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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

信仰者とは 神の言葉に生きる人

2013-08-04 17:31:51 | 礼拝説教

  2013/8/4ウエルカムサンデー礼拝説教

【説教題】  「神の言葉に生きる人」
【聖書箇所】 創世記12:1-9
12:1 【主】はアブラムに仰せられた。
  「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
  あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
  あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
  あなたをのろう者をわたしはのろう。
  地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。
12:5 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。
12:6 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。
12:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は【主】のため、そこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った。
12:9 それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。

○ ローマ人への手紙の中にパウロはアブラハムの信仰を書き記しています。ユダヤ人に限らず世界の多くの人に知られているアブラハム。彼はどんな人だったのでしょうか? まだ、この時、彼はアブラハムではなく、アブラムと呼ばれていました。

Ⅰ.ウルからハランへ
  A.神様はアブラムを用いることにされた
    1.創世記11章の終わりでアブラムがウルという町から出たことがわかります。父親のテラも一緒でした。そして、ハランという町まで行って、そこで長く滞在しています。
    2.なぜウルを出たのでしょうか? ノアの大洪水の後、人々はまたも堕落していきました。あちこちで偶像礼拝がなされ、真の神を礼拝する人もいなくなってしまいました。
    3.神様は世界中を見渡し、正しく信仰を伝えることのできる人を探しました。それがアブラムでした。彼は偶像の町にいながら、偶像は神では無いとわかっていました。しかし、真の神をしっかりと知っていたわけではありません。
    4.神様はこのアブラムを通して世界中の人々に神がどのようなお方か、そして、信仰とは何かを教えることを計画されました。
   
  B.神は人間が造るものではない
    1.アブラムは神様の言葉を聞いたわけですが、そのお声が神様だと彼にはわかったわけです。偶像を拝んでいた人々には神のお声がわかりませんでした。
    2.パウロは ロマ 1:20 「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」 と言って、神の存在は被造物でわかるといっています。アブラムに限らず、人々も神様がおられることは信じていたかも知れませんが、それでは不十分なのです。
    3.人間がかってに想像する神、人間が造る神ではいけないのです。なぜなら、人間を超えないからです。神が人間も創造してくださったのですから、人間以上のお方なのです。つまり、神様は私たちが考えてわかる方では無く、神様の方から教えてくださることによってわかるのです。
   
  C.アブラムは神の声を聞けた人
    1.アブラムがどんな人であったかと考えると、これらのことからも彼は神の声を聞き分けた人です。
    2.偶像は語らないかも知れませんが、人の声が神の声のように聞こえたり、自分の心の中の声が正しいと思い込んだりしやすいです。
    3.そんな中、アブラムは悪魔の声、人の声、自分の声ではない、神の声を聞き分けることのできた人でした。だから、彼は選ばれたのでしょう。


   
Ⅱ.ハランからカナンへ
  A.神様のいうことをきく人
    1.アブラムは神様のお声を聞くことができました。聞くと言うのは単に音が聞こえるので「聞く」という聞き方だけではありません。聞く、聴く、訊くなどの言葉がありますが、聴く(耳を傾け、注意して聞き取る)が近いのでしょうか?  しかも「いうことをきく」という言葉でしょう。更にいうなら、イヤイヤきく(従う)のでなく、感謝して、喜んで、きくというものです。
    2.アブラハムが信仰の父と呼ばれるゆえんはこのあたりにあるようです。現代でも引っ越しは大変ですが、アブラムの時代にはそれは大変どころでは無かったでしょう。ところが彼は神様の言う通りに従ったのです。
   
  B.ハランからさらに旅立つ
    1.父テラを失って、アブラムは父の声よりももっと明確に神様の声を聞く人になったかも知れません。ウルを出て、ハランまで来ましたが、そこはまだ神様の望まれる場所ではなかったのです。
    2.ハランがどんな町だったかわかりませんが、ここでもウルと同様、偶像を拝んでいたようです。つまりハランも偶像の町であり、神様はアブラムを偶像から切り離そうとされているのです。
    3.アブラムはその神様のご意志を理解して、さらにハランを旅立つのです。ハランがどんな土地だったか知りませんが、住み慣れるとそこから離れるのは勇気がいります。大変な引っ越しを決意した時、アブラムは75歳でした。ハランを離れるのはまさに偶像と離れることでした。
   
  C.アブラムは神の言葉に従った人
    1.アブラムがどんな人であったか? それは神の声を聞き分けると同時に神を第一として、その声に従うことのできる人でした。
    2.神の声を聞いても従わない人もたくさんいますが、アブラムは従う人でした。

Ⅲ.約束の地カナンに
  A.アブラムは最初に祭壇を築いた
    1.アブラムがいよいよ約束の地カナンに着いた時、 【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた とあります。どこが目的地がわからない旅は大変です。ところが、神様から遂にお声がかかったのです。このカナンの地です。
    2.その時に彼がした行動は アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた でした。アブラムが信仰深いことを示しています。さらにベテルの東に移動した彼は 【主】のため、そこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った と、さらに祭壇を築きます。
    3.アブラムの人生は神に礼拝をする人生でした。結婚式も葬儀も礼拝です。聖餐式も洗礼式もそうです。私たちの人生は礼拝の連続であるべきなのです。
   
  B.アブラムは犠牲を献げた
    1.祭壇とは生け贄を献げる場所で有り、それは犠牲です。長旅を共にしてきた家畜の中から良いものを選んで献げたのです。アブラムは神様を第一としたからこそ、持ち物・家畜の中から最上のものを神様に献げたのです。
    2.私たちが時間や献金を献げるのも痛みを伴うではありませんか。賛美も現代では生け贄です。最高の賛美を献げるではありませんか。
    3.礼拝というものには犠牲が伴いますが、それを超える大きな喜びがそこにあります。
   
  C.アブラムは神のために祭壇を築いた人
  アブラムがどんな人であったか? それは祭壇を築く人でした。最高の礼拝を献げる礼拝者でした。だから彼は選ばれたのです。

★ 私たちも神の言葉である聖書を信じ、大切にし、その言葉に従う決心をして行きましょう。日々礼拝する者になりましょう。


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