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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

あなたを愛する言葉

2019-05-05 18:34:47 | 礼拝説教
2019/5/5 礼拝説教
【テーマ】  十字架の言葉
【説教題】 「あなたを愛する言葉」
【聖書箇所】 Ⅰコリント1:18、23
1:18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。

○ 4月1日に新元号が発表され、5月1日から元号が変わりました。「令和」に込められた思いはどのようなものでしょうか? 安倍首相は「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」と言ったそうです。しかし、人によってはこの「令和」をよくない意味にとらえる人もあるようです。たった漢字二文字で人に色々な思いを与えます。言葉というものは不思議なもので、私たちに色々な思いを与えるのです。言葉の力というものを感じます。

Ⅰ.言葉の力
A.元気をもらう言葉
1.マザーテレサの言葉です。「私たちは、大きいことはできません。小さなことを 大きな愛をもって行うだけです」「いかにいい仕事をしたかよりも どれだけ心を込めたかです」「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」これらの言葉に励まされた人がたくさんいるそうです。
2.三浦綾子さんのカレンダー、星野富弘さんのカレンダーに書かれている短い文章に心打たれ、元気をもらうこともあります。二人はクリスチャンですからその言葉の土台は聖書です。
3.そのように聖書の言葉や温かい言葉かけで元気になったり、生きる希望を持つ人がたくさんいらっしゃいます。マーク・トウェインは、「素敵なほめことば1つで、人は2ヶ月生きていける。」と言っています。

B.言葉に潜む力
1.反対に心無い言葉で相手の心を傷つけてしまうことも多々あります。子どもの世界でも言葉によるいじめで大事ないのちを無くす子どももいます。言葉が人を殺してしまうのです。いかに言葉の力が強いかということです。
2.どんなに丁寧な言葉を使っても気持ちのこもっていない「ありがとう」が人の心を打つことはありません。時には言葉にならないお辞儀が最高に感謝を語っていることもあります。
3.思春期の子どもで母親に向かって「くそばばあ」という子がいます。ひどい言葉です。しかし、この言葉を分析すると多くの場合、母親に対する「甘え」から出ていると言われます。言葉の後ろに隠れている心があるのです。

Ⅱ.十字架の言葉
A.聖書の言葉を信じる人
1.今日の聖書箇所には 十字架のことばは、・・・救われる私たちには神の力です とあります。 十字架のことば とは単にイエスが十字架の上で語った言葉ということではなく、イエスの福音全てをいいます。
2.イエスの十字架による救いの計画を受け入れた人たち、つまり 救われる私たち にとってはこの福音は「力」です。 滅びる者たちには愚かであっても と、イエスを信じない人には何の力にもならないということです。 「●●行き」という電車に、信じて乗る人はそこに行けますが、信じないで乗らない人は行けません。その言葉を信じるか信じないかで行き先が変わるのです。

B.不思議な聖書の言葉
1.同じ言葉を聞いても感じ方が人それぞれです。特に文字になってしまうと、さらに活字になってしまうと「ありがとう」という言葉さえ、気持ちの良い「ありがとう」なのか、イヤイヤながらきつい言葉で言っている「ありがとう」なのかわかりにくいものです。
2.学生時代、国語の先生が何度も「作者の気持ちを考えて読みなさい」と言っていました。十字架の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉を神の気持ちになって読むことができたら、私たちは打ち砕かれることと思います。

Ⅲ.十字架のキリストを宣べ伝える
A.わかることを超えて信じる
1.キルケゴールはこう言っています。「キリスト教には大きな躓きがある。もしもキリスト教が十字架と復活を言わなかったならば、良い教えだと多くの人が集まってくるかも知れない。けれども、そこには救いはない。キリスト教の救いというのはこの躓きの前に人間が粉々にされて謙虚になって、その躓きを信じることによって乗り越えさせて頂くところにある。分かることによって乗り越えるのではない。粉々に打ち砕かれて、自分とは何と無知な者であるかということが分かって、信じることによってこの躓きを乗り越えられるのだ」と。
2.私は神の存在さえ信じなかったのに、どうしてあっという間にイエスを信じてしまったのか不思議な気がします。振り返ってみると決して知識を十分に蓄えたから信じたというわけではありませんでした。しかし、私は十字架も復活も信じたのです。

B.イエスの言葉を信じる
1.救いを確信するというのは、自分がその救いを体験したからなのです。私も 十字架のことばは、・・・、救われる私たちには神の力です。 という力を体験しました。ですから、パウロと同じく23節の しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。 が私の言葉にもなっているのです。
2.イエスは ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。 と言われました。その言葉を信じて行くとき間違いなく神の家に行けます。

● では、実際にイエスが十字架の上で語られた言葉の一つをお伝えします。 ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 イエスを十字架につけた人々のため、また私たちのために祈られた言葉です。なぜイエスを十字架につけたかもわかっていない人々のためにイエスは恨みや呪いの言葉を語ったのでは無く、赦しを祈られたのです。この言葉はあなたを赦す言葉です。つまりあなたを心から愛しているというイエスの愛の言葉です。この祈りによってイエスを信じる者には救いがやってきました。そして、この言葉で私たちには神の力をいただくのです。

★ 十字架の言葉があなたの力になることを願っています。あなたを愛しているイエスの言葉を受け入れ、あなたもイエスの言葉を信じて歩み出しませんか。


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