kei's anex room

日々の歌日記(硲 比呂介)http://blog.goo.ne.jp/hiro5713 の別館です。

四月十五日(土) 傷心

2006-04-29 10:30:03 | Weblog

四月十五日(土) 傷心
                           2006-04-15 07:37:33
  
           傷心

*托卵を為すごとく書を硝子扉の奥に仕舞ひぬ 午前二時過ぎ
 
*曙光に圧さるるまま揺れつつも障子はつひに泣かぬまま居り
 
*花冷えのふた夜続けばおもかげのひとに逢瀬もさむざむの夢
 
*湯にいやす傷 心奥にうづく夜は常世の旅に発つにふさはし


四月十四日(金) 春情

2006-04-29 10:28:13 | Weblog

四月十四日(金) 春情
                          2006-04-14 22:45:43
 
        春情
 
*ときとして湧き立つものにとまどひて扱ひかぬる今朝の春情 

*ひかがみに溜まりたる汗輝きてかつていとしく口寄せしもの
 
*「変なとこ好きなんだね」と笑む人の腋窩・膕・足裏恋しき
 
*全部好き、みんな大好き声にして見上ぐれば頬濡らし居る君 


四月十三日(木) 悲しびのまぼろし

2006-04-29 10:23:32 | Weblog

四月十三日(木) 悲しびのまぼろし
                           2006-04-13 08:36:20
 
            悲しびのまぼろし

*悲しびの和ぐ日おそらく在らざればひしと堪ふべし涙怺へつ (和ぐ=なぐ)
 
*過ぎし日のゆめあれこれとはしりゆくそは一瞬の走馬灯なり
 
*確として残る色香のあざやかにひとのうなじの白きまぼろし
 
*愛さるることなどとうに失ひて日暮るるままの山に魅入れる


四月十二日(水) 鬱金香

2006-04-29 10:21:31 | Weblog

四月十二日(水) 鬱金香(チュウリップ)
                           2006-04-12 14:06:58


            鬱金香(チュウリップ)
 
*朝ごとのゆまりますます細くなり肉叢は溜む 鬱と死の滓 (滓=おり)
 
*遅咲きの桜ひそひそ隠るるがごとく照る陽のしたに羞しく (羞=やさ)
 
*苦しみを忘れ捨て得る日の在りや鬱金香いま盛り咲く季節 (季節=とき)
 
*相逢ひし日は春なりきあふれ来る涙は告げぬ杳きかなしび (杳き=とほき)


四月十一日(火) 掌のさだめ

2006-04-29 10:18:50 | Weblog
 
四月十一日〔火)  掌のさだめ
                           2006-04-11 07:32:57

            掌のさだめ
   
*笑まひする美しきをみなの面影を忘れかねまた呷るカクテル (美しき=はしき)
 
*ラウンジの取りとめもなき佇まひ横顔の佳きひと を忘れず
 
*わけもなく空を掴めばてのひらの筋それぞれにふかく乱るる 

*この筋になにや意味ある天命ぞ運命ぞとかくなやましむのみ


四月十日(月)街の風景

2006-04-29 10:16:55 | Weblog

四月十日(月) 街の風景
                          2006-04-10 08:41:49
 

        街の風景
 
*おそるおそる訪ひたるに輝ける笑顔に迎へ呉るる・・望めず (訪ひ=おとなひ)
 
*弾けつつ笑まひを撒きて食卓を明からしむひとああ君ぞそは 
 
*さむしろにわが伏す夜は明けやらで春の朧の月へ呼ぶ 汝を
 
*純白の炎のごとく見ゆ緑なす湯の山裾に さくら 孤に樹つ (炎=ひ)


四月九日(日) 君棲む街角

2006-04-29 10:14:28 | Weblog

四月九日(日) 君棲む街角
                          2006-04-09 07:03:28
 
 角川「短歌」四月号からー

連載中の秋葉四郎氏の 短歌清話 佐藤佐太郎随聞 第二十四回
 斉藤茂吉の一首について興味ある挙言あり。
・・昨日の話でその時の歌があると言っていたことから類推すると、歌集『開冬』にある昭和四十五年の「又某日」と題する一連の歌の内、

  *二十年人をうらみていふことば聞くため遠く老いてわが来つ
  (他一首略)
 
 が、該当するように思える。山上次郎氏が『斉藤茂吉恋と歌』云々・・・
 この歌が実に今の小生の状態に鑑みると、心に響く歌である。
 歌として決して秀歌に入れられるものではないし、今まで茂吉の詳細な記述を見ても取り上げられたことは無いと思う。
 しかし、現在の私の心を、まさに言い当てて妙である。この感慨、ある ひと は解ってくれる筈である。もっとも、その ひと が此処を見てくれることはいまや絶対無いと思うので、小生の備忘のため記しておくだけである。



・            君棲む街角

*呆けつつ歩む足取り軽からず君が棲む宿いよよ近づく
 
*窓にふと映るひと影君ならずグリーン・ヒルズに春の陽の墜つ
 
*若し逢はば声を掛くるか隠るるかグリーン・ヒルズに陽の沈む頃
 
*窓にふと君の影在りしょうねんのごとときめきを押さえかね居り


四月八日(土) 幻影を追ひて

2006-04-29 10:10:43 | Weblog

四月八日(土) 幻影を追ひて
                           2006-04-08 08:38:34
 
*ますますに孤をふかめつつ何処までも生きねばならぬ・・死よ早く来よ
 
*かき抱くひとは蔭なり声すらもすでに無く夜は春を消しゆく
 
*つくづくと眺め居しわが雄のしるしかく萎へつれば恋も消ゆはず
 
*近づけば花の香さはに顕ち居たり君棲む街に春の霞む日


四月七日(金) なかぞらの恋

2006-04-29 10:08:30 | Weblog

四月七日(金) なかぞらの恋
                          2006-04-07 08:21:22
 
*やわらかき肌し偲ばゆはるの夜の舌におもねるごとあまき水 
 
*塩を断ち水をひかへる喪恋のカタルシスとはかなしのこり世
            
*わがことと思ふ辛さや頭を過ぎる人の笑顔にいたぶられ居り(頭=づ)(過=よ)
           
*中空の恋だったのか」さりげなく紫陽花に聞く聞けど答へず


四月六日(木)  後悔

2006-04-29 10:06:16 | Weblog
四月六日(木)  後悔
                           2006-04-06 23:18:31
 
*かへらざる過の日を思ふ浅き春の頬をくすぐる風すでに無し
 
*散り初むる花ににも似て情念の剥げゆくままの夜の淋しさ
 
*身はすでに枯れ果つるとも燃えさかる胸に夕陽抱くことの悲
 
*恨まじとこころに誓ひ春かすむ遠やまにそと翳を見る 悔い


四月四日(火) 花ぞ散る

2006-04-29 10:03:59 | Weblog
四月四日(火) 花ぞ散る
                           2006-04-04 07:59:46


*幾たりを愛せしやいま命終の近きに至り春風に問ふ
 
*わが側に愛別離苦を措き去りて汝はさはやかに春を生き行け

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四月三日(月) 想ひ口惜しき

2006-04-29 10:01:48 | Weblog
四月三日(月) 想ひ口惜しき
                          2006-04 03 08:12:16


*ひと恋ふることの儚さ面影に蔭ふと見ゆることを無視すも 
 
*恨むなかれひとのこころは変へがたく石蕗の黄も季により褪む(石蕗=つわぶき) (季=とき)

*しかすがに忘れ難しは面影のつねに変わらぬひとへの思ひ
 
*ひとよ何故措き去りにすや明日といふ日を持たぬ身を・・春浅き夜に

*ただふたり黙し歩みし東京の夜は遥けき過去のまぼろし


四月二日(日) 心機一転、歌作を再開します

2006-04-29 09:57:30 | Weblog
四月二日(日) ああひと去りぬ
                          2006-04-02 14:46:23
今日から歌作をはじめます。

*ふたとせを傍らに無き一塊の影やうやくに成りぬ形象に(形象=かたち)

*無視しつついたづらに過ぎしふた昔汝れは堪えしよ石のごとくに
 
*失ひしものの大きさ得しものの少なさにただ拝みて居り(拝み=おろがみ)
 
*汝をその仮面のごとき冷たさに追いやりてあぁ幾夜過ぎしや
 
*睦むこと許しませぬとはるかなるひと言ひ給ふ春の倦怠さ(倦怠さ=けだるさ)



四月十七日(月) 中部短歌会での拙歌に対する歌評

2006-04-17 08:28:30 | Weblog
2 桜花(はな)の散るのちの思ひにひとときは淫けりたり春近き樹のした

「淫けりたり」というのは桜の花の一面であると思います。梅の花にはない。桜花(はな)は「さくら散る」ではだめですか。字を見ずに声を出して詠んだときにもわかりやすいと思います。(mohyo)

「淫」は音読みなら「イン」、訓読みなら「みだ・ら」、意味で訓読みすれば「ひた・る、ひた・す」でも良さそうですよね。送りがなから「ふけりたり」と読ませたいのだろうと思いましたが、ふつうに「ふける」と読む漢字を使うなら「耽る」ですね。「淫」の字で「ふけりたり」と読ませるならば、ルビが必要ではないかと思います。文字通りの「桜花(はな)の散るのち」に思いを馳せ、その想像に「ひととき」「淫けりたり」なのであれば、「ひとときは」の「は」の意図するところが分かりませんでした。さて、どうして「みだら」という文字をわざわざ使ったのだろうと考えました。もしや、「後朝」とか、そちらの方面の歌ですか?だとすれば、「は」は一時的な感情が冷めた感じを表現するために必要だったのかもしれないとも思えますし、「春近き樹のした」でもかまわないのだろうと思います。ですが、単純に字面の意味だけ追っていくと、「桜花の散るのち」と「春近き」の時制の矛盾が気になってしまうのです。(ほにゃらか)

花の咲く前から、散った後を思っている歌でしょう。桜花と書いて、はなとルビをふって読ませるのに無理を感じました。また、淫の読み方がわかりにくいので、こちらにルビがあってもいいと思います。淫という文字は、どちらかというと人間くさいので、花には合わないような気もしました。(近藤かすみ)

「淫けりたり」が読めず意味がよくわかりませんでした。「ふけりたり」であるとするとなんとなくわかります。この歌の今は「春近き」であって、花はまだ咲いていないのでしょう。花の咲いていない桜の樹のしたで、花が咲いて散った後の思いにひとときはふけった、ということでしょうか。何故散った後を思うのかということが、「淫」という字に関係してくるのかもしれません。例えば「樹」は女性であるとか。「春近き樹」を見てその樹が咲かせた花を散らせているのを想像するとかそんなことを、「淫」の字から思い浮かべてしまいました。(やすまる)

「淫けりたり」をどう読んだらよいのか分かりません。ですが、わざわざこの「淫」を使っているので、この桜は女性の喩なのだと思いました。(ロン)


 いろいろ言いたいことはあるが、結局私の非力の為すところ、謹んで謙虚に承り、向後の糧として頑張ります。

硲 比呂介の”日々の歌”
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