義母の薬をもらい、家内がいつも通院している、台北・士林の総合病院へ一月ぶりに行った。
義母は今年72歳になるが、10年前に脳梗塞になり、左半身麻痺が残った。それからずっと車椅子の生活だ。幸い、その後の体調の変化はなく、朝と晩、付き添いのメイドに車椅子を押してもらって、大楼(台湾式の高層マンション)の庭で行き交う人を見るのを日課に暮らしている。顔見知りの大楼の警備員や住民も気軽に声をかけてくれる。今は、義兄達が費用を負担してメイドを雇い、英語を使えるのが家内と私だけだった関係で、台北で住むようになったが、共働き、子育てに介護と、家庭と仕事でのリズムが何とかできるまで、随分時間がかかった。家族と仕事の苦労をかけた家内は、少し心臓の具合が悪くなっている。義母と家内の薬をもらうのは、毎月のことだ。
病院のそばで家内を下ろし、近くの公園に子供たちを連れて行った。今日は、芝山巌公園にした。去年の夏は異常渇水で、雨がほとんどなく、いつもは緑が濃く木陰が涼しいこの公園でも木々は葉を落として、林の間も乾いていたが、今年は雨に恵まれたためか、下草も鬱蒼と茂り、木陰は昼でも薄暗いぐらいだった。歩道もところどころ落ち葉に覆われて、濡れている。
子供たちを遊具のそばに連れて行くと、上の子はさっそく潜り込んで、遊具に付いているベルを叩き出した。輸入されたらしいその遊具は、滑り台やジャングルジムが組み合わされていて、その中に、ベルを叩いて簡単な曲も弾けるようになっているボードがあった。
わたしは次男を連れて、遊歩道を歩き出した。芝山巌公園は、台湾の日本統治時代、最初の日本語学校が置かれた所だが、赴任した教師たちは蜂起した台湾の民衆に殺害され、今も記念碑が残っていると話には聞くのだが、いまだに記念碑の位置が分からない。
代りに好きで来る度によく見るのは、芝山巌遺跡と言われる台湾の先史時代に祭祀に使われていたいくつかの巨石だ。ところどころに人工的なくぼみのある、色や材質は違うが飛鳥の酒舟石を思わせる黄色い巨石には、「石墨」「石爾」というような形に合わせた名前が付いている。隣りには廟があって、こうした岩々を祭っているように見える。巨石の傍には木が枝と根を伸ばして、巨石は太い木の根で半ば覆われている。以前は、木の下にいくつか椅子が置かれて、ときにはお年寄りが涼んでいることがあった。
それから、もう一つ印象深いものがある。
わたしは次男と一緒に、山の上に登る階段のほうへ歩いていった。草や落ち葉に半ば覆われた丸い屋根のコンクリートが見える。
左手には入り口らしいくぼみがあり、壁に番号が書かれている。右下には、閉じられた窓がある。いつの時代に造られたものかは分からないが、トーチカらしい。
追いかけてきた上の子が、「雨」と言って、竹薮の上に開けた空を指さした。白く雲っていた空はいつのまにか薄墨色に早く動く雲に覆われかけていた。木の葉をポツリ、ポツリと叩く音が聞こえてくる。
次男の手をひき、先に下りていく上の子の後を追って、止めてある車のかたわらにあるバス停で雨止みを待つことにした。
やがて、ヒヤリとした風とともに雨あしがサッと強くなってきた。バス停の狹い屋根に三人は入れない。
「お父さんたちは、あそこで雨宿りするから」と次男を抱き上げて、行こうとすると、「あままどろ?」と上の子が笑っている。すぐに「あままま・・は、なに?」と聞き返した。
「あ、ま、や、どり。雨宿りは、強い雨が止むまで、木の下とかで待つことだよ」
「どうして」
「かくれていないと濡れてしまうだろ」
「ああ。あまやどり、あまやどり」
わたしはもうすぐ止むからと言って、次男を抱いて隣りに枝を差し掛けている溶樹のしたに入った。太い枝が周囲によく張り出し、黄緑の若葉も目立つ。紡錘形の細かい深緑色の葉がよく茂っている。枝の下の歩道はまだ乾いていた。空は少しずつ明るくなり、雨だれが葉の間からしたたる音も間遠になってきた。
木の下で雨宿りしたのはいったい何年ぶりだろうか。
小学生の頃の夏休み、よく遊んだMと松の木の下で雨をやり過ごそうとしたことを思い出した。しかし、松の木は痩せていて、二人は入れなかった。それに松の葉は踈らすぎて雨宿りには非力だった。ハンカチを頭にかかげてやりすごそうとしたが、雨は、強まるばかりで、ずぶ濡れになって、走って帰ったことがあった。
公園の入り口にいつも店を出している露天商が、商品にかけたカバーにたまった水をはたき落としている。
パーキングの計時員が、傘をさしながら、料金表を車のフロントガラスに挟んでいる。
もうすぐやむだろう。
と思う間もなく、裏手の山のうえに黒雲が広がり出した。見る見るこちらへ近づいてくる。一分もたたないうちに、「篠つくような」大雨に変わり、今まで見えていた隣の小学校ももう見えなくなってしまった。雷の落ちる前のコロコロいう音が辺りに響く。
結局、雨宿りは諦め、子供たちを連れて、車に逃げ込んだ。
その日の夜のニュースでは、夕立による台北の地下駐車場の冠水が話題になった。
台北市内の街路樹は樹齡もあり、夏は木陰を提供している。また、周囲の丘陵地帯でも豊富な樹種が見られ、森林浴を楽しむのも市民の娯楽になっている。芝山巌公園は、巨石と鬱蒼とした樹木が独特な雰囲気を生み出しており、頂上には、有名な廟がある。
☆検索は「芝山巌(岩)」。
☆台湾での芝山巌公園の案内は
暢遊網路芝山岩
義母は今年72歳になるが、10年前に脳梗塞になり、左半身麻痺が残った。それからずっと車椅子の生活だ。幸い、その後の体調の変化はなく、朝と晩、付き添いのメイドに車椅子を押してもらって、大楼(台湾式の高層マンション)の庭で行き交う人を見るのを日課に暮らしている。顔見知りの大楼の警備員や住民も気軽に声をかけてくれる。今は、義兄達が費用を負担してメイドを雇い、英語を使えるのが家内と私だけだった関係で、台北で住むようになったが、共働き、子育てに介護と、家庭と仕事でのリズムが何とかできるまで、随分時間がかかった。家族と仕事の苦労をかけた家内は、少し心臓の具合が悪くなっている。義母と家内の薬をもらうのは、毎月のことだ。
病院のそばで家内を下ろし、近くの公園に子供たちを連れて行った。今日は、芝山巌公園にした。去年の夏は異常渇水で、雨がほとんどなく、いつもは緑が濃く木陰が涼しいこの公園でも木々は葉を落として、林の間も乾いていたが、今年は雨に恵まれたためか、下草も鬱蒼と茂り、木陰は昼でも薄暗いぐらいだった。歩道もところどころ落ち葉に覆われて、濡れている。
子供たちを遊具のそばに連れて行くと、上の子はさっそく潜り込んで、遊具に付いているベルを叩き出した。輸入されたらしいその遊具は、滑り台やジャングルジムが組み合わされていて、その中に、ベルを叩いて簡単な曲も弾けるようになっているボードがあった。
わたしは次男を連れて、遊歩道を歩き出した。芝山巌公園は、台湾の日本統治時代、最初の日本語学校が置かれた所だが、赴任した教師たちは蜂起した台湾の民衆に殺害され、今も記念碑が残っていると話には聞くのだが、いまだに記念碑の位置が分からない。
代りに好きで来る度によく見るのは、芝山巌遺跡と言われる台湾の先史時代に祭祀に使われていたいくつかの巨石だ。ところどころに人工的なくぼみのある、色や材質は違うが飛鳥の酒舟石を思わせる黄色い巨石には、「石墨」「石爾」というような形に合わせた名前が付いている。隣りには廟があって、こうした岩々を祭っているように見える。巨石の傍には木が枝と根を伸ばして、巨石は太い木の根で半ば覆われている。以前は、木の下にいくつか椅子が置かれて、ときにはお年寄りが涼んでいることがあった。
それから、もう一つ印象深いものがある。
わたしは次男と一緒に、山の上に登る階段のほうへ歩いていった。草や落ち葉に半ば覆われた丸い屋根のコンクリートが見える。
左手には入り口らしいくぼみがあり、壁に番号が書かれている。右下には、閉じられた窓がある。いつの時代に造られたものかは分からないが、トーチカらしい。
追いかけてきた上の子が、「雨」と言って、竹薮の上に開けた空を指さした。白く雲っていた空はいつのまにか薄墨色に早く動く雲に覆われかけていた。木の葉をポツリ、ポツリと叩く音が聞こえてくる。
次男の手をひき、先に下りていく上の子の後を追って、止めてある車のかたわらにあるバス停で雨止みを待つことにした。
やがて、ヒヤリとした風とともに雨あしがサッと強くなってきた。バス停の狹い屋根に三人は入れない。
「お父さんたちは、あそこで雨宿りするから」と次男を抱き上げて、行こうとすると、「あままどろ?」と上の子が笑っている。すぐに「あままま・・は、なに?」と聞き返した。
「あ、ま、や、どり。雨宿りは、強い雨が止むまで、木の下とかで待つことだよ」
「どうして」
「かくれていないと濡れてしまうだろ」
「ああ。あまやどり、あまやどり」
わたしはもうすぐ止むからと言って、次男を抱いて隣りに枝を差し掛けている溶樹のしたに入った。太い枝が周囲によく張り出し、黄緑の若葉も目立つ。紡錘形の細かい深緑色の葉がよく茂っている。枝の下の歩道はまだ乾いていた。空は少しずつ明るくなり、雨だれが葉の間からしたたる音も間遠になってきた。
木の下で雨宿りしたのはいったい何年ぶりだろうか。
小学生の頃の夏休み、よく遊んだMと松の木の下で雨をやり過ごそうとしたことを思い出した。しかし、松の木は痩せていて、二人は入れなかった。それに松の葉は踈らすぎて雨宿りには非力だった。ハンカチを頭にかかげてやりすごそうとしたが、雨は、強まるばかりで、ずぶ濡れになって、走って帰ったことがあった。
公園の入り口にいつも店を出している露天商が、商品にかけたカバーにたまった水をはたき落としている。
パーキングの計時員が、傘をさしながら、料金表を車のフロントガラスに挟んでいる。
もうすぐやむだろう。
と思う間もなく、裏手の山のうえに黒雲が広がり出した。見る見るこちらへ近づいてくる。一分もたたないうちに、「篠つくような」大雨に変わり、今まで見えていた隣の小学校ももう見えなくなってしまった。雷の落ちる前のコロコロいう音が辺りに響く。
結局、雨宿りは諦め、子供たちを連れて、車に逃げ込んだ。
その日の夜のニュースでは、夕立による台北の地下駐車場の冠水が話題になった。
台北市内の街路樹は樹齡もあり、夏は木陰を提供している。また、周囲の丘陵地帯でも豊富な樹種が見られ、森林浴を楽しむのも市民の娯楽になっている。芝山巌公園は、巨石と鬱蒼とした樹木が独特な雰囲気を生み出しており、頂上には、有名な廟がある。
☆検索は「芝山巌(岩)」。
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