秋から新学期が始まる台湾では、一学期の中間試験は10月、二学期は3月だ。小学校から大学まで、この前後にほぼ同じように試験がある。試験を終えた高校生などが、お昼過ぎに、帰宅を急ぐ姿が町のあちこちで見られる。会話を教えに通っているいくつかの大学は、学生達の姿もまばらだ。自分の小学校時代には、まとまった試験はなかったように思われるが、長男は、一つの学期に二回定期のテストを受けて、結果を持って帰ってくる。
長男は四年生になったが、一年のときからずっと「國語」を習ってきた。と言っても、日本語ではない。日本では「中国語」と言われていることばの読み書きのことだ。台湾の家庭では、日本帝国の植民地時代に教育を受けた人は、日本語か自分の家族のことばしか使わない人がまだ残っている。日本語は当時、台湾の人々が通っていた公学校で教えられることばであり、公用語だった。その一方で、台湾語、客家語、各原住民のことばが生活では使われていたようだ。旧国鉄の職員だった義父もそうで、今でも、私には日本語、その他の家族には、台湾語しか話さない。植民地時代の「國語」は日本語だったが、今の「國語」は、日本では「中国語」と言われていることばである。いわゆる「北京語」である。しかし、第二次大戦後の中国国民党と中国共産党の闘争の歴史を反映して、「北京語」と言っても、同じではない。
家内から、小学校時代の中国語は「おかしかった」という話を聞いたことがある。1949年、大陸での戦闘に破れた国民党は、台湾に移動した。国民党政府は、中国語を「國語」と決めたが、そうした専門の先生は少ないく、きれいな北京語を話せる人は限られていた。それまで大陸の方言を知らなかった台湾の人々に、「中国語」として教えられたのは、各地の「お国なまり」だった。東北、山東、狭西、四川など、各地から逃れてきた人々の「中国語」は、文字通り「お国なまり」だったのだ。
今でもときどき聞き慣れない「中国語」を耳にすることがあるが、家内が聞いてもよく分からない。それは、そうした時代の方が話している大陸の方言である。
音声言語としてばかりではなく、大陸と台湾では、50年以上に渡る政権の違いによって、使っている字体も全く違っている。日本でもそうだったが、中国では、各王朝で使っている字体を大きく切り換え、自分の王朝独自の字体を考案していた。秦は篆書、漢は隸書と草書、魏晋南北朝から唐にかけて行書、楷書が使われた。その後の、宋、明、清では楷書の書体を整理して、宋朝体や明朝体が使われた。日本では、変体仮名と草書などを用いた江戸幕府時代の御家流が、薩長の明治政府時代になって、公用文ではカタカナと楷書、その他ではひらがなと楷書に変えられた。
現在の私たちは江戸時代の変体仮名を読むことが出来ない。前時代と文字を変えることで、前時代の資料は意味を失い、視界から消えていく。わずかな専門家が、読めるだけであり、そうすることで、現政権は、自分の過去を都合のよいように書き換えることが出来る。
中国大陸では、共産党の作った簡体字が使われているのに対し、台湾では明治政府の時代から使われ始めた旧字体に近い繁体字が使われている。その由来は、清朝の康煕字典体からだろう。
学校の宿題で日記を書いていた長男が、「パパ、『あー』の字はなに?」と聞いてきた。「『あー』って、どんなときの『あー』なの」と聞き返すと、「『とーつあーら(肚子餓了:お腹がすいた)』の『あー』は?」と説明してくれた。
これかと言って『飢』の字を書いてみせると、「そうじゃない」と言う。「じゃー、辞書で調べてみたら」と言うと、長男は、置いてあった小型の辞書を引きだした。後ろに音訓索引が付いていて、台湾式の注音字母で字が引けるようになっている。が、見つからないと助けを求めてきた。『あー』の欄を見ていくと、『餓』の字が見つかった。「これだろう」と言うと、うれしそうに「ああ、そうだ」と、日記の続きを書き始めた。
『餓』の字は、日本の書き方では「食」+「我」だが、台湾の書き方では、「しょくへん(たべるへん)」の字体が違って、「饅」のへんに「我」になる。「飢餓」の字は、今の日本の学習指導要領では、何年生に割り当てられているのだろうか。
中国本土のはずの「中国」で既に失われてしまった「しょくへん(たべるへん)」の字体が、僻地だったはずの台湾や香港、あるいは東南アジアで今も使われている。日本でも、旧字体として、学ぶ人があり、文学全集や人名漢字、資料では生き残っている。後代にそれを伝えるのかどうかは、搖るがせにできない問題だろう。日本の国営放送を標榜する某放送局は、「~の本場、中国」という言い方を好んで使っているようだが、簡体字を「文化の本場」と言うのは、言い換えれば、中国共産党の作った字体は、文化の中心にふさわしいと言っているのと同じで、「巧言令色鮮仁」という古人の名言がそのまま当たる気がする。「阿諛追従」もここまでくれば、「幇間」と同じレベルだろう。本国で失われた物が、周辺の地域に残っているという事実すら、この放送局の職員は、理解できないのだ。
字体の違いは、コンピューター時代では、大きな問題になっている。中国、香港、台湾の字体の違いを比較した結果を児島慶次氏がホームページで公開している。どれが正字でどれが異体字かという漢字の書体の認定でも、三カ国で大きく違っている。
漢字字体対照
長男は四年生になったが、一年のときからずっと「國語」を習ってきた。と言っても、日本語ではない。日本では「中国語」と言われていることばの読み書きのことだ。台湾の家庭では、日本帝国の植民地時代に教育を受けた人は、日本語か自分の家族のことばしか使わない人がまだ残っている。日本語は当時、台湾の人々が通っていた公学校で教えられることばであり、公用語だった。その一方で、台湾語、客家語、各原住民のことばが生活では使われていたようだ。旧国鉄の職員だった義父もそうで、今でも、私には日本語、その他の家族には、台湾語しか話さない。植民地時代の「國語」は日本語だったが、今の「國語」は、日本では「中国語」と言われていることばである。いわゆる「北京語」である。しかし、第二次大戦後の中国国民党と中国共産党の闘争の歴史を反映して、「北京語」と言っても、同じではない。
家内から、小学校時代の中国語は「おかしかった」という話を聞いたことがある。1949年、大陸での戦闘に破れた国民党は、台湾に移動した。国民党政府は、中国語を「國語」と決めたが、そうした専門の先生は少ないく、きれいな北京語を話せる人は限られていた。それまで大陸の方言を知らなかった台湾の人々に、「中国語」として教えられたのは、各地の「お国なまり」だった。東北、山東、狭西、四川など、各地から逃れてきた人々の「中国語」は、文字通り「お国なまり」だったのだ。
今でもときどき聞き慣れない「中国語」を耳にすることがあるが、家内が聞いてもよく分からない。それは、そうした時代の方が話している大陸の方言である。
音声言語としてばかりではなく、大陸と台湾では、50年以上に渡る政権の違いによって、使っている字体も全く違っている。日本でもそうだったが、中国では、各王朝で使っている字体を大きく切り換え、自分の王朝独自の字体を考案していた。秦は篆書、漢は隸書と草書、魏晋南北朝から唐にかけて行書、楷書が使われた。その後の、宋、明、清では楷書の書体を整理して、宋朝体や明朝体が使われた。日本では、変体仮名と草書などを用いた江戸幕府時代の御家流が、薩長の明治政府時代になって、公用文ではカタカナと楷書、その他ではひらがなと楷書に変えられた。
現在の私たちは江戸時代の変体仮名を読むことが出来ない。前時代と文字を変えることで、前時代の資料は意味を失い、視界から消えていく。わずかな専門家が、読めるだけであり、そうすることで、現政権は、自分の過去を都合のよいように書き換えることが出来る。
中国大陸では、共産党の作った簡体字が使われているのに対し、台湾では明治政府の時代から使われ始めた旧字体に近い繁体字が使われている。その由来は、清朝の康煕字典体からだろう。
学校の宿題で日記を書いていた長男が、「パパ、『あー』の字はなに?」と聞いてきた。「『あー』って、どんなときの『あー』なの」と聞き返すと、「『とーつあーら(肚子餓了:お腹がすいた)』の『あー』は?」と説明してくれた。
これかと言って『飢』の字を書いてみせると、「そうじゃない」と言う。「じゃー、辞書で調べてみたら」と言うと、長男は、置いてあった小型の辞書を引きだした。後ろに音訓索引が付いていて、台湾式の注音字母で字が引けるようになっている。が、見つからないと助けを求めてきた。『あー』の欄を見ていくと、『餓』の字が見つかった。「これだろう」と言うと、うれしそうに「ああ、そうだ」と、日記の続きを書き始めた。
『餓』の字は、日本の書き方では「食」+「我」だが、台湾の書き方では、「しょくへん(たべるへん)」の字体が違って、「饅」のへんに「我」になる。「飢餓」の字は、今の日本の学習指導要領では、何年生に割り当てられているのだろうか。
中国本土のはずの「中国」で既に失われてしまった「しょくへん(たべるへん)」の字体が、僻地だったはずの台湾や香港、あるいは東南アジアで今も使われている。日本でも、旧字体として、学ぶ人があり、文学全集や人名漢字、資料では生き残っている。後代にそれを伝えるのかどうかは、搖るがせにできない問題だろう。日本の国営放送を標榜する某放送局は、「~の本場、中国」という言い方を好んで使っているようだが、簡体字を「文化の本場」と言うのは、言い換えれば、中国共産党の作った字体は、文化の中心にふさわしいと言っているのと同じで、「巧言令色鮮仁」という古人の名言がそのまま当たる気がする。「阿諛追従」もここまでくれば、「幇間」と同じレベルだろう。本国で失われた物が、周辺の地域に残っているという事実すら、この放送局の職員は、理解できないのだ。
字体の違いは、コンピューター時代では、大きな問題になっている。中国、香港、台湾の字体の違いを比較した結果を児島慶次氏がホームページで公開している。どれが正字でどれが異体字かという漢字の書体の認定でも、三カ国で大きく違っている。
漢字字体対照
実は繁体字で北京語を勉強したいと思っているのですが、書店でもインターネットでも簡体字のテキストしかなく困っております。当面台湾の北京語しか勉強するつもりはないで繁体字でないと困るのですが・・・。
はじめての書き込みで大変失礼かと思いますが、もし北京語を繁体字で学べる本をご存知でしたらお教えいただけないでしょうか?
繁体字の本はなかなか見つからないですが、私は台湾師範大学の中国語テキストを使っています。
繁体字の本はなかなか見つからないですが、私は台湾師範大学の中国語テキストを使っています。
http://homepage3.nifty.com/cocoma/
cocoma@nifty.com
「陳」の右側つくりは、東(8画)ですが、「練」のつくりは、諫言のつくりと同じで「東」の中の横棒が、点点で二画になっているので9画ですね。