精神科と乳がんと私

精神科通院患者が2021年乳がん再検診になり、2022年乳がん手術を受けた話から続いてるブログ

2023/08/23 月イチの心療内科精神科

2023-08-24 23:54:00 | 既往症と私
kei_37です

火曜日は心療内科精神科に行ってきました

不眠はタモキシフェンかもしれないが、拒食気味なのはそれなりに影響を受けているかもしれない、というので、20代の頃に受けた催眠療法で精神世界には父親はいないって言っていたのに?と聞いたら、それから25年近く経って、精神世界にも父親が存在し始めた可能性は示唆されました

でも結局いつも通り、ちゃんと服薬してしっかり睡眠を取るように、そして無理な活動はしばらく控える

これを書いている木曜日現在は少し持ち直しています

2023/08/21 父親の告別式と初七日でした

2023-08-22 01:25:00 | 日記・備忘録
kei_37です

帰宅後寝てしまって、何を書きたいか?がシンプルにまとまったので(苦笑)

月曜日は朝から告別式でした

朝、お盆休みが長かった方も出勤なんだな、と思いつつ、兄弟の運転で遺体を安置してあるメモリアルホールへ

私は告別式前に、個人の婦人科に電話
タモキシフェンの影響で子宮体部に悪影響が出るかも、とのことなので、子宮がん検診をお願いしている婦人科に半年に一度子宮体部を診てもらってますが、バイトのシフトが変更になったため、予約変更しなくてはならない事態に(苦笑)

無事に予約変更できました

そして告別式
結局2人だけでした

そして棺に花を入れる時、菊の花ばかりが苦手な私が、紫の花を少し混ぜて欲しいと依頼していたので、兄弟と全部入れました

湯灌後は遺体を直視できるようになってました
湯灌、やってよかった

そして火葬場へ

霊柩車に同乗
受付で必要な書類である火葬許可証とお金を預かり、遺影と位牌を持ってました

そして火葬場へ到着
最期のお別れでしたので、早くオカンところに行ってやれ!と言っておきました(笑)

そしてお骨拾い
今は30年前と違って、箸の挟み合いは最初だけ
色々時代によって変わりますね…

お骨拾いを済ませ、お寺さんへ
お寺さんに行くのは久しぶり(苦笑)

子どもの頃は法事は苦手だったのに、今ではそんな苦手意識も減っていて、心身の変化を感じました

そして帰宅後、後飾りの棚を作って、遺影や位牌や遺骨を安置

そしてその後着替えて寝落ちました(苦笑)

今は訃報を聞いたあとはメンタルがボロボロでしたが、やや持ち直してます
でもなんかうわの空が酷いので、火曜日は心療内科に行ってきます

今日は父親の通夜でした

2023-08-20 23:31:00 | 日記・備忘録
kei_37です

今日は父親の通夜でした

喪主である兄弟の意向で、兄弟と私の勤務先からの弔問などは辞退
亡き母親の方は連絡のみ、父親の姉2人が来れないとなったので、兄弟の決定事項で私たち子ども2人とお寺さんとで通夜告別式と初七日を済ませることに

それでも一応家族葬向けメモリアルホールを借りているので、家での負担はなし

しかし家でのんびりしていられない、通夜と告別式は出向かなければならない…

眠くて仕方ない頃に兄弟からそろそろ行く予定だけど、と言われた時めちゃくちゃ寝たかった(苦笑)

それからメモリアルホールへ
ちゃんと音楽とか流れてるし!と兄弟とそれっぽくなってるねと話して親族控え室にてお寺さんの到着待ち

私は久しぶりのジャケットを身につけたら、めちゃくちゃ左肩から下が痺れてスマホを持ってるのも嫌なレベル(苦笑)
肩周りが自由に動かないとすぐに腕が痺れを起こすので、肩甲骨はがしで応急処置…

遺影も個人的に満足の域に仕上がってた
兄弟と相談して決めた写真をトリミングしたもの

そしてお寺さん到着
通夜の開始

参列者、私たちふたりなのに通夜の司会者さん付き(苦笑)
でも司会者さんがいなければ焼香のタイミングがわからなかったと後で知る私…

お経をあげてもらってる時、昔ならどこの誰様でしたっけ?っていうぐらい親戚が自宅葬にきて大変だったな…それが今は家族葬でも小さなメモリアルホールですよ…と時の流れを感じていました

そして通夜終了
司会者さんがお顔を見てあげてください、なんて言うものだから見に行ったら、湯灌の時と大きな変化もなく、よく見るとマジで単に寝ているみたい…

明日は朝から告別式と初七日です
一応木曜日までバイトは休みですが、昨夜から何をするでもなくボヤっとしていることが増えたのと、インプットのし過ぎでアウトプットを求めているので明後日に心療内科に行く予定

まだまだ日中は暑いけど頑張れ私



今日は父親の湯灌に立ち会いました

2023-08-19 19:07:00 | 日記・備忘録
kei_37です

私個人は父親とは色々ありましたが、亡き母親にとっては亡き父親は大事な人

ところが昨日父親の遺体に対面した時、口は開いてるし、いまいち肌ツヤも良くない

これであの世にいる亡き母親の元に送り出すのは釈然としないため、私の希望で湯灌のオプションをつけてもらうことにしました

そして今日、湯灌に立ち会いました

見てびっくりしたのは、足のかかとに褥瘡があること
後で控え室で兄弟に父親の晩年の話を聞いたら、麻痺した身体のリハビリ放棄とか、褥瘡が出来ても寝たきりで起き上がりたがらなかったりとか、かなりわがままに過ごした模様

私の知ってる父親ならやりそうと思ってしまうあたりが、なんやかんやと長年親子喧嘩し続けた間柄なのかもしれません

それでも、最期の見送りぐらいもうアラフィフの私もどこかでちゃんとしたくて希望した湯灌

身なりを整えてもらったら、私の脳内にそれなりにイメージにある父親の顔に戻った時、なんか別に自分で湯灌した訳ではないのに、やりきった感が湧いてきて内心で苦笑

兄弟と2人だけが参列する通夜告別式ですが、湯灌という自己満足に付き合ってくれた兄弟に感謝です




2023/08/18 父が亡くなりました

2023-08-19 01:35:00 | 日記・備忘録
kei_37です

日付けが変わったので、昨日になりますが、父親が亡くなりました

やっと少し落ち着いてブログ更新できそうなので、書きますと

父親と私はいわゆる中身が似た者同士に近く、私は昔からどうやら同族嫌悪を起こしていたフシがあり、また父親も私の時間にルーズとかが嫌らしく、厳しい態度で接してくるとか色々ありました

そして、親子喧嘩の究極は、私の精神疾患に父親のしつけが関与していると当時の主治医に指摘された父親がブチ切れてしまったあたりがピークです(苦笑)
その前に大学中退したので、父親から学費をムダにされたとか、亡き母親の言う通り短大にしておけばよかったのではないかと怒らせていたりしていたので、精神科病院を退院してからはもう何やろうとしても信用ゼロ(苦笑)

でもかなり幼い頃から父親とは距離を置いていたので、私は異常とは思わずにいたら、父親が別居を選択

結局15年以上別居してました

おまけに約4年前に民生委員の通報で意識不明の重体で見つかり救急搬送をされてからは、兄弟が父親のことは全部やってくれていたので、私は話に聞く程度

更に先月末からは父親のバイタルが安定せずいつ亡くなってもおかしくない状態だったのに、8月は私の誕生日もあるからと、とりあえず持つなら持ってくれと思っていたので兄弟が黙っていてくれました

でも急に聞いたわりには驚きは少なかったです
来るべき日が来た、そんな感じもありましたし、お疲れ様でしたという気持ちもありました

これで実際通夜や告別式を済ませたらまた違った何かが出てくるかもしれませんが、実は兄弟いわく

あんたが入院したことは言ってない

とのことで、聞く人が聞いたら不義理もいいところだろうと思うけど、言われてみれば、年老いた父親に乳がんになったと言わないとダメだとか思わなかったです…

また父親の姉妹ももう高齢ゆえに父親との最期の別れには来れなさそうで、今現在の予定では兄弟だけで見送る予定です

またしばらくは色々思ったことなど更新できたらする予定です