども★、それがしは亀菊殿の雑掌(ざつしょう)にて、富安舳太夫と呼ばれる者なり。此の度おのおのの送り行かれる桜戸が事に付いて密義あり。かの女は我が主君の深き恨みある者なり。これにより、道中にて桜戸をうち殺し、その証拠として、かの者の面の皮を削(そ)ぎ取って、実見(じつけん)に入れたまわば、なお幾何(いくばく)も褒美あらん。かの桜戸は左の方の頤(おとがい/下あご)に黒子(ほくろ)あり。それを証拠の為なれば、面の皮を削ぎ取って、御目にかけなば、おのおのに偽りの無き程は知られん。さぁさぁこれを収めたまえ」と欲より誘(いざな)う二包みの、金をしきりにすすめけり■   

<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>


けいせいすいこ傳 第二編之四
曲亭馬琴著 歌川国安画
丙戌新板 鶴喜版

その時、土九郎は頭を振って、
「否、その事は叶うべからず。六波羅殿より桜戸を佐渡へ送り届けよと、仰せつけられたりけるに、道にて殺して事顕れなば、これ我々が難儀にならん」と云うを、蜘蛛平聞きあえず、
「戸蔭、さりとは飲み込み悪し。道中にて人知れず、桜戸をうち殺し、病死と云い立て帰り参らば、誰が真とせざるべき」と云うに、舳(へ)太夫喜んで、
「足高主、いさぎよし。万事、手違い無きように、何分(なにぶん)頼み参らする」と云いつつ贈る二包みの金を両人受け納め、
「富安主、心安かれ。遠からず吉相を告げ申さん」とひそめき囁き、又、杯を巡らして、思わず時も移りしかば、舳太夫は手を打ち鳴らして、以前の男を呼び寄せて、酒肴の値を取らせて、三人ひとしく座を立ちつつ、門辺(かどべ)にいでて舳太夫は、蜘蛛平、土九郎らに引き別れ、己(おの)が宿所へ帰りけり。

○かくて蜘蛛平、土九郎らは、元の茶店におもむいて、桜戸を急がしつつ、追っ立て追っ立て近江路より北国指して旅立ちけり。
 されば軟清、錦二らは、逢坂の関のこなたまで、見え隠れに送り行きしが、さてあるべきにあらざれば、泣く泣く家路に帰りけり。
 さる程に蜘蛛平らは、その日は僅かに三四里にして、坂本の在家に宿取り、明けの朝は未きに発って、しきりに道を急げども、桜戸は背中(そびら)を打たれし、笞(しもと/鞭)の傷痛み出て、行き悩みつつ進みかねるを、蜘蛛平、土九郎ら、或るいは罵り、或るいは嘲(あざけ)り、口に小言は絶えねども、桜戸は露ばかりも彼らに逆う事を云わず、心ばかりは急げども、とにかく道の捗(はかど)らで、この日は七里ばかりにして、とある里にぞ宿りける。

 此の時までは、定まりたる旅籠屋(はたごや)は稀(まれ)にして、旅人を宿するものの、風呂を焚(た)く事も無く、多くは木賃(きちん)のみなれど、流人を送る公(おおや)け人には、旅籠賃を取る事無く、又、饗応(もてなし)もせざりしかば、蜘蛛平らは荷を解き下ろして、一つ座敷に疲れを休め、煮え湯を盥(たらい)に汲み入れさせて、竹縁(ちくえん)の元に差し置き、さて、桜戸を呼び起こして、「洗足を使え」と云う。
 桜戸は疲れ果てたれば、首枷(くびかせ)を掛けられたるそのままに倒れ伏して、息もせでいたりしに、蜘蛛平らが情けらしくしか云うを打ち聞いて、
「そは、かたじけ無くはべれども、わらわはいたく疲れし上に、首枷が邪魔なれば、足を洗うも自由ならず。只このままにて眠るべし」と云うを、蛛平聞きあえず、
「しからば我らが洗って得させん、さぁさぁここへいでたまえ」と云うを、桜戸押し返し、
「それは余りにはばかりなり。只打ち捨てて置きたまえ」と否むを、蜘蛛平聞きあえず、
「それは益(やく)無き遠慮ぞかし、▼旅は路連れ世は情け、何かは苦しかるべき。さぁ来て洗いたまえかし」と、しきりに云うて止まざれば、桜戸遂に否みかね、その謀り事あるを知らず、「しからば許してたまえかし」と云いつつ、ようやく躄(いざ)り出て、竹縁に尻を掛ければ、蜘蛛平は下に居(を)り、「さらば洗って得させん」と云うより早く、桜戸が足を掴(つか)んで煮え湯の中へ、たちまちどぶりと押し入れれば、桜戸は「あっ」と叫んで、矢庭(やにわ)に足を引いたれども、既に両足ながら湯膨れに腫れ上がり、その痛み耐え難ければ、元の所へいざり行き、再び倒れ伏してけり。
 蜘蛛平はこれを見て
「負ぶうをと云えば抱かろと云う、我は仏心で足を洗うてやるさえあるに、熱いの温(ぬる)いの屁臭いのと、様々の望みこぞみ★はあろう事か、あるまい事か。昔よりして流人ばらが、役人様の肩を揉み足を洗う事はあれども、役人様が流人の足を洗ってやつたためしは無きに、慈悲も情けも得知らぬ奴に、構うは損じゃ」と罵(ののし)れば、土九郎らもがやがやと、共に罵り辱(はづかし)めて、さてこの二人は、その煮え湯に、良き程に水を刺して互い(かたみ)代わりに、足の泥を注ぎ落とし、臥所(ふしど)に入りて、その宵の間より眠りけり。
★こぞみ:

傾城水滸伝 二編 之四

2013-01-11 17:36:00 | 二編
 かくて、その暁(あかつき)に、蜘蛛平、土九郎らは密かに起きて、朝飯(あさいい)を食らいし時に、桜戸はやや目を覚まして、慌(あわ)てふためき、起きいでしかども、早やその膳の過ぎたれば、今更食べる事も得ならず、その時、蜘蛛平は新しき草鞋(わらじ)を出して、桜戸に履けと云う。桜戸は、火傷(やけど)痛めば、古き草鞋を履かんとて、置きたる所を尋ねるに、隠されたか捨てられたか、そこらあたりに無かりしかば、止む事を得ず、新しき草鞋を履いてぞ発ち出ける。
 この時、文月(七月)下旬にて、残る暑さの耐え難きに、桜戸は湯膨(ぶく)れを、新しき草鞋にて擦り壊したりければ、痛みいよいよ耐え難く、ややもすれば立ち止まるを、蜘蛛平、土九郎ら追っ立て追っ立て、罵り責めて止まざるを、桜戸は侘(わ)び悲しんで、道はか行かぬを苛立(いらだ)って、
「叱りたまうは無理ならねど、わらわは実に足痛んで、速(すみ)やかには走り難し。願うは少し思いやって、静かに歩かせたまえかし」と云うに、両人嘲(あざ)笑い、「さ程に足の痛むのならば、我々が肩にかかれ。世話な奴」だと蜘蛛平は、肩を差し寄せ、手を掛けさせて、土九郎は後ろより、桜戸の腰を押しつつ、道十四五町行く程に、里遠ざかるしもと(長枝)原のほとりまで来つる時、有明(ありあけ)の月鮮やかにて、その宵未だ明けざりけり。
 その時、蜘蛛平、土九郎らは、松の株(くいぜ)に尻うち掛けて、余りに早く出でたれば、薄眠たくなりにけり。
「桜戸も休み候え。いざ、ちとばかり微睡(まどろ)むべし」とて道中の用心に、都(みやこ)より携(たずさ)え来たる、五尺余りの樫の棒を、おのおの手近く引き付け置いて、眠らんとしたりしが、両人ひとしく眼を開き、しきりに辺りを見返るにぞ、桜戸これを訝(いぶか)って、「おのおのは何故に微睡(まどろ)みはせで御座(おわ)するや」と問えば、両人
「さればとよ、眠りたくは思えども、和女(そなた)が逃げも走らんかと思えば、なかなか眠られず」と云うを、桜戸聞きあえず、
「いかでかさる事はべるべき。心置きなく眠りたまえ」と云うに、両人頭をうち振り、
「いやいやどうでも眠られず。御身を縛って置くならば、眠られる事もあるべきに」と云うは予ねての悪企(だく)み、とは知らずして、桜戸は
「それ程にまで思いたまわば、ともかくも計らいたまえ。しばしの程の事なれば」と云うに両人密かに喜び、
「しからばしばらく縄をかけ、繋(つな)ぎ置いてまどろまん。もしも覚めずば良き程に、起こしたまえ」と云いつつも、腰に付けたる捕り縄をもて、桜戸が手も足も動かぬ様に縛(いまし)めて、方辺の松に絡(から)み付け、両人棒をおっ取りて、左右ひとしく立ち向かい、
「これ、我々が心に非ず。道にて汝を密かに殺せと、亀菊殿の仰せを受けて、止む事を得ず、かくの如し。明年の今月今日は、これ汝が命日なれば、花を手向けて香を焚き、その亡き後を弔(とむら)わん。逃れぬ命と諦(あきら)めて、念仏申せ」と罵(ののし)れれば、桜戸驚き、打ち嘆いて、
「やよ、待ちたまえ、云う事あり。わらわは元より、各々方(おのおのかた)と、させる恨みのあるにもあらず。助け難きを助くるこそ慈悲とも云わめ、功徳にもならん。後世の報(むく)いを思いやり、今の命を助けたまわば、必ず恩義を返すべし」と云わせも果てず、両人は眼を怒(いか)らし、声振り立てて、
「この期に及んで、無益(むやく)の繰言(くりごと)。観念せよ」と取り直す棒をひらりと振り上げて、桜戸が眉間(みけん)をのぞんで打たんとしたる、程しもあらず、たちまち松の▼木陰より、現われ出でたる大比丘尼。「おっ」とおめいて(叫んで)鉄の杖持ち、発止(はつし)と打ち払えば、蜘蛛平も土九郎も、持ったる棒を七八間、等しくからりと跳ね飛ばされて、これはと驚き見返れば、桜戸も眼を開いて見れば、見知れる花殻の妙達がここへ来て、我が身の必死を救いしなり。その時、妙達まなこを見張り、蜘蛛平らをはつたと睨(にら)まえ、
「此盗人ども、欲に迷って人を殺さん企みより、おのれが首を用心しろ。いで、この杖を食らわせん。おのれらが棒より食いではあるぞ」と罵って、かの鹿(かせ)杖を振り上げるを、桜戸急に押し止めて、
「尼御前、しばらく怒りを収めて、わらわが云う事を聞きたまえ。此両人は始めより、わらわを殺す心無し。只、亀菊にしかじかと云い付けられし事なれば、いかでか違背(いはい)せらるべき。さるを彼らを殺したまわば、これも又無実の罪なり。まげて彼らを許したまえ」と云うに、蜘蛛平、土九郎は、いささか生きたる心地して、二人ひとしく額(ぬか)を突き※、
「只今、桜戸殿の云われし如く、亀菊殿の云い付けなれば止む事を得ず、此の婦人を害せんと致せし事、今更後悔つかまつりぬ。南無尼君活仏大菩薩、この後は露ばかりも、桜戸殿を粗略(そりゃく)無く労(いた)わって、送り行くべきに。命を助けたまえかし」と大地にひれ伏し、手を合わせ、異口同音に詫びしかば、妙達僅かに怒りを収めて、まづ戒刀を引き抜きつつ、桜戸が縛(いまし)めの縄を、手早く切り捨て、芝生のほとりにいたわり居(を)らせ、
「姉御よ。我が今、ここに来たのを、さぞ訝(いぶか)しく思われん。先に御身が、無実の罪の事の様子は聞きしかど、救う手段(てだ)ての無きままに、気を飲み揉んで日を送りしに、御身は佐渡へ流されたまうと聞こえしに、その日に会わんとて、六波羅の門前まで行きしかど、掛け違え、遂に会う事を得ざりき。しかるにその日一人の武士、この蜘蛛平、土九郎らを、金乃蔓屋へ招き寄せ、密談数刻に及びし由を、告げる者のあるにより、もし亀菊が忍びやかに、こやつらを語らわせて、御身を害する事もやと、早くも心付きしかば、我もその日に発足して見え隠れに付けて来つ。一つ所に宿取りて、密かに様子をうかがいしに、様々なる悪巧み。煮え湯をもって火傷をさせ、又、新しき草鞋を履かせて、その湯膨れを擦り壊させ、今朝は未きにここに至って、御身を欺(あざむ)き縛り置き、うち殺さんとしつるまで、我ことごとくこれを知りぬ。御身の詫び事ならざりせば、二人ながら押し並べ、脳も骨も打ち砕き、此の腹立ちを治さんに」と云うに、桜戸志の浅からぬを喜び聞こえて、
「只今も、宥(なだ)めし如く、彼らを殺したまう時は、返ってわらわが為ならず、許されしこそ喜びなれ。さても御身はこれよりして、又、いづこへか行きたまう」と問えば、妙達微笑んで、
「人を殺さば血を見るべし。人を救わば終わりを見るべし。我は御身に付き添って、配所まで送り届けん。此の痴(し)れ者※ども、桜戸殿を背負いなりとも、手を引くともして、ずいぶんと労(いた)わり助けて、我に続いて、さぁさぁ来よ」と云いつつ、やがて先に立ち、五七町行く程に、その村の取り付き※に、一軒の酒屋ありしかば、妙達そこに立寄って、うどんを打たせて桜戸にこれを食わせ、酒をも飲ませ我が身もうち飲み、蜘蛛平、土九郎にも振る舞いければ、その両人は言葉を揃えて、
「尼君は、都にて、いづれの寺に御座(おわ)するにや」と問えば、妙達あざ笑い、
「この痴れ者ら、我が名(な)所(ところ)をよく聞き置いて、亀菊に告げ知らせんと計るよな。人は亀菊を恐れるとも、我らはか奴を何とも思わず。無益の口を叩かんより、桜戸殿をよく労われ、いざ行くべし」と発ちいでけり。
 これより蜘蛛平、土九郎は、妙達に責め罵られ、彼女が下部に異ならず、走るにも、止まるにも、いささかも自由を得ざれど、その意に逆わば討たれん事を▼恐れて、日々に妙達が機嫌を取らずと云う事無く、とかくして、いざり車を求めいだして、桜戸を乗せて、両人代わる代わるにこれを引きつつ行く程に、ある日片方に人無き折、蜘蛛平、土九郎談合する様、
「我々、仕合せ悪くして、亀菊殿に頼まれたる一大事を仕損じたれば、都へ帰って言い訳無し。さていかにせん」と語らうに、蜘蛛平しばらく思案して、
「近頃、深草なる成仏寺に、畑守りの比丘尼あり。万夫不当の荒者にて、その名を妙達とか云うと聞きぬ。察する所、かの比丘尼めは、成仏寺の妙達なるべし。我々、都へ立ち帰れば、かの妙達に妨(さまた)げられて、手を下すことを得ず、その故はかようかようと、ありのままに告げ申して、亀菊殿よりたまわりし、金をそのまま返すべし。これより他に詮方あらじ」と云うに、土九郎うなずいて、
「我もさこそは思いしなれ、此の事最(尤)もしかるべし」と相談を極めつつ、なお妙達に送られて、夜に宿り日に歩み、行き行きて、越後なる寺泊まで来たりけり。
※額突く(ぬかずく):ひたいを地につけて拝礼する。丁寧にお辞儀をする。
※痴れ者(しれもの):①愚かな者。ばか者。②手に負えない者。乱暴なもてあまし者。
※取り付き:①物事のはじめ。とっかかり。②道などが始まる場所。とばくち。とっつき。③人から受ける最初の印象。
 その時、妙達は桜戸にうち向かって、
「姉御、ここにて別れはべらん。これより先は船路にて、向かいへ渡れば佐渡なれば、道にて気使い無かるべし」と云うに、桜戸うやうやしく、
「思い掛け無き情けによって、かく恙(つつが)無く来つる事、いつの時にか忘れはべらん。帰りたまわば、我が夫にも錦二らにもしかじかと、よく言い付けてたまえかし」と云うに妙達うなずいて、又、蜘蛛平らにうち向かい、
「痴れ者ども、此の後とても桜戸殿をいたわって、陰日向(かげひなた)無く心を付けよ」と云うに、二人は小膝を付いて、
「いかでか仰せに背くべき。さぁさぁ帰りたまえ」と云うに、妙達「さこそ」とあざ笑い、かたへの丘に、年旧(ふ)りたるいと大きなる松を指差し、
「いかに二人の痴れ者共。汝らが頭(つぶり)の鉢(はち)とあの松の木と、いづれか固
い」と問うを、両人聞きあえず、
「そは宣(のたま)うまでもあらず。我々が一身五体は、親の産みたる肉身(にくしん)なるに、その堅き事いかにして、あの松なんどに及ぶべき」と云うを、聞きつつ妙達は、松のほとりに歩み寄り、かの鉄の鹿杖(かせつえ)を取り直し、矢声を掛けて、幹のただ中、発止と打てば、一と抱(かか)えにも余るべき、松は半ばより打ち折られ、高き木末は逆様に、大地を打ってぞ倒れける。
※鹿杖(かせつえ):先が二股もしくは丁字になった杖

 蜘蛛平、土九郎これを見て、頭を抱え舌を吐き、驚き呆れて呆然たり。妙達は悠々と丘より下りて、杖を突き立て、
「痴れ者ども、手並みは見つらん。もし仮初(かりそめ)にも、桜戸殿を惨(むご)くもてなす事あらば、汝らが素頭もこの松の如くなるべし。我が云う事を忘れるな」とあくまでに戒(いまし)めて、さて桜戸に別れを告げ、元の道へぞ帰りける。

 かくて蜘蛛平、土九郎らは、寺泊に宿取って、順風を待つ程に、今宵より妙達に責め罵られる事無ければ、僅かに自由を得たりしが、桜戸にうち向かい、
「さても、あの御比丘尼は、思うに増したる力なり。あの大木を一と打ちに、打ち折りし体たらくは、人間技とは思われず、実(げ)に凄まじき女かな」 と舌を振るって恐れしかば、桜戸聞いてうち笑い、
「あればかりの事はものかわ。いつぞや寺にて一抱えに余れる柳を、只一抜きに根こぎにしたる事もあり」と云うに、二人は益々恐れて、
「我々運命尽きずして、危うき命を拾いし」とて、噂のみして止まざりけり。

○かくてその明けの朝、追風(おいて)良しとて船に乗りしに、海上さらに恙も無く、その日未(ひつじ)の半(なか)ばには、早や小木(おぎ)の港に着きぬ。
▼この所より国府へは、三四里に過ぎずと云えば、桜戸ら三人は、港の酒屋に尻うち掛けて、さぁさぁ酒をいだせと云うに、挨拶だにせざりしかば、桜戸主人を呼び寄せて、
「先より酒をいだせと云うに、などて答えもせざるやらん」と云うに、主人は進み寄り、
「客人たち、腹立ちたまうな。御身に酒を売らざるは、それがしが寸志なり。今だ知らで御座(おわ)するやらん、そもそも此の里には、折瀧の節柴刀自と称(とな)え申す、歴々の後室あり。これはこれ平家の一門、池の大納言頼盛卿の御孫娘、中将宰相頼貞朝臣(あそん)の息女なり。昔、源平の戦いに、頼盛卿は頼朝公に深き恩義のあるをもて、独り都に留まりたまい、平家は滅び失せし後、頼盛公をば鎌倉より、様々にもてなされて、官位庄園元の如く当て行われたりけるに、その御子頼貞朝臣(あそん)の世に至り、院の御気色をこうむりたまいて、この国へ流されたまいしが、なおも鎌倉より取り成したまえば、赦免の御沙汰ありしかども、頼貞いかなる所存かありけん、辞退して帰りたまわず。その年に、頼貞は俄かに身罷りたまいしなり。後には姫上一人あり、予ねて都の堂上方を、婿がねの聞こえありし、その婿君も都にて若死にをしたまいければ、姫上は許嫁(いいなずけ)の婿君の為に、髻(たぶさ)を切って、再び男に見(まみ)えたまわず。又、都へも上りたまわで、この地に御座(おわ)しますにより、鎌倉より一万町の庄園を付けられて、永代安堵の御教書をなし置かれる由あれば、その家最も豊かにて、家来、眷属はなはだ多かり。この後室の居たまう所を、折瀧の庄と云い、その名を節柴殿と申すなり。

しかるに、その節柴殿は、慈悲、情けある婦人にて、「この国へ、流される流人来たらば、早く知らせよ。酒を飲ませ物を取らせて、施(ほどこ)しをすべきなり」と予ねて宣う由のあるに、御身ここにて酒を飲み、顔を赤くして、かの屋敷へ尋ね行きたまいなば、路用ありと思われて、物をば施したまうまじ。我ら此の義を思うにより、わざと酒を売らぬなり」と云うに、桜戸深く感じて、主人の情けを喜び聞こえ、蜘蛛平、土九郎を見返り、
「只今、聞せたまうが如し。いかにその御屋敷へ立寄りて見たまわずや」と云えば、両人小首を傾け、かかる人を尋ね行かば、いづれの道にも損はあらじと、思えば等しくうなずいて、
「そはともかくも」と答えしかば、桜戸は、節柴の屋敷をいづこと尋ねるに、主人はつぶさに説き示して、
「ここよりは十町ばかり。大きなる石橋を渡りたまえば、その所より折瀧屋敷に候」とねんごろに教えしかば、桜戸は酒屋の主人に喜びを述べ、立ちいでて、蜘蛛平、土九郎諸共に、その屋敷へおもむくに、果たして大きなる石橋ありて、向かいに一構えの屋敷見えけり。

その広くこうこうたる★所に、稀(まれ)なる棟木(むなき)造りの目ざましくて鄙(ひな/田舎)ならず、ここぞと思えば桜戸は潜(くぐ)り門に立寄って、門番に打ち向い、
「わらわ事は、都の流人桜戸と云う者なり。此由を主の君に、聞こえ上げてたまわれかし」と頼めば、門番つらつら見て、
「和女郎は幸い無き者なり。後室様は、今朝未(まだ)きより、茸(たけ)狩りの為にとて、東の荘へ行かせたまいぬ。御留守なれば詮方無し」と云うに、桜戸本意無くて、
「しからば又、何時ごろに帰らせたまうべきやらん」と再び問えば、
「さればとよ、初茸を採らんとて、下屋敷へ御いでなれば、今宵は彼処にお泊りなされて、二日も三日も逗留あらんか。その程は計り難し」と云うに、桜戸うち案じて、
「しからんには宣う如く、わらわは実に幸いなし。いざ罷らん※」と云いかけて、又、蜘蛛平ら諸共に、元来し道へ帰れども、ここに来ながらたちまちに、望みを失う事なれば、さすがに足の捗(はかど)らで、又、石橋まで来る折から、と見れば、左手(ゆんで)の大路より、一挺の忍び乗り物を、六尺四人にかかせつつ、従う男女の供人は、幾十人とも数え尽くさず、獲物の早松(さまつ)※初茸なんどを、青籠(かご)に入れ、釣台にかき担わせ、陸続(りくぞく)※として帰り来ぬるは、これ必ず▼折瀧の後室ならんと推したる。
※罷らん:①貴人の前や貴所から退くこと。退出。②貴人の食事を下げること
※陸続(りくぞく):次々と続くさま
※早松茸(さまつたけ):7月ごろに出る早生の松茸

桜戸は、嬉しくて道の片方に佇(たたず)みつつ、うち眺めて居(を)る程に、その乗り物の内よりも、桜戸を早く見て、
「あれは流人と覚ゆるぞ。其名所(なところ)を尋ねよ」と云うに、若党(わかとう)心得て、桜戸がほとりへ駆け抜け、さてしかじかと尋ねれば、桜戸も小腰をかがめて、
「これは都の流人にて、桜戸と云う女子なり。只今、御屋敷へ訪ね参りしかど、御遊山の由なれば、本意(ほい)無くも、すごすごと立ち帰らんとせし折なり」と云う声洩れて聞こえけん。節柴は乗り物をかき据えさせて、忙わしく立ちいでつつ、そのほとりへ進み近づき、
「桜戸殿と名乗りたまうは、先に女武者所の采女にて、武芸の師範になされたる、元の為楽院の息女とか聞こえし、かの虎尾の桜戸殿か。それかあらぬか、いかに」と問うを、桜戸答えて、
「わらわこそは、その虎尾の桜戸なれ」と云うに、節柴喜んで、
「その名は予ねて聞きながら、会う由無しと思いしに、縁あればこそ図らずも、面を合わする嬉しさよ。いざ此方(こなた)へ」と手を取って、そのまま屋敷へ伴いつつ、客座敷へ傅(かしず)き入れて、様々いたわり慰めたるその暇に、腰元共、酒肴を持て来れば、又、三四人の女ばら、白米一斗と銭五貫文を台に載せて、うやうやしく持て来るを、節柴うち見て、
「そは何事ぞ。この御方に、さばかりの物を、参らする事やはある。酒も肴も引き替えて、良くして出だせ」と息巻けば、桜戸これを押し止めて、
「わらわにたまう物ならば、あれにても過ぎはべらんに」と云うを、節柴聞きあえず、
「否、女子(おなご)どもが思い違(たが)えて、御身をも世の常の流人と見たる愚(おろ)かさよ。そこらに心を使いたまうな、皆引き替えて持て来ずや」と云うに、皆々心を得て、膳椀料理も世の常ならぬを、俄かに仕替えて持ていだせば、節柴は桜戸を上座(かみくら)に押し据えて、蜘蛛平、土九郎をも、その次に居並ばせ、自ら杯をすすめ肴をはさみて、いとねんごろにもてなす折から、一人の腰元しとやかに、節柴がほとりへ来て、
「お師匠様の来たまいぬ。此方(こなた)へ通し申さんや」と告げて指図を窺(うかが)いけり。
 節柴これを打ち聞いて、
「そは、幸いの折からなり。此方へ誘(いざな)い参らせよ」と云うに、腰元心得て、表の方へ急ぎ行きぬ。桜戸は今、取次ぎの女子(おなご)が師匠と云いつるは、もしや主人の武芸の師匠か、さらずば遊芸を教える者かと思いつつ、なお問いかねて、打ち守り居(を)る程に、齢(よわい)は四十ばかりにして、肥え太りたる荒女、座席を蹴立てて入り来つれば、桜戸はこれぞかの師匠と云われる者ならん、と思えばやがて座を立って、頭を下げて迎えれども、その女は会釈もせず、その座を奪って上座(かみくら)に押し直り、節柴に挨拶をする体たらく、片方に人の無きが如し、その時節柴は、桜戸を指さして、
「綾梭(あやおさ)の刀自。此女中は、先つ頃、都にて女武者所の師範たりし、虎尾の桜戸殿なり。かの亀菊に憎まれて、無実の罪に落とし入れられ、此国へ流されたまいぬ。いと痛ましき事ならずや」と云いつつ、桜戸を見返って、
「虎尾の刀自。この女中も先に亀菊に憎まれて、遂に都を逐電せられし、かの綾梭の刀自なる由。近頃ここに来たまいぬ。予て知る人ならずや」と引き合わせれば、桜戸はその女をつらつら見て、
「わらわが、采女(うねめ)ではべりし時、綾梭殿をばよく知れり。名は同じくはべれども、この女中はその人ならず」と云われて、その綾梭は気色変わって、火の如く赤らむ顔につぶらなる目を光らして、桜戸をしばし睨(にら)まえたりけるが、からからとあざ笑い、
「折瀧殿は、何故にかかる流人を、もてなしたまうぞ。真に虎尾の桜戸ならば、わらわを見知らぬ事やはある。さるを、返ってわらわが事を、都の綾梭ならずと云うは、只これその身の化けの皮を現されんと思えばなり。かくてもなお疑いたまわば、此の所にて試合をして、いづれが真か偽(いつわ)りか、勝負によって疑心を晴らさん。馬鹿馬鹿しや」と息巻きけり。
 節柴は、此の綾梭を予ねて疑う由あるに、今桜戸を嘲(あざけ)って、しかも傍若無人なるを、片腹痛く思いしかば、これ幸いの事としつつ、今桜戸に討ち倒させなば、彼女が真の綾梭ならぬを、確かに知る由無からずやと、思案をしつつうなずいて、又、桜戸に打ち向かい、
「近頃、御大儀なるべけれど、綾梭殿と試合をして、一興(いっきょう)を添えたまえかし。只今も云いつる如く、此女中は、近き頃、此の国へ渡り来て、武芸の指南をしたまう故に、人押し並べて師匠様と称(とな)えはべれど、わらわが為に師弟の因縁(ちなみ)をあるには非ず。必ず遠慮したまうな」と心有り気に説き示せば、偽(にせ)綾梭は節柴が、桜戸を贔屓(ひいき)して、我を狭(さ)みする詞の端々(はしばし)、たちまち腹に据えかねて、
「それは真に面白し。さぁさぁ勝負を決せん」と苛立(いらだ)って、早や立ち上がれば、節柴は腰元に、しかじかと云いつくるに、六尺ばかりの寄棒を二筋持て来て、縁側のほとりへ徐(やお)ら差し置きけり。
 その時、綾梭は▼裳裾をかかげて、その棒を取るより早く、庭へひらりと飛び降りて、
「その桜戸の紛(まぎ)れ者。さぁ来て勝負を決せよ」と手招きをして立ちたりける。
 桜戸は、今更引くに引かれぬ主の懇望(こんもう)。此の綾梭は、節柴が師匠ならぬを知りければ、
「しからば相手になりはべらん。許したまえ」と座を立って、その棒をかい取って、庭へひらりと立ちいづるに、この時、日は暮れ月出でて、さながら昼に異(こと)ならず。
 さる程に、偽綾梭は旗雲と云う、棒の手を十分に使いいだして、「来たれ、来たれ」と呼ばはれば、桜戸はしづしづと構えの内へ立ち向かい、水の月と云う手をもて、打ち合う事しばしにして、何思いけん、桜戸は構えの外(そと)へ退き出でて、
「わらわは、負けてはべり」と云う。
 節柴は本意なくて、
「未だ勝負も見えざるに、などて負けたりと云われるぞ」と訝(いぶか)り問えば、桜戸答えて、
「わらわは首枷を掛けてはべれば、身の働き自由ならず。故に負けと云いしなり」と云うに、節柴微笑んで、「実(げ)に、さもあらん。その所へは、わらわも心付かざりき」と云いつつ、やがて腰元に十両の銀を取り寄せて、二つに分けて押し包ませ。これを蜘蛛平、土九郎に贈って云う様、
「願うはしばし試合の内、桜戸殿の首枷を取り除きたまえかし。もし国府にて沙汰あらば、わらわ宜しく云い説きはべらん。受けひきたまえ」と請い求めれば、蜘蛛平、土九郎、一議に及ばず、その金を受け納め、かの首枷を外しけり。

 その時又、節柴は二十五両の沙金を出して、いづれにも勝ちたる方へ引き出物にせんと云う、こは桜戸を励まして、勝たせんと思えばなり。さる程に、偽綾梭は桜戸が退きしは、我を恐れる故なりと思い誇って、その金を取らばやとのみ逸(はや)りしかば、再び棒を水車の如く回しつつ、「来たれ、来たれ」と呼ばはれば、桜戸もやや身軽くなって、再び棒をかい込んで構えの内へ進み入り、互いにやっと声を掛け、しばらく挑み戦いしが、桜戸はたじたじと後退(あとずさ)りをする程に、綾梭得たりと勢い込んで、討たんと進むを桜戸は引き外して閃(ひらめ)かす、その棒、稲妻の如くなれば、偽綾梭は目眩(めくるめ)いて、急に避けんとする所を、桜戸棒を引くよと見えしが、偽綾梭が向脛(むかすね)を、発止と薙て返す手に、又、空ざまに跳ね上げれば、偽綾梭は「あっ」と叫んで、翻筋斗(もんどり)打って、だうと伏し、持つたる棒は遙かに飛んで、池の中へぞ落ちたるける。
 その事の体たらく、誰かは興に入らざん、「ああ」と等しく褒める声、しばしは鳴りも止まざりけり。
 偽綾梭は、いたく負けて、しばしもたまらず逃げ失せしが、その後この地に居(を)る事叶わず、次の日逐電したりしとぞ。彼女は人寄せの友代が弟子にて、赤尾と云える者なるが、綾梭の名を偽(いつわ)って、国々を巡る者なりと、後にぞ人皆知りてける。

 されば又、節柴は桜戸の武芸を深く感心して、且つ喜ぶ事大方ならず、これより日毎にもてなして、何くれとなく語らい暮らすに、早や四五日を経たりしかば、蜘蛛平、土九郎は国府へ日限遅れんとて、しきりに催促してければ、節柴も留めかね、桜戸には先の沙金(しゃきん/砂金)二十五両に又、一貫目の銀子を贈り、流人預かりの四傳次らに頼みの状を書いて渡し、
「寒けくならば、冬の衣装を配所へ贈り遣わすべし」と云うに、桜戸涙を浮かべて、その志の浅からぬ喜びを述べしかば、節柴は又、沙金五両づつを蜘蛛平、土九郎に与えるに、両人深く喜んで、又、桜戸に首枷を、元の如くに掛けさせて、宰領(さいりょう)★してぞ立ちいでける。

○かくて蜘蛛平、土九郎は、佐渡の国府におもむいて、六波羅よりの送り状を本間が家臣に渡しつつ、流人桜戸を送り来つる事の由を述べしかば、本間の太郎これを聞いて、家臣に桜戸を受け取らせ、やがて六波羅の請け文を認(したた)めて、蜘蛛平らに渡すにぞ、その二人の宰領(さいりょう)は、都を指して帰りけり。

○さる程に、桜戸は流人小屋へ追い入られて、その体たらくを初めて見るに、男の流人と女の流人は、その居(お)る所は同じからねど、ある日は山麻(やまそ)を刈り、薪(たきぎ)を取り、炭を焼く営みのいづれも苦しげならぬは無し。されば女流人らは桜戸を哀れんで、
「御身は未だ知らざるべし。およそ流人の預かりは、国造(くにつこ)の家の子(家臣)で剣山四傳次(つるぎさんしでんじ)と云う人なり。此小屋の惣頭は、生き剥(は)ぎの奈落(ならく)婆(ばば)とて、いと恐ろしき女(おうな)ぞかし。まづ此二人に物を贈って、哀れみを願わざれば、いと酷き目にあう。なれば、そこらに心を付けたまえ」と囁き教える程しもあれ、奈落婆は見廻って、桜戸に打ち向かい、
「新米の流され者、桜戸とは汝よな。などて早く参拝して、頭を土に掘り込まざる。おのれが面の幽霊めいたる、都にて様々の悪事をなせし咎により、流されしこそ道理(ことわり)なれ、汐風(しおかぜ)の身に染むまで、生けみ殺しみ責め使わん。覚悟をせよ」と罵れば、辺りにいたる流人どもは、恐れて皆々出て行きけり。その時、桜戸は沙金三両を取り出して、
「お婆様、これは余りに少しながら、受け納めたまえかし」と云いつつ懐へ差し入れれば、奈落は重みを引いて見て、「これはわらわと四傳次殿に贈る物か」と尋ねれば、桜戸答えて、
「その金は、御身一人にはべるべし。四傳次様には又、別に、三両を参らせん。これを届けてたまわれかし」と云いつつ金を又、取り出して、折瀧屋敷をいづる時、節柴が書いて渡せし書状と共に渡せしかば、奈落はからからとうち笑い、
「桜戸殿、御身は良き女子(おなご)ぞかし。かの亀印(じるし)に憎まれて、無実の罪に沈みたまえど、遠からずして帰洛(きらく)あるべし。事に折瀧殿よりも、これらの手紙を添えられたれば、いかでか如才に思うべき。まずまず休息あるべし」とて、そのままに走り去って、かの四傳次に由を告げれば、四傳次うち笑み、うなずいて、奈落と共に小屋へ来つ、桜戸を呼び出して、
「およそ初めて来つる流人は、脅しの棒とて二十杖(はたつえ)、背(そびら)を打つが定法なれども、汝は病ある由なれば、しばらく用捨すべきなり。今より地蔵堂を守るべし」とて、堂守にぞしたりける。かくて又、桜戸は奈落に五両の銀子を贈って、
「願わくば、この首枷を取りてたまわれ」と頼みしかば、又、四傳次に取り成して、その首枷を取り除かせて、大方ならず労(いた)はりけり。

▼地獄の沙汰も金次第、世の諺(ことわざ)を今ぞ知る。桜戸は次の日より、地蔵堂の守りとなって、彼処に住処する程に、その身の勤めとする由は、只、香を焚き、花を折り替え、そこらを掃除するのみなれば、流人ばらは驚くまでに、かかる役義は今参り(新参)の絶えて得難き事なりとて、知るも知らぬも羨(うらや)みけり。

 かかりし程に桜戸は、首枷すらも取り除かれて、その身の自由を得たりしに、常に暇(いとま)あるをもて、折々漫ろ歩きをし、佐渡の町々を見物せしに、ある日、思い掛けなくも、真介(ますけ)と云える者に会いけり。彼は桜戸の父、剛詮(ごうせん)が世に在りし時、召使うたる若党なりしに、若き者の習いとて都の遊び女(め)に身を持ち崩し、その身の衣類雑具は更なり。主の剛詮が秘蔵の経文を、密かに質に入れしかば、その事遂に顕れて、剛詮の怒り甚(はなは)だしく、公けへ訴え申して罪を正さんと息巻きしを、桜戸は不憫に思って、親の怒りを宥(なだ)めつつ、真介には金を与えて、かの経文を受け戻させ、ようやく無事に収めしかども、剛詮はなお彼を憎んで、身の暇を使わしけり。

 その時も、桜戸はちとの路用を取らせなどして、向後を戒めたりければ、真介は慚愧(ざんき)後悔して、是非無く都を立ち去りしが、その後あちこちとさ迷いつつ、遂にこの地へ漂泊し、真琴屋(まことや)と云う料理酒屋に奉公せしに、元より料理心もあって、よく客をもてなしければ、その店いよいよ繁盛しけり。これにより、真琴屋は深く愛で喜んで、真介をおのが婿としつ、只一人娘なる小実(こじつ)と云えるを、妻合(めあ)はわせしに、幾程も無く真琴屋は遂に身罷りたりしかば、真介は店を受け継いで、夫婦ひとしく稼ぐ程に、この日は掛(かけ)を取らんとて、佐和田(さわた)の町をうち巡りつつ、思い掛けなく大恩ある、故主の娘に会いしかば、こはそもいかにと驚いて、事の由を尋ねるに、桜戸は無実の罪にて流され来つる事のおもむき、かようかようと物語れば、真介はしきりに涙を流して、その不仕合せを哀れみ慰め、我が身の上を物語りして、やがて宿所へ伴って、妻の小実に由を告げて、酒をすすめ、膳をすすめ、夫婦ひとしくもてなすにぞ。桜戸も昔を忘れぬ彼が志を喜んで、なおも詳しく我が身の上、亀菊が事をさえ、始め終わりを物語って、
「わらわは流人の事なるに、かように親しくもてなされなば、和殿夫婦を巻き添えせん」と云うに、真介は聞きあえず、
「いかでか、さること候べき。昔の御恩の万が一つも返し参らせんは、この時なり。何事まれ受けたまわらん。そそぎ洗いの事なども、配所にては不便なるべし。汚れし物のあるならば、おこして小実に洗わせたまえ。我々はこの地にて捗捗(はかばか)しき親類無ければ、心細く候いしに、図らずも、恩人の見参(けんざん)に入りし事、喜びこれに増すこと無し」とて、なお様々にもてなしけり。

 これよりして真介夫婦は、日毎に桜戸を問い訪れて、飯の菜の物などを贈りしかば、余の女流人らも、桜戸が蔭により、飢を凌(しの)ぐも少なからず、小実は又、桜戸が着物を洗い縫いなどして、いとねんごろにものするにぞ。桜戸も又、折節はちとの銀子を使わして、彼らが元手に致させけり。
 かかりし程に、節柴は月毎に人をもて、桜戸が安否を問わせ、又、冬の衣装なども九月の頃に送りしかば、桜戸はなかなかに不自由なる事も無く、流人ばらに羨(うらや)まれて、百日あまりの月日を送るに、冬も半ばになりし頃、ある日夫婦とおぼしき武士の旅人、真琴屋の店へひらりと入って、奥の座敷へ通りにければ、真介これを迎えつつ、
「客人は酒をや召される、飯をや出だし候べきか」と問いも果てぬに、その武士は忙わしく、懐ろより金壱分を取り出して、これを真介に渡して云う様、
「酒も飲むべく、飯も喰うべし。さばれ今此の所へ招き寄せる人あれば、その輩(ともがら)の揃って後に、酒も肴も多少を問わで、いくらなりとも出だせかし」と云いつつ金を渡すにぞ、真介はこれを受け取って、
「そは誰人をか招きたまう」と問えば、かの武士声を潜(ひそ)めて、
「我は本間の身内なる剣山四傳次と奈落婆を呼ばんと欲(ほり)す。和主、今が為にかの両人を伴い来よ。さぁさぁ」と急がしたつれば、真介は沢多へ走り行き、しかじかと由を告げ、やがて四傳次、奈落婆を誘(いざな)いたてて来たれども、四傳次も奈落婆も、此旅人を見知らねば、さすがに進みかねたるを、旅人夫婦は座を立って、理(わり)無く座敷へ引き入れて、上座(かみくら)に押し直らせ、
「御両所、さのみ怪やしみたまうな。事の訳はやがてぞ知れん。まづ杯を持て来よ」と云うに、真介は心得て、始めに吸物、硯蓋★、銚子、杯取り揃え、次第、次第に持て出だすに、只、これ機(はた)を織る如く、しばしも暇(いとま)無かりけり。その時、武士の旅人夫婦は、真介を近く招き寄せ、
「我らはちとの用事あれば、手を打ち鳴らして呼ぶまでは、もはや何も出すに及ばず。酒は手づから火鉢にて温めて参らせん。徳利に入れて持って来て置け」と云うに真介は心得て、かたの如くにしてけるが、深く心に訝(いぶか)って、妻の小実に囁く様、
「御身は何と思うやらん。かの人々こそ心得ね。始め我、剣山と奈落婆と▼を呼んで来つるに、互いに知る人ならぬが如し。且つ、あの男女の旅人の声音(こはね)はまさしく京談(だん)なり。去ぬる頃、桜戸様の物語りにて密かに聞きぬ。もしやあの人々は、亀菊殿の使いにて、桜戸様の身の上に良からぬ訳のありもやせん。我は店を守るべきに、御身は格子の下へ廻って、その云う由を聞きたまえ」と云うに、小実は思案して、
「しか思いたまいなば、立ち聞きをするまでも無し。地蔵堂へ走って行って、桜戸様を伴い来て、隙(すき)見をさせなば、立ちどころにその疑いは解けはべらん」と云うを真介は押し止めて、
「そは、甚(はなは)だしかるべからず。かの女中は男勝りにて、武芸にさえ長けたまえば、もしやかの二人が予ねて聞く、舳太夫、陸船夫婦ならば、たちまち怒りに耐えずして、事を引き起こされんには、我々も巻き添えせられて、身の災いに及ぶべし。我が云う由に従って、よく聞きすましたまえかし」と諭すに、小実は心を得て、格子の方におもむきつつ、立ち聞く事半時ばかり。さて立ち帰りて夫に云う様、
「いずれも声が低くければ、定かには聞き取れねども、奈落婆が只一言「亀菊様」と云いし声のみ、まごう方なく聞こえたり。又、かの旅人の男女が、手紙を渡して二人に見せ、又、二包みの金を出して、囁きながら渡しにければ、四傳次殿も奈落婆も、喜ぶ事大方ならず、「我々、上手く計らって、見せ申さん」と云いしぞかし。この他は云う事の分かりはべらざりしが」と、告げる折から座敷にて、手を打ち鳴らし呼びしかば。真介は「あい」と答えつつ、走って座敷におもむきしが、四傳次が膝のほとりに一報の手紙在りしを、忙わしく隠しけり。
★硯蓋(すずりぶた)
※紛う(まごう):① 他のものとよく似ていてとりちがえる。②入り乱れる。

 その時、旅人夫婦の者は、「さぁさぁ茶を参らせよ」と云うに、真介は退いて、用意の煮花(にばな)※を持っていだせば、四人はこれをうち飲んで、四傳次と奈落婆は先へ立っていでて行きぬ。
旅人二人は、後に残って酒食の値を取らしなどして、押し続きてぞいで行きける。
※煮花(にばな):煎じたての香りの高い茶。でばな。

 真介夫婦は、その事の心にかかれば、とやあらん、かくやあらんと密めいて、噂をしつつ居る程に、影が射してや桜戸が招かずも来にければ、夫婦は奥へ迎え入れ、さて在りし事のおもむきを、かようかようと告げるにぞ、桜戸聞いて打ち驚き、
「その武士の旅人夫婦の面体(めんてい)はいかがなりし。年の齢は幾ばくなりし」と問うに、真介は小実諸共、
「その顔形はかようかよう、年の齢はしかじか」と告げれば、桜戸歯を食い縛り、
「そは疑うべくもあらぬ、舳太夫と陸船なり。かの悪人ばらは遥々(はるばる)と、此地へ密かに立ち越して、わらわを害せんと謀るよな。今、此の恨みを返さずば、いずれの時を待つべきぞ」としきりに恨み憤(いきどお)るを、真介、小実は諌(いさ)め宥(なだ)めて、
「御腹立ちは、道理(ことわり)なれど、「他所(よそ)の盗人を防がんより、おのれが門(かど)の用心せよ」と云う諺(ことわざ)もある。なれば、怒って事を破らんより、身の用心して防ぎたまえ」と言葉を尽くして止(とど)めけり。

 しかれども、桜戸は憤(いきどお)りに耐えざれば、真琴屋を走り去り、佐和田の町を見巡るに、古道具を商う店に、仕込み杖の手槍あり。長さは五尺ばかりにして、上より見れば棒の如く、鞘(さや)を外せば手槍なり。
「こは究竟(くっきょう)※の物なり」と思えばやがて買い取って、この他に九寸五分の懐剣をも買い求め、これより日毎に舳太夫と陸船を尋ね歩くに、その帰るさには真琴屋へ、いつも必ず立寄って、「今日もし奴等(やつら)に会わず」と云う。真介夫婦は深く憂(うれ)いて、様々になだめつつ、手に汗握るばかりなり。
※究竟(くっきょう):①仏語。物事の最後に行きつくところ。無上。②極めてすぐれていること。③極めて都合がよいこと。あつらえむき。

○さる程に、桜戸は陸船らを尋ねる事、五七日に及べども、その影をだに見る由無ければ、又、今更に疑い迷って、心ともなく怠りけり。かかりし程に、奈落婆は、ある日桜戸を呼び寄せて、
「そなたは予て節柴殿より頼ませたまう由もあれば、わらわが折々四傳次主へ良き様に取り成したれば、今一段引き上げて、山苧倉(やまそくら)を守らせよと、四傳次殿の仰するなり。そもそもその山苧倉は、流人どもが夏毎に、山稼ぎして取りていだす、夏引※の苧を入れ置かれる一構えの倉地にして、ここより二十町余りにあり。その倉を守る者を、女をもてせられる由は、女子(おなご)は手ぶり柔らかにて、苧を取り扱うに良ければなり。かしこは地蔵堂に立ち優(まさ)って、役得も▼少なからず、よってそなたを遣わさる。よく勤めよ」と云い渡せば、桜戸は浅からぬ情けの程を言請けして、まづ真琴屋へおもむきつつ、しかじかと由を告げて、
「剣山、奈落らはわらわを害せんと、謀らずして役替えさせるはいかにぞや、つやつや★心得難し」と云う、真介、小実は喜んで、
「山苧倉は、人の望む第一の所なれば、怒りを忘れて疑う事無く、早くかしこへ移りたまえ。只、その遠くなりたまえば、これまでの如く日毎日毎に訪れいたす事も叶わず、さりとても生業(なりわい)の暇(いとま)々を見合わせて、必ず訪ね奉らん」と云うに、桜戸疑いの解けても解けぬ霜柱、地蔵堂へぞ帰りける。
※夏引:夏に糸をつむぐこと。また、その糸。

 かくて程無く四傳次は、奈落と共にいで来りて、桜戸を引き連れつつ、山苧倉へおもむくに、頃は霜月(11月)下旬にて、空かき曇り風寒く、雪ちらちらと降り出せしが、見る見る野山は真白になって、三尺あまりぞ積もりける。
 かくて桜戸は山苧倉に至りて見るに、校倉(あぜくら)は三棟にして、ほとりに一軒の草の屋あり。囲炉裏のほとりに流人の老女三輪組みてぞ至りける。その時、四傳次、奈落婆は、その女(おうな)を呼び立たし、今日よりして桜戸に此の校倉(あぜくら)を守らせる事の由を云い渡して、
「汝は早く退き去って、地蔵堂を守れかし」と云うに、女は一議に及ばず、倉の鍵と帳面と山苧の目録を取り出して、桜戸に引き渡し、又、柱に掛けて置きし、一つの瓢(ひさご/ひょうたん)を指差して、
「御身もし酒を買わんとならば、これより八九丁東の方の、しかじかの所に酒屋あり。瓢はわらわが置き土産ぞ」と云いつつ、やがて蓑笠(みのかさ)を着て、四傳次らに従って、地蔵堂へぞおもむきける。さる程に、桜戸はその草の屋に只一人、つくつくとして居る程に、早や黄昏て物寂しく、壁落ち軒端(のきば)傾いて、荒れたる宿はいとどしく、身さえ凍(こご)えて耐え難し。
 日の暮れ果てぬ程にこそ、ちとの酒を整えて、今宵の寒さを凌(しの)がんと、思えばやがて、その瓢を忙わしく取り下ろし、仕込み杖に結び付け、すなわちこれを突き立て突き立て、酒屋を指して行く程に、道五六町ばかりにして、道の片方に荒れ果てたる小さき観音堂の在りしかば、立寄って伏し拝み、「我が行く末を守らせたまえ」としばし念じて、ようやくにその酒屋へ辿(たど)り着けば、酒屋の主人が出迎えて、
「酒はそも、いかばかり求めたまうにや」と問う。その時桜戸はその瓢をうち鳴らして、
「これをば見知りていたまうならん。今日よりして此の瓢は、わらわが物になりたれば、又折々に買いに来べし。今日はまず二合ばかり良く注ぎたまえ」と差し出せば、主人はうち見てうち微笑み、
「さては新たに山苧倉を、守りたまう姉御なるよ。しからば、負けて参らせん」と云いつつ注いで、値を受け取り、渡す瓢を桜戸は、又、仕込み杖に引き掛けて、かの草の屋に帰りしに、天道(てんどう/天の神)烈女を哀れみたまうか、かの草の屋は大雪に押し潰されて、入るべくも非(あら)ず。
 桜戸いたく驚き呆れて、只、火の元こそ肝要(かんよう)なれと思いにければ、辛くして連子(れんじ)※の隙より潜(くぐ)り入って、囲炉裏の埋(うず)み火を探(さぐ)り見るに、火は皆雪にうち消され、灰さえ冷たくなりにければ、僅かに心を安くしつ、なおも綿子(わたこ)を探(さぐ)り取り、稍(やや)戸の方へ潜りいでしが、さるにても、何処にか今宵一夜を明かさんと、しばらく思いかねたるが、先に道のほとりなる、観音堂こそ究竟(くっきょう)なれと、心付きつつ、又更に、深き雪道踏み分けて、その堂に辿(たど)り着けば、夜は早や五つの頃なるべし。
※連子(れんじ):木、竹などを直角に碁盤目(ごばんめ)に組んだもの。

 さる程に、桜戸は堂内に進み入って、開き戸を引き閉(た)てつつ、持てる綿子をうち敷いて、微睡(まどろ)まんとする程に、表の方に物の音して、ただならず聞こえしかば、「こは何事ぞ」といぶかって、格子の間(あわい)より覗き見るに、山苧倉の方にあたって、火炎、天を焦がして燃えいでければ、ここに再び驚いて、
「さては、囲炉裏の火の消え残って、この災い(粗相火/そそうび)を成すことぞ、何はともあれ走り帰って、見届けずばあるべからず」と、独り言して慌(あわただ)しく立ちいでんとする折から、向かいより三四人、此方を指して来る者あり。その声間近く聞こえしかば、桜戸はいでもやらで、しばらく彼をうかがう程に、その四人は観音堂の軒端(のきば)に等しく集いつつ、内に入らんとしたれども、桜戸が内よりして石を寄せ掛け置きしかば、その戸を押せどもたえて開かず、是非無く軒端(のきば)に立ち休らいて、打ち語らう声を聞くに、その一人は陸船にて、又一人は舳太夫なり。その他の両人は、四傳次と奈落なり。その時、奈落はしたり顔に陸船らを見返って、
「いかに此の謀り事は奇妙ならずや。例え桜戸武勇ありとも、焼き討ちにせられては、手を束(つか)ねて灰になるべし。あれ見たまえ、よく焼けるではないかいの」と云えば、又、四傳次も
「例え桜戸が、炎を潜(くぐ)って、焼け死ぬるに至らずとも、山苧倉を焼き失ないしを、落ち度とすれば咎は逃れず、いづれの道にも生けてはおかぬ。手立てはいかに」と相誇れば、舳太夫、陸船笑みかたまけて、
「誠に御両所の働きにて、此度こそ桜戸めを思いのままに殺し得たり。立ち帰ってかくと申さば、亀菊様も御満足。かの軟清もこれよりして、桜戸が事を思い絶えて、御心に▼従うべし。真に重畳(ちょうじょう)※重畳」と、ひたすらに感嘆して、なお火を眺めて佇みたり。
※重畳(ちょうじょう):①幾重にも重なること。②このうえもなく満足なこと。

 桜戸これをうち聞いて、密かに天地を伏し拝み、
「今、計らずも日頃の恨みを、ここにて返す事、喜ばしや本望や」と、勇みに勇んで、仕込み杖の鞘を外して脇挟み、内より扉をさっと開いて、
「大悪人ども、桜戸がここに在るをば知らざるや」と、罵りかけて衝(つい)ていづれば、四人はいたく驚いて、逃げるに暇無かりしば、舳太夫と四傳次は、刀を抜いて防ぎ戦い、陸船と奈落婆は、雪礫(つぶて)を投げかけ、追っ取り込めて挑(いど)めども、桜戸は物ともせず、四傳次が肩先を、只一槍に突き伏せて、手槍をひらりと取り直し、舳太夫が持つたる刃を叩き落とし、胸板を背(そびら)へ「ぐさ」と刺し貫けば、「あっ」と叫んで死んでけり。

 その暇に、奈落婆は落ちたる刃をかい取って、討たんと進むを桜戸は、物々しやと引き剥(は)がし、喉を「ぐさ」と仰(の)け様に、雪に縫わせて突き止めたる。女に稀なる武勇の働き、さすがに深き白雪も、朱(あけ)に染めたる血潮の瀧つ瀬。
 陸船は此有り様に、慄(おのの)き恐れて、腰うち抜かし、雪の細道四つ這いに、逃げんとするを桜戸は、襟髪掴んで引きずり戻し。予て用意の懐剣を、抜き出し差し付けて、亀菊に諂(へつら)って夫婦の仲を裂くのみならず、幾度か害せんと謀りし悪事を責め付け責め付け、
「今こそ返す、恨みの刃。受け取れ、やっ」と罵って、胸の辺りを貫いて、抉(えぐ)れば苦しむ七転八倒、そのまま息は絶えにけり。

 これよりの後、桜戸が物語りは、なお長かり。そは三編に著すべし。今年も変わらず御評判。長い筋をも手短く、書き取る所を御推文字。世界は全て女文字、おはもしながら作者の魂胆、まづ今板はこれぎりと、惜しき筆止め、めでたくかしく、千秋万歳。目出度し、目出度し■   
     
<翻刻、校訂中:滝本慶三 禁転載 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>