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◆【経営コンサルタントの独り言】 あなたの趣味は何ですか? 909

2021-09-09 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントのひとり言09

【経営コンサルタントの独り言】 あなたの趣味は何ですか? 909

 

 

二兎を追うブログ 

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■ あなたの趣味は何ですか? 909

 会話が弾まないときの常套句として「あなたのご趣味は?」と訊くようにします。
 それが契機となって、会話が発展します。
 相手の人が好きなことですので、こちらが頷くだけでも会話が進行します。
 どちらかといいますと無口な私にとっては、ありがたいことです。

 私の趣味のひとつは、絵画です。
 欧米の有名な美術館は、その辺の絵画評論家よりは回数も、件数も多いくらい訪れています。
 これが、私が自慢できる唯一のことかも・・・・・ <それじゃダメじゃん>梅雨と秋の長雨の比較に驚きが

 秋と言いますと、すかっと晴れ渡った透き通るような青空をイメージします。
 昔から「秋の長雨」という言い方もあります。
 梅雨の時期と秋を比べますと、確かに日照時間は秋の方が長いです。
 ところが、降雨量を比較しますと、どちらが多いとお思いでしょうか 
 私は、しとしとと降る梅雨の時期かと思いましたが、なんと秋の方が降水量は多いのですね。

 

(ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

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■【きょうの人】 0909 ■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君 ■ 藤原 不比等 藤原氏の絶大なる権力を築く ■ 山川健次郎 物理学者・教育者

2021-09-09 13:04:54 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0909 ■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君 ■ 藤原 不比等 藤原氏の絶大なる権力を築く  山川健次郎 物理学者・教育者

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 山川健次郎 物理学者・教育者


 やまかわ けんじろう
 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)- 1931年(昭和6年)6月26日

 明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者であり、教育者でもあります。男爵の爵位を持っていました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 少年期に、白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』はM死後の昭和7年(1932年)に出版されました。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本です。

 会津藩に対する忠誠心は、壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛けたという逸話もあります。

「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていますが、定かではありません。しかし、明治4年(1871年)に、国費留学生としてアメリカに向かう船中で、カレーライスを食べたという記述が回想録に書き残されています。しかし、カレーライスを選んだのは、それが唯一米を使った料理でしたからで、カレーはすべて残したといわれています。

■ 藤原 不比等 藤原氏の絶大なる権力を築く


 ふじわら の ふひと
 斉明天皇5年(659年)-養老4年8月3日(720年9月9日)

 飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿で、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の次男です。文献によっては「史(ふひと)」と記されている場合もあります。

『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の落胤と記述されています。諡号は、文忠公、国公は淡海公です。

 文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされ、絶大なる権力を握っていました。

 不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられていました。このため、不比等が、藤原氏の実質的な家祖と解することもできます。

 天武朝の前期は不遇でしたが、後期に入りますと、草壁皇子に仕え、東大寺正倉院の宝物として『国家珍宝帳』に記載されている「黒作懸佩刀」は、草壁皇子から不比等に授けられた皇子の護り刀といわれています。後に皇子と不比等自身の共通の孫である聖武天皇に譲られたと伝えられています。

 大宝律令編纂において中心的な役割を果たしたことが、政治の表舞台に登場する契機となりました。

 文武天皇の即位直後には娘の藤原宮子が天皇の夫人となり、藤原朝臣姓の名乗りが不比等の子孫に限定され、藤原氏=不比等家が成立しています。

 不比等は、氏寺の山階寺を奈良に移し、興福寺と改めました。

 不比等とその息子の藤原四兄弟によって、藤原氏の繁栄の基礎が固められるとともに最初の黄金時代が作り上げられたのです。

■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君

 うえすぎ ようざん 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)
 寛延4年7月20日(1751年9月9日)- 文政5年3月11日(1822年4月2日)

 母方の祖母の豊姫が米沢藩4代藩主上杉綱憲の娘であったことが縁で、10歳で米沢藩8代藩主重定の養子となりました。

 正室は、養子となった重定の娘・幸姫(又従妹にあたる)でしたが発達障害など健康上の悩みを抱えていたようです。後継者が絶えることを恐れた重役たちの勧めで、1770年(明和7年)に10歳年上で上杉家分家の姫であるお豊の方を側室に迎え、二人の子をもうけました。お豊の方は教養が高く、歌道をたしなんだ人でした。

 二人の子供は、若くして亡くなり、鷹山の直結で血を継ぐ人はなくなってしまいました。


 江戸時代中期の大名で、出羽国(山形県)米沢藩9代藩主でした。上杉謙信という名門の家柄でしたが、領地返上寸前の財政難に陥っていました。その米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。諱は初め勝興、後に治憲となりますが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名です。

 宝暦13年(1763年)より尾張国出身の折衷学者細井平洲を学問の師と仰ぎました。

 10代将軍徳川家治より「治憲」の名を賜り、明和4年(1767年)に家督を継ぎました。

 家督を継いだとき、上杉家は、18世紀中頃には借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積していました。

 初代藩主景勝は、越後で120万石時代に従えていた家臣団6千人をそのまま、石高が15万石で召しかかえました。このため他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かったことから、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていたのでした。

 加えて農村の疲弊や、宝暦3年の寛永寺普請による出費、宝暦5年(1755年)の洪水による被害が藩財政を直撃したのです。

 名家の誇りを重んずるゆえ、豪奢な生活を改められなかった前藩主・重定は、藩領を返上して領民救済は公儀に委ねようと本気で考えたほどであったと伝えられています。

 藩主に就任した鷹山(治憲)は、民政家で産業に明るい竹俣当綱や財政に明るい莅戸善政を重用しました。当然のことながら、先代任命の家老らと厳しく対立することになりました。

 江戸での仕切料(生活費)を8分の1に減額、奥女中を50人から9人に減らすなどの倹約を行ったりしました。

 天明の大飢饉では、東北地方を中心に餓死者が多発しましたが、鷹山(治憲)は、非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励などの対策に努めました。

 自らも着衣として、木綿の使用は羽織や袴だけでなく、下着にいたるまで着衣の全てに使用していたそうです。食事の内容は朝食に粥を2膳ほどと香の物(漬物)、昼食や夜食に干し魚などの肴類を添えて、うどんやそばを食べていたと伝わっています。酒は飲まず、冬になると甘酒を一椀ずつ飲んでいた。結果的に倹約ができて健康にも良い粗衣粗食であったようです。


 曾祖父綱憲(4代藩主)が創設し、後に閉鎖されていた学問所を藩校・興譲館(現山形県立米沢興譲館高等学校)として、細井平洲・神保綱忠によって再興させ、藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせました。

 改革に反対する藩の重役が、改革中止と改革推進の竹俣当綱派の罷免を強訴するという、いわゆる「七家騒動」が勃発しましたが、鷹山(治憲)は、これを退けました。

 これらの施策と裁決で破綻寸前の藩財政は立ち直り、次々代の斉定時代に借債を完済するほどまでに財政の健全化がすすみました。


 義父・重定は、実子がいるのに鷹山を9代藩主にしましたが、鷹山は重定の次男・勝意(治広)を、鷹山の跡を継がせて10代藩主としました。逝去まで後継藩主を後見し、藩政を実質指導しました。

 隠居後は、重定隠居所の偕楽館に、後に米沢城三の丸に建設された餐霞館が完成するとそちらに移りました。

 享和2年(1802年)、剃髪し、鷹山と号すようになりました。この号は、米沢藩領北部にありました白鷹山(しらたかやま)からとったと言われています。

 文政5年3月11日(1822年4月2日)の早朝に、疲労と老衰のために睡眠中に、享年72才で死去しました。法名は元徳院殿聖翁文心大居士、墓所は米沢市御廟の上杉家廟所です。

 初め、上杉神社に藩祖謙信と共に祭神として祀られましたが、明治35年(1902年)に設けられた摂社松岬神社に遷され、現在に至っています。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】5-2-4 遠野を手際よく体感 曲り家菊池家住宅・おしら堂

2021-09-09 08:33:00 | 【カシャリ! ひとり旅】 青森・岩手・秋田

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】5-2-4 遠野を手際よく体感 曲り家菊池家住宅・おしら堂

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

◇名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

↑ クリック

 

■■ 岩手県遠野市 

 

 遠野市は、岩手県内陸部南寄りにある都市です。柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町で、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる里です。

 

 東京からは、4時間ほどでたどり着けます。おもっていた以上に近いところにあります。

 

■ 遠野ふるさと村 昔ながらの山里を再現

 

 遠野を訪れたら、ぜひ、訪れて欲しいのが「遠野ふるさと村」です。

 

 ここは、標高1917メートルの早池峰山の山麓に広がる、遠野の里山から水田のある地域に、昔ながらの山里の風景を、再現した施設です。

 

 

■ アクセス

 

 街の中心地からは、12キロも離れたところにありますし、バスの本数も少ないですので、交通手段と時間は、事前に充分に検討しておく必要があります。

 

 バスも駐車できる、大きな駐車場がありますので、レンタカーでも心配ありません。

 

 

 

 

■■ 民話の里「遠野」 伝承園 ■■

5-2-4 遠野を手際よく体感 曲り家菊池家住宅・おしら堂

 

 カッパ淵で遠野の伝説に触れた後、そこから徒歩5分ほどのところにある伝承園に向かいました。


  伝承園は、遠野駅から北へ6キロほどのところにあります。園への入口の前には、自家用車が100台ほど駐車できるスペースもあります。

 遠野地方の農家の、かつての生活様式を再現し、伝承行事や昔話、民芸品の製作・実演などを体験することができます。
 

 

 

■ 伝承園・曲り家菊池家住宅・おしら堂

 

菊池家住宅(曲り家)

 

 工芸館のすぐ前が、曲り家です。菊池家住宅で、国の重要文化財に指定されています。


 このシリーズで、すでにご紹介しています曲り家は、飛騨の合掌造りと並んで、日本を代表する藁葺き民家です。居住空間は南向きで、冬に季節風を避けることができます。

 

 それに対してL字型に曲がった部分が厩です。居間や台所から、常に馬の様子を見ることができます。馬も家族の一員なのです。
 

 

 

 

 菊池家の曲り家は、もともとは、母屋部分だけの「直家」でした。あとから土間の部分に、厩部分を建て増ししたのです。


 

囲炉裏を囲んで語り部さんが民話を語る


 土間からあがりますと、囲炉裏のある部屋に出ます。ここでは、時間になりますと、語り部のおばあちゃん達が来て、民話を聞かせてくれます。

 

 黒光りする廊下を進んでゆきますと、生活空間に出ます。現在は、ここに農家の調度品や民具などが展示されています。

 

 

 台所の脇を通って、さらに進んでゆきますと、最も奥の部屋なのでしょうか、なにやら、理解できないモノが置かれています。機織り機やその関連機器なのでしょうか。その奥の部屋は「表座敷」と表示されています。

 

 

 その隣の部屋は、やや薄暗い部屋で、上を見ますと天井がなく、吹き抜けのようになっていて、そこから明かりを採っているようです。

 観光客向けのためか、行灯に灯が点っていました。

 

 

 

 部屋の奥に、後から造築したと思われる廊下があります。別棟の、納屋を改造した、おしら堂に直接いけるように繋げられています。

 おしら様とは、東北地方を中心に根付く民間信仰の一つで、災難よけ・病気治癒のために、農業手伝いの神様や、好ましくない人を咎める神様などの役を果たすといわれています。ここ、遠野では桑の木を材料とした男根の形をした、二体一対のものが多いです。

 おしら堂には、近隣や訪れた人たちが作ったものなのでしょうか、布製のおしら様が、千体も、展示されていました。
 

 

【 注 】

 伝承園関連の映像は、一本にまとめられていますので、シリーズ5-2の映像は同一のモノを使用しています。

 

民話の里 遠野5-2 
伝承園 5-2-4
短時間で遠野の生活や曲り家・水車に触れ、民話を体感できます


 遠野市は、岩手県内陸部南寄りにある都市です。
 柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町で、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる里です。
 「遠野映像シリーズ」では、豊富な写真や動画を編集して、わかりやすい解説を付けて映像化しています。

 日本全国、カシャリとした写真や動画をお楽しみ下さい。



 

遠野をナレーション付き映像で体感

 【 注 】 ユーチューブだけではなく、ブログ・サイトでも紹介しています。

http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm

 

 

民話の里「遠野」1  民話の里・遠野を知る 6分
カッパや座敷童(わらし)などで知られる遠野は、柳田国男の遠野物語が処々で現れてきます
民話の里「遠野」21  水光園古民家村概要 6分
豊かな水を、ふんだんに用いた庭園は、滝もあり遠野を俯瞰的に見るための第一歩です。
民話の里「遠野」22  水光園遠野池・カッパ 7分
遠野池の夢見堂にまつわる女神伝説と、ここに棲むカッパの家族をご紹介
民話の里「遠野」23  水光園古民家を巡る 9.5分
代表的な藁葺き屋根「曲り家」や、曲り家に付帯する水車小屋や納戸と遠野を体験する建物の紹介
民話の里「遠野」3  福泉寺木彫り観音日本一 16分
真言宗法門山福泉寺は、岩手県の代表的な寺院、五重塔・多宝塔や日本一の木彫りの大観音で知られる
民話の里「遠野」41  ふるさと村1 山里と農村生活 12分
遠野の里山を体感し、農村風景を代表する曲り家と、馬を大切にする人々を知る
民話の里「遠野」42  ふるさと村2 山里と農村生活 12.5分
遠野の里山を体感し、農村風景を代表する曲り家と、馬を大切にする人々を知る
民話の里「遠野」51  カッパが棲む常堅寺裏の淵  7分
常堅寺の裏手のカッパ淵では、キュウリでカッパを釣ることができるそうです
民話の里「遠野」52  伝承園 遠野を手際よく体感 13.5分
民話の里「遠野」を、短時間で体感 曲り家や水車小屋、おしら様や座敷わらし、農村生活を垣間見る
民話の里「遠野」6  遠野城下町資料館で歴史を 6分
戦国時代から続く遠野南部家の装束や武具が展示され、小藩とは思えない豊かさを感じさせてくれます
民話の里「遠野」7  とおの物語の館 11分
遠野の古民家と、昔話や遠野物語の世界を視覚、聴覚、触覚で感じ取る 柳田国男と功績を知る
民話の里「遠野」8  市内を見下ろす鍋倉公園 5分
南部藩の城址が遠野市民だけではなく観光客の憩いの場として整備され、南部神社が拠点となっています
民話の里「遠野」9  博物館で歴史と文化を学ぶ 7.5分
「遠野物語の世界」・「遠野の自然とくらし」・「遠野の民俗学」を「山」「里」「町」、3つの暮らし分類で見る

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 

 

 


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◆【話材】 昨日09/08のつぶやき  アメリカの時計は回るのが遅い !?

2021-09-09 06:32:32 | ブログ

◆【話材】 昨日09/08のつぶやき  アメリカの時計は回るのが遅い !?

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日の【今日は何の日】も、つぶやき済ですので、そちらもあわせて【話材】としてご覧くださいますと幸いです。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2e407ec12b3c964739e643a450db2dbc

傘 

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

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■【今日は何の日】 9月9日 ■ 重陽の節句・菊の節句 ■ 散髪脱刀令発布

2021-09-09 00:03:00 | 【今日は何の日09月】

【今日は何の日】 9月9日 ■ 重陽の節句・菊の節句 ■ 散髪脱刀令発布


 一年365日、毎日が何かの日です。
 季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。
 これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
 独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 重陽の節句・菊の節句


 9月9日は、「重陽(ちょうよう)の節句」です。五節句の一つで、「菊の節句」とも言われています。中国古来の風習で、奇数は陰陽の「陽」の数で、陽の数が重なることから「重九の節句」とも言います。


 奇数が重なることは陽の気が強すぎ、「不吉」と見られ、それを沈めるために節句を設けました。九は最大の数字であることから「陽」も最大と考えられて、特に「不吉」が強いと考えられました。しかし後に、陽の重なりを「吉祥」と考えにようになり、お祝いの日となりました。


 この日には、菊酒をくみ交わして長寿を祝い合います。


 因みに五節句とは、下記の通りで、これを見て、あまり目立たない節句ですね。

 

  1月7日 人日
 
  3月3日 上巳
 
  5月5日 端午
 
  7月7日 七夕
 
  9月9日 重陽

 

■ 散髪脱刀令発布

 

 明治4年(1871)8月9日に「散髪脱刀令」と呼ばれ、一般には、「断髪令」といわれる太政官布告がありました。


 これにより散髪と脱刀が許可されたのです。すなわち、ちょんまげを切っても良いという男性を意識した太政官令なのですが、これを受けて断髪をする女性が続出したのです。


 そのため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令が発布されました。

 
 このような歴史的な経緯を踏まえ、1872(明治5)年4月6日に、当時の東京府が「女子の断髪禁止令」を出しました。

 

■ 【今日は何の日】その他


◇ 救急の日

◇ 多賀大社九月古例祭

 

(ドアノブ)

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 日本経営士協会は、特定非営利活動法人として内閣府による認証を受けた経営コンサルタント団体です。1951年に誕生し、経営コンサルタント育成と経営士・士補資格付与活動を1953年から積極的に行ってきている、日本で最初に設立され、約65年もの永きにわたりまして社会貢献をしてきています。
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