おいちゃんの田舎暮らし日記

定年になって田舎で小さな小屋を作りながら暮らしています

ルーツ

2011-05-06 23:56:03 | ドライブ、車中泊、旅行
本日、愛知県北部は晴れ~曇りというところか。
 
今日は、ハローワークに行きました、目的は失業給付金を受給するとどの位か調べるため。
結果、3月まで時間短縮勤務をしていたこともあり収入が少なかったせいで給付金は現在受給中の年金と比べてそんなに多くはなかったこと、手続きなど面倒なので、そのまま年金で行くこととしました。
(年金と失業給付は同時には受給できません)
 
 
四国旅行の写真を整理していたらこのようなものがありましたのアップします。
 
イメージ 1
ここは暴れ川として四国三郎の異名をもつ吉野川です。
吉野川は上流は高知県で、河口は徳島県にある全長194Kmの川です。
 
写真は徳島県の大歩危峡から高知県側に上った場所で川の流れが変化にとみ面白い、近年ラフティングやカヌーの絶好の場所としてこのあたり一体大勢のファンが楽しんでいます。
 
この川の近くにおいちゃんの故郷があります。
今回帰郷したおり、そのルーツが知りたくなりいろいろ調べてみました。
 
建物は筑後200年近くの物ですが、祖先は?
江戸時代時分の書き物がありました。
寛政(1789~)
文政(1818~)
嘉永(1848~)
安政(1854~)
後は明治~
 
ということで江戸時代の寛政の頃の書き物が残っておりこの頃は当地にもう住んでいたのは分かりましたが
それよりはずう~と昔から生活していたと思われます。
昔の記録が一番残っているのはお寺ということなのですが、お寺が一度消失しているということで
これより古い記録にはたどり着けませんでした。
 
当地はこのように川のそばにある集落と山頂に近いところにある集落があります。
明確に調べたわけではありませんが、徳島県側の大歩危峡近くにある「かずら橋」というのは
敵が攻めてきたにこの橋の「かずら」を切って敵がそれ以上侵入できないようにしたと伝えられています。
 
歴史的には瀬戸内海の壇ノ浦の源平合戦で敗れた平家がこの山中にも逃げ込んできて移り住んだといわれています。この時代で最初住処としたのはきっと山頂に近い方が先で以降散らばっていったのだと思います。
 
もうひとつはこの吉野川沿いにもともと土着の住民が生活していたようです。
この吉野川上流に少し開けた盆地のような集落があり現代ではかなりの人口がありますが、この地で縄文時代の土器が発見されているようなのでやはり川と山の恵みにより古代から住民が居たということは創造できます。
 
もう少し時間がある折に詳しく調べてみれたらいいなあ~と考えています。
日本全国、山間部川のそばには集落があります、古代には山と川もしくは海に近いところが生活の場だったのでしょう。
 
 
 
 
 
 


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