吉田洋一・矢野健太郎編、私の数学勉強法,ダイヤモンド社 (1965).
半世紀近く前の貴重な本である。
数学の専門家・非専門家17名が数学の勉強の仕方について述べている。
一般論ではなく,自分がどのように勉強したか,といった思い出話が中心である。
そして,自分が不勉強であることを嘆く調子のものが多い。
世間一般からみたらよく勉強されている方たちばかりだと思うが,要は理想が非常に高いということなのだろう。
この人はこんなことをやってきたのか,といった感じで,僕も知っている定理がいつ頃どのように発見されたのかを知ることができ,日本の現代数学史の観点からも貴重な記述がいくつかみられた。
それにしても,ある人は輪講(一冊の教科書を数人で読むセミナー形式の勉強法)をすすめ,ある人は具体的な問題を数多く解くことをすすめ,ある人は輪講は意味がないといい,ある人は例題をやらなければ理解できないようでは駄目だという。
数学の勉強法ひとつとっても十人十色であった。
ひとつ強く興味をひかれたのは,応用数学の大家森口繁一氏の文章であった。
複素関数論における Liouvilleの定理の意味を,二次元の流体力学で一位の極が渦の中心に対応し,渦の配置によって速度の場が決まることというように理解されたという体験談が述べられているのだが,非常に面白い洞察に満ちており,とても勉強になった。
他に,数学教育に大きな業績を残された遠山啓氏が「記憶の網目」という図式を解説しておられるが,当時の認知心理学などの学説を踏まえたものなのか,それともそういった学説を知らずに提唱されたものなのか,大いに気になった。
あとは,数学教師のどういったところに人間性を感じたか,などという思い出話も読んでいて楽しかった。菊池誠氏が小平邦彦氏の授業を回想しておられたが,数学の教師として励まされるようなほほえましいエピソードが述べられていた。
少々懐古趣味に走った嫌いはあるが,現代でも十分読む価値のある味わい深い本だと思う。
半世紀近く前の貴重な本である。
数学の専門家・非専門家17名が数学の勉強の仕方について述べている。
一般論ではなく,自分がどのように勉強したか,といった思い出話が中心である。
そして,自分が不勉強であることを嘆く調子のものが多い。
世間一般からみたらよく勉強されている方たちばかりだと思うが,要は理想が非常に高いということなのだろう。
この人はこんなことをやってきたのか,といった感じで,僕も知っている定理がいつ頃どのように発見されたのかを知ることができ,日本の現代数学史の観点からも貴重な記述がいくつかみられた。
それにしても,ある人は輪講(一冊の教科書を数人で読むセミナー形式の勉強法)をすすめ,ある人は具体的な問題を数多く解くことをすすめ,ある人は輪講は意味がないといい,ある人は例題をやらなければ理解できないようでは駄目だという。
数学の勉強法ひとつとっても十人十色であった。
ひとつ強く興味をひかれたのは,応用数学の大家森口繁一氏の文章であった。
複素関数論における Liouvilleの定理の意味を,二次元の流体力学で一位の極が渦の中心に対応し,渦の配置によって速度の場が決まることというように理解されたという体験談が述べられているのだが,非常に面白い洞察に満ちており,とても勉強になった。
他に,数学教育に大きな業績を残された遠山啓氏が「記憶の網目」という図式を解説しておられるが,当時の認知心理学などの学説を踏まえたものなのか,それともそういった学説を知らずに提唱されたものなのか,大いに気になった。
あとは,数学教師のどういったところに人間性を感じたか,などという思い出話も読んでいて楽しかった。菊池誠氏が小平邦彦氏の授業を回想しておられたが,数学の教師として励まされるようなほほえましいエピソードが述べられていた。
少々懐古趣味に走った嫌いはあるが,現代でも十分読む価値のある味わい深い本だと思う。