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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

男の祈り

2018-06-17 16:12:39 | 礼拝説教
2018/6/17礼拝説教
【テーマ】  祈りは問題を打破する
【説教題】 「男の祈り」
【聖書箇所】 マルコ5:22-23,35-36,
            40-42
【新改訳2017】
5:22 すると、会堂司の一人でヤイロという人が来て、イエスを見るとその足もとにひれ伏して、
5:23 こう懇願した。「私の小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。」

5:35 イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。これ以上、先生を煩わすことがあるでしょうか。」
5:36 イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父と母と、ご自分の供の者たちだけを連れて、その子のいるところに入って行かれた。
5:41 そして、子どもの手を取って言われた。「タリタ、クム。」訳すと、「少女よ、あなたに言う。起きなさい」という意味である。
5:42 すると、少女はすぐに起き上がり、歩き始めた。彼女は十二歳であった。それを見るや、人々は口もきけないほどに驚いた。

新改訳2017 Ⅰテモテ
2:8 そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。

○ 今日のテキストは、昨年の11月12日、七五三祝福式の日に「子どもよ。起きなさい」という説教題で子どもが神様によって生き生きとすることを願って語った箇所です。その時はルカの福音書8章から語りました。今日は父の日でもありますので、「男の祈り」としてマルコの福音書から語ることにしました。

Ⅰ.信じる者にされる
A.親が祈るのは義務
1.親が子どものために祈ることは義務です。祈りは「愛」ですから。「親の祈り」という時、多くの場合「母親の祈り」を思い浮かべる人が多いようです。その理由として、一つには、日本のクリスチャンは女性の方が多いからでしょう。
2.また子育てが母親に任されてきた歴史があるため、子どものために祈るのも母親が多いのかも知れません。また、男性は恥ずかしがり屋、照れ屋のところがあって、子どもに直接祈るのが苦手ということもあるでしょう。

B.必死のヤイロ
1.今日のテキストでは会堂司のヤイロがイエス様のところに来て自分の娘のために必死でお願いをしています。娘が死にかけているからです。こんな危機的状況だから藁にもすがる思いで、イエス様のところに飛んできたと思います。
2.彼にはイエス様に対するしっかりした信仰は無かったかもしれないのですが、どの親も必死で我が子のことを祈るように彼も必死に祈ったことをあらわしています。

C.ただ信じていなさい
1.しかし、彼の家に向かう途中で、家の者が来て、娘の死んだことを告げ、イエスに来ていただく必要は無いと言うのです。その時イエス様は彼に信仰を与えるために 「恐れないで、ただ信じていなさい。」 と言われました。
2.ただ信じているということは男にはなかなか困難なことです。男は何か理屈がないとなかなか信じられないものです。しかし、イエス様は ただ信じていなさい と言われました。男もイエス様をただ信じる信仰をいただいて、家族のために、仕事関係者のために、国のために祈るべきなのでしょう。

Ⅱ.祈りで成長する
A.親の祈り
1.東京衛生病院で出産された方が、その待合室に掲げられていた「親の祈り」を読まれたそうです。それと全く一緒ではないと思いますが、いくつかの訳があるようですので、その一つを紹介します。

神さま
もっとよい私にしてください。
子どもの言うことをよく聴いてやり
心の疑問に親切に答え
子どもをよく理解する私にしてください。
理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。
子どもの失敗を笑ったり怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。
良いところを心から誉めてやり
伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で子どもをしばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように導く知恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく、正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことはやめさせることができますように。
どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないように助けてください。
こちらが間違った時にはきちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも穏やかな広い心をお与えください。
子どもといっしょに成長させてください。
子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。
子どもも私も神様に生かされ、愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。

2.親としてこのように祈る者でありたいです。子どものために祈ると言うより、子どもを育てる自分が大人として必要なものをもつように祈るということでしょうか。まさに自分の信仰の成長のための祈りです。

B.祈りは人を成長させる
1.そして、男の祈りを聖書はこのようにも言っています。 Ⅰテモテ2:8 そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。 と、パウロが言うように、男がきよい手を挙げて祈ることが大事なのです。 怒ったり言い争ったりせず と、男はどちらかというと怒りっぽくなるようです。しかし、そこからは何も生み出さない。むしろ破壊です。きよい手を挙げて祈る時にこそ、すばらしいことが実現するのです。
2.何もこの祈りの姿は男だけのことではありません。すべての人がきよい手を挙げて祈るべきなのです。きよい手とはイエス様に罪赦された喜びに満ちた手です。

C.祈りが問題を打破する
1.ヤイロはまだまだイエス様に対する信仰は薄かったでしょうし、祈りも立派でなかったかも知れません。しかし、娘を思う熱い思いそのものが祈りであり、彼の思いはイエス様によって父なる神様に通じているのです。それによって娘は生き返りました。
2.日本の子ども達を生き返らせる祈り、新中野キリスト教会の子ども達の救いのために、男の祈りが必要とされていると思っています。いや、もちろん男だけではないですよ。私たちは祈りが問題を打破することを知っているのです。なのに、祈らないとしたらそれは罪としか言いようがありません。

★ 私たちも祈りにおいて成長しようではありませんか。そして、あらゆる問題を打破させていただきましょう。イエス様は ただ信じていなさい と言われたのです。信じましょう!