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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

ザカリヤとエリサベツ

2018-11-25 18:50:18 | 礼拝説教
2018/11/25礼拝説教
【テーマ】  神を愛する人、神に愛される人
【説教題】 「ザカリヤとエリサベツ」
【聖書箇所】 ルカ1:5-13
1:5 ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。
1:7 しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。
1:8 さてザカリヤは、自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、
1:9 祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、外では大勢の民がみな祈っていた。
1:11 すると、主の使いが彼に現れて、香の祭壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。
1:13 御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。

○ 来週12月2日からアドベントに入ります。12月25日のクリスマスまでの4回の日曜日はイエス・キリストの誕生の意味を思い、感謝をもって過ごす4週間です。その前に、クリスマスの前に起こったことから見ていきましょう。

Ⅰ.老夫婦に起こった奇跡
A.不妊の女性が身ごもる
1.ザカリヤとエリサベツの夫婦に起こった出来事。ザカリヤはユダヤ名がゼカリヤです。エリサベツは英語だとエリザベスです。ザカリヤもエリサベツも祭司の家系にあり、真面目な正しい夫婦でした。
2.そのような夫婦に子どもがいませんでした。神には喜ばれるすばらしい夫婦ですが、世の中的には子どもがいないかわいそうに思われていた夫婦です。

B.アブラハムとサラ
1.聖書ではアブラハムとサラ、エルカナとハンナのように子どものいなかった夫婦が救いに関する大事な役割で登場しています。ザカリヤとエリサベツもそうです。アブラハムとサラにイサクが与えられたのはもうおじいちゃん、おばあちゃんになってからです。イサクは奇跡の子でした。
2.ザカリヤとエリサベツもきっとアブラハムとサラのことを思い起こしたのではないでしょうか。自分たちに子どもが与えられるということは奇跡以外の何ものでもない、つまり神の業です。

Ⅱ.神はなおも用いられる
A.人生の最後まで
1.今まで二人は真面目に正しく生活してきました。ですから何かの罰で子どもが与えられなかったわけではありません。彼らもきっと何度も何度も自分たちのどこに問題があったのか考えたことでしょう。真面目な人ってそういうものです。自分を責めやすいのです。
2.そのようにして年月が過ぎ、老人になり、本当にもう何もできない、それでもありがたいことに神殿に入って香をたく仕事が自分に回ってきました。生涯最後の大仕事で、これで人生が終わると思っていたのではないでしょうか?
3.しかし、神はそのようなザカリヤを引退させませんでした。エリサベツもです。夫婦は一体です。神はこの夫婦をこれから始まる救いの歴史、教会の歴史のために用いられたのです。

B.恐れることは無い
1.天使と出会ったザカリヤは恐怖に襲われます。聖なる臨在に触れるというのはもちろん嬉しいことですが、恐れを感じるものでもあるのです。それは私たちが神の聖さとかけ離れているからです。
2.しかし、天使は 恐れることはありません と言います。神を愛さない者は神を恐れます。本来神に会うというのは恐ろしいものです。しかし、私たちは神を恐れない、死んだ後のことさえ恐れもしないのはなぜでしょうか? それらの恐れはイエス・キリストの十字架で消し去られ、私たちの居場所がはっきりしたからです。神の前に安心して立つことができるからです。

Ⅲ.願いは聞かれている
A.ザカリヤ夫婦の願いが聞かれた
1.天使は続けて あなたの願いが聞き入れられたのです。 と言いました。彼らの願いは何だったのでしょうか? 彼らは何も凄い働きのために用いて欲しいと願ったわけではなく、子どもが欲しいと願ったのだと思います。
2.彼らが願ったのは若い頃で、何十年も前の事だと思われます。この年になってもまだ子どもが与えられるように祈っていたとは思えないのです。

B.神の時がある
1.しかし、神は私たちの願ったことを忘れておられないということです。しかも、最も良い時、それは私たちにとっての良い時というのではなく、神の目に良い時なのです。
2.神を愛していたのは何もザカリヤ夫婦だけでは無いと思います。イエス・キリスト誕生の前にヨハネの誕生を計画されたとしてもなぜこの老夫婦なのか? と思ってしまいます。若い夫婦ではいけなかったのか? やはり人間にはあり得ないことをなさることに意味があったのでしょう。マリヤに安心を与えるためにも必要だったかも知れません。

★ 神が人を用いられるのは不思議です。神を愛するザカリヤとエリサベツ夫婦は神に愛されていました。ザカリヤとエリサベツは自分たちでももう何もできない、これで人生も終わると思っていたかも知れません。しかし、神はそういう人を用いられるからすごいです。あなたはどうですか?!

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