バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

キリストと共に生きる

2020-06-13 06:53:36 | 礼拝説教
2020/6/14 礼拝説教
【テーマ】  救われた人々
【説教題】 「キリストと共に生きる」
【聖書箇所】 エペソ2:1-7
2:1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
2:2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
2:3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
2:6 神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。
2:7 それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。

○ エペソ人への手紙も2章に入りました。パウロはこの手紙で「教会」とはどういうものかを語っていますので、私たちも新中野キリスト教会がどのようなものであり、またどのようになっていくのが良いのか見ていきたいと思います。教会を校正しているのはクリスチャンですが、クリスチャンて何者なのでしょうか?

Ⅰ.人間は皆平等に罪人
A.罪赦された罪人
1.クリスチャンの皆さんは最初からクリスチャンだったでしょうか? 全てのクリスチャンは人生のどこかの時点で「イエス・キリストを私を罪から救うために、私の身代わりとなって十字架にかかってくださった。このイエス・キリストを私の人生の主とします」と決意してクリスチャンになりました。
2.つまり、それまで皆同じ地獄行きの人間でした。 2:3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 とある通りです。
3. 自分の肉の欲のままに生き ていたというのは、 2:2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。 ということです。悪しき霊の元に生きていたということです。今はクリスチャンであってもかつてはみんな一緒で悪しき霊の思うままに生きていたのです。

B.教会は罪赦された罪人の集まり
1.そういう悪しき霊の元を離れてイエス・キリストに人生をかけた人達がクリスチャンで、その集まりを「教会」と呼んでいます。教会は建物のことを指して言う言葉でもありますが、本来はクリスチャンの集まりです。キリストのエクレシアです。
2.この教会というのは悪しき方向に向かっていた人々が悔い改めてイエス・キリストと共に神の方向に向かった人達の集まりです。つまり、罪赦された罪人の集まりであるわけです。
3.イスラエル人は神の計画を自分たちだけが救われるものと理解していました。異邦人は救われないと思っていました。しかし、イスラエル人は神の前に罪を犯しましたし、異邦人は元からその神を持っていない罪人でした。つまりどちらも同じ罪人だったのです。

Ⅱ.人間は皆平等に救われる
A.異邦人も救われた
1.あのペンテコステの後、弟子達が聖霊に導かれてあらゆる所で伝道しました。最初はイスラエル人が救われていきますが、異邦人も救われるのを見たのです。それは使徒10章のコルネリオの救いからもはっきりします。聖霊を受けたのですから救われたと言っています。
2.そうしたことはイスラエル人には超驚きの出来事ですが、神は異邦人にも救いの道を開かれたことに驚き感謝するのです。神はみんなを平等に救われるのです。 2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、2:5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。 とすべて神のあわれみ、愛、恵みのお陰です。

B.信仰によって救われる
1.平等に救われるということは当然、お金持ちだと救われるとか善人だと救われるとかいうことではなく、みんな平等に救われるということです。「主の祈り」や「使徒信条」を暗記していないと救われないのでしょうか? そんなことはありません。暗記力がなくても救われます。
2.聖書が言っているのは信仰によって救われるということです。これは子どもでも救われるということです。ただ信仰は目に見えないので、私たち人間にはそれを調べることは実は不可能なのです。

Ⅲ.「キリストと共に」という人生
A.イエス・キリストと同じようにしていただける
1.なぜ神は私たちをこんなにも愛してくださるのでしょうか? 私たちは確かに悪しきものに捕らわれていましたが、本来、神の子なのです。羊飼いが迷子になった一匹の羊を捜し回るように、道に迷った私たちを捜し出してくださるのが神です。
2.それは神が私たちと一緒に過ごしたいと願ってくださるからです。こんな罪深い私たちがイエス・キリストによって救われ、 2:6 神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。 とあるようにイエス・キリストの復活と同じようにしてくださるのです。
3.「救い」には、「生かされること」、「よみがえらされること」、「天上の座につかせていただくこと」の3つがあるということです。

B.神の恵みを示すのが教会
1.このような恵みの中に入れられたのですが、まだ私たちはこの地上に暮らしています。あの悪しき者達が頑張っている世です。ですから私たちはキリストと共に生きる必要があるのです。クリスチャンは「キリストと共に生きる」ことを決心した人です。だからイエス・キリストの命も恵みもいただいたのです。
2.キリストと共に生きることは悪しきものと生きることとは大違いですから、人々にもそれがわかります。 2:7 それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。 と、世に示すのが教会です。

● 私たちは誰と生きていくかで人生は変わります。信仰は結婚によくたとえられますが、命までも捨てて愛してくれる方イエス・キリストと結婚するのがクリスチャン。試練はもちろんありますが、イエス・キリストと共に生きるとその人生は豊かなのです。一方いくらお金があってもこの世の悪しき者(悪魔)と共に生きるならそれは「死」です。誰と共に過ごすかは大きなことです。

★ キリスト共に生きることを決心しませんか。そして、キリストがされたように神を愛しませんか。兄弟姉妹を愛しませんか。人々を愛して福音を語りませんか。