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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

無学な普通の人が

2018-01-14 17:07:10 | 礼拝説教
2018/1/14礼拝説教
【テーマ】  働き人に変わる
【説教題】 「無学な普通の人が」
【聖書箇所】 使徒4:13-22
 4:13 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
4:14 そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
4:15 彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。
4:16 彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
4:18 そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:22 この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。

○ 昔、ギリシャ・ローマでは雄弁術というのがはやり、人々の心を捕らえるような雄弁家がもてはやされました。イエス様もそういう流れの中におられました。しかし、イエス様は雄弁だったのでしょうか? 弟子達はどうだったのでしょうか? 「無学で普通の人」と紹介されているところを見るとそうでは無かったのかも知れません。

Ⅰ.二人は無学な普通の人だった
A.足のなえた人の癒しを行った
1.ペテロとヨハネは使徒の働き3章で「生まれつき足のなえた人」をイエスの名によって癒しました。もちろん、彼らも自分の力ではなく、イエスの名による力であることを聖霊によって確信しています。
2.ところがイエスのことを嫌う民の指導者達はイエスを十字架刑にしてホッとしていたのに、今度は弟子達がイエスの名によってイエスが行った癒しなどを行うので困ったのです。
3.そこで、彼らを罰しようとしますが、この足のなえた人の癒しの話はすでにエルサレム中に広まっていたので、彼らを罰すると、自分たちが悪く言われるのがおちですから、それもできません。

B.ユダヤの指導者の前でも大胆な二人
1.ペテロとヨハネは指導者達の前に出ても大変大胆でした。彼らの大胆さは指導者達も驚くようなものでした。私たちも彼らのように勇気のある行動をとりたいと思うものです。
2.しかし、 ふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いた とあるように、そんな大胆に語れるような人でないので驚いたのです。大胆にしっかりと話ができるのは指導者達であり、雄弁に語る者が偉いとみなされたような時代です。
3.私たちもとても自分にはできない、自分は語ることができない、と思っている人が多くいらっしゃると思います。しかし、そのような人が大胆に語ることができるようになった人もいらっしゃると思います。

Ⅱ.二人は神に聞き従う人になった
A.神に従う事を覚えた二人
1.指導者達が二人に いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた とあります。それに対して二人の答は 「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」 でした。
2.この力強い答をしたのが、少し前にイエス様の十字架の場面では何もできなかった人達です。ペテロに至ってはイエス様を知らないとさえ言った人です。その二人が指導者達にさえそむき、命がけでイエス様を伝えようとするのです。

B.大胆になった理由
1.それはイエス様の救いを本当に知り、黙っておれなくなったからです。しかも、ただ語りたいというだけではなく、イエス以外に救いは無く、当時の苦しんでいる人たちのためにイエス様がお出でくださったことを彼らは知ったからです。
2.そして、彼らがこのように神に聞き従う人になったのは使徒の働き1-2章にあるペンテコステの日の出来事のためです。聖霊を受けたことによって彼らはこの大胆さを得たのです。
3.聖霊はその人が無学であろうと、学があろうと関係ないのです。普通の人か特別な人かも関係ないのです。つまり、普通の人でも、障害を持っていようと、病人であろうと、変えられるのです。

Ⅲ.二人によって神が崇められた
A.すべてを神の栄光のために
1.二人のしたことで人々が神を崇めたというのはすばらしいことです。私たちの生き方はこれが目的です。何をするにしても神が崇められることです。 Ⅰコリント10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。 とある通りです。
2.彼らは聖霊の力を受けましたが、それによって彼らは自分たちが崇められたり、儲けたりしていません。すべては神の栄光のためです。

B.その力は聖霊による
1.私たちも癒しを祈り、とりなしをし、人々の救いのためにあらゆる事をしたいと思います。でも、「自分には無理」という思いが湧いてこないでしょうか?
2.このように指導者達に迫害されてもイエスのために語り続ける力はどこから来るのでしょうか? それは知識が豊富だからできるものではありません。聖霊に満たされたからです。

★ 神は無学な普通の人をイエス様がなさったような働きをさせてくださいました。ここに聖霊の働きがあります。
 私たちが無学な普通の人であっても聖霊は神の働き人に変えてくださるのです。私はダメだということは無いのです。
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