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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

あなたは光の子ども

2021-02-13 17:54:37 | 礼拝説教
2021/2/14 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「あなたは光の子ども」
【聖書箇所】 エペソ5:5-8
5:5 このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。
5:6 だれにも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。
5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。
5:8 あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。

○ 今日はバレンタインデーです。チョコレートを渡すことで躍起になっている子ども達がいます。恋をするというのは美しいのですが、そこには落とし穴もたくさんあります。現代はネットで相手を探し、交際に入ることも普通になってきました。それ自体が悪いわけではありませんが、結婚詐欺や性的な犯罪がそこに潜んでいることも多々あります。パウロの時代も性的な問題がたくさんあり、そのような中で生活してきた人がクリスチャンになってどうあるべきかを語っています。
 
Ⅰ.偶像礼拝の罪とは
A.形のあるものを拝む人
1.偶像礼拝というと何か「像」を拝むような姿を思い浮かべるかと思います。事実、そうする人が多いのでしょう。仏像、大仏、お地蔵さんを排する気持ちで手を合わせる行為は偶像礼拝でしょう。また、そういう人間のような姿のものではなく、動物、龍、大きな石、大木、太陽に手を合わせる行為も偶像礼拝でしょう。
2、十戒の最初を見てみましょう。 出エジプト記20:3 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。 とあります。
3.偶像の種類は色々考えられます。お金もそうです。お金に心が支配されるということです。依存症もそういう中に入ってくるでしょう。カリスマチックな人物も偶像になり得ます。それが異端や諸宗教を作り出しても来ました。しかし、その背後に姿を見せないで働いている悪魔こそ偶像の親方でしょう。

B.形の無いものを拝む人
1.しかし、聖書は単に偶像礼拝の対象がそのように目に見えるものだけではないことも教えています。偶像は英語でidol(アイドル)です。idolは辞書では、〔信仰の対象の〕神像、〔一神教で禁止される〕偶像、〔むやみにあがめられる〕崇拝の対象、アイドル、〔実態のない〕虚像、幻想 と書かれていました。確かに形のある像もありますが、虚像も偶像で、私たちの心が支配されてしまうもののようです。その人の心が虜になっている、その人の人生を支配しているようなものが偶像だと言います。
2.このパウロの時代、その周辺では性的な乱れがありました。当時のローマ帝国では性的な乱れが問題視されていなかったようです。神殿にも神殿娼婦がいて、売春が普通に行われていたのです。パウロはこうした性的乱れの虜になっているのは 偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません と厳しく指摘します。どんなに美しい神殿であっても、その背後にうごめく悪霊の働きが見えます。まさに悪魔礼拝だったのです。

Ⅱ.心の王座に光の王を迎える
A.神に従う者と従わない者
1.出エジプト記にある十戒の続きには 出エジプト記20:5 わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。 と、偶像礼拝する者、神に不従順な者には神の裁きが降ることが語られています。もちろん反対に神に従う者には祝福があります。
2.私たちの心をお造りになった方は神です。そして、私たちの心には王座があり、その王座に座っていただく方に従おうとするのです。その王座に神以外のものを座らせる時それが偶像となります。神に従順であれば、当然私たちは神のおられるところに行くわけですが、不従順であれば偶像の親方の元に行くことになります。

B.暗闇から光に
1.私たちも元はといえば暗闇に属していた者です。 あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。 と言うパウロの言葉に「アーメン」と言いますか? 光の世界・神の世界を知らなかった者で、世の悪しき習慣に流されたり、自分の価値観で生きていたりした闇でした。つまり、悪魔の支配下にいたのです。
2.そのような者が 今は、主にあって光となりました。 と言えるのです。自分で「光」になったのではありません。 主にあって です。人を闇から光に変えることができるのは「主」だけです。イエスはこう言われました。 ヨハネ8:12 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」 イエスに従う者が「光」です。
3.そして、イエスは マタイ5:14 あなたがたは世の光です と言ってくださいました。主に従うことを決めた時点で光なのです。決して「光になるように努力しなさい」と言われたのではありません。心の王座に光の王を迎えた者です。

Ⅲ.栄光の神と共に生きる
A.光の子どもとして歩みなさい
1.私たちは光となったわけですので、 光の子どもとして歩みなさい と言われるのです。かつての訳では 光の子どもらしく歩みなさい だったのですが、「らしく」より「として」の方がいいですね。「らしく」だと「クリスチャンらしく」と、「そのように振る舞いなさい」と形だけの感じがします。
2.光の子どもにされたとは言え、私たちは弱い人間です。ですから、パウロも だれにも空しいことばでだまされてはいけません 彼らの仲間になってはいけません と言うのです。

B.栄光の神に従順に生きる
1.光の子どもは自らが光るのですが、その光の源は神にあります。パウロはコリント人への手紙第二でこう書いています。 【新共同訳】Ⅱコリント3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。 私たちは鏡のように神の栄光を映し出す光だと言うことです。神の方向に向いていないと光は映し出せません。神に従順でないと私たちは輝けないのです。
2.「私は光の子ども」という自覚を持つことは大事ではないでしょうか? 輝けないと真面目なクリスチャンは思ってしまいやすのですが、神の方を向いていることが大事なのです。

● 「悩む時間があるなら祈りなさい」この言葉は多くの牧師が語ってきた言葉です。私も悩みそうになると「祈れ」と言い聞かせます。悩んで解決するなら良いかもしれませんが、真の解決は神にあると私達は知っているのではないでしょうか? 私たちは光の子どもです。子どもなのですから、悩むなら親である神に聞きましょう。

★ あなたは光の子どもです。心の王座に光の王を迎えたのですから。闇と完全に決別して生きていきましょう。

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