新学期が始まり、授業が午後と夜間に入っている関係で、午前中は次男の世話を引き受けて過ごしている。
いくつか散歩のコースがあるが、その日は、歩くのが好きな次男を連れて、近くの大学のキャンパスに向かった。
この大学は、台湾でも最も古い大学の一つだ。正門を入り、並木の下を歩いて、グランドに向かった。煉瓦を細かく砕いた赤い土を敷いたトラックの中で、しばらく土を捏ねたり、小石を投げたりして遊んだ。長男の時も、ここによく連れてきた。あるとき、グランドの木を切っていた職人が、仕事を終え、切った木を運びながら、子供が土を弄っているのを見て、「いまどき珍しいね、子供はこうでなくちゃ」と笑いながら言ったのを思い出した。その頃は、立ち木の手入れも余りされず、グランドの周りは、鬱蒼と木々が茂っていた。人通りもまばらだった。
最近は、新しい研究棟や学生寮がグランド奧の敷地にでき、右手には、書店やコンビニも開店して、学生達の行き来も多い。子供連れで散歩に来る母親や、祖母の姿もよく見かける。
土遊びに飽きた次男を連れて、暫くグランドの芝生の中を歩いた。少し離れたところに、犬が寝そべっていた。それを見つけた次男が、「アチェー、アチェー」と指さしながら、そちらへ走り出した。犬は、こちらを見たが、子供で害はないと思ったのか、また、頭を前足の間に下ろして、目をつぶってしまった。次男はやや離れて止まり、両手を上にあげ、膝を曲げたり伸ばしたりして、うれしそうに犬を見ていた。
「寝んねしてるから、邪魔しないように」と言って、次男の手を引いて、グランドから正門前の道へ出た。朝方、雨が降ったせいか、ところどころに水たまりがあった。次男は、その一つに近づいて、うれしそうに、足を入れては出し、入れては出ししている。
そのうちに、今度は、並木の下に生えていた草を取ってきては投げ入れだした。
水たまりで遊ぶのが、楽しくて仕方がなかったのは、いったい幾つの頃だったろうか。子供の頃は、舖裝された道の方が少なかった。家の前はもちろん、小学校への通学路やバス通りでも、舖裝されたところは珍しかった。雨が降れば、もちろんすぐに泥濘になり、あちこちに大小さまざまな水たまりができた。小学校からの帰り道、朝降っていた雨が午後止むと、できた水たまりで遊びながら帰るのが、楽しみだったのを思い出す。小石を拾ってきては、少し離れたところから投げ入れて、どちらがたくさん入るか競ったり、木の葉を浮かべて軍艦に見立て、小石を砲弾だと言って、当てたりした。道の水たまりは、池ぐらいだが、空き地に行くと、工事のダンプカーが刻んだ轍のあとがくぼんで、湖のように広い水たまりがあった。辺りから一抱えもある大きな石を見つけてきては、投げ入れて、水や泥が飛び散るのを楽しんだ。あるいは、一部を塞き止めてダムのようにし、水をダムの側に移そうとする遊びもできた。違うグループの子が作ったダムや要塞を、後から行って、壊すのも面白かった。
泥濘という文化生活からはまったく無用で厄介な空間を、かつては、子供たちが生かしていた。どこにでもある草茫茫の空地、灌木の生い茂った丘、羊齒の生えた崖、砂と泥のたまった古い排水路、崩れかけた土手の小川、うち捨てられた廃屋、それらは、世界旅行にも匹敵する未知の豊かな空間だった。そうした「無用な物」を見る目を失ってすでに久しい。
次男は、小石を取ってきては、水たまりに入れ、飽きることがない。雲が広がり、日が陰ってきた。10月ともなると、日射しのない通りには、さすがに冷凉とした風を感じる。立ち木を指さして、「目があるよ」と言うと、次男は何だというように、こちらへ顔を向けた。木の枝を落とした周囲が跡が、目の形になり、枝があった丸い形が、瞳のように見える。「木も見ているのかな」と言いながら、次男の手を引いて、歩き出した。「目があるか?」と並木の一本一本を見て、「木の目」を探していった。
長男のときも、次男のときも、もう子供たちに自由な空間は与えられない。車も多く、子供だけの外出は危険だし、下手をすれば誘拐されて、二度と会えなくなってしまう。せめて身近な場所に残された「夢」を一緒に見つけて、幼児期の記憶に留めてやれればと、また、次の散歩道を考えながら、大学を後にした。
いくつか散歩のコースがあるが、その日は、歩くのが好きな次男を連れて、近くの大学のキャンパスに向かった。
この大学は、台湾でも最も古い大学の一つだ。正門を入り、並木の下を歩いて、グランドに向かった。煉瓦を細かく砕いた赤い土を敷いたトラックの中で、しばらく土を捏ねたり、小石を投げたりして遊んだ。長男の時も、ここによく連れてきた。あるとき、グランドの木を切っていた職人が、仕事を終え、切った木を運びながら、子供が土を弄っているのを見て、「いまどき珍しいね、子供はこうでなくちゃ」と笑いながら言ったのを思い出した。その頃は、立ち木の手入れも余りされず、グランドの周りは、鬱蒼と木々が茂っていた。人通りもまばらだった。
最近は、新しい研究棟や学生寮がグランド奧の敷地にでき、右手には、書店やコンビニも開店して、学生達の行き来も多い。子供連れで散歩に来る母親や、祖母の姿もよく見かける。
土遊びに飽きた次男を連れて、暫くグランドの芝生の中を歩いた。少し離れたところに、犬が寝そべっていた。それを見つけた次男が、「アチェー、アチェー」と指さしながら、そちらへ走り出した。犬は、こちらを見たが、子供で害はないと思ったのか、また、頭を前足の間に下ろして、目をつぶってしまった。次男はやや離れて止まり、両手を上にあげ、膝を曲げたり伸ばしたりして、うれしそうに犬を見ていた。
「寝んねしてるから、邪魔しないように」と言って、次男の手を引いて、グランドから正門前の道へ出た。朝方、雨が降ったせいか、ところどころに水たまりがあった。次男は、その一つに近づいて、うれしそうに、足を入れては出し、入れては出ししている。
そのうちに、今度は、並木の下に生えていた草を取ってきては投げ入れだした。
水たまりで遊ぶのが、楽しくて仕方がなかったのは、いったい幾つの頃だったろうか。子供の頃は、舖裝された道の方が少なかった。家の前はもちろん、小学校への通学路やバス通りでも、舖裝されたところは珍しかった。雨が降れば、もちろんすぐに泥濘になり、あちこちに大小さまざまな水たまりができた。小学校からの帰り道、朝降っていた雨が午後止むと、できた水たまりで遊びながら帰るのが、楽しみだったのを思い出す。小石を拾ってきては、少し離れたところから投げ入れて、どちらがたくさん入るか競ったり、木の葉を浮かべて軍艦に見立て、小石を砲弾だと言って、当てたりした。道の水たまりは、池ぐらいだが、空き地に行くと、工事のダンプカーが刻んだ轍のあとがくぼんで、湖のように広い水たまりがあった。辺りから一抱えもある大きな石を見つけてきては、投げ入れて、水や泥が飛び散るのを楽しんだ。あるいは、一部を塞き止めてダムのようにし、水をダムの側に移そうとする遊びもできた。違うグループの子が作ったダムや要塞を、後から行って、壊すのも面白かった。
泥濘という文化生活からはまったく無用で厄介な空間を、かつては、子供たちが生かしていた。どこにでもある草茫茫の空地、灌木の生い茂った丘、羊齒の生えた崖、砂と泥のたまった古い排水路、崩れかけた土手の小川、うち捨てられた廃屋、それらは、世界旅行にも匹敵する未知の豊かな空間だった。そうした「無用な物」を見る目を失ってすでに久しい。
次男は、小石を取ってきては、水たまりに入れ、飽きることがない。雲が広がり、日が陰ってきた。10月ともなると、日射しのない通りには、さすがに冷凉とした風を感じる。立ち木を指さして、「目があるよ」と言うと、次男は何だというように、こちらへ顔を向けた。木の枝を落とした周囲が跡が、目の形になり、枝があった丸い形が、瞳のように見える。「木も見ているのかな」と言いながら、次男の手を引いて、歩き出した。「目があるか?」と並木の一本一本を見て、「木の目」を探していった。
長男のときも、次男のときも、もう子供たちに自由な空間は与えられない。車も多く、子供だけの外出は危険だし、下手をすれば誘拐されて、二度と会えなくなってしまう。せめて身近な場所に残された「夢」を一緒に見つけて、幼児期の記憶に留めてやれればと、また、次の散歩道を考えながら、大学を後にした。