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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

何のために働くのだろう?

2018-06-03 18:09:30 | 礼拝説教
2018/6/3礼拝説教
【テーマ】  神と共に働く
【説教題】 「何のために働くのだろう?」
【聖書箇所】 Ⅱコリント6:1
【新改訳2017】
6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。

○ 皆さんはどのようにご自分の人生設計をされていますか? 何才ぐらいからそのようなことを考えるのでしょう? かつてある牧師が男子中学生に「あなたは勉強してどうするのですか?」と聞いたところ、「良い高校に入るのです」と答えました。そして、「良い高校に入ったら・・」「良い大学に入ります」「良い大学に入ったら・・・」「良い会社に入ります」「良い会社に入ったら・・・」「かわいい人と結婚して幸せな家庭をつくります」「その後は・・・」「・・・」という会話が流れた話を聞きました。男子中学生は「最後は死ぬ」とわかったのですが、「死ぬために勉強しているのだろうか?」と考えてしまったそうです。果たして私たちは何のために生き、どこに行くのでしょうか?

Ⅰ.神と共に働く人生がある
A.神のために働く
1.今日お読みしました短い聖書箇所では、パウロが 私たちは神とともに働く者として と言っています。私はこの言葉が気になりました。「神のために働く」というのは考えていましたが、「神と共に働く」生き方があるのだということです。
2.私は神のために働いていると思っていました。牧師だから・・・。それもありますが、そういうことだけではありません。私はイエス様によって救っていただいたから、当然神様のために働くべきだと思っていたのです。
3.「神のために」という言い方はかっこいいかも知れませんが、それだと私の方にかなりの力があるように思えます。しかし、私には何の力もないことを知ると、神が共にいてくださることがどんなにすばらしいかが見えてきます。私も「神と共に働く」ことができたらどんなにすばらしいかと思うようになりました。

B.神と共に働く
1.最初に中学生への質問のことを話しましたが、よく「何のために働くのか?」と聞かれることがあります。これはまた、「何のために生きるのか?」と同じような質問かも知れません。働くのは「食べるため」と言われたりします。
2.しかし、生涯身動きできず人の世話にならなければならない人もいます。聖書は、そういう人も大切な存在であることを教えています。そして、そういう人も神と共に働くことができるのです。
3.「神のために働く」というのなら私たちに何らかの能力が必要です。しかし、「神と共に働く」というのは能力や権力によらないのです。それは神が共に働いてくださるので、私たちの側の足り無さが問題にはならないからです。

C.共に働く喜び
1.小さな子どもがお母さんのために料理を手伝うといっても大して何もできません。お母さんがほとんどのことをしているのだと思います。しかし、お母さんはその子の手伝うという気持ちが嬉しいのです。そして、一緒に料理を作ったことで子どもは喜びます。
2.実はこのようなことが神様と私たちにもあるわけです。神様は共に働いてくださって私たちを助けてくださるお方ですが、私たちが神様と共に働くだけで嬉しい方なのです。このことがわかると神様の恵みの大きさを感じるものです。

Ⅱ.神の恵みをいただいて生きる
A.神の恵みをなかなか理解しない
1.でも、子どもはなかなか親の気持ちを理解しません。いや、理解できないように造られているのではないかとさえ思います。親の年になり、親になってやっと少し理解できるようになるのではないかと思うのです。
2.ましてや神様の恵みを理解するなんて1000年早いのかも知れません。パウロは 神の恵みを無駄に受けないようにしてください。 と言うけれども、どれほど神の恵みに気づかず無駄に受けてきたことでしょう。

B.神様のエネルギーを得ることができる
1.神様の恵みに満たされて嬉しくて人々にイエス様のことを伝える働きはやはりすばらしい生き方なのです。しかし、この働きをするためにはやはりエネルギーが必要です。
2.アルゼンチンの大伝道者と言われるバンジョニさんが、ある時暗い顔をした女子大生に会い、神の愛を話したのですが、全く受け付けてくれなかったそうです。何度話しても屁理屈で反発してくるだけだったそうです。諦めたバンジョニさん、急に神様からの愛が心に燃えて、「あなたのために祈らせてください」と言って祈り始めたそうです。神の前にひれ伏し祈るうち、涙が止めどなく溢れて、神様の心と一つとなってこの女子大生に、神様の愛がわかるように祈り続けたそうです。祈りを終えると彼女もひざまづいていたそうです。そして、彼女は「先生、今まで私のために泣いてくれた人は一人もなかったんです」と、神様の愛に立ち返りました。

Ⅲ.神を心に迎えて生きる
A.きよい生き方のために
1.人はどう生きるべきでしょうか? この世にあって、きよい日々を過ごすことに努力すべきでせしょう。憎んだり、妬んだり、不平を言ったり、悪口を言ったりしないで、誰でも愛して生きようとする生き方です。
2.人を幸せにしようとするそのような生き方は神様が願っておられることです。そのために神様は私たちに共に働いて欲しいと願っておられます。

B.愛の神を心に迎える
1.神様と共に働くためには、私たちの心が神様と一緒になることです。神様はどんなに弱い人でも、汚れた人でも愛してくださって、愛の燃える心に変えて下さる方です。この愛の神様を心に迎えることです。
2.あの中学生が最後に「死ぬ」という考えに至りました。「何のために生きるのか?」「働くのか?「勉強するのか?」と考えたでしょう。大事なのは「神と共に働く」ということなのです。神と共に働くことは、人をも、自分をも喜びに満たす生き方です。

● 最後にイエス様の例え話を読みます。
 ルカの福音書
12:16 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

一生懸命働いたのですからすばらしいと思います。世の勤めなら退職、引退して悠々自適という生き方があるのかも知れません。働かなくてもお金も家もある。しかし、神と共に働くという生き方があるのを覚えてください。
 
★ あなたは何のために働いているのですか? あなたも神と共に働く人になりませんか!

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