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大戦略論

2019年01月31日 | 研究活動
戦略研究について、最近、2冊の重厚な図書が刊行されました。1つは、川﨑剛『大戦略論』(勁草書房、2019年)、もう1つは、ジョン・ルイス・ギャディス、村井章子訳『大戦略論』(早川書房、2018年)です。両書とも書名が全く同じなのは、偶然ではないでしょう。これらの書物は、日本が「大戦略」を構築する必要性に迫られていることに対する、研究者からの回答ではないでしょうか。もっとも、後者は、ギャディス氏が教鞭をとるイエール大学の「戦略研究プログラム」を土台にして書かれたものであり、日本の大戦略構築を直接に意識したものではありません。しかし、元々、英語で書かれた原著が邦訳されたタイミングは、日本人の戦略に対する関心の高まりと無関係ではなさそうです。



これら2つの大戦略論は、書名こそ同じですが、内容やアプローチは異なります。川﨑著『大戦略論』は、社会科学から大戦略の構築作業のロジックやノウハウについて解説する、理論的な大戦略論です。他方、ギャディス著『大戦略論』は、人文科学から大戦略論のエッセンスを読者に教示する、歴史的・思想的な大戦略論です。単純化して言えば、前者は、大戦略を「科学」として扱う一方、後者は「アート」として捉えているのです。




こうした戦略研究へのアプローチの相違は、国際政治に対して理論から演繹的に分析するのか、それとも歴史から帰納的に迫るのか、といった方法論上の問題と似ています。戦略研究であれ国際政治研究であれ、方法論上の多様性は擁護されるべきなのであれば、日本の戦略研究に本格的な理論的大戦略論が加わったことは、大いに歓迎すべきことでしょう。なお、両書の内容については、ここでは触れません。大戦略論に関心を持った方は、ぜひ、本を手にとってお読みください。

興味深いのは、大戦略への切り口が違う両書にも、共通するところがあるのです。それは「戦略的センス」というべき「感覚」の大切さを強調していることです。川﨑氏は、こう言っています。日本外交を動かす「人材群は健全なる大戦略の素養を有している」(279ページ)べきということです。それは、つきつめれば「国際秩序戦をしたたかに生き抜く…英知」のことでしょう。ギャディス氏は、クラウゼヴィッツを引きながら、戦略構築と実践には「相応の知性と気質という素養を必要とする…どれほど高いところにいても常識を忘れるな」(377-378ページ)と説いています。ここで彼が言いたいことの一つは、「無限になりうる願望を必然的に有限の能力に釣り合わせること」(381ページ)でしょう。この主張は、永井陽之助氏が、かつて戦略の本質について、「自己のもつ手段の限界に観あった次元に、政策目標の水準を下げる政治的英知」(『現代と戦略』文藝春秋、1985年、328ページ)と喝破したのを思い出させます。

最後に、大戦略論の書籍が、近年、相次いで発表されたことに、私は深い感慨を覚えます。伊藤憲一氏が『国家と戦略』(中央公論社)において、日本を「戦略研究の基礎的理解がほとんど欠如している国」(xiページ)と位置づけたのは、1985年のことでした。それから四半世紀以上たった今日、日本における戦略研究は、その存在意義を問う時代から、学術的に前進する段階に入ってきたことを実感します。戦略研究に必要な知的インフラが、ほぼ整ったといってよいでしょう。

国際政治研究をリードする米国では、大戦略研究が興隆しています。そこでは、大戦略について、そもそもの必要性から議論されているのみならず、大戦略学派(Grand Strategy School)と応急戦略学派(Emergent Strategy School)が、論争を繰り広げています(詳しくは、Ionut C. Popescu, "Grand Strategy vs. Emergent Strategy in the Conduct of Foreign Policy," Journal of Strategic Studies, Vol. 41, No. 3, 2018などをお読みください)。日本でも、学界において、理論戦略学派対歴史戦略学派のような論争が起こっても、よいのかもしれません。いたずらに学問的「派閥」をつくって対立するのはよくないもしれませんが、他方、論争は研究を前進させる原動力になりますから。

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