バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

預言と異言、そして愛

2019-03-10 16:18:34 | 礼拝説教
2019/3/10 礼拝説教
【テーマ】  賜物による教会成長
【説教題】 「預言と異言、そして愛」
【聖書箇所】 Ⅰコリント14:1-5
14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
14:2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。
14:3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。
14:4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。
14:5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。

○ 私たちは日々何を追い求めているのでしょうか? 私は単純に「追い求める」という言葉からは、子どもの時に図鑑で見た昔の人が獲物の動物を追い求めている絵を思い出します。それが無いと命に関わるのです。
  Ⅰコリント13章で愛の性質を見て、愛が無ければどんなに良き賜物を持っていても意味が無いことを学びました。ですから、この愛を追い求めることの大切さを覚えるのです。

Ⅰ.特に預言することを求めよ
A.求め続ける
1.13章で愛の素晴らしさが語られ、ここのところ14章では預言と異言のどちらがすばらしいかを語っています。が、その最初に 愛を追い求めなさい。 と書かれています。つまり、どの賜物が優れているかということをよりも大事なのは愛だということです。
2.愛を追い求めなさい は、「限りなく追求する」ということで、 預言することを熱心に求めなさい の方は、求めることの強さを表しています。どちらも継続して求めることが命じられているのです。

B.特に預言を
1.パウロは 御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。 と、特に預言の賜物を求めることを語っていますが、当然全ての賜物は良いものです。求めて良いものです。
2.賜物を求めるのは個人的な格好良さのためではありません。賜物はキリストの体のためです。つまり、教会がキリストを表していくために求めるのです。しかし、愛が無ければキリストの体ではないということです。

Ⅱ.異言の素晴らしさ
A.神に向かって語る
1.このところでパウロは異言と預言の違いについて語ります。ここで語られている異言はペンテコステの日に集まった色々な人の国言葉で語る異言ではなく、もっと個人的なものです。
2. 14:2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。 そして、 14:4 異言で語る人は自らを成長させます と、人には理解できない言葉で、人に語っているわけではなく、神に語るという方向性があります。
3.しかも異言は聖霊によって奥義を語るのだと言っています。だからかも知れませんが、自らを成長させるのです。

B.みな異言で祈ることを願う
1.パウロは 14:5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願います と言っていますが、私も同じ思いです。アッセンブリー教団が異言を強調しているからだけでなく、個人的な経験からもそう望みます。
2.私は異言で祈ると日本語で祈るよりも不思議な満足感を得ます。自分でも何を祈っているかわからないです。しかし、最も大事なことが祈られているという感触があり、嬉しくなるのです。

Ⅲ.預言の素晴らしさ
A.新約聖書が無い時代だから
1.パウロは異言の素晴らしさを語りましたが、なぜ 特に預言することを熱心に求めなさい と言うのでしょうか? また、現代も同じように預言の賜物を求めるべきではないのでしょうか?  
2.パウロがこの手紙を書いた時代というのは、まだ新約聖書が完成していない時代です。神が新約聖書を私たちに与えるために使徒達に書かせておられるところです。ですから、教会には旧約聖書止まりでは無い、福音を語る人が必要でした。異言では無く、みんなにわかる「預言」が必要でしたから、神はこの賜物を与えたのです。
3.パウロがコリント教会に関しては色々な問題があったので、神からの預言を語る人の必要性を感じたと思われます。また現代は牧師の説教が預言にあたると言う人もいますが、確かにその要素は持っていると思いますが、完全にそうかとは思えないです。

B.預言は教会の徳を高める
1.「預言」は「予言」と違って、未来を言い当てるものではなく、みんなの信仰、霊的生活、イエスとその教えに従う決断を励ますためのものです。ですから 14:4・・預言する人は教会を成長させます と言えるのです。
2.預言は準備された説教ではなく、個人や会衆の徳を高めるために聖霊の導きと油注ぎを受けてその場で与えられた言葉を伝えることです。
3.パウロは 14:5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。 と、個人的な成長のために異言はとても大事なものだから皆が異言で語ることを願っていますが、イエスは教会を建てることを願われたので、コリント教会がしっかりと立ちゆくためにパウロは預言を求めるように言ったのです。

● 今、新中野キリスト教会はどのような賜物を必要としているのでしょうか? 教会がしっかり立ちゆくために、私たちは総務部、財務部、伝道部、音楽部、信徒部を設置し、皆さんの協力を仰いでいます。 また交わりによる成長のために各会(定例会)を少人数で持つことをお勧めしています。 しかし、賜物としては癒しの賜物が欲しいなあと思いますし、子ども伝道の賜物を持った人も欲しいですね。

★ みんなの徳を高めるように語ることはとても大事なことです。預言で無かったとしても、愛をもって励ましを語る、聖書を伝える事は大事です。 愛を追い求めなさい。 の重要性を忘れてはならないのです。


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