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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

神に怒る人

2018-07-08 16:47:06 | 礼拝説教
2018/7/8礼拝説教
【テーマ】  神の思いと人の思い
【説教題】 「神に怒る人」
【聖書箇所】 ヨナ4:1-11
新改訳2017
4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、
4:2 【主】に祈った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
4:3 ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。」
4:4 【主】は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」
4:5 ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。
4:6 神である【主】は一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。
4:7 しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。
4:8 太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
4:10 【主】は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

○ 先週のウエルカムサンデーの説教ではヨナがニネベに行って滅びを預言したためにニネベの人々は悔い改め神を信じたことを語りました。神は誰も滅びて欲しくないからです。今日は、誰も滅んで欲しくない神とは反対に、ニネベが滅びるのを見ようとしているヨナと、そのヨナに神様の思いを教えるところです。

Ⅰ.神とヨナの思いの違い
A.滅ぼすことをやめた神
1.ノアの大洪水、ソドムとゴモラの滅びをはじめとし、聖書には神が人を滅ぼされる場面が何度となく出てきます。神はどのような基準で裁きを行われるのでしょうか? それは神のなさることなので私たちにはわかりません。
2.ただ言えることは、どんな罪も神は許さないということであり、罪人は皆裁かれるということです。ところが、神の憐れみにより、罪人であるにも関わらず救いの道を用意して下さったのです。
3.そういう神の裁きと救いの計画の中で、ニネベの町は神に裁かれ、滅ぼされようとしていました。神の目に彼らの悪は満ちたからです。しかし悔い改めたニネベは赦されたのです。

B.滅ぼして欲しいヨナ
1. 4:3 ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。」 「死んだ方がまし」というのはよく聞きます。神がニネベを救われることがなぜヨナにとって死んだ方がましなのでしょうか?
2.それは、アッシリアが存続することでイスラエルが脅かされるのが耐えられないからです。イスラエルに神の祝福を語りたい預言者として、イスラエルの脅威を許すことができなかったのです。
3.ヨナ書を読む私たちは神様の愛を知っているので「死んだ方がまし」とは思えないはずです。

Ⅱ.ヨナの怒りと神の優しさ
A.自分の願いの実現のために怒る
1.ヨナは神に怒っています。ヨナの願いは(つまり祈りは)ニネベが滅びることです。そのために自分は最善を尽くして、ニネベに神の裁きの預言も語らず、タルシシュにさえ逃れようとしたというのです。
2.ヨナは神がどのようなお方か知っていたと言っています。 4:2 ・・・あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。 と。このようなすばらしい神を知っていながら、ヨナは神に従わず、自分の願いが叶うように、ニネベに預言を語りたくなかったのです。
3.私たちも神様がどのような方か結構知っていて、その神様に祈るのですが、みこころよりも自分の願いが実現することを期待して祈ることがあるのではないでしょうか?

B.ヨナの機嫌を直そうとされる神
1.ヨナはそれでもニネベが滅ぼされると思っていたのか、都の東の方に小屋を作って見ていたというのです。差し込むような日差しの地方なので、神様は唐胡麻を生えさせ、日陰を作ってくださいました。
2. 4:6 神である【主】は一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。 と、あります。そういう神様の優しさに触れて、「神様がこんな自分のことを愛してくださっているのだなあ」「神様はニネベの人達をも愛しておられるのだなあ」と思えれば良かったのです。

Ⅲ.みこころを教える神
A.再び怒るヨナ
1.しかし、彼はずっと自分の願いが叶うことだけを願い、ニネベが滅びるのを見ようとしていました。そこで、神様はこの唐胡麻を枯らしてみこころを教えようとされます。
2.唐胡麻の日陰を失ったヨナは暑さのため死にそうになりました。そしてまたもやヨナは神に怒るのです。ここまで神に怒れる人というのは逆にすごいと思いました。 4:9 すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」 怒るのは当然だと思っているのです。
3.私たちは神に怒ることができるような存在でしょうか? 

B.神のみこころを共有する
1.神様はご自分の生み出された人々、たとえ神様を礼拝しない人達であっても、愛して、立ち返ってくるのを待っておられることを語られました。 4:10 【主】は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」 人間だけで無く、家畜まで神様は惜しんでおられるのです。
2.この気持ちをヨナが共有してくれることを願って、唐胡麻を通して教えようとされるのですが、ヨナはどこまで神様の気持ち、みこころを理解したのでしょうか? 
3.では、私たちはどうでしょうか?

★ 私たちもみこころを求めているというものの、果たしてどの程度神様のお気持ちを理解しているのでしょうか? 神様の教えに従順になりたいものです。

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