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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

キリストにつながり続ける

2018-01-28 16:57:51 | 礼拝説教
2018/1/28礼拝説教
【テーマ】  実を結ぶ教会
【説教題】 「キリストにつながり続ける」
【聖書箇所】 ヨハネ15:1-8
 15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

○ もう跡形もなくなってしまった私の実家。幼い頃、祖父が庭に畑を作り、色々な野菜、果物、盆栽を育てていました。私はその庭が大好きでした。5歳の時、祖父が亡くなりましたが、しばらくはその庭で野菜を育てていました。しかし、祖父のようにしっかり手入れできず、段々庭は荒れていきました。聖書に出てくるぶどう畑もしっかり手入れする人で良い実を結んだことと思います。

Ⅰ.ぶどうの木のたとえ
A.本物の木とは?
1.旧約聖書でイスラエルのことがよくぶどう畑やぶどうの木にたとえられています。もともと良い木であったはずのイスラエルが良い実を結ばないで、悪い実を結ぶようになってしまいました。それは悪い木(パリサイ人や律法学者など)につながっていたからです。
2. わたしはまことのぶどうの木 の「わたし」はもちろんイエス・キリストです。「まことの」というのは「本物の」という強い意味合いをもっています。つまり、イエス様は「私こそが本物のぶどうの木なのだ!」と言っておられるのです。

B.本物につながる教会
1.神は実を結ばないイスラエルに代わる新しいイスラエルを作るためにイエス・キリストをこの地上に送られました。キリストを頭とするキリストの体である教会を新しいイスラエルとされました。そして、その教会が実を結ぶためです。
2. わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き という恐さを感じる言葉は、自分たちも取り除かれるかも知れないと心配する弟子達に 15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。 と、それはあり得ないということを教えてくださっている言葉です。

Ⅱ.キリストと私たち
A.離れては実をつけない
1.クリスチャンが時として「自分で」頑張って実を結ぼうとします。しかし、私たちは枝です。 枝だけでは実を結ぶことができません。 とあるように、枝はそれ自体に生命力を持っていないのです。枝だけでは実を結ばせることは無いのです。キリストにつながっていなければ実を結ばないのです。
2.また、 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。 と、実を結ぶものに対する訓練と祝福も書かれています。神様は教会が実を結ぶこと、私たちが実を結ぶことを期待しておられるということです。多くの実を結ばせるためには大胆な刈り込みをなさることもあります。人間的には痛み、大きな試練ということもあるでしょう。しかし、結果は神の栄光なのです。

B.留まること
1.イエス様は あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら と言われましたが、「留まる」というのは「滞在する」という意味です。イエス様のところに滞在するのですから、イエス様と話をしたり、食事をしたり、親睦を深めるのです。
2.イエス様がザアカイに ルカ19:5「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 と言われたのは何と感謝な言葉ではないですか。ザアカイがすばらしい決心をしたように、留まるというのはイエス様との対話、交わりの中で私たちが変わることさえも言っているのです。

Ⅲ.実を結ぶ教会
A.御霊の実
1.実を結ぶということから連想する聖書箇所にガラテヤ5:22-23があります。 5:22-23 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 これらの実を結ぶために聖霊が私たちに流れていることを示していますし、イエス様に留まるからこそ聖霊が働かれるのです。
2.御霊の実は私たちの栄光のためではなく、神の栄光のためです。実は花のように見て美しいと言わせるよりも味わわせるものです。私たちの実は世の人々が見て、また、私たちと関わることでその味を知って、神を求めるためのものです。

B.神の栄光のため
1. あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。 と、留まっている者は求めて良いのです。 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 弟子となることで神は栄光を受けられるのです。
2.私たちはキリストの弟子となり、その実は神の栄光を現すことです。私たちは自由ですから何をしてもよいし、何を求めてもよいのですが、それが神の栄光のためかどうかを判断することも大事でしょう。

● 聖書には 【新改訳2017】エペ 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。  という言葉があります。怒ってもよいようです。しかし、それが神の栄光になるならということでしょう。

★ 一人一人が御霊の実を結ぶことが神の目的であるように、教会が神の栄光を現すのはもちろんなのです。
 あなたは神の栄光を現すために選ばれた人です。キリストという本物の木につながり続けてください。
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