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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

安息日は何の日?

2018-07-15 16:31:57 | 礼拝説教
2018/7/15礼拝説教
【テーマ】  イエスによる安息
【説教題】 「安息日は何の日?」
【聖書箇所】 マルコ2:23-28
【新改訳2017】
2:23 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは、道を進みながら穂を摘み始めた。
2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
2:25 イエスは言われた。「ダビデと供の者たちが食べ物がなくて空腹になったとき、ダビデが何をしたか、読んだことがないのですか。
2:26 大祭司エブヤタルのころ、どのようにして、ダビデが神の家に入り、祭司以外の人が食べてはならない臨在のパンを食べて、一緒にいた人たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」
2:27 そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。
2:28 ですから、人の子は安息日にも主です。」

○ ユダヤ人にとって安息日を守ることはとても大事なことになっています。では、クリスチャンにとってはどうでしょうか? まず、安息日とは何でしょうか? 

Ⅰ.イエスと弟子達
A.安息日の制定
1.安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までですが、まず創世記を見てみましょう。  創世記2:1-3
2:1 こうして天と地とその万象が完成した。
2:2 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
2:3 神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
 と、神様が第七日目を祝福して聖なるものとされたのです。
2.次に十戒の安息日に関するところを見てみましょう。
  出エジプト記20:8-11
20:8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。20:9 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
20:10 七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
20:11 それは【主】が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
 と、神の創造の業が終えられたときに神が決められた安息日を人間も守るようにと言われました。

B.安息日の重大性
1.出エジプトをしたイスラエルに十戒が与えられ、安息日の重要性は語られましたが、神様が毎日マナを与えられたことでもその重要性がわかります。マナは毎日与えられたのですが、七日目には無かったのです。その代わり六日目に二倍集めることができたのです。七日目に集めに出た人を神は罰しておられます。(出エジプト16章)
2.こうして安息日の重大性はイスラエルに浸透していき、バビロン捕囚時にはユダヤの祭りよりも規則正しく守られたそうです。中間時代にはシナゴーグの確立により安息日はしっかり守られるようになっていました。

Ⅱ.安息日問題
A.何が問題なのか
1.今日のテキストで問題になっているのは何でしょうか? 弟子達が安息日に麦の穂を摘んで食べ始めた事が パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか。」 というところです。人の畑のものを勝手に食べたから問題なのでしょうか? しかし、これは 【新改訳2017】申命記23:25 隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。 とあるので問題ではありません。
2.ひっかかるのは「安息日にそれをした」ということです。十戒自体にはそれが書かれていませんが、「仕事」という中にこれを考えていたからです。パリサイ人はこんな事をしなかったのに、イエスの弟子達は何ていうことをするのかということです。つまり、イエスの教えはどうなっているのかということです。「自分の弟子をも指導できないのか!」と、イエスの宗教的指導性の無さを見下しているわけです。

B.イエス様の答え
1.このパリサイ人のイエスを陥れようとする質問に対して、イエス様はまずⅠサムエル21章の話をし、祭司しか食べてはいけないパンをダビデは部下のためにいただいたという話をなさいました。
2.このパンは新共同訳や前の新改訳では「供えのパン」と訳されていますが、新改訳2017では「臨在のパン」と訳されています。これは「神が見ておられるパン」と訳せるのだそうです。ですから、本当にそれが罪なら神が罰を与えるはずだということです。
3.そして、ここで「ダビデ」を出してこられたのも、イエスが「ダビデの子」と呼ばれているからです。王になるダビデが許したように神の国の王になるイエスが許されたのです。

Ⅲ.安息日は誰のもの
A.安息日は人のため
1.さらにイエス様は 安息日は人のために設けられたのです。 と言われました。誰が設けたのか? 神様です。何のために? 人のためです。人が生きるためだというのです。
2.安息日には自分だけが休むのでは無く、奴隷も家畜も休ませるのです。それは自分たちのために働いてくれている者をゆっくり休ませる時だという意味が込められているからです。

B.安息日の主、イエス
1.そして、イエス様は 人の子は安息日にも主です と言われました。つまり安息日の主人公はイエス様であり、私たちはこの主であるイエス様に徹底して従うのです。
2.イエス様は マタイ 11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 と言われたように、私たちはみんな安息のために主の所に行くのです。

● 安息日と日曜日を同一視するのは難しいですが、人々にとってイエス様との時間が必要です。それは厳しく安息日が規定されたほどに、それを破った者は罰を受けたほどに必要なものです。ただ休むだけでは無く、イエス様と共に過ごし、心身の安らぎ、霊的な満たしをいただくときです。

★ 主の日の礼拝を軽んじてはならないのです。私たちは世との関わりで確実に霊的エネルギーの更なる必要性を感じているはずです。主日礼拝はそれを満たすものです。


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