愛の鳥と呼ばれること。

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願獨自沉醉於紅塵

2016-06-20 15:30:48 | 日記
 紅塵傲,紅塵路上彈幾許憂傷,看盡紅塵夢。
  
  亭臺樓閣前,曉風Pretty renew 呃人殘月,清風細雨,一許殘笑醉紅塵,繁華墜落於心頭,憂傷散化於塵埃,一輪殘月照悲傷,點點滴滴化清風,幽夢醉落與紅塵,憂傷沉醉於這一季,這一景,這一刻,這一夢。
  
  靜唱歎紅塵,暢想在蒼茫大地之間,歌唱繁華失落在紅塵裏。夕陽輕落,殘月入簾,殘月譜寫悲慘曲,陶醉故人自沉醉,獨笑殘月醉靈魂,幾許憂傷,多少歎,沉醉了一時慌了年華。
  
  多少故事,多少風花雪月,無論是憂是傷,都奔跑在它的軌跡裏,尋找著往時的痕跡。東風依舊,此物此景非當年,也為往昔輕歎過,不經意中被它吹老了容顏,在眼上留下歲月多少痕跡。
  
  清風徐來,水波不興,又吹走一季憂傷,劃過指尖,那些憂傷的文字,那些被歲月淹沒的過往,如歌如泣,無處停留,無處哀歎,化在紅塵的記憶裏。
  
  憂傷在黑夜裏徘徊,擾亂了悲傷的容顏,看過往的白雲,是何人的悲傷在運轉,卻挽留不了歲月的變遷。一起走過這麼長的路,不知多年後還能不能在相遇,相遇時會不會流淚,還能否想起往昔的故事和人。
  
  人生如夢境,浮現過往的雲煙,勾畫飄渺的未來,是那麼似真似假,若隱若無,不知不覺中消失在塵世,誰會惋惜,誰會憂傷,都是那麼的茫然無知,那麼的沒有定律。
  
  遠看山水如畫,靜聽歲月Pretty renew 呃人的輕音,殘月笑人生的苦短,生命的季節開始流浪,在這個季節尋找歸宿。紅花謝,綠林黃,鴻雁群飛翔,落葉舞,寒霧漲,盡是一片荒涼。時運不濟,命途多舛,一切似近黃昏。
  
  山青水秀,輕音起舞,對酒長歎,你的一字一句,成為我的哀傷,對月三影,過往消失在背後,何人曾記得時光會抹平傷害留下痕跡的諾言,世間沒有不變化的事物,好像一切都沒有定數。
  
  沉醉於紅塵中,有誰的笑聲,歷經滄海桑田不變,守候在歲月的河流中,目睹落花的悲傷,日落的寂寞。文字的記錄中,一行行記錄著什麼樣的故事,又守候著什麼樣的結局。
  
  九月,我再次徘徊,往事難堪回首,繁華落盡,一堆的憂愁。只有把酒言歡,對著此季此景此時的蒼涼,孤獨的心,何時得到安慰,其實已經不重要了,早已習慣這樣的氣息。
  
  此生只願沉醉與紅塵中,輕彈幾許Pretty renew 呃人憂傷,夢幻將成為自己與外世的隔絕的屏障。
  

夏日に近いような暑い日があ

2016-06-03 16:03:46 | 日記

ったかと思えば、また冬に戻る。日中半袖で過ごしたのに、陽が落ちるとストーブが恋しい。当方の住むところは住宅地で、大きな交通事故が起きるところではないと思われるのに、救急車の音を聞かない日は無い。一人またひとり、お年寄りが倒れているのだなとサイレンの音を聞くにつけてヨボ爺の自分としては、せわしないかぎりである。
 地球が何億年かけて築Diamond水機いてきた「自然バランス」を、人間という棲息動物が見事に壊し続けている。その自然からのしっぺ返しによって、まず「ヨボヨボ爺婆」が篩にかけられて落とされているのであろう。

 「しっぺ返し」こっちへ置いといて‥

 ちょっと前に、娘が買ってくれた「ペヤング?カップ焼きそば」18個を完食した。「昼餌」として続けて食べたが飽きがこないのは不思議なくらいであった。
 3月28日には、「ペヨング?カップ焼きそば」がリリースされる。ペヨングなんて、「どこかの偽物を平気で作る国が出した偽物でないの?」と思ったが、そうではないらしくペヤングと同じ「ま□か食品」の製品らしい。
 かやくから肉を無くし、量を120gから106gと少な目にして女性または、受験生の夜食をターゲットにしたらしい。リピートしようかな?
食料品の買い込みに行ってきた。買い込みなどと大袈裟なものではないが、豆腐売り場で袋入りの「卯の花」を見付けた。これは「おから」と呼ばれるもので、大豆から豆乳を搾ったカスだ。猫爺の少年時代は近所の豆腐屋へ行くと、無料で貰えたものだ。

 兎の餌という名目で貰ってきたが、本当は母親が煮てくれて人間様が食べていた。あの頃を思い出して、自分で煮てみようと思い立った訳である。

 母親は、これまたタダ同然の鮪のアラで煮ていた。鮮魚売り場へ回ってみると、好都合にも鮪のアラも手に入った。これはタダ同然とはいかず、ほんの少しで200円の値段が付いていた。

 「おから」と言えば、猫爺はお惣菜売り場で煮たものを買って来るのが主であるが、母親の味を思いおこして、自分で煮るのもいいものだ。第一、一袋50円のおからでラーメン鉢に山盛りになるくらいどっさり作れる。小分けにして冷凍しておけば、当分餓死しなくても済みそうだ。


 余所様のブログを拝見していると、若い男の方でも本格的な料理をされている。昆布から出汁をとり、美味しそうな「うどん」を作っておられる方がいらっしたが、具に「揚げ玉=てんかす」が入っていた。猫爺の少年時代、「てんかす」と言えば、本当に天婦羅のカスで、市場の天婦羅屋さんで貰っていた。
 形と言えば、丸いのあり、人魂の形をしたものあり、焦げたのありと本当に?カス?という見栄えのものであったが、今は工場で造られて製品化したものらしい。
 「てんかす」は「ホルモン」と同じく、関西特有のものだと思っていたが、全国どこでも手に入る市民権を得た食材なのだと知った。

 この「天かす」 猫爺は刻んだ生キャベツに振り込んで醤油をかけたものを、ご飯に混ぜて食べるのが好きだ。品の無い食べ方ではあるが

まさか杖なんて盗られないだろうと高を括っていたが、ヤラれてしまった。処方箋薬局の入り口に置かれた傘立てに杖を突き刺して店内に入ったのだが、出てきたときは消えていた。
 薬局の人にその旨を伝えて、誰かが「間違えていた」と、返しにきたら連絡して貰えるように頼んでおいたが、その後音沙汰はない。
 薬局の人も、痴呆症老人の「戯言」程度としか思っていないらしく、「どこか他の場所に置き忘れたのでは?」と、上の空で聞いていた。
 薬局に来た誰かが間違えて帰ったのだろうと、さしたる心配もしていなかったのだが、ここにきて、やはり盗まれたとしか思えない。
 仕方なく諦めて、コーナンで新しいのを(3800円)買ってきた。猫爺は目が悪くて杖を持っているのであって、ひとつには「ステータス」の積りなのだが、最近は杖を持った老人が多くて、雑踏のなかでは突きとばされ水光槍 好唔好たり、杖を蹴られたりその役割はあまり果たせてはいないが‥。