かみさまのデザイン~それぞれらしく~

セッションを通じて、皆さんのそれぞれらしさを元気にしていきます☆

2018年もありがとうございました⭐︎

2018-12-31 17:01:49 | 日記
あと数時間で2018年も終わりますね。

この1年もセッション、施術を受けに来てくださったみなさん、
ここを読みに来てくださったみなさんには本当に感謝しています。

みなさんにセッションや施術を受けていただいたり、
ブログを読んでいただくということで、
わたしらしさが活かされてイキイキ元気で居ることが出来ていると
つくづくそう感じています。

この1年も本当にありがとうございました。

さて、みなさん、
この1年はどんな年でしたでしょうか。

今年は地震、大雨、酷暑、台風…と自然界は
例年よりも激しい動きをしていたように思いますが、
やはり自分も自然界とひとつながりだからか
(というか、かなりひとつながりだと実感しました。)
内面で激しく揺さぶられるようなことがしばしばありました。

でも、それらは悪い感じではなく、
揺さぶられることで“アハ体験”的な感覚が起きて、
あ!そういうことだったのか☆

と、パッと視界が開けるというか、
見ていた景色が変わる感じがしたり、
それによって紡いできていた自分の物語の解釈も変わったりして、
一瞬の激震で、これまで崩れなかった枠組みが崩れて
困るよりも、可動域が広がり自由が増すことに繋がることが多かったです。

少し9枚引きカードのことと絡めてシェアさせてもらうと、
わたしの今年一番大きなテーマを表すのは
『理解』というカードでした。

このカードのメッセージは
鳥かごから出られないと思い込んでいたカナリアが、
思い込んでいたからこそ見えていなかった、
実はカゴのフタが開いていて、いつでも外に出られるという事実に
思い込みを外すことで気付くことが出来、現実を理解し、
カゴから外に出て自由になる…
そのような内容だと解釈しています。

1年を振り返ってみて、それら激震のお陰で、
あ!フタ開いてたのか!
と気付き、心の中で自分が入っていた
いくつかのカゴから出られたように感じます。

中には、そんなカゴに入っていたことにも
気付いてなかったケースもありました。

今まで自分の中にあった枠組み、カゴから出て、
来年はますます今の自分にとって要らなくなったブレーキや
古くなったルールを外して、
大きい自然な流れに乗ることを、より楽しんでいきたいと思います。
どんなことが起きてくるのか楽しみです。

セッション、施術、そしてブログでも、
起きてくる変化を色々な形でシェアさせていただきたいと思います☆

みなさんに起きてくるさまざまな変化をシェアしていただくことも
楽しみにしています!

それでは、来年もどうぞよろしくお願いいたします✨
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1年の流れを観る9枚引き

2018-12-14 20:36:13 | 日記
12月も半ばに入り
『1年の流れを観る9枚引き』
のご依頼が増えてきました。

この9枚引きのセッションが増えてくると、
もう年末年始の時期なんだな…と実感が湧いてきます。

もう、何年も9枚引きしてくださっている皆さんは、
カードに自分の潜在意識からの情報がどんな風に現れてくるのか、
捉え方、読み方も大体掴んでいただいていて、
年の半ばで何かインパクトのある出来事が起きたときや、
もしくは年末の振り返り時に

あのカードはあのことだったんだなぁって納得しました…とか、

アクシデントがあった時も焦らず対応出来ました…
というシェアをいただいたりして、

カードを通じて、1年をご自分の感覚で展望していただくということを
より活かしていただいてるなぁと、嬉しく感じたり、
感心させてもらったりしています。

9枚引き、9枚引き…と書いていますが、
ご存知頂いてない方もたくさんおられると思いますので少し説明を。

私は普段のセッションの中でも
有効と感じた時には、ご自身の潜在意識からの情報を
キャッチするツールのひとつとして“OSHOの禅タロットカード”と、
オリジナルで制作させていただきました
“Key of action”カードを使わせてもらっています。

『1年の流れを観る9枚引き』は禅タロットの方を使って、
その年の “メインテーマ” “仕事や社会での活動”
“自分の基盤となる家族や健康” “対人関係”
“クリエイティビティへのヒント” “逆境の時のヒント” などの
それぞれの項目別に引いたカードから
ご自分の潜在意識のメッセージを読み取っていきます。

引いていただいたカードはご自身の潜在意識とつながっているので、
普段は意識出来ないようなことも、そのカードたちを見ていると、
(カード初体験の方でも、ビジュアルや言葉を眺めていただくだけで)
あぁ、なんとなくこうなのかな…と、
何か見えてくることがあったり、思い浮かんでくることがあったりします。
(潜在意識がカードを通じて出てきているだけなので、
占いとしてももちろん、当たった〜〜!という感覚になることも多いです。
ですので、占いとして楽しんでいただくのもご一興かと♪)

先日、ブログでも書かせてもらいました“自分の物語”を
9枚のカードからの情報を観、感じながら、
1年の自分の物語として、あらすじだけでも描けたら、
日々をより能動的に、クリエイティブに
過ごしていきやすくなるような気がします。

もちろん、カードを引いても引かなくても、
物語を作っても作らなくても、
起きることは起きると思います。

例えていうなら、カードを引いたからといって、
物語を作ったからといって、
現実として、雨の日がその影響で増えたり減ったりする
ということは(きっと)ないですし、
その年もひとつ歳を取るということも(きっと。笑)変わりません。
起きることはこれまでと同じように起きるでしょう。

ただ、そうであっても、これから始まる“自分の”1年に思いを馳せて
カードを引いたり、そこから物語を作ってみたりすることで、
日々、起きてくることに受け身な姿勢で、ただただ振り回されたり、
被害者のような感覚に陥って不快な時間が過ぎるのを
ただ我慢したりするのではなく、
もし、たとえ何か問題が起きたとしても、
(逆に何も起きな過ぎて、つまんないなあ…、なんて感じそうな日々も)
自分が主役の物語として、能動的に関わっていく感覚になれたり、
また、そうなれるとクリエイティブな気持ちも生まれてきたりすると思うのです。

例えると
結局、同じ絵を描き上げることになっているとして、
おまけに、その絵は対外的に同じ評価を得ることになっていたとしても、
絵を描かされていると感じながら描くのか、
自分が描きたいと思って描いていくのかで、
描いている人の満足感、幸福感が全く違うと思うのです。

これは年始に限らず、いつだってそんな風に
自分の日々に取り組めていれば一番いいと思うのですが、
忙しい日々の中ではなかなかマメに
そのようなモードになるのは難しいと思いますので、
年始にガッツリそのモードに
設定を入れておくのはオススメだと思います。

1年をどんな物語の中でご自分を活かしていきたいか…
カードを観ながら、その物語を綴るお手伝いをさせていただきたいと
思います⭐︎

『1年の流れを観る9枚引き』
1セッション(60分)7000円
ご希望の方は kco@h9.dion.ne.jp 竹内 恵子
までご連絡ください。

年末は12月30日まで、
年始は1月4日からになります。
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恋。

2018-12-03 21:02:43 | 日記
さて、今回は…

ここしばらく恋がテーマの相談が少し続いて印象的だったことと、
12月に入って街の中もイルミネーションに彩られて、
恋に似合う感じですし…。(こじつけ?笑)

これまでここで取り上げたことも無かったので、
一度 “恋” について書かせてもらおうと思います。

でも、読んでいただく前に、ひと言。
今現在、恋をキラキラと楽しんでおられる方はご注意を。

身も蓋もないような内容も含まれてくると思いますので、
そのキラキラがスーーっと冷めていく可能性があります。笑

逆に今、恋で少し辛いなあ…と感じておられる方には
何かちょっとしたヒントがあるかもしれません。

さて、
恋の相談で、よく出会うのが…

「うまくいきそうもないので、
忘れるしかないと思うのですが、
なかなかそれが出来なくて辛いです…。」

というもの。

その相談に絡めて、
わたしが恋について思うことを今回は2つ
シェアさせてもらいます。

まず、ひとつめ。

悩まれる多くの方は、
忘れるということ、好きという気持ちを努力でどうにかできる、
自身でコントロール出来ると思っておられると思います。

自分の気持ちとして実感しているから、
そう思われるのも当然なのですが、
わたしは恋という気持ちは、
起きてくる“現象“のひとつだと考えています。

大きく捉えると、
今日のお天気が晴れだったり、
雨だったりするのと同じように、
または、たまたま飛んできた植物の種が
ある場所で芽を出すように、
自然の中で起きている現象のひとつとして
自分の中に恋する気持ちというものが生まれるのだと。

自分で何かのために、
例えば、
今、この人を好きになれたら、幸せになれますよ!
って言われても、フリは出来るかもしれないけど、
本物の恋の気持ちを計画的に作り出すことはできないですよね。

ただ、ここで気を付けたいのが、
恋する気持ちは内に起きくることで、
意志の力ではどうしようもないのですが、
自分の取る言動については別問題で
意志の力でどうにか出来る部分が結構あるということです。
(どうにもこうにも意志の力で言動を
コントロール出来ないこともありますし、
それはそれでまた意味があると思います…。)

自分の内にある恋の気持ちを認めることと、
その気持ちのまま動くということは別で、そのまま動いちゃうと
現実の世界、社会はタイヘンなことに…なりますよね?笑

ですから、内で起きている恋の気持ちは
無理にコントロールしようとしないで、どうぞ、
好きなら、好き!
忘れなれないなら、忘れられない!
と諦めて受け入れる。

ただし、言動については、自分の内側で
相手の気持ちや状況に対して、どう対応していくのが
それぞれにとってより平和に、幸せにつながるのか、
自分の本音と理性がケンカしないように
ミーティングをして決めることが大事だと。

この時に、
無理に忘れよう!とか、
好きって思ったら余計に辛くなるから、
そう思わないようにしよう!
なんてことをしてしまっていると、
この“自分内ミーティング“もヘンな方向に進んでしまうことがあったり、
決めたことを実践するのにものすごくエネルギーが要ったりします。

自分の内で本音と理性がケンカしたままで動こうとすると、
要はアクセルとブレーキを同時に踏んでる様なもので、
エネルギーは過剰に消耗してしまいます。

案外、好き!って湧いてくる思いを
どんどん自分にそう思わせてあげたほうが、
気持ちも、現実の関係性も、
スムーズに落ち着きどころに落ち着いていくかもしれません。

次に、ふたつめ。

これは、きっとかなり独特な考えかなと思いますが。
よければ、お付き合いください。笑

恋はなぜ起きるのか?
どういうときに起きるのか?
それが解れば、恋で辛くなり過ぎたり
しなくなるのではないかと。

そういう思いから、過去に
自分の、そして周りの恋を真剣に観察し、
考えに考え、洞察したことがありました。

そこで思い至ったのが…、

恋は(便宜上そう表現しますが)神様が、
その2人でしか果たせないお互いにとって大事な用事や、
その2人でないと気付き、成長出来ないことを果たさせるために、
手っ取り早くくっつける接着剤のように、
その2人に、もしくは、どちらか1人にふりかけるもの。

誰かと誰かを一時期、
強くくっつける接着剤が“恋”というもの。

なのかもしれないな…と。

恋の奥にそのような大切なものが用意されている。
(もちろん恋すること自体とっても大切なことだと思いますが!)

モチロン片想いであっても同じ。
誰かがその相手に恋をすることで、
果たせる何か大事な用事、
気付き、成長が奥に潜んでいる。

だから、恋という接着剤は
その用事や気付き、成長が果たされたら、
程なくフッと消えていく。

恋で辛過ぎる…となったら、

この恋の奥にはどんな大切な用事があるの?
何か自分で気付かないといけないことや、
成長しないといけないことがあるの?

と、そのような視点で
その恋と自分を観てみるのもひとつだと思います。

例えば、大切な用事としては…、
その恋から発展して結婚して家族を作ること
(その家族というチームを育てること)だったり、
お互いが支え合って何かを越えるということだったり…。

自分の気付きや成長としては…、
自分の思考の癖に気付いて変化させることだったり、
親との関係性を見つめるためだったり
(相手に異性の親の投影が起きてることも多いと感じます)
依存や自立のことを見つめるためだったり…。

そういう恋の奥にあるものに気付いて、
取り組み始めたらスーっと恋という接着剤が溶けて流れて…、
気付けばその気持ちや、ふたりの関係性が別のものに変化していた…、
好きだけど、大事に思うけれど、
恋ではなくなっていた…と、移行していくことも多いと感じます。

ですから、最初に書かせてもらったように、
今、キラキラと楽しい恋をされている方は、そんなことを一切気にしたり、
洞察なんてことをしたりしないで、
その大切な恋を大いに味わい、楽しまれますように!
と、声を大にして言いたいです!笑

なぜ、声を大にして言いたいのか?笑

恋は、深く傷付くこともあるし、
落ち込むこともある、そして、
恥ずかしい思いもたくさんするしで、
幸せよりも辛い思いの方が多いくらいかもしれません。

でも、恋で味わう気持ちは、そういう辛さも含めて、
他のことでは味わえないほど鮮明、鮮烈でイキイキとしていて、
そして、理屈抜きに誰かを特別に好きと感じられることって、
とても幸せなことだと思うんですよね。

おまけに意図して作り出せる気持ちでもなくて、
一生の内に何度味わえるかわからない貴重なもの、
そんな風にも思います。

ですから、よほどの問題がない限り、
出来るだけそのまま味わい切ることが
せっかく生まれてきた“恋”を、そして、
その恋を宿した自分を活かしてあげることにもなると思うのです。

どんなに理性的なひとをも、人間らしく可愛らしくして、
どんなに日々彩りがないと沈んでいるひとをも、
一瞬で瑞々しくキラキラさせる力を持つものって
“恋”がダントツでトップだと思うのです。

“恋“について、他にもシェアしたいことがあるなぁ…と気付きましたが、
長くなりますので、また来年の12月、そんなムードの時期になって、
また来年と書かせてもらったことを覚えていたら、
シェアさせてもらおうかな、なんて思ってます。笑
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感受性の器。

2018-11-19 20:18:44 | 日記
Queenの映画『 BOHEMIAN RHAPSODY 』を観てきました。

それまでの全てが繋がっていっての
最後のライブのシーンは、本当にトリハダものでした。

そして、これまで何度となく耳にしてきた
名曲の数々の印象や響き方が変わりました。

色々とシェアしたい気持ちになる
とてもいい映画だったのですが、
そんな中、特に印象に残ったのが、
フレディの寂しそうな、悲しそうな顔、姿…。

とてつもない寂しさ…だったんだろうな…きっと。
わたしの想像では追いつかないくらいの…。

でも、そのとてつもない寂しさを感じ、
受け止められるだけの感受性の器があってこそ、
聴く人の心の奥から揺さぶるような曲を作り、
会場の何万人もの人たちの気持ちを一斉に掴むような
パフォーマンスが出来たんだろうなとも思います。

そんな風に、スクリーンの中のフレディを観ながら
“感受性の器“のことを改めて考えたのでした。

誰でも、すごく寂しかったり、悲しかったり、
憤ったり、悔しかったり、
そういう辛い思いをすることがあると思います。

なぜ、自分がこんな辛い思いをしなければいけないんだろう…。

どうしても納得いかなったり、
どう整理をつけていいのか混乱することもあると思います。

セッションでもプライベートでも
そして、自分自身のこととしても
やはりそのようなことに出会うことがあります。

何かのバチがあたってるのでしょうか…
自分が過去に何か悪いことをしたことが回り回って…?
と、自分を責める方も居られます。

または、自分ばかり貧乏くじを引くようで怒りが収まらない、
この怒りをどこに向けていいのかわからない。
と、嘆く方も居られます。

きっと程度の差はあれど、
誰しもがそんな風に思うことがあると思います。

もちろん、わたしも同じくそんな風に思ったことがありました。

そこへの自分自身に対する答えは今のところこんな感じです。

なぜ、そんな目に遭わないといけなかったか?
についての答えは何通りもあると思います。

真実としては絶対の答えは無いかもしれないけれど、
先日ブログに書かせてもらったように、物語としての答えは
何通りもある。

そこを追求することが最優先に大事な時もあると思うのですが、
でも、そういう目に遭ってこそ自分のものになるものがあって、
それをこれからどう活かすのか?ということを考えた方が
より幸せになれることの方が多いと思うのです。

“そういう目に遭ってこそ自分のものになるもの”
って、何があるの?

これももちろん私の考えであり、イメージなので、
皆さんに活かしてもらえるかはわからないのですが…

人はそれが悲しみや、寂しさ、怒りのようなネガティブな感情であっても
それを感じた大きさ、深さ、鮮明さの分だけ、
それと同じ大きさ、容量、感度の高い“感受性の器”
のようなものが出来るんじゃないかと。
私はそういうイメージをいつからか持つようになりました。

ピンポイントでキリで深く刺したような
悲しみを感じたとしたら、それだけの深さを持つ器に。
また別の機会に爆発的な大きな怒りを感じるようなことがあれば、
その深さプラス爆発的な大きさも持つ器に。
そして心の小さなヒダまで震えるような
微細な痛みまで鮮明に感じたなら、
同じだけの微細さ鮮明さまで感じることができる感度の器に。

そうやって、これまでの大きさ、深さ、鮮明さを超える体験をすると
その分、器の大きさ、容量は増え、感度は高く、器はさらに育っていく。

そして、

その器は感受性という器なので、
もちろん、ネガティブとカテゴライズされるような感覚や感情だけでなく、
喜びや楽しさ感動というような幸せとカテゴライズされるような感覚も
その器で感じることになる。

容量が大きく、感度が高い分、喜びや楽しさなど幸せな感覚も
楽々とたくさん、そして鮮明なまま入るので
そういう種類の感覚を感じる時も
大きく、深く、鮮明に幸せな感覚を味わえる。

より大きく、深く、鮮明に喜びや楽しさを感じられる人は
もちろんそのこと自体が幸せだと思いますし、
きっとよりイキイキとその感覚を誰かにシェアすることも出来る。

違う表現だと…
自分の中に大きな入れ物があって、
その中に時には心が冷える冷たい水や氷が入ることもあるけれど、
その同じ量だけ暖かく心地いいお湯や、
誰かに『おめでとう!』と撒いてあげる花びらや紙吹雪も入る。

また、自分が悲しい時、辛い時、
誰かにそばに居てもらうだけでいいと思うことがあると思います。

そのそばに居る役をする機会が訪れたとき、
感受性の器が大きく、深く、感度良く育っていると、
相手の人が感じている悲しさそのものを
全く一緒には感じることは出来ないけれど、
より共感することは出来て、
より近くに居てると相手に感じてもらうことができる。

海で例えると、その人が沈んでいる深さにまで
一緒に潜って行って、そばに居ることが出来る。
もし、その人がもっと深いところに居たとしても、
より近くにまで潜ることが出来る。

なぜ、自分がこんな辛い思いをしなければいけないんだろう…。

という思いをした時に、
すぐにそんな風に思うことは出来ないかもしれないけれど、
少し落ち着いてきたら、

ああ、これで、こんな辛さを感じた分だけ
喜びや感動も大きく、深く、鮮明に感じることができる、
そして、その喜びや感動を誰かとシェアして
そこからまた何か生まれる面白いことが始まるかもしれない…
って、そう思ってみるのはどうかな、とそんな風に思うのです。


原因を探り、納得が必要な時はその作業と同時進行で。

でも、そこでの原因への納得だけでは
本当にそれが起きたことへの理解は半分以下くらいなかと思うのです。

それが起きたことから何が生まれていくのか?
その実践が原因への納得よりも、もっと、
幸せに連れて行ってくれるのでは?と。

『BOHEMIAN RHAPSODY』最後の圧倒されるようなライブシーン。
あのフレディから溢れる言葉にもならないようなもの、
それをスクーン越しに観、震えるように感じながら
この人はどんな思いをして、それを溢れさせるだけの
感受性の器が育ってしまった…いや、育ててきたんだろうと、
ストーリー半ばで何度も出てくる、あの寂しそそうな悲しそうな顔を
思い出しながら、そんなことを思いました。

でも、きっと、
聴く側が感じている感動よりも
もっと大きな感動をフレディ自身がステージの上で
感じていたよねと、そうじゃなきゃ
あの感動をみんなに、大盤振る舞いにもほどがあるよ!!ってくらいに
振る舞えないないよねと、
それは確信できる感じがして
ヒリヒリするよりもずっとずっと暖かい方の感動に満たされて
映画館を出てくることができたのでした。
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欲しかった言葉。

2018-11-08 23:19:34 | 日記
先日、ある番組で虐待を受けて育った子供と、
その家族をサポートする専門医さんの話を観ました。

わたし自身も子供時代は同じ問題の中に居たこともありましたし、
その後、この仕事をさせていただくようになってからは
サポートさせていただくこともしばしばあり、とても興味深く観ました。

その中でも、やっぱり…と納得し、印象に残ったのが、

虐待を受ける子供たちの脳は、
自分の精神的なバランスを崩壊させないために、
そして更には生命維持のために、
暴言を吐かれると聴覚を司る脳の部位、
酷い状況を目の当たりにすることが重なってくると
視覚を司る脳の部位の血流が弱くなり、
やがてその脳の部位が萎縮していくという研究結果が出ているということでした。

番組では更に、そうか、と納得し、
そしてそうであってよかったと感じたのが、

その萎縮した脳の部位は、例えばその子を肯定し、
愛情を感じられるような、その子が欲しいと感じている言葉掛けによって
(もちろん言葉だけでなく安心出来る場も整えられてのこと)
また血流は改善し、脳の萎縮も改善されていくという研究結果でした。

セッションをさせてもらう中でも、
言葉掛けがその方が辛い状況から脱出するのに
大きな鍵となっているケースに出会います。

ただただ、
あの人にこう言って欲しかった…。

その言葉掛け、
それが鍵となっているのです。

その当の“あの人”から改めてその言葉掛けをしてもらえたら一番いいのですが、
実際にそれを叶えるのは難しいケースも多いです。
その場合はその当人ではなく、代わりをしてもらえる人に
その言葉掛けをしてもらう、もしくは、
自分自身でその言葉掛けをしてもらうのですが、
「そんなの気休めじゃない?」
と流せないような効果があったりします。

その当人からの思いがあってのその言葉でないと意味が無いのでは?
確かにそうとも考えられます。

でも、代わりに言葉掛けをしようとしてくれる人は、
きっとそのお願いをした相手に愛情を持っているからこそ、
そのリクエストに応えるのだと思うのです。

そこには、その当人から欲しかった
その思いは乗っていないかも知れないけれど、
愛情は乗っていると思うのです。

自らに語りかける時もそうです。
自分を大事にしたい。
自分を幸せにしてあげたい。
そういう自分への愛情があるからこそ、
自分が辛くなっている状態から抜け出たい、
元気になりたいと思うと思うのです。

そのような愛情と、心と脳が聞きたかったその言葉が一緒になって届くことに
意味があるのだと思います。

そして、必要な言葉掛けが足りてない場合に起きる問題について
少し書いておきたいのですが、
ある言葉掛けを必要とされていながらも、それが叶っていない、
且つ、そのことを自覚していない場合に、
知らない内にややこしい状態に自分を置いている場合がある…ということ。

なぜか素直になれない相手とのややこしい関係とか、
恋愛でいつもハマってしまう失敗とか、
毎回同じパターンを辿る夫婦喧嘩、
親や子供となぜか毎回こじれてしまう状況とか…。

必要な言葉掛けがなされていないことが原因のことがあります。

ずっと欲しいと思っている言葉を
その場の中で、その場に居る人を通じて、
聞こうとしている。

そこに実は根本の問題も解決も無く、
その場、そこに居る人に投影して、
その言葉を追い求めているようなケースがあります。

もしかしたら、自分もそうかも…そう思う方は、
自分が欲している誰かからの言葉掛けは一体、どんなもの?

それを自分自身に問いかけてみてください。

自分は誰からのどんな言葉が欲しかったの?

そんなのわからない…
って思われる方も多いかもしれません。

これは、その言葉を探すひとつのヒントに過ぎませんが、
振り返ってみて、これまで誰かに言われて素直に嬉しい言葉というよりは、
言われたときに
「自分はそんなことない。そうだったら嬉しいけどね。」
ってちょっとイラっとするような、
ちょっと嫉妬みたいな感覚が湧くようなそんな言葉かもしれません。

もし、すぐにわからなくても、
自分に問いかけとして投げておいてみてください。

問いかけておくことで、これまで気付かなかった
自分が欲していた言葉に気付きやすくなったりします。

そして、欲しい言葉がわかったら、
今起きているややこしい状態、状況が、
もしかしたらその言葉をもらいたくて
引き起こしていないかなとちょっと見直してみてください。

そこに何か関連を見つけられたら、
滞っていたその問題が何か動き出すかもしれません。
同じパターンとして繰り返さなくなるかもしれません。

そして、その欲しかった言葉がどんなものか、
誰に言って欲しかったのかも明らかになり、
もし幸運にもその当人にその言葉掛けをしてもらえそうなら、
ぜひ、実際にその言葉を掛けてもらってください。

先にも書きましたが、その当人に言ってもらうのが難しい場合は、
友達やお願い出来る人に。
それも難しいなと感じる時は、
あなた自身が自分にそう言ってあげてみてください。

その言葉は人によって様々だと思います。

「ただ、ここに、居てくれるだけで充分だよ。」
「ひどいことしたね、ごめんね。」
「あなたのこと好きだよ。」
「あなたは本当によく頑張ってる。」
「あなたは自由にしていいんだよ。」


繰り返しが必要な場合も、
たった一回で満たされることもあると思います。

人は生きていく中で、どこかの時点でへこんだり欠けたり、
冷えてしまった部分を、無意識の内に、もしくは意識的に、
自分が必要とする言葉をもらえるよう自然と行動していたり、
働きかけたり、努力したりして、その言葉を掛けてもらい、
そこを満たし、自分を復活させていく、
そういうこともあるのかも知れません。

きっと誰しも程度は違えど、欲しい言葉はいくつかあって、
徐々にそれらを得ていき、満たされていき、
最後の方まで欲し続ける言葉は、
もしかしたら、その人の人生の深いテーマも絡んでいるかもしれないなと
そんな風にも思います。

今回、先日観た番組から、言葉掛けの力に改めて感心したので
そこにフォーカスして書きましたが、
言葉掛けだけでは解決していかないことの方が多いとは思います。

でも、言葉掛けは大きな可能性も持っていると感じます。

欲しかった言葉を見つけていくこと自体にも意味があると思いますし、
それを当人からでなくても
自分で自分に向けてであったとしても、
何かを変えていく力を持つと感じています。

セッションさせてもらう中でもそう感じますが、
そう実感することにもなったわたし自身の体験を
事例のひとつとして少しシェアさせてもらいます。

先に書きましたが、わたしも幼い頃のことが原因で、
人生半ばまで言葉掛けも必要な状態だったと思います。

聴覚に関しても、耳の検査では何も異常は見つからなかったのですが、
子供の頃から左耳が少し聞こえづらいことが度々ありました。

自分と向き合っていく中で、
どうしても自分が立ち直っていくのにそれが必要と気付き、
当の本人(わたしの場合は親)に
その言葉を強くリクエストしたこともありました。

それはそのことでまた余計にダメージを受けるかもしれないとか、
関係が余計にこじれるのではないかという思いもあり、勇気の要ることでしたし、
実際、親とはそのことでまたぶつかることになりましたが、
言い換えれば勇気さえあれば挑める状況はありがたいとも思いました。
結果、望んだそのままにはいきませんでしたが、
でも、聞きたかった言葉の少しは聞けました。

そのことで自分の中で変化することもあり、
また、親との関係性にも変化が起きていくきっかけにもなったので
挑んでみてよかったと思います。

ちなみに、結局聞けなかった一番聞きたかった言葉は、
その後、少し辛い局面になったりすると自分で自分に言うようにしていました。

「あなたがどんな状態、状況でもわたしはあなたの味方。
わたしはあなたを絶対に見捨てない。」

このことは、少し前にシリーズで書かせてもらっていた
“自分と仲良くする”ということとも繋がっていて、
親に言ってもらえなかったから仕方なしに…ということでもなく、
どこか大事な宣言のような感じに変化していき、
その言葉掛けは実際に自分の力になっていったと実感しています。

そして、その後の日々の中でも、
特にこの仕事をさせてもらってからは、
他の必要だった言葉の数々を自然と掛けてもらう機会に恵まれ、
どんどん満たされていったと思います。

もう、今は何かその言葉が足りなくて、
バランスを崩したり、ややこしい状況にはまり込むということは
ほぼありません。

ただ、フイに誰かが自分に向けて掛けてくれた言葉が
予想外に深く暖かく響いて、逆にまだ奥底で冷えている部分があったんだ…と
気付いたりすることもありますが、それは嬉しい想定外であったりします。

わたし自身、言葉掛けだけの力でここまで回復し、
満足されてきたわけでは無いと思いますが、
実感として、言葉掛けには大きな力、効果があったと感じています。

皆さんにも、もしあるとしたら…

欲しかった言葉はどんな言葉だったでしょうか。
今も欲しい言葉はあるでしょうか。
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