goo blog サービス終了のお知らせ 

経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 3月10日 ◇東京壊滅 ◇江戸時代の食事は一日に6回?

2025-03-11 20:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 3月10日 ◇東京壊滅 ◇江戸時代の食事は一日に6回? 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

3月10日

 天気も良かったこともあり、久しぶりに小石川後楽園に行ってきました。
 梅まつりが開催されていることもあり、想定以上の人出でした。
 早咲きの梅は、もう「おしまい」という感じでしたが、まだ立派に咲いている梅も結構ありました。

 品種により、これほど違うのかというのを実感しました。
 庭園の東側部分にある茶店屋台は、長い行列でした。

 かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々気分転換に、江戸に関する書籍を手に取ります。
 とりわけ故杉浦日向子女史の本は、江戸風物詩を手に取るように語ってくれます。

 

◆ 江戸時代の食事は一日に6回?

 

 江戸っ子は、銀しゃりを毎日食べていました。地方の庶民は玄米を食べるのが普通な時代ですので、江戸庶民は贅沢をしていたといえます。玄米をつくことにより、「二分搗き」とか「五分搗き」というように玄米にランクがあります。最終的には白米になります。

 白米、すなわち銀しゃりを毎日食べていたので、江戸っ子には脚気が多かったと言われています。そのために脚気のことを「江戸患い」といいました。

 ただし、三色銀しゃりを食べていたわけではなく、朝ご飯を炊いて、昼はメシ、夕食にはお茶漬けを食べていました。一日三食というのは江戸中期以降のことで、それまでは二食で足らしていました。江戸中期以降も二食ですごしている家庭もあり、一日何度食べるかは、その家の風習といえそうです。すなわち、一日に5~6回も食事をする家もあれば、一日一回だけのどか食いの家もあります。

 三食のうち、昼飯が最も豪華で、すなわち昼飯は英語で言うとLunch ではなく Dinnerというべきです。ご存知のように夕食とはdinnerとsupper とふたつの単語がありますが、前者は「晩餐」と訳されることが多いように、一日のうちで最も豪華な食事のことです。すなわち江戸っ子の晩餐は昼なのです。

 では、江戸っ子の晩餐(昼食)は、どのようなモノだったのでしょうか。晩餐といわれるゆえんは、昼食には焼き魚が付くので、たとえ冷めた飯ではありますが、時間をたっぷりかけて食事をします。

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

■【今日のおすすめ】

 ■【カシャリ! ひとり旅】 京都嵯峨野の入口「嵐山」

 人の多い嵯峨野の入り口のひとつが嵐山鉄道の嵐山駅です。

 駅も「観光地」にしている努力は、見落とせませんね。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

 

  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【知り得情報】
 政府や自治体も、経営環境に応じて中小企業対策をしています。その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去に、重複することもありますが、お届けしています。

◇再掲《公募》中小企業省力化投資補助事業(一般型公募
 中小企業省力化投資補助事業(一般型)の第1回公募要領が公開されました。
 下記URLより詳細をご覧いただけます。
  https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/2025/250130shoryokuka_kobo.html
   出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

  明治以降東京は二度の壊滅を経験している 310
 近年だけでも、阪神・淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震、大船渡山林火災と、わが国は大きな災害に見舞われてきています。

 南海トラフを始め東京直下型地震なども懸念されています。

 後者が発生しますと、首都圏は、相当なるダメージがあるのでしょう。

 

 江戸時代、何度も大火に見舞われている東京ですが、明治以降は神戸や東北の各地に近い被災を二度経験しています。
 一度は関東大震災、二度目は第二次大戦・太平洋戦争です。
 私の家族は都心から30㎞近くも離れている東京の西の方に住んでいました。
 東京大空襲のあった3月10日の夜は、東の空が真っ赤に見えたと言いますので、その凄まじさは言語に尽くせないものであったのではないでしょうか。

 戦争を知らない人が多い日本ですが、有り難いことですね。
 終戦後20年経過した時には東海道新幹線がはしり、その十年後の1975年には、東海道新幹線は全線開通した山陽新幹線と繋がりました。

 それがあたりまえに感じていますが、地球上、どこかで戦争・内戦が起こっています。
 平和ボケをしているという私達ですが、いつまでもこの平和が続いて欲しいですね。

 

(ドアノブ)

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

  >> もっと見る

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db

 

© copyrighit  N. Imai  All rights reserved
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【若狹の生意気言ってすみません!】3 「あたり前経営」で注意したいことの一つは、・・・

2025-03-11 12:03:00 | 【心 de 経営】 生意気言ってすみません

本  ■【若狹の生意気言ってすみません!】3 「あたり前経営」で注意したいことの一つは、・・・  

 日本で最初にできた経営コンサルタント団体である「日本経営士協会」は、戦後復興期に当時の通商産業省(現在の経済産業省)や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくして誕生しました。
 「専門業の異業種交流会」の異名を持つ、この団体ですので、いろいろな分野の専門家が集まる組織です。
 この度、同協会の会員で経営士であり、行政書士としてもご活躍の若狭晃司先生にもご執筆をお願いできることになりました。令和7年1月より、毎月第二火曜日正午の発信で皆様のところにお届けします。

 筆者挨拶

 特定非営利活動法人「日本経営士協会」首都圏支部の経営士 若狹晃司です。

 当ブログに、私の経営士として日常考えたこと、感じていることをラフなスタイルで掲載させて頂きます。「生意気なヤツ!」と言われるのを覚悟で出来る限り本音のお話をしていますので、よろしくお願いします。

■【若狹の生意気言ってすみません!】 No.

 ~~~ 「あたり前経営」で注意したいことの一つは、・・・。 ~~~

  第三回目の「生意気」コーナーです。いつも私は「あたり前経営はこんなに素晴らしい!これぞ日本経営士協会の核となるものだ!」と喧伝しておりますが、注意点も少々ございます。その一つを今回は申し上げたいと思います。

 <言いたい事>
 「あたり前」にやるべきこと、やらなければいけないこと、というのは人それぞれ個人差があります。また、あたり前と思っている物事の裏に隠れて見えていない事や本当に見えないこともあります。また、あたり前であっても重要な本質の部分を適当に扱ったり、表層的に扱ったりして、重要な本質が忘れられていたりすることもあります。更には、大半の人が気づいていない重要な事を一部の者だけが独占し何も表に出さないこともあります。実際の問題として、「あたり前のことをあたり前にやる」ということは、実に様々な状況があると思います。

 強みとの関連を言うならば、「あたり前」をやり続けながらも心の底で「もっともっと良くして行こう!」というマインドを持って努力し、たとえ一つ一つが地味であっても世の中の流行に流されず、「あたり前」の中に新たな発見や新たな気づきを見い出し、自分の強みに気づいたり、強みを獲得したり、新たな強みに仕上げたり、強みを増強することになると考えています。

 よって、ただ単に「あたり前」をあたり前にやり続ければ良いということを私は主張しているのではございません。マインド、心の持ち様が大切です。組織全体に行き渡らせるには経営理念や企業文化をも変えて行く姿勢が大事です。その意味では、非常に泥臭いものかもしれません。

<営業という世界のちょっと泥臭い話>

営業を例に取ってみます。優秀な営業マンが「これをやっていれば自ずと営業成績が上

がります。」と方法を開示したとします。それを部下や新人営業マンに命じて営業活動をかけた場合、全ての新人営業マンや部下が大きな成績を出して成功しました!ということは稀です。方法マニュアルがいつどのような状況下で渡されているのかにより効果は変りますし、そのマニュアルがどのような営業マンにとっても万能な方策であるとは限らないからです。また、優秀な営業マンは自分の武器をそう容易く他人に渡すことはなく、十分吟味しないといけないと思います。個人差のある「あたり前」事項や隠された有効策があるのに表面的な手法だけを命じられた場合でも、言われた内容だけで成果を出せる人は確かに一部にはいると思います。しかし大半の人にとっては何らかの不具合があるものと思います。この中で成果を上げるには、自分に合った有効策を独自に作り上げることではないでしょうか。一方的に自分に不似合いの策を強制され且つ独自路線を否定された世界では、成果を思う様に出せない人が出て来てもおかしくはないと思います。左記の状況が続き、上司や組織が結果について更なる追求をすれば、次第にその部下や新人営業マン等(該当部署や組織体)は疲弊していくのではないでしょうか。

 よって、時と場合によっては「あたり前の事項」について中身を十分吟味し、その運用についても柔軟対応なのか固持対応なのかなど、状況の把握と適切な対応も気をつけていきたいと考えます。

<あたり前の吟味>
 「あたり前の事項」でまだやっていないことはないか?見過ごしたり忘れている「あたり前の事項」はないか?「あたり前の事項」は出来ているとは思われるがそれで十分なのか?まだ改善できることはないか?自分のみならず組織全体でも十分行き亘っているのか?他人・他社の「あたり前の事項」と比べて問題はないか?いつもやりながら惰性で緩慢になっていないか?出来ていることに対して傲慢になっていないか?あたり前をやっていて、ちょっと変だなと思うことはないか?その際見過ごさずに立ち止まって考えないのか?・・・左記のマインドを常に以って毎日の活動をしなければ「あたり前」経営の良さが発揮されないと思います。

<自分が過去経験したお恥ずかしい事例・話。少し長いです。>
 私の銀行員の新人時代の話を恥ずかしながらお話し致します。私は大学時代あまりアルバイトをしておらず、日中は大学の講義をフルに受講し、夜間はDISCOだの居酒屋だのと遊び呆けていました(経験したアルバイトといえば、見本市の絨毯引き、ゴキブリ退治、家庭教師、百貨店の裏方、工務店のお手伝い、実家紳士服店の朝晩の商品出し・店舗掃除など)。日々遊んだだけの大学生活で「営業」というものがそもそもわからず、社会人の新人時代のみならず自営業をしている今においても「営業」というものは本当に苦手だと感じています。今から35年超前の入行1・2年目のこと、夏・冬のボーナス時期は全店挙げての預金獲得シーズンでした。リスト(一定時期の普通預金残高が掲載)を渡され、「これで電話工作しろ。とにかく達成だ。100%と勘違いするな。皆、目標の2倍・3倍取って来るぞ。」と言われました。日中はグループ大企業の各種工場や大規模学校法人・地元商店等の集配金に追われ、夕方に支店に戻って現物(通帳・現金手形小切手)を金庫に格納します。午後6~7時半ころに電話工作して夜間外訪、預金獲得という形の預金獲得営業しておりました。・・・勿論現在はこのようなことは厳禁です。一方諸先輩達は大口取引先を担当しており、いろんな形で億単位の預金を獲得します(詳細は問題があるのでここでは割愛)。私はいつも目標が未達で「営業会議」で絞られました。「おまえは訪問件数が少ない。」「常に材料先(実績に結びつくお客様)の発掘をしていない。」「リストを片っ端から電話しているのか?」「営業トークが駄目だろ。」「やる気あるのか?」などなど叱られました。営業のイロハを教えているハズだと上司や先輩は思っています。しかし、ハテ?と私は思いました。

 リストに電話する・担当顧客にセールスする(但し私の顧客の主担当は先輩)・商品を学ぶ・・・、確かにこの程度は教えてもらいました。これだけをひたすらやっていても成績は上がりません。セールスのイロハではありません。データの深堀りもしておらず、お客様分析もしておらず、セールス話法と顧客の落としどころの攻め方や効果的な時間差工作、誘導方法など全く知りませんでした。売れるハズがありません。そもそも営業マニュアルというものがありませんでした(Mバンク)。Sバンクは、A3版の紙で100ページ近いマニュアルがありました。とある機会で入手して驚愕しました。営業マニュアルは、剣道・柔道・空手など武道でいう「形(型)」にあたります。マニュアル至上主義は駄目ですが、形(型)を身に着け、更に努力をした先で革新的な工夫や改善が出来ます。マニュアルがいかに大事かご理解されている方が多いと思います。その後の地主新規工作においても2年間実績ゼロという悲惨なことがありました。しかしながらなんとか独自のツールを自分で開発して乗り切りました。融資提案の型(あたり前の型)が自分なりに出来たからです。
 結局、これが営業の「あたり前」というあたり前なのか、本当の意味で励行する「あたり前」なのかよくよく考えないといけないと今更ながら思います。

<銀行員時代の「あたり前」がその後、あまりに良かったことは?>

 私がかつて勤務していた銀行では三唱という言葉を課毎に行う朝礼や支店全体の朝礼がありました。その締めくくりに、「三唱」を全員で唱和します。「いらっしゃいませ。」「お待たせいたしました。」「ありがとうございました。」が三唱です。これを今迄何回唱和したか。数え切れません。しかしながら、その結果、自然とどんな繁忙時でも「いらっしゃいませ。」と難なく言えるようになります。他の業種の仕事をするようになってもサラッと口から言葉が出てきます。これは財産です。私の妻も元銀行員ですが、他業種の仕事をしていても「いらっしゃいませ」「お待たせ致しました」「ありがとうございました」を難なく、心を込めてサラッと大きな声で言えるのには職場の同僚の方から驚かれる様です。

 <銀行員時代の「あたり前」が、今ではちょっと問題かと思うこと>

 それは、銀行員のものの見方・考え方の習性・習癖です。常に物事に対して、リスクは?問題点は?とネガティブな発想を「自然と」してしまうことです。始めから駄目な状態や最悪の結果になった場合を想定して考えるという習癖が未だに抜けません。しかも自分が社長だったらどうするかというシュミレーションを勝手にします。これは第三者から見れば【要らぬお世話】です。もっと視野を広くして、Good Job!を見るようにしないと見誤ります。

<脱線した話を元に戻します>

 今井先生のお言葉に「あたり前は創るもの」というお言葉があります。「あたり前に行うべきもの」を自分で設定し、その「あたり前」を「あたり前」に出来るように自身を創っていくということだと思います。私は、この理論に「常に自分(自社)を見つめ直し、もっとよりよい未来にするために、やるべきこと、やっていないことを確認して、極くあたり前に出来るようにあたり前を励行する」のが「あたり前」経営だと付け加えさせて頂きたいです。

 以上で第3回を終了します。

本
【経営士 若狹晃司先生 プロフィール】
 メガバンク21年勤務(個人富裕層担当・新規開拓班)後、行政書士として独立し、難案件(公益財団移行に伴う組織改革、55年に亘る8行とのバンクミーティング、数年難航の生産緑地解除など)の変わった実績も有り。
 コア・イデオロギー:組織関係無し、世の為、人の為に貢献する。
 
【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。
本
■■ 経営コンサルタントへの道 ←クリック
 経営コンサルタントを目指す人の多くが見るというサイトです。経営コンサルタント歴半世紀の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0311 ■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君 ■ 武田勝頼 信玄の後継者

2025-03-11 06:30:00 | 【話材】 きょうの人03月

■【きょうの人】 0311 ■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君 ■ 武田勝頼 信玄の後継者

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 武田勝頼 信玄の後継者


 たけだ かつより
 天文15年(1546年)-天正10年3月11日(1582年4月3日)

 戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国(現山梨県)の戦国大名で、甲斐武田家第20代当主、通称は四郎です。

 信玄の正妻の子ではないために、性差の子供のように信玄の「信」の字を与えられず、後継者ともみなされていませんでした。当初は、高遠諏訪氏を継ぐことになり、諏訪四郎勝頼と呼ばれました。また、信濃国伊那谷の高遠城主であったことから、伊奈四郎勝頼ともいいます。

 武田信玄といえば、戦国武将を代表する一人ですが、信玄死後を引き継いだ武田勝頼の評判はあまり芳しいものではありません。

 しかし、戦国時代に詳しい歴史家の多くは、巷の評判ほど、無能ではなかったといわれています。

 信玄の死後、18城を勝ち取るなどして、初めは勝頼を軽視していた武田軍団二十四将も、次第に勝頼を理解するようになり、結束してゆきました。あの織田信長に「勝頼、侮るべからず」と言わせるほどでした。

 信玄が死の床で、勝頼に「信長・家康と闘うようなことが起こったら、自領に引き込んで闘え」と遺言したそうです。ところが、18城を勝ち取るなど、成功体験からの驕りでしょうか、設楽が原の戦いでは敵地に赴いて、信長・家康と闘うことになりました。

 信長の「三段撃ち」で有名な設楽が原は平地での合戦です。(歴史研究者の中には、三段撃ちは、実際にはなかったといわれています。)

 武田軍は、山地での戦いを強みにしていました。あまり、経験の多くない平地での戦い、銃対騎馬軍団という、新旧の戦法の差などもあり、勝頼は、武田武将の大半を失う惨敗に終わりました。これが、武田一族の滅亡に繋がるといわれています。

 勝頼の敗北、武田氏の滅亡は、騎馬軍団と勇猛な武将による成功体験に固執しすぎて、新しい時代の幕開けを読み切れなかったところにあるように、素人考えを持っています。

 

■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君


 うえすぎ ようざん 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)
 寛延4年7月20日(1751年9月9日)- 文政5年3月11日(1822年4月2日)


 江戸時代中期の大名で、出羽国(山形県)米沢藩9代藩主でした。上杉謙信という名門の家柄でしたが、領地返上寸前の財政難に陥っていました。その米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。諱は初め勝興、後に治憲となりますが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名です。

 宝暦13年(1763年)より尾張国出身の折衷学者細井平洲を学問の師と仰ぎました。

 10代将軍徳川家治より「治憲」の名を賜り、明和4年(1767年)に家督を継ぎました。

 家督を継いだとき、上杉家は、18世紀中頃には借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積していました。

 初代藩主景勝は、越後で120万石時代に従えていた家臣団6千人をそのまま、石高が15万石で召しかかえました。このため他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かったことから、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていたのでした。

 加えて農村の疲弊や、宝暦3年の寛永寺普請による出費、宝暦5年(1755年)の洪水による被害が藩財政を直撃したのです。

 名家の誇りを重んずるゆえ、豪奢な生活を改められなかった前藩主・重定は、藩領を返上して領民救済は公儀に委ねようと本気で考えたほどであったと伝えられています。

 藩主に就任した鷹山(治憲)は、民政家で産業に明るい竹俣当綱や財政に明るい莅戸善政を重用しました。当然のことながら、先代任命の家老らと厳しく対立することになりました。

 江戸での仕切料(生活費)を8分の1に減額、奥女中を50人から9人に減らすなどの倹約を行ったりしました。

 天明の大飢饉では、東北地方を中心に餓死者が多発しましたが、鷹山(治憲)は、非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励などの対策に努めました。自らも粗衣粗食でした。

 曾祖父による学問所を藩校・興譲館として、細井平洲・神保綱忠によって再興させ、藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせました。

 日本を代表する君主であるだけではなく、ジョン・F・ケネディ大統領の尊敬をうるほど、海外でもその名君ぶりは知られています。

  【カシャリ! ひとり旅】 上杉神社
   http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/yamagata/yamagata-yonezawa/yamagata-yonezawa12.htm

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


© copyrighit  N. Imai  All rights reserved

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【今日は何の日】 3月11日 東日本大震災 ■ パンダ発見の日 【カシャリ! ひとり旅】早春の詩仙堂  一年365日、毎日が何かの日

2025-03-11 00:03:00 | 【今日は何の日03月】

 

  【今日は何の日】 3月11日 東日本大震災 ■ パンダ発見の日 【カシャリ! ひとり旅】早春の詩仙堂

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■【今日の写真】 早春の京都 詩仙堂

 史跡「詩仙堂 丈山寺」 石川丈山は、隷書、漢詩の大家であり、わが国における煎茶(文人茶)の開祖と言われている。
 丈山は、家康に仕え武勲をたてただけでなく、平素から読書に親しみとくに詩を好みました。(詩仙堂ウェブサイトより)

  私が撮影した詩仙堂の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_shisendou.htm

 

■ 東日本大震災

 2011(平成23)年3月11日午後2時46分、三陸沖でM9.0の巨大地震(東日本大震災)
 マグニチュード9.0の地震とは・・・・・ どなたも驚かれたと思います。津波被害の甚大さも、原発の恐ろしさも見せつけられました。被害に遭われた方には、心よりお悔やみ申し上げます。
 私どもでは、大過はありませんでしたが、ちょうどAdobe Acrobatで作業をしていて、大きく揺れたときに何か起こったのか、Adobe Acrobatのシステムがおかしくなってしまいました。その時に立ち上がっていた複数のファイルが壊れてしまいました。幸い、バックアップで難を逃れることはできました。
 海外出張中の息子の部屋の書棚から中身がほとんど飛び出し、小型テレビが落下、息子が戻るまで整理ができませんでした。地震対策が不十分だった結果です。
 家宝と言うほどではないのですが、伊万里焼の花瓶がわれてしまいました。また、スエーデンの友人からいただいたガラス細工も無残な姿になってしまいました。
 公共交通機関が動かなくて、帰宅困難の問題がクローズアップされましたね。
 被災された方々には、改めてお見舞い申し上げます。

■ パンダ発見の日

 1869年、中国・四川省の民家で、伝道師として日本にやってきた、フランス人神父アルマン・ダヴィドが、白と黒の奇妙な熊の毛皮を見せられました。
 ダヴィドはパンダ (panda) のレプリカ標本をパリの自然歴史博物館に送り、これが契機となり、広くパンダの存在が世界で知られるようになりました。
 パンダといいますと、ダヴィッドが見つけた白と黒の動物を連想すると思います。
「熊猫」という漢字が当てられますが、その名の通り、「ネコ目(食肉目)熊科」に属するパンダで、正式には「ジャイアントパンダ」ということはよく知られています。
 実は、パンダと呼ばれる動物は、これ以外に「レッサーパンダ(レッサーパンダ科)」がいることをご存知の方は多いですね。
 食肉目に属していますが、ご存知の通り、竹を主食としています。草食適応を果たしたといわれます。
 ちなみに、上野動物園のパンダは、年間1億円で、中国からレンタルしているそうですね。

(ドアノブ)

【経営者・管理職の皆様へお勧めブログ】 

 ◇ 心 de 経営

 ◇ 経営マガジン 

 ◇ 経営コンサルタントの独り言

 ◇ 経営四字熟語

 ◇ 経営コンサルタントの使い方                 

 ◇ 経営コンサルタントからのメッセージ

 ◇ 経営トップ十五訓

 ◇ 杉浦日向子の江戸塾

 ◇ ニュース・時代の読み方

 ◇ 時代の読み方・総集編

 ◇ 経営コンサルタントの本棚

 ◇ 写真・旅行・趣味

 ◇ お節介焼き情報

 ◇ 知り得情報

 ◇ 健康・環境

 ◇ カシャリ!一人旅

 © copyrighit  N. Imai  All rights reserved


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする