バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

みこころを行う人になる

2014-11-23 18:52:22 | 礼拝説教
2014/11/23礼拝説教
【テーマ】  聖霊の働き・とりなし
【説教題】 「みこころを行う人になる」
【聖書箇所】 ローマ8:26-27
  8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

○ 今日は聖霊がとりなしてくださるということを深めていきましょう。

Ⅰ.私たちの祈りは助けられている
A.祈り慣れること
1.26節には 私たちのためにとりなしてくださいます 27節には 聖徒のためにとりなしをしてくださるからです と、聖霊が私たちクリスチャン(聖徒)のためのとりなし手であることを続けて語っています。
2.クリスチャンは祈れる人になったのですが、今まで祈ってこなかった人は急に祈れるようになるでしょうか? 難しく感じるでしょう。たとえば、天皇陛下と自由にお話出来るようになったとして、何と言ったらよいのか、どんな言葉遣いで話せばよいのか困るのではないでしょうか?
3.神様とのお話ができるようになった私たちも急には上手に祈れないかも知れませんが、普段から祈り慣れていくことが大事なのです。

B.祈りに聖霊の助けがあること
1.とは言え、私たちはどのように祈ってよいかやはりわからないことがやはり多いのです。願い事だけをするのはさほど難しくないかも知れませんが、願ってもなかなか得られないとどのように祈っていくでしょうか?
2.ましてや神様のみこころを求めて祈るとなれば、本当にどう祈ってよいか悩むものです。みこころは聖書に書かれていますから、聖書を土台とした祈りをしてゆくことが大事なのです。
3.聖書は聖霊によって霊感されて書かれたものですから、聖書を読むときにもそして、それを土台とした祈りにも聖霊が助けてくださるのです。

Ⅱ.私たちはとりなされている
A.イエス様のとりなし
1.前にも語りましたが、私たちは本来神に祈ることのできない存在でした。その私たちが「アバ、父よ」と呼びかけて祈ることができるようになったのはイエス様の身代わりの十字架のお陰です。
2.私たちは父なる神との間が切れている時、私たちはもちろん祈れないわけですが、その私たちのためにイエス様が間に入ってとりなしの祈りをしてくださったのです。私たちはどのように祈ってよいか、どのように神様に謝ってよいかわからなかった時に、イエス様がとりなしてくださったので、神の怒りから逃れたのです。
3.神様は 人間の心を探り窮める方 ですから、私たちの中にある罪も悪しき思いも何もかもご存知です。義なる神がそれをそのまま見過ごせるわけがありません。イエス様の十字架によって見過ごしていただけるようになったのです。

B.聖霊のとりなし
1.同じく、私たちはその裁き主、義なる神にどのように祈ってよいかわからないのです。ましてや何かしら罪を犯したとしたら、私たちは義なる神の前に堂々と出て行っていつものように気安く祈れるでしょうか? どのように祈ってよいかわからないものなのです。そこで、今や私たちの内に住んで、私たちのためにとりなしてくださるのが聖霊なのです。
2.神は私たちの心の奥底まで見抜いておられますが、同時に 御霊の思いが何かをよく知っておられ るお方です。三位一体の神ですから 御霊の思い を知っておられるのは当然と言えば当然なのですが、今や聖霊は私たちと一体なのです。ですから、聖霊は私たちの深いところまで知ってくださっています。
3.私たちは神に何も申し開きができなくても、聖霊は私たちの内側から神様に弁護してくださるのです。とりなしてくださるということです。

Ⅲ.聖霊によって祈るのは・・・
A.キリストに似ていくため
1.聖霊はなぜわたしたちのためにとりなしてくださるのでしょうか? それは私たちがキリストに似た聖い者となっていくためであり、私たちが「愛の人」になるためです。
.Ⅰテサロニケ4:3 神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。 と、神のみこころをご存知の聖霊は私たちが聖くなるために助けてくださっているのです。
3.そして、聖書の至るところで「愛」が語られていますが、愛し合うことは神様の命令です。 ヨハネ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。Ⅰヨハネ3:23 神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。 とあるとおりです。この命令は聖霊によらねば守ることは困難です。

B.世界宣教のため
1.また聖霊が私たちをとりなしてくださり、私たちの内側からも聖霊によってうめきの祈りが出てくるのは、ペンテコステに始まるのです。世界中のすべての人が救われるために聖霊によって祈らせられるのです。
2.先日、吉原博克宣教師によってフィリピンの実情を知って、より祈れるようになりました。しかし、知らなかったときも私たちはフィリピンのために祈っていたのです。聖霊のとりなしによって、うめいて祈っていたのです。
3.私たちがとりなすに当たって私たちは人々のことを何も知らないのです。 どのように祈ったらよいかわからない わけです。だから聖霊の助けによって祈らせていただくのです。それは異言の祈りとなっても当然なのです。

● イエス様が愛されなかった人があるでしょうか? イエス様はすべての人のためにとりなしてこられたのです。私たちは弟子たちと同じように、その大事な仕事を託されたのです。前に祈祷聖会で語ったマケドニア人が幻となって現れ、パウロ達がマケドニヤへと宣教に行った結果、看守一家が救われました。パウロはわからず聖霊によって祈っていたら、わかる幻で、自分たちのすべきことが示されて実際に出かけていったのです。すべて聖霊の助け、聖霊の導きです。

★ 私たちもイエス様に愛された者です。パウロと同じです。あなたの祈りは聖霊の助けがあるのです。聖霊の助け無しの祈りをしないのは残念な祈りです。聖霊はあなたが神のみこころを行う人になるためにとりなし、助けてくださっているのです。


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