経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

1997年の生産・出荷・在庫

2014年08月28日 | 経済
 アベノミクスは、1997年のハシモトデフレの二の舞となるおそれがある。そこで、鉱工業生産指数を詳しく見ることで、ハシモトデフレがどういう経緯をたどったのかを確かめてみることにしよう。これにより、アベノミクスの運命を占おうというわけである。

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 当時は、今と違い、デフレでもなかったし、2年連続で2.7%成長を遂げていて、1997年の春闘では2.9%の賃上げも実現していた。それだけの勢いが経済にはあった。これが分かるのが、図における1996年の生産と出荷の「上り坂」である。そして、駆け込み需要により、1997年1~3月に出荷が高まり、在庫が減るという動きが見られた。

 4月、消費増税によって、生産と出荷は、いったん落ち込むものの、5月には戻し、7月まで、その水準を保つことになる。これは、現在からすると問題のない動きに思えるが、成長を前提とする経済では深刻な事態だった。出荷が伸びないために、5、6、7と月を追って在庫が急増していったからである。

 そのため、8月になると、生産調整が始まった。ところが、生産を減らしても、9月以降、出荷も並行して減り始めたために、在庫が減るどころか、増加の止まらない状況に至る。生産減→所得減→消費減→出荷減のメカニズムが働くから、生産を減らしたからといって、すぐには在庫減に結びつかないのである。

 半年後の1998年1月になって、生産調整のスピードが出荷減に追いつき、ようやく在庫増が止まる。それでも、依然として、生産と出荷が共に減っていく局面は続き、底入れを果たすのは、更に半年後の8月になってからであった。その後の回復は、極めて緩慢であり、増税前の水準に戻すのに、そこから1年半を要し、2000年春頃まで待たねばならなかった。

 その間も、在庫減らしは続き、成長の足を引っ張りどおしである。こちらが底入れするのは、1999年秋頃であった。もう、2000年のIT景気の直前の時期になっていた。結局、一気の緊縮財政という無謀な試みから、立ち直るだけで3年を要している。そのうえ、デフレ経済という深刻な構造問題を残したのである。

(図)


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 当時を経験した者からすると、ハシモトデフレは、増税による消費停滞から、在庫急増、生産調整となって、景気後退へ至ったというものであり、発端は別として、景気後退にはよくある事象が見られたという、平凡な認識である。輸出は順調で、アジア通貨危機は、ほとんど気にならず、大型金融破綻が起こって金詰りに陥ったのは、もはや、在庫や生産が深刻な状態になってからだった。

 したがって、財政当局が、失敗のほとぼりがさめた頃、「7-9月期に消費はリバウンドした」という一点をもって、「景気後退の犯人はアジア通貨危機や大型金融破綻」と言い出したのには、実に奇妙な感じがしたものである。まあ、誰しも自己弁護の権利はあるのだから、本当の問題は、それに巻かれるような忘れっぽい人達にあろう。

 さて、5、6月と在庫を急増させてしまったアベノミクスの行方だが、それは金曜日に7月の鉱工業生産の数字が出てから語ることにしようかね。
 
(今日の日経)
 インドからレアアース。経団連、政治献金再開へ、年末の法人税改革にらむ。

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