カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

ウラジーミル・スーズダリ

2017-07-08 | ロシア
ロシア・モスクワの北東近郊には、モスクワ以上に長い歴史を持ち、中世の街並みを色濃く残した古都が環を描くように残されていることから「黄金の環」と呼ばれている地域がある。今回はその黄金の環を代表するウラジーミル(Владимир)とスーズダリ(Суздаль)を訪れることとした。

ウラジーミル(モスクワから北東約170キロメートルに位置)へは、モスクワ市内にあるクールスカヤ駅から列車が出ている。乗車チケットは1か月ほど前にロシア鉄道サイトから午前7時15分発ラースタチカ号(ニジニ・ノヴゴロド行き高速列車、全席指定、運賃612ルーブル)を購入した。
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クールスカヤ駅は、モスクワ市内にある9つのターミナル駅の1つ。昨日は、JAL421便でモスクワ・ドモジェドボ空港に午後3時に到着した。モスクワ市内で1泊後、今朝は余裕を持ってクールスカヤ駅に着いたのだが、駅舎の電光掲示板には乗車予定の列車案内がない。係員に聞いて進んだ先はエレクトリーチカ(近郊電車)の専用改札で違うようだ。改札手前の左奥に大きな長距離用のプラットホームがありその地下道を進むと乗車予定の列車案内があったが、急遽ホームが変更になり行ったり来たりと結局出発間際になった。

無事乗車口にいる係員にEチケットとパスポートを提示し指定席に座った。土曜日のためか車内は満席のようだ。車内販売は玩具やお菓子が中心で朝食らしきものもない。車両は2009年導入のシーメンス社製で車内は綺麗だが、スピードが出ると横揺れが激しくあまり乗り心地は良くなかった。

ウラジーミル駅には予定通り午前8時54分に到着した。駅舎へは地上ホームから跨線橋を通って下りて行く。
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駅前から振り返ってウラジーミル駅を眺めるとモダニズム風なデザインの建物だ。モスクワは雨だったが、こちらも雨である。。
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これから北東に26キロメートル離れたスーズダリにバスで行き1泊した後、明日午前中に再びバスでウラジーミルに戻り市内を観光して、午後7時27分ウラジーミル駅発の日曜臨時快速7091号(乗車チケットは1週間前からロシア鉄道サイトで販売が開始され790ルーブルで購入した)でモスクワに戻る(午後10時7分モスクワ着)予定にしている。

スーズダリへ向かうバスは、駅前の広場を挟んだ向かい側に建つバスターミナルから出発する。バスターミナルは駅前広場側から見て登り斜面に建っている3階建の建物で、階段を上った2階がチケット売場のある待合所とターミナル(外)になっている。チケット売場の窓口カウンターの上には、行先別に時刻が掲示されており、スーズダリ行きのバスは概ね30分毎にあるようだ。窓口で購入を申し出ると9時半と印字されたバスチケット(95ルーブル)を発券してくれた。
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出発まで20分ほど時間があったので、待合所からターミナル側に出て右側にあったショッピングモールの広告のある建物に向かった。ここからウラジーミル駅が良く見える。
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駅前から伸びる上り道路を横断して向かい側の広告のある建物に入るとファストフード店があったので、ブリヌイ(クレープ生地にチーズや肉、茸などを包む)をテイクアウトし、バスの中で食べた(写真は切ったもの)が、温かくてなかなか美味だった。
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バスは45分ほどでスーズダリ・バスターミナルに到着した(直通バスだが、数か所の停留所に停まり乗客の乗り降りがあった。)。バスはそのままスーズダリ市内バスとして走行するため、降りずにいると運転手が運賃(17ルーブル)を徴収しに来る。その後、バスは東西に伸びるヴァシリエフスカヤ通りを1.5キロメートルほど西に進み中心部のタルゴーヴァヤ広場に到着した。※市内地図参照(タルゴーヴァヤ広場は中心付近の三叉路。なお地図は木造建築博物館前で撮影したもの)

タルゴーヴァヤ広場前は、ヴァシリエフスカヤ通りの終点と南北に伸びるレーニン通りが交差する三叉路となっている。バスは突き当たりを右折してレーニン通りを北上し始めた。最初にこの先3キロメートル北上したスパソ・エフフィミエフ修道院(Спасо-Евфимиев монастырь)から見学しようと考えていたためラッキーだったが、結局、修道院の1つ手前のバス停で降りてしまったため、300メートルほど歩いた。。

水たまりを避けながら歩道を進むと、向かい側に塔の形が印象的な白い小ぶりの教会が現れた。左からシメオノフスカヤ教会、スモレンスカヤ教会で、その隣の3角屋根の建物が17世紀に建てられた石造りの「ポサードの家」である。それまでは木造住宅が主流だったことから過渡期に建てられた貴重な住宅である。
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そして、左前方の公園の奥に目的地のスパソ・エフフィミエフ修道院の塔が現れたので公園内に入り塔に向かった。公園の中心にある胸像はドミトリー・ポジャルスキー公で、17世紀初頭のロシア・ツァーリ国の政治的混乱(動乱時代)時に国民義勇軍を指揮し、モスクワを占領したポーランド・リトアニア軍を追放したロシアの英雄である。
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胸像の後ろから修道院の塔へ向かおうとしたが柵があり行くことができず、再びレーニン通り沿いの歩道に戻り公園の外側を回り込んだ。塔の下に見えるアーチ扉の奥がカッサ(チケット窓口)になっている。入場するとすぐに中庭と正面に門のある白い建物が見える。そばに修道院の案内図があるので見てみると、スパソ・エフフィミエフ修道院は、広大な壁に囲まれているのがわかる。現在カッサ(図の①)から入場し、正面の白亜の門の建物がブラゴヴェシチェンスカヤ教会(図の②)のようだ。
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スパソ・エフフィミエフ修道院は、1352年に要塞として設計された。その後、貴族や商人たちの信仰を集め修道院として拡大する。17世紀にはポーランド・リトアニア軍に破壊されるが、その後城壁が築かれ、1992年には世界遺産「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の一つとして登録され現在に至っている。さて、ブラゴヴェシチェンスカヤ教会を抜け通りに沿って歩くと左側に2階建ての修道院長の館(図の③)が現れる。
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修道院長の館は博物館になっており、イコンや宝物などが展示されていた
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修道院長の館の2階からは修道院の中心を占めるスパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂(図の⑤)が望める。撮影ポイントにばっちりだ。聖堂は16世紀に建てられ、頂上には中央の黄金のドームを始め7つの美しいドームがある。左側はウスペンスカヤ教会(図の④)で、右側の鐘楼では、奏者が両手両足を使って巧みに演奏するベルコンサートが1時間毎に行われている。午前11時に修道院長の館で鐘の音を聞いたが午後12時には鐘楼の東側から演奏する様子を見ることができた。
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それでは次に、スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂に入ってみる。
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聖堂内は17世紀に描かれた美しいフレスコ画で覆われている。特に美しいウルトラマリン・ブルーが印象的だ。
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修道士たちがポリフォニーを聞かせてくれた。澄み切った歌声が美しく心を癒してくれる。特に中央の修道士の声が秀でている。
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聖堂を出て左側に進むと細かい浮彫で覆われたドミトリー・ポジャルスキーの記念碑礼拝堂祠(図の⑦)や、その左側には八端十字架の浮き彫りが美しいポジャルスキーのお墓(図の⑥)がある
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その後、ニコーリスカヤ教会(図の⑪)修道院の懲罰室(図の⑨)などを見学した。修道院の懲罰室には南京錠で施錠された懲罰室が並んでおり、室内には、表情を覆い隠した怖い雰囲気の人形が飾られていた

修道院の懲罰室の裏側には、黄色い花(セイヨウカラシナ?)が一面に咲き、周囲を連続するアーチが続く壁で覆われている。壁は平均8メートルの高さがあり、一周の長さは1160メートルに及ぶという。
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カッサの横から階段を上って壁内の通路を畑が望める方向に少し歩いてみたが、午後1時を過ぎていたので、すぐ戻って下のカフェで食事をとることにした。
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カフェ内では2組の観光客が食事をしていた。2組共にボルシチを頼んでいたので、見習ってボルシチなどを注文したが、味はかなり薄味であった。追加でペリメニを頼んだが20分も待たされた。すっかり待ちくたびれて口に運んだが、弾力のある触感に口の中に広がる肉と肉汁とが野菜に絡み合い何とも美味であった。アクセントのサワークリームと香草(ウクロープ?)との相性も良かった。
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スパソ・エフフィミエフ修道院を出てレーニン通りに向かうと小型のバスが停まり数人が下車している。路線バスと思い乗り込もうとすると運転手から制止された。タクシーが1台停まっていたので、200ルーブル程度なら乗ろうと、タルゴーヴァヤ広場までの運賃を聞くと150ルーブルと言う。すぐさま乗ってあっという間に広場に到着した。

広場では特設ステージが立てられ、子供たちによる熱唱が繰り広げられていた。正面に見えるのは1720年に建てられたヴァスクレセーンスカヤ教会で、左側にはレストランや商店が入るショッピング・アーケードがある。アーケード前には、特設の露店が並び、特産品などが売られている。スーズダリの代表的特産品は蜂蜜のようだ。奥に並ぶ少し丸みを帯びたペットボトルは「メドブーハ」と言い、蜂蜜を発酵させたアルコール5%程度の微炭酸のお酒。試飲もさせてくれる。歴史は古く12世紀頃から飲まれているそうだ。
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ショッピング・アーケードに向かって左側にある階段を降りて右に通りを進みクレムリンに向かう。右側に視線を移すと教会が見える。右側の5つの塔を持つ教会は1702年から1707年にかけて建てられたエルサレムへの入場教会で、左側は1772年建造の金曜日教会である。このようにスーズダリにはあちらこちらに小さな教会がある。
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300メートルほどで正面に鮮やかな青色の塔を持つ教会が現れた。こちらも世界遺産の一つ「クレムリンと生神女誕生大聖堂」である。入口は敷地の外側を左右に回り込んだ先にある。カッサは入口左側の特設テントで敷地内には芝生の緑が鮮やかな広がる丘陵地となっている。最初に左側の土手に上ってみた。土手からクレムリンの建物が見渡せる。正面に見える3階建の建物が府主教宮殿で博物館となっている。そして、左奥に見える青色の塔がラジヂェストヴェンスキー聖堂である。
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土手から振り返るとクレムリンを取り巻く様にカーメンカ川が流れているのが分かる。カーメンカ川の対岸右側に建つ煉瓦色の教会は、ボリスとグレブ教会で18世紀半ばから後半に建てられたスーズダリの正教会。ボリスとグレブとは、11世紀初期に没したキエフ大公国ウラジーミル1世の息子で公位継承戦争の最中に殺害されロシアで最初期のキリスト教の聖人となった人物でイコンにも多く描かれている。そして左側にみえる木造の建物は木造建築博物館である。
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右側に視線を移すと1744年に建てられたイリイーンスカヤ教会が見える。教会はカーメンカ川の曲がり角の対岸に建っている。

では土手を降りて府主教宮殿に向かう。途中クレムリン敷地内の北側(左)には木造の教会が建っている。こちらはニコーリスカヤ教会(聖ニコラス教会)と名付けられている。1766年に近郊のユリエフ・ポリスキー村で建てられたがスーズダリの観光施設の整備及び開発の一環として1960年に移設・修復された。尖塔の細かい彫刻も見どころだ。
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ラジヂェストヴェンスキー聖堂を見学してみよう。聖堂は彫刻の施された下部が13世紀に建てられ上部は16世紀に改築されており、現存するスーズダリの建物では最も古いもの。
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主祭壇にはイコンで覆われた巨大な黄金の衝立(イコノスタシス)がある。
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天井には美しいフレスコ画で覆われている。
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主祭壇に向かって右側には細かい細工が施された天蓋がある。奥には扉に金で彩色された黄金の門があるが、
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入口を入ったすぐ右側の13世紀作の黄金の門が一番の見所らしい。剥がれ落ちている箇所も多いが、中央部は良く残っており、光が差し込むと、キリストや使徒の光輪などが眩しく輝きを増す
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府主教宮殿の博物館には、子供向けの100年前のスーズダリの紹介から始まり、中世の調度品やイコンなど様々な歴史資料が展示されていた。見所は展示会場の廊下の突き当たりの部屋にある17世紀のヨルダンの天蓋で、高さ8.5メートル、260もの松木のパーツから造られている。柱にも細かい彩色が施され、上部には全能者キリストが描かれ、頂部にはラジヂェストヴェンスキー聖堂と良く似た5つのドームがある。この天蓋は1月19日に行われるロシアの洗礼式に使われたもので、当日は川の氷上に十字架状の穴を開け、そこに天蓋を覆って洗礼式が催された。洗礼式を取り囲む柵も展示されている。
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壁には、氷上にヨルダンの天蓋が飾られた写真が展示されていた。儀式後、水浴びをするらしいが寒いだろう。
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こちらも見どころの一つ。宮殿の応接室。
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クレムリンから下り坂の道を歩いてくるとカーメンカ川に架かる橋がある。橋を渡り、
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対岸からクレムリンを眺めると絵画の様な美しさだ。向かい側に木造建築博物館があるが、疲れたので
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カーメンカ川に沿って400メートルほど歩いた宿泊予定のホテル・プスカルスカヤ・スロボダでチェックインする。
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ホテルで少し休んで、再び戻って木造建築博物館を見学した。クレムリンから見えた木造の建物は案内図によるとトランスフィギレーション教会というようだ。敷地内はかなり広い
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敷地内にはもう一つ教会(パタキーノ復活教会)があり、こちらは入ることができる。入口から鐘楼の下を過ぎて奥に入った所が礼拝堂になっており、細かく縁取り浮彫がされたイコノスタシスが飾られているドームを見上げると不揃いな木材が八角形に組み合わさっているが、かえって素朴で温かみを感じる。他にも敷地内には風車や、古き時代のロシアの暮らしを再現した建物などがある。

やはりここでも大雨に見舞われたが、敷地内にあった土産店で雨宿りをして午後6時過ぎに再びカーメンカ川に沿ってホテルに戻った。
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他にも見学したい場所もあったが、突然の雨も多くこれ以上は億劫になり、予定より早く夕食にすることにした。今夜はホテルすぐ南側に並ぶ木造のロッジの突き当たりにある、ホテル系列のロシア料理店ウレイを予約している。
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店内は、ギター生演奏もあり既に多くのお客で賑わっていた。人気店と聞いていたので予約をしておいて良かった。さて、まずはビールと赤ワイン(2100ルーブル)などを頼み、食事は、①スモーク・フィッシュのスパイシーオイル浸け(280ルーブル)※ライ麦黒パン添え②トラディショナル・ロシアン・サラダ(300ルーブル)③川魚のカツレツのナッシュブラウンソースかけ(460ルーブル)※ビートガーニッシュ、クリーム、マスタードソース添え、④ガルショーク(壺焼きシチュー)(520ルーブル)(※こちらはシチューのパン生地を外した様子)を注文した。
料理は美味しかったが、ややインパクトに欠けるか。。しかしもう一品焼き物などを注文してみると印象が変わっていたかもしれない。

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翌日、部屋から窓の外を眺めると今日も雨が降っている。。ホテルの朝食ブッフェは普通だが、パンが美味しくなかった。。フロントから外に出てみると大雨になっていたので観光は諦めホテルでタクシーを呼んでもらいスーズダリ・バスターミナルに向かった。運転手に運賃を聞くと150ルーブルと書かれた一覧表を見せてくれた。市内走行のための協定があるようだ(もっと乗車すれば良かった)。そして午前10時スーズダリ・バスターミナル発のバスに飛び乗りウラジーミルへ戻った。

ウラジーミル・バスターミナルに荷物を預けて(多少手間取ったが)歩いて坂道を上り、ボリシャヤ・モスコフスカヤ通り沿いのバス停から152番の路線バス(5分程で来た)に乗って、バガリューボヴァにある世界遺産ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会(Церковь Покрова на Нерли)に向かう。午前11時40分にバガリュープスカヤ修道院前でバスを降りた。通りに沿って200メートルほど進むと、案内板が現れた。案内板に沿って坂道を下ると鉄道駅があり陸橋を越える。陸橋の上から振り返ると、バガリュープスカヤ修道院の美しい姿を望むことができる。

陸橋を降りた林の奥に広大な景観が広がり、遠くに目的地ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会が見える。この辺りは春には雪解けの影響を受け一面水に覆われ、教会だけが水に浮かぶかのような姿を見せるという。
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案内板に従い、草原の一本道を20分ほど歩くと小さな池が現れ、ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会が優雅に佇んでいる。
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なんとも遠い。。ようやく教会前に到着した。バスを降りて約50分。ここまで雨が降らなかったことに感謝した。
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教会は、1165年、バガリュープスキー公によって、ヴォルガ・ブルガール族との対戦勝利とその戦いに命を落とした息子イズィヤスラフを記念して建造された。白亜の建物には、アーチと円柱があり、その下に女性の顔や鷲などの浮彫が施されている。更に上部には女性の顔、ダビデ王やライオンの浮彫も見えるなお教会内は至って簡素な造りであった
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教会の裏には事務所兼ショップがあり、受付の留守番中の女の子はトランプタワーの最中だった。

さて、雨に濡れずバス停まで戻り、152番バス(10分ほど待った)でウラジーミルのメインストリート(ボリシャヤ・モスコフスカヤ通り)にある聖堂広場に到着した。地図で現在位置を確認してみよう。⑥⑦前の広場がそうだ。
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公園を通って丘の上に立つ世界遺産ウスペンスキー大聖堂(Свято-Успенский Кафедральный Собор)へ向かう。
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右側から入場する。大聖堂はアンドレイ・ボゴリュブスキーの命により1158年から1160年にかけてキエフ・ソフィア大聖堂を意識して建設された。6本の柱と5つの黄金ドームはウラジーミル・スーズダリ公国の威光を反映して1185年から1189年の間に拡張されたもの。1178平方メートルの広さに及ぶ大聖堂は、約400年の間ロシアの中で最大の大聖堂であった。
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内壁のイコンは12世紀に描かれ、偉大なイコン画家アンドレイ・ルブリョフとダニイル・チョールヌィによって1408年に描き直されたとされるが、どの部分がアンドレイ・ルブリョフに手によるものかはわからなかった。
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昨日から見たフレスコ画の中ではこの絵が一番素晴らしい印象だ。
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聖堂を出て外壁に沿って左側に回り込み歩いて行くと、石畳のプロムナードが伸びている。少し歩いて振り返るとウスペンスキー大聖堂の威容が望める。展望台中心にはウラジーミル公の騎馬像が聳えている。
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展望台からの眺めは素晴らしい。ウラジーミルの中心部が丘の上にあるのがよくわかる。すぐ下には鉄道が走っており、並行してヴォルガ川の支流クリャージマ川が流れている。
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この後、展望台に沿ってウスペンスキー大聖堂を左側に見ながらプロムナードを東方面に進むと世界遺産ドミトリエフスキー聖堂に到着した。しかしトイレに行きたくなり先に近くの歴史博物館に向かう。博物館は煉瓦造りの2階建で綺麗な建物である。100ルーブル支払い館内に入るが何とトイレがない。先に聞いて入館すればよかったのだが後の祭りである。。
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こちらの展示室には、ウラジーミルが丘の上の城壁に取り囲まれた時代の様子が再現されていた。

ボリシャヤ・モスコフスカヤ通りを西に歩き、聖堂広場を越えて200メートル先の右側、歴史的建造物と共存するマクドナルドに向かう。
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トイレに行き、コーヒーで一息ついた後再び聖堂広場に戻り、
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公園を通りウスペンスキー大聖堂を今度は左側に回り込み再びドミトリエフスキー聖堂に向かった。
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壁の浮彫は驚くほど細かい扉口の五重アーチのヴシュールには、蔦などの植物が鳥や動物を取り巻く様に網状に彫り込まれている上部窓上では、ダビデ王が優雅に竪琴を引く姿が彫られている。
内部に入ると、主祭壇には美しい黄金の十字架が奉られている。12世紀に描かれたフレスコ画は改修中だったが、少しだけ覗き見ることができた。

さて、ボリシャヤ・モスコフスカヤ通りを西にバスを2区間乗車し下りた先にあるのが、世界遺産の黄金の門(Золотые ворота)である。
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黄金の門に向かって左側にはかつて町を取り囲んでいた城壁の跡がある。行ってみると土塁になっており、上から黄金の門の側面を眺めることができる土塁の上を黄金の門と逆に歩いて行くと300メートルほどで公園にたどり着く。公園からの見晴は素晴らしく遠く東側には、ウスペンスキー大聖堂と展望台が望めた。
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時刻は午後5時を過ぎた。列車の予約時間のこともあるので、早めに夕食を食べようと、黄金の門と聖堂広場との中間に位置するレストラン・オヴローモフに歩いて向かった。ウラジーミルで一番の人気店との噂も聞いていたので期待に胸をふくらませ向かった。

時間が早いのか他にお客はいなかった。店内は暗めの照明にソファーシートが置かれクラブを思わせる雰囲気だった。事務的な雰囲気のスタッフ女子(帰り際は愛想が良かった)にビールやワインを頼み、料理は①オヴローモフ・サラダ(430ルーブル)※ローストビーフ、揚げ野菜、パンケーキ、レッドペッパーソース添え。②タイガーエビ(575ルーブル)※グリーンオイル揚げ、トマト、焼きパルメザンチーズ添え、③ダックブレスト(720ルーブル)※グレープフルーツソース味④ウハー(335ルーブル)を注文した。お腹が減っていたのでほとんど食べたが、正直言ってどの料理も標準と言ったところ。。

午後6時半には精算も終わり、午後7時にウラジーミル・バスターミナルで無事荷物をピックアップして、
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向かいのウラジーミル鉄道駅から予約済みの午後7時27分発の快速7091号に乗り込んだ。少し心配もあったが車内には綺麗なトイレがあり良かった。ひと眠り後、目を覚ますと時刻は午後8時半、そろそろ日の入りのようだ。
(2017.7.8~7.9)
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