ある作家の全集を通して読んでいくと、繰り返し似たような内容に出会うことがある。志賀直哉を対象にしばらく作品全部を繰り返して読む機会があったので、志賀直哉の場合を取り上げる。幾つか繰り返し出る話題があるが、目立つのは、霊性への関心、あるいは超感覚へのこだわりとも言うべき話題だ。この「超感覚」と組みになってよく現れるのが、「夢」である。
『夢』という作品では、何十年も合っていない友人が突然、夢に現れ、中学生時代に戻った二人が話した、その夢の内容を志賀は書いている。そして、その夢に続いて、その友人と対立していた当時のガキ大將だった人物に誘われ、その友人を罠にはめたという、思い出したくなかった記憶を、志賀直哉は記している。が、不思議なのは、それに続いて、その夢を書いて二週間ばかり経ったあと偶然、電車の中でその友人を何十年ぶりかで見かけたということだ。そのときは、相手も気が付いたようだったがそのまま別れてしまった。と、今度は、その二週間余り後、今度は、レストランで、その友人と偶然もう一度会い今度は、言葉を交わした。そして、その後、志賀の留守中に、その友人が、訪ねてきた。志賀は、以前の思い出したくない記憶を小説に書いたことをその友人が読んで訪ねてきたのかと思い、確かめたが、そうではなく、その友人は偶然、自分の仕事の関係で志賀の住んでいた我孫子にきて、志賀の家があることを聞き、訪れたのだった。何十年も会っていない友人が突然、夢に現れ、しかも、今まで近くに居ながら会ったことがなかったその友人と、偶然、再会したというのは、計り知れない偶然の力が作用したと志賀は感じたらしい。
超心理学のような立場では、こうした現象を「予知夢」と呼ぶのかもしれないが、志賀直哉にとってこうしたことは珍しいことではなかったらしい。
もう一つ、作品で書かれているのは、遺作となった『盲龜浮木』の中のモラエスの話である。随分昔に、四国旅行に行ったとき、モラエスの住居に案内されて行ったという思い出話が書かれた後、今度は、自分の家にモラエスの研究者が紹介状を持ってやってきた。が、不思議なのは、その人が来た日の朝、志賀直哉は、偶然、モラエスの夢を見ていたことだ。四国の旅行に行った、やはり、何十年前かのことを思い出して、モラエスの住居にモラエスが居る様子が夢に現れた。そして、それを奧さんに話していたところ、偶然、モラエスを研究していた人が現れたというわけである。
晩年の志賀直哉の弟子だった阿川弘之は『志賀直哉』(岩波書店)の中で、こうした志賀直哉の「超感覚」について触れている。氏が志賀直哉の伊豆の住まいを事前の連絡なしに訪ねていくと、今志賀が今日は阿川が来そうだと思って、食事を準備させて置いたと言ったというような経験である。同じ様なことが繰り返しあったと阿川は書いている。
以上のような「超感覚」が「予知」だとすると、なくした物を探し出したりする一種の「千里眼」の話も志賀は書いている。独立の作品としても公開されたが、『盲龜浮木』の三編目に入っている『クマ』は、飼い犬の「クマ」を愛情深く描いた作品だが、クライマックスは、居なくなって10日目、来客などがあって外出が遅くなったあげく夕方に神田に子供たちと出かけた志賀が、バスの中から、通りの反対側へ走っていく「クマ」らしい犬を見かけ、バスを無理矢理飛び降りて、追いかける話だ。結局、気が付かないで走っていく「クマ」を追いかける志賀の姿を見て、通りがかりの若者が「クマ」を押さえてくれて、志賀は無事に愛犬に再会できた。
志賀は、計り知れない偶然が重なって、広い東京の中で、しかも、夕方の一瞬に居なくなった「クマ」を見かけることができたと言い、何か計り知れない力がそこに働いたと感じている。
また、志賀の晩年の作品を見るとよく分かるが、志賀は、また一種の「異常記憶」の持ち主のようである。たとえば、40年以上も前に見た歌舞伎の芝居小屋見物の様子を、どの人物に合い、何を話し、どのような順番で見たか最初から最後まで、晩年の『芝居見物』という作品で書いている。最後に、病気の市川団十郎(先々代)へのいたわりのことばが書かれているが、案内をしてくれたのが、40年前の団十郎だったのだ。同じく友人との想い出を書きながら失われた友情を愛惜している『蝕まれた友情』も、白樺派の同志だった有島生馬との友情とその後の軋轢を想い出をたどりながら少年時代から書いている。志賀の後半生に多く残されたこうした作品は、読者からも研究者からも阻害されているようだが、川端の晩年の作品などと比べれば、遥かに人間らしい感じがする。
というのは、志賀のこうした「超感覚」は、自分が愛情を持った対象や関心を持った人間に対して発揮されているようだからである。弟子の阿川はもちろん、「夢」の主人公T、『盲龜浮木』のモラエス、クマ、『芝居見物』市川団十郎、『蝕まれた友情』有島生馬など、志賀が何らかの愛情や関心を向けた点では、共通しているのである。そしてこうした感覚は、時代を超えているらしい。
「異常記憶」という点で言えば、向田邦子の随筆は、志賀と同質の面があるように思われる。向田の随筆は、『父の詫び状』のように大半が、志賀が後半生で書いていたような、想い出である。特に父や母、祖父、弟妹など愛情をそそいだ人々への愛惜の念が、そうした古い記憶を生き生きと再現しているようだ。脚色があるとしても30年以上も前の些細な想い出を、書き連ねることは、竝外れた記憶であることには違いない。『ツルチック』という話があるが、これも偶然に思い出した、ある飮料のことで、それを飲んだときの家族の様子まで再現されている。結局、作者には正体が分からなかったが、読者からの投書で、朝鮮半島で木の実から作られていた飮料だったことが分かった。こうして、失われていた物を甦らせたのは、「千里眼」の一種とも言えるだろう。
同じ様な「超感覚」が作品によく出ているのは、吉本バナナである。代表作の一つ『キッチン』にも、「超常的」な場面が書かれている。吉本の場合は、「死」と「超常的」現象による「再生」という場面の設定であり、全部の作品を読んではいないが、『白川夜船』などでも、同じ形で繰り返し書かれている。これも、志賀と同じ様な、計り知れない「偶然」がはたらく世界の一つと言えるだろう。
私は、こうした小説や随筆にオカルト的な興味を持っているわけではない。ただ、人が繰り返し同じことをすることに、不思議さを感じるだけである。古代のギリシア人は、時間を循環するものと捉えていたという話を読んだことがあるが、そのときは何のことか、よく理解できなかった。ただ、今になって、志賀や吉本など、作家の軌跡をたどっていくと、直線的に発展してはいず、むしろ波動や螺旋形に生きていたように見えるのが、暗合しているように思われる。作品の読み方も、文学史的な「発展」の世界から離れることが、できるように思われる。
近代人は、デカルトの例をあげるまでもなく、人間や世界を低いレベルから高いレベルへ発展するという図式で捉えてきた。なぜそう言えるかといえば、デカルトの理性やコモンセンスという考え方は、その運用を誤りなくおこなうことで真理に逹する方法であり、運用が正しくない状態(未開)から運用が正しく行なわれている状態(文明)という、発展のモデルがその背後に働いていると見られるからだ。その呪縛は、今でも続いている。「新しさ」ということばで、その理想を言い表せるかもしれない。
しかし、志賀直哉のような人の一生を見ると、人は発展し進化しているわけではなく、いつも同じ主題を反復しながら、その内実を次第に明らかにしていると見ることもできる。余分なものを棄てて、大事なところだけをのこしていく「深まり」と言われる質的な変化である。吉本バナナの帰趨はまだわからないが、志賀直哉の文名も、向田邦子の名も、文学史から消すことは出来ないだろう。質的な「深まり」を、こうした「反復」をたどった人から、私たちは学ぶことが出来る。
人が挫折するように、国家や社会も挫折し停滞し始める。順境では見えなかった多くの問題が、闇の中から現れてくる。どちらの生き方をとるのか、答えはすでに明らかになっている。
『夢』という作品では、何十年も合っていない友人が突然、夢に現れ、中学生時代に戻った二人が話した、その夢の内容を志賀は書いている。そして、その夢に続いて、その友人と対立していた当時のガキ大將だった人物に誘われ、その友人を罠にはめたという、思い出したくなかった記憶を、志賀直哉は記している。が、不思議なのは、それに続いて、その夢を書いて二週間ばかり経ったあと偶然、電車の中でその友人を何十年ぶりかで見かけたということだ。そのときは、相手も気が付いたようだったがそのまま別れてしまった。と、今度は、その二週間余り後、今度は、レストランで、その友人と偶然もう一度会い今度は、言葉を交わした。そして、その後、志賀の留守中に、その友人が、訪ねてきた。志賀は、以前の思い出したくない記憶を小説に書いたことをその友人が読んで訪ねてきたのかと思い、確かめたが、そうではなく、その友人は偶然、自分の仕事の関係で志賀の住んでいた我孫子にきて、志賀の家があることを聞き、訪れたのだった。何十年も会っていない友人が突然、夢に現れ、しかも、今まで近くに居ながら会ったことがなかったその友人と、偶然、再会したというのは、計り知れない偶然の力が作用したと志賀は感じたらしい。
超心理学のような立場では、こうした現象を「予知夢」と呼ぶのかもしれないが、志賀直哉にとってこうしたことは珍しいことではなかったらしい。
もう一つ、作品で書かれているのは、遺作となった『盲龜浮木』の中のモラエスの話である。随分昔に、四国旅行に行ったとき、モラエスの住居に案内されて行ったという思い出話が書かれた後、今度は、自分の家にモラエスの研究者が紹介状を持ってやってきた。が、不思議なのは、その人が来た日の朝、志賀直哉は、偶然、モラエスの夢を見ていたことだ。四国の旅行に行った、やはり、何十年前かのことを思い出して、モラエスの住居にモラエスが居る様子が夢に現れた。そして、それを奧さんに話していたところ、偶然、モラエスを研究していた人が現れたというわけである。
晩年の志賀直哉の弟子だった阿川弘之は『志賀直哉』(岩波書店)の中で、こうした志賀直哉の「超感覚」について触れている。氏が志賀直哉の伊豆の住まいを事前の連絡なしに訪ねていくと、今志賀が今日は阿川が来そうだと思って、食事を準備させて置いたと言ったというような経験である。同じ様なことが繰り返しあったと阿川は書いている。
以上のような「超感覚」が「予知」だとすると、なくした物を探し出したりする一種の「千里眼」の話も志賀は書いている。独立の作品としても公開されたが、『盲龜浮木』の三編目に入っている『クマ』は、飼い犬の「クマ」を愛情深く描いた作品だが、クライマックスは、居なくなって10日目、来客などがあって外出が遅くなったあげく夕方に神田に子供たちと出かけた志賀が、バスの中から、通りの反対側へ走っていく「クマ」らしい犬を見かけ、バスを無理矢理飛び降りて、追いかける話だ。結局、気が付かないで走っていく「クマ」を追いかける志賀の姿を見て、通りがかりの若者が「クマ」を押さえてくれて、志賀は無事に愛犬に再会できた。
志賀は、計り知れない偶然が重なって、広い東京の中で、しかも、夕方の一瞬に居なくなった「クマ」を見かけることができたと言い、何か計り知れない力がそこに働いたと感じている。
また、志賀の晩年の作品を見るとよく分かるが、志賀は、また一種の「異常記憶」の持ち主のようである。たとえば、40年以上も前に見た歌舞伎の芝居小屋見物の様子を、どの人物に合い、何を話し、どのような順番で見たか最初から最後まで、晩年の『芝居見物』という作品で書いている。最後に、病気の市川団十郎(先々代)へのいたわりのことばが書かれているが、案内をしてくれたのが、40年前の団十郎だったのだ。同じく友人との想い出を書きながら失われた友情を愛惜している『蝕まれた友情』も、白樺派の同志だった有島生馬との友情とその後の軋轢を想い出をたどりながら少年時代から書いている。志賀の後半生に多く残されたこうした作品は、読者からも研究者からも阻害されているようだが、川端の晩年の作品などと比べれば、遥かに人間らしい感じがする。
というのは、志賀のこうした「超感覚」は、自分が愛情を持った対象や関心を持った人間に対して発揮されているようだからである。弟子の阿川はもちろん、「夢」の主人公T、『盲龜浮木』のモラエス、クマ、『芝居見物』市川団十郎、『蝕まれた友情』有島生馬など、志賀が何らかの愛情や関心を向けた点では、共通しているのである。そしてこうした感覚は、時代を超えているらしい。
「異常記憶」という点で言えば、向田邦子の随筆は、志賀と同質の面があるように思われる。向田の随筆は、『父の詫び状』のように大半が、志賀が後半生で書いていたような、想い出である。特に父や母、祖父、弟妹など愛情をそそいだ人々への愛惜の念が、そうした古い記憶を生き生きと再現しているようだ。脚色があるとしても30年以上も前の些細な想い出を、書き連ねることは、竝外れた記憶であることには違いない。『ツルチック』という話があるが、これも偶然に思い出した、ある飮料のことで、それを飲んだときの家族の様子まで再現されている。結局、作者には正体が分からなかったが、読者からの投書で、朝鮮半島で木の実から作られていた飮料だったことが分かった。こうして、失われていた物を甦らせたのは、「千里眼」の一種とも言えるだろう。
同じ様な「超感覚」が作品によく出ているのは、吉本バナナである。代表作の一つ『キッチン』にも、「超常的」な場面が書かれている。吉本の場合は、「死」と「超常的」現象による「再生」という場面の設定であり、全部の作品を読んではいないが、『白川夜船』などでも、同じ形で繰り返し書かれている。これも、志賀と同じ様な、計り知れない「偶然」がはたらく世界の一つと言えるだろう。
私は、こうした小説や随筆にオカルト的な興味を持っているわけではない。ただ、人が繰り返し同じことをすることに、不思議さを感じるだけである。古代のギリシア人は、時間を循環するものと捉えていたという話を読んだことがあるが、そのときは何のことか、よく理解できなかった。ただ、今になって、志賀や吉本など、作家の軌跡をたどっていくと、直線的に発展してはいず、むしろ波動や螺旋形に生きていたように見えるのが、暗合しているように思われる。作品の読み方も、文学史的な「発展」の世界から離れることが、できるように思われる。
近代人は、デカルトの例をあげるまでもなく、人間や世界を低いレベルから高いレベルへ発展するという図式で捉えてきた。なぜそう言えるかといえば、デカルトの理性やコモンセンスという考え方は、その運用を誤りなくおこなうことで真理に逹する方法であり、運用が正しくない状態(未開)から運用が正しく行なわれている状態(文明)という、発展のモデルがその背後に働いていると見られるからだ。その呪縛は、今でも続いている。「新しさ」ということばで、その理想を言い表せるかもしれない。
しかし、志賀直哉のような人の一生を見ると、人は発展し進化しているわけではなく、いつも同じ主題を反復しながら、その内実を次第に明らかにしていると見ることもできる。余分なものを棄てて、大事なところだけをのこしていく「深まり」と言われる質的な変化である。吉本バナナの帰趨はまだわからないが、志賀直哉の文名も、向田邦子の名も、文学史から消すことは出来ないだろう。質的な「深まり」を、こうした「反復」をたどった人から、私たちは学ぶことが出来る。
人が挫折するように、国家や社会も挫折し停滞し始める。順境では見えなかった多くの問題が、闇の中から現れてくる。どちらの生き方をとるのか、答えはすでに明らかになっている。
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