初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

阪神大震災の思い出

2017年12月04日 23時30分36秒 | Weblog


ついでに阪神大震災の時の思い出を

もうひとつ。出版部から震災特集の

社報を組むので表紙の依頼を受けました

当時、神戸へ行くのに、JR、阪急、

阪神などすべての交通は全滅で、しかも

道路も通行できませんでした

唯一の手段は海上でした

テレビ報道局がチャーターした小さな

クルーザーに宇治川の臨時桟橋から乗せてもらいました

神戸のメリケン波止場から朝日新聞内のテレビ支局へ

早速、近所を歩きますと、大きなビルが傾いたり、

倒壊していました。一番早く復活したのはチャイナタウンの

南京町でした。通りにはシュウマイ、肉饅頭、ラーメンなどを

手にもって立食パーティのように立ったまま

湯気を立てて食べていました…



甚大な被害を受けた長田区が、テレビ報道現場でした。

テレビ支局と放送現場をチャーターバスが運行していました

そのバスに便乗して向かいました。住宅が密集していたところが

見渡す限り焼け野原になっていました。



私達一家が敗戦後、満州から引き揚げてきて、

親父の故郷、浜松に汽車から降りて見渡した時を

思い出しました。浜松も米軍の艦砲射撃で一面

焼け野原で、遠くまで見渡せました…



私は一面の焼け野原の長田区で写真を撮りだして

ふと見ると、若い二人連れが、瓦礫をバックに

ニッコリ笑いながら記念写真を撮っていました

どういう事情があるのか兎に角、あまりにも

無神経な若者のふるまいに憤慨すると同時に、

私は仕事で写真を写しているのだと…以後、

左腕にテレビ局の腕章を巻いて撮り続けました…





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